カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

大河ドラマ「西郷どん」第十一回 「斉彬暗殺」、第十回「篤姫はどこへ」、第九回「江戸のヒー様」感想

余談

祖母の誕生日であった。満九十二歳になる。大正、昭和、平成、そして新元号を駆け抜ける予定のモダンガールであり、未だに杖もつかず自分の足でもって歩く。「ばあちゃんは、もう長くない……」と筆者に言いはじめてから気が付けば四半世紀が経ったので、もう半世紀くらい頑張ってほしい。

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「こんぴら丸」さんでお祝いを行った。ボリューミーかつおいしく、リーズナブルである。大河とコラボした「せご丼」もあったのであるが、丼ものはご飯がお替りできない(定食はお替わり無料!)ので定食にした。

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予約出来る部屋にはそれぞれ鹿児島の島々の名が冠されていたが、VIPルームだけはそのままVIPであった。画竜点睛を欠いていないか、とも思ったが、下手に一つの島名をVIPルームに冠してしまうと色々ともめるのかもしれない。お手洗いも同様であろう。

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そのまま、桜の名所慈眼寺公園へ向かった。まさに見ごろであった。BBQの良い匂いが辺りに満ちていた。

この川は筆者が幼少のころ水遊びしたのだが、こんなに浅かったのかと驚く。

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ブラタモリ的視点で見ると面白そうな石があったりした。

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桜をあと何回見られるだろうか、と考える余裕が今年はあったので、まだまだ見られるだろうとポジティブに考えることにする。

本題

有難いことにここ二週間ばかり忙しく、感想がおろそかになってしまっていた。今回から再び放送日の感想投稿を目指していきたい。

第九回「江戸のヒー様」

最初のスタッフロールで既に「一橋慶喜 松田翔太」とクレジットされるのでヒー様……一体何橋慶喜なのだ……となってしまうのはご愛敬であるが(ジョン万次郎は謎の漂流者表記だったのになあ)なかなかはまり役であると思う。個人的に松田さんの演技で一番好きなのは「名探偵の掟」なのだが、この後の描かれようによっては超えそうだと感じる。船で逃げるというのはなかなか暗示的である。

江戸に行けばすべてが変わる、何もかもがうまくいく……とまで思っていたかは分からないが、結局は足踏みしてしまうもどかしさ、先に出発した友人の堕落、(殿さまにはろくに会えていないという鬱憤)、また薩摩に残った正助の焦り……若いエネルギーが鬱屈しているさなか、天下の水戸家に対してすら斉彬愛が溢れるあまり書状を破られて「ころすぞ」みたいな目で見つつも誤解と分かる…ということがあったりしつつ、お庭方を拝命する吉之助。(翔ぶが如くより三話遅れ)斉彬、ついに吉之助をかつての少年と同定する。今までしてなかったのか。(じゃあ単にこいつほんと俺のこと好きだな……くらいの感じだったのか。それはそれですごい)何がすごいってここの鈴木亮平さんの泣き顔がほんとに小吉役の渡邉蒼さんのそれとオーバーラップするところ。あの小吉が成長したらこういう風に泣くな、という感じ。この配役の妙は素晴らしい。そしてあの相撲の感じだとどうしてもそうは感じられないがやはり腱を痛めていたのでお役に立てないというコンプレックスを斉彬自らに払拭してもらえる吉之助。よかったね。吉之助に口止めは一切できないし忖度もしないのでヒー様におかれましてはお父さんの前でキャバクラ通い暴露されたみたいな感じになったけどまあ些細なことですよね。

井伊直弼がわかりやすーい嫌な奴という感じなのはちょっと残念。彼なりに国のことを考えているのだ、という描写があればいいが、橋本左内が主人公サイドだしどうなるかなあ、といったところ。その井伊家を絡めて水戸徳川家に紀尾井坂の話をさせる、なんとも痺れる脚本である。無論視聴者には明治十一年が脳裏に浮かんだことであろう。

第十回「篤姫はどこへ」

篤姫の前に身分概念や間諜の心構えがどこかへ行ってしまっているのだが、もうそれは今更なので突っ込まないでおく。橋本左内瀉血はスッと解決していくが、瀉血はあんまり意味のない治療法だとこの頃はもうわかっているんじゃなかったろうか……というのが引っかかる。視聴者への説明もあり吉之助のことを大いに買いかぶってがっつり秘密を教えてしまうのは一見コメディパートであるが、今まで主人公特権で特に理由もなく持ち上げられていた吉之助が「買い被りだった」と評価されるという脚本は今までの描写はちゃんと「よくわからんけど評価されてます」ということだという自覚を製作者側も持っていますよ、という意思表示に感じられて嬉しい(買い被りだろうか)

斉藤由貴さんから南野陽子さんという製作者がどうしてもスケバン刑事でいきたいという強い意志が感じられる幾島のキャラもなかなか強烈である。もう少し放送が早かったら受験生たちはさぞかし胃が痛んだであろう。しかし、墨跡鮮やかに方言が半紙に書かれていると結構シュールで面白い。

傍流の娘、宗家の養子、そして御台所候補と立場はめまぐるしく変わり、それに対応しようともがくが内面はそれに悲鳴を上げていて……という複雑な役回りを北川景子さんも見事に演じている。しかし実父を亡くしともに悲しんだのに家族の思い出を楽しげに語る吉之助はサイコパスか何かなのか。

ピース又吉さん演じる家定がまだ熟れない柿を絵の中で熟させて描くのは果たしてどういった意味を持つのか。自らが熟れきらぬことを柿に重ねているのか。(それゆえ落ちた時あれほど取り乱したのか)この家定もまだまだ奥行きがありそうである。

第十一回「斉彬暗殺」

セキュリティがどこかしこガバガバ過ぎるのは今に始まったことではないが今回はあまりにもひどくはないか。もう突っ込まないけど。

斉彬公を救うために色々やってみた吉之助、渾身の藩主キック(ゲージ一本消費)を叩き込まれる。俺の命なんかどうでもいいんだよこの国をどうするかだろ! という斉彬のそれは人のそれではない、鬼、いや神、いやさ鬼神である。嫡男を失っても、自分が暗殺されかかっても、篤姫が不幸になっても、一橋慶喜が将軍になりたがっていなくても、それは些事なのである。

吉之助は斉彬教の信者である。薩摩であるとか、島津家ではなくていまや斉彬を現人神として崇拝しているのは今回、下屋敷へ突撃したことからも明らかである(なんで生きてるんだよこいつ)。しかしその鬼神のご託宣に吉之助は即答できない。その発想に追いつけないからである。君のためなら死ねる状態なのにその君から「俺の屍を超えていけ」と言われたらまあ混乱もするであろう。その思想を教えこむという意味でも、斉彬には時がない。斉彬の死まで、あと四年。

井伊直弼一橋慶喜という、主人公サイドからしたらどちらかというと悪役の人間がばっちり正論をいうのが薩摩編の無条件肯定されていた頃に比べるとだいぶ健全な感じである。

あとは、お由羅の仕業と決めつける吉之助以下藩士たちが滑稽に見えてしまうが、そうなるのも仕方ないくらいお由羅騒動(高崎崩れ)がどれほど藩士たちにとってトラウマものであったかということを納得させるためにやはりそこに一話くらい割いてしかるべきではなかったか、と思う。相変わらずお由羅の画面制圧力がすごい。あれは多分抱えている動物が本体のタイプのボスである。

