カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

僕の精神も封神されそうです、あるいは覇穹 封神演義五話目までの感想

覇穹 封神演義及び原作のネタバレがあります。


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余談

桜島、冠雪。南国の誇りを忘れてしまったのか。どうしたんだ、地球温暖化。筆者の住む平野部でも積雪が2回あった。どちらの日も小学生諸君は半ズボンで駆け回っていた。こどもらは風の子だな。むしろもう風だな。「ら」だから風たちだな。Windowsだな、という世界中のiPhoneユーザーから石を投げられそうなことを考えているうちに少し寒さが落ち着いてきたようである。この調子で順調に春になってほしい。

本題

余談が、とってつけたようになった。

「構成が美しいジャンプ漫画」を考えるとき、筆者の中ですぐに浮かぶのが「封神演義」と「魔人探偵脳噛ネウロ」である。あとはムヒョが……エンチュー編で終わっていれば……(続編? はどうなるんでしょうね)

構成を考えるのはむつかしい。特に週刊漫画連載はそうであろう。様々な外的要因によって構想通りにいくとは限らない。(外的要因といえばゲームでは特にメタルギアシリーズが顕著なように思う。もし9.11がなければ、声優さんの逝去がなければ、今とは全く異なったサーガが提示されていただろう。9.11で煽りを食ったゲームは他に「ビルバク」もそうであるという。昔そう言った経緯を全く知らず1000円で購入したが、あのプレイの虚無感はなるほど爆破解体後のそれに似ているのかもしれない。おすすめしない)打ち切り漫画の最終話で本来本編中でやるはずであったエピソードが台詞で語られたり、ダイジェストで描写されたり、後々登場させる予定だったライバルキャラが一斉登場したりするのを見るのはとてもとても悲しいものだ。だからこそ、構成が美しいジャンプ漫画は一際輝く。それはさながら青い薔薇のように。

ジャンプ(に限らず)漫画のアニメ化をするとき、やはり構成を考えるのはむつかしい。多くの場合は人気を受けて連載中にアニメ化される。そのため話が連載に追いついてしまいアニメオリジナルを挟んで間延びしたり、強引に話を畳むことになったりする。

どちらにせよゴールが自分で思うように決められない状態、というのがその難易度を上げている。ということは逆説的に、「構成が美しいジャンプ漫画」を「完結した状態でアニメ化」すれば、素晴らしいものが出来るのではないか!?

でもそうはならなかった、ならなかったんだよロック。だからこの記事はここから覇穹 封神演義の感想なんだ。

誰が為に先を出す

一話の時点ではまだ、不安も多かったものの、擁護も多かったように思う。

いきなり太公望と聞仲が雌雄を決するシーンである。このシーンから始まることで「仙界異聞録 準提大戦」を思い出した方が全国に3人くらいはいたと思われるが、ともあれいきなりのネタバレシーンも「今回のアニメは仙界大戦がメイン」ということは既にアナウンスされており、その為の布石であると理解を示していた人が多かった。巻きの展開も序盤である故仕方がない……と。(回想で出るかもしれないし、という希望的観測もあった)

tsutaya.tsite.jp

しかしこれが2話のアバンとなると既に筆者の精神は大きく動揺する。3話はまだ伏せるべきところは伏せていたように思うが、4話に至ると「もしかして原作のことがあまり好きではないのでは……」と思ってしまうレベルである。

アウトレイジ漫才でおなじみ(筆者の中で)セルライトスパというお笑いコンビがいる。彼らがM-1グランプリ2017敗者復活戦でやっていたネタが急激に脳内で喚起された。以下引用。

「大型トラックが荷台切り離して前の部分だけで走ってたんですよ。僕あれ大好きで。大きいロケットパンチみたいじゃないですか? ……僕あれ見るといつも思うんですよ……大きいロケットパンチや~んって」

「話ヘッタクソですねえ~」

 引用終わり。「展開の先出し」を出来るのは作品が完結しているからこそできる手法で、うまく活用すれば非常に効果的である。事実、1話アバン時点では筆者はいいじゃないか、と思った。こいつがメインの立ちはだかる壁なんだな、ということが初見視聴者にも印象付けられたことと思う。

一方で「それまで積み上げてきたからこそ生きる描写」というものもある。2話アバンがそうである。聞仲の仮面が剥がれ落ち、文字通り「殷の太師」というペルソナが剥がされ素の自分が覗く。今まで主人公サイドを圧倒してきた強大な敵が見せる弱さ……がこのタイミングで出てしまっては台無しなのである。今後、聞仲が何しようがどんだけ威厳をふりまこうが、「でもこの人なんかよくわからん場所で友達に殴られてメンタルブレイクするんだよね」という風に見られてしまう。

楊戩においても仙界大戦序盤で明かされる衝撃の真実がさらっと明かされるし、天化に至ってはアバンで散々説明された後に「黄飛虎と最も縁の深いあの男を助っ人に行かせましょう」(意味ありげな後ろ姿)なんてされてもいや、アバンで出てた人でしょとしか思わない。普賢がやたらよく出てくるのもよく分からない。釣り針のシーンはともかく、第5話のアバンに出す意味があったのだろうか。(あと提供シーンで作画に気合の入ったゴマ団子がかっこいいBGMを侍らせてどんと鎮座しているのはちょっと面白かった。)要するにただの突然のネタバレであって、時系列に追いついた時にただ新規視聴者がカタルシスを得られないだけの展開の先出しとなっているようにしか思えないのが残念である。

策士? 太公望

本誌連載の時、読者は「今度の主人公はちょっとタイプが違うな」と思ったはずである。正攻法ではなく手練手管で戦い、しかし内には熱いものを秘めている――今なお封神演義が人気を保っている理由の一つが主人公太公望をはじめとしたキャラクターの造形に寄ることは疑いようもないだろう。

