カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

さみしくとも明日を待つ――劇場版「鬼滅の刃『無限列車編』」完全ネタバレ感想

表題にある通り劇場版「鬼滅の刃『無限列車編』」の縦横無尽なネタバレがあります。原作の以降の展開に関してのネタバレは8巻収録分に関し最後に再度注釈と共に多少ありますが、それ以降のものはありません。

余談

久々にこんなに長い間ブログを書かなかったかもしれない。相変わらず書きたいことは色々あるのだが、ありがたいことにダイエットが継続できていて、8月からすると10kgほどやせ、ウェストもマイナス9㎝となった。主に食事制限とフィットボクシングによるものなのだが、それをこなし、ゆっくり風呂に入ると日が替わる、という日々が続いてなかなか記事に着手できないのである。意を決してswitchのコントローラーをもう一組購入し、妻と一緒にトレーニングができるようになったので時短になるので今後はブログの方もまた書いていきたいと思う。来週末はオンラインイベント「ヒストリカルマーケット」にも参加させていただく予定である。人間忙しいうちが華。頑張っていきたい。

本題

表題の内容が知りたいのにいきなりおっさんの近況報告をして慣れぬ読者諸賢には大変申し訳なかったが大体こういうスタンスなのでご勘弁願いたい。

そんな日々に忙殺されながらも無限列車編は初日レイトショーで無事鑑賞することが出来た。というかそれを見られるようにするために諸々忙殺されていた、という側面もある。

よかった……ただただよかった……それだけでいいのだが、せっかくこのような場所を設けていることもあるので展開を追いながら、筆者なりの感想や妄言を記していきたい。

平日21時、コロナ禍以前でも見られなかった映画館の熱気を感じながら、用意していたハンカチを早くもドラえもん映画の予告で濡らし、シン・エヴァの予告に驚き、そして無限列車へと乗り込むのだった。

レイトショー、現実とスクリーンの暗闇が溶け合い、否応なく物語に没入していく……。

四者四様鬼殺隊

Twitterで本映画はTVからの延長線上にある映画によくある「これまでのあらすじ」がない、そのパワープレイでも成り立っていてすごい、という意見を目にしてなるほどと思ったが、筆者の感想としては無限列車に乗り込み、煉獄さんと話し始めるまでの時間で竈門炭治郎の人の良さ、我妻善逸のビビり散らかしぶり、嘴平伊之助の猪突猛進さ、煉獄杏寿郎の闊達ぶりがすっと入ってくる構成であったと思う。

四者が揃った後、車掌が切符を切ると共に映画の初戦の幕が――どころか鬼の首までもがほとんど同時に切って落とされる。その剣技の使い手は炎柱・煉獄。アニメ初披露の炎の呼吸はヒノカミの炎とも竈門禰󠄀豆子の血鬼術とも違うまさしく業火で、その作画にUFOtableの本気をさっそく感じさせられる。

やった! アニキはすげえや! 弟子にしてくだせえ!

無限列車編―完―


LiSA 『炎』 -MUSiC CLiP-

甘美なる悪夢の中で

が、それは既に下弦の壱・魘夢の血鬼術の中の出来事であった。

そのまま煉獄は夢の中で自らの家に。自らの炎柱就任を報告するが、自らもかつて柱であった父は喜ぶどころかそちらを見ようとすらしない。その後に駆け寄ってくる弟にそのことを煉獄は隠さない。それでも自らは挫けないこと。弟には自分という兄がいて、兄は弟を信じているのだということを伝え、抱きしめる。

早速筆者は泣いてしまった。筆者は、三兄弟の長男である。鬼滅の刃のTV版においても主人公の長男ぶりに何度も筆者は目頭を熱くさせられた。しかしここにもまた、模範たる長男ぶりを見せつけてくれる男がおり、その頼もしさ、兄は弟を信じているということは先に生まれたものが兄であるというような自然の摂理であるという程度の自然の摂理であるというごくごく当たり前な様子に、現在全員別の県に暮らしており、コロナ禍にあって会うこともままならない弟たちのことを思い、ほろりとさせられたのである。