見終えて

いや、江戸に入ってから「西郷どん」面白い。もちろん首をかしげることも多々あるのだが、ようやく吉之助が多面的な見方をされ、「西郷どん」への覚醒の片鱗が見えてきたようでうれしい。また、今まで以上に今後の伏線が張られて長期的な展望が見えてきたのも一話で起承転結が多かった以前に比べて「大河ドラマ」を上手に使うぞという意思が感じられる。是非このままでいってほしい。

落第阿房列車その五 遥かなる旅路さらば京阪よ

余談

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ブラタモリ」#98,#99を観た。#100をとれないあたりが、鹿児島の鹿児島たる所以を雄弁に物語っているように思われたが、ともあれタモリさんが当地を訪れてくださるというのは望外の喜びである。というか、かごんま弁が大変お上手である。さすがハナモゲラ語マスターはすごい。

大木公彦名誉教授の喜びようも見ていて嬉しかった。「三月のライオン」や「風雲児たち」で描かれたように、極めてしまった人というのはえてして孤独である。そこにタモリさんのような知識・洞察力に優れた人がやってきたらそりゃあ嬉しいだろうなあと思う。そのリアクションに見ているこちらも毎度笑顔になってしまった。

また、かつて記事で書いたように不便な土地を常日頃自虐してきていたが、不便なばかりだと思っていたシラス台地を肯定してくれたようで嬉しかった。文字通り、我々と戦国、維新の薩摩人が地続きであることを改めて感じられた。

本題

時を、三月五日の朝に戻す。筆者の京都大阪の旅の大目的がミミズクヤさんで着物を購入することであったこと及びでごへなさんご夫婦にお会いすることであったことは、既に述べた。一方妻の大目的としてはこちらも既に述べたが筆者がこれから書き道を迷わないように再度書き添えさせていただくと、

・「活撃刀剣乱舞の世界展」へ行く

北野天満宮で参拝及び「宝刀展Ⅹと続『刀剣乱舞-花丸-』特別展」へ行く

・「京都刀剣御朱印巡り」を完遂する(粟田神社、豊国神社、建勲神社、藤森神社を参拝する)

ということであった。このうち「活劇刀剣乱舞の世界展」へ行く、粟田神社、豊国神社への参拝は既に達成できた。乱暴に言ってしまえばあと三スポット(北野天満宮建勲神社、藤森神社)を訪れることがこの旅の残りの目的である。

このうち北野天満宮建勲神社は下図左上二つの星であり、わりかし近場であるのだが、問題は藤森神社で、図の青く囲った星である。逗留先は二条城の近くであるから、ずいぶんと離れている。公共交通機関を使うと一時間以上。例によってどこをはじめに参拝するとしても、社務所の関係上スタートは九時であり、新幹線は新大阪を出発するのは十四時九分であるから京都からは十二時過ぎには出ていたいところであることを考えると移動も含め三スポットを三時間程度で見て回る、ということになる。

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少しでも効率よく回るため、最終日は豪勢にタクシーで移動することにした。世の中にはお金で買えないものがたくさんあるが、観光時間は買える。これにあたって、都会の読者諸賢は御用達かもしれないが「全国タクシー」というアプリを導入することにした。スマホからタクシーを呼び出すことが出来、しかもネット決済をすることによって支払いは省略できクーポンまで活用できる。電話が苦手な筆者にとって非常に心強い。早速逗留先から呼び出すと、到着時間は十分ということだったが思いのほか早く来てくれた。GPSでタクシーが今どのあたり、とわかるのもすごい。一路、北野天満宮を目指す。

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北野天満宮

平日朝ということもあり、予定よりだいぶ早く着いた。誤算だったのは、ここで雨が一気に強くなってしまったこと。我々は傘を持っておらず、また手提げは紙袋であった。幸い運転手さんが門近くで降ろしてくれたのでしばし雨宿りする。

誰もいらっしゃらない早朝の受付所は新鮮であった。参拝がてら境内をぶらぶらする。といっても雨がますます強くなるのでじっくり足を止められないのが残念なところ。途中、コンビニにでも寄ってもらって傘を購入するべきであった。

 

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八年前、弟の合格祈願に参拝して以来の北野天満宮は相変わらずの威容であった。

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九時を過ぎるとご同業(審神者)が続々いらっしゃったので、それに紛れるかのように粛々と入場する。スマートフォン等での撮影許可、本当にありがたい。

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この猫丸など形と逸話が面白く今すぐでも刀剣男士として登場できそうであるし、

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この脇指のインパクトと来たら破格である。

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小烏丸造の太刀は拵も美しく正しく宝剣の趣があった。

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青江恒次の太刀は細身ながら重厚さで我々を圧倒し、

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本命・髭切(鬼切丸)もまた、これなら鬼も切ったかもしれぬという言い知れぬ説得力を全身から生じさせていた。

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よした弥の彫りはただただ感嘆するばかりであるし、

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また、薩摩の誇る名刀工、波平行安の短刀と出会えたのは嬉しい驚きであった。

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東風は吹いていないが、梅は美しかった。

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建勲神社

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続いては建勲神社。我々を試すかのように石段が立ちはだかる。雨もあり、なかなか骨が折れた。写真を撮るのも難儀であった。そんな中、格別にフランクに対応くださる社務所の方に心まで温まる心地となる。

参拝後、タクシー到着まで雨宿りをしていると、男性が「私はレインコートがありますから」とビニール傘を譲ってくださった。もごもごお礼を言っているうちに、男性はさっそうとロードバイクで立ち去って行かれた。筆者もこのように粋な振る舞いが出来るようになりたい。本当にありがとうございました。

その後、とうとう手提げ袋が決壊したため、また空腹も限界に達したため、最寄りのコンビニにて送れるものは宅急便で送り、おにぎりを流し込んだ。

藤森神社

いよいよ最後の目的地である藤森神社に到着したのは十一時半頃であった。

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菖蒲の節句発祥の地ということもあってか金太郎像があったり、

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駆馬神事発祥の地ということで一際立派な神馬像があったりした。競馬ファンもよくお参りにくるらしく、専用の絵馬、お守りもあった。

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妻も粛々と参拝し、お守りを複数購入していた。

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宝物殿にて拝観した鶴丸国永の写しはその歴史まで写し取ったような風格があり、細い刀身がなるほどいかにも優美であった。愛が沢山奉納されていた。(ほんの一部だそうである)

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参拝後、いよいよ藤森駅にて乗車すれば雨との戦いも終わりなのだが、またこの藤森駅が長い坂を超えた先にあり、京都は最後の最後に我々にその厳しさを叩き込んだのであった。無事乗車し、晴天であれば伏見稲荷も攻められるくらいの時間的余裕があったが、そのまま新大阪を目指すこととした。途中、吹田市で空腹のあまり「お腹吹田市」とツイットした以外はあまり記憶がない。

再び新大阪駅、あるいは日常への回帰

さて無事に一時過ぎに新大阪駅に戻ってくることが出来、お土産を購入する段になって、新大阪駅構内のお土産屋さんでは地方発送をしてくれないことを知り衝撃を受ける。まあここまで来ればドアtoドアであるのだが、これ以上荷物を増やすつもりではなかったので自分の詰めの甘さに落胆した。

昼はさらば大阪、という気持ちを込め神戸牛のぼっかけ飯を食べた。誰が何と言おうとこもっているのである。

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旨みが噛むたび染みこんで大変うまい。

それでもなお大阪への気持ちは絶ちがたく、タイのおつまみを購入した。これがまたとてもおいしく、ご飯が欲しくてたまらなくなった。家の最寄りにあったら毎日通ってしまいそうである。