しかるに今回のアニメ化において策士・太公望という感じはあまりしない。ちょっと振り返ってみるだけでも、

姜族が殷に攻められる→道士になる→同じような奴隷狩りを指揮する妲己配下でも実力者・陳桐(ちなみに原典では黄飛虎を殺していたりする)を策略を用い封神し奴隷にされそうだった人々を救う→まき占い・いわし占いを開発する→妲己の妹である王貴人を倒す→王貴人をダシに使い(王貴人は石琵琶が本体である)宮廷音楽家として潜り込む→妲己の怒りを買い姜族もろとも蠆盆に落とされる→生還後、楊戩のテストにおいて策略を用いて民たちを助ける(これによりいくらか民を救えなかったトラウマが和らいだように思う)

太字が今のところアニメで描写されていないシーンなのだが、「わざとか?」というくらい策略シーンが省略されている。(まあ、テストのところは策略と言えなくはないんだけれども、ここで仙桃が出てこないせいで四聖のシーンで登場しても唐突感が拭えなくなってしまった)これでは太公望の魅力は半減してしまう。こんなやつを軍師にしていいのだろうか。

強敵? 聞仲

恐らく裏主人公格といってもいいくらいの聞仲は登場シーンこそやたら多いものの、2話にして後のメンタルブレイクが示唆され、超高速で親友に裏切られ、かつて原作でベラのイメージが強すぎた「鞭」という武器を「カッコいいもの」とした禁鞭のシーンはいまいち迫力がなく、宝具使いである部下は秘湯混浴刑事エバラと叫ぶどころか存在が抹消され、腹心の部下であるかつて妲己を共に遠ざけた(そういやその説明はあっただろうか)九竜島の四聖は1話でろくな活躍もないまま戦闘が終了するなど、原作のこいつ相手にどうすればいいんだ感が非常に薄くなってしまっているように思う。大体、なぜそこまで殷に対して忠誠を誓っているかがダイジェストで流されて終わりなのである。聞仲をメインの敵として語るにあたりそれだけはやってはいけないだろう。聞仲はかつて大切なものを姜族によって失っている。即ち殷に奪われた主人公・太公望とはくしくも正反対の立場にある。その対比がアニメを見ているだけでは全く分からない。聞仲がなぜそこまで力を追い求めるのかも。こんな状態で殷、殷といわれても「思い出の中でじっとしていてくれ」という風にしか思えない。

聞仲の回想シーンを聞いた後の申公豹とのやりとりはとても好きであっただけに「聞仲を一方のメインで描く」前提と思われるこの構成で省かれたのは残念である。

「そして皆あなたより先に死んでいったのですね?」
「……下らん話をした」
「いいえ、確かにあなたは殷の親ですよ、聞仲」

集英社藤崎竜先生の封神演義第51回 それぞれの現在・過去・未来シリーズ⑥―継がれし血脈たちとの絆―より引用。

言いたいことはたくさんあるけれど

4000字を超えようとしているのでこの辺りで。姫昌周りに特に言いたいことが集中しており、次回で幕が下りようとしているらしいので機会があればその際にまた書いておきたい。しかし原作を知らない人は置いてけぼりだろうし、原作既読組は大多数が放心しているしで、ターゲット層をどこに想定して作ったのかというのは気になる。

蛇足:今回のアニメ化で初めて封神演義に触れた妻の感想まとめ

妲己ちゃんがかわいすぎる。傾国の説得力がすごい

・全体的に駆け足なのに紂王の不貞シーンの熱量がすごい

・この声刀剣乱舞の声優さんかな? と思ってEDで答え合わせするのが楽しい

・皆決断が早い。さすが中国(留学経験者)

・この間の続きだよね? 間を飛ばしてないよね?

 

仙界大戦が最高の出来になり平伏す用意は出来ているのでよろしくお願いします。

明日(2/6)まで! 狩人諸賢、「ラチェット&クランクTHE GAME」を無料でゲットされたし。あるいは「THE GAME」感想

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余談

モンスターハンターワールド(以下MHW)が解禁され早十日ほどが経った。筆者も当日まで買うかどうか逡巡し、結局当日デジタルデラックス版を購入し、事前DL出来ず地獄を見た。キャラメイクは特にこだわらない派である。今回はかっこいいフルフェイスが多いのであまり気にしていない。しかし身だしなみを整えると骨格からいじれるあたり、MHWってSFですよね。

プレイ時間三十時間ほどで上位に上がった。MH4の時点で既にそうだったけれど、MHP2Gからモンハンをはじめ、イャンクック先生に学び、ガノトトスの謎判定に泣き、ティガレックス討伐のためだけにランス装備をあつらえた自分にとって、「HR8」というのが特別な数字に思えるので、いつの間にか自分がHR二ケタになっているとちょっとびっくりする。

ひたすらハンマーで狩猟している。全十四種類のバラエティ豊かな武器がMHWの売りでもあるわけで、1/14しかMHWを満喫していないような気がしないでもないが、溜める、殴るというシンプルな立ち回りが(本来はもっと複雑なのであろうが筆者のプレイヤースキルではその程度が限界である)性に合っている。空中回転攻撃で飛び乗る→ぶっ倒れたところを滅多打ちして部位破壊でひるませる→さらに殴ってスタンを取る→さらに殴って麻痺にするというずっと俺のターンコンボが決まったときは絶頂すら覚える。後は好きな時にジャンプ出来たら最高なのだが。

アイルーがかわいい。最高だ。装備を試着したときにたまにやるえっへん胸張りポーズが特に。ギルドカードを見るに「俺はいいから俺のアイルーを見てくれ」層が拡大の一途であることが確認できる。筆者もそうである。

大体平日の九時~十二時にぶらついているのでお近くにお立ち寄りの際はお声がけください。と、いいつつもそろそろ中国四千年の歴史に呼ばれていたりするのであるが。

 

本題 ラチェット&クランクTHE GAMEについて

PSplusを巡る冒険

余談が、中途半端になった。ともあれMHWの為にPS4ごと購入した方、そこまでではなくともPSplusに加入した方もおられよう。

狩人諸賢においては当然、その肉がこんがり焼きあがるタイミングを見抜く慧眼をもってして「フリープレイ」なる権利を同時に取得していることにも気づいているはずである。

がしかし、まずは目の前の敵に全力で当たることで、つい権利の行使を忘れてしまっている諸賢もいるのではないだろうか? という老婆心がこの記事を書くに至る発端だ。

www.jp.playstation.com

即ち「PSplus」会員であれば明日まで無料でゲットできる「ラチェット&クランク THE GAME」を是非プレイしてほしいということである。(明後日からは2月分フリープレイに切り替わってしまう)今会員でなくても、今日から会員になれば二か月分の特典をゲットできるチャンスである、ということでもある。

