カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

我が愛しきhuman life

その日も天気は良くなかった。じっとりとした空気が体にまとわりついていて、動くのをおっくうにさせた。

とはいえ、やらないわけにはいかない。
2021年8月12日のことである。
そのおよそ1週間前、娘がこの世に誕生した。

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歓喜の余韻に未だ浸っていたいところだが、明日は妻子は退院するのである。
「母子ともに健康」とはいえそれは相対的な話であって、誕生翌日に1時間程度しか会えていない妻子は(コロナ禍はこういった形で我々の家庭を蝕んでいた)ちょっとでも目を離せば即、命が危機となるか弱い生まれたての柔らかい生き物と、それを守るためにあらゆることを犠牲にし、その回復がなされたようには全く見えない生き物であった。妻は帝王切開であった。出産は交通事故をよく引き合いに出されるが、交通事故で満身創痍の患者を1週間かそこそこで放り出す医療機関など無いのではないか。
筆者自身もまた、いわゆる「お盆進行」や妻子に何かあった場合すぐに駆け付けるようにするために諸々の業務を先行させていたこともあり、二人に比べるべくもないが、薄皮のように疲労がまとわりついていた。何をするにも二人羽織をしているようなぎこちなさがあった。一般業務のほかに、育休を取るための諸々の段取り、引継ぎ、保険会社への申請、限度額適用認定証の申請、出生届、保険証、子ども手当、各種新生児用品、チャイルドシート……。自然、自分のことは最後尾になる。
が、「我が家の状態」は明日からは「自分のこと」ではなく「家族のこと」に戻る。ベッド、シャワー、流し、ゴミ箱、トイレくらいしか使ってこなかったこの家を「新生児を育てる家」にトランスフォームさせねばならない。
購入してきた新生児用品の適所への配置。ベビーベッドの移動・掃除。シーツ類の洗濯、床掃除、水回り……またしてもタスクが積み上がっていき、それが頭の中に渦巻く中で筆者は目を回し茫然半ば朦朧としてこのまま目をつぶればさぞ気持ちよく眠れるだろう、という確信めいた予感があった。

そこに、「なまたけ」が始まった。竹内朱莉さんの芸能生活10周年を記念して朝まで生放送を行うという祝ってるのか呪っているのか初見では判断しがたいこの狂気の企画は竹内さんの機智と稚気と様々な友情・愛情により暴走機関車のごとく驀進し、終点近くでは少し徐行しながら、終わってみれば謎の感動を筆者に与えた。むかしむかし受験勉強の時に聴いていた深夜ラジオのような身近さは黙々と単純作業を繰り返す筆者に「ひとりじゃない」という気持ちを与えてくれた。それは間違いなく竹内朱莉さんだからこそ出来たことであった。真のトップアイドルという人たちはこのような心のゼロ距離と到底届きそうにない摩天楼の頂点のような威圧をしばしば使い分ける。

その竹内さんが卒業されるという。アンジュルムというグループに対して知識少ない筆者が見るとき、今のアンジュルムはまさに「盤石」のように思えた。それは竹内朱莉という要石があってのことだと。とりわけ筆者は橋迫さんと竹内さんの関係性が好きで、それはまだまだ発展するように感じていたので「もう!?」という気持ちがあった。

ただ、その後の諸々を見るにつけこれは「満を持して」なのだな、思う気持ちが強まった。むしろ、待ってくれてすらいたのかもしれない、と。

今までありがとう、お元気で……。と遠くから控えめに拍手を送るに留めるつもりの筆者だったが、とはいえソワソワしていたところにきっかけがあって今回の企画のハードルを下げる役目を担わせて頂くことになった。「な、なんだこいつ?」と思った皆様、そういうことです。ご容赦ください。拙者ゆずふぁむだもんで……。

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ありがとう、竹内さん。あなたの人柄が、パフォーマンスがあの時筆者を癒し、奮い立たせてくれたおかげで今、どうにか人の親ぶっています。これからのご多幸をお祈り申し上げます――。


それでいいのだろうか?

竹内さんが、アンジュルムが、この企画が与えてくれた「BIGLOVE」に筆者は応えられているだろうか?

