二月になった。昨日が月末の仕事と週初めの仕事が同時に襲来するというバグが発生していたため、気が付けばなっていたという印象が強い。
さて二月になるとどうなるか。
豚めしが復活するのである。
「立志編」「接種編」ときて納まりとしては「豚丼編」としたいところなのだが、
しかしやはり、「豚めし」なのである。ちなみに「豚丼」、吉野家とすき家で読み方が異なっていたのももはや懐かしい思い出である。
筆者にとってはやはり、広島の貧乏学生時代を支えてくれた「豚めし」と「マックポーク」は感謝してもしきれない存在であり、それは決して何かの代替品などではなく、単独の欠かせない筆者の愛食としてそこにあった。
そして筆者は2012年に広島を去り、同年にその両品ともが市場から姿を消してしまったのだった。
実際のところレトルトや都内では現存していたといううわさも聞くが、少なくともその後筆者が「郷愁の松屋」として鹿児島県外で追い求めた時、そこにはもう豚めしの姿はなかった。筆者ももはや社会人となり、牛めしと豚めし、そのわずかな差額でどうにか豚めしなら食える……! という事態には陥らないとしても、やはり一抹の寂しさはぬぐえなかった。
そこに、豚めしの復活である。気が付けば再び、隣町の松屋へ向けて車を走らせていた。月初めは立志のタイミング。半年後の健康診断に向けて再び肉体改造を始めるはずが、胃袋をノスタルジアに浸らせることになってしまうとは人生一寸先は松である。
特盛を頼めるのなら、特盛を頼まなければ嘘である。それが礼儀、挨拶というものであろう。玉ねぎと甘辛いたれに牛とはまた違ううまみが混然一体となり、すべてをコメが優しく包み込んでいく。
改良を感じながらもしかし、ノスタルジーもしっかり感じさせてくれる、ある種復活テキサスバーガーと対になったような体験をさせてもらった。
しかしこうなると豚への感謝はもはや特盛でも収まりきらない……。
ということでアプリで30円引きのロースかつ丼で感謝を伝えたのだった。そう、あの頃小銭をかき集め、50円玉がこんなところに! じゃあ今日は牛めしにしよう! とやっていた筆者はもうおらず、クレカで事前決済するようになっていた。豚めしはそんな筆者を笑うだろうか。二杯の味噌汁は今日もただただ温かかった。
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