釈迦に説法かもしれないが一応注釈。PSplusのフリープレイは「会員である間、フリープレイの対象作品を(一度)購入(というのが紛らわしいが勿論追加料金はかからない。購入明細メールも来るが安心してほしい)しておけば何度でもDLして遊ぶことが出来る」仕組みである。起動回数も起動時間も制限はない。会員期間が切れたら当然遊べなくなってしまうが、再加入すれば再び遊ぶことが出来る。例えば今回、「ラチェット&クランク THE GAME」を遊ぶために一か月加入して、期限が切れるまでに遊びきり、(やり込み要素はなかなかに用意されているが)次回はまた興味のあるソフトがフリープレイにやって来た時に再加入という使い方だって出来るわけである。また、PSplusのフリープレイは別にその機種を持っている必要はない。勿論、PSNのアカウントを持っている必要はあるが。例えば四月、新生活の始まりとともにPS4MHWを買うぞ! と思っている場合、先にPSNアカウントを取得し、PSplusに加入してフリープレイの購入履歴をつけておけば、実際にPS4を購入したとき、そのアカウントに(当然PSplusに加入している状態で)紐つければ既にそのソフトをゲットできている訳だ。

ラチェット&クランク THE GAME」は2002年にPS2で発売された「ラチェット&クランク」のリブート作品である。MHWのメインプレイ層はバズーカを構えたラチェットがパッケージとなったPS2同梱版に見覚えのある人々だと筆者は考えている。彼らの活躍、再び追ってみませんか。どうせならおトクに。

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PS4クォリティで蘇ったあのステージが

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どことなく田亀源五郎先生感の漂うキャラクターたちが、

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対象年齢低めにしてはかなりエッジの効いたジョークが(ハッチポッチステーションを思い出させる)、

そして何より抜群の爽快感が諸賢を待っているはずである。

 

妻「ケモショタ×ロボショタ……恐ろしい作品……」

やめろォ!

 

というわけでこれから先は「THE GAME」のネタバレ感想。是非お一人でも多くプレイしていただいてこの先まで読んでいただけることを願っています。

 

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大河ドラマ「西郷どん」第五回 「相撲じゃ! 相撲じゃ!」感想

余談

結婚式場でものまね芸人さんのショーを見る……一種独特なその催しに誘われた我々は二週続けて鹿児島市へと向かった。当市は快晴であったが鹿児島市に近づくにつれ空は暗くなり、鹿児島市に入ると図ったかのように雪がちらつき始めた。桜島は冠雪していて、助手席側の窓を開けると阿吽の呼吸で妻がスマホを構え桜島に向けた気配がした。「とても寒い」とスマホ手(弓手風用語)を持ち変えつつ妻が窓を閉めた。「あ、動画で撮ってしまった」妻がつぶやいた。車内にはD.Oの「悪党の詩」が流れていた。


D.O / 悪党の詩

入籍して一年半ほどが経つが結婚式を挙げてはいない。鹿児島県では入籍した人の52%は結婚式を行わないという。過半数だ。やはり資金面が大きいんじゃないかなと思う。自分たちもそうだし、親戚や友人たちにも負担を強いることになる。時間も費やすことになろう。我々は今でも別に江戸っ子でもないのに宵越しの金があまりないが、入籍時はより貧乏であった。(住まいも築年数が二人の年を合わせても届かないほど古かった。)完全に落語世界の長屋の住人であった。式を挙げるのにお金を使うのなら二人で他の楽しいことに使いたいという気持ちもあった。一方で、我々の周りの人々の「祝いたい気持ち」が宙ぶらりんのままであるということも何度か耳にした。結婚式は特に鹿児島のような田舎ではそういった区切りとしてまだまだ必要とされているのだな、と考えた。そういったことがあり、冠婚葬祭に充当できるという互助会の積み立てを始めることとした。今後もしないかもしれないが、もししようという機運に満ちた時、選択肢は増やせるときに増やした方がいいのだろう。また、ただしないんですというよりは、「いつかしようと思っていて今積み立てているんですよ」の方がかわし方としても角が立たなさそうだ。少なくともプチギフトについては今年になってからいいことを教えてもらったので、入籍時に慌てて式をしていた場合よりずっといい感じになりそうだなと考えている。

dego98.hatenablog.com

ショーまでは時間があったのでしばし館内をうろうろした。黒衣の神父ごっこをしたり、プリンセスをコンセプトとした結婚式料理(おそらくよりキュートな横文字の名前があったはずだが、わすれた。)のサンプルを眺めたりした。


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イベントの時間となり、まずはハーフコースランチを頂くことになった。ハーフコースは恐らくフルコースの半分であろうというのが筆者の英語力の限界であり、妻は素早くスマホ集合知に問いかけていた。「ゴルフで9ホール目まで回ることらしいよ」道具は道具でしかない、大切なのは誰がどう使うかだ、という金言を胸に刻みながら五分ほど時間を費やし「和製英語であり定義はお店によって曖昧である」ということがわかった。(わかったというのか)

視覚が既に「あ、これおいしいです」と判断する見た目の前菜が出され、あっという間に食べる。実際おいしい。その後ポタージュがでて、パンが出るにいたり「ハーフコースだからここまでなのではないか」「タダだしすべておいしかったのでそれでも一切文句はない」という人を信じる心を失った夫婦の会話をしていると無事牛フィレ肉のパイ包み焼きが運ばれて来て、もちろん美味であった。


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ものまね芸人さんのショーを見るのは初めてで、世に言う「こういう時どんな顔をしたらいいのかわからないの」状態であったが、ものまね芸人さんの方も幕が上がった瞬間、思ったより平均年齢が高かったようで(結婚式場のイベントだから20~30代がボリューム層という予測だったのだろうが、実際は高齢者の方が多かった)やはり「こういうときどんな顔をしたらいいのかわからないの」という顔を一瞬浮かべたが、すぐに立て直し、その層にも響くレパートリーで勝負し、大拍手と歓声を勝ち取っているところにエンターティナーとしての矜持と凄みを感じた。思ったより200倍ほど楽しかった。