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いよいよ鹿児島中央駅へ向かう新幹線に乗り込む段になって、急にキャリーバッグのコントロールが悪くなった。


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いぶかしんで見てみると、まるで自分の役割が終わったことを悟ったかのように車輪が壊れたのであった。(写真は帰宅してからのもの)お前そんな……主人公一行を最終決戦の舞台へ無事送り出した後人知れず最期を迎えるライバルキャラみたいな……。

キャリーバッグが殉職し、妻もさくらに乗り込むや早々にゲストハウスにいた人物と同一とは思えないかのような静かな寝息を立てるにあたって、二泊三日の京阪旅行におけるものごとが新幹線の速度で現実と交換に収束していくことを筆者も受け入れざるを得なかった。秋辺り、また行きたい。

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落第阿呆列車・完

落第阿房列車その四 京都②あるいは着物日和の暖かな夜

余談


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七年前の三月五日、鹿児島での就職試験会場まで親の車で乗せていってもらった時、ラジオから明るい鹿児島弁が聴こえてきた。丁度一週間後に控えた、九州新幹線全線開業に合わせてどのようなイベントが鹿児島を始め、沿線各県で準備されているのか、といった話だった。今回の就職試験に合わせての帰省も、博多で乗り換え、新八代で乗り換え、と忙しいものだったから、鹿児島から広島まで乗ったままでいいというのは凄いな、乗り過ごさないようにしないとな、という話を父とした。祭りの前のような胸の皮一枚奥がむずむずするようなワクワクを感じていた。試験には落ちた。

その後式典が悉く中止になったのは読者諸賢もご存知の通りである。

被災者に寄り添いたい、何か協力したいとは思っていたが、当時から式典中止はちょっと違うんではないのか、とも思っていた。Aを祝うことがBを軽んじることにはならないはずなのだと。

 


Maia Hirasawa - Boom! Music Video 「JR九州/祝!九州キャンペーン」CMソング

この曲を聴くたびにいつも泣いてしまう。それは色々な理由があって、全てを言語化するのは難しい。例えばこのCMに集う全ての人々がそこに至るまでの物語を持っていて、それらが垣間見える構成であるとか、あふれ出るエネルギーへの感応であるとか、色々あるのだろう。

ただ一番大きいのは、安心感だ。

「よかったんだ」と初めてこの曲を聴いた時に思った。九州新幹線が全線開通したこと、喜んで、よかったんだ。祝ってよかったんだ。ちゃんと祝福されていたんだ、と。

この曲を七年前広島で聞いて、帰ろう、と思った。その年の色々な出来事を通して筆者が悟ったのは、自分はグローバルな人間でも、日本を背負って立つ人間でもなく、ただ無骨に故郷を思うことしかできない人間である、ということであったかもしれない。

鹿児島と広島を繋いでくれてありがとう。

広島から妻を連れてきてくれてありがとう。

鹿児島へ帰省させてくれてありがとう。

広島へ帰省させてくれてありがとう。

新大阪まで阿房列車ごっこをさせてくれてありがとう。

 九州新幹線全線開業、七周年おめでとう。

 

本題

さて読者諸賢もさすがにお忘れになってきたかもしれないが現在は平成三十年三月四日、午前十一時にならんとするあたりである。どうにか自転車二台を帰還せしめた筆者は、旬菜いまりさんの大満足ボリュームの朝食も消化しつつあり、混む前にどこかで昼食を摂りたい、と考え始めていた。具体的にはラーをメンしたかった。暫くは自転車の顔も見たくない状態であったため、近場で済ませたいところだ。

先ほど彷徨しているときにのぼりを見た覚えがあったので、その辺りを目指すことにした。


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午前中も感じたことだがちょっとぶらぶらしただけで史跡にぶつかってしまうのが京都の恐ろしいところで、戦国無双2の本能寺マップの複雑さを思い出しながら瞑目合掌した。周囲では工事がされており、「止まれ」看板を今まさに設置しようとしている貴重なシーンを見たりもした。


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さて件のラーメンのぼりに行きあたりつつ、まさか羊頭狗肉ならぬ狗頭狗肉ラーメン店なのかと若干怖気つつも、よくよく見るとその横が目指すラーメン店であることがわかり安堵した。隠れ家的風情があるのもよい。入ってみることにした。


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店内は八割ほどが埋まっており、食券制であることがコミュニケーション不全である筆者を安堵させた。とりあえずスタンダードなラーメンをたべることにする。

元気な店員さんに食券を渡すとアブラやヤサイなどをどのようにするか、を尋ねられる。そこで筆者はようやくトッピングスペルを唱えるタイプのお店であると気が付くが、なにしろそういうお店は初めてであったのでやはりスタンダードに「すべて普通で」とお答えした。店員さんは快く了承してくれた。朝に引き続き「ロットの乱し」について一抹の不安を抱きながらラーメンの到来を待っているとラーメン道を追い求めていますよというオーラのつわもの達が続々と来店してきて、あっという間に満席になった。慣れた様子で食券を買い、トッピングスペルを唱えている。もしかしたら一人くらいどさくさに紛れてキャラメルフラペチーノを注文している可能性すらある。


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筆者のもとへラーメン「にぼ次朗」が運ばれた。後ろで待っているつわもの達が「ほう……オールスタンダードか……」「どう料理するか、見せてもらおうじゃないの……」と言いたげにオーラを揺らがせているように感じたがそれはただの自意識過剰であろう。ガラガラのゲーセンで対戦可能な台に筆者がコインを投入するや否やどこからかベテランがわらわらとやってきたあの日のトラウマをまだ払拭できていないことを感じながら、しかしいざ箸をつけるとそのコクのあるうまさに背後のことなどどうでもよくなった。鹿児島ではなかなか味わえない煮干しを活かしたスープをふてぶてしく飲み干し、去り際には「しかし薩摩人としては麺1.5は一朗半ではなくて半次郎としていただきたいところだ」などと考える心の余裕さえ生まれていた。人間腹膨れて平静を知るとはよく言ったものである。

腹ごなしに少し遠回りをして帰ると今度は「与謝蕪村終焉の地」に出会った。


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筆者にとって与謝蕪村はまさに春のイメージがある俳人で、

「菜の花や 月は東に日は西に

「春の海 終日のたりのたりかな」

など大づかみな描写が印象深く、勝手に関東平野辺りの人だと思っていたので京都にゆかりがあるとは知らなかった。それにしてもいいですよね、「ひねもす」。「せせらぎ」とかね。「さらしな」とか。響きが。

少し(本当に少し)行くと辞世の句の句碑もあった。


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「白梅に明くる夜ばかりとなりにけり」

ああこの人は春を愛し、春に死ねたのだ、となんだかほっとしてしまった。春の京都で出会えたこと、まこと嬉しいめぐりあわせである。

再び太鼓屋さんに戻る。ベッドに横になる。心地よい生活音がそこここから聞こえてくる。ああ、こんなに心地よい独りぼっちはどれくらいぶりだろうと思ううち、まどろんでしまう。