妻が、週末の映画の時間が遅いから行くことを躊躇していたことを不意に思い出し、2,3LINEをした。

2023年5月27日。

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そういうことになった。
(ここから鹿児島講演のネタバレがあります)

実は手元には三井寿PETスタンドも持参しており、「寿、ここが宝山ホールだよ」とでもツイートしようと思ったが、怒られるのが筆者だけでは済まなかったら大変なことになりそうなのでやめておいた。
会場一時間前に着いたが汗がにじむのは気温の高さばかりではないのは自明であった。やはり、青を基調とした服装の初見が多いように感じられた。まずは物販である。筆者は経験に学ぶ生き物であり、フォロワー氏を他山の石としてM-1GP2021王者錦鯉めいて「チケットを忘れないのなんて簡単です」と脳内でうそぶいていた。
人は動かすからなくすのである。発券と同時に車のダッシュボードに入れる! 家に持ち帰らない! 家…そこには引き出しがあり、棚があり、数多収納があり、また床があり、冷蔵庫や机がある。その迷宮に迷い込み天寿を全うできなかったあらゆるチケットに今、改めて哀悼の意を表したい。
車のダッシュボード! 筆者の場合、普段、ほぼ開けることの無い場所。一度しまえば使用の時までほぼ開けることはないだろう。その不動さが我がチケットを堅固に守ってくれるという訳だ……。

……で、今日ダッシュボード触ったっけ?

……。

…………。

妻が映画を観る映画館に駐車した車のダッシュボードに……チケットを入れたまま忘れてしまった……。
えっもしかして「寸前まで来てチケット忘れて観られなくてああもうめっちゃ悔しいわ」ってオチ……!?と周囲の熱気に反してどんどんスーッと頭と肝が冷えていくが、スタッフさんのご尽力により何とかなった。早めに会場に来ていて良かった……。

が、物販の出遅れは避けがたく、「ペンライトとかタオルを現地調達して、ランダムのやつをいくつか買っちゃおっと」という甘い目論見はSOLDOUTの文字の前に打ち砕かれることになってしまった。アララァ……。

ランダムアイテムはグッズの華だと思っているので23のグッズを2種買い、推し色…?誰かひとりなんて決められないよ…! と思っていたので(そもそもBIGLOVEシャツは売り切れ多数だったのもあり)ロッキンTシャツを買った。ご当地生写真はうっかり皆買ってしまいそうだったが心を鬼にして、今日残念ながらお会いすることのできない川名凜さんと、鹿児島のシンボル桜島をかわいくイラストにしてくださった伊勢鈴蘭さんを購入した。
ようやく人心地着いた頃には開演15分前。慌てて自席へと向かう。

「わあ! かわいい~」

隣席の方の声に思わずはにかんでしまう。もちろん、筆者にかけられた言葉ではない。
今回、筆者はもうすぐ2歳の娘と参戦したのであった。「膝上3歳未満まで無料」の規約に感謝である。ホール前の広場を縦横無尽に走り回り、入場してからも階段を最高のアトラクションとして満喫するその様に筆者は冷や冷やであったが、皆様寛大なお心でご対応くださった。(本当にすみませんでした……)既に妻と「おやこシネマ」の経験があり、その際は流川楓が映るたび黄色い声をあげる以外はお利口にしていたということでいきなりぶち込むよりは大丈夫だろう、と考えていた。近頃イヤイヤ期がますます極まり、自分の好きなもの以外がテレビに流れると即泣きわめく娘が予習のためにダメもとでスマイレージアンジュルムのMVを流したら存外ノリノリだったことも追い風となっていた。
着席。スクリーンには円盤のコマーシャルが流れている。流れる曲にニコニコしながら体を揺らす娘。……イケるぞ!
筆者がひそかにこぶしを握り締めたのも束の間、ハロオタ(敬称)諸賢の雄たけびが轟くと、とたんに娘は皆殺しの荒野(キリングフィールド)に放り込まれた憐れな生贄のようにしおしおになり、筆者は慌てて抱きかかえ、下の売店なっちゃんを買い与えた。売店の方、ストローをくださってありがとうございました。
すっかり上機嫌になった娘を連れて上がるとすでに最初の曲が始まっていた。
眼前に、アンジュルム諸賢がいる。ついスクリーンを追ってしまう自分の目が恨めしい。実際に躍動している諸賢がいるというのに、なぜ虚像を追いかけてしまうのか。