大満足でイベントを後にしたが、せっかく市内に来たのだから夜もおいしいものを食べて帰りたいという欲望が鎌首をもたげてきた。昼がタダだったのだから夜外食しても実質半額なのでは? という隙のない理論武装も出来たところで、しかしハーフコースでありながらデザートまでついて大満足な腹を萎ませなければならないという問題が立ちはだかった。

カラオケ初めをすることにした。喫煙部屋ではあったが、最新の機種に通してもらう。妻はボーカロイドを歌い、D.Oを歌い、恵比寿中学を歌い、℃-uteを歌った。筆者は槇原敬之を歌い、THE THREEを歌い、林原めぐみを歌い、オリジナル・ラブを歌い、くるりを歌った。二人で韻踏合組合乃木坂46を歌った。「自分が歌っているときに店員さんがドリンクを持ってくる」「他人が歌っているときに延長確認の電話が来て応対することになる」どちらも妻が当たったので、宝くじでも買ってもらうべきであった。

チャイナワンさんはこの辺りに来ると今回のように多少時間を調整してでも食べたくなる中華屋さんである。うまい・やすい・はやいを地で行っており、スタッフさんの対応もとても気持ちがいい。唯一欠点があるとすれば、それぞれのプロが矜持をもって料理を提供しているので、(麺・揚げ物・点心など担当がある)その方が不在だと食べられないメニューがあること、それが入ってみないと分からないことだろうか。本日は全てのメニューが注文できる状態であった。ついている。やっぱり宝くじを買っておくべきであった。

と、いうことでいよいよ「すごいレバニラ」(菜譜ママ)を注文することにする。ここに初めて来たときから気になっていたものの、「どことないVOW感」「レバーは苦手」「そもそも売り切れている」などにより二の足を踏んでいたが、とうとう来たなこの時がといった感じだ。


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彩り華やかなすごいレバニラはすぐにやってきた。ごま油だろうか、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐりBe coolと己を戒める。実食。

臭みがなく、「間違えてレバーではなくてお肉を入れてしまったのでは?」と疑いたくなるほどのジューシー具合。野菜もメリハリが効きつつも全体的にソースで統一されておりどんどんと食べてしまう。間違いない。すごいレバニラだ。


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他のお薦めは担々麺とエビ春巻き。特にエビ春巻きはお店で食べて持ち帰りをお願いしてしまうくらいおいしく、食べやすい。

注文から退店まで30分ほど。どれだけテンポよく料理が出てくるかが分かる。とはいえ時刻は七時。「西郷どん」のため急がなくてはならない。「きばいやんせ(頑張れよ)」といわんばかりに、照国神社(祭神:島津斉彬(照国大明神)の大鳥居(撮影:妻)が屹立していた……


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本題 第五話・感想

余談が、ながくなった。さて照国大明神のおかげかどうにか本放送に間に合った第五話の感想である。

西郷吉之助の鈍感

「AちゃんとB君って絶対お似合いだよ~私応援する!」←B君が好きなのはこいつ

みたいなやつをすごく久しぶりに見た気がする。また直訴しようとするし、また土下座する。どんどん安い男になっていくぞ、吉之助。まるで成長していない……鈴木亮平さんの「幕末の鍛えた男っぽい」肉体美が台無しである。土下座するくらいならなぜ闘うのか。何故泣くのか。もしかして、偉い人=強い人という思いがあったのだろうか。謎の男(一体、ジョン何次郎なんだ……お前、薩摩藩では手厚くもてなされたんじゃなかったのか)とどのように交流するのか。吉之助の行動により、何万次郎が史実に近い扱いへ変化したりしてくれるのだろうか。今度こそ成長してほしい。

島津斉彬の参戦

渡辺謙氏の風格により参戦自体は盛り上がった。が、決着はともかく、そのまま去っていくし、吉之助は入牢させられる。これが分からない。表立っては斉興体制を変えられないので、腕っぷしはもちろん、自分に立ち向かえるほどの気骨もある若者を見出し、登用するための相撲大会だとばかり思っていたのだが……。というかメル友だった吉之助を即声掛けとかしなかったんだなと。相変わらず渡辺謙氏と史実の斉彬公だよりで、この脚本において斉彬の魅力は伝わってこない。最大限好意的に解釈するなら、謎の男の正体候補である男は前述した通り史実では薩摩藩では厚遇されたというから、実は二人とも入牢はカムフラージュであり、二人を引き合わせる作戦だった……とかだろうか。苦しいか。

島津久光の去就

相変わらずブレブレだが家族みんなのことが大好きなようである。多分、彼にとってある意味幸福の絶頂期なのだと思うと切ない。

総括

何でも知っている斉彬の補佐役だったり、フィーリングで吉之助を気に入ってしまう篤姫(於一)だったり、「いやな意味での大河の王道パターン」がまたじわじわと出てきてしまっているなあという印象。ラブコメもいいんですけども、相撲もいいんですけども、やっぱりお由羅騒動(高崎崩れ)をもう少ししっかり描写した方が良かったんじゃないかと。ある意味うなぎ・相撲と旬なワードを織り込んで攻めてはいたが視聴者が期待しているのはそこではないはずである。謎の男・ジョン万何郎の登場により物語の角度はまた変わる。そこでの修正を期待したい。

しかしまさかこの画像が伏線とは思いもしませんでしたね。

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なんどめだ○○○○ あるいは金田一37歳の事件簿一話感想

余談

なんどめかのブログを始めて、ひと月が過ぎた。有難いことにたくさんの人に読んでいただいているようでとても嬉しい。アクセス解析によると、当ブログの入り口は上から順にTwitter(52%)、Google(25%)、Yahoo!(12%)であり、それぞれからの一番アクセスされた記事はそれぞれ、

Twitter(18%)

三谷幸喜が描かなかった「風雲児たち」 - カナタガタリ

Google(52%)

