カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

M(魔王)~愛すべき人がいて~舞台『刀剣乱舞』虚伝 燃ゆる本能寺(初演)初見感想

余談

刀ミュ無料配信という神企画…それに追随して感想をつづっていくつもりだったが、音に聞く「むすはじ」で完全にぶち抜かれてしまい、その後茫として消化が追いつかない状態であった。

審神者諸賢の勢いはやまず、最新作の同時上映、刀ステ、活撃とムーブメントが続き、まさしく炉で煮えたぎる玉鋼のようなその勢いは鬱屈とした日々の中で痛快な出来事であった。

そしてDMM様が今度は刀ステまで無料配信してくださるという。神の上か?

以前、維伝に備えて再演の方は視聴したのだが初演は初めてであったのでさっそく視聴することにした。

刀剣男士が人の物語をその根源とするのであれば、この展開で大いに力を蓄えることであろう。

開始十分前。既にスタンバっていた我が家はしかし開始時間になってもぐるぐるが回り続ける画面に困惑した。見守ること暫くして画面がすっと暗くなったときはついに暗転! 始まるぞ! と思ったのだが待ちすぎて画面のスリープ機能が働いただけであった。

システム障害が起きているという。まさかの時間遡行軍との戦いにもゆるりと構える審神者諸賢たち、さすがに盆栽ゲーの熟達者である。面構えが違う。

予定より一時間押して、天下五剣、三日月宗近の声から部隊が始まった。

本題

天正十年六月二日、京・本能寺。

織田信長は家臣・明智光秀の謀反に遭い、紅蓮の炎の中に消えた。

日本人に膾炙しているといってもよい「本能寺の変」である。

魔王・織田信長の絶頂期での突然の最期はあまりにもセンセーショナルで、あまたの創作に取り上げられている。

もちろん「刀剣乱舞」ゲーム本編でも序盤で取り上げられているし、最初のアニメ化「刀剣乱舞花丸」においても初期でピックアップされた。そして初のメディアミックスとなったこの舞台でも。

そしてそれを踏まえた映画でも。

 

kimotokanata.hatenablog.com

 そんな本能寺の変と縁深い刀剣男士・不動行光が本丸に顕現するところから話は始まる。まだ刀剣男士の自覚が浅く、前の主・織田信長森蘭丸への執着が強い不変更行光。丁寧にへ し切長谷部の地雷を踏みぬき、新たに近侍並びに第一部隊隊長及び不動行光のお世話係を拝命した山姥切国広のストレスはマッハである。

そんな中、大坂夏の陣の任務をこなす一期一振、鯰尾藤四郎、小夜左文字、江雪左文字たち。自らが焼け身となる運命を知る鯰尾藤四郎は歴史を変える誘惑に負けそうになるが、同じ運命をたどることとなる兄の説得に思いとどまる。

このタイミングでこのエピソードを挿入するのは後の不動行光の歴史を変えようとする暴走の対比だというのは勿論のこと、彼が事あるごとに歌う「不動行光、つくもがみ。人には五郎左御座候」という信長の座興の唄と呼応していることに唸らされる。

刀剣乱舞に慣れ親しんでいると「つくもがみ」=「付喪神」と思ってしまいそうであるが、実際には「九十九髪」。「九十九髪茄子茶入」という茶の湯の祖・村田珠光や足利将軍・足利義満、越前のチート武将・朝倉宗滴、爆発したリア充松永久秀という錚々たる来歴を経て信長の手に渡った。ある刀と共に。

その刀の名は、薬研藤四郎といった。不動行光、九十九髪、薬研藤四郎は「本能寺の変」においてその運命を共にし、焼け身となる。

そして焼けた「九十九髪」はそれでもなおその来歴から珍重されるが、再びその身を戦火に晒すこととなる――。

もうお分かりであろう。

九十九髪は一期一振、鯰尾藤四郎らと一緒に大坂夏の陣において紅蓮の炎に包まれるのである。

ざれ唄の「登場人物」である九十九髪を介して天下人をめぐる二つの火をつなぎ合わせる趣向には恐れ入った。

左文字兄弟もまた、「織田組」との対比になっている。刀匠は同じとはいえ伝来はバラバラである左文字に対して、確かにひとところにいたはずの「織田組」はどうにもかみ合わない。それは「織田信長」という人のとらえかたの違いによるものか……。

