カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

審神者就任四周年―筆者と陸奥守吉行たちの1460日

なんだかいかがわしいがバレ防止のつもりである。一体、誰っちゃんなんだ……。

余談

六年前、筆者は提督であった。久々のブラウザゲーはコンシューマーゲーより気軽で、(何しろ当時は「ゲーム機の電源を入れる」ということすらとても億劫だったのだ)一日一時間程度でちまちま進めていた。

そして血気にはやり、一人の艦娘を失った。折しも終戦記念日の前日であった。その後も暫く楽しませてもらったが、建造で同型が出るたび、やるせない気持ちになった。難所である2-4を超え、3-2くらいまで進んだところで業務もますます忙しくなり、そのまま鎮守府から足は遠のいてしまった。

今回この記事を書くにあたり、久しぶりに着任してみた。ログイン画面が随分変わっているように思い、艦娘のスケールが本丸と比べて近い、と感じた。

右上に遠征が完了しました、とメッセージがあった。最後に遠征に送り出したのはいつだったろう。クリックして、長い長い遠征から彼女たちを迎え入れた。持ち帰ってくれた僅かばかりの資源は、放置してカンストした資源の前に切り捨てられてしまった。

建造でも、と思ったがもはやレシピも思い出せなかった。出撃を押すと、海域が全く把握できなくなっていて二度驚かされた。

もはやここに筆者の居場所はないのかもしれない。データの海に彼女たちを沈めることといつか来るやも知れぬ提督としての使命感が燃え上がるのを待たせ続けるのはどちらが罪深いだろう?

少し逡巡し、今回はこのままでいることにした。帰ろう、帰ればまた来られるから。三年の時を経ても、彼女たちは待ってくれていたのだから。

本題

就任まで

四年前、筆者は審神者に就任した。実家を出て職場のそばへ引っ越し、社会人になって幾らか年月が経って時間のやりくりも出来るようになり、とはいえコンシューマーゲームのモニタとテレビを統一してしまい、HDMIをレコーダーから挿しなおさなくてはならなくなったので「電源起動クエスト」はさらに難易度が上がってしまった。

そんな折、「刀剣乱舞」が新規サーバーを開放するという報が入ってきた。男の子はいくつになっても刀が好き。筆者も例外ではなく、前々から興味はあったが新規参入が難しい状況でもあった。

新規解放されるサーバーは「薩摩」であるという(「備後」も同時に解放された)。これも何かの縁と帰宅後早速申し込みをした。既に結構埋まっていてその人気ぶりに驚いたものだ。妻も周防サーバー実装時に始めているので、旧国名サーバーというのはゆかりの地が解放されたときにやってみよう、と思わせる意味ではなかなか効果的であるのかもしれない。

初期刀選択、初鍛刀、初出陣

さてログインし、初期刀を選ぶ段になった。ざっと見て、ほぼノータイムで陸奥守吉行に決めた。無知を晒せば、初期刀の中で見知った名前が陸奥守吉行しかなかったのである。性格も快活でルックスも秀逸であり、選択しない理由がなかった。

初鍛刀は、今剣だった。これは……後から来た大柄な刀剣男士にも先輩風を吹かせてえへんしそうなタイプ……いいじゃないですか……となりつつ、その日に1-3くらいまで攻略したと思う。「艦これ」より結構楽だな、という印象であった。

よう狙って……バン!

えっ刀はいいの? と思って笑ってしまったのも今や昔である。

コンシューマーゲームへの移り気

織豊の記憶まではスムーズに進んだが、そこから停滞が始まった。スムーズに進み過ぎてレベルが足りていなかったのだろう。また、任務を達成しても回収を忘れることが多かったり、資源をケチって短刀が顕現することが多く錬結によってステータスがなかなか上げられないのも今覚えば響いていたように思う。

はじめて陸奥守吉行が中傷(いつ見てもこの表現どうなのかなあと思うのだが)まで追い込まれた。その時の「吠たえなや……」と言う言葉に背筋がざわついたのを今でも覚えている。(実際は軽傷時の台詞であるはずなので記憶は前後しているのだろうが、印象としてこの時初めてその台詞を認識したのでこのように表記させていただく)。