善逸や伊之助の夢世界のコミカルさをうまく使ってそのギャップでさらに涙腺にハバネロを練りこむような刺激を与えてくるのは炭治郎の夢世界である。

深々と降る雪。寒々とした木々の広がる風景。

その光景を筆者は覚えている。第一話、まさしく「残酷」としか評す術のなかった文字通りのあの悪夢の舞台。竈門家である。

そこに見えるは――失ったはずの家族。

炭治郎号泣。筆者も号泣。劇場中がハンカチを目に当てるために衣擦れをさせるのを感じた。今回、炭治郎役の花江夏樹さんの演技が本当に素晴らしく、原作でも読んだし言ってしまえばベタな展開であるのに涙腺はいとも簡単に決壊してしまった。

当たり前の日々。そうだ、鬼に突然家族が襲われるなんてことの方が荒唐無稽な悪夢の出来事なのである。

それでも現実の今や唯一の肉親である禰󠄀豆子の血鬼術によって炭治郎は自らが悪夢に囚われていることを悟る。現実に戻ろうとする炭治郎――

――の目前に現れる人間である禰󠄀豆子。なんたる鬼畜の所業か。

炭治郎は大いなる野心を秘めているわけでも何でもない普通の少年である。

ワンピースを追い求めているわけでもない。火影になりたいわけでもない。

最高のヒーローになりたいわけでも。それらは偉大だが、しかし炭治郎には重要ではない。

では何が重要か。

家族である。

本来であれば、家族とともに慎ましくも幸せな生活を送るはずだった炭治郎。

それが家族を鬼に奪われたばかりに、妹を鬼にされたばかりに、それを元に戻せる手掛かりを探るために、彼は持ったこともない刀を振るい、尋常ではない鍛錬をし、幾度も死線を潜り抜けている。

それが、ここにはもうすべて元のままで在る。もういいじゃないか、と思ってしまっても無理はない。「あちら」が悪夢だったと思えばいい。こちらの、家族が健在な世界で生きていこうと。

しかし、炭治郎はそうしない。現実の本当の禰󠄀豆子が自分を待っていることを彼もまた兄として信じている、いや、知っているからである。自分の妥協した幸福を投げうってでも、兄は妹の本当の幸いのために文字通り身を斬る思いで帰還を果たす。

幻であっても六太の叫びは痛切でありハンカチに再び水分が供給される。またBGMがあの「竈門炭治郎のうた」のインストゥルメンタルだから反則である。炭治郎の走る様に寒い日に走る、肺が凍るような冷気が入る感じすら覚えるような臨場感があった。

その炭治郎のまっすぐな心は魘夢の刺客であった青年すらも改心させ、そして他の鬼殺隊に向けられた刺客たちに理解を示しながらも昏倒させる無駄のなさによく表れている。

この悪夢パート、テンポが多少犠牲になっていたような気はしたものの非常に良かったのだが(花江さんの声だけでガンガン泣けるのでもう少し演出はあっさりでよかったかもしれない)伊之助の無意識領域に出現する伊之助のようなものが彼の理想の姿(ツノがあり/火を吹き/立ち上がると三メートルある)である、ということはともかく、原作ではあった補足がだいぶカットされていたのでTVアニメ→本作と梯子されている諸賢や筆者のようにうろ覚えだった諸賢は些か戸惑ったり腑に落ちない部分があるかもしれない。

