余談
以前、こんな記事を書いた。
えっ……半年前……?
そこからなかなかタイミングが合わず、というかもう展開が凄まじすぎて振り落とされないことに精いっぱいで、記事を書くことがなかったし、今日も他の記事を書く予定だったのだが、しかし深夜に衝動をぶつけるための場所としてここを構えていることを思い出したので走り書きで申し訳ないが記しておくことにする。
本題
※鬼滅の刃全体の致命的なネタバレがあります。
ということで鬼滅の刃本編が完結した。
SEO的には題名に「ついに完結!」とか「最終話!」とか入れて煽ったほうがいいようにも思ったのだけれど、少なくとも筆者は「クライマックスとは言うものの果たして最終回なのか、それともいわば『現代篇』のようなものが開幕するのか」と言ったところまで含めてドキドキしていたので、あえて伏せさせていただいた。まあ、夜が明ければこれだけの話題作、ニュースなどでも言及されそうだけれども、自分の城でくらい辛いニュースが夜明けとともに街に降ることに抵抗してもよかろう。
本誌展開を追うようになって大体半年、いつも読むときはドキドキさせられっぱなしだった。今回はあくまで205話を中心に述べたいので詳細は省くけれどもハチミツとクローバーの竹本君母よろしく今度は丈夫な人を選んだと思っていた推しが痣によって死が避けられそうにないことがわかったり、ラスボスが変身したり、と思ったらおじいちゃんになっただけだったり、面白黒人枠だと思ってた子さえ容赦がなかったり、からくりサーカス以来のどす黒い太陽ぶりに慄いたり、えっ…日本一慈しい鬼退治ってそういう……?(読者にやさしいとは言っていない)となったり。まさしく枚挙にいとまがないとはこのことであろう。
とりわけ筆者が一番恐ろしかったのは前回であった。(その次は「究極生物(アルティミット・シィング)無惨」が誕生しそうでしなかった回)ついに大団円、エピローグ……。そう予感するからこそ、一ページ一ページに幸せを感じるからこそ、「もしかして次のページで関東大地震が起きるのでは」「急に戦争が始まるのでは」とじくじくと胃が痛かった。大体黒賀村のせいである。(鬼滅の刃には色濃くジョジョの影響があることが指摘されており、実際筆者もそう思うが、吾峠先生の作風には藤田先生のイズムを筆者は個人的には強く感じる。「少年少女に夢と希望を与える前提で心をバッキバキに折に来る」あたりとか)
しかしありがたいことに平穏に過ぎ、けれども時代が一気に飛んだ。頼む……頼むから一度くらい月曜の朝を安穏と迎えさせてくれ……!筆者は前回、ほとんどそのように叫びそうであった。輪廻転生を描いて円満終了なのか? 新たな脅威が現れ新世代編となるのか? 今までのことはすべて忘れてキメツ学園編がはじまるのか? それとも……?
そして迎えた今週。筆者の愛するJOJOスマホはだいぶ前に対応機種から外されており(俺をおいていかないでくれェーッツ)、またジャンプブックストアは例外なく落ちているので最近は妻のiPadから購読するのが常であった。もちろん、妻が先に読む。どよめき、呻き、慄き、さまざまな音を発したのち、妻は筆者にiPadを手渡す。
コガラシさんを絶対に救わなくちゃ……!(妻がネタバレに配慮してカラー版の一つ前のページまでスクロールしてくれていたのである)。
開幕。時は現代。見知った二人の面影がある、初めて見る二人。ページを繰る度、そういった人々が増えていく。平和な世界で、生きてほしいと希った彼ら彼女らが躍動している。いや、実際には本人ではない。それはわかっている。しかしそうして連綿と命をつなぎ、そして謳歌することが鬼には決してできない、人類の手段なのだ。こうしてあることが、人類の完全なる勝利なのだ。無惨を滅したというその事実にあって、人類は負けなかった。しかしここにおいて間違いなく勝ったのだという感慨を、筆者は胸の奥じんわりと抱くことができた。
途中、「青い彼岸花」についても言及がなされた。「昼間だけ咲く花」ということで鬼たちがどれだけ必死になっても見つけられなかった理由が明らかになったわけであるが、それをうっかりミスであるとはいえ「全部枯らして」しまったことは、我々にそんなものを必死に守ったり奪ったりする時代はもう終わったんだよ、と伝えようとしてくれているようにも思えた。研究者自身は先祖返りというか帰巣本能というかが見られているようであるが。
こういった輪廻転生を描くときに、世代を固定しないのは新鮮だった。個人的には小林靖子脚本味を感じたりもしていた本作品だが、仮面ライダー龍騎を想起したりもした。
個人的には村田か愈史郎が語り部となっていくのかと思ったが、善逸が「嘘小説」をものしていたのは驚いた。でも、もしかしたら禰豆子に伝えるために書いたのかと考えると納得がいくように思える。
あの時代から生き続けているものがいる。愈史郎は予測はできていたもののしかし長年風貌が変わらぬアーティストというとやはり筆者としては荒木飛呂彦先生を思い浮かべてしまい、最後に作者まで織り込んできたか……!と邪推してしまう。しかし少なくとも821枚は描いているわけでめちゃくちゃ創作力が旺盛である。見習いたい。「無惨が死んだら鬼はすべて死ぬ」は無惨のリアクションから考えると真だったようであるが、愈史郎は経緯が違うから例外だったのだろうか。
今一人は恐らくは産屋敷家の当主である。これもまたさりげなく書かれてはいるけれども、鬼を生み出したことによって代々短命だった一族が、鬼を滅しきることによってそれまでの連綿と奪われていた寿命を取り戻したことにより長寿となっているのかと思うとまた胸が熱くなるものがある。
偏愛している村田がぱっとわからなかったのだが、最後の門を閉めようとしている教師なのだろうか? 転生後は義勇と関係がなくなってしまった村田……。
ラストシーン。刀は鞘に納められ、髪飾りと共に飾られている。鬼滅の刃はもはや振るわれることはない。彼らは使命を果たしたのである。
まさか最後の最後で物語の余韻に「学園物の最終回の皆の日常は続いていくのに自分だけはそれを共有することができなくなる」というあのさみしさまで付加されてしまうとは思っても見なかったが、しかし、しみじみよかったなあ……と声が漏れる最終話(ああ、この言葉を使ってしまう)であった。
このままぽけーっと過ごして複製原画を頼むことを忘れないように注意したい。
吾峠先生は勿論、この超人気作品をここで完結させることを決断した編集部諸賢も大英断であったと思う。この世界にまだ浸っていたいという気持ちはあるし、スピンオフも歓迎だけれどもあそこから「新たなる脅威」が出るのはちょっと違うかな……と筆者としては考えるので。
ただ、編集部は大英断だと思うけれども、電子版の目次をだれがどんな風に作っているかは存じないが、「最終回複製原画」をそのままばっちりと目次に載せてしまうのはちょっと悪手だったんじゃないだろうか。紙面構成自体はやはりその辺り配慮して、センターカラ―扉絵からのめくるとついに完結!となっていただけに(本当は本編の後でも良かったと思うけど)猶更残念である。なお、筆者は上記のように妻がソートしてくれていたので読了後に気付いた。ありがとう妻。枕を高くして眠ってくれ。もう鬼と鬼滅の展開に怯えることはないのだから。