カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

あなたの「今」に閃きたい。あるいは今だからこそ観るべきPRODUCE101について

 

 

I.O.I 2ndミニアルバム - Miss Me? (リイシュー)

I.O.I 2ndミニアルバム - Miss Me? (リイシュー)

I.O.I 2ndミニアルバム - Miss Me? (リイシュー)

 

 

余談

IZ*ONEが無事日韓共にデビュー1位らしく大変めでたいことである。

IZ*ONECHUもリアルタイムで全話見た。結論としては時々字幕バーにWindowsの画面が出現したりメインボーカルが麺ボーカルだったり日本側練習生が韓国語でアピールするところは「日本人がしゃべってるしええやろ……」とばかりに翻訳を放棄したり大体1時を過ぎると中の人がおねむなのか精度が更に低下していた逐語訳であっても、あるだけで大変ありがたいものだったのだな、というのがまず第一に来た。

もちろん12人の美少女がわちゃわちゃやっているだけで大変眼福ではあるのだが、こちとら96人の美少女がわちゃわちゃやっているところを忍殺感が漂いながらも字幕付きで12話見せてもらっていたわけで、その後に生のままお出しされてももうちょっとこう……手心というか……といった心持になってしまうのである。

他方、PRODUCE48でもトレーナーの指導などは通訳さんが訳してくれても練習生同士の会話は通訳なしだったということで、彼女らはこういう環境に飛び込んだのだな……と改めて畏敬の念を禁じ得なかった。

そしてその橋渡しを特にしてくれていたであろう、イ・カウンさんや宮崎美穂さんの不在が改めて感じられ、しみじみと悲しくもなる。かといって今の12名から誰を入れ替える? となっても途方に暮れてしまうのが現状なのだが。

日本語字幕付きは年明けからということで、暫くはこの状態で内容を推測しながら待機したい。

彼女ら12名を見出した「PRODUCE48」がAbemaTVで12/19より無料放送されるという。今まで見たことのない読者諸賢は是非ご覧いただきたいと思う。お世辞抜きに近年まれに見る極上のエンターテイメントである。

PRODUCE 48 | AbemaTV「韓流・華流チャンネル」公式サイト

IZ*ONEから入った読者諸賢もいらっしゃるかもしれない。筆者も基本的には現在最低1日1ラビアンローズしている。(運営はラビアンローズGoogle検索すると吉原の高級ソープさんしか出ない状況を早急になんとかした方がいいと思います)今のキャラクターに落ち着くまでの経緯を見られる絶好のチャンスである。

「へえPRODUCE48またやるんだー でも最終的に誰が残るか知っているしなあ」

とどちらか、あるいはどちらにも属さぬ読者諸賢は思われるかもしれない。そうではないのだ、と筆者は言いたい。大切なのは結果ではなく過程だ、という言葉を使うつもりはない。むしろ結果の恐ろしいまでの大切さをまざまざと突きつけるのがこの番組であった。最終的に選ばれた12人は間違いなく逸材である。しかし他の練習生がそうでなかったわけでは決してない。お互いに文字通り切磋琢磨したからこそ、デビューした12人はデビュー時点で既にあそこまで輝いており、だからこそデビューから1位獲得までの記録を塗り替えるほどの結果を残せたのだと。「この手を握って」と差し出した手は空を掴んだけれど、それでもなお「君の星になる」ためにもがき、あがき、そして輝き続けたその魂の記録、煌めきを是非目に焼き付けていただきたい、これが見納めかもしれない練習生さえいるのだ、と。

「えーでもお……」

と未だ踏ん切りがつかぬ読者諸賢もいることであろう。

そう言ったわけで、同じように「結果を知った上で観た」PRODUCE101(シーズン1)の感想を今から綴っていきたいと思う。

※という訳で以下、PRODUCE101全編のネタバレがあります。

本題

余談が、ながくなった。

PRODUCE48をBSスカパー!でリアルタイムに視聴していた時、各話の初めには「ネッコヤ」が流されていた。毎回の放映ごとに少しずつ把握する顔が増えていくことに喜びと悲しみ(既に脱落した練習生も出てくるので)がこもごもだったわけであるが、ある時それが別の曲に変わった。何やら練習生諸賢も雰囲気が変わったような……

変わったどころではない、彼女らは別人であり、曲は「PICK ME」であった。即ちPRODUCE101字幕版の宣伝だったのである。


[Produce 101] 101 Girls are back AGAIN! Opening Ceremony! ’PICK ME’ EP.11 20160401

しかも後から101を見て分かったが、なんと最終話verであった。Mnetはすぐそういうことする。練習生と直接関係ないDJのお兄さんが途中めちゃくちゃフォーカスされる辺りも最高にMnetだ。

そんな彼女らを見た時の率直な感想は「でも全体的にPRODUCE48の練習生の方がレベルが高いな」であった。実際問題、PRODUCE101が爆発的人気を読んだ影響でPRODUCE48には事務所の一線級を出してきているように思うが、PRODUCE101時点では海のものとも山のものとも知れぬ新番組に対して事務所側は結構探り探りだったのではないかと思う。

PRODUCE101の字幕版再放送もBSスカパー! ではなくMnet、即ち別チャンネル契約が必要ということで、じゃあいいかな……といった感じであった。

PRODUCE48序盤ではシーズン1、シーズン2の最終1位が登場するし、途中でも比喩として(PRODUCE48以降韓国の番組を見ていて思ったのだが、あちらは「既存の芸能人である○○さんに似ている」というのを結構重視というか、話題にする傾向があると思う。101のオーディション履歴書にも「ロールモデルとする人物は誰か」という項目があったりする。この辺りコンセプトをがちがちにする韓国と日本の違いが出ているようで面白い)シーズン1の誰のようだ、という言及がちらほらあるし、回想でエピソードに触れられたりもする。グループバトルではシーズン1でデビューしたI.O.Iの曲が使用されている。最終話では、発表の場に立ち会ってさえくれるのである。別に見なくていいんじゃないかな……度は視聴の度高まっていった。

しかしPRODUCE48が大団円を迎え、Mnetでオリジナル字幕付き放送があると知った。本来であれば、全話録画しているし、当たり前だが字幕が変わったところで結果は変わらない。それでも筆者と妻は熟考の上、Mnetを契約し、改めて視聴することにした。楽曲の韓国語部分が翻訳されているのがありがたい。特にラップはこんなこと言っていたのか……という感じである。ミョーな中毒性が薄れたのは残念ではあるが。

ともあれ折角契約したので、ということでPRODUCE101を観てみよう、ということになった。その時は丁度10話、佳境の段階であった。夫婦して朝、録画したものをぼへーっと観た。うーん、やっぱり引っ掛かりが少ないな……という意見が一致した。

それで終わり……であればこんな記事は書かない。

MnetにはMnetsmartというサービスがある。スカパーでMnetを契約していれば、追加料金なしでPC,またはスマホでMnetのリアルタイム放送や過去作品のオンデマンドを観ることが出来るサービスである。

このオンデマンドサービスに、PRODUCE101も対応していた。「プデュロス」に陥っていた我々夫婦は、改めて1話から観るとまた違うかもしれない、と鑑賞することにした。そしてそれは大正解だった。いや、ある面では「また推しが落ちる」という虚無感を再び味わうことにもなった訳であるが……。

バチバチな練習生たちと悪魔の編集

PRODUCE48は基本的に、和やかに進行していった。だからこそ今でさえ「Short hair」2班における「センターじゃんけんで決めればよくない?」事件や、ユンジンさんと矢吹奈子さんとの「センター泣きの一回」事件が取り沙汰されてしまうわけだが、PRODUCE101シーズン1を観た後だとくだらなすぎて失笑レベルである。まあそんなこともあるでしょうね、くらいの感じである。二週間前の晩御飯の献立くらいのどうでもよさであるとまで言っていいかもしれない。

