カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

クリミナルヒットしてのち

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上記写真は本文に深く関わるわけではありませんがFRANKENさんがご自由にご利用くださいということだったので使ってみました)

筆者は世に言うダンジョンヘッズである。

個性豊かなキャラクター、機知と即興性に富んだ言葉の応酬、ルールはシンプルなのにその背景はいくらでも深く潜れるというゼロ年代講談社ノベルスの世界観が顕現したようなMCバトルの世界にどハマリして二年以上が経つ。

龍が如く0」をプレイしていた頃(この主題歌の「バブル」なんてここで聞かなければ永遠に興味を持つことはなかった)で、今までよく知りもしないで敬遠していたものにもっと素直に踏み込んで自分の興味の幅を広げたいと思っていたのがいいように左右したのだろう。

とはいえハマるためには穴に踏み入れなければいけないわけで、それをスムーズにしてくれた要因としてフリースタイルダンジョンの進行・ナレーションがUZIさんだったことは大きいだろう。その声は聞き取りやすく、よく通り、番組の格を一段階上げていたと言っても過言ではあるまい。

UZIこと許斐氏大さんが容疑者となって数日が過ぎた。朝目が覚めてUZIツイッターのトレンド入りしていたときは、もしかして番組卒業なのだろうかと頭の右後ろ辺りでとっさに思った。事実はより残酷だった。所持していた大麻は600gでYTR★が逮捕されたとき所持していた大麻は2gであるから1UZI=300YTR★が成り立ち、勝新太郎が9.7gであるから1UZI≒60勝新であると考えると事態のとんでもなさがわかる……いやかえってわかりづらくなったかもしれない。こうやって茶化しでもしないとやっていられないのである。本当に深刻なことを伝えるときは陽気でなければいけないと伊坂先生は教えてくれた。

二代目山下はFRANKENで決まりだなとか般若は週刊文春に一体何を撮られたんだとかニューヨーク出身ラッパー……一体何者なんだ……という悩みは一瞬で押し流され、HIPHOPどころではないBADHOPな気持ちが筆者を支配した。本日帰宅してせめて過去の名バトルを視聴して少しでも気持ちを落ち着けようとしたところAbemaTVから過去放送分の一切が消えており(Monsters Warは今のところ無事)ますます暗澹たる気持ちになるのだった。

HIPHOPなんだから大麻くらいいいじゃん、番組でもハッパネタ散々やったのに今更なんだよ、とは筆者は思わない。多少ネタめいた扱いされていても「コンプラ」で伏字にされるのはあまりにも当たり前のことコンプライアンスに違反しているからであり、それを犯してしまった以上フォローできることは何もない。罪には罰なのだ。


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でも今回のことばかりではなく、誰かが罪を犯したときに一切をお蔵入りにするのって果たして誰が得をするんだろう、というのはその度毎に考える。古くは槇原敬之の時にも、最近では清原和博の時にも。そういうことがあると、それに感情を動かしていたときの自分や周囲も丸ごとすべていっしょくたに穢れ扱いされてしまったようでとても悲しい気分にいつもなってしまう。

しかし、リケジョの時も、イクメン議員の時も、今まで日陰者だった人たちがスポットライトを浴びると図ったようにそのイメージダウンになるようなことをしてしまうのっていったいなぜなのだろう。UZIさんにはタキシードを来た時にコンプライアンス遵守を肝に銘じて欲しかった。ブームじゃなく文化にするといっていたのに、これではHIPHOPは無法者の低俗な文化という見方は変わらなくなってしまうじゃないか。


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写真は現在も無料でAbemaTVで公開されているMonstersWar事前SPより引用。満面の笑みがただただ悲しい。以前はただクッソださいタイトルだなあとしか思わなかった「時代に忖度してる場合じゃねえぞ」だが今となってはただただ「せめて最低限の忖度はしてくださいよ……と何とも言えない気分になってなんだかタキシードを見るだけで暫くは体調が悪くなりそうである。