蛇足ながらいくらか書いておくと、煉獄はもちろん刺客である人間を殺さないように無意識下ながらもぎりぎりの加減をしているし、炭治郎の夢に現れる禰󠄀豆子箱や父はご都合展開というよりはヒノカミ神楽時の走馬灯のように炭治郎の本能が既に悟っている脱出へのヒントが形となって表れた形である。鬼殺隊と刺客たちを繋いでいる縄は魘夢特製のもので刀で斬ってしまえば夢の主でない者(刺客)は永遠に目が覚めないがこのことは刺客たちにも説明がされていない。魘夢にとって人間は使い捨ての食糧でしかないからである。ちなみに錐も特殊なもので、魘夢の歯と骨で出来ている。炭治郎以外が目覚めることが出来たのは禰󠄀豆子の血鬼術で切符が焼けたからである。

原作はナレーションが多い作風だがアニメではほぼ廃されていた影響が出た形だろうか。目覚めることが出来た理由は単行本の欄外補足であったので、ぜひアニメでは織り込んでほしかった。

列車上の決闘

覚醒し、臭いをたどって無限列車の屋根へ上る炭治郎。そこにいるのは魘夢。平川大輔さんの演技がまさしく振りほどこうとするたび絡みつく悪夢を思わせ、最高に最悪である。誠氏ね。更なる上「上弦」を彼が目指すのも無理はないほどチートと言って差し支えない強制睡眠を連発しても炭治郎は怯まない。効かないのではなく都度自裁しているのである。その並大抵ではない胆力に精神面から切り崩そうと家族が罵倒する悪夢を見せる魘夢だが、完全に炭治郎の逆鱗に触れる。そこにあるのはやはりまっすぐな家族への信頼である。再びよぎるあるはずだった家族の情景――劇場の観客の流す涙の雫はそのまま炭治郎の巻き起こす逆巻く水流となり、炭治郎と観客の怒りを乗せてまたもUFOtableマシマシの圧巻の作画による水の呼吸十の型・生生流転によって魘夢の首が断ち切られる!

無限列車編―完―


LiSA 『炎』 -MUSiC CLiP-

狭所の攻防―人質を守り、悪夢を断つ

屋根の上の魘夢はもはや抜け殻、疑似餌のような存在であった。本体は既に無限列車と融合し、ありとあらゆるところから捕食用の肉塊を出せるようになっていたのである。それは即ち、乗客二百人を人質に取られたことを意味していた。TVアニメでもそうだったが、この肉塊の醜悪さ、不気味さにも作画リソースがふんだんに注ぎ込まれており、思わず劇場アームレストに置いている自分の腕を見てしまうくらい鳥肌必死の演出となっている。

無限列車は八両編成、炭治郎は自分が守れるのは二両が限界であると考える。明らかに人手が足りない――。

仲間たちの覚醒を願う炭治郎の声にまず応えたのは自称親分の伊之助である。図らずも彼の思考通り「ヌシ」となった無限列車。奮い立つ彼の「どいつもこいつも俺が助けてやるぜ」という叫びは天下無敵の伊之助親分である。剣技の狂い裂きも四方八方の掃討に相性がいい。

禰󠄀豆子も鬼の膂力で乗客を救うべく奮戦するが、接近を余儀なくされるスタイル(単行本で解説があるが、血鬼術を使いすぎると彼女は眠くなってしまうので軽々に使えないのである)、少しずつ肉塊に四肢を拘束され、締め付けられていく。彼女の命と青少年の何かが危機に晒されたとき、走る蒼光――。

善逸である。居合技が嫌いな男の子なんていません! 兄蜘蛛戦より更に大盤振る舞いの演出がなされた霹靂一閃・六連はヤッターカッコイイ! の一言。

「禰󠄀豆子ちゃんは俺が守る」の言葉と有言実行ぶりに筆者も年甲斐もなくトゥンク……といった次第であるが直後にフガフガプピーしてしまうあたりが善逸の真骨頂である。劇場版ポスターに鼻ちょうちんで出演している男を侮ってはいけない。