シーズン1の練習生たちは凄い。グイグイである。ガツガツである。バチバチである。

もとよりここは鬼の棲家

火の玉みたいに傲慢で気の強い人間しかおらんのにな

――羽海野チカ先生著:「3月のライオン」5巻131Pより

これってもしかしてPRODUCE101のことでした? とさえ思う。他人の失敗を願うし、実際失敗すると喜ぶし、番組に愚痴るし、ふてくされて練習しないし、「私の方が上手くやれます」といってはばからない。対立も日常茶飯事である。こりゃあ炎上するぞ、と思ってみていると、実際したみたいで後日該当者が謝罪していたりする。

が、これは俗にいうMnetの悪魔の編集によるところも大きいという。放送局側としてはドラマが欲しいし、反響も欲しい。その「シナリオ」に沿って編集が行われる。別のシーンでの発言を被せられたり、感じの悪い表情を抜き出されたり、言動を切り取ったりと。それで実際よりも大げさに見える側面もあったようだ。また、後述するが、「お前さん……そら行くっきゃねえよ! ぐいぐいいくしかさあ!」という今だからわかることもあったりする。ある意味彼女らがこの様に犠牲になったおかげで、PRODUCE48出演者は予習復習し、あのような和やかな空間が形成されたのだと考えられる。

キム・シヒョンさん、パク・ミンジさんエピソード0

PRODUCE101にはPRODUCE48に後に出演するメンバーが2名存在する。

キム・シヒョンさんはPRODUCE48ではグループバトル評価時にはリーダーとしてチームを取りまとめ勝利に貢献し、コンセプト評価の際センターとして抜擢され、「ガールクラッシュ」「振り付けを担当したヨンジュン先生の脳裏のコ・ユジンの幻影」という2つと戦いつつも見事その難題をこなし、センター曲「Rumor」は配信売り上げでは見事1位を獲得した。


PRODUCE48 [단독/직캠] 일대일아이컨택ㅣ김시현 - ♬Rumor @콘셉트 평가 180817 EP.10

PRODUCE101当時は個人練習生。当時から美人さんであるがやや丸い。PRODUCE48でも取り上げられていたが出番の少なさに不満を漏らすなど、御多分に漏れずバチバチであり、いやいや姐さん十分にガールクラッシュですやん、といった面持ちである。やはり一定の評価はされていたのか、個人練習生ではあるもののカメラに抜かれることも多く、最終話でも話を振られたりしているし、番組終了後は事務所入りを果たしている。

もう一人パク・ミンジさんはPRODUCE48ではグループバトルでメインボーカルを担当。前回脱落のトラウマからか声が今一つ出し切れず、それをトレーナーに叱責され涙を見せる。本番では見事高音を出し切り、(本編ではここの「出せるかな~どうかな~?」と言わんばかりの意地悪編集がまたひどい)その後明らかにノリノリになっているところがかわいい。(1:35~あたり)


PRODUCE48 [단독/직캠] 일대일아이컨택ㅣ박민지 - 카라 ♬맘마미아_1조 @그룹 배틀 180629 EP.3

PRODUCE101では最初の評価で最上のA。その後の再評価も見事守り切り残留を果たしたのだが、ろくに触れられず、続いて臨んだグループバトルでもろくに分量をもらえず、大した失敗もしていないのに最初の順位発表であっさり脱落という結果に終わってしまった。Mnetもさすがに罪悪感があったのかどうかわからないが、なぜか最終話の投票方法のナレーターに抜擢されている。聞きやすく可愛らしい声である。

「PRODUCE48にも出演している」という事実は、即ち「PRODUCE101では脱落している」ということである。(他のサバイバル番組で勝利したけど参加したチャン・ギュリさんのようなケースもあるが)少なくとも彼女ら2人について、筆者夫婦は敗北へと向かう物語として観ていたことになる。2年後再びサバイバルに挑む彼女らを、彼女ら自身は知らない。知るはずもない。

大丈夫、その時あなた達は再びたくさんの仲間と多くの人気を得ることが出来る。同じく届くはずもない、そんな声を投げかけたくもなってしまう不思議な感覚であった。

イ・ヘインさんの受難の始まり

いま1人、その敗北を知っている練習生がいた。イ・ヘインさんである。評価ではAをキープし、既に貼った「PICK ME」でも何度もカメラに抜かれるなど注目度の高い練習生であった。

グループバトルでは高順位のため自らが他のチームメンバーを選抜。その上自分がリーダー、メインボーカル、センターを務めるなど強権を発動するが、まさかのミス。それがどこまで影響したのか、なんとチームメンバーは自分以外全員脱落という事態を招いてしまった。(後謝罪している。次の課題曲ではセンターを譲り、自身は寝ずに編曲を行うなど、献身的にメンバーを支えた。)しかしその後も安定したパフォーマンスを見せ、最終メンバーまで勝ち残る。が、一歩及ばずデビューはならなかった。

その後、所属事務所とのいざこざがあり同じく番組に参加していたイ・スヒョンさんと共に移籍(番組出演中既に事務所の宿舎を追い出されたりしていたという。先程の強権もその不安からの必死さであったのかと考えてしまう)、最終脱落したメンバーで構成された、スピンオフチームとでもいうべきI.B.Iにてデビューする。


[MV] I.B.I(아이비아이) _ MOLAE MOLAE(몰래몰래)

ところで筆者はこのデビュー曲のMVはいわゆるアイドルのMVとしてかなり高水準であると思うのだがいかがだろうか(17秒くらいで一番最初に単独で映るのがイ・ヘインさん)

報われた……と誰もが思ったに違いない。ああしかし、筆者はこのタイミングで視聴したがゆえ、イ・ヘインさんが今も受難の中にあることを知っている。知ってしまっている。

2017年3月、イ・ヘインさんは所属事務所をパニック障害のため退社する。一緒に移籍したイ・スヒョンさんと同じガールズグループとしてデビューを準備しているさなかの出来事であった。

その時発表されたファンへのメッセージでは、心配をかけたお詫びはもとより、イ・スヒョンをよろしく! 新しいガールズグループをよろしく! と言ったものであり、こちらが彼女の本質なのだな、と思わせる優しい文章であった。

その後、初夏。彼女は再び表舞台に姿を現す。PRODUCE48にも多数出演者を出した、「アイドル学校」の候補生として。

イ・ヘインさんは常に高い順位にあった。誰もが「今度こそ」と確信していたに違いない。今までは長い長い悪夢だったのだ。でも大丈夫。覚めない夢はないのだから――

最終順位は11位。奇しくも、「PRODUCE101」ではギリギリでデビューできた順位は、アイドル学校ではデビューの範囲外(9位まで)であった。

その後落選についてイ・ヘインさんはコメントを発表。関係者への感謝、デビュー組へのエールを送っている。また、ファンたちは投票に不正があったとして番組側へ抗議をしているようだ。

「アイドル学校」は最終脱落者はその後もトレーニングを重ね、新たなデビューへ向けて協力している、というが、今の所(筆者の観測域では)表立った動きを確認することが出来なかった。

また、追い打ちの様に先述したイ・スヒョンさんを初めとした本来一緒にデビューするようだったガールズグループ(DAYDAYDAY)はまさかのデビュー前に解散となった。イ・スヒョンさんも男性アイドルとの逢瀬をFridaydaydayされたりした。

あんまりではないか。今はただ彼女の、「もう一度充電して走ってみます」という言葉を信じるしかない。(インスタグラムは更新されているようだ)

初代国民プロデューサー代表・チャン・グンソクさん

今回の国民プロデューサー代表はチャン・グンソクさんが務めた。筆者でも名前を知っているくらいの韓流のビッグネームであり、キザなあんちゃんというイメージであった氏だが、思いのほか親しみのある言動、行動、いい意味での「残念なイケメン」ぶり、家族が困窮していた時代に下着広告モデルとしてお金を稼いでいたというエピソードなど、なぜかつてお姉さま方が魅了されたのか分かった気がした。もっと知りたいな……グンソクのこと……という気持ちになったりもした。元祖?「イッツ・ショータイム」はやはり決まっている。