目が覚めると三時前であった。ぼちぼちと準備をはじめる。

待ち合わせの相手は一目でわかった。古都・京都であっても今回の旅で夫婦で着物で出歩かれているのはこのご夫婦以外とうとうお会いしなかった。

でごさん、へなさんご夫妻はご主人のでごさんとはこまごまとした交流をTwitter上でさせていただいていたが、昨年末あたりから筆者が急速にすり寄り始め、またそれをでごさんが懐深く受け取ってくださり、ばかりか、ぜひ遊びに来てくださいという一般社会人であれば社交辞令であると瞬時に理解すべきものを筆者は額面通り受け取ったところ、それにも快く対応してくださって今回の邂逅に至るのであった。でごさんはかつて着物男子記事において特集されたことがあり、既にお顔を存じていたが、実際に全体像を拝見すると写真より更にすらっとしてしかし樫の木のような頼もしさがある方であった。へなさんは先に拝読した文字通りのやわらかな方であり、でごさんとの結婚を発表したときにはでごさんのお腹が可及的速やかに下ることをねだった人々は少なからずいると思わせた。お二人とも着物が板についていた。着物の方から追いかけていく感じでさえあった。我々夫妻は世界初対面もじもじ選手権タッグ部門があれば千年に二人の逸材であったのでおおいにもじもじしたが、お二人は優しく導いてくださった。すごい……京都の町をグーグルマップ無しで……! と思う間もなく第一の目的地にして実は筆者の今回の旅最大の目的地「ミミズクヤ」さんにたどり着いた。あんまり興奮していたので外観を撮影するのを忘れた。

ミミズクヤさんでは「屋号がどうぶつ市2」を開催されており、どの出展も個性豊かであったが、銭湯に入れなかった無念を晴らすべく、らくがきひつじさんの「ひつじがのぞいた銭湯」を、そういえば阿修羅に言わせたかったことがあったような気がするので黒猫屋さんの「阿修羅はんこ」をそれぞれ購入させていただいた。もっと住処が近ければよりお迎えできたものは多かったのに、と悔しがったりした。



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さて着物男子ぶってみようと思いつつ、実はオンラインショップで遠目にはトラディショナル、近づけばプラモデルの柄が気に入っていたので装備させてもらう。(筆者マメ知識:服を着ることを装備するというやつは大体オタク)ちょうどいい具合である。典型的日本人体型でよかった。帯をつけ、羽織まで装備させてもらうと服の力でもってなかなかそれらしく見えてくる。ちなみにネルシャツもそのまま中に着ている。そういう自由度があっていいんだ、ということをでごさんのツイットで知ったことがここへ参じるきっかけであったりした。


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自分が着たところで、木乃伊取りが木乃伊になるという訳ではないが妻にも着せてみる。と言うは易いが実際に着つけてくださるのはミミズクヤご主人である。無論筆者も着せてもらっている。馬子にも衣装、ジャバ・ザ・ハットにもミミズクヤさん着物といったところで、ゲキカワ帯の力もありなかなか大正はいから娘然としており良い感じであった。金田一(じっちゃんの方)に出ていたら莫大な遺産を相続させられそうである。


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熱に浮かされ二人分の着物を購入しそうになるが、我が家の財務省(妻)は忖度を行わない正しさを見せつけ、今回は筆者の分のみとなった。思いっきり着物を満喫し、妻に着物を欲しがらせてやりたいと思う。現時点ではまだどきどきで着られていないが。

日が落ちた京都のメインストリートを連れ立って歩いていく。先導してくれるでごへなご夫妻を結構な人々がうらやましげに眺めており勝手に筆者が自慢げな気分になったりしつつ、今度は「ごえん茶」さんへ着く。ゴールデンルートである。


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ミミズクヤご主人もどことなくツイッターアイコンのようなきりっとした感じと優し気な感じを両立させた方であったが、ごえん茶の大将もツイッターアイコンそのままあたたかな方であった。既に我が家でごえん茶のお茶は味わっており、フフ……お茶の生産量全国二位を誇る鹿児島人の筆者はそんじょそこらのお茶ではひるまないでごわす……と思っていたところをあっさりひるまされていたのだが、店頭で冷たい玉露を頂いて自分で淹れた二億倍くらいおいしく、あまく、まろやかであったので大いにひるんだ。モンハンで言えば大剣タメ3が確実に入るくらいに。お茶うけに出していただいた松風も風味よく、しかも三袋買えばお得ということで迷いなく三袋買った。

いよいよ晩御飯、「京のおへそ」さんである。でごさんがご予約の労をとってくださっており、難なく入ることが出来たがなかなかの盛況であった。鹿児島では普段なかなか呑めない日本酒を飲み、京を主張しているのに夫婦して串カツを頼んだ。(美味であった)


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妻「あっ二度漬けしちゃったどうしよう」

でごさん「そのソースは自分の分だからなんぼでもつけて大丈夫ですよ」

という会話を聞いた後素知らぬ顔でソースをじゃぶじゃぶ漬けたりしつつ、

京らしく鴨をたべ、


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白いおでんと赤いこんにゃくのコントラストに驚き、


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湯葉ってさあどうにもお高くとまってる感じで……と思っているところを湯葉クリームチーズコロッケという変化球で平伏させられたりした。


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町屋でボードゲームが楽しそうだという話のほか、色々と失礼をしてしまったように思うが、圧倒的に楽しかったという記憶が勝っており、でごへなご夫婦のおかげで非常に素晴らしい時間を過ごすことが出来た。が、我々がご夫婦を楽しませることが出来たかというと、課題が山積していたと言えよう。

中京都らしいセブンイレブンを発見しつつ、


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「ここをまっすぐ行ったらお宿につきますから」

といつの間にやらスマートにご案内くださり、別れがたかったが別れた。そもそも明日は月曜日なのである。なんと有難いことだろうか。

まっすぐ行くと本当にすぐ逗留先に行きあたり、またそれが自分が思っていたのと反対方向から行きあたったことで驚きながら、まだ九時を少し回ったところであり、相変わらずの京都の時間の濃密さに思わず目薬を差した後、そういえば西郷どんを見逃したことにも思い至り、今年の最優先事項があっさりと翻されたことに改めてどれだけ楽しい時間であったかをしみじみと思いながら、やはり寝落ちした。次回、完結編。

落第阿房列車その三 京都①あるいは今日という日は残された日の最初の一日


余談

梅田スカイビルを訪れた時にふと、ここへ就職試験を受けてから七年の月日が経とうとしているのだな、と感じた。そもそも書類が通ると思っていなかったので、記念受験くらいのつもりだったがその力の抜け方が良かったのか面接に進むことが出来た。その後の結果で結局就職することは叶わなかったが、いい経験になったと考えている。

本来なら3.12にあるはずの試験であった。実際に試験を受けたのがいつだったのかはもう覚えていない。それほど試験が吹っ飛んだ、というインパクトの方が強かったのだろう。

七年前の今日は昼前に起きた。最もお世話になり続けた先輩の部屋へその日も泊まり込んでいたのだ。そして先輩の就職に伴い、その日が最後の先輩の部屋で過ごす日であった。家主の先輩をはじめ、諸先輩方、同期、後輩とかけがえのない日々を過ごした場所は去りがたかった。最後に先輩のPCで上記とは別の会社の選考結果を見た。通過していた。次回試験日は3.14であった。上記試験と合わせどういう日程でどういった交通手段で行くべきか、という幸福な悩みと三年間の感謝を持ち帰ってもしかしたら自分の下宿よりも愛着のある先輩宅を後にした。バスを待つ間、東京にいる友人に3.14の試験の宿として上がりこませてくれやしないか、という図々しいメールをし、夜行バスの予約をした。

14:46は広島市内へ向かう車中であった。バスセンターを出て、「わたしの食卓」で遅い昼食をとりつつTwitterを開こうとしたらやたらに重かった。関東あたりで地震があったらしい、ということがわかり、マメな東京にいる友人から返信がいまだに来ないことが気にかかった。

