カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

人生は要約できねえんだよ───「さよなら絵梨」ネタバレ感想・考察・妄言

さよなら絵梨のネタバレがあります

また、こんな時間(22:55)である。あれっていうかiPhoneっていま、とかって入力しても現在時刻が出ないのか…ちょっとショック。

ともあれ、娘の吐息をBGMに、常夜灯のオレンジの光にさらされながら、初めてiPhoneでのブ

ログ投稿にチャレンジしてみている。

いや、投稿へのチャレンジは今月初めにもやって、見事に寝落ちして失敗したのでリベンジである。

閑話休題。「さよなら絵梨」を読んだ。朝、立体駐車場の順番を待ちながら。読み終わってもまだ筆者の車は降りてきてなくて、立駐爆発しねえかな、とちょっと思った。マジンガーZは渋滞の産物だという逸話を思い出したり。

前作「ルックバック」もそうだったけれど、いや、「チェーンソーマン」だって「ファイアパンチ」だってそうだけれど、藤本タツキ先生の作品は喋りたくなる一方でそっと自分の心の柔らかな部分にしまっておきたくもなる不思議な温度だ。筆者の場合、ちょっと志村正彦さんを思い出したりもする。

朝の時点で既に分別なきおっさん達がネタバレで食い散らかした後がトレンドとかに見られて少しゲンナリしたりもした。筆者ももうアラサーと言い張るのも苦しい年齢になってきたけど「少年ジャンプ」を読んでいるけれど、あくまで少年のものであってほしいという気持ちはあって、おっさん夜中のネタバレ祭はそれを蹂躙されている気がして勝手に嫌なんである。ふせったーが早く標準機能になってほしい。

「放送禁止」的なそれこそ「ひとつまみの違和感」の正体がばーっと明らかになる瞬間は闇のカタルシスと言った感じで後ろ暗い快感を感じた。

文化祭で映画を見せられたモブ達とこの作品の読者を重ね合わせる意見を見たが、作中モブは「エクスプロージョン」とかタイトルにあるのになんで爆発させたのはちょっとひどいんじゃないか。それとも最後にタイトルが出るタイプだったのか。エクスプロージョンなんてウェンズデーが綴れなくてもオタクなら意味がわかるはずじゃないか……!

そういや、二作目のタイトルは「さよなら絵梨」でいいんだろうか?

そんな二作目を見た友人は自分の知っている絵梨と映像の中の絵梨の相違を指摘しながら、それでも映像の中を絵梨を思い出すだろうと感謝する、瞬間、世界がぶれる。

彼は何に気づいたのか。

自分を騙すのはいい。

思い出の中の母を。絵梨を美化するのは。

けれど他人の記憶を上書きしてしまうのは、自分が爆破するほど忌避した母の所業そのものではないかと怖くなったのではないか。

意図せぬところまで意図せぬものが伝わってしまっている創作者の恐怖が、少し透けて見える。

そういえば、友人の証言と絵梨の初登場時の格好が矛盾するので全て映画、という話を見てなるほどなあ、と思ったけれど、実は惚れ込んだ映画を撮ったやつだと気づいてて自分なりに1番気を引けそうな感じで挑んだと思ってもいいんじゃないかな、と思ったり。

他方、「全部映画だった」とすると、フレーバーみたいにさらっと出てきた「父さんは昔友達と一緒に演劇やってたけど辞めちゃった」が生きてくるな、とも思う。最後の「全てを失った主人公」役が父のかつての盟友だとすれば、歳の頃もだいたいそんな感じがするではないか、と。全ては三年生時に撮影されたものだったのだ、と。

そうしてラストシーンをいつもの廃墟で論評する二人の姿を幻視したりするのである。

でも筆者個人としてはやはり、絵梨は本当に吸血鬼であってほしい。「思ったより早く頭がパンクしてしまった」のは、今までで1番濃密な人生を過ごせたからだと思いたいのである。

そうしてある種のテンプレート的な定命のものとのやり取りの末、爆破オチに至る。それは絵梨が自分を利用していたからとか、絵梨を誰にも渡さないとかではなくて、「足りないものが思いついたから今すぐやってみたい」というどうしようもない絵仏師良秀的なクリエイターとしての業の発露だったのではないか……。

と、そろそろ日が替わりそうなのでこのあたりにしておく。一筆書きで読み返していないので、なんかとんでもないことを書いているかもしれない。

改めて、「おれがタツキのことを1番わかっているんだ!」という読者を馬鹿にしつつそっと抱きとめる、しかしそれは氷上である、みたいな、自身が描かれるファムファタールみたいな作者さんだな、と感じた。