余談
五月十二日。翌日は、十三日の金曜日。そして、「シン・ウルトラマン」の公開日。
筆者の主なweb生息地であるTwitterもあからさまなソワソワが感じ取れた。嵐の前の静けさ……というよりは台風の前の非日常が少しだけ顔をのぞかせていることが、肌感覚で感じられるような。
筆者もふと、最寄りの映画館の予約状況を検索してみる。無限列車初日レイト戦争(大都会鹿児島でも30分余りで完売)を思い出しながら。
……意外と、余裕があるのである。
「どうせもう埋まってしまっているのさ……だから無駄無駄……仕事を頑張るしかない」
そういういわば酸っぱい葡萄的な気持ちでいた筆者にとってこれは結構衝撃であった。一瞬仮病でも使おうかという社会人にあるまじき考えさえ浮かんだ。というか、「これを予見できなかった自分」への嫌悪で実際ちょっと具合が悪くなった。このままでは悶々とこのことを考えてしまいそうである。
毒を以て毒を制すしかない。
マンを以てマンを制す。
妻が見つけて気になっていたやつに挑むのだ。
果たして――も何も、サムネでバレバレなのだが。
見ました、実写映画版デビルマン。
以下、デビルマン(原作・2004年映画版)のネタバレがあります。
本題
視聴感想問わず語り
筆者は一度、見たことがある、はずである。それはおよそ15年も昔、学生時代、サークルの仲間諸賢でアレな映画鑑賞会をしようという話になり、既にそのゆるぎなき地位を確立していた本作が選ばれたわけである。
ところが……思い出そうとすると筆者の記憶はもやがかかったようになり、特にシレーヌ登場以降の記憶は全く欠落しているのであった。
一方の妻のデビルマンに関連する知識は「わかるマン」だけであるという。デビルマンに関する知識かなあ? それ。
記憶の欠落は加齢のせいかと思っていたのだが、不思議なことにわずか一昨日の鑑賞すらも思い出そうとするとやはり断片的になってしまう。なので、以下は不本意であるが思い出した順に散文的に感想を述べていくことにする。ただでさえ少ない脳のキャパシティをもう少し有用に使いたいのである。
冒頭の幼い明と了のやり取りですでに「あっ……」という予感がし、小汚いロゴが登場して誠実にその予感を肯定することで約二時間の旅路の幕が開いた。
ながい たびが はじまる……。
成長した明と了の会話一発目で「ああっ……」という感じになる。本作、東映アニメーションのバックアップによって戦闘シーンのトドメをアニメチックにするなど「まったく新しい映像表現」を試みたというが正直「処理落ちしたのかな?」くらいの感想しか抱かなかったので東映アニメーションの伝手で声優さんにアテレコをしてもらったらまだ大分ましになったんじゃないかなと思う。声と出来事の温度差が大きすぎて台風が発生しそうである。(そういや終盤発生してたな、と思ったがあれは竜巻か)
部活の様子、女子はブルマだったりして2004年の作品だなあ……と感じる……と一瞬騙されそうになるが一般的な学校はとうの昔に廃止されているはずである。原作を変になぞっているのか特に学校生活はよく分からない部分から昭和臭がして、というか質感がなんか絶対に制服適齢期を過ぎている一部出演者たちも相まって安物成人向け作品のようで、間違ってそういうパロディ系のやつを見させられているのではないか? チクビデテルマンだったりしないだろうか? と余計な心配をしてしまう始末であった。
なんかデーモン素体(魂?)がプリンプリンのおたまじゃくしみたいで危機感ゼロの癖になんかフェティッシュな動きをするので青少年のなんかが危ないのでは? といらん心配をしてしまう。まったく感情が感じられない「ハッピーバースデー、デビルマン」はさすがに覚えがあった。CGのデビルマンになった時はオオッとこぶしを握り締めたが、その後すぐに間違ったビジュアル系のような形態が基本となるので予算管理って大切なんだな、と思わされる。
そして、シレーヌである。
明がその力を得たデーモン、「アモン」に一目置いていたデーモンの実力者。それ故に原作でははじめ戦闘を有利に運ぶも、次第に押され、死にかけてしまう。そこに四足歩行のデーモン、「カイム」のまさしく献身を得て、形勢は再び逆転。明は、デビルマンはその敗北を覚悟したのだが……。という、未読であればこんなもん読んでないで今すぐ読んで結末を確認してほしいほどの特筆すべきエピソードとなっている。
それほどのエピソード、果たしてどう料理されたのか、なぜ筆者は記憶がないのか……。コントめいた、スタッフの\ドッ/\ワハハ/という声が聞こえてきそうなシレーヌが登場し、板野サーカスに観客を根こそぎ持っていかれたであろう、途中でQTEを要求されそうな寂しい空中戦が繰り広げられ、中途半端ビジュアル系形態になるデビルマン。このまま敗北してしまうのか……? そこに了が駆けつけ……。
駆けつけ……?