夕方、少しずつ大変なことになったという実感が湧いてきたころ、3.12の試験は延期すると通達があった。3.14の方は音沙汰がなく、かといって今後どうなるかわからなかったので夜行バスのキャンセルを行った。夜にようやく東京の友人から返信があり、その返信で何も食べていないことに気が付いた。

3.14の試験は予定通り行う、と通達が来たのは翌日だったように思う。今なお余震がある場所へ向かうことについてしばらく考えたが、新幹線で行くことに決めた。そこそこの人から反対をされたり、たしなめられたりした。友人に滞在費代わりに持って行く物資を調達し、乗り込んだ品川行の新幹線はスカスカで、京都を過ぎて以降は恐ろしくゆっくり進んだ。東京の灯は微かで、本当にコンビニにはモノがなかった。「余震のため臨時休業」の張り紙が忌中のそれのようにそこかしこに貼られていた。いつも通り迎えてくれた友人の顔はしかし明らかに疲弊しており、地震で一度床に落ちて左上が映らなくなったTVは砂嵐の代わりのように津波の映像を繰り返し流していた。緊張と余震とそれらが混ぜ合わされた何かによって夜中に二三度ほど起きた。試験の最中も二度ほど地震があり、自信なく面接は終わり、軒先に緊急避難で古本が並ぶ神保町で三冊ほど古本を買って帰った。試験には落ちた。


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本日は大正琴の師匠がチャリティーコンサートをするということで市内へ向かった。エレキ大正琴は音が割れやすいのだが音の粒が綺麗にそろい、強弱のつけ方も見事で、情念も乗り、さすがお師匠と感嘆させられた。アコーディオンの抒情ある音色もまた素晴らしいものがあった。

昔を忘れないことと今をしっかり生きることは車輪の両輪である。どちらも出来ていない自分をどうすればいいのかを改めて考える機会となった。死ぬまでは生きているという当たり前のことをもっと噛み締めなくてはいけない年になってきているのかもしれない。

本題


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ゲストハウス太鼓屋での夜が更けていく。

太鼓屋さんは、いわゆる京町屋を活かしたゲストハウスである。旅館ではない。過剰なサービスはないが、タオルはついてくるし、シャワーは二十四時間使えるし、スタッフさんの対応はとても気持ちがいい。レトロな雰囲気がまるで映画のセットのようでしかしそれは見た目だけでなくしっかり生活しやすさの工夫がそこここにある。チェックインを一度すればあとはいつ出ようがいつ帰ろうが自由。別料金ではあるが自転車まで借りられる。この絶妙な緩さが今回の旅にばっちりはまった。

寝落ちから一時間、目が覚めた。何故か、答えはすぐそばに文字通り横たわっていた。妻の寝息がいつもの十倍は賑やかだったのである。読者諸賢も寝入りばなに耳元で掃除機を全開にされたら筆者の気持ちをご理解いただけることと思う。

自分の睡眠妨害はともかく、前述したように太鼓屋さんは京町屋のつくりを活かしており、この部屋も吹き抜けになっていて防音性は低い。他宿泊者の迷惑を考えて筆者がハラハラしていると、隣の部屋から外国語でのよりボリュームの高い会話と笑い声が聞こえてきた。もしかしたら「隣の部屋のいびきマジうるせえウケる」みたいな話をしていたのかもしれない。そうこうしているうちに妻の寝息は落ち着いてくれてホッとする。

ホッとすると、今度は果たして神社を回り切れるのだろうか? と心配になってきて、グーグルマップを活用し神社を回るプランを立てることにした。参拝自体は出来ても御朱印を頂く社務所は大体九時にどこも開き、妻は途中で別行動をとるため二時間程度で……と考え、粟田神社、豊国神社の二社を自転車を用いて参拝することとした。それには六時半に起床し朝食前にシャワーを浴びておくことが肝要である。とほわほわした頭でどうにかたどり着いた時は既に一時を回っていた。

途中二度起きつつも何とか六時半に起床した筆者は妻を起こし、上記をたどたどしく説明したが聡明な妻は理解したようであった。「ワタシ シャワー アビル」眠気の残る筆者にも伝わるよう単語を区切って話してくれた。

朝自宅を済ませ我々は「旬菜いまり」さんへと向かった。向かったというか隣である。太鼓屋さんに泊まっていると割引なのである。七時半に予約をしており、見る間に満席になった。目の前で我々の予約に合わせて着々と米が炊きあげられていく。


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見た目通りボリュームがあるのだがどんどん食べてしまう。米が主菜副菜に負けないくらいうまい。米だけで食べられるのでおかずを意識して多めに食べるようにしないといけないほどであった。

予約は三十分刻みで入っているらしく、いわば我々は七時半予約組という運命共同体……ロッター……と勝手な連帯感が芽生え始めていたが、これがまたうまくできていて、ちょうどよく八時ちょっと前に食べ終わるのである。素晴らしいお膳の組み立てぶり、鮮やかであった。次回は是非夜も訪れてみたい。

太鼓屋さんに戻るとちょうどスタッフさんが出てこられており、スムーズに自転車を借りることが出来た。一路粟田神社を目指すことにする。粟田神社は旅立ちのご利益があるとも言い、スタートにはピッタリである。

誤算としてはやはり京都は全土が観光名所ということで、ほぼほぼ直線というわかりやすいルートでありながら、あ、池田屋、やや、弥二さん喜多さん、とついつい足が止まってしまう。


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粟田神社は駐車場から更に坂道があり、これがなかなか梅田ンジョンで痛めつけた足腰に効いた。が、朝の清澄な空気も相まって上り詰めた先の眺望は素晴らしかった。


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粟田神社、鍛治神社、稲荷神社を詣で、御朱印をいただく。

御朱印巡りの ながい たびが はじまる……。


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豊国神社への大返しは途中、狭い道がありまた清水寺などメジャーな寺社も多いため京の道に我々同様慣れていない旅人たちが不規則な動きをするためにこまめなブレーキが筆者の膀胱に暴行を加えたりしつつ十時前に到着した。豊臣だなあという豪奢な感じの本殿である。宝物殿も気になったが今回は先があるためぐっと我慢。御朱印帳への御朱印を頂き忘れたのでそこも含めぜひ再訪したい。すぐ横の京都国立博物館が秋ごろ刀剣の展示を予定されているとのことだから、そこに照準を定めたいものだ。

無事妻を駅まで送り届けたが、困ったことに駐輪場を見つけられなかった。時間は迫っている。仕方なく、自転車二台を筆者が引き受けることにした。これがなかなかつらい。どうみても常人のふるまいではない。ともするとあらぬ方向へ自転車が向かってしまうので、身をかがめてじりじりと二台を少しずつ進めていくしかない。さながらゴルゴダの丘へ向かうような悲愴な姿であったろうが、「ドミネ・クォ・ヴァディス?」と尋ねられたところで筆者には「駐輪場です」と答えるしか術がない。あんまりしんどいので道すがらの人に声をかけ「ちょっと乗ってくれませんか」と言いそうになるところであった。しかし、逆に職務質問等されなくてよかったと今になって思う。誰も乗っていない自転車について聞かれ、「妻の自転車なんです」と聞きなれない訛りでもごもご喋る男の事情聴取なぞさぞ気味悪かろう。

どうにかしばらく行った先に駐輪場を見つけ、一台をそこに停め、残り一台に乗ってゲストハウスに戻り、再び徒歩にて駐輪場に向かって回収して事なきを得た。まだ十一時を少し過ぎたところであった。京都の時間の濃密さに慄いたところで一度記事を閉じたい。

