カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

カナタガタリ語り2021

余談

師走である。もう二つ記事を投稿しておいて今更時候の挨拶も何もないのだが、連続して余談がなかったので仕方がない。余談がなかったって言い方もどうなんだ。

師ですら走る、いわんや木本をや、ということで、走っている。決算書類と年末書類と公的書類が渋滞し、ここにコロナワクチン三回目接種の割り振りや年末年始帰省予定者の対応なども加わり、常に全力疾走状態で大晦日に滑り込んだ。

たまらず、床にうずくまり、なんとかスポドリを流し込んでいるところをサボりと疑われ笛を吹かれて消耗したりもする。(すべて比喩表現)オミクロン株はともかくようやく出口が見えてきたところに次回の診療報酬はマイナス改定ってこの国って医療従事者は蛇口をひねったら出てくると思っているのだろうか? 慰労金のお代わりをよろしくお願いします。

娘氏は夜中に突然泣き叫ぶことがあり、また寒いので厚着をさせたくなるが乳幼児突然死症候群のリスクが上がるため二の足が踏んだりと月齢が進むに合わせて難易度が上がってきているな…と感じさせる。とはいえその何倍も可愛さが加速しているわけであるが。

本題

ということで、参加させていただいた。以下は、こういうことを話そうかな~ということを再出力してみたもので、上記録音と大いに重複していることはご容赦願いたい。逆に言えば、録音の保存期限が過ぎた後や、筆者の語りが聞くに堪えない、という場合はこちらを参照していただけるとありがたい。

 

一番読まれた記事

kimotokanata.hatenablog.com

最終コーナーで書いた記事がまさかの最大PV。

十一年間欠かさず松屋愛をつぶやき続けてきた「天の時」

ついに松屋不毛の地に上陸した「地の利」

そしてフォロワー諸賢や愛松家諸賢に拡散してもらえた「人の和」

これら天地人が運よく融合したことで多くの人が読むに堪えうる記事になったと思う。

また、同時期に開店した北の地でパッションあふれる記事が既に上梓されていたことは「その逆」をいくにはどうしたらいいか、とブログの構成を一度冷静に考える機会となったし、前述したスペース出演のアンケート時にはまだ書いていなかったが構想はあったので「いや~今書いている記事が一番読まれたらいいんスけどねナハハ」みたいなことを言いつつもそうなったら面白いな、と気合が入ったのもプラスになったであろう。

そして記事中にも書いたように、リアルタイムで妻が「松屋わが家店」の開店を提案してくれたからこそ、ふっと「幸せの青い鳥」というモチーフでこの記事がまとめられることを思いつき、再度構成を改訂しつつ、当初考えていた「俺と松屋のブルース」より確実に良い記事となった。こういうことがあるからブログはやめられない。

更新できてよかった記事

kimotokanata.hatenablog.com

今でも思い出す。妻子が病院にいて自分が一人自宅。

ベッドに寝転がり、新生児用の服のカタログなどを見ながら、しかし気づけば「妊娠後期のトラブル・切迫早産・胎児突然死」などを調べてしてしまっている自分。

誰だって思う。「自分たちは大丈夫」我々もそう思いたい。思いたいが、妻の早期入院だってすでに「想定外」の事態であった。妻の前では頼れる夫でいたい(実際あれたかどうかはおいておいて)しかし一人の時は、どうしようもなく不安であった。

深海で酸素ボンベなしで出口のない迷路をさまよっているような気持ち。苦しいが、叫ぼうとするとその声は泡となって誰にも届かない……。

そんな時Twitterを開き、画面上を見ると今晩も、愛すべきフォロワーたちが談論風発。まるでなじみの店ののれんをくぐるように、「参加する」を押す筆者……。

とやかく言われるTwitterであるが、筆者は実際のところ「Twitterがあったから生きてるな」ということが何回かあり、この時もそうであった。

だからこそ娘が生まれたという報告も、真っ先にTwitterで行った。そして、反響もTwitterが最も大きかった。

そういう意味でこの記事は筆者なりの「インターネットへの感謝」であるし、いつか娘に機会があれば、あなたはこんなに愛を受けて生まれてきましたよ、と教えてあげることができるマイルストーンにもなった。

相変わらず、ぬけぬけと親父でいる。

人は親父に生まれるのではなく、親父になるのだ。

内実が伴うよう、今後も精進を続けていかなくてはならない。

kimotokanata.hatenablog.com

時間の関係で紹介できなかったもう一つの「更新できてよかった記事」ちなみに松屋記事以前では最も読まれた記事でもあった。

アイズワンについては今年のうちに最後の記事を書いておきたかったのだが、果たせなかったのが悔いである。書かなければ終わらないという子どもの駄々を筆者の脳のどこかがこねているのかもしれない。

四月三十日にその活動を終了したアイズワン。その道のりは決して平坦ではなく、どころかSASUKEも裸足で逃げ出すハードぶりであった。そんな彼女たちに、こういうともすれば尊大に見える文体で語るのは少し違うな、という思いがあり、いつもと毛色の違う記事になった。今改めて読んでみると、プデュ期に熱が入っておっと長くなりすぎた……と肝心のアイズワン期が淡々としすぎているメンバーが多いような気もし、全面書き直したくなる気持ちもあるが、しかしこのタイミングでしか書けないことをちゃんと書けているようにも思え、筆者なりの「推し」へのエールができたのではないか……という意味で、「更新できてよかった記事」とさせていただいた。

いよいよ日が替わりそうなのでこのあたりで。

貴重な正月休みに記事の「貯金」ができたらいいなと思う。