ツッコミ不在(物理的に口を塞がれる)の軍議…いやおはぎの宴…いやおはげの宴…(やっと助け船が来たと思ったらド級の泥船だった時のへし切長谷部の心境やいかに)を経て紅白戦を行っても溝は埋まらない。

既に史実との乖離が進み始めている「本能寺の変」の歴史を護るため、刀剣男士はあまり類を見ない二部隊同時出陣という体制で出陣する。

炎上する本能寺。森蘭丸もまた、必死に応じるが多勢に無勢、史実通り安田国継に討ち取られようとしたとき、時間遡行軍のナイスアシストにより一命をとりとめる。

そう、時間遡行軍にとっては森蘭丸が生き残り、ひいては織田信長が生き残ってくれたほうが都合がよい。

翻って、刀剣男士としては森蘭丸にはここで死んでもらわなければならない。もちろん、織田信長にも。

葛藤し、甘酒よりも甘い情けをかける不動行光。それは戦場では最も致命的な行為である。森蘭丸が目の前の「邪魔者」を排除しようとしたとき、宗三左文字が割り込んで住んでのところで助かる不動行光。

へし切長谷部が自分を「下げ渡された」として信長を恨み続けているのに対して、不動行光は自分が森蘭丸に下賜されたことで「森蘭丸の手にある織田信長の守り刀」と自らを位置付けていた節がある。だからこそ不動行光は蘭丸や信長を殺せないし、蘭丸は信長に仇なすと思われる不動行光を排除しなくてはならないのである。

そこに風穴を開けるのが最後まで「信長の所有刀」であった宗三左文字というのはなんという皮肉だろう。歴史を護るために、主・織田信長を殺させるためにその寵愛した部下である森蘭丸を討ち、また仇である明智光秀をかばわなくてはならないとは。

そうまでして生かした明智光秀は、しかし信長をその手で討ち果たすことはない。織田信長は恐らくは薬研藤四郎を用いて、自らの下天の夢の幕を閉じた。それに一番慟哭していたのは誰あろう明智光秀であった。信長より年上であった彼は自らの老いと、それによるお払い箱(信長は結構思い出したかのように家来を追放したりする)を恐れて謀反を起こしたのであった。信長に必要とされたかった。隙間を埋めてもらいたかった。その願いはかなわず、信長は散り、大きな空白が生まれるも、そのための犠牲を誰あろう不動行光が思い起こさせ、史実通り彼もまた、歴史の敗者となるのだった。

一回り大きくなった不動行光は馬当番もこなすようになり、山姥切国広もまた近侍として、隊長として成長するのであった……。

見終えて

映画と同じ本能寺を扱った内容でありながら(時系列はこちらが先だけれど)互いに呼応しながらも別物に仕上げていて良かった。

織田信長」という存在が様々な登場人物から語られ、その輪郭はどんどん縁取られていくけれどもついぞ本人は言葉を発さず、姿も終盤にほんのわずか見えるだけ、というのは良かった。

以前も指摘したが、刀ステにおいて現状最新作の維伝に至るまで「織田信長」という存在は極めて強い影響力を放っているように筆者には思え、一度「本能寺の変」としてはステと地続きの映画版で完全に昇華されたけれども、例えば既にステージで実装されている分であれば「長篠の戦い」(タイミングとしては森蘭丸に不動行光が下賜されたり光秀が戦後処理で信長へのヘイトがたまりまくっているころ)あたりで信長を正面から扱ってくれてもよいのかなと思った。信長存命時をガッツリはまだステだとないのではなかろうか。

では日付が変わって本日、再演を楽しみに待ちたい。

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