その彼らの活躍も一人前方で奮戦する炭治郎は把握できない。状況が把握できない不安と狭所での戦いであることが神経をすり減らす。

そこに列車を揺らす勢いで駆け付けた煉獄。紅蓮を走らせそこに至るまでに細かく斬撃を入れつつ、五両を守ることを宣言。炭治郎達に指示を出す。

その的確さと素早さに感嘆しながらも炭治郎と伊之助は鬼の頸を探す。そのありかは車両前方、機関室。渾身の一撃で床をえぐると禍々しく車両に通る鉄骨のように太い頸の骨が姿を現した。

更に激しさを増す肉塊。やはり夢を見続けていたい人間である機関手に腹を刺され、血鬼術も加わり危うく現実世界で自裁しかかる炭治郎を伊之助が叱咤する。二人の力と家族の力――ヒノカミ神楽「碧羅の天」によって魘夢の頸はついに斬り落とされたのである!

断末魔を上げ、脱線する魘夢列車。(原作ではヘッドマークに顔が出て邪悪なきかんしゃトーマスになっていたような覚えがあったが再読したら全然そんなことはなかった)今度は列車事故として大勢の命が危険に晒される。炭治郎自身もまた、ヒノカミ神楽の使用と腹部の傷によって体がままならず、危機に陥るが「自分を刺した相手を人殺しにさせない」という意思が、「誰も死なせない」という決意が彼を突き動かす。炭治郎の守るべき「家族」が鬼殺隊の活動を通して拡張されていっていることがよくわかる。

夜明けを感じながら、地面に横たわり、呼吸を整え、仲間の無事と回復を祈る炭治郎。

その姿を体が崩壊し始めている魘夢は捉えている。が、もはやどうすることもできない。彼の計画は完璧なはずだった。細かい切符を用いた血鬼術で鬼狩りを無力化させ、自分の嗜好も我慢し、列車に融合し、一度に大量の人間を食う。「こんな姿になってまで」という述懐から、彼の美意識的には元の姿を捨てるのは結構耐え難いようであったフシもある。

だが、結果としては策士策に溺れる。全力を出せず、人間を一人も食えなかった。

規格外な守備力・攻撃力、獅子奮迅の炎柱、煉獄。

術中にあり眠りながらも神速の剣技を放った善逸。

鬼の身に堕ちながらも乗客を守り続けた禰󠄀豆子。

動物的な勘の冴えで視線を捉えず暴れまわった伊之助。

そしてまさかの自力で術を突破してきた炭治郎。

古き良きテンプレート的な「こ、こんなのデータにないぞ!」のオンパレードがロイヤルストレートフラッシュでやってきたとき、計画は瓦解し、その主因となった柱さえも超える異次元の強さ「上弦」に迫るという野望もまた、潰えた。

負ける。死ぬ。くやしい。やり直したい。やり直したい――現実が己によってこれ以上ない惨めな悪夢となった眠り鬼・魘夢は誰にもその死を見送っても認識もしてもらえず散っていく。

本映画は彼が「嫌を通り越して厭な悪役」に徹してくれたことも傑作となる一つの要因だったであろう。原作においても「かわいそうな累きゅん」の後にお出しされた更なる強敵でありながら、人の不幸が大好きな性癖トガリネズミであり下弦の中間管理職的悲哀をにじませながら退場した彼のその「ザ・厭な奴」ぶりが筆者はとても好きであり、本映画で「悲しいバックグラウンド」が用意されたらどうしようかとドキドキしていたがしっかり厭な奴として散ってくれたので安心した。零巻で人間時代からチョコラータみたいなクズ野郎だったことがわかり二度ニッコリである。

そんなことはいざ知らず、地面に大の字の炭治郎の前に煉獄が現れる。呼吸の指南をする彼は、それを極めることで「昨日の自分より確実に強い自分になれる」と鼓舞する。

乗客乗員は全員無事。けが人は大勢だが命に別状はないと伝える煉獄。

悪夢は終わったのである。

無限列車編―完―


LiSA 『炎』 -MUSiC CLiP-

最悪のシ者

そこに現れた招かれざる者。猗窩座(あかざ):CV石田彰。ついさっき魘夢が「異次元の強さ」と称した上弦のその参。ナンバースリーである。原作を読んでいるとき、筆者はマジで先ほどまでの展開を読みつつ「あーなるほど次から炭治郎継子編が始まるのね。それでついに炭治郎が柱への道が見えてくるのか……?」とか考えていた時のあの「襲来」には驚かされたのを覚えている。