武か数寄か、それはもはや問題ではなく へうげもの最終巻感想 - カナタガタリ

Yahoo!(30%)

大河ドラマ「西郷どん」第四回 「新しき藩主」感想 - カナタガタリ

であるということだった。最新記事とその前の記事が入っているのはうれしい。

今月はいかに狩人と真の三國無双を両立させるか(仕事はおいてきた…残業はしたがハッキリいってこの闘いにはついていけない……)が焦点になってくるかと思われるが、海軍のカレーのように「西郷どん」の感想を書くことで生活のリズムを崩さないようにしていきたい。

今月のブログ内目標

「西郷どん」の感想を書き洩らさない

覇穹 封神演義」について思ったことをまとめる

天才柳沢教授の生活」11巻の素晴らしさについて語る

ラチェット&クランクTHE GAME」をPS2ラチェット&クランク」と比較する

 がんばります。

※この先 金田一少年シリーズのネタバレがあります

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大河ドラマ「西郷どん」第四回 「新しき藩主」感想

余談

この間の「鶴瓶の家族に乾杯!」が鹿児島回であった。珍しく残業であったが、妻がこよなく愛する「お見合い大作戦」を犠牲にしてまで録画をしてくれていて見ることが出来た。大河ドラマ視聴者よ、これが真のかごんま弁だ……とは思わなかったが(やはりどこかよそいきの言葉に皆さんなっていらした)自分の土地の言葉が鶴瓶さんにいじられているのはやはり不思議な気分になる。

その中で鈴木亮平さんがお昼をとっていらした「桜勘」さんが特に気になった。カンパチの漬け丼がおいしいらしい。カンパチの麻婆豆腐なるものがあるらしい。

折しも「西郷どん」ロケ地の一つである仙巌園で「戦国島津と三国志」というコーエーとタイアップが本日までであり、鹿児島市に出るならと無類の魚好きである妻に恩返しの気持ちもあってこっそり連れていくことにした。

あいにくの空模様であったがあまり光が強くない方が建物の写真は撮りやすかろうと思った。筆者が撮りたい写真はなぜかいつも逆光なのだから。

駅から徒歩五分とかからない場所に桜勘さんはあった。アーケードに面しているので他都市から新幹線で来てもそのまま濡れずに来れよう。十一時から開店で十一時十五分頃に着いたが、早くも半分ほどの座席が埋まっていた。鹿児島特有の甘い醤油のにおいと、から揚げの揚がるにおいが食欲をそそる…から揚げ?

なんとカンパチ漬け丼定食には鶏のから揚げと刺身、デザートまでつくということで、そちらを二人して注文することにする。そしてカンパチの麻婆豆腐も。

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千円でこのボリュームはすごい。そしてうまい。から揚げなんて実にジューシーだしカンパチもお刺身はコリコリとした食感が楽しく、漬け丼は醤油となじんでまた違った顔を見せてくれる。そうなると困ったことに、白ご飯が欲しくなってしまう!(百円で追加ができた。このお米も熊本の契約農家さんのものでとてもおいしい)
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カンパチ麻婆豆腐も優しい味で食べやすい。これもマーボ丼にしてもおいしそうなご飯向けにカスタマイズされた麻婆豆腐であった。(流石に白ご飯二杯目は我慢した)

およそ一時間ほどの滞在で、出るころには外で待っている方もいた。色紙をさりげなく飾ってはいたものの、「TVで紹介されました!」感をガンガンに出していないところも筆者の性にあっており勝手にうれしくなった。

 

仙巌園は雨であったが流石に混んでいた。風はここ数日と比べ大人しくなっていたがやはり日が差さない分もあってか寒い。

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自然、順路にある暖かな光を漏れ出でさせている誘蛾灯のような優雅な売店群へ吸い寄せられることとなる。

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そしてブルーシールでアイスを食べた。(いや、ホットコーヒーもいただきましたよ)写真の店員さんが非常に接客が素晴らしく、心まで温めていただいた心持ちであった。

「戦国島津と三国志」展は少し奥まったところにあるため、自然暖をとるために他の建物にもお邪魔することになる。ミュージアムショップでは屋久杉で作られた作品や薩摩切子の制作過程および作品(ライトアップされた薩摩切子の美しさはぜひ実物を見ていただきたい)、薩摩焼を拝見した。f:id:kimotokanata:20180128220307j:image

へうげもの完結直後ということもあり、にわか数寄脳がビビッと反応したのはこの二つ。前者の混沌とした形と色合い、手触りは正しく清濁併せ呑む感じで茶碗使いしてぐっといきたいし、後者の特に右側はひずみと赤色が歴戦の老強者を思わせて小ぶりながら存在感がとてつもない。恐ろしいのは百万越えなども普通に展示されているので「一万くらいならいいかな……」と思わされてしまう点である。

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第一話で島津ケンワタナベ斉彬と赤山靱負が会話したあの門なども。
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 ちなみにこの石灯篭が仙巌園の中では一番好きである。大きいことはいいことだを地で言っている感じが薩摩らしさがあってよい。
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残念ながら桜島チラリズムに徹していた。
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「戦国島津と三国志」は最終日の中途半端な時間ということもありスムーズに観覧することが出来た。受付の方もとても親切。ARで呂布と一緒に写真が撮れたり、TGSでも使われたという記念写真グッズがあったり。帰りにゆっくり他の写真にもチャレンジしたかったが、他の方も同じように考えていたようで、一枚のみの撮影となってしまったのは残念。(無双2以来、夏候惇で最初にプレイするのが筆者の流儀である。今回は割と散髪に成功しているようで安心だ)

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全体像はこんな感じ。TGS合わせだったからか?全員分ではないのが残念。流石につい先日発表されたNPCまでは難しいのだろうけども。もう来月発売ということで楽しみである。オフライン二人プレイがないのはしょんぼり。(数少ない夫婦でできるゲームであったので)

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妻氏「こういうのを見ると帰ったら戦国4エンパがやりたくなる」

戦闘だけ無双のノブヤボでないかなあ(やはりエンパだと色々不満点が出てくる。あと、オロチエンパを出してください)
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帰り道、売店で「両棒餅」を食べた。あまりおいしいのであっという間に食べてしまい、写真を撮り損ねてしまった。晴れはしないもののいつの間にか雨は止んでいた。MHWでやらかしたので、今度は前日までに事前DLをしておこう、ということを考えていた。