「Mnetをオとした女」キム・ソヘさん


[Produce 101][Full] REDLINE Kim So Hye - ♬Somehow EP.01 20160122

ある種PRODUCE101の代名詞とでもいうべき練習生、それがキム・ソヘさんであろう。俳優事務所出身の彼女は、ダンスが全くできなかった。歌もそんなにうまいという訳でもない。ただ、彼女にはほっとけない何かがあった。それこそがアイドルに最も必要とされる素養であった。「俺が、私がいないとダメなんだ」と思わせる何か。どんなに血まみれ汗まみれの練習をしても決して努力だけではたどり着けない天賦の才、アイドル力としか言えないものを彼女は持っていた。

そしてそれは恐らく「番組発のゼロから這い上がるアイドル」を作り上げたかった番組側とも利害が一致し、彼女に尺は相当割かれた。

クラスこそ最下位のFのままであったが、彼女はその期待によく応えた。スキルはスポンジに水がしみこむようにどんどん上昇し、順位は常に高く、無事デビューまで果たした。

しかしやはり批判も相当あったようで、番組内でも「私はスタッフの娘ではありません!」と弁解(?)したりしている。また、他練習生から「あんなに短期間で成長するなんてありえない! (俳優事務所出身だし)演技なのでは?」と冗談交じりに言われたりもしている。


Produce 101 [직캠] 김소혜 - ♬WHATTA MAN @아이오아이 컴백 카운트다운 160808 EP.20

デビュー後の彼女の雄姿からしてそのように思われるのも無理からぬことかもしれない。けれど口を開くと相変わらずのとぼけた言動で、だからこそ彼女は「アイドル」の一つの到達点だと思うのだが、I.O.Iの期間終了後未練なく女優業に再び戻ったことまで併せ考えると、「やっぱり、もしかしたら……」と思わせるそれ自体が彼女の魅力なのだろう。

そういえばPRODUCE48では鬼トレーナー・ユンジョン先生が彼女に対して言った「ソヘ、歌手になりたいの?」という言葉が練習生たちに「PRODUCE101の中でもインパクトのあるシーン」として取り上げられていたが、筆者はてっきりこれを「ソヘ、(ダンスが出来ないならアイドルを諦めて)歌手になりたいの?」ということなのだと思っていたが、本編を見て「(本気で)歌手(広義のアイドル)になりたいの?」という、キム・ソヘさんへの覚悟を問うている質問だということが分かったのは収穫であった。

PRODUCE101での筆者の「推し」


[Produce 101] [Teaser] ′You and I make a good couple.′ - ♬24hrs @Concept Evaluation EP.09 20160318

カン・ミナさんである。(上記動画のセンターを務めているお団子ヘアーのお嬢さん)見た目通り快活な性格で、でも実はそれをいつも求められることに疲れていたりもする。こっそりお菓子を食べてもりもり成長(横に)して怒られたりもしているがその健康的な感じが魅力的である。「24Hrs」もハマっていて、PRODUCE101の楽曲では一番好きだ。(前述した先に観た10話でこの曲がかかったら突然司会の女性が踊りだしたので面食らったのだが、通してみたらもともとこの曲のチームメイト(先に脱落)だったとわかって感慨があった)無事デビューを果たした後のMVでも完全に胃袋キャラであった。そんなまだまだあどけなさも残る彼女は、PRODUCE48にもちらりと顔を出す。果たしてどのように成長しているのか……それを読者諸賢は嘆息とともに確認することになるだろう。

因みに妻はハン・ヘリさん。可愛い声とさばさばな性格のミスマッチが最高である。この見た目で成人済みなど、もはやギャップのデパートである。


[Produce 101] 1:1 EyecontactㅣHan Hye Ri – GFRIEND ♬Me Gustas Tu @ P.E(RAP) EP.07 20160304

ということでPRODUCE48を観てみてくださいね。

なんとここまでで8000字を超え、文字量最多の記事となってしまった。この辺にしておこう。あいつPRODUCEシリーズのことになると長口上になるの気持ち悪いよな……と言ったところであるが、それだけのものがあるんだと思っていただければ幸いである。現在はシーズン2をポジション評価の途中まで観たところ。観終えたらまた感想を書きたい。

今年の6月までk-popなんて少女時代とKARAぐらいしか知らなかった10年前からタイムスリップしてきたような人間が韓流専門チャンネルを契約している、というこの事実からその中毒性を思い知っていただければ幸いである。ちなみにMnetの番組だと他に「水曜美食会」とかが好きです。

ということで折角、素晴らしいエンターテイメントを無料で体験できる機会を逃していただきたくないし、観終える頃にはきっと課金してでもPRODUCE48の「0章」としてPRODUCE101を読者諸賢は観たくなっている、と筆者は考える次第である。

きみのためなら死ねる [完全版]

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ミュージアムのアラサー、あるいは晴れた休日の朝鹿児島市立美術館へ行った話

入館まで

丁度一週間前、「ミュージアムの女」を再読した。

 

ミュージアムの女

ミュージアムの女

 

 KADOKAWAお得意の「一風変わったお仕事の人の実録4コマ」といった趣のこの作品はしかし確かな画力と構成、作者の方のやさしさ、仕事への矜持と愛が満ち満ちており、その枠にとどまらず筆者に高い満足感を与えてくれた作品であった。

優れた作品というのは人に影響を与える。そもそもがミーハー体質であった筆者はがぜん美術館へ行きたいという気持ちになっていた。とはいえ出不精の筆者も並列して存在し、均衡状態が続いていた。

均衡を破ってくれたのは妻であった。妻は鹿児島市内において友人と会う約束をしていたのだが、踏切のタイムロスを見誤り、タッチの差でJRに乗り損ねたのである。これにより筆者は妻を友人の元へ送り届けるという大義名分の下、鹿児島市内へ向かい、そのまま鹿児島市立美術館へ入館することにしたのだった。時間は十時二分。開館より二分、恐らくは純粋な(展覧会の関係者などを除く)入館者としてはその日初めてであったかもしれない。館内は新しい朝の爽やかさと収蔵室で待ち構えている作品たちが放つ重厚さがセッションを繰り広げているような面持ちであった。

小学校以来、何度も訪問しているはずなのだが観覧料を支払う場所が2Fであるのに間違えて1Fのインフォメーションを尋ねるという失態を犯してしまった。

秋の所蔵品展

若干赤面しながらまずは秋の所蔵品展に臨んだ。ルノアールセザンヌピカソ、ダリ、ウォーホルの作品はやはり覚えがあり、その再会に懐かしい気持ちになりつつも、一つの展示作品に驚かされた。

オディロン・ルドンの「オフィーリア」。

www.digital-museum.jp

既読の読者諸賢には判り切ったことを書くことをご容赦願いたいが、先述した「ミュージアムの女」において声に出したい芸術家ランキング上位ランカーは間違いないであろうオディロン・ルドンは重要な立ち位置にある。その本を読んで美術館に行きたくなり、そしてその作家の作品に出会うというのは、ちょっと出来過ぎていて冷め始めていた頬が再びぽっぽとしてきてしまった。

ちなみにオディロン・ルドンと言えばバックベアードのデザインのルーツとも目されており、このロリコンどもめ!そういえば最近視聴できていないゲゲゲの鬼太郎が思い出されたりするのであった。バックベアード田中秀幸さんなのか……。

www.toei-anim.co.jp

ちなみにルーツ云々についてはこちらの説明が判り易い。

blog.goo.ne.jp

またその時の筆者は「ミュージアムの女」表紙の絵もオディロン・ルドン作であることをすっかり失念しており、オディロン・ルドン(打鍵しながら脳内で音読すると大変気分がいいので今後もフルネーム表記のままでいきます)といえば「黒」というイメージがあったので(実際に同じく展示されていた「聖ヨハネ黙示録『日を着たる女…』は黒い版画作品であり、パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソオディロン・ルドンとの公平性の為に一回こちらもフルネームにしてみました)の青の時代の様にオディロン・ルドンには黒の時代が存在する)その鮮やかさに再び驚かされてしまった。悲劇のヒロインが鮮やかに活写され、その表情は様々なものを含んでいるようである。色の説得力が炸裂しているように思えた。

