カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

松屋という幸せの青い鳥―鹿児島に十一年間待ち望んだ松屋が上陸した話

余談

筆者はマクドナルドが好きである。偏愛していると言っていい。

その勝手な愛情については、過去何度か当ブログでも扱ってきた。

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が、実はもう一つ、今の筆者を形成するに欠かせないファストフード店が存在する。

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バイトの帰り、深夜2時。左に折れれば松屋、右ならマクドナルド。今日はどちらにするか――そんな幸福な悩みがあったことは今でも思い出せる。

三年以上前に張っておいた伏線回収の時来たれり。あるいは、布石が活きる時だ。

ということで、もなにも、既にタイトルで書いてしまっているが今回は松屋の話である。

本題

あの時、筆者は大学生だった。まだ一人暮らしにも慣れぬ四月の平日夜、バイトもしていなかった頃、講義が終わった後帰宅し、ゲームプレイ中に寝落ちてしまった。

目覚めたのは、夜の十時過ぎ。冷蔵庫には何もない。近所のスーパーや学食、一人でも行きやすそうな定食屋は軒並み閉まっている。翌年には達成する一人ファミレスもこの頃はまだ躊躇があった。コンビニの場所はまだよく把握していない。

逡巡する間にも腹は減っていく。たまらず、自転車をこぎ始めた。ここは広島。どこかで何かにはぶつかるだろう。

そこに、まぶしく24時間営業を掲げるネオンサインが飛び込んできた。

その時の店舗を、実は筆者は思い出せない。後年考えるに、恐らくここだろうと思う場所はあるのだが、そこだとするとずいぶん長く筆者は自転車をこいでいたように思うのである。まだ慣れぬ土地、余計な回り道をしていたのだろうか。

おずおずと入る。初めての深夜の一人飯。食券制だということも知らなかった。

訛りにコンプレックスのあった筆者には、人とコミュニケーションをとらずに食事ができることがありがたかった。

そしてあっという間に出来立ての湯気を立てつつ筆者のもとに運ばれてきた親子丼の味を筆者は今でも――あっなか卯だこれ。

この後引っ越しをし、徒歩圏内になか卯があったので破格の唐揚げなどで筆者のエンゲル係数を大いに苦しめたりもするのだが、それはまた違う話である。

気を取り直そう。これまた大学一年時のサークル活動中、議論もひと段落し、少人数のグループに分かれ各自雑談をしていた時だ。晩飯時になった。ホワイトボードに様々な店の名が書かれ、どこに行くかの決が取られていく。筆者はその日S先輩の家に泊めていただくことになっていたから、必然S先輩と同じ店に行くこととなる。

長い坂道をだらだらと伊坂幸太郎先生の話をしながら下っていくと突き当たりがその店舗だった。S先輩がいらっしゃいませ、と会釈をした店員さんに「よっ」と軽く手を挙げる。店員さんも相好を崩す。先輩の学部同期の学生バイトさんだったわけである。そこにとても「おお、大学生っぽい!」と感じながら、「重力ピエロ」のキラーフレーズの良さについて熱弁する間もないスピードで現れたもはやほぐす気など全くないピンクのフリスビー状態でご飯にのせられて提供されたネギトロ丼の味を今でも筆者は――あっすき家だこれ。

すき家は前の家の最寄り牛丼チェーンだったので鹿児島に戻ってからもよく利用した。正月二日目に妻を連れ立ってカレーを食べたのも良い思い出である。牛丼以外の種類が豊富なので(妻はマグロユッケ丼が好き)そういった意味でもありがたい存在である。

さてさて牛丼の話題なのに天丼をしている場合ではない。いい加減松屋の話をする。いや、吉野家も好きだけどおれの人生に絶妙にかするだけでメインに入ってこないんだよなあの牛丼チェーン……。

さておき。

すぐそこにいた松屋

記録に残る最古の松屋ツイート(十一年前)。とはいえこれは筆者のtwilogがこの辺りから始まっているだけであって、実際はもっと前から食べているはずである。

当時の筆者のホームは「松屋 広島紙屋町店」であった。

pkg.navitime.co.jp

紙屋町は広島市の中心街。徒歩圏内に電停、エディオン(当時はデオデオだった)本店、広島そごう、バスセンター、アストラムラインとらのあなメロンブックスアニメイトマクドナルドなどがひしめくまさにオタク約束の地であった。