 

本編・第四話感想

余談が、ながくなった。この大河、島津斉彬が、渡辺謙さんがいなくなったら一体どうなってしまうのか!?という不安が加速する第四話であった。

西郷吉之助の足踏

前回筆者は「赤山靱負切腹により吉之助覚醒イベントが起こるはず」といったような趣旨のことを書いたと思うが、スマンありゃ嘘だった、というかどちらかというと斉彬の腹くくりスイッチとして機能したように思う。いや、赤山靱負の血染めの着物を見せられイベントというのは鹿児島県民なら大抵の人が知っている有名イベントなんですよ。お由羅騒動(高崎崩れ)は斉彬派のお由羅暗殺計画が漏れていいるから大事になった側面もあるわけで、報復に報復じゃ何も解決しないんだということを死をもって諭したはずなのに吉之助お前……親父の言う通り赤山が無駄死にはなはだしいのである。こうなると最近完結した漫画よろしく介錯人を自分が引き受けるぐらいの大仕掛けをやってくれてもよかったんじゃなかろうか。赤山が遺した言葉通り、郷中で切磋琢磨していくということになるのだろうけども。

いつの間にかメル友になっていた斉彬公と吉之助。主君(お世継ぎ)をガンガンに煽る吉之助。どうやって検閲をすり抜けたんだ吉之助。もしかして赤山靱負が仲介してて検閲で赤山靱負がとばっちり受けたわけじゃないよな吉之助。

このままだと斉彬にどっぷり依存しそうで心配である。

島津斉興の隠居

Twitterなんかもう今週は「サツマンルーレット」で持ちきりなわけですよ。こういうミーム、安易なテンプレートとしての薩摩武士の肝練りを更に斜め上のアレンジをきかせて出してこられるのはむむむ、といった感じ。シェフの気まぐれサラダ頼んだら餃子が出てきた時のような気持ち。役者さんに流石にもたれかかり過ぎではなかろうか。鹿賀さんの隠居勧告の時の笑顔、対峙するときの余裕と威厳、銃を出された時の狼狽、戦といわれた時の戦闘態勢と緊迫感、最後の脱力、どれも素晴らしいものであった。だったればこそもっといい舞台があったのではないかといいたくなる。以前も何度か述べたが斉興にとって祖父が作った借金を祖父に引退させられた父の代わりに調所と懸命になって返していくのがその半生であった。それがようやっと落ち着いたときにクローンかよといいたくなるような(実際祖父・重豪に斉彬は薫陶を受けている)斉彬が現れてくるのだからそれはもう勘弁してくれ、となるのもわからんでもない。事実、斉彬の陰には幕府があり、斉彬が幕府の傀儡にならないという保証はどこにもないのだ。その辺りをもう少し台詞だけでもなんとかならなかったのだろうか。「調所がやった」もきっと本心ではなく、長年の相棒が死をもって封じたことを何とか守り切ろうとしての言葉だったはず。その辺りのフォローだってサツマンルーレットをやらなければ出来たはずである。奇抜なことをやるなとは言わないが、へうげもの最終巻感想で描いた通り、大きなうそのためにはその周りを細かな真実で囲まなければ説得力が生まれず、説得力がなければドラマには入り込めない。

ところで隠居はするがその後も実権は持ち続け、斉彬より長生きする。斉彬死後の一年後に斉彬の改革をつぶさにつぶした後亡くなるあたり、大坂の陣後の家康とだぶる。人間、恨みのエネルギーは物凄いのかもしれない。ちなみに自分は長寿の祖父に実権を握られ続け続けたが、その後息子久光に同じようなことを行い、久光も息子に対して同じようなことを行う。そういったことは再生産されていくのだなと悲しくなる。

お由羅の妖気

画面制圧力がすごい

島津斉彬の就任

「権力を使おうとするものは権力の奴隷になり果てる」というようなことを「風雲児たち」の島津斉彬が言っていたが、この作品の斉彬はそうなりそうで心配である。抜群の役者力でなんだか誤魔化されているが斉彬の言っていることは根拠がなく(正しさは歴史が証明しているわけだが劇中ではフォローがない)ただの大風呂敷に見えてしまう。その上藩の内実をよく把握しないまま公権力を振りかざし、細かいケアが出来ていないから多くの犠牲者を生んでしまった。赤山の血染めの着物と吉之助のスパムメールで覚醒した後でもサツマンルーレットなのだから(まだ男伊達の意識が残っているのだろうか)今後も不安が残る。

見終えて

鹿児島県民で、この時代が好きだということもあってまだ脳内補完が出来、また役者さんの熱演もあって観ることが出来ているが、そういった「ドラマ内以外での補完」をしないとつらくなってきている現実があるように思う。限られた尺の中ではみんなが知っているようなことは省略していくというのは必要な手法だと思うが(一昨年の超高速関が原のように)だからといって単純な二元化には疑問が残る。あと、久光をどうしたいのだろうと思う。このドラマの久光はうまくすれば革新的な久光になりそうなので期待したい。

 

 

 

 

武か数寄か、それはもはや問題ではなく へうげもの最終巻感想

※「へうげもの」の全編ネタバレがあります。

 

余談

器が好きである。器のいいところは、触れるところだ。なので茶碗やおちょこ、ぐい呑みの類が特にいい。つるつる一辺倒でもざらざらオンパレードでもなく、釉に多少のムラがあるようなものが好きだ。様々な感触を指先に染みこませながら、その器の中のものを食べるとき、五感全部を使って食べ物を自らに取り入れているような気分になる。道の駅だとか、お祭りに行くとつい、その土地土地の焼き物ゾーンに足が向いてしまう。

紅窯さんに出会ったのは昨年の暮れ、地域の市(いち)であった。何とも言えない魚の表情に自然と口元がほころんでいた。出店に立っていたのは作陶された川原さんの奥様で、ご自身も作陶をなさるということだった。

「私も描いてみましたが、主人でないとやはりこのさかなの味は出ないんです。ふしぎなもので、主人がふくらむとさかなもふくらんできました」

やわらかな言葉と表情でそのように言われた。成程、「魚」というより「さかな」と表記する方がよりこいつを的確に表しているようだ。一枚一枚全て異なるさかな達をとっかえひっかえし、腕を組み、一応は唸っても見て、途中ふるまいの豚汁を頂いて冷静になったりもし、これと決めた一枚を買い、その後やはりと二枚買った。妻にブローチも買った。その際貰った抽選券で地元の米が当たってのち、なにやら、さかなの笑みの不敵度が上がったようにも思われるが、本当のところはわからない。

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 彼は器のために死ねたのか?