歴史好きであれば嫌でも近江屋事件と、龍馬暗殺事件と結びつくその台詞。陸奥守吉行が刀である自分を否定するようなことを言うことが、誉をとってもイマイチ嬉しそうでないことがつながったように思えた。

今の主である審神者を、筆者を立ててくれているが、未だに彼は守れなかったことをしまい込んだ上で戦っているのだと。

初めての撤退を行い、手入部屋に直行させ、その日はそれで終わりにした。

カッとなって転職し、しばしの自由時間が出来た。PS4を買い、大作ゲームに手を伸ばした。こうなるとブラウザゲームはいつでも出来るからこそ、足が遠のいてしまった。月単位で本丸を開けることが多くなり、こんのすけは「嫌味を言ってくるやつ」というひどい認識に至っていた。

いつでも陸奥守吉行は朗らかに迎えてくれていた。

夫婦審神者・そして再開へ、からの再中断へ

刀剣乱舞をはじめて二度目の春、妻(まだ同居人であったがこの表記に統一する)が審神者に就任した。単純に共通の話題が増えるのは嬉しかった。

妻の偉いところはこれと決めたゲームを一貫してやり続けるところで、筆者のようにゲームを積むことは決してない。常にそのゲームと真摯に向き合う。(平行して進めることはある)刀剣乱舞もその例外ではなく、元来不精な筆者はあっという間に差を詰められてしまった。

困ったことにTLの情報や妻のプレイ報告で自分も「プレイしたつもり」になってしまうのがますます問題で、新刀剣男士も妻は顕現させるが筆者は……ということが続き、妻との審神者偏差値の違いに自分でうんざりしてしまい、またまたの中断となってしまった。

刀剣乱舞の映像化との邂逅

転職後の業務が本格化し、新職場の近くに引っ越した。BS環境が整備されており、早速秋口に始まった「刀剣乱舞 花丸」を夫婦で鑑賞することが出来た。筆者は鍛刀もそんなに熱心に行っていなかったので刀剣男士たちの諸々を妻にレクチャーを受けながら、我が本丸のわびしさに思い至った。

ちょぼちょぼと日課をこなすようになり、妻のアドバイスでレシピを調整するなどし、新たな刀剣男士たちが続々と顕現した。中でも次郎太刀は顕現当初から大いに活躍し、今でも我が本丸の主砲として厳然たる地位を築いている。

妻が最早刀剣乱舞にどハマりしているのは明らかであり、田舎の悲しさ、一番くじ他コラボレーションの度に県内を北へ南への移動の日々が始まった。元来インドア派である我々が週末の度に外出するようになるとは。

妻への某かの贈り物(誕生日・ホワイトデー・クリスマスなど)も刀剣乱舞に関連したものが多くなっていった。

年が明けると諸々の研修に追われ、地方に出張も行ったりし、ようやく人間としての姿かたちを思い出したころに「活撃 刀剣乱舞」が始まった。

いや~九話……九話なんですよ……もうほんとこれだけは千夜を以て万言で語っても到底伝えられないので是非ご視聴頂きたい。

連動特典をちゃっかり獲得しつつ、いつの間にやら審神者のレベルが三ケタになっている妻に慄いたりもした。当時のスマホはあまりゲームと相性が良くなく、相変わらずPCでプレイしていたのだが鍛刀をして満足、という日々が続いた。

そして昨年、筆者はブログを始めた。夫婦で「西郷どん」一話を鑑賞し、「続・刀剣乱舞 花丸」一話を鑑賞した。観ながらの鍛刀で、へし切り長谷部と蛍丸が続けて顕現した。

これは何かの思し召しと考え、翌日、へし切り長谷部及び日本号を鑑賞してきた。初めて車で福岡まで行った。(日帰り)それほど刀剣乱舞と言うコンテンツが我々の生活に影響を及ぼしてきたのである。それは幸福な浸食であった。

