カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

「とうとう来た」よりもお前は一生逃走劇だ、あるいはゴールデンカムイ一気読み

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余談

月曜日というやつは四天王の最初の敵みたいなところがあって、週の序盤から我々を苦しめるくせに、いざ祝日になって味方となるとあっという間に弱体化していつの間にやらもう二十一時である。近頃すっかり体力がなくなってしまって昼食後シェスタをしてしまい、目覚めると個人的にはもしかしてもう死んでしまっているのではと思っていた平尾龍磨容疑者が広島市南区で確保されたというニュースが速報で飛び込んできた。二十三日の逃亡生活だったということで、見た目も随分と削ぎ落とされていたが、それ以上に精神をすり減らしたのだろうなと思う。もう少しでGWの人ごみに紛れてさらに遠方へと逃げられてもおかしくなかったわけで、無事捕まってよかった。

彼が二十三日かけて辿り着いた広島市南区から元の刑務所まで、戻るのはわずか数時間に過ぎなかった。世の無常を感じる。そこまでして抜け出したかった「刑務所内の人間関係」とは一体どんなものなのだろう。筆者にはちょっと想像がつかない。

脱走と言えば筆者が広島にいた時分にも広島刑務所から脱走があった。殺人未遂で収監されていた人物であり、筆者は大いに怖じ気づきその日返却予定だったDVDを延滞してでもひきこもるかどうか大いに悩み、結局びくびくしながら夜道を歩き、僅かな物音にも過敏に反応し、恐らくは脱走犯以上に不審者に成り果てていた。途中、貼り紙を見たときは叫びそうになった。

その脱走犯は翌日だか翌翌日に確保されたが、その現場が当時の下宿先から自転車で五分ほどであったことは今でも筆者を思い出し戦慄させる。

もともと懲役二十年以上だったはずだから、今も塀の中にいるはずである。冬に脱走したためか、かえって刑務所のありがたみを知ったというような話も聞く。どうにか心を入れ替えていてほしいものである。

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本題

ちんちんぬきなっもしたなあ

集英社刊・野田サトル先生著ゴールデンカムイ10巻より

 

余談が、めずらしく本題の前置きとして機能しそうである。そういう訳で引用した台詞のような感じとなってきたところでゴールデンカムイの話を始めたいと思う。えっ急に幼児めいた破廉恥さを出されても困るって? さにあらず、ひいてはゴールデンカムイをごろうじろ、と言ったところであるが、さておきゴールデンカムイの話を始めたいと思う(二回目)

 

明治末期、北海道。それは古き良き時代では決してなく、未だ近代になり切らぬ中世の断末魔が響き渡る土地――あるいは人が最も近くまで自然に畏敬の念を抱き、受け入れ、共生しようとしていた場所。地獄の釜の蓋が開きそうな、はたまた地上の最後の楽園でありそうなここを舞台に日露戦争帰りの兵隊、杉元佐一を主人公として物語は幕を開ける。

話の筋は判りやすい。ある男が宝の地図を24人の囚人に刺青として分割して彫った。それを(刺青人皮と呼ばれる)――刺青を彫られた囚人の生死を問わず――集めたものがお宝、すなわちアイヌの金塊を手に出来るということで、それを巡って冒険活劇が繰り広げられる……というものである。

ワンピースで例えると生ポーネグリフを集めるみたいな感じだろうか。

ドラゴンボールで言うとドラゴンボール自体が遺志と悪意を持って動き回っているようなものか。

多重人格探偵サイコのバーコード人間を集めたら特典が付いてくるみたいな。

無理矢理ほかの作品に例えようとしたところでろくなことはない。さて上記の大筋だけ見ればちょっとスパイスの効いた単純明快な痛快活劇のように思えるが、実際はとんでもないことになっているのである。

何故か。キャラクターが濃すぎるのである。煮詰まっているのである。

特に刺青を持つ囚人たちのキャラクターは筆者の心をとらえて離さない。

余談・再び

美しい話である。

筆者はかつて妻(まだ彼女だった)の部屋にお邪魔したことを思い出す。彼女の本棚には「FBI心理分析官」が何気なく置かれており、「あ、私はこの人と結婚するんだ」と感じたものである。

 

FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記 (ハヤカワ文庫NF)

FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記 (ハヤカワ文庫NF)

 

本題再び

 そんな訳で登場する囚人たちはサイコキラーをモデルにしている人間が多く、筆者のような人間にとっては元ネタに思い当たってなるほど、と思いつつ、サイコキラーの存在感の恐ろしさに改めて慄然とする。ベクトルは全然違うが、「モデルのキャラが濃すぎて創作世界でもなんか盛った風に見える」という意味では実在棋士を多くモデルにしている3月のライオンスピンオフ・灼熱の時代のキャラクターたちに通じるものがある。いいよね……田中名人。

例えば劇中では既に死亡している「三十三人殺しの津山」は明らかに「津山三十人殺し」の都井睦雄がモデルであろうし、辺見和雄はヘンリー・リー・ルーカス、家永カノはH・H・ホームズだろう。姉畑支遁は無論シートンに違いあるまい……シートン先生への風評被害がとんでもない。刺青の入った囚人はあと九名ほどいるはずなので、アルバート・フィッシュテッド・バンディジョン・ウェイン・ゲイシー辺りをモデルとした人物が出てくるのではないか、とにらんでいる。他にもモデルに採用された人物はクヒオ大佐や絶対に食事中に見てはいけない、食事中じゃなくても出来れば知らずに済ませたいエド・ゲインなどそれぞれがとんでもないエピソードを持った人々であるから、ゴールデンカムイも必然混沌とした闇鍋テイストを醸し出す。しかしそのコクは無類である。

闇鍋、という単語が出て来たがゴールデンカムイを他の漫画から出藍せしめている要素の一つがアイヌの文化の丁寧な描写、特にその食文化についてである。生き物への感謝と食べたさが同時に湧き上がってくる。筆者個人としてはルイベがとても食べてみたい。将太の寿司で初めて見て以来ずっと食べたい。

ゴールデンカムイは血沸き肉躍る物語であるがしかし、話の底には恐ろしいほどの冷たさが流れている。それは舞台のせいではなく、主要登場人物のほとんどがお膳立てされた死に場所で死にきれなかった人物だからであろう。いわば彼らは半死人であり、「きっちり死に切る」ために金塊を求めているといってもいい。彼らが「死に切る」のか「生き返る」のか、今後も興味が尽きない。一気に十三巻読んでしまったので、次の単行本が恐ろしく待ち遠しい。

筆者のWikipediaにリンクを張る時点で疲れてしまってイマイチ精彩を欠くレビューで読者諸賢が読みたくなってきたかどうかはわからないが、幸いにして5/10まで引き続きkindleでまとめ買いセール中であるから、(クーポン取得の必要があるのでご注意されたし)是非ご一読いただきたい。胸焼けするほど濃い読書体験があなたを襲うはずである。

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