夜が明け……。
なんか、なんとかなってた。
その後、シレーヌ登場せず。カイム、端から登場せず。
なんてことだ……筆者は記憶をなくしていたんじゃない……カイムの活躍は最初から存在しなかったんだ!!! 恐るべきトリックである。そういえばデビルマンも金田一少年も講談社だし、シレーヌはセイレーンのフランス読みというから聖恋島とも繋がるし、意図せずして記事がシナジーを発揮するのはブログを拡大ごみの一つでもあるが、この展開はいささか困惑した。
ジンメンのエピソードはシレーヌの異次元の改変の後だといささかマシに思える。いがみ合っていた相手と仲を深められたと思ったら……というのは鬱展開の王道であるし、明へ了への注意喚起をするイベントの処理、原作の女の子は惨禍を免れるなど、コスパがいい。合わせて、「デーモンがデーモンを襲うなんて」というようなジンメンの断末魔で「あ、マジで脚本の人、原作愛全然ないんだな」と諦められるトリガーにもなっているので一石四鳥くらいある。ただ、その石を投げるべき相手は鳥のほかにいると思う。
デーモン被害(銃で撃った後デーモンに変化するのどうして?)は広がり、人々の疑心が鬼を生み、それはデーモンよりも醜悪な形で人間自身を蝕み始める。それを適宜伝えるニュースキャスターはボブ・サップということで濃密なゼロ年代前半を摂取させてくれるが、インテリと聞いてはいたが淀みない話し方(ただニュース原稿自体はかなりトンデモである)で聞き取りやすく、今作の出演者の中で数少ない安心してみられる演者であった。最後に変身した姿は原作の大魔王ゼノンぽいけど特に言及無し。
他にも鳥肌実や小林幸子、小錦など今や懐かしい顔が出てきて豪華なのだが、誰一人作品のクオリティアップに資していないのが悲しい。明らかに予算の使い方が間違っている。
地獄の釜の蓋が開いた状態にありながら、牧村父のもとに届くお重のお弁当。逆に嫌がらせなんじゃないか。明がデーモンであることを受け入れ、その恩義に報いるために弾圧の手が迫った時、明は自らの体を差し出す。なぜか半裸磔の状態でドナドナされて……。
だが魔の手は止まず、ついに牧村家は狂人たちの凶刃に斃れる。生きていた明が駆けつけ、目にしたのは愛する美樹の変わり果てた姿。
明は人間たちに絶望し、魂の慟哭を……しているはずなのだが、叫び声のテンション的には「うわ~犬のフン踏んじゃったよ最悪~」くらいの感情しか伝わってこなかった。それでも荒廃した世界で滅茶苦茶奇麗に残っていた教会で約束の式を……上げるわけでもなく祭壇に愛する人の亡骸をディスプレイするだけの明。こいつが一番美樹を冒涜しているのではないか。
「やはりデーモンのボスサタンは元は天使だから教会には手が出せなかったのかなあ」などとぼんやり考えているとサタンその人がエントリーしてきて教会はあっという間に廃墟! 原作通りの明への了の独白で脱線しまくり整備不良甚だしいジェットコースター的展開の邦画のカイ作は幕を閉じたのだった……。
と、思いきやまだ映画は続く。
この音飛びレコードのような展開を続ける映画にしっかり尺を取って描かれるのは広義の「デビルマン」となったミーコと、人間であり続けるススムちゃんの逃避行である。唐突に羽が生えたり、劣化キルビルみたいなアクションをしながら、二人は生き残っていた。そう、彼らが明の、美樹の遺志を継ぐのだ。この荒廃した世界のデビルマンと人間という新しいアダムとイブとして……(ミーコの腕、治ってない?)こいつらが主人公じゃねーか!
ススムちゃん演技上手だなあ、と思ったら染谷将太君で納得した。栴檀は双葉より芳しとはよく言ったものである。夫婦で「この子はこんなに演技上手なのにキャリアに計り知れない傷がついて失意のうちに引退してしまったのでは……」と心配していたのでよかった。
見終えて
令和にデビルマンを改めて見るという経験ができてよかった。無料視聴だと気持ちも穏やかになり、また妻と茶々を入れながら肩の力を抜いて見ることができたので「ちゃんと表示時間通り終わってえらいなあ」くらいまで感想を軟化させることができてメンタルにやさしい。時折訪れる衝動はフィットボクシングと併用することでそのままエクササイズに昇華することもできた。
妻「まあこういうBのLの作品あるよね、と思いながら見ていたらおねショタENDだったので作者の人は表紙にちゃんと注意書きをしておいた方がいいなと思いました。ハキュー封神演義? よりは話が通っていて面白かったです。多分同じジャンル」
続・見終えて
翌日、五月十三日。妻から業務中にこんな連絡が来ていた。平日夜であれば初日の様子を見るに、土日に買い出しに行くスーパーマーケットの方がよっぽど密である。十分に感染対策を整えた上、お言葉に甘えることにした。妻の寛大さに感謝である。
シン・ウルトラマンのことだよな……?
筆者の地元だけ新デビルマンやってたりしないよな……?
その場合、痛みを知るただ一人となることであろう。