 この他所蔵品展の中では、電話で名前を相手に伝えたら聞き返されそうな芸術家ランキング常連であろうデュビュッフェの「都会脱出」に描かれているキャラクターが筆者は非常に好きで、勝手に市立美術館のアイドルに認定しているのであるが、著作権の関係上上記の様にデジタルライブラリーではご紹介が出来なかった。是非ご訪問いただき、その何とも言えない力の抜けたキャラクターを見ていただきたい。

特集:世を動かした薩摩

続けて特集「世を動かした薩摩」を鑑賞した。西郷隆盛(南州)書の「敬天愛人大久保利通(甲東)書の「為政清明」をはじめ、幕末・明治を彩った薩摩に関する作品が展示されている。特に川口雪蓬の書では書題の李白に影響されたような豪放な書きっぷりにくわえ、いわゆる「エモい」史実を知ってこれが大河で再現されるのかという楽しみが生まれたりした。

大河と言えば、政府にブチ切れ腹切りマンと化した横山安武を惜しんで西郷が書いた弔旗も展示されていた。実弟である森有礼(日本最初の文部大臣)の書もあった。

かつて多くのお嬢さん方をロスに誘った五代友厚の書画もあったりする。素朴である。

島津斉彬公・久光公の歌もそれぞれあるのだが、筆者は久光公の方が好きであった。武骨さとスケールの大きさがうかがえてよい。

西南戦争を報じた錦絵もあった。昔よりメディアはいい加減であったことは以前も書いたけれど、西南戦争においても西郷は「悪者で大物っぽくするため」実際を捻じ曲げてぼうぼうのひげをどの錦絵においても生やされていて「君なんか錦絵と違わない?」と城山で言われなかったかいらぬ心配をしてしまった。

当時の鹿児島城下、すなわち今美術館のあるまさにこの辺りをよく知ることが出来る「天保年間城下絵図」はインフォメーションで販売しており、先程の失態を取り戻すがべく購入した。大ボリュームである。

小企画展「彫刻家の版画」

様々をゆったりと鑑賞し廊下にて「忠犬ハチ公」(渋谷のものの原型)越しにかつて就活であのあたりをぶらついたことを思い出したりしつつ、所蔵品展と共通で観覧できる小企画展「彫刻家の版画」も鑑賞することにした。筆者は芸術作品の中では彫刻が好きで、それはその量感に説得力があること、ものによっては触れてより身近に感じられることによる。

版画というものについて考えるとき、確かに立体と平面の狭間のものであるという事実があるのだが、筆者はそれについて考えたことがなかった。それぞれは(企画展の解説にあるように)アプローチが異なり、独立したものであると考えていたからである。しかし並べてみるとマリノ・マリーニの版画はその動きと周りに配置された鮮やかな色が彫刻へ結実したときにその躍動感へとつながっているように思えるし、ヘンリー・ムーア(名前に聞き覚えがあると思ったら広島にて「ナチスに退廃の烙印を押された作家たち」展にて作品を鑑賞したことがあった)の象の頭蓋骨に対するアプローチは版画が狭間であるからこそ成し得たもののように思えた。一方でアルベルト・ジャコメッティに関しては、メインは版画であるとはいえ、彫刻作品は写真での出典であったので少々寂しかった。とはいえ、ジャコメッティが病を得、自らの死――終わり――を猛烈に意識しながらも「終わりなきパリ」という名の連作を精力的に行っていること、そしてそれには題名とは裏腹にやはりどこか終わりの影を感じてしまうことに対する作家と作品との関係性について思いをはせるだけでおなか一杯ではあるのだけれど。

鑑賞を終えて

何度も行った美術館ではあったのだけれど、なんとか今のところ日々新しく物事を脳みそに蓄積して生きているので、例えば今回のオディロン・ルドンであったり、ヘンリー・ムーアであったり、「キャンバスを切り裂くだけで作品って気楽でいいな」と見るたびに思っていたフォンターナの「空間概念(期待)」が立体と平面の概念という意味で革新的な作品であると小企画展を通して見方が変わったりなど、新たに仕入れた知識と慣れ親しんだ作品がつながるというカタルシスを十分に味わえたので大変有意義な時間を過ごせた。こんなにいい作品がいっぱいあるのにほぼ貸し切り状態だったのは嬉しくもあり、悲しくもある。是非一度足を運んでいただきたいと思う。

 

 

10日はたそがれの街、あるいは黎明館特別企画展「西郷どん」展に行った話

本編の感想がなかなか追いつかないうちに「西郷どん展」が来週までであったので、おりよく市内に出向く用事があったので訪れてみた。

瑛太さんが音声ガイドをされている、ということで今回音声ガイドデビューもしてみた。

 

西郷隆盛展」ではなく「西郷どん展」であるがゆえか、まずは幕末、特に薩摩の時代背景を来場者に丁寧に説明していく。洋風で開明的なイメージがある斉彬公の大鎧が大々的に展示されているのは新鮮であった。

城下絵図、錦江湾(薩摩潟)の屏風など、大づかみな薩摩がビジュアルで展開され、示現流の解説も交えつつ、劇中でも印象深いアジア図が視界に飛び込み、目にも美しい薩摩切子を初めとした斉彬の事業の成果物が並ぶ。続いて篤姫に関連する様々な資料が展開される。特に白眉は雛調度と言われるミニチュアの薩摩切子であろう。クリアファイルになっていたので妻へのお土産にした。これが原寸大なのだから圧巻である。

続いていよいよ西郷が政治の表舞台に……と思いきや早速島流しにされてしまう訳であるが、大久保が丁寧に当時の情勢を伝える手紙が残されており、女房役の健気さがしのばれる。また、島にいる間愛用していたという酒器はなかなかのインパクトで、その大きさからまた西郷という人の規格外さをしのぶことができる。

イムリーなところでは維新後の愛佳那への手紙もあった。菊次郎のアメリカ留学のほか、娘を上京させるようアドバイスしている。間違いなく娘のことは考えているのだろうが母の気持ちについての機微は今一つなあたり、大河ドラマはリアルなのかもしれない。

二度目の完全に罪人として流された沖永良部島でのゆかりの品も数多く残っており、西郷という人が幻想の中の人物でなく、確かに島の人に愛されていたのだということが外堀からわかったような気がした。

沖永良部では西郷は疑似餌を手作りしてイカ釣りを行ったといい、その疑似餌も見ることが出来た。本土の方では南方の木で作るイカ釣りの疑似餌は最上とされていた、というが、島の人々はそのように疑似餌を使ってイカ釣りをする西郷を奇異に見ていたというのはなんだかおもしろい。

そしていよいよ中央復帰、禁門の変へ繋がっていくのだが、今度は大久保へその情勢を西郷が手紙で細かく伝えていることが立場の変遷が分かって興味深い。

幕末全体のファンとしては新選組関連の展示(袖章、英名録)にテンションが上がってしまう。英名録は島田魁筆ということで、巨漢のイメージのある島田が端正な筆致だったのが失礼ながら意外であった。ゴールデンカムイを読んでいるものとしては「松前 永倉新八」にピクッとしてしまうし、単に折り目の部分だからかもしれないが、武田観柳斎の名前だけぐちゃぐちゃに滲んでいるのにメッセージ性を感じてしまったりする。

また、にわか刀剣好き、陸奥守吉行好きとして見逃せないのが「竜馬を斬ったかもしれない刀」京都見廻組桂早之助所用刀である。武骨な造りがいかにも「実用刀」――人を斬る(斬った)刀という風情で凄みがあった。