また、劇場でもこのシーンには興奮させられた。何しろメインビジュアルや予告編に猗窩座は全く出てこず、もちろんCVのキの字もなかったため、「もしかしたら本当に魘夢戦までで終わりなのだろうか……?」と思ったりもしたほどである。パンフレットを開いたら一ページ目にCV付で載っていたので、見終わるまで封印していて本当に良かったなと思った。あの登場、そして第一声の衝撃は初見の特権であろう。これだけの巨大コンテンツとなった中で、少なくとも筆者の観測範囲ではフライングがなかったのには頭が下がる。他方、その手法故に「猗窩座グッズ」が全くないのが寂しいが……ロングラン上映になったら途中で解禁されたりしないだろうか。

その猗窩座の炭治郎への強襲にもひるまず的確な状況判断で技を繰り出す煉獄。腕にクリーンヒットし、真っ二つに裂けるもあっという間に再生してしまう。そして圧迫感と凄まじい鬼気。上弦たる所以である。

炭治郎という弱者は自分と煉獄の話の邪魔になるという猗窩座。彼は至高の領域に近く練り上げられた煉獄に彼としては敬意を表して鬼になることを進める。至高の領域に近づきながらも踏み込めないのは煉獄が人間であり、老い、死ぬからであると。鬼であれば百年でも二百年でも鍛錬が出来るのだからと。

煉獄は拒絶する。老い死ぬことも含めて人間は愛おしく尊く儚く、そして美しいのだと。そして強さは肉体にのみ宿るものではなく、炭治郎は弱くないと続ける。

交渉は決裂。猗窩座は術式展開「破壊殺・羅針」の構えを取り、足元に雪華が描かれる。柱と上弦の激突はニンジャ動体視力を持たない我々にとっては稲光のようなものだ。それでもそれこそ至高の領域である作画によって我々はその一端を覗くことが出来、そしてただただ息をのむばかりだ。何とか助太刀に行きたい炭治郎はそれを見透かされ、外ならぬ煉獄に待機命令を出される。

戦局は、互角に見えた。いや、互角だった。煉獄が放った斬撃は幾度となく猗窩座にダメージを与えたが、それはことごとく完治していく。対照的に煉獄は左目がつぶれ、あばら骨が砕け、内臓が傷ついてもそれらを回復する術はない。もとより長期戦は不利なのである。

しかしその段階に至ってもなお、煉獄の闘気は衰えることはない。そしてやけっぱちになっているわけでもない。再生が早いのであれば一瞬で多くの面積を根こそぎ抉り斬る技を放つのだ、という状況判断も働いている。

「俺は俺の責務を全うする!! ここにいる者は誰も死なせない!!」

映画版の宣伝にも使われた言葉を放つ満身創痍の煉獄は気高く、まさに存在そのものが夜明けの炎刃である彼から炎の呼吸奥義・玖の型「煉獄」が放たれる。その煉獄の姿にますます歓喜する猗窩座は「破壊殺・滅式」で迎え撃つ。

轟音。猗窩座の腕に、肩に食い込む斬撃。土埃――

――みぞおちを猗窩座の拳に貫かれた煉獄の姿がそこにはあった。

圧倒的優位にある猗窩座はしかし、哀願するかのように煉獄に鬼になることを求める。

お前は選ばれし強き者なのだからと。

その言葉は煉獄に幼き日の記憶を思い出させる。強き者のノブレス・オブ・リージュとして弱き人を助ける使命があり、そのような強く優しい人の母になれて幸せだったという彼の母もまた、肉体的には弱くあったが間違いなく強く優しい人であった。