この辺りを切り取っただけでも結構な頻度で松屋に行っていることがわかる。

あと本当にマックか松屋かの決勝戦の日々が繰り広げられていたのだということも窺い知れよう。

肉食の動物の肉はまずいことから鑑みるにこの時の筆者の肉、絶対まずい。

松屋の期間限定メニューで季節を知る。松屋は都会の歳時記なのである。こういったところもマックと類似性がある。

やっぱり決勝戦である。夏バテという概念がない。

「まさかの」とかいいつつ完全に自分の意志であるはずなのだが。バイト代が出る前のはずなのにお高めの定食を食べるなどリッチなので何かいいことがあったのかもしれない。

えびす講は広島のお祭りの一つ。そんな日にも松屋は欠かさない。いつもより早い時間なのはえびす講デートをしたい友人のシフトを引き受けたからだということをふっと思い出したが、それすらもはや美しい思い出である。デッドライジングかえして。

テキサスもまた筆者にとって特別な存在であることも再確認ができる。

江戸の敵を長崎で討ち、マックでの空腹を松屋で癒す。端的に筆者の当時の食生活が窺い知れる。自炊をしろ。(してなかった訳ではないんですよ)

ほらね。この頃は松屋牛めし特盛をテイクアウトして特盛ごはんを半分の肉で食べ、炊飯した米で残りの肉を食べ、お持ち帰り時にお取りくださいのコーナーにあるタレや七味は温存してスーパーの見切り肉を調理するのに使うというカスの自炊テクニックをしばしば行っていた記憶がある。

自意識がすごい。

先ほどのツイートと合わせて就活が人の精神をどれだけむしばんでしまうかを示す貴重なサンプルである。

松屋はお前のブリーフィングルームじゃないんである。最終面接落ち三連続目くらいなので優しくしてあげてほしい。

ステディとはS先輩のことである。かつてすき家に案内してもらった男が松屋に案内する側になったと思うと大学生活での成長を思い起こさせますね。言い過ぎですか。

少し早めの卒業旅行は京都への高速バス弾丸ツアー。早朝帰広した時も、松屋は優しく受け入れてくれたのだった。

ほんとにマックと松屋が好きだなこいつ……というツイートを経て、筆者はこの年の三月卒業、広島を去り、郷里・鹿児島へ戻るのであった。

どこにもいない松屋

就活中、曾祖母二人の別離、3.11を経験し、筆者はUターン就職を選択した。就職先は外回りも多く、休憩時間も不規則で、自然、ファストフードが増え、マックの登板回数も多かった。

松屋

松屋は、なかった。

ただの一度も。

何故なら、鹿児島には松屋はなかったからである。

東京、福岡、大阪……うまいものが飽和する場所へ出張しても、一食は必ず松屋を食べた。まるで初恋の人の記憶が薄れようとするのを必死でつなぎとめるかのように。

懇願した。祈った。鹿児島に松屋あれかしと。

折を見ては、Googleで「鹿児島 松屋」と検索し続けた。ビッグデータがいずれ松屋フーズマーケティング諸賢へ届くことを願って。

ある時、ルーティーンとしての「店舗検索」で鹿児島が色づいていることに気付いた。

――それは、鹿児島に店舗があることを意味する。

いつの間に? 幻覚? 動悸を抑えながら、スマホの画面を痛いほど強くタップする。

www.matsuyafoods.co.jp

とんかつ店の「松のや」が鹿児島県に初出店したのである。

どうして……?

鹿児島は黒豚の産地、優良な地場とんかつ店も多く存在する。

そこに……「松のや」を?

愛した人かと思えば別人……こんな「はいからさんが通る」みたいなことがあるのか……?

正直この辺りの筆者の記憶はあまりなく、なので都度検索をしてフラッシュバックするということがここ三年で何度かあった。

それゆえ、「松屋 鹿児島」での検索頻度も段々と落ちていった。

一度は鹿児島という籠(急な頭韻)の中に捕らえたかに見えた松屋という幸せの青い鳥は羽ばたき去り、

もはや筆者には青い背景の鳥アイコンのアプリ、Twitterで願望を吐き出すしかできることはないように思われた。

その日

だから、妻から「松屋が鹿児島にできるってよ」という言葉を聞いた時はまさしく寝耳に水だった。最後に検索したのは三か月前であったが、その時には気配すらなかったのである。

www.matsuyafoods.co.jp

しかし調べると、どうやら本当であるようだった。開店は十二月十五日。筆者は即、夫婦の予定に書き加えた。

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この時ほど自分の休憩時間に裁量権が持てるようになっていたことを感謝したことはない。松屋を故郷へと十一年間待ち望んだ間、筆者は就職し、転職し、結婚し、子を授かっていて、それによりワークライフバランスを整えていたことがここに来て活きてきたのである。