進んでいくと実物の「錦の御旗」が鎮座ましましており、その荘厳たる姿、当時のピカピカの状態であったらばよりオーラがあったであろうと感じた。

明治天皇が下賜したという「必勝祈願セット」もあり、その中に入っている「勝栗」でそろそろ聚楽第を攻略せねばと思う筆者であった。(刀剣乱舞の話が多くてすみません)

ここから会場は向かいの特別室に移る。

 

最初の特別室には西郷を演じる鈴木さんのパネルが、

向かいの展示室には大久保を演じる瑛太さんのパネルが向かい合わせに配置されている、というのもなかなかメッセージ性が強いと深読みをしたりした。

こちらの展示室にも西郷が薩摩最後の藩主より拝領した「太刀 額名 雲次」があり、その直刃調の小丁子乱れの刀身は刀剣好きとしては来歴も含め垂涎である。

ここからは幕末の英雄西郷隆盛が明治政府の重鎮となり、またそれを捨て去ろうとし、しかし捨てきれず、(が、その合間に確かに憩いの時間はあり)賊軍の総大将となり、その後文字通り星(西郷星)となり、「上野の西郷さん」となるまでが語られる。

明治天皇から下賜された刀装具(繊細な装飾が施された目貫・縁頭)を優れた猟犬を借り受ける質草代わりに人に渡してしまう、というエピソードがなんとも西郷を象徴しているように思えてならない。(この刀装具は子孫の方が大切に保存されていて、今回初めて公開されている)

西郷という人は、己のことであればそのようにバッサリと切り替え、捨て去ることが出来る人であって、また本当に隠居を望んでいたんだなということが伺いしれる。

しかし私学校設立他も二心があるように疑われ続け、ついに私学校生徒は暴発する。この手法は鳥羽伏見の際に西郷印の旗の下で薩摩が使った手法であるのが歴史の皮肉であろうか。

西郷は熊本城に、清正公に敗北し、かちあい弾をも生んだ田原坂にも敗北し、とうとうこの展示会場である黎明館の目と鼻の先、城山を士の山にし、死の山にして果てる。

しかし明治天皇のお気に入りだったことも手伝って(刀装具のこと知らないんだろうなあ)名誉回復し、「上野の西郷さん」として文字通り鎮座している。

この展示の最後の最後に、筆者が「西郷どん」を総括する最後のピースとなるような資料と出会った。これは「西郷どん」感想シリーズの最後に記したいので、今回は保留とさせていただきたい。

西南戦争辺りからは、「ああ、こうなってしまうのだよなあ」と胸が苦しくなりながらの展示であった(最初の展示室の人物相関図の没年が1877が多数あったことがリフレインされた)が、それだけ感情移入が出来るようなつくりとなっていたということであろう。「上野の西郷どん」ではなく、京都に西郷像を造る計画があったというのには驚いた。西郷像まわりの資料は充実していたので、翻って最終話であるであろう除幕式が楽しみである。

特に印象に残った展示

あんまりいい展示だったので図録を買ってしまった(トートバッグとセットでお得!)。この写真ではわかりにくいがメタリックで格好いい。解説も充実している。

が、筆者が特に心に残った二つの展示はどちらも未収録なのが残念であった。

どちらも特別展示であるからであろうか? 県のHPに案内が掲載されていたので引用させていただく。

「西郷午次郎武小学校入学誓約書控(西郷家萬留二〇七)」

西郷隆盛の息子・午次郎は,西南戦争の前年にあたる明治9年(1876),武小学校(明治8年(1875)12月創立,現在の鹿児島市立西田小学校)に入学することになりました。
資料は,入学に当たって小学校に提出した誓約書の控えです。父親としての隆盛の姿を感じ取れます。
盛は午次郎の名を書くべきところに自分の名(吉之助)を誤って書き,黒塗りした上で書き直しています。
お,隆盛は午次郎の通った武小学校門札も書きました(太平洋戦争で焼失)。

西郷の「父」らしさ、愛嬌のあるうっかりさなど、西南戦争の前年、貴重な心やすらかな時間を過ごせたことが伝わり、心に残る資料であった。

刀:銘州住守次藤原是利治二年十一月吉日」(伝・桐野利秋所用刀)

本資料は,桐野利秋が愛用したと伝わる長さ98.5センチメートルの長い刀です。
野利秋(中村半次郎1838年~1877年)は,剣術に長け,「人斬り半次郎」の異名をもっています。西郷隆盛のもとで国事に奔走しました。篠原国幹村田新八らと共に私学校の設立に関わり,西南戦争では,薩軍の隊長として活躍しましたが,城山で戦死しました。

見廻組の刀とは対照的に長く優美で、これで本当に示現流が使えるのか、一回で折れてしまうのでは、と思わせる刀。しかし確かに殺気は纏っていたように思う。

↓引用元

鹿児島県/黎明館「西郷どん」展(鹿児島展)限定関連資料の特別展示について

 

ミュージアムショップで購入したこの飴も素朴な味でおいしかった。

特にお気に入りはこのクリアファイル。デザインはもとより、実用性が普通に高い。

ポスターは無料なのでもらってしまった。西郷どんもいよいよ最終コーナー、特別展でのあれやこれやは大河ではどう描写されるのか。最後まで楽しみに待ちたい。

2018年の荒野を行く あるいは本日発売テキサスバーガー2018&アイダホバーガー2018を食べた話

男には地図が必要だ…荒野を渡り切る心の中の「地図」がな

――「スティールボールラン」より

 

筆者がマクドナルドを偏愛している、ということは既に述べた。

特に大学時代はあらゆる制約を解き放ってやたらとマックしていた。完全オフの日など、前日の夜に四人だかでシェアする用途のドライブスルー用セットを自転車で買いに行って(怒られました)それを都度ぱくつきながら一日引きこもって箱○でゲームをしていたものである。マクドナルドは荒野に似ている。それは荒涼としているということではなく、どこから手を付けたらいいかわからないという意味において。

約束されたレギュラーメニュー、目を引く期間限定商品、数々のサイドメニュー……それらを自分の獰猛な胃袋をどう鎮めて制覇していくか……正しく暗中模索、荒野の中で一粒の白ごまを探すようなもの、ほとんどマザー2である。

その為の地図がかつて筆者にとっては「クォーターパウンダーチーズ」であった。

圧倒的肉の説得力。クォーターパウンダーチーズの前にクォーターパウンダーチーズはなく、そして残念なことに今の所後にもない。

とりあえず生、のようにとりあえずクォーターパウンダーチーズ、が筆者の定番であった。ここを起点に荒野を切り開いていくのがお決まりのパターンという訳だ。

2010年、そこに颯爽と現れたのがテキサスバーガーである。今も思い出す。バイト帰りのバイト仲間と行ったあのマックでの出会いを。それは荒野の地図を手にし粋がっていたワイルド筆者強盗団に保安官(シェリフ)が放った銃弾であった。フライドオニオンの香ばしさ、マックらしからぬ、しかし根底には確かにマックらしさが流れているソース……そのワイルドな魅力に筆者はシャッポを脱がざるを得なかった。だからその次のウェンディーズのなりそこないみたいなニューヨークバーガーには心底がっかりしたものだ。

思えば2010年はその後秋に「レッド・デッド・リデンプション(RDR)」をプレイし、その勢いでマカロニ・ウェスタンにハマるなど荒野めいた年であった。

また荒野と食事の組合せで思い出すのは先日惜しまれつつも亡くなられた土山しげる先生の「荒野のグルメ」だ。これは小料理屋を荒野のオアシスになぞらえてそこでの交流や料理が明日の活力となる……という趣向で、夜九時くらいに読むととてもいい感じの漫画である。筆者は田舎の車社会の人間なので帰りに一杯ひっかけて……というのに憧れがあるので羨ましさがさらに増幅される。

