カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

10日はたそがれの街、あるいは黎明館特別企画展「西郷どん」展に行った話

本編の感想がなかなか追いつかないうちに「西郷どん展」が来週までであったので、おりよく市内に出向く用事があったので訪れてみた。

瑛太さんが音声ガイドをされている、ということで今回音声ガイドデビューもしてみた。

 

西郷隆盛展」ではなく「西郷どん展」であるがゆえか、まずは幕末、特に薩摩の時代背景を来場者に丁寧に説明していく。洋風で開明的なイメージがある斉彬公の大鎧が大々的に展示されているのは新鮮であった。

城下絵図、錦江湾(薩摩潟)の屏風など、大づかみな薩摩がビジュアルで展開され、示現流の解説も交えつつ、劇中でも印象深いアジア図が視界に飛び込み、目にも美しい薩摩切子を初めとした斉彬の事業の成果物が並ぶ。続いて篤姫に関連する様々な資料が展開される。特に白眉は雛調度と言われるミニチュアの薩摩切子であろう。クリアファイルになっていたので妻へのお土産にした。これが原寸大なのだから圧巻である。

続いていよいよ西郷が政治の表舞台に……と思いきや早速島流しにされてしまう訳であるが、大久保が丁寧に当時の情勢を伝える手紙が残されており、女房役の健気さがしのばれる。また、島にいる間愛用していたという酒器はなかなかのインパクトで、その大きさからまた西郷という人の規格外さをしのぶことができる。

イムリーなところでは維新後の愛佳那への手紙もあった。菊次郎のアメリカ留学のほか、娘を上京させるようアドバイスしている。間違いなく娘のことは考えているのだろうが母の気持ちについての機微は今一つなあたり、大河ドラマはリアルなのかもしれない。

二度目の完全に罪人として流された沖永良部島でのゆかりの品も数多く残っており、西郷という人が幻想の中の人物でなく、確かに島の人に愛されていたのだということが外堀からわかったような気がした。

沖永良部では西郷は疑似餌を手作りしてイカ釣りを行ったといい、その疑似餌も見ることが出来た。本土の方では南方の木で作るイカ釣りの疑似餌は最上とされていた、というが、島の人々はそのように疑似餌を使ってイカ釣りをする西郷を奇異に見ていたというのはなんだかおもしろい。

そしていよいよ中央復帰、禁門の変へ繋がっていくのだが、今度は大久保へその情勢を西郷が手紙で細かく伝えていることが立場の変遷が分かって興味深い。

幕末全体のファンとしては新選組関連の展示(袖章、英名録)にテンションが上がってしまう。英名録は島田魁筆ということで、巨漢のイメージのある島田が端正な筆致だったのが失礼ながら意外であった。ゴールデンカムイを読んでいるものとしては「松前 永倉新八」にピクッとしてしまうし、単に折り目の部分だからかもしれないが、武田観柳斎の名前だけぐちゃぐちゃに滲んでいるのにメッセージ性を感じてしまったりする。

また、にわか刀剣好き、陸奥守吉行好きとして見逃せないのが「竜馬を斬ったかもしれない刀」京都見廻組桂早之助所用刀である。武骨な造りがいかにも「実用刀」――人を斬る(斬った)刀という風情で凄みがあった。

進んでいくと実物の「錦の御旗」が鎮座ましましており、その荘厳たる姿、当時のピカピカの状態であったらばよりオーラがあったであろうと感じた。

明治天皇が下賜したという「必勝祈願セット」もあり、その中に入っている「勝栗」でそろそろ聚楽第を攻略せねばと思う筆者であった。(刀剣乱舞の話が多くてすみません)

ここから会場は向かいの特別室に移る。

 

最初の特別室には西郷を演じる鈴木さんのパネルが、

向かいの展示室には大久保を演じる瑛太さんのパネルが向かい合わせに配置されている、というのもなかなかメッセージ性が強いと深読みをしたりした。

こちらの展示室にも西郷が薩摩最後の藩主より拝領した「太刀 額名 雲次」があり、その直刃調の小丁子乱れの刀身は刀剣好きとしては来歴も含め垂涎である。

ここからは幕末の英雄西郷隆盛が明治政府の重鎮となり、またそれを捨て去ろうとし、しかし捨てきれず、(が、その合間に確かに憩いの時間はあり)賊軍の総大将となり、その後文字通り星(西郷星)となり、「上野の西郷さん」となるまでが語られる。