とりわけ独身時代の博多どんたくに合わせてのデート時にも、結婚してからの広島への帰省時にも、結婚祝いの福岡でのディナーの翌朝にも「食べたいでしょう」と松屋を提案してくれ、また当然のように予定表に入れる夫にも笑いながらエールを送ってくれる妻には感謝してもしたりない。

あっという間に前日となり、筆者は同じように明日の開店を待ち望んでいるだろう諸賢をTwitter上で調べようとした。

再び己の情弱を恥じることになった。(ちなみに住まいずの社長、有村さんのブログは鹿児島の食情報に関しては類を見ない速さ・質なのでフォローをお勧めします)

前日、時間を区切ってプレオープンが行われていたのである。すでに時間は過ぎており、枕を涙で濡らすこととなった。

深夜、娘が父の不安を察したかのように泣きだし、あやすことに没頭することでいつしか不安を忘れ、深く眠ることが出来た。

当日。いつも通り始業し、業務を行う。開店時間、昼食時間が過ぎていく。黙々と業務を行う。もとより一番乗りをしようという気持ちはない、心配なのは完売であったり、混んでいて休憩時間中に食事が完了できないということくらいであった。

当地においては新型コロナウィルスもここのところ感染が落ち着いており、さまざまな業種の営業さんにボスの代わりに応対し、「よいお年をお迎えください」という言葉をかけあって送り出していく。筆者もあまり人づきあいが得意な方ではないが、やはり久々に対面すると人の温かみを感じられた気持ちになる。

十六時になった。筆者は自分の去就を知らせるボードに「休憩」の札を貼り、駐車場へと向かう。愛車にETCカードを挿入する。

今まで新幹線を使っていた松屋が、ついに車(高速経由)で手軽に食べられるようになったのである。疑問に思ってはいけない。社会人になるということは、手軽の範囲を拡張していくことでもある。

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松屋は、「存在」していた。曇天の空にも「オープン」の文字は神々しいほどに輝いていた。ドライブスルーも検討したが、やはり店舗で食したいという気持ちがあった。

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幸い、読み通りピークは落ち着いており、そんなに待つということもなさそうである。松屋なのに。(松屋フーズジョーク)

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ここで洗礼が筆者を襲う。本店舗は「松屋」と「松のや」複合店舗。食券販売機も独立しており、それぞれの店舗で異なるのである。松屋単体店舗の経験しかない筆者には新鮮であった。

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また、席はすべてキッチンと接続しておらず、思い思いの席に座りつつ、呼び出しがされたらキッチン提供口まで取りに行き、食べ終わったら返却口まで戻すというシステムになっている。待っている間はお冷や玄米茶で時間を潰すことも可能だ。

やがて、筆者の番号が呼ばれた。

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折角なので、オープンセール対象の生野菜セットにした。十一年間の間に獲得した概念

「ベジファースト」で野菜から食べる。ドレッシングは、フレンチである。そうそう、サラダの皿の底が深くてしっかり野菜が入っているから、まず表面をサッと食べて、「第二層」に再び継ぎ足しドレッシングをかけるのだったな……と感覚を思い出しながら、筆者は自問していた。

それでいいのか?

ずっと待ち望んでいた松屋に開店初日に行って、オープンセール対象のものを食べました。めでたしめでたしでいいのか?

いや、よくない。

そうだ、筆者は松屋鹿児島上陸の報を聴いてから、ずっとこう考えていた。

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――君は「松のや」に「感謝」しているか。

答えは「YES」である。前述したとおり、三年前松のやが鹿児島に上陸したとき、筆者はただ嘆くばかりであった。しかし松のやは見事、とんかつ激戦区である鹿児島市を生き抜き、その結果をもって松屋・松のや複合店を上陸せしめるに至ったのである。

その経営手腕、そして利用していた鹿児島県民には感謝しかない。事実、店内はロースかつ定食を頼む人の方が多かったのではないかとすら思える。フライ一つからテイクアウト可能ということで、今後は町のお総菜屋さん機能も果たしていくことであろう。

暗いと不平を言うよりも進んで明かりを灯すことが出来なかった文字通りの筆者の不明を恥じつつ、松のやサイドのオープンセール対象定食も注文させてもらった。ご飯はお代わり無料である。

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いやあみそ汁とみそ汁が被っちゃったなあ……。

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どころの話ではない。定食が被っているんである。これで千円は破格と言うほかない。これが筆者なりの感謝、ケジメ、禊である。だから見てくださいおれの……実食!