さてなぜこんな話をしたかというと、筆者にとってのオアシスはやはり筆者の近所の(と言っても隣町である)マクドナルドであるからである。前職から取引先が同エリアにあった関係から、取引先と取引先の間が開いたときなどよくお世話になっていた。

引っ越して後、ドライブスルーでの利用が主になっていたが、今回奇しくも「レッド・デッド・リデンプション2」が発売され(残念ながらまだプレイできていない)テキサスバーガーが復活し、色々あってジャンクなものを半端な時間に食べたい、ということになったとき、再びあの保安官(シェリフ)に会いに荒野のオアシスを訪れようと洒落込んだわけだ。

昼過ぎ、店内は落ち着いていた。これはまた別の記事で語ることになると思うが、かざすクーポンを使い、結構溜まっているdポイントでキャッシュレスで決済する。スマホだけで会計がすむのはやはり楽である。諸般の事情で30分も滞在できないので手早いのはありがたい…と考えているうちに出来上がった。ファストフードの名に恥じない手際の良さである。

 そうしてヤツはやってきた。いや、ヤツらはやってきた。そりゃどっちか聞かれているのだから食べ比べなくては仕方ないのである。

まずはアイダホである。「君なんか写真と違わない?」してもよくないのでドタマをご紹介だ。はみ出るベーコンが食欲を誘う。以前アイダホバーガーを食べた時はおいしいけどまあ…こいつ大体朝マックだな…という感想であったが、今回のアイダホバーガー2018はハッシュドポテト部分がよりカリカリクリスプになっており、歯触りが楽しく、またソースがしっかり「昼のアメリカンマック」を主張しており、食べごたえがある。

続いてテキサスである。思わず写真を撮るのも忘れまずかぶりついてしまった。お見苦しいところを見せて申し訳ない。

「早撃ち対決だ。1,2,3でお互いに正面を向いて銃を抜く…1、2、(ダァーン!(乾いた銃声)ウッ…貴様卑怯だぞ」といった具合である。荒野では油断した奴から死ぬ!

ともあれテキサスバーガー2018、それはかつての筆者が圧倒された懐かしきフライドオニオンであり、ソースであった。ゆっくりとその荒野の苛烈さをバーガーにしたような味わいが辛ッ

「筆者、まだくたばってなかったとはな…お前のことはクソ親父からよく聞いてるぜ。俺は親父の様に甘かあねえ、失せな、ケツの穴をもう一つ増やされたくなかったらな(撃鉄を起こす)」

それはテキサスバーガーにはなかったパンチあるマスタードの刺激。保安官(シェリフ)は代替わりし、よりスマートに、よりパワフルになっていた。

テキサスバーガー2018は間違いなくおいしい。しかしかつてのテキサスバーガークォーターパウンダーベースであったのに対して、今回のテキサスバーガー2018は(おそらく)マックグランベースであり、近似しているがゆえに、思い出の中で理想化されている初代テキサスバーガーがより恋しくなってしまうという点は否定できない。

月並みな感想になってしまって恐縮だが、あくまで「テキサスバーガー2018」という新バーガーを食べに行く、という気持ちで臨むのがいいように思う。コンビニの何度もループする「新商品」に比べればずっと新商品らしいではないか。

2018年の荒野、そこには常に前を見据えるマクドナルドの姿があった。頼もしさを覚えながらもどこか一抹の寂しさがよぎるのは、筆者が老兵になりゆくからであるからかもしれない。

 

荒野のグルメ 1

荒野のグルメ 1

 

 

書を拾おう、街に出て。

余談

文化の日である。碑である。と変換され、前回触れた「鵺の碑」がフラッシュバックされる。曾祖母の命日でもある。いつの間にか八年も経ってしまった。

八年前の今日、筆者は大阪にて開催されるリクナビ開幕liveに参戦する――と見せかけて海遊館に向かっていた。広島大阪間がお得な切符が出ていたのである。そして初めての海遊館を堪能し、大阪城に到着して暫くして、母から訃報が届いた。それは丁度、蓮如上人の像に差し掛かったあたりで、敬虔な浄土真宗門徒であった曾祖母が招いた不思議な出来事のように思えた。

翌日は大学祭で、筆者は何度か書いたけれど文学サークルに所属していて、寡作ながらも「個人誌」(自分の作品をまとめた単行本のようなもの)を出すくらいの分量が貯まっており、文化祭にて頒布することになっていた。100部くらい刷った。

葬儀のため筆者は帰省し、大学祭には参加できず、自分の作品だけを集めた冊子を手に取る人を目の当たりにする、という野望は実現せずに終わった。

多分その時から、創作者としての筆者は足踏みが始まった。創作というのは基本的には孤独な作業だ。特に筆者は集中力がないし他にも色々ないのでやたらと時間がかかる。そうして出来上がった作品はかわいい。初めのころは、サークル仲間に受けるだけで嬉しかった。しかし学年が上がると、褒めてくれてもそれは年上だから気を遣わせてしまっているのでは……という思いがあった。だからこそ大学祭という外部の場で、実際自分の作品がどうなのか、というのをわが目で確かめたかった。あれこれを片付け、広島に戻るとありがたいことに在庫はだいぶ減ってはいたけれど、もしかして鍋敷きとして使われたのでは……という思いすら抱いた(失礼な話である)。

blog.hatenablog.com

先日、「週刊はてなブログ」で言及して頂いた。アプリを(ところで今、アプリから記事を書くボタンがなくなってしまっているのだけどどうしたのだろう)開いて通知を確認し、見慣れたペン先マークがあったので「今月のPV通知かな?」と思ったら言及についての通知だった。すぐに記事に飛んだ。有り難いことに二つも記事を紹介して頂いていた。大げさでなく、ちょっと涙が出た。

「フィッシュストーリー」という映画がある。原作は伊坂幸太郎先生の同名の作品だ。同先生の「終末のフール」とマッシュアップしたような内容のこの作品は多部未華子さんが可愛く、高良くんが爽やかで、渋川清彦さんが(西郷どんでは板垣退助役で登場している、筆者の大好きな役者さん)独特の味を出している、爽快に終わる傑作なのだが、その中で登場人物は言う。「これ、誰かに届くのかなあ?」大学時代からずっと、筆者が思っていたことだ。正しく大学時代、今は亡き素晴らしい映画館、「シネツイン本通り」で見た時もそう、そうなんだよな、と頷いた記憶がある。帰ってこないキャッチボールほどつらいことはない。

今年ブログを始めて、筆者がとても観測できないところからキャッチボールが返ってくることが何度かあり、投げ続けてよかった、とそのたびに思った。そして今回、公式にも取り上げて頂いて、より多くの人に届いたことがアクセス数からもわかった。

フィッシュストーリーは世界を救う。筆者が思いのままに各記事はそんなことは出来ないけれど、どこかの誰かに、そう、そうなんだよな、と思ってもらえることを目指して、これからも書いていきたい。

 

フィッシュストーリー
 

 現在Amazonprime会員なら無料で見られるので未見の方は是非。

本題

余談が、ながくなった。

図書館フェスティバルというなんとも文化的な催しがあると知り、行ってみることにした。うっかり「PRODUCE48パフォーマンスSP③」を追っかけ再生してしまったせいで、出発は昼前。幾らかの企画は既に受付終了していたりした。いつもとは違う、コーヒーの香り漂う図書館にわくわくする。

図書館を廻るクイズラリーは大人用、子ども用とあり、無論大人用を選んだわけであるが、なかなか手応えのある内容であった。(市章の色、映画化した作品、今期の芥川賞西郷どん島流しされていない島、など)大人用の問題に挑戦する少年少女がそこここに見られ、微笑ましかった。

「本の玉手箱」という司書さんおススメの本の福袋企画もやっており、今まで妻のカードで自分の分まで借りてもらっていた筆者も一念発起してカードを作成、挑戦してみることにした。これで我々夫婦で一度に十六冊の本が利用できるわけであるが、今の我々には持て余してしまいそうである。とんかつがきつくなるように、本の消化もエネルギーを使う。