 余談が、ながくなった。

へうげもの」がとうとう完結してしまった。25巻の大作である。なにやら面白いらしい、という話を聞きながら、読みはじめたのは連載が14巻の辺り。山田先生の歴史の新解釈にすっかり心奪われ、一気に既刊を全部揃えてしまった。その古田織部の数寄道中についてはまた一巻ずつでも感想を残しておきたいが、ひとまずは最終巻、25巻の感想である。

歴史ものの常として、ある種の「ネタバレ」は「史実」として必ず付きまとう。それぞれの人物の史実での最終地点がわかっているからこそ、それまでの造形にギャップがあると、どう着地するのか、あるいは期待し、あるいは不安に思いながら読者は追いかける。

蒼天航路」で「この関羽絶対負けないのでは?」と思うし、

センゴク」で「最も失敗した男の最大の失敗はどう描かれるのか(最近描かれつつあるらしいですね)」と考えるし、

真田丸(秀頼が出てきたあたり)」で「今年の大坂方は勝ったな」と狂喜し、

「龍狼伝」で「もうこれわかんねえな」となりながらも脳の片隅では残酷なまでに史実が浮かんでいる、それが歴史漫画ファンである。

そういう意味で「へうげもの」は実に心地よく史実の裏をかいてくれた。

いいじゃないか。

爆散した松永久秀の平蜘蛛のふたを古田織部が後生大事に持ってたって。

信長が真っ二つになった後ひっついたって。

光秀が芭蕉の句を詠んだって。

利休が三肩衝の一つをぶち割ったって。

秀吉が新日本ハウスの歌をBGMに死んだって。

清正がロケットパンチ撃ったって。

基本的には残酷なまでに史実通りに進めるため、そういった大仕掛けのウソも力づくで納得させられる、なんとも気持ちのいい作品だった。(ああ、過去形になってしまう。悲しい)

その集大成が「古田織部切腹」である。前述の歴史漫画ファンたちは当然、

へうげもの」で「古田織部は最期どうなるのか?」と長年考え続けていたはずである。

今巻ではその答えが示される。

答えが出るまで、巷では様々な噂が出ていた。

  1. 第一話をリスペクトしつつ、三肩衝の中で唯一現存しない「楢柴」(この作品では利休の遺品)と共に爆死するのではないか
  2. 利休の切腹リスペクトで小堀遠州、または上田宗箇が介錯するのでは
  3. 何とかして生き延びるでござるよゲヒヒ

果たしてどうであったか。25巻。既に終わりの始まりどころか終わりの終わり、最終コーナーどころか最後のストレートもあと一歩、九回裏二死満塁ツースリーで投げられたボールはまさに最高速のこの場面で、焦らされる。外堀を埋めるかのように、他の面々の去就が語られていくが、特に白眉は俵屋宗達の名は知らずともこの作品を見れば「ああ! と思うあの作品が大坂の陣を象徴する作品であるのだという解釈の仕方。前述したように様々な大仕掛けのウソで楽しませてくれたが、この解釈は今までで一番仰天させられたし、納得させられた。五年前、ふるさとのデパート山形屋に複製画がやってきたことがあったので、貼っておこう。

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ネタバレどんと来いなんですが、この多くの人が一度は見たことがある風神雷神図がどのように「へうげ解釈」されるのか、その瞬間のカタルシスはぜひその目で味わって欲しく候。

また上田、小堀の双方が介錯したいオーラを醸し出し、イギリスのブックメーカたちが一喜一憂し始める、かどうかはわからないが、読む人々の手には汗がにじんできたことだろう。家康を殺すことさえ辞さぬ勢いで織部を生かそうとする秀忠の思いを知ってか知らずか、織部は自らの死を受け入れ始める。(すれ違いはへうげものにおいて悲しいほどにキーワードである)と、ここで秀忠はならばと介錯役を柳生宗矩に命ずる。どんでん返しだ。イギリス多分大騒ぎ。かと思いきや介錯役で駆け付けたのは小堀……!なぜそんな満身創痍に?

きゃっとわめく青二才を押しのけてやってきた介錯役・真打は、徳川家康その人。古田織部の数々の小細工のせいで家康はもうスーパー公私混同で織部絶対殺すマンから一族滅すマンにレベルアップしていたのである。イギリスはもはやビットコイン市場並みの地獄絵図だ。

しかし古田織部は家康に対し、ついに一笑を引き出す。最後っ屁というかそれ以上の何かによって。切腹人と介錯人から主と客へ。そう、利休の末期の茶席と同じである。その一笑はかつて家康から学んだ、晩年の織部が求め続けた「必死さが生む笑い」。即ち皮肉なことに、この世で最も「へうげもの」を憎む家康がいなければその家康自身に一笑たらしめる織部の求める「究極の必死さが(まあ実際切腹って死の最前線だ)生む笑い」にこぎつけることは出来なかった訳である。互いに不倶戴天であればこそ生まれる笑い。絶対に自分を殺そうとする家康の必死さまで利用した織部の作戦勝ちであろうか。(脳内利休に殴られたおかげのようだが)その敗北を悟ったのかどうか、家康は歯を食いしばり刀を振り下ろし

場面が変わり、時の流れが加速していく、「へうげもの」を彩ったあの人この人が去っていく。しかしそこに、悲愴さはない。

去り切れぬ者がいる。上田宗箇である。齢80を数えてまだ健在。(史実での享年88歳である)同じく健在の岩佐又兵衛と共に「どうもそんな「甲」に散っているとは思えないあの人」の足跡をかぎつける旅に出る。