牛めし生野菜玉子セット&ロースかつ定食&トッピングポテサラVS筆者 南海大決戦

まずは今まで侮ってきたきた松のやのロースかつに箸をつける。ベジファーストとかいう概念は死んだ。筆者が殺した。揚げたてのカツはさっくりと歯触り良く、豚の甘みがじんわりと沁み、「とんかつ」を求めてきた人々に対する的確なアンサーであると感じた。

続けて、牛めしを一口。牛肉、玉ねぎ、つゆの沁みためしの混然一体となったハーモニーは一足早い「第九」である。その通り歓喜の歌が脳内で流れるところに、みそ汁を飲む。その湯気の向こうに十一年前、慣れぬ本州の寒さに凍えながらも駆け込んだ冬の松屋で出されたみそ汁で凍てついた指をほぐし、必死ですすって暖をとる若き日の筆者を幻視したような……。

と、このメニュー。落ち着いて味わうにはお冷を注いできた方がいいように思われたが……。

筆者は愚者であり、経験から学んでいた。そう、松屋フーズはいつだって出来立てを提供してくれる。ゆえに、つい水をがぶ飲みしてしまう。しかし、それによって膨れ上った腹にはみそ汁が脅威として立ち上がるのである。しかも、今回みそ汁は二杯あるのである。

そこで、生野菜だ。シャキシャキと歯切れ良いサラダとフレンチドレッシングが程よく混ざった「第一層」を手早く食べると現れる生のままの「第二層」にあえて何も加えずに食することで、口の中に冷感をとりいれつつ水っ腹を防ぐことが出来るという訳。

牛めしが懐かしさもありどんどん消費される中、定食の白飯の減りが鈍い。ロースかつは確かにうまいがやや淡白だったのである。

であればと残ったカツ二切れにそれぞれ「焼き肉のたれ」と「バーベキューのたれ」を垂らし味に変化をつける。賞味期限ぎりぎりの安肉ですら蘇らせる秘伝のソース、揚げたてのロースかつをさらに引き上げるには十分な存在であった。

それでも残ってしまう松のや定食のご飯に(並でこのボリュームはスゴイ)松屋サイドからの助っ人「生卵」の投入である。玉子かけご飯が嫌いな日本人などいない。この夢のクロスオーバーは筆者の胃袋で最高のスタンディングオベーションで迎えられた。

キャベツにポン酢をかけ、デザートのようにポテサラを頂く。興奮した筆者を冷静にさせてくれるひんやりさが頼もしい存在だ。

危なげなく完食し、勝利のみそ汁(二杯目)をすすっていると、高校生が大挙して入店してきた。

ああ、彼らの青春には松屋が、松のやが存在するのだ。今後、テストの結果で、部活の成績で「負けた方が牛めし特盛オゴリな!」という展開があるのかもしれない。仲間内での大食いの指標として「あいつ松屋の特盛持ち帰って自分でコメ二合炊いてまとめて食っちゃうんだぜ」とか言われたりするかもしれない。(それは大学時代の筆者である)

窓から外を見ると、ドライブスルーもだいぶ混雑してきていた。長っ尻は野暮天である。そろそろ――と思った時、

「122.123番のお客様ーーー」

軽やかなアナウンスが聞こえた。ベストタイミングである。

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もちろん、夜も松屋である。(妻に事前にリクエストを聞いていた。妻はアンガス牛焼きビビン丼)キムカル丼は牛めしの次に好きなメニューである。旧食券機時代は大盛までだったのだが今回特盛が頼めることを知り、思わず頼んでしまった。牛めしより直接的に脂のうまみを感じさせてくれる変わらなさに嬉しくなる。

その感動のまま記事を書くつもりでいたが、娘のアップデートが進んでいるのか最近は夜つきっきりであることが増えた。

39ml.hatenablog.jp

そうしてる内に北の新たな松屋では神話が語り降ろされていた。やはり松屋というのは大きな感情を抱かせる特別なお店であるのだな、と感じた。

と、この辺りで打鍵を終えようとしていた。

そんな折、妻が「今日の夜は松屋にしない?」と提案してきた。もちろん、構わないが週末、夕食時間帯では混雑が予想される。遅くなってしまうが大丈夫だろうか? 万事段取りのよい妻らしくない……と考えていると、

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愛が形となってそこにあった。妻にはこの間クリスマスプレゼントが何が良いか聞かれ、PCバッグをお願いしていたのだが、追加でこのようなサプライズを用意してくれていたわけである。

幸せの青い鳥は大切なものは本当はすぐそばにあるという話であった。まことその通りであって、今夜松屋わが家店がオープンするのである。