カードの作製は暫くかかるということで、その間屋上での除籍書類無料配布へ。スタート時は整理券が配られるほどの盛況ぶりで、筆者が行った時は既に落ち着いていたものの、本もほとんどなくなってしまっている状態であった。それでも青空の下、掘り出し物を探す作業は楽しかった。

因みにどれくらい青いかというとこれくらい青空であった。気温も二十度とぽかぽかであった。

思いのほか楽しく時間を過ごすことが出来たが、明日の行事に向け買い出しが逼迫しており、ビブリオバトル他午後からの催しが拝見できなかったのが残念であった。また、本のフリーマーケットスペースには何も見当たらなかったが、すべて売れてしまって撤収したのか、場所が変更になったのか、それとも参加される方がいなかったのか……最後であるならば、筆者が前回の記事で処分したものを出典すればよかった、と後悔したりした。

本の玉手箱はこちらを選び、

中身はこのようになっていた。読了後また感想を記事にしたい。

除籍書類でゲットしたのはこの五冊。俳句は全然わからないのだが、ぱらぱらとめくった「俳句」三月号の「葱」一つがものすごくスペクタクルという見出しにハッとしてグッときて持ち帰ることにした。ちなみにこれは西村和子さんの俳句

ふたり四人そしてひとりの葱刻む

という句に対する言及となっている。(葱が歴史を語っている、といった感じ)個人的には「ふたり」「四人」「ひとり」と数え方のひらくか開かないかが葱の刻み方のリズムの違いを表しているようで面白い句だと思う。

言葉は自由で柔軟だ。矛にも勝れば盾にも勝ろう。それ故に獰猛な言葉を五・七・五の窮屈な檻に閉じ込めるというのは並大抵のことではない。筆者の文章は冗長になりがちであったり、中身が薄いことがよくあるので、この機会に俳句を学び、そこから記事に還元することを目指していきたいと思う。

電子書籍積読はどうしたか、というのは言わない約束でしょ、おとっつあん。

 

冬の始まりに夏の摸倣を振り返る

講談社ノベルス期」というのがある人にはある、と筆者は思う。筆者にはあった。

あのサイズ感に。イヌくんに惹かれてたまらない時期が。

「カバーデザイン=辰巳四郎

「ブックデザイン=熊谷博人」

この並びだけでご飯がうますぎてふりかけが欲しくなってしまう時期が。

筆者は中学二年時にそうなった。そしてそれはほろ苦い諸々とともに封印されていたのだが、何度か書いた通り本で実家が傾いてしまっているので処分することになった。大分厳選して元々の1/5くらいになっているはずだがそれなりにあった。

カッパノベルスが混じっているじゃねーか! というのは言わない約束である。

自分の机の引き出しにしまっていたノベルスのカバーにこんなことを(移動教室の時に勝手に)書いてくれた「ヨネピー」は今、歯科医になっているはずである。それほどの時が流れても、鵺の碑はまだ出ないのだった。筆者が進学し、就職し、転職し、結婚しとライフイベントを黙々とこなしているのを横目に鵺の碑は何を思うのか。ということでカバーの下は邪魅の雫である。十年以上が立っているとはにわかに思えない。カバーって大事だ。

これら本は総じて今の筆者を形作った財産であるが、相続相手を探す前に家がつぶれても致し方ないので古書店に引き取ってもらうことにした。50円だった。引き取ってもらっただけで有り難いのであるが、筆者の青春は硬貨一枚か……とちょっとしみじみしたりもした。(とはいえ貧乏学生のこと、上記のほとんどはもともと古書店で購入したものである)また誰かの手に渡ればいいな、と思う。犯人にアンダーラインは引いていないので安心して欲しい。

本題

前述したとおり貧乏学生のこと、古書店だけではなく図書館も活用していた。

夏のレプリカ」は高校の図書館で初めて借りた本だった。森博嗣先生の作品は人気があり、値が張ったので図書室で借りられるのはありがたかった。季節は七月に入ろうとしていたと思う。いい時期に読んだ、と思った。

夏のレプリカ」は偶数章だけで展開される小説だ。奇数章だけで展開される「幻惑の死と使途」と対を成しているが、それぞれ単体で読むことが出来る。「幻惑の死と使途」の方は中三の冬に全く季節感なく読んでいたので、大分間をあけての偶数章、ということになる。

森博嗣先生の作品は残酷なまでにロジカルでありながら、しばしばマジカルを挟み込む時があって、特にこの作品はボーダー的である。「信頼できない語り手」が登場することが更に内容を一枚秘密のベールで包み込んだかのような、神秘性を持たせている。

上記の様に図書室の本で読んだ、即ち自分に所有権がない状態で主に授業の空き時間に読んだというパーソナルな事情も手伝って、シリーズの中でも本作品は曖昧模糊とした、夢の中の雲を歩いているような不思議な気持ちになる作品だ。

どうしてこの作品を今になって回想しているかというと、この間amasonmusicをシャッフルしているとカナブーンの「talking」がかかったからで、森ミステリィをそういえば大学時代にあまり読まなかったことにも思い立ったことに端を発する。高校までは森ミステリィで垣間見える「大学生活」にあこがれを感じたものだった。進学したのは文系だったけれど。

それで「夏のレプリカ」で検索をして、一つのブログに心を揺さぶられた。即ちまたまた、この記事は冗長なブコメであったことが明らかになるわけであるが、ともあれ下記の記事であった。

dokusyotyu.hatenablog.com

自分は果たせなかった「同時読み」「大学生時に読む」の達成を羨ましく思いながら、記事読了後4年前の記事であることに驚いた。

そして最新記事を拝読して二度驚いた。

dokusyotyu.hatenablog.com

 ああ筆者はこの方のレプリカなのだ(性別は違うし年齢は筆者が恐らく上だが)、とじんわりと感動し、数ある森ミステリィの中から「夏のレプリカ」でGoogle検索をしたことになにかしら運命めいたものを感じてしまいさえした。

かつて、そう、それこそ同じ高校の図書室で伊坂幸太郎先生の「重力ピエロ」に出会った時、その帯にあったように「小説まだまだいけるじゃん!」と思ったし、その後諸作品を読むにつれて、自分の書きたいものが既にとんでもない高水準で世に出ていることに絶望したりもした。大学時代の四年間、筆者は不精な創作者であったが、常に自分が誰かの劣化コピィでないかと怯えていた。(そういえば筆者が所属していたサークルでまぎれもないオリジナリティを発揮していた友人K氏が上記ブログ主様の記事にスターをつけていて三度驚いた)けれど今、自分の辿れなかった奇跡を辿ってくれている上記記事を見て思うのは絶望ではなく感動であった。それは同一化なのか、昇華なのかわからないが、高速道路のジャンクションで同じ車種が一瞬交差したような気持ちがそこにはあった。同胞を見つけた思いが勝手に湧き上がっていた。

なんだかんだで創作欲が再び湧きあがったりもして、リハビリの為に何年かぶりに即興小説を始めることにした。今月の目標は、少なくとも10本の即興小説を書くことしよう。

木本 仮名太の即興小説一覧 - 即興小説トレーニング

咲良の下には魅力が埋まっている


【MV full】NO WAY MAN / AKB48[公式]

AKB48の最新シングル「NO WAY MAN」のMVが公開された。センターは宮脇咲良さん。他にもPRODUCE48組が多数選抜された。特に下尾みうさんは事ここに至って手あかのついた表現を使ってしまえば完全に「覚醒」したと思う。


【MV full】 UZA -Dance ver.- / AKB48[公式]

今回センターを務める宮脇さんが初めてシングルメンバーに選抜されたのは6年前。14歳であった。つまりはPRODUCE48で1位となり、IZONEでセンターを務めるチャン・ウォニョンさんと同い年の時だと考えるとなんだか不思議な符号を感じてしまう。

当時UZAは今までのAKBの曲で最高難度だと言われた。その末席で踊る宮脇さんは、素人目にも他のメンバーと比べると動きにぎこちなさがあった。しかし、数少ない姿が映るシーンではその眼が闘志に燃えていることを誰もが感じたはずである。

その闘志は燃え続け、最高難度が更新された最新曲で単独センターをもぎ取った。ここに6年間の1つのストーリーが結実したように思うが、文字通りの「俺より強いやつに会いに行く」理論で2年半の間AKBグループから離れIZONEとして活動するというのだから恐れ入る。


IZ * ONE(アイズ・ワン)コンセプト・トレーラー:あなたの色は何ですか?