母に託された願い。自らの責務とした人を守るという気持ちが今ひとたび煉獄の心の炎を燃え上がらせ、猗窩座の頸に刀を突きたてる。その母から生まれたという誇りが、剣勢を後押しする。猗窩座が突き出す左拳をもう片方の手で受け止め、猗窩座を戦慄させる。いや、彼を戦慄されたのはそれだけではない。

陽光だ。もともと迫ってきていた夜明けは今や間近。鬼の始祖・無惨さえも克服していない太陽は猗窩座であってもひとたまりもない。一刻も早くこの場を去らねばならないが、煉獄は先ほどの呼吸の応用で自らのみぞおちに貫通させた猗窩座の腕を締め付けて離さない。煉獄と猗窩座、それぞれのすべてがぶつかり合う雄叫びは劇場を吹き飛ばしてしまうかのような迫力であった。

伊之助が弾かれたように飛び掛かる。が、一瞬早く猗窩座はその頸に煉獄の刀を刺したまま、陽光の差さぬ林の中へと駆けていく。それは撤退ではない醜態、逃走に筆者は感じられた。

安静を命じられた炭治郎も矢も楯もたまらず猗窩座へ駆け出し、自らの日輪刀を投げつける。太陽から距離をとることを第一にしていたこともあったのか、それは猗窩座の胸に深々と突き刺さる。

そこからの炭治郎の言葉はまたしても筆者のハンカチをしとどに濡らした。もしかして花江さんの前世は炭治郎だったのか? というくらいの言葉の細部まで染み渡っていく感じは是非未見の方は会場で体感していただきたい。

大正時代。夜の闇が闇としてあり、妖怪新聞すら未だ発行されていた怪異にとって最後の華やかなりし時代、いわば鬼たちのホームグラウンドで戦う鬼殺隊は生身の人間だ。同じ一人の人間が、血のにじむような鍛錬の果て、異形に挑み、二百人の同じ人間を一人も失わないという偉業を成し遂げた。戦い抜いた。守り抜いた。

それこそが勝利であった。そして鬼の、猗窩座の敗北なのだ。

炭治郎は叫ぶ。叫ばずにはいられない。

筆者もまた鑑賞しながら、そうだ、そうだとこぶしを握り締めながら涙を流し続けることになった。ほとんど嗚咽する寸前であった。

静止するのはほかならぬ煉獄であった。叫ぶと腹の傷が開く。それで炭治郎が死んでしまったら煉獄の負けになってしまう。今までで一番優しい声で炭治郎を諭すと、彼はヒノカミ神楽について、父や弟への遺言、そして禰󠄀豆子を信じることを話す。

炭治郎や伊之助、善逸に心を燃やし続けること、鬼殺隊の未来を託し、敬愛する母に労われ常に前を未来を、明日を見据えていた彼の瞳が細まって晴れやかな笑顔が見られ――。

炎柱・煉獄 杏寿郎。

無限列車の乗員乗客二百名を守り切り殉死。

享年二十。

皮肉にも鬼殺隊の太陽が昇天したとき、その背に後光のように太陽が照っていた。

今はただ、涙

残された隊員たちはそれぞれの姿勢で伝達された煉獄の死を悼む。笑って逝った煉獄の涙を引き受けたかのように泣き続ける炭治郎たち。善逸によると横転の瞬間いくつもの技を煉獄は繰り出し、列車を救ったという。もしかしたら、その消耗が無ければ彼は猗窩座に勝てたかもしれない。しかし同時に、その時炎柱でも彼はなくなっていたことだろう。

なんで上弦なんか来るんだよ、という全観客が同意したであろう善逸の言葉に続けて、悲しみとふがいなさ、悔しさ、自分が煉獄のようになれるか不安で涙し続ける炭治郎が大写しになる。筆者はスケルトンズの「ナミダライフ」を思い出した。

