カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

2023年公募チャレンジ第一弾~第三弾を終えて

kimotokanata.hatenablog.com

有言を実行した。せっかく文章を書くリズムが出来ているときにブログ記事の方も書いておこうと思う。

第一弾

「ジャンププラス原作大賞」に「二人のエンドロール」を投稿した。約4,800字。加えてあらすじが250字程度。下記からお読みいただけます。よろしければ。

note.com

サムネイル、せっかく作ったのにサムネイルだと「人のエンドロー」になっとる! まあいいや。Canvaはオンライン即売会に出店した時にお世話になりましたが、簡単におしゃれっぽいものが出来てすごいなあと思う。はてなブログでも使えるのでもったいないから今後活用していこうかな……ということで早速本記事のアイキャッチ画像はCanvaで作成した。(一番上の画像)どうせ正方形に切り取られると思うので、素材を真ん中に寄せてみたりもした。果たしてどうなっているかは投稿してからのお楽しみである。(いや、下書き保存したら確認できるんだろうけれど)

Canvaの使い心地はもちろん変わらないが、noteでは「パブリッシュ」だったボタンがはてなで開くと「完成」になっており、なんとなくそういうところでそれぞれのブログのカラーを感じたりした。

原型は学生時代に無料の部誌に掲載した作品。確か2010年だと思うので、「朝井リョウ先生ショック」以後の作品であるということになる。そして、3.11以前の作品。このブログに幾度となく登場するS先輩は東海地方のご出身であり、幼き頃から幾度となく語られたという「南海トラフ巨大地震」の恐怖を話してもらったことが記憶に残っており、また伊坂幸太郎先生フォロワーであった筆者は「終末のフール」を意識しつつ、その「滅び方」は少しアレンジを加えよう、ということで元の作品はもっとガンガン地震が登場するし、津波だってあったが、今回改訂にあたってざっくり削った。作品で起こることですら、自分でも気づかぬうちにあの日以前以後があったのだな、と読み返して気がつかされた。

この頃は「自分と同じ視点は書けて当たり前だからそれ以外のことに挑戦しよう」という目標があって、年下のお嬢さんの視点を借りた文体になっている。外側で起こっていることを綴る文章の軽さには気をつけた。

もともと1万字弱の作品で、ほぼ半分に削ったことになる。それでもこの作品をベースにしたのは「ジャンプ+」という場所には自分の手持ちの中でスケールの大きい作品を送り出したいな、という気持ちがあったから。起伏は少なくなったが基本的な味わいは変わらず仕上げることが出来たと思う。ただ、文字通り骨身を削る思いがしたので減らす改稿はもうやりたくないな、と思った。和牛がM-1ラストイヤーに出なかった理由の1つに「自分たちの漫才を切り刻むのが耐えられない」というのがあった気がするが、その気持ちがおこがましいがちょっとわかったような気がした。

今回初めてnoteで文章を書いてみたが、なんだかふわふわして不思議な感触だった。行間など気にならないではなかったが(あと改行とかスペースがばっちりカウントされるのも前述した通り必死で削っている身にはちょっとこたえた)、この作品の雰囲気には合っているプラットフォームだったのではないか、と思う。

コンテストに対しては、「あらすじにタグをつけ、本文はつけない、あらすじにリンクを張る」という一連の流れが割とこまごまとしていて、運営側からの「例としてこんな感じ」という投稿があればより分かりやすかったかなと感じた。タグ別新着にして投稿直後を見ても自分の作品が出てこなかったのは自作は出ないとかそんな感じなんだろうか?

他の方の作品を読もうと思ったが、Twitterのトレンドでもしばしば見るけれども、全然関係ない記事が閲覧数稼ぎのためにタグをつけたりとかしてその意欲を削がれてしまう。時々見るとちゃんと適宜排除されているようではあるが……。

今回の公募に費やした時間としては4時間くらい。ほとんどが削る作業だった。

第二弾

今回のタイトルを見て「記事を読み飛ばしてしまったのだろうか?」と思われる読者諸賢もいらっしゃるかもしれないが、第二弾、第三弾については間に合うのかわからなかったこともあり記載していない。

www.andersen-group.jp

第二弾は「アンデルセンのメルヘン大賞」に応募させて頂いた。アンデルセンは広島時代にお世話になったパン屋さんで、結婚してからもコロナ禍直前の時に本店へお邪魔し、変わらぬおいしさに妻と舌鼓を打ったりした。

www.andersen-group.jp

その写真がGoogleフォトによってたまさか「おいしい写真」としてピックアップされたことから懐かしく思い出し、調べてみると公募されていることを知った。また、39回の大賞受賞作品があらすじとサンプルのみでもその素晴らしさが伝わり、この賞に応募したい、という気持ちが高まった。

応募した作品の原型はこれまた大学時代の作品だが、データが紛失してしまったので思い切って骨子だけを使って文章はまるまる新しく書いた。2時間で約3,600字の作品になった。事務局様が当日消印有効にしてくださったおかげでなんとかなったはずである。8,000文字以内という文字数制限、童話という概念の弾力性など、色々なものに甘えた作品になったが決して今までの作品に劣ることはない愛しい作品となった。

父娘の話なのだが、当然大学時代には娘を授かるとは思ってもいなかったので不思議なめぐりあわせを感じる。読者諸賢の目にも触れる機会があればいいなと思う。

第三弾

(勝手に)因縁の創元SF短編賞についに応募することが出来た。今までの創作の中で一番大切な作品をフォーマットに合わせて改稿し応募した。web提出の細々が行き届いていてとてもありがたかった。40×40の10枚以上という応募規定を11枚で提出する、この最低枚数をギリギリしのぐというのをやるといつもの筆者の公募人生が立ち現われたようでなんだか安心もする。

苦節と言うほどでもないが、8年前から心に留めつつ応募に至らなかった賞なのでついに応募出来て万感の思いであった。大げさかもしれないが提出ボタンを押す時は手が震え、ラスト5分でギリギリ応募が出来た。世紀末の流行曲めいた挙動である。

憧れのレーベルに掲載されるかもしれない権利を得られたことを今はただ喜びたい。夢を見なければ夢は叶わない。

今後

まったくのゼロから、木本仮名太33歳が今持てるもので生み出せる文章で公募を続けていきたい。具体的には今年、筆者が出すことで筆者個人としては大いに意味がある公募が3/31締切になっているので、そこに向けて頑張っていきたい。今回チャレンジした文字数を全て足しても追いつかない、筆者には未知の領域であるがだからこそ目標とするに足りると思う。がんばります。