ところで宗箇の縮景園は我が家にとって非常になじみ深い場所であるのだが(筆者が好きな博物館の真横にあり、妻の母校にほど近い。また、宗箇の居宅は筆者の下宿そば墓所は妻の実家近くにある)すぐに行ける環境にあった自分にそこまで「へうげもの」にはまっていなかった自分が今になって憎い。現在の縮景園は桜の季節が殊更に美しい。

 またも余談になった。いや、このくだり自体がへうげものにとって余話、余談であるかもしれない。しかし神は細部に宿るし、本当に大切なことは余話にそっと告げられるのである。

 

へうげもの」において、古田織部は武か数寄か、どちらかを選ばねばならぬ、かといって他方を選ぶと他方が鎌首をもたげる……という面白さが特に序盤の肝であったように思う。最終的には「武」の象徴、武門の棟梁「征夷大将軍(を引退した大御所)」を向こうに回す「数寄」の代表として向かい合うまでになった。即ち古田織部は「数寄」を選んだ……というわけではななかったのがここまで読まれた方々ならお分かりのはずである。彼の目指す「一座建立」即ち「和」は数寄と武がぶつかり合うことによって生まれるのだと。そして彼は、武者として生きるか、数寄者として生きるかの二者択一という次元から解脱し、ついに自ら「ひょうげもの」となるに至った。なんとも乙なものである。

彼は器のために死ねたのか? さにあらず。

彼は器がなければ生きていけないが、器のために死ぬのならひょうげものである資格がないのだから。

大河ドラマ「西郷どん」第三回 「子どもは国の宝」感想

大河ドラマの青年期を見るのは難しい。というのも主人公たちの青臭い主張がその人物の若さゆえなのか、それとも脚本の不備なのか判断に困るところがあるからだ。

そう言った点で今回の導入ナレーションで「斉興の悪政を……」と主観満点で言われてしまったのが気になった。ナレーションは西田敏行さんだからメタな話、後年の西郷の主観ということでいいだろうと無理やり納得できなくもないが……。

「子どもは国の宝」であるけれど吉之助父が結局まずは吉之助に土下座をさせてしまうところ(流れとしては親父が何とか食らいついて金を借りてみっともなくも子どものため・家のために頑張るとーちゃんを見せるところじゃないのか)はちょっと残念。

あ、ちなみにこの人たち、この大河で描かれるかどうかわかりませんがこの後もう100両借金します。借りた後の即消えものに散財するところをご覧になったので皆さん余り驚かれませんね。一応返済は頑張ります。(25年ローン。維新後、西郷どんは倍にして返しにきますが、板垣さんは利息分を受け取らなかったとか。いい話ですね。(そうか?)あと俵の米が既に精米済みだったんですけどおばあちゃん1人だと食べる前に痛みますよね……いや画としての白いコメがぎっしりを見せたかったのは痛いほど伝わるのだけれども。

中村半次郎の登場

中村半次郎、のち人斬り半次郎、維新後桐野利秋は西郷に最期まで(洒落ではない)付き従った人物であるが、この頃から出てくるとは思わなかった。今回も子役さんが中村瑠輝人さんという方らしい)とても良かった。

吉之助の「子どもは国の宝」メソッドで救われる今回のタイトルの分かりやすい象徴としての登場であったが、この時点で覗かせている「武士である自分への強い執着」が後の西南戦争に至る過程でどのように描写されるかというのは注視していきたい。

調所広郷の退場

斉興隠居作戦(斉彬藩主就任作戦)の切り札として出された密貿易の嫌疑は、対抗呪文:調所広郷の全責任を負っての自死により無効化(どころか、相手陣営をあおる逆効果に)される。この辺り斉彬の頭はいいんだけどその論理に情を今一つくみ取れていない感じが出ている。吉之助はそこを補うことが出来るのか。

調所広郷は以前も書いたかもしれないが非常に評価の難しい人物で、彼がいなければ薩摩藩はこの後でかい顔をするどころでなかったのは確かである。

斉彬は恐らく、伝えた時点で「あ、こいつ自死するな」というのは悟ったはずである。が、その後自分が生まれた時の話をされるとは思わなかったのではないか。愛する子を続けざまに亡くした斉彬に、これは効いたはずである。障害物であった調所が、自分の中で人間になってしまった。その戸惑い。死の報告を待ちながら、どこか席に表れてくれることも期待してくれていたのではないか。「死なせとうはなかった」はある種本心であると思いたい。

調所の語る「斉彬が生まれた時」まさに「子ども(斉彬)は(薩摩)国の宝」であったはずである。調所もまたその宝のために、国のために汚れ仕事を引き受けた。それが(調所視点で考えれば)自分が必死で再建したのに再び浪費しようとしている男に成長していたと分かったとき、果たして調所はどのような気持ちだったか。重ねて、自分を葬ろうとまでしていると分かったときは。とてもではないが想像が出来ない。

ちなみに斉彬、藩主になったらしっかり調所家を処分している。斉彬派だって表立っては斉興チームを悪く言えないからそういうのが全部調所家に来るのである。調所は死してなお斉興を守ったともいえる。(後年、息子の一人は華族、男爵に叙されている)

そしてお由羅騒動(高崎崩れ)へ……

島津家の人々パート、小柳ルミ子氏の怪演×呪いの噂=説得力という感じでお由羅の画面制圧力がすごい。久光の昔のカンフー映画みたいなショックをカット割で細かく見せる演出がシリアスな笑いを生む。単純にこれで悪堕ちしてほしくはないが……

そしてショッキングな切腹申しつけで次回への引きとなる。調所が斉興の風よけとなったように、斉彬が弾圧されるときは赤山が風よけとなるのはある種理に適っているが、赤山が切腹申しつけされるのはまた調所と比べ一段階重い意味があって……この辺りはまた次回の感想で述べたい。

しかし吉之助、相変わらず視野が狭すぎる。鈴木亮平氏の演技もあって熱量はすごく伝わるのだが、そろそろ変わって欲しいところ。これが脚本の都合でなく青年の愚直さであることを信じて、次回、志継承イベントを待ちたい。