落第阿房列車その二 あるいは梅田をぐるぐる巡る冒険

余談

さて、明日になったので続きである。読者諸賢と我々の間には時差があるようである。もしくは、叙述トリックの可能性がある。手記が出てきた叙述トリックを疑えという新本格コトワザもあるほどだから(ない)いわんやブログをや。

はい。すみません。また日が空きましたが続きを書きます。

本題

旅が、つづく。新大阪駅についた我々はその情報量の多さに呆然半ば朦朧としていたが、ともあれ古の格言「腹が減っては戦は出来ぬ」を金科玉条として、まずは腹ごしらえに取り掛かった。空腹――それは判断力の低下を招く非常に危険な状態である。

さすがというかなんというか妻の生魚レーダーはがんこ寿司さんを捉えた。店内はちょうど最初のラッシュが落ち着いたころ、といった感じで、入りやすさを醤油のように醸し出していた。板前さんと目が合った。優しいほほえみ。こうなるともう負けである。入店し、店員さんに手際よく荷物を預かってもらい、おすすめ商品の講釈を受けた。ネタも大きく昼時であるからか新鮮かつバラエティ豊かなネタが常に回っており、殆ど注文することなく回ってくるものだけで二人ともお腹いっぱいになった。白身魚が特に美味しかった。あまりに夢中で食べてしまい写真を撮るのを忘れてしまうほどであった。途中、企業戦士といった風体の方が慣れた様子でカウンターに座り、ほぼノータイムでビールを飲みだしたのを見て、その歴戦ぶりに慄いたりした。値段も「いい感じの寿司を食べましたねえ」という感じで、鹿児島で言うところの「めっけもん」的ポジションを彷彿とさせた。(比喩が分かりにくい)

さて出だしは好調、次は大阪駅へ向かわねばならない。というわけで乗り換えの切符を……アブナイ! 新幹線の乗車券は「大阪市内」が有効であり、即ち大阪駅の切符は買い足す必要がないのであった。無事快速に乗り、大阪へ向かう。女性専用車両があると、都市圏に来たのだなあと感じる。

大阪駅では荷物を預けるロッカーがすべて埋まっており出鼻をくじかれる。が、佐川急便さんの預かりサービスを利用して事なきを得る。いよいよ梅田ロフトへを目指すことになる。我々はまだようやくあるきだしたばかりだからな……このどこまでも深い梅田ンジョンをよ……。

 

地上世界に出た我々を待ち受けていたのは突然のクールポコ(ヨドバシ前で何かのプロモーションをしていたらしい)、まっすぐ行くと行き止まりで歩道橋を使わないといけないという交通事情、滑走するあのカート、島津必勝戦法釣り野伏を受けたような店舗群、どこからか鳴り響く救急車のサイレン……大阪の洗礼を全身に受けた我々は、梅田歩道橋で三分の休養を必要とした。


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人波に押されながらいつしか我々はその名も高き梅田ンジョンに足を踏み入れていた。視界の先に目的地は見えている。しかし、その前には文字通りの関門が、改札口が幾重にも取り巻いている。それをうまく避けつつ向こう岸にわたらねばならない……しかしどうやって? 我々は綺麗にワックスがけされた床に無数のしゃれこうべを幻視するのだった。結論から言えば我々はどうにか右手の法則を駆使することで地上への生還を果たした(途中、通れないかに見えた個所が実は掃除用のカートがたまたま道をふさいでいただけで実は通れる、ということがあったりし、「あ、これどこかでイベントフラグが動いたな」などとひとりごちたりした)が、途中空いている大型コインロッカーを見つけて悔しい思いもしたりした。しかし妻の

「ここに荷物置いたとして、取りに戻れる? 佐川さんに預けてよかったんだよ」

という言葉に救われた。うん、無理。ここ戻るの。

何度目かの地上では最寄りにゆうちょから出金できるATMがあり、読者諸賢はご存知の通り妻は鹿児島で出金を出来ず仕舞いであったので勇んで入っていった。中心街のATMは混んでおり、三ツイートほどしていると妻が浮かぬ顔で戻ってきた。カードがエラーが出たという。このATMは何社か共通のものであるので、ゆうちょ専用ATMを探そう、ということになった。近隣のファミリーマートに設置されているようであった。ちなみに鹿児島のファミリーマートには鹿児島銀行のATMが設置されており、筆者をはじめ鹿児島の務め人の多くはその為昼休みにファミリーマートに立ち寄り、出金し、ついでにファミチキを買ってしまうという悪魔のルーティンに縛られている。

ファミリーマートから妻がカードがエラーを続けて吐いたような顔をして出てきたので聞いてみるとやはりそうであるとのことであった。そうなると郵便局を攻めようとなり、最寄りの土曜日でも空いている郵便局へ向かうことにした。ビルの谷間から目的地である梅田ロフトの看板が「おや、よろしいのですか?」と言いたげに覗いていた。郵便局に向かうと反対方向になってしまうのである。悔しいが仕方がない。

が、これは筆者の完全なる勇み足であった。目指す郵便局は郵便業務しか扱っていなかったのである。「夫、もういいよ帰ろう」アウトレイジめいたことを妻が言い出したがしかし妻が出金できないと筆者の乏しい路銀で凌がねばならないのである。途方に暮れていたがとりあえず最寄りのウメダスゴイタカイビルこと梅田スカイビル地下にも郵便局があるということで、今度はそちらへ行ってみることにした。職員さんに案内されるままエレベーターに乗るとそこは最上階であった。いや確認しなかった我々も悪いのだが。折角なので我々を翻弄した梅田周辺を見下ろし手中にした気分になっていくらか留飲を下げ、特に郵便局に不満をぶつけ、(当たり屋めいた状態で梅田及び郵便局諸賢にとってはとんだ迷惑である)地下へ向かった。

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レトロめいた地下街はなかなか我々好みであったが、郵便局はその門を閉ざしていた。一方妻はその口を開いた。

「しょうがない……信金のカード試してみよう……(この間二分)ごめん、使えたわ」

妻! 多分だけどそれ、最初のATMでもいけたんじゃないかな!

ともあれ我々は出金成功し、妻の表情に平和が戻ってきていた。世の中にお金で買えないものはたくさんあるがお金で買えるものも沢山あり、具体的に言えばこれから梅田ロフトで妻が狩猟せんとする限定グッズもお金で買えるのであって、そのことを思い浮かべ安堵するのは致し方ないことであろう。再び同じ道を戻り、梅田ロフトへ向かう。期せずして色々な角度からの梅田ロフトの看板を見ることになり、梅田ロフトがターンテーブルに載っているかのような錯覚に陥る。


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活撃 刀剣乱舞の世界展」はまずロフトのレジでチケットを買って、しかるべきのち会場に向かう、という仕組みとなっていた。購入時にチケットホルダーがもらえ、妻は薬研藤四郎、筆者は三日月宗近であり、三日月宗近は妻の推し四天王にランクインしていたのでは屋速交換した。内容については筆者の語彙ではうまく説明できないが、やはり肉筆のエネルギーと、あれだけ滑らかに動いているものが一枚一枚の絵から成り立っているのだということに改めて驚かされる思いをした。また、劇中の執務室再現シーンでは写真撮影OKであったのでバシャバシャと撮影した。妻と推しのスチルのツーショットを撮っているとなんだか虚無であったがその後自分も撮ってもらったので良しとする。(陸奥守吉行が好きである)


