カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

フクースナ&ヒンナ! あるいはゴールデンカムイ17巻感想

ゴールデンカムイ 17 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

余談

時系列に沿ってブログ記事を進めていきたい、いきたいのだがやはりゴールデンカムイ17巻の感想はせめて刊行から一週間経たないまでに記事にしておきたかったのでご容赦願いたい。

今回も限定版と電子書籍版を購入した。電子版では裏表紙の勇作さんが拝めないのは今巻の根幹(突然の押韻)に関わる部分であると思うのでそろそろ対応してほしい。同じ集英社でもジャンプコミックスはこの辺り行き届いていた記憶があるのだが。

同日に実家にて「3月のライオン 14」と「ドリフターズ 6」も拝読し、良質な物語に打ちのめされたのでこれらもそのうち記事にしたい。記事にしたいことが沢山ある人生で有り難いことである。

そういう訳で、以下、ゴールデンカムイ17巻までのネタバレが乱舞します。

 

 

 

本題

色々が交錯する17巻であった。着地点が見えたかと思えばまた見えなくなる。見えている、近づく交差点にどきどきさせられ続けた。また、各々の人物たちにとってやはり「日露戦争」というものがどれだけの転機であったかと言うのを改めて思い知る巻でもあった。

 

日露戦争延長戦―敵を信じ、そして決して信じない戦い

前巻の衝撃のヒキから続いて展開される日露スナイパー対決。時々工兵。尾形を相手取るロシア側の狙撃手・ヴァシリは実在の狙撃手であるヴァシリ・ザイツェフがモデルであろう。あのハリウッド映画「スターリングラード」は彼の伝記が元であるという。

お互いを一流と認めた狙撃手の心理戦は息が詰まり、1ページ1ページをめくる手がもどかしい。

朝の光が足音、ウイルタの棺といった真実を映し出したかに思えたその瞬間――それこそが必殺の瞬間であった。ただし、尾形にとっての。

尾形は人を信じない。臆病なほど慎重であるその性質は狙撃手としてピッタリであり、人間として最低である。

尾形は人を信じない。信じないからこそ、同じタイプと認めたヴァシリをギリギリまで信じる。その二律背反の危うさが尾形にはある。高所の細い足場を好んで渡る猫のような。そして紙一重の所で、相手を信じない。いや、相手が自分を信じ切らないことを信じているのかもしれない。

紙面の向こうの耳が痛くなるほどの寒さと静寂さが伝わるようだった。そこに響く銃声も。その後に尾形が必殺の一撃を打ち込むために銃身を動かす音さえも。

全てを終えた尾形の表情がどこか寂しげに見えたのは同類を見つけたと思ったがやはり自分に及ばなかったことによるのだろうか。

しかしバトル物と言うかこういった漫画の宿命だが勝手に阿仁マタギの株が上がる結果にもなった。勃起!

優しさと言う毒

静かなる激戦の後、高熱を発して尾形は昏倒する。

回想、日露戦争時。再び「勇作殿」との歪な兄弟関係が紐解かれる。

「男兄弟というのは一緒に悪さもするものなんでしょう?」

自分を「兄」と慕ってくれる「弟」へのこの意趣返しはあまりに残酷だ。しかし弟は葛藤の末、兄ではなく国家を、あるいは父を選ぶ。

顛末を見届けていた黒幕はやはり鶴見中尉。「たらしこんで見せましょう」という尾形の表情は以前花沢中将を暗殺した時の鶴見中尉へのそれとは違うように感じる。

この頃はまだ鶴見中尉に純粋に父性を求めていたのかもしれない。(そう考えると「たらしこんで見せましょう」と中将暗殺時の「たらしめが……」の呼応が物悲しい)

その表情が鶴見中尉の「血統」への煽りで変わるあたりはやはり情報将校恐るべしと言ったところだろうか。

華々しく激戦区で勇猛に旗手を務めあげる勇作殿。その姿に師団の人々は心を掴まれていく。一方、尾形は孤独に狙撃手をこなす。誰からも労わられることもなく。惨い対比である。そして勇作殿が信頼を勝ち得ていると知った尾形は、彼を「殺さない方向で」行くことを了承するのだが……。

勇作殿は戦場の俗語的な意味でも「童貞」であった。捕虜殺害を強制しようとする兄。拒絶する弟。(重大な軍紀違反だから当然である)自分と同じステージに降りてきてほしい兄。兄は自分と同じステージにいるはずだという弟。