どう見ても仲間内に配るんだろうなという感じの量でも「自分で使うために持っていた」という辺り、やはり男気のある人なんだろうな。正直、UZIさんのいないフリースタイルダンジョンは想像がつかないし、無理にやる必要はないんじゃないかとさえ思う。それくらい影響力がある人がこのようなことをしてしまったということが、風呂場で蛇口が背中にガリついてきた時のように悲しい。

 

あと、多分今回一番の被害者だと思う方。

To Live and Die in  Dungeon GASHIMA放送が死ぬ。

 

 

封神演義のこととか、ももクロ緑のこととか、刀剣乱舞二話のこととか、色々と書きたいことはあったけれど、今日はこの辺りで。

大河ドラマ「西郷どん」第二回 「立派なお侍」感想


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余談

昨日オープンした大河ドラマ館に行ってきた。西郷どんの威光がまぶしい(逆光)

 
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因みにここ(加治屋町)、安藤照の生誕地であったりする。(やはり逆光で見づらくてすみません)上野のハチ公、そして西郷どんの銅像で著名である。司馬遼太郎氏は加治屋町をして「明治維新を一町内でやったようなものである」と評されたというが、今大河を考えるとき、そのエピローグにおいてまで一町内でやってしまったと考えると改めて恐ろしいところである。

館内にあった「ドンドン紙相撲」ボタン連打で対戦が出来るのだが、プレイアブルキャラクターが西郷、大久保はありとして斉彬公、篤姫(!)、ツン(!!)など平等な世の中を実現したセレクトになっており大変良い。
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斉彬公「理想を語るには……それに見合う力が必要だ!」とは多分言っていない。

鹿児島ロケの風景の撮影風景紹介シアターではシーンごとに何度もかごんま弁のアクセントを指導役の迫田さんに確認する鈴木良平さんの姿が印象的だ。劇中では聞き取りやすいかごんま弁という絶妙な塩梅になっているわけがわかる。

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西郷どんクイズ、セットの再現コーナー、衣装紹介コーナーもあり今大河の雰囲気に存分に浸ることが出来た。出口には充実したお土産屋さんも。(こちらは無料で外から入ることが出来る)試食できた安納芋あんロールがおいしくてつい買ってしまう。

大河ドラマ館がある場所はもともと鹿児島市立病院があった場所であり、市の中心部にほど近く、維新関係の史跡も数多い。有料駐車場も備え付けの場所以外にも豊富な場所で、目の前にバスや電車の停留所もあるので、ここを拠点に色々と見て回るのもよいだろう。(大河ドラマ館の入場券を見せると他の施設の割引を受けられるサービスあり。また、おすすめコースをMAPつきで案内してくれるパンフレットももらえる)

是非一度、おじゃったもんせ。

本題

余談が、ながくなった。

第二回「立派なお侍」……見終わってみるとこれほど皮肉なタイトルもそうはあるまい。かつてフィリップ・マーロゥはいった。「優しいだけでは生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」と。(原文はIf I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. ということであるので、翻訳者の先生方は「タフでなければ」「しっかりしていなければ」「強くなければ」などと訳されているようであるが、筆者はいつかどこかで覚えたこの意訳が好きである)

今回の吉之助はどうであったか。今回、吉之助が見せたそれは、正助に喝破されたように「優しさ」に達してすらいない「甘さ」であった。「エゴ」といってもいい。

筆者の中で、「風立ちぬ(宮崎駿監督の映画の方)」にて堀越二郎が子どもにシベリアを分け与えようとしたシーンと今回の吉之助がダブった。自分がいいことをした、しようとしたという満足感を得るために無意識のうちに相手を下に見て、侮っていなかったか。そのことが結局相手をどのような状況へ向かわせるのか。「地獄への道は善意で舗装されている」とはよく言ったものである。

前回あんなにアンロックしてもらったはずなのに視野がまた狭まってしまっている。お前はバブル時代あんなに暴れまわっていたのにム所暮らしで超絶弱体化した桐生一馬かよというところだが、(そもそも三つ下の正助の城勤めが決まったということなら吉之助は勤め出してから二、三年は経過しているはずであるのに何故今頃急に)この辺りは作劇の都合上仕方がないのだろうか。十八歳ならそんなものかもしれない、とも思う。