IZ * ONE(アイズワン) - 「ラビアンローズ(La Vie en Rose)」MV Teaser 2

あぁ~~可愛いんじゃあ~~。

 

筆者が初めて宮脇さんを知ったのは2012年の2月。当時大人気であったSKE48(当時)松井玲奈さんが主宰する「メロンパン同盟」に加盟しようとする…というアクションが発端であった。当時の筆者は卒業を目前にしながら自動車学校を未だに卒業できておらず、自動車免許が取得できずに内定取り消しになったらどうしよう…と怯えながらAKBグループではSKEを特に贔屓にしていた。当時は大名曲である「片思いファイナリー」がリリースされた時期であり、世界征服女子という冠番組をやっていたりして追いかけるのがとても楽しい時期であった。そのような筆者にとって、「メロンパン同盟」という聖域に踏み込んできたような宮脇さんの行動は正直なところあまり好ましいものではなかった。半年ほど前にデビューしたばかり。知名度を上げるためになりふり構わず人気メンバーの懐に飛び込んできたのでは……? と穿った目で見られずにはいられなかった。SKEファン諸賢は団結力が強い一方で過激派も目立ち、「ビジネスメロンパン」というパワーワードが創出されたりした。この騒動は松井玲奈さん自身がブログを書き記すことにより収束するのだが、(実際はコンサート会場で松井玲奈さんの方から声をかけていたのである)筆者が苦手な「グイグイ系アイドル」だな……という印象は色濃く残った。年若さに比べ「プロ」と若干の揶揄を込めながら称される達者なふるまいも無理をしているように思えてしまっていた。

 

が、その翌月印象は大きく変わることになる。

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AKBグループ以外誰が使っているんだ? と思っていたらやっぱりほとんど誰も使っていなかったようでサービスが終了する「ぐぐたす」こと「Google+」で宮脇さんが投稿した上記の文章は筆者を、そして多くの人の心を打った。秋元康プロデューサーや週刊誌も同様であった。そういうことなのか、とその時筆者は腑に落ちた。彼女は沢山の人に沢山のものを届けたいのだ。その為にはなりふり構わずともガンガン前に進まねばならないだ。勿論その文章の上質さにも感嘆した。

 

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そして4月、「バック・トゥザ・サクラー!」に至ってその構成力と自己プロモーション能力に筆者は完全に打ちのめされ、気になるメンバーとなっていったのだった。

 

しかし社会人になり、可処分時間が減り、AKB関連割くリソースもなくなってしまっていた。この間も宮脇さんは総選挙ランクイン、そしてUZAの選抜抜擢と階段を駆け上がっていった。翌年は総選挙ではアンダーガールズ入り、翌翌年は選抜入りし、「希望的リフレイン」ではダブルセンターへと抜擢され、妖怪ウォッチとのコラボも果たした。


【MV full】 希望的リフレイン / AKB48[公式]


ニャーKB with ツチノコパンダ / アイドルはウーニャニャの件

当時彼女であった妻がアイドル好きであったこともあり、また仕事も幾らか慣れてきて、少しずつそういった情報を取り入れられるようにはなってきていた。

そして2015年。筆者は現妻と同棲することになり、宮脇さんは写真集を上梓した。いつの間にか宮脇さんはショートカットの良く似合うお嬢さんになっていた。鹿児島への凱旋握手会が開かれるということで、筆者は現妻を刺客に放った。信じて送り出した現妻は無事メロメロにされて帰ってきた。数々のアイドルを愛でて来た彼女をここまでにする……改めて筆者は宮脇さんは「本物」であることを感じた。「HKT48のおでかけ!」を録画するためにHDDを購入したりもし、仕事で精神が加速したためカッとなって夫婦二人で博多座に観劇に行って感激した。

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【MV full】12秒 / HKT48[公式]

38秒~の宮脇さんの目線の使い方がたまらない。博多座でコールできたのは思い出である。勿論アリスの格好の田中さんもカワイイである。

この時総選挙で宮脇さんは「AKBを壊したい」と宣言していた。(ちなみにこの年から筆者は宮脇さんに毎年1票ずつ投票している)勇み足ではないか、と思ったし、実際批判的な意見が出たけれども、もしこのムーブメントに同調する意見が多ければ、例えばPRODUCE48のような「グループの殻を破る」ことがもっと早く出来て、AKBグループも今よりもっと活気があったのかな、と今になって思う。

更に翌年には「君はメロディー」で単独センターを務め(といってもMVはレジェンドが多数参戦し、食われてしまった感があったが)、主演ドラマも多数。総選挙では「神7」入りも果たした。


【MV full】 君はメロディー / AKB48[公式]

そして今年、総選挙では3位、PRODUCE48では2位(日本人1位)となった。

彼女の来し方を見て思うのはそのパッケージングの上手さ、それを切り替える躊躇のなさっぷりのすさまじさである。始めに彼女は子役の経験を生かしたものかどうか、「子どもらしい子ども」としてAKBグループファン諸賢の前に現れた。「子どもらしい子どもと振る舞っているのが見え隠れしてしまう子ども」というところまでが本人が想定していたパッケージングかどうかは判らないが、(ちなみにこの時期、バラエティで足つぼをされているフリを完ぺきにこなして同期を疑心暗鬼に陥らせ涙させたりしている)それにより一定の支持を得た。が、ある時バッサリとショートカットにして、幼くして人気を得たメンバーの宿命ともいえる「成長することにより人気が減少する」という試練を「さくらたんが咲良さんに覚醒した」というストーリーへスイッチすることによって見事にかわして見せた。「ファンへしっかりとした文章で思いを伝える才女」という一面を大切にしつつ、「びっくりするくらい珍妙なフォームで運動音痴」であることも崩さない。MVの撮影であっても、今後を左右する曲選択のためのレースでもぶれずに珍妙なフォームである。絵に描いたような清純で現れるかと思えば育児放棄したヤンママみたいな格好も妙にしっくりくる。テレビゲームはダーティプレイも辞さない姿勢で勝ちにいくくらい熱心だし、オフの時はビックリするくらいオフだ。そしてここまで登りつめる恐ろしいほどの野心がありながら、醸し出す雰囲気はあくまでも謙虚である。そしてそれらすべてが与えられた書き割りのような背景ではなく宮脇さん自身がPRODUCEしたものである、ということに若干20歳の恐ろしさがあり、魅力がある。

izone chu!の1話を見た。Mnetの接続が不調になるほどの盛況ぶりであったが、そこで展開される宮脇さんの姿は日本での番組とはまた違うもので新鮮であり、「まだこういう切り口も用意しているのか」とその引き出しの多さに打ち震えた。深夜にだらしない格好でラーミョンをすする宮脇さんが見られるのはizone chu!だけ!冒頭のウォニョンさんもかわいい。なんだそのTシャツ。韓国メンバーとの細かなやり取りが気になるので日本語字幕版が待たれるところである。


IZ * ONE CHU [1回]「豚よ」はないよ、「よね」です!(feat。クラモクバン)181025 EP.1

今後もますます魅力ある姿が見られそうで楽しみであるし、最近興味を持った読者諸賢においては是非今回貼った動画他を参照して過去の宮脇さんの魅力を掘り起こしていただきたいと思う。