明治天皇から下賜された刀装具(繊細な装飾が施された目貫・縁頭)を優れた猟犬を借り受ける質草代わりに人に渡してしまう、というエピソードがなんとも西郷を象徴しているように思えてならない。(この刀装具は子孫の方が大切に保存されていて、今回初めて公開されている)

西郷という人は、己のことであればそのようにバッサリと切り替え、捨て去ることが出来る人であって、また本当に隠居を望んでいたんだなということが伺いしれる。

しかし私学校設立他も二心があるように疑われ続け、ついに私学校生徒は暴発する。この手法は鳥羽伏見の際に西郷印の旗の下で薩摩が使った手法であるのが歴史の皮肉であろうか。

西郷は熊本城に、清正公に敗北し、かちあい弾をも生んだ田原坂にも敗北し、とうとうこの展示会場である黎明館の目と鼻の先、城山を士の山にし、死の山にして果てる。

しかし明治天皇のお気に入りだったことも手伝って(刀装具のこと知らないんだろうなあ)名誉回復し、「上野の西郷さん」として文字通り鎮座している。

この展示の最後の最後に、筆者が「西郷どん」を総括する最後のピースとなるような資料と出会った。これは「西郷どん」感想シリーズの最後に記したいので、今回は保留とさせていただきたい。

西南戦争辺りからは、「ああ、こうなってしまうのだよなあ」と胸が苦しくなりながらの展示であった(最初の展示室の人物相関図の没年が1877が多数あったことがリフレインされた)が、それだけ感情移入が出来るようなつくりとなっていたということであろう。「上野の西郷どん」ではなく、京都に西郷像を造る計画があったというのには驚いた。西郷像まわりの資料は充実していたので、翻って最終話であるであろう除幕式が楽しみである。

特に印象に残った展示

あんまりいい展示だったので図録を買ってしまった(トートバッグとセットでお得!)。この写真ではわかりにくいがメタリックで格好いい。解説も充実している。

が、筆者が特に心に残った二つの展示はどちらも未収録なのが残念であった。

どちらも特別展示であるからであろうか? 県のHPに案内が掲載されていたので引用させていただく。

「西郷午次郎武小学校入学誓約書控(西郷家萬留二〇七)」

西郷隆盛の息子・午次郎は,西南戦争の前年にあたる明治9年(1876),武小学校(明治8年(1875)12月創立,現在の鹿児島市立西田小学校)に入学することになりました。
資料は,入学に当たって小学校に提出した誓約書の控えです。父親としての隆盛の姿を感じ取れます。
盛は午次郎の名を書くべきところに自分の名(吉之助)を誤って書き,黒塗りした上で書き直しています。
お,隆盛は午次郎の通った武小学校門札も書きました(太平洋戦争で焼失)。

西郷の「父」らしさ、愛嬌のあるうっかりさなど、西南戦争の前年、貴重な心やすらかな時間を過ごせたことが伝わり、心に残る資料であった。

刀:銘州住守次藤原是利治二年十一月吉日」(伝・桐野利秋所用刀)

本資料は,桐野利秋が愛用したと伝わる長さ98.5センチメートルの長い刀です。
野利秋(中村半次郎1838年~1877年)は,剣術に長け,「人斬り半次郎」の異名をもっています。西郷隆盛のもとで国事に奔走しました。篠原国幹村田新八らと共に私学校の設立に関わり,西南戦争では,薩軍の隊長として活躍しましたが,城山で戦死しました。

見廻組の刀とは対照的に長く優美で、これで本当に示現流が使えるのか、一回で折れてしまうのでは、と思わせる刀。しかし確かに殺気は纏っていたように思う。

↓引用元

鹿児島県/黎明館「西郷どん」展(鹿児島展)限定関連資料の特別展示について

 

ミュージアムショップで購入したこの飴も素朴な味でおいしかった。

特にお気に入りはこのクリアファイル。デザインはもとより、実用性が普通に高い。

ポスターは無料なのでもらってしまった。西郷どんもいよいよ最終コーナー、特別展でのあれやこれやは大河ではどう描写されるのか。最後まで楽しみに待ちたい。