それは、実体のアンジュルムを目で捉えて納得した。言葉ではなく心で理解できたといってもいい。防衛本能だったのだ。この、生の、むき出しのアンジュルムのパフォーマンスをはなから受け止められるほど、自分の「ハロオタ練度」が高くないことを知らず感じ取っていたのだ。久々に感じる音の圧、歌声の響き、関節のしなりさえ聞こえそうなダンス、それらをコールとペンライトの奔流が包み込んでいく――「現場」の凄まじさ、それはコロナ禍以前の老練さとはまた違う、声出し解禁からまだ日が浅い故のどこか懐かしい青臭さも感じられる経験だった。「

私になって燃え尽きたい」を体現するがごとくスマイレージ期から今に至るすべてを解放していくかのような竹内朱莉さん、動きをセーブしてもなおそのオーラがまさに獣王のそれである佐々木莉佳子さん(鹿児島講演を21歳最後の講演だと言ってくれて福岡のアニバーサリー講演をおすそ分けしてもらったみたいで嬉しかった!)や同じく制限されながらもその歌声の無限の広がりがかえって印象付けられた上國料萌衣さん(りかみこMC…最高だった…)「二―ブラ!」と声が出そうなほど勢いよく竹内さんと肩を組む様につい文脈を感じ取ってしまう川村文乃さん、「れいらさま~っ!!」で声を出すことの楽しさを思い出させてくれた伊勢鈴蘭さん、ハンドルを持っての最後のセリフや竹内さんとのじゃれあいが極上ながら真剣なパフォーマンスの時はぞっとするほどの気迫を放つ橋迫鈴さん、舞台上の可憐さと楽屋での白くまへの向き合い方のギャップが最高の為永幸音さん、出てくるたび「そ、そんなこともできるの!?」と声を上げてしまう松本わかなさん、物おじしないパフォーマンスと後輩を迎える姿勢はキャリアの浅さを感じさせない平山遊季さん……何度でも「今度はこの人だけを!」と定点で観たくなる贅沢な時間はあっという間に過ぎ去っていた。

娘はというと曲が終わる度に周りに合わせて拍手し、曲によってはゆらゆら揺れたりもしていた。が、MCになると直接会いたくなってしまうのか、身をそらして舞台へ向かおうとするので困った。後半はカメラを発見して映り込もうと度々脱走しようとしていた。売り出し中の若手か?

最終盤。我が家のカーステレオでもおなじみの曲が、流れ出す。

あの「なまたけ」で制作が約束された曲。ホールがひときわ揺れたように感じた。

いや、ホールではない、何か、目の前のものが――。

娘が筆者の膝上に乗り、「マシンガントーク」の時の岡野昭仁のごとく手をゆさゆさと振り、こちらを向いた。

今まで何度も見せてくれた笑顔の中でも、屈指のものであった。

慌てて娘を膝におろしながら、舞台上で肩を組むアンジュルム諸賢の姿がにじんでいき、自分が泣いていることがわかった。

あの時、娘を迎えるために徹夜で準備していた時、そのおともにしていた番組がきっかけで出来た曲が、今、目の前でパフォーマンスされ、少し成長した娘が、それにノリノリで満面の笑みを見せている。きっと振り返すというか、自分から遊園地で他人に手を振るタイプに違いない。父に似ず社交的で良かった。

その光景は筆者という人間の人生を――human lifeを肯定してくれているかのように見えた。なおも激しく手を動かす娘のその動きこそが、まさに筆者にとっての煌々舞踊だった――と言ってしまうと怒られるだろうか。

本当に最後の曲、みんなの名前を呼びながら、川名凜さんへの声援がダントツであったことに、ハロオタたちのやさしさを感じた。アンジュルムの皆が我が故郷を呼んでくれることに高揚を感じた。

終演後、娘の大暴れと監督のふがいなさを謝る筆者に周囲の皆さんはかえって温かい声をかけていただき恐縮であった。もう少し娘に理性が宿ったら、ぜひまた参加してみたい。その時は娘に一生懸命ペンライトを振ってもらおうと思う。

夏はアンコール講演?ということでどうするんだろう、と思いながら、いや、大丈夫だ、という気持ちもある。

去った後、「あの時がピークだった」と言われる指導者は二流である。そういう意味で今後、竹内さんが撒いた色々なものがとりどりに咲いていくのを見ていくのがとても楽しみだ。その時に改めて竹内さんが一流のリーダーであったことを筆者は思い出すことだろう。