カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

うるう日が過ぎたら遠くの街へ行くのかい

今週のお題「うるう年」

愚痴

あほ程忙しい。ブログを書いている場合かと言われるかもしれないが残業一時間以上を基本的に禁止していただいているのでのこのこ帰ってくるわけである。どこかでリセットしたいのだがそのリセットするための段取りを組む時間がない。とりあえず明日で無理やり区切りをつける予定。義実家に帰省したいので。

仕事の各々はやりがいがあり楽しいのだがしかし自分のペースでコントロールできないのが筆者のようなキャパ狭男には大変しんどさがある。中小企業の辛さ、自分がパフォーマンスが低下すると目に見えて影響が出て迷惑をかけてしまうのが辛い。それで委縮してさらに事態を悪化させてしまいそうなのが怖い。

多くの読者諸賢がそうであるように業務の負荷がコロナによって増大し、その負荷を軽減するための休日の娯楽もまたコロナによって収奪されるという事態が連鎖して己のはらわたのデトックスの機を失い続けている日々、視野が狭くなり、悪循環に気付きながら改善できないもどかしさを何とか解消したいものである。

その辺のこともあり、なんとか帰省したい。いや、帰省する、という気持ちで頑張りたい。明日は五時半、明後日は四時起きである。

本題

愚痴が、ながくなった。本題というほどのものでもないのだけれど。

うるう年である。弟は前日の28日生まれで、あわや一日違いで今年で5歳になるところだったと考えるとちょっと面白い。ところで我が家は三兄弟であり医療関係者の父母を持った影響かまんまとそれぞれ何かしらの形で「いのち」にかかわる仕事に携わらせてもらっているが(まあそういういい方したらこの世に「いのち」にかかわらない仕事なんてないような気がするが)すなわちそれぞれの形で業務にダイレクトに影響が出ているので兄弟LINEも死屍累々である。愚弟ども、生きろ。実を言うと兄はもう駄目です。

三馬鹿兄弟のことはいいのである。今回のお題は「うるう年」ということで、最近は日にちだったり行事の指定があるとtwilogを掘るようにしているのだが、そこで一つの気づきがあった。

 社長! こいつ三年間しかついてきませんよ!(チクリ)

と、本題はそこではない。

 こいつ楽しそうだな……。

ともあれ、今より二つ前のうるう年、八年前のうるう日に筆者は何をしていたか。

 引っ越していたのであった。

ではひとつ前のうるう年はどうであったか。

 引っ越していたのであった。

では今年のうるう年、筆者はどうであるか。

 引っ越すのである。(写真は引っ越しとは関係なく我が家のしろいものゾーンのじまんです)(かわいくないですか?)

 

何やらそういう波長がうるう年には発生し、筆者を引っ越しさしめるのかもしれぬが、今度はローンソルジャーとはいえ自分名義の家への引っ越しになるので十回くらいそこでうるう年を迎えたいものだと思う。次回のうるう年はメンバーが増えていると楽しいかもしれない。増えていなかったら夫婦がそれぞれ1.5倍ずつ日々を楽しく過ごしていたのかもしれない。来年の話をすると鬼が笑うらしいので、だいぶ先の話をしてしまって鬼の腹筋が心配である。魔の節分から一月余りたってようやく持ち直したと油断した時にこの一撃はきつかろう。頑張れ鬼。そもそもの来年の話で笑うお前サイドにも問題がある。なんだその性癖。

蛇足:うるう日の筆者たち

twilogには同じ日のツイートを年をまたいで表示できる機能があるのでせっかくなので活用してみた。

 結論:八年かそこらで人間の質は変わらない

 

さかのぼっている途中でうっかり前日のツイートを見たりもした。

今年もあのキャンパスに桜は咲くのだろうか。鹿児島の桜は早く、入学式どころか卒業式よりも早いこともある。そもそも入学式も自粛されるのかもしれないが、しかし筆者は大学のキャンパスにやってきて、創作の世界、TVの向こう側の話だと思っていた「入学式の満開の桜」に感動したことを今久方ぶりに思い出した。Twitterこそしていなかったけれど、そういえばその地に降り立った年――鹿児島から引っ越したのもうるう年(2008年)であった。

そうして自分でも不思議だったのは、写真のメインの桜よりも、見切れている白いベンチが筆者の心を強く揺さぶったことであった。何も気に留めていなかった、誰かが、ある時は自分が、座って談笑していたベンチ。ああ、大学時代の友人、T、S、O。他、愛すべき阿呆たち。お前がリプトンのミルクティーをこぼした。おれがシャー芯をぶちまけた。あいつが無造作に積んだレジュメが風で吹き飛ばされていった――あの白いベンチを見るだけで人は泣くのかよ? 驚くべき脆弱性だよ。今、写真を見比べてそういえばベンチの位置変わってたんだな、くらいのうろ覚えぶりだったというのに、だ。

深夜のせいか、疲れのせいか、年のせいか。何が筆者をそこまでのサンチマンタリスムに至らせたかはわからないが、ただ一つの揺ぎ無い真実としては今、さらに右に見切れている学食の肉うどんがとても食べたい、ということである。さようならあの時の広島。明後日会いたいです、今の広島。

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画質に時代を感じる


桜の季節 / フジファブリック