  こうなりたいよ気付かれたいよ捨てたいのはこの弱さ

そうなれないよ見つからないよ今はまだ涙

――スケルトンズ「ナミダライフ」より

以前はAmazonからアルバムが購入できたのだが現在は確認できなかった。機会があればぜひご一聴いただきたい。

そんな二人を叱咤するのは最も自然の摂理の厳しさを見せつけられてきたであろう伊之助。誰よりも泣いている彼の「悔しくても泣くんじゃねえ 信じるといわれたらそれに応えること以外考えるんじゃねえ」は痛切である。彼らの胸には確かに煉獄から受け継いだ炎が燃えている。

映画の開幕を引き受けた御屋形様・産屋敷が煉獄の労を讃え、映画は終わる。

煉獄は死んだ。もういない。その存在感故に大いなる寂寥に襲われるけれども、その遺した篝火もまた煌々と燃え続け、明日を照らし続ける。

時間を止めることはできない。さみしくとも明日を待ち、そして日々の成長を続けることこそが煉獄への弔いであり、鬼殺隊の本懐へ繋がるのである。

無限列車編ー完ー


LiSA 『炎』 -MUSiC CLiP-

途中ブリッジかジングルかみたいな感じに使ってしまったが(リスペクト先)、

www.jigowatt121.com

この「炎」がまた大名曲であった。令和の世で最も人口に膾炙した曲ではないかと思われる「紅蓮華」に続く曲、とんでもない重圧だったかと思うが、エンドロールで流れるこの曲を含めてこの映画は完全体であると断言できる素晴らしい作品だった。静かに立ち上がり、燃え盛る曲調とLiSAさんの歌声がこれ以上ないくらいマッチしている。梶浦さんとLiSAさんの手腕に敬服するばかりである。筆者も随分涙腺が緩んできているが、エンドロールで「追い泣き」するのは「ゴールデンスランバー」以来であった。

劇場の明かりがつき、恐らくは満員であった客席から整然と前から順に退出していく。皆涙に瞼を晴らしながらも、心には焔を灯していることが伺えるなんとも言えない表情をしていた。

同じく鑑賞した妻も最近は「鬼滅はね……一時ほどよりはさすがに落ち着いてきましたね」というスタンスであり、事実、会場前は限定版パンフレットのみに留めていたが、鑑賞終了後はショップに駆け込んでいた。無理からぬことであろう。

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今回妻がお迎えしたのは一番右。

 しかし妻、好みがブレない。敬意を表する。

あえてのオタクのわがまま

ここから先は原作8巻の映画化分以降のネタバレが含まれます(9巻以降はありません)

本当に素晴らしい体験をさせてもらった。感想記事を書こうとして、振り返る度に涙が出てきて記事が進まない、という体験は初めてであった。もう二度とあんな喪失感を味わいたくないという気持ちと、映画の力を全身でまた浴びたいという気持ちがせめぎあっている不思議な状態である。

あえて、本当にあえて言えば、原作8巻の残りまで収録しても良かったのではないか……と筆者は思うのである。序盤の夢の辺りは声優さんの力量により、もう少し短縮できるのではないか、とも……。

そこまで収録することで煉獄と猗窩座の対比、炭治郎の煉獄の遺志の継承者としての立場の明確化、ヘイトが溜まったままであろう煉獄父の救済がはかられ、よりすっきりしたのではないかと。今の御屋形様に始まり御屋形様に終わることも素晴らしいのだが……。

次回のTVアニメがいつになるかはまだ情報が錯綜しているが、待ちきれないオタクの妄言と思っていただければ幸いである。

ともあれ久しく無い経験をさせていただき、これまた久しぶりの一万字超えの感想記事となってしまった。やはり怪物作品である。

劇場版 鬼滅の刃 無限列車編 ノベライズ (ジャンプジェイブックスDIGITAL)