カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

かごんま弁警察がやってくる んもすッ! んもすッ! んもすッ! あるいはゴールデンカムイ14巻感想


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余談

大迫勇也さんが(おお、変換候補に出て来た)半端ないということで、同郷人のはしくれとしては嬉しく思う。

思い出す、あの鹿児島城西VS広島皆実の決勝戦を。当時筆者はこともあろうに広島皆実高校のすぐそばでアルバイトをしており、休憩時間に小さなテレビで完全アウェイの中鹿児島城西を応援したが、空しく敗れたことを残念に思っていた。その後、一人二位のメダルを良しとせず、すぐ外した選手がいた、ということがネットニュースか何かで知った。それが大迫選手だとは今日のワイドショーで知った。

筆者が時々お邪魔していて、このブログでも取り上げたことのある「わっか」のご主人は大迫選手と親交があり、店内にサイン入りユニフォームがあったりもするのだが、「鹿児島城西のサッカー選手」と「日本代表の大迫勇也さん」はその時点では筆者の中でつながらなかったのだった。まさか年下だったなんて……。

関連して2010年の南アW杯を思い出した。深夜の放送、友人宅に集まり、ファストフードを持ち寄って眠たい目をこすりながら、リアルタイムで日本の勝利に歓喜し、岡田監督に皆で謝罪した。あんなに沢山あったW杯とコラボしたマックのグラスは一体どこに行ってしまったのだろう?

あの頃筆者にサッカーを解説してくれた友人たちは今、それぞれの場所で戦っている。そういえば、あの場にいた奴らいつの間にか既婚率100パーセントだな。あの頃は飲み明かすたびに女なんてとほざいてたあいつがねえ……となってくるとこれまた同郷、長渕剛さんの世界になってくるが、今や十年近く前になってしまった、筆者の数少ない大学生らしい思い出たちを呼び起こさせてくれるあたり、やはり大迫さんは半端ないようである。

本題

ゴールデンカムイ14巻収録分(第140話)までのネタバレがあります

門倉さんのCVは藤原啓治さんがいいなあ(挨拶)という訳でゴールデンカムイ14巻は一週間前からkindleで予約注文し、今か今かと夫婦で待ちわびていたのだが、当日は「ストアでは購入したことになっているのにライブラリには表示されず、ダウンロードしても0%から進まない」という状況に悩まされた。ストアランキング一位だったりしたので混雑していたのだろうか?

今回も濃密、あっという間に読み終わってしまい、尾形を敬愛する妻がすでに限定版を予約済みの9月発売の15巻が待ち遠しくて仕方がないといったところである。15巻収録分以降は、大体、封神演義外伝のために買い始めたころと被るので空白を埋められるのでは……と考えたがそうするとそれまでヤングジャンプを買い続けることになるのか……。筆者はついていけるだろうか、外伝のないヤンジャンのスピードに。

ともあれ15巻、筆者はゴールデンカムイを語りたい、同好の士と大いに語りたいのだが、大体本誌基準に皆さんは話を進めているので軽くネタバレを被弾したりしてこの様なネットの隅っこで細々と単行本基準のネタバレをしようという次第である。同じ境遇の方がいたらお話ししましょう。

第七師団の吶喊

狂気が交錯する網走監獄、その中でも相変わらずダントツの狂気を秘めているのは鶴見中尉であった。監獄側を鏖殺すること前提の中央への弁明が淡々と出てくることの恐ろしさ。その提案を粛々と実行させる統率力の恐ろしさ。監獄側が放った禁じ手、凶悪犯たちの解放を文字通りなぎ倒していく第七師団は正しく鬼に会えば鬼を斬り、仏に会えば仏を斬る最強の部隊であった。血化粧を纏っていく見開きの第七師団は、恐ろしくも荘厳ですらあった。

犬童の呪縛

他方、土方チームは「本物ののっぺらぼう」の元へ向かう。それは教誨堂。ま…まさかシスター宮沢が「本物ののっぺらぼう」……!?ということはなく、そこでは犬童が待ち構えていた。鎖の先に鉄球をつけての訓練は来る鎖デスマッチのためであったことがわかる。教誨堂で「死が二人を分かつまで」と言わせるセンスには相変わらず唸らされる。

ちなみに実際の網走監獄の教誨堂は重要文化財となっている。

www.kangoku.jp

漫画に出て来たそのままでテンションが上がる。行ってみたいなあ網走監獄。ちなみに今回の表紙写真は近所のショッピングモールで売っていた受刑者の作業で作られたスマホケースである。この頃はゴールデンカムイにハマる前だったので助かった。今ならもっと散在してしまっていただろう。

犬童が自分を肯定するためには「土方の屈服」が必要だった。が、それはいつまでも果たせず、逆に自らが土方に屈服することになる。が、その時の犬童の表情はどこか満足げである。もし兄が死んでいなければ、土方についていったのかもしれないとすら思わされる。「アンチは一番のファン」という言葉があるが、犬童も土方のことを調べるうちにある種憧憬が育っていったのだろう。が、それは自分の存在意義と両立しえない。どころか、兄の死を汚すことにすらなる。その並び立たぬ矛盾をようやく解決できたことに対する安堵の笑みだったのかもしれない。鎖に縛り付けられていたのは犬童だったわけである。しかし、地下室を見るに門倉さんスパイもろばれですね。