太宰だったかと思うが、季節外れの夏物の衣服をもらって夏までは生きようと思った、という話があった。筆者は別に死のうとは思っていないが刀剣乱舞関連の色々がこの日にあるからそれを目標に頑張ろう、と言うような生活リズムとなっていった。

審神者、東奔西走す

春、活撃 刀剣乱舞展に行き、京都御朱印巡りを達成し、髭切を鑑賞した。

GW、宴奏会に参加した。一刻も早く本丸に帰参したい、そう思わせる本当に素晴らしい体験だったが、ただ一つ筆者には負い目があった。阿津賀志山(厚樫山)を当時の筆者はまだ突破していなかったのである。そういった意味で我が本丸の完全な追体験とはならず、悔しい思いをした。

早速刀装破壊の心配がなく、経験値の割もいいイベントによって部隊を鍛える日々が始まった。蛍丸も既に欠かせない戦力となりつつあった。和泉守兼定の打刀離れした打撃に何度助けられたことか。討ち漏らしたと思ったところに次郎太刀の一閃が決まると何とも言えない爽快感だ。鶯丸は今日も命を大事にしろと叫びながら敵を薙ぎ払っている。

鍛える過程で新しく実装された刀剣男士達も顕現させることが出来、審神者としての自信を取り戻しつつ久々に通常ステージへ挑むと、驚くほどあっさりと阿津賀志山を突破することが出来た。かつては最終ステージだったことをうかがわせるメッセージが流れるが、目指すは陸奥守吉行の極である。その為にはまだまだ鍛錬を積まねばならない。

幸い、鍛刀革命が起こり、優秀な刀剣男士が顕現しやすくなっていた。いつものメンバーに二人ほど短刀の男士達を……といったやり方で少しずつ鍛える日々が続いていた。

今剣が重傷からの真剣必殺で最後のボスを仕留めたのは既に秋風吹く九月のことであった。

可愛い刀剣男士には旅をさせよ

すぐに陸奥守吉行が相談しに来た。勿論ノータイムで送り出した。しかし陸奥守吉行はかなり精神的強度があるだろうから今更修行する必要などあるだろうか……? などと思いつつ、しかし届く手紙からその深い度量がますます深く、龍馬への思いが自分のある種アイデンティティであることを認めつつ、今の主――審神者の為に極となる姿勢であることがしみじみと伝わり、改めてその成長を感じさせてくれた。

戻ってきてくれた姿も提督感があり勝手ながら筆者のかつての業まで背負ってくれるようで大変嬉しい。暫くは鍛刀→錬結の日々が続いた。

次に送り出したのは今剣。妻曰く「極短刀ちゃんたちはすごい……今剣さまとしか呼べなくなる」と言っていたがそれ以前に手紙がビシバシ刺さってつらかった。ある意味陸奥守吉行と今剣は対照的なのだなと改めて気付かされもした。

帰ってくるといつまでも上がり続ける機動に顕現したそばから刀剣男士が錬結していきそれはそれですさまじいものがあった。

現在

新マップが実装されたものの延享の記憶で無事足踏みしている。イベント戦に慣れたら刀装が剥がれるのがなかなか辛くて……あと高速槍死んでくれないかな? 頼むから死んでくれないかな。 すごく苦しい死に方してほしい。

昨年の京のかたな展に行けなかったのは痛恨の極みであったので何卒……何卒、陸奥守吉行の再展示を……といったところである。

四周年と言うことで何かしら特別なことを、思い立って今まで夫婦合作の祭壇であったのを分離して、陸奥守吉行専用祭壇を拵えてみた。滅茶苦茶楽しかったです。今年はS・H・フィギュアーツ:仮面ライダースカル以来の立体物、ねんどろいど陸奥守吉行を是非お迎えしたいところ。

まだまだ語りたいことはあるのだが、五千字近くなってしまい、日も替わろうとしているのでこの辺りで。むっちゃん他、本丸の刀剣男士諸賢、妻、各種界隈の方々、TLの皆々様のおかげでこの四年間は楽しかった。五年目も楽しんでいきたい。

因みに現在の第一部隊はこんな感じである。色んな刀剣男士の就任祝い台詞を聞きたかったので第二部隊になっているのはご愛敬だ。