吉之助は今回、斉彬公に会い思いを伝えるという一発逆転のチャンスがあったにもかかわらず、目の前にいる少女を助けることを選び、チャンスを逃す(そして少女を助けることも失敗する)後年、目の前で訴える士族たちに担ぎ上げられる西郷どんへ通じる描写であるが、やっせんぼから次回以降ぼっけもんになっていっても、その甘さは変わらないままなのだろうか。

「子役からクラスチェンジするとなぜかスキルもリセットされる」

「登場人物同士が何故かいる場所を把握している」

など「大河のお約束」がどこか懐かしい。

全てを包み込むかのような西田敏行さんのナレーションで二話目が幕を閉じる。

迫田利済の不在

役人時代の吉之助に多大な影響を与えたとされる迫田利済(吉之助の直接の上司。村役人の不正の摘発など多くの逸話を持つ。史実で年貢の軽減を訴えたのはこの人。そのせいでクビになる)を出さず、恐らく架空の人物である「井上」を登場させたのは赤山靱負に序盤の「理解ある割と近い位置にいる上司」というポジションを一任させたいということだと思うのだが、是非登場してほしかった人物だけに残念である(もしかしたら次回以降出てくるかもしれないけれど)

調所広郷の重厚

竜雷太さんが「ゴールデンスランバー」で演じた警視総監がとても好きだ。言葉少なながら、説得力のある演技をされていた。今回の調所広郷役についても同じ重みを感じた。調所にとっては自分の物語がようやく一度大団円を見た時に訳知り顔で文字通りの青二才がやってきたのだからたまらないだろう。そこで自分も叩き上げの人間らしく、やらせてみせるあたりが小憎らしい。調所以上に農民の(そして商人の)したたかさを知っている薩摩藩士はそうおるまい。今回斉彬が江戸に戻ったことで、彼のEDは大幅に変更されることになる。それがどう描写されるかが楽しみだ。

 

大久保正助の就職

ほほえましさ、くすぐったさを感じたのが正助が城勤めを始めたばかりなのに藩の内情をさも熟知しているかのように語るところである。い(し)ませんでしたか、内定が出た瞬間「うちの商品はさ~」とか話したりまだ三年目くらいなのに「うちの会社ってさ~」みたいなことを言っちゃったり。そういう意味では正助もまだまだ視野が狭い。まあ、少なくとも正助よりはキャリアが上なのにそういった事情を切々と説かれる吉之助って本当にあの後学問を志したのかという気分にもなるが。

 
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小さな日本の小さなカゴシマのことに、まだまだ振り回される日々が続きそうな大河である。ぼっけもんへの道は遠い。

 

カナタガタリで刀を語る:続「刀剣乱舞 花丸」一話感想と福岡市博物館訪問

 薩摩サーバーが実装された頃から不精な審神者をやっている。(まだレベル24)

妻の方は昔から一つのことをコツコツやる性格で、このゲームも例に漏れず筆者よりずっと後に始めたがレベル150くらいである。アニメは花丸、活劇共に二人とも全話見た。

西郷どん一話鑑賞の興奮も冷めやらぬうち、我が家は続・花丸待機会場と化していた。途中サカナクションliveがBSであったのでアイデンティティを考えたりしつつ、放映開始=0時であるからおみくじ待機もしつつ。

 

穏やかなしかし怒涛のような相反する属性を併せ持った30分間が過ぎた。そういえば自分が深夜アニメを見始めたのは「らきすた」だったなと思い出した。空気感が似ているように感じた。絶対にスタッフに博多君が好きな方がいると確信したりした。毎回アバンで今週の安定君があったりするのかもとか。早く数珠丸君に喋ってほしいとか。

放送中に鍛刀したら蛍丸君と長谷部君が一気に出たのでこれは付喪神の思し召しであろう、ということになり、福岡市博物館へ朝一で向かうことにした。六時半出発で、十時前に到着。途中から高速が三車線になり「恐ろしいところに来てしまった」という気分になる。鳥栖JCTって男の子だよな。

