当日になって近所で事前申し込みのパブリックビューイングがあり、まあ事前申し込みだから……と何とか自分を慰めていたら当日観覧OKのトークショーもあったということを直前に知りうなだれていたという最高のコンディション(アイロニー)から始まった「西郷どん」第一回視聴の感想である。
「やっせんぼ」というと皆様ももちろん大人気番組薩摩剣士隼人の敵役「ヤッセンボー」の元ネタということで先刻ご承知のことと思うが、弱虫、意気地なしといったニュアンスのかごんま弁である。
西郷隆盛が「やっせんぼ」から「ぼっけもん」(あえて今は意味を書きませんのでよければ調べてみてください)へ至る過程をどう描くか、がこの大河の一つの試金石となるだろう。
さて本編。いきなり一切が終わった銅像の除幕式から幕が上がる。(いや、幕は除かれたのだがそういう意味ではないのである)西郷・お前の顔を参考にしたはずなのに銅像とあまりに顔が違い過ぎるだろ・従道と糸がなにやら話している。どこか糸は上の空のようにも思える。
そして糸の口から出る「こげな人じゃなか」という言葉。これは一般的にはそのまま顔が違う(銅像は隆盛の親類の顔からモンタージュめいて制作されたものである)ということだったとされているが、どうやらこの大河ではそれ以上の意味がありそうである。
時代は下り隆盛の子ども時代、まだ西郷小吉と呼ばれていたころの話となる。郷中どうしの小競り合いから(完全にお前どこ中だよのテンションである)からお殿様の別荘へと忍びこむ話になっていく。(今回記事の冒頭に写真がある磯庭園(仙巌園)(ちなみにこういうことをする悪ガキのことをかごんま弁で「われこっぼ」という)あえなく失敗、天狗と出会う。この時斉彬は薩摩にいないはずなので実際天狗と思われる。というのはあまりに無粋で(のち影武者を江戸に立てているとフォローが入った)あるがここでの斉彬天狗の喝によって小吉の視野が少し広がる。
夕餉の席で早速そこから広がりお城に上がって皆に奉公したい夢を小吉は語る。一切口止め料の効果がない。周りの反応から、「皆」の限界がせいぜい藩までだということが窺い知れる。(そしてそれすらも、夢物語であることも)
今回の大河で嬉しかったのは島津家パートが第一話からあったこと。斉彬の父である斉興はその父・重豪の浪費癖にほとほと困らされたのでそれを彷彿とさせる(実際祖父に薫陶を受けている)斉彬を苦々しく思っているが、久光は「都会から帰ってきた憧れのお兄ちゃん」という態度を迸らせているのがよい。お由羅の発言はちょっとメタすぎるが(のち久光は無位無官有訛で相当に苦労する)が大人の世界をしっかり描写してくれるのは嬉しい。
さて以前の記事でも紹介した妙円寺参りが始まる。天狗の言葉を受けて皆で力を合わせて一等を勝ち取る。天狗にも拝謁する。西郷どんに口止めなんてきかないということがよくわかりますね。
一方で男女の不平等が語られる。言えば言うほど自分のみっともなさが際立つのがわからないところが子どもである。その後女装イベントを挟み(この時の洗濯をされている女性のかごんま弁はあまりに素晴らしい)薩摩では道徳の教科書にも採用されている「上士の息子に剣の道を断ち切られる」イベント後再び斉彬にエンカウントし、再び視野を少しアンロックしてもらう。完全にチュートリアルのイベントフラグ管理用キャラクターの斉彬である。そしてやっぱり久光がお兄ちゃん大好き。
世界の概念を知り、何度目かの視野アンロックイベントを経て後に終焉の地となる城山で、小吉と友たちは大志を語り、駆け出していく……。
見終えて
自分の当地ということもあってか、感情移入出来る一話だった。ただ、余りにもパーフェクトな斉彬をはじめ、やや最近の大河では姿をひそめていた「神の視点」がちらついているのが気になった。また、子役の皆が大変頑張っていたので予告を見たところ次回からもうお役御免のように見えるのが残念。しかし続けて次回も見たいと思う大河であった。この感想記事も完走できるよう頑張りたい。
おすすめ
今回の大河の副読本としておすすめしたいのが、「みんなの西郷さん」ロケ地にもなった仙巌園に併設された尚古集成館の学芸員さんが平易な言葉で、豊富な注釈や図を交えて総ルビで書き下ろした本。最新の解釈であるので(そこのあなた、「征韓論」がどういう議論だったかご存知ですか? 西郷どんは武力制圧を主張したと思っていらっしゃいませんか?)親子で改めて読む、というのもいいですね。お値段もリーズナブル。