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眼福の展示を抜けるとそこは限定ショップであった。こういったグッズではパターンではあるが中身が分からないリアルガチャめいた缶バッジやアクリルキーホルダーがあり、会計は会場を出たロフトのレジでしか行えない。会場は再入場不可であるから、中身の当てが外れた場合、再びチケットを購入し入場することになるのである。ロフト…恐ろしい子

筆者は無難にクリアファイル、缶バッジ、アクリルキーホルダーをそれぞれ二種類ずつ購入した。ふと妻に目をやると、先ほど出金したお金を全て蒸発されるかのごときお大尽ぶりであった。妻の稼いだ御賃金であるので好きにすればいいのだが、物理的な重量が気にかかるところでもあった。

会計中、筆者は横で会計をしている二人組に目が止まった。妻と同じくらいの女性二人組で、筆者が同僚であれば彼女らがはまっていると聞けば話を合わせるために刀剣乱舞を開始するであろう、というような可愛らしい女性であった。そのうちのお一人は薬研藤四郎グッズをやはりお大尽購入されており、チケットホルダーは鶴丸国永であった。

常日頃のコミュニケーション不全具合はどこへやら、気が付けば筆者はその方にお声がけし、自分とその方のチケットホルダーを交換していただいていた。ご丁寧に何度もお礼を言っていただいた。(お連れ様まで頭を下げられていた)収まるべき場所にものが収まっていることほど清々しいものはない。これによりもう一人、恩恵を受ける者がいる。読者諸賢はご存知の通り、鶴丸国永に思い入れ深い妻である。こちらも大変喜んでくれ、一方間違えば事案発生となっていたところをお声がけしてよかった、と思う。


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因みに階段にファンキーなアートがあったり、一階でも興味深い展示があったりしたが、日は傾き始めており、夜の梅田ンジョンはより攻略難易度が上がりそうだ、ということで我々は阪急梅田駅から烏丸駅を目指そうとした――が、この梅田でのぐるぐる道中により予定がずれ込み、三日目に予定していた阪神百貨店を今日のうちに行っておくことにした。

義理の祖父は広島生まれ、広島育ちであり、戦後の混乱を生き抜き、立派な教育者として広島に尽くした人である。そんな祖父が愛してやまない球団、それは勿論、阪神タイガースである。(義理の祖母はお手本のようなカープファンである)世の中の複雑さを感じるが、そんな祖父は三月が誕生月であるので、阪神グッズをプレゼントしよう、というのは妻は前から考えていたようである。

案内表示から明らかに毛色が違うグッズ会場に向かう。ちなみにエレベーターホールではバース氏が出迎えてくれる。


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妻「お祖父ちゃん助っ人外人が来るたびにバースの再来って言う」

無事誕生日プレゼントを購入し、途中気になっていたkiki工房さんに立ち寄る。このウサギ、何とも言えない顔つきではないか……流石にサイズの大きい陶器は今後も旅が続くのでためらわれ、代わりに釉薬が面白い四角い動物とブローチ、カメラのペンダントを購入した。ちなみにこの動物、何がモチーフか読者諸賢はお分かりだろうか。次回更新で発表したい。


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ということで阪急梅田駅に……ここで筆者を読者諸賢は押しとどめたい衝動に駆られたであろう、そう、大阪駅に荷物を預けたままなのである。危なかった。無事回収し、烏丸駅へと向かった。さらば、梅田。妻は明日また行くけど。

因みに流浪の記録がこちらである。一万八千歩歩きました。


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烏丸駅から宿泊先へのルートを阪急電車内で調べていると「22番出口で出る」と少なくとも22の出口があることを示唆し我々を不安へ陥れた。到着すると幸いにも22番出口はすぐ近くであったが、

妻「この波線で省略された部分がすごく長いのかもしれない」


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とまさかの身内からの一言で筆者はますます不安になるのであった(実際はそこまででもなかった)

地上に出て、グーグルマップを起動し、当たり前だが碁盤の目であることに感動したりした。


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宿泊先「ゲストハウス太鼓屋」さんは非常に雰囲気があるところであった。油断していると四千六百字を超えてしまったので、こちらについては次回の記事で詳述する。


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そちらに荷物を置き、我々は途中で目をつけていた火鍋屋さんへ向かった。店内に入ると上品な紳士が現れ、こちらでお待ちくださいと通される。


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いやいやこれジャッキーチェンが乗り込んで派手なアクションをするタイプの本格的な中華料理屋さんでは? とうろたえる我々。ドレスコードとかあるタイプのやつじゃないの?

そこから先の記憶はあまりない。ゆずサワーが濃かったからかもしれない。

まず前菜がとてもうまく、


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点心がうまく、


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勿論火鍋は殊更にうまく特にラム肉が絶品で、


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デザートの杏仁豆腐も最高だったことは覚えている。


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忘れていればよかった。ああ、あのラム肉がまた食べたい。

値段もあの立地あの味ならこのくらいでは安い、と思うほどであった。何故空いていたのか謎で仕方がなく、早速京都の狐に化かされたのかと思ったくらいである。

夫婦そろって浮かれ気分で逗留先へ戻り、1/1、2/2に続き3/3にブログを更新しなくてはという謎の使命感で尻切れトンボのブログ記事を作成し、妻の寝息をBGMに驚くほどスムーズに眠りについてしまった。以下次記事を待たれたし。

落第阿房列車その一

余談、あるいは後日談

さて今から三月三日から三月五日までの筆者と妻が鹿児島から大阪・京都へを行きて帰りし物語を綴るにあたり、まずはそこから随分と間隔が空いてしまったことの言い訳を始めねばなるまい。続きは明日ってお前の明日はいつなんだよという話である。本来ならば毎夜更新することでそのリアルタイム性をもって当ブログにおいて一つのエポックメイキング的側面を持つはずだったこの紀行について、簡潔な真実を言い訳として述べさせていただくとすれば、もう二泊三日の旅をした後少なくとも二日は充電しなければまともに動けないようになってしまった、ということである。ダイエットします。明日から。

本題

昨今のいろいろな事情により「阿房列車を読みたい」という機運が高まり、また「どうせなら列車で大阪に向かう道中に阿房列車が読みたい」とも思った。この辺りの事情についてはもう少ししてから「『ヒャッケンマワリ』マワリ」といったような記事でまとめたいと思うので詳細は省くし、読者諸賢においては釈迦に説法の類になってしまうが、ここから先を読み進めるにあたっては内田百閒というユニークな人が特に用事もないのに東京から大阪まで列車で行ったのだ、ということをお含みおきいただければよい。

残念ながら筆者はその様な大人(たいじん)ではなく、無論エチオピア人でもないから、大阪まで列車で向かうには何かしらの理由付けが必要であった。(阿房列車のコンセプトとしては落第もいいところなので今回のタイトルにつながる)今回大阪・京都に行くことが出来たのは様々な好条件が重なったからであった。

まず費用において、幸いにも21日前に切符を取得することで新幹線代がすこぶる安くなるキャンペーンをJR九州が開催してくれており、これに乗っかる形で片道13,000円というなんと広島までの料金以下で新大阪まで行けることが判明した。