それは0の人間だから言える論理である。1と10よりも、0と1ははるかに違う。殺したことがあるかどうか、というのは。ましてや尾形は幼少期に既に「1」を経験した人間だ。杉元ですら、自らの戦争での殺人を肯定するのに多くの理由を必要とした。尾形の場合であればもはや麻痺したと言ってもいいだろう。欺瞞で固めた自分を正論と言う熱湯で溶かそうとし、優しさと言う毒で侵そうとする弟。

それはそのまま自分が得られなかった父の愛を一身に受けたからだと容易に想像が出来る。自分がこの世に必要な人間だと肯定されて育ってきた人間。勇作殿の流す涙はウソ偽りなく清い。だからこそ、尾形には水銀以上に有害であったに違いない。

だから。尾形は、読者諸賢は知っての通り勇作殿を撃ち抜く。その祝福された道を邁進する弟が倒れたのなら、その道を自分がなぞれるのではないかと思って。尾形の論理はいつだって一貫している。撃てば、その先何かが得られると。

しかし実際はそうはならなかった現実を反映してか、回想は事実通りではなく、勇作殿は倒れず、こちらを振り向いて終わる。祝福された道を塞ぐように。

そして尾形は目が覚め、勇作殿の姿がアシリパに重なる。母性として、異性としてアシリパを見ているのかとばかり思っていたが、「自分には眩し過ぎる異物」として勇作殿と同じカテゴリにアシリパを認識してしまったのなら今後が不安である。

走る白石・走る亀裂

なんだかんだでゴールデンカムイと言うのは杉元・アシリパ・白石の三人がコアなのだなと思わされる。

白石は決して善人ではない。けれどここぞというとき、白石……!としか言いようがないことをしてくれる。今回もそうであった。歴戦のジャンプユーザーである読者諸賢であれば、ジャングルの王者タ~ちゃんのアナべべを思い起こすかもしれない。

三人そろって再会してほしいものである。

他方、不吉な亀裂も走ってしまった。様々フラグを立てているし、尾形なのかな、と思う。ヒンナしてしまったし。ただ、野田先生も最近キャラに愛着が湧いて殺しづらくなっているのかな…? と思うことはあるし、未来は変えられるというのはゴールデンカムイのテーマの一つのようにも思うので、単純にメンバーが死ぬ、という訳にはならなそうなのもこの漫画の面白さではあるのだが。

貴公子、相変わらず奇行し。

「白くらみ」に襲われる杉元一行。地面にたき火を埋めたり秘蔵っ子カネモチを振る舞うなど思い出したかのようにマタギポイントを稼ぐ谷垣。カネモチを思い出す杉元には思わずニヤリとさせられる。

極限状態で思い出されるのはやはり日露戦争の記憶。失った友。殺し、戮し、弑した記憶。血と闇の記憶の中で呼びかけるもの――それはやはり、アシリパであり、杉元にとってもそれは光であるのだった。この辺りのアシリパを軸とした尾形と杉元のシンクロ性がどう決着するのかが一つの争点となるのではないかと思っている。

我関せず燈台をエンジョイする貴公子・鯉登の行動で杉元一行が燈台の光だと察知して初めて本筋で役に立った気がする貴公子であった。スーシュカはお茶うけにとても合う! ちなみに手に引っ付いた金づちがどうなったかは是非限定版を購入しておまけ質問箱で確かめてほしい。そこだけ濃厚な描写が見られるので必見である。

ペリメニボルシチが出てきてまたも以前紹介したシベリカ子さんの著作を思い出し勝手に懐かしくなる筆者であった。

杉元一行を救ったのも、燈台守家族を絶望の淵に沈めたのもまた、日露戦争が発端であった。夫婦に幾許かの希望と、不審な写真を残して一行は出発する。

再び監獄へ

そして三十秒で支度させそうな女傑が史上まれに見る嬉しくないお胸様とともに登場し、再び監獄にて一同が集結する気配を醸し出しつつ次巻に続く。

個人的にはロシア皇帝まわりの過去があくまでキロランケ視点でしか語られないので、もしかしたら真実とは微妙に違うのでは? と考えたりもしている(ウイルクとキロランケの役割が逆とか)日露戦争と手投げ弾の関係(ゴールデンカムイではキロランケ発祥)など、歴史にウソを混ぜ込むのが上手いなあと相変わらず思わされる。ともあれ次巻もまた楽しみに待ちたい。