マタイの銃弾

真ののっぺらぼうはやはりアシリパの父・ウイルクだった。キリングマシーン・杉元のアシリパを人殺しにさせるのか、という叫びは悲痛である。チタタプしてヒンナヒンナしていてほしい。ほのぼの杉リパは公式。戦場から自分の魂を連れ戻してくれそうなアシリパを戦場にぶち込もうというのだからそれは怒りたくもなるだろう。

更に核心に触れようとするとき、一発の銃弾が正確にウイルクを射抜く。尾形である。続けて杉元も。それを手引きしたのはキロランケ。以前、最後の晩餐モチーフの構図があったときユダのポジションであったので気になってはいたが、やはり、といった感じ。覚悟はしていてもやはり残念である。一緒にラッコ鍋を食った仲じゃないか……。

自分で狙撃しておきながら、尾形は素知らぬ顔でアシリパとともに網走を後にする。やっぱり母性に飢えているのだろうか。

そして樺太へ……

まあふじもと(不死身の杉元の略)は生きているんですけど。谷垣の写真と間違えるのがギャグなのかマジで脳が損傷しているからなのかわからないのがこの漫画の恐ろしいところである。正しく呉越同舟の中、未知の地で未知のなんかモフモフしたのが出て来たところで次巻に続く……ということで続くが気になってやきもきしてしまう。収録最終話である140話はたまたま前回触れた筆者の推しメンである田中美久さんがヤンジャン表紙になった号であったので家にあり、読んでみたが最後の凶暴なモフモフが単行本でかなり緻密に修正されていたことがわかり驚いた。樺太ヤバイッ! 

他にも見つけられた加筆修正点として、

・フレップワインを連載時は中身が入ったまま投げている

樺太アイヌの女の子のマキリの反りが逆

・ヒグマもより緻密に

などがあった。てっきり谷垣の胸毛の増毛だけだとばかり……野田先生すみませんでした……。

表題について

さて今回は鯉登少将と杉元が語るシーンがあった。劇中で一番まともな「父」ではなかろうか。さすが野田先生、かごんま弁の再現度も素晴らしいのだが、それ故にほんのわずかな部分が気になったので現地住民としてはこのニュアンスの方がよいのではないか、というのを書いてみる。あくまで平成三十年の二十代男性の鹿児島県民の思うニュアンスであって、これが絶対という訳ではないのでご留意願いたい。

指揮官には大勢の若い命を預かる責任があっど

せがれには我から進んで困難に立ち向かい相応しい男になっくんやんせ

(中略)

娘ば利用しようちして育てたんとは絶対違どと思うちょります

――集英社刊・野田サトル先生著「ゴールデンカムイ」14巻 181.182Pより引用

さて読者諸賢、このかごんま弁の不自然な部分がお分かりになるであろうか。わからなくても大丈夫である。世の中で大切なことは梅雨時に張り付いてムカつかない肌着の選び方くらいなのだから。

標準語に直してみると、下記のようになる。

「指揮官には大勢の若い命を預かる責任がある

 せがれには自分から進んで困難に立ち向かい相応しい男になってくださいませ

 (中略)

 娘を利用しようとして育てたというのは絶対違うぞと思っています」

即ち、「あっど」「なっくいやんせ」「違ど」が文脈として不自然な単語である、ということになる(文脈として不自然なだけであってかごんま弁としては存在する)

「あっど」というのは標準語訳の通り常体であり、少将は杉元に対し基本的に敬体で話しているのでここでは「ありもす」が無難ではないかと思われる。ただ、他にも会話中で常体、敬体の揺れは見られるのだが、この会話は少将が自分自身に言い聞かせている側面もあるように見えるのでここ以外では特に不自然さは感じなかった。

「なっくいやんせ」は確実に適切でないといえる。この場合は「せがれ」に対してかかるので敬体であるこの言葉は不自然。「ください」と「ほしい」の意味の取り違えがあったのだろうか。これも「なってほしか」、「なってほしかちおもうちょります」などでよいだろう。

「違ど」というのはそれ単体で強い否定のニュアンスがあり、また「ど」というのは文末に来るときに活用される。既に「絶対」が使われており、また分の途中であるのでここで「違ど」が使われるのは違和感がある。(体言止め的な用法としても通所あまり使わないのでやはりむずむずする)直すとすれば「絶対違っち(ちごっち)思うちょります」あたりだろうか。かごんま弁は「動詞の促音+ち」で「~(動詞)だと」といった活用をされる。

まあ難しかこた考えんじ、いっど、薩摩におじゃったもんせ。

蛇足・妻の感想

公式がここまでやられたらもう…何も言えない(拝みながら)