また目的について、妻が刀剣乱舞について著しく沼に沈み込んでいることは読者諸賢においては周知であるが、大阪では「活撃刀剣乱舞の世界展」が梅田ロフトで、京都では北野天満宮で「宝刀展Ⅹと続『刀剣乱舞-花丸-』特別展」、粟田神社、豊国神社、建勲神社、藤森神社にて「京都刀剣御朱印巡り」が開催されており、また藤森神社では妻が特に思い入れの深い「鶴丸国永」の写しを拝観できるということで、妻が有意義な時間を過ごせそうであることがわかり、また妻と筆者それぞれのTwitterでのお知り合いに構っていただけそうな段取りもついたことで密度の濃さが確約された。

また日程についても筆者が振替休日を無事取得出来、妻も勤務日をずらせたことで、よし、三月三日から五日まで二泊三日で大阪・京都に行こう、ということを決めてチケットの手続きをしたのが二月半ばのことであった。

が、宿を決めていなかった。いや、実際はその日に軽く調べて、でも神社がメインだから朝早く出たいしそれだと朝食ついてたら勿体ないな、流石に早めだから予約どこも空いているな、と余裕をぶっかましてしまい、気づけばぎりぎりになってしまったのである。とうとう危機感の迫った我々は妻の楽天トラベルアカウントにすがり、宿探しに明け暮れた。あと一部屋を幾度となく逃し、取れたと思ったら支払い情報を入力しているうちに逃し、我々は疲弊していた。妻は情報がアカウント作成時(結婚前)のままであったので、はじめ所在地が「広島」であったのだが、「鹿児島」に変更した途端空き室が見つからなくなったので(実際はちょうど、人々が予約を取り始めようという時間だったのだと思われるが)学歴フィルターならぬ所在地フィルターがあるのではと毎度のごとく人を信じることを失いかけた我々を、とうとう一つの宿泊先が受け入れてくれた。旅館ではなくゲストハウスなのだという。最早泊まれるならどこでもいい、なんなら馬小屋でもいい、年取らないし、と思いかけていたのでそこまで深く考えずそこへ泊ることに決定したが、後々この選択が大正解であったことを思い知ることになる。

これにより我々は万感をもってこの台詞を発することが許されたのである。

「そうだ、京都行こう」

白鳥がその優美な動きを見せつけつつ水面下では激しく足を動かしているように、何気ない思い立ち旅行に見せかけたあれやこれやにもきっと周到な用意があるのかも知れない、あるいはこれが古都・京都の洗礼なのかもしれなかった。そんな陰謀論めいたことを思い浮かべるほど我々は既に関西に翻弄されていた。とりあえず家庭内では語尾に「どすえ」を使い、京都で一見さんとばれないようにしよう、という最高学府を出ている人間二人がたどり着いた全く隙のない京都対策が発案され、実行された。完璧どすえ。時に妻は「おきばりやす」をさり気なく会話に織り込むなど、もはや生粋の京都人と言っても過言ではないムーブを見せつけていた。よろしおすえ。

出発前日。本来ならば筆者の業務終了後お土産を買いに行く予定であったが、急な来客がありそれは果たせなかった。また、妻はその際ATMから出金する予定であったのでそれも叶わなかった。帰宅すると妻は既に筆者のキャリーバッグにあれやこれやを詰めていた。筆者は出来るだけ荷物はコンパクトにしたい質であったが妻は万全を期す質であるので妻に任せることにし特に確認はしなかった。自分の下着とシャツを詰めた。既にきゃりーばぐばぐはなにやらぱんぱん、といった有様であったがキャリーバッグとしては本領発揮をしている感があったので良しとした。明日の新幹線発車時刻は九時二分。広島行よりはだいぶ余裕がある。それでもいつも通りの六時半にアラームをセットし、寝た。京都へのプレッシャーからか四時と五時に目が覚めた。妻は太平楽そのものといった感じでいずれの時も寝ていた。タフどすえ。

さて当日、妻は「楽しみでなかなか眠れなかった」とパラレルワールドから来た可能性を示唆させる発言をしつつもしかし平日よりずっとぴしゃりとしっかり起床していた。もう一度荷物を確認し、出発する。カメラの充電器を一応……と心配になり取りに戻る。読者諸賢もお察しの通り今回の旅ではカメラの充電は必要なかった。人生はそういう風にできている。

出発時間は最悪の場合を想定していたものであったので駅へは特に問題なく着いた。前日に果たせなかったお土産を吟味する時間も十分にあった。駅弁も。チケットの受け渡しをするとき筆者が二枚とも乗車券、妻が二枚とも特急券という初歩的な間違いを犯しつつ、改札を抜ける。今回は指定席であったのだが、十分前にはやはりホームに並んでしまう。

たくさん用事を拵えて、新幹線に乗って大阪へ行ってこようと思う。

そういったわけで、二千六百字を超えていよいよ落第阿呆列車の出発である。本家阿房列車も四分の三くらい列車に乗る前の話であるので、そこに関しては先人を踏襲しているといえる。


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折角なのでいつもは席に座って新幹線が出発したら食べ始めてしまう駅弁も動き出してしばらくしてから食べることにした。具体的には熊本駅まで我慢した。その辺りで妻が車窓の遠くを見つめ始めたので駅弁分が欠乏していると判断し、食べるに至った。

筆者は牛肉めし、妻は枕崎めしを頼んだ。牛肉めしは赤牛黒牛が食べ比べられてお得であったし、枕崎めしは釜飯がとてもおいしく、ごはんをおかずにごはんが食べられてしまうレベルであると感じた。

車内放送で次の停車駅が広島であると告げられ、一瞬身構えるがそういえば今回の旅はここでようやく半分程度なのである。ちょうど前の座席の方が降りられた。なんだか取り残されてしまったような気分になる。
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久しぶりに肉眼でマツダスタジアムを見る。今年もカープには頑張ってほしい。
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岡山駅では「もんげー 岡山国際サーキット」が「んげー 岡山国際」となっており、岡山国際がなんだかエンガチョみたいな逆広告効果が発生していた。筆者のように、普段岡山を訪れない層=新幹線利用者の目線から見て刺さる広告を用意することが急務であると感じた。

姫路では車窓から姫路城がジャストの位置に見えたものの、アングル的に見ず知らずの企業戦士を激写してしまうことになるので流石にためらわれた。車内放送で「新神戸」などと言われ出すと、アウェー感がひしひしと漂いはじめる。

 

この辺りから「阿房列車」を読み始める。百閒先生は「山や川の見え方でだいたいどこを走っているかわかる」というが、筆者は新神戸を抜けた以外に素朴な辺りを筑後船小屋の辺りですと言われてもあっさり信じてしまいそうだなと感じた。そういえばミステリーの古典にそういうトリックがあったように思う。

いよいよ新幹線は終点、新大阪へと到着した。が、我々の旅はまだ始まったばかりであり、落第阿呆列車も乗り換えである。打ち切りにならなければ明日に続きます。

 

一月はいじらしい、二月はにくい、三月はさみしい

余談

お陰様でこのブログも三ヶ月目に突入した。いわゆる人気記事としては検索流入で多いのは相変わらずへうげもの最終巻感想で、Twitterはてなブックマークからは前回の弁慶丸さんの記事であった。前回の記事はありがたいことに今までで一番反響があった。素材がいいと調理する人間がいかに筆者のようであろうといい感じになると言うことであろう。

前回の目標として、天才柳沢教授の生活にについての記事はまだ書けていないので(その記事の余談が前回の弁慶丸云々となるはずであった)今月へ繰り越し宿題としたい。

今月の目標としては他に、大分太ってきたのでダイエットの過程を記事にしていきたいと思う。

また無双8、モンスターハンターワールドも一区切りしたら記事にしたい。

本題

明日に続く!(追記します。とても眠いんです。すみません。)