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警備員さんのにこやかな笑顔に迎えられる。無料駐車場は本当にありがたい。

建物から放たれるアカデミックなオーラに気圧されつつ入館する。雨は大人しくしてくれていた。

入館すると早速出迎えられる。f:id:kimotokanata:20180108215519j:plain

すぐそば福岡城基金の募集もあり、金額に応じてグッズがもらえた(200円で家紋ピンバッジをいただいた)土日祝限定だそうである。f:id:kimotokanata:20180108215526j:plain

f:id:kimotokanata:20180110231647j:image階段を上がり、居住まいを正し、まずは「黒田家名宝展示」へ向かう。200円。

安い。安すぎる。100円あったらマックに行くかもしれないが200円あったら福岡市博物館へ行くべきである。

20分ほど待つ。その間、前後では続花丸の話題が文字通り花開いていた。

丁寧に調光された照明の中で戦国の重みが形となって鎮座していた。

日本号はやはり刃の彫りがとても好きである。大正琴で「黒田節」を弾くたびに「日の本一の槍」を思い浮かべていたが、実物は想像よりもはるかにただそこにあるだけで正しく「日本号」という名に相応しい存在感があった。

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圧切長谷部のは名前や逸話から想像もできないような優美さがあった。

刻まれた「黒田筑前守」が万の言葉を並べても叶わない説得力を備えている。

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まさかここで黒田家の刀剣と甲冑展は我慢なんてするほど筆者は人間が出来ていない。

500円というまたしても恐ろしくリーズナブルな料金を払うと早速あのお椀鎧が目に飛び込んでくる。例の喧嘩の仲直りに交換した空気抵抗がすごそうな兜も。いつみても黒田長政肖像画は「うわめっちゃ風にもっていかれそうになるやん」という顔に見えてしまう。

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あまりに目立ち過ぎて戦場で大砲の的にされたという伝承のある兜。でしょうねとしかかける言葉が見つからない。お嬢さん……男っていうのは馬鹿な生き物なのです

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個人的に今回一番心惹かれたのはこの二字国俊。気持ちのいい直刃。黒田長政が戦で愛用したという。

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そして圧切長谷部の拵。ゴージャスながら気品がある。近寄ると細かな模様がより分かり、見ていて飽きない。

ミュージアムショップ横で販売されていたどら焼き「日本号」がこれまたその名を冠するのも納得というおいしさ。白あん派です。

しかも追加料金なしで金印まで見ることが出来る。福岡の文化に触れることが出来る。本当にいいんですかと言いたくなる。気が付けば4時間も博物館にいた。

 

しかし徒然思うのが薩摩の誇る刀「笹貫」(京都博物館所蔵)を刀剣乱舞に実装してほしいなあという気持ちである。筆者になじみがある地域で鍛刀されたということもありひときわ愛着がある。

仮に実装されるとしたらどんな姿になるだろうか……

・古刀

・九州にゆかりがある

・刀工の名前は波平(なみのひら)

???「バッカモーン!」


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ということで(論理のアクロバット福岡市博物館は「サザエさん通り」にあります。

ボリューム満点、近所ならば毎月でも訪れたい素晴らしいスポットでした。

大河ドラマ「西郷どん」第一回 「薩摩のやっせんぼ」感想

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当日になって近所で事前申し込みのパブリックビューイングがあり、まあ事前申し込みだから……と何とか自分を慰めていたら当日観覧OKのトークショーもあったということを直前に知りうなだれていたという最高のコンディション(アイロニー)から始まった「西郷どん」第一回視聴の感想である。

 

「やっせんぼ」というと皆様ももちろん大人気番組薩摩剣士隼人の敵役「ヤッセンボー」の元ネタということで先刻ご承知のことと思うが、弱虫、意気地なしといったニュアンスのかごんま弁である。

薩摩剣士隼人 登場人物 『幻魔神孤ヤッセンボー』

西郷隆盛が「やっせんぼ」から「ぼっけもん」(あえて今は意味を書きませんのでよければ調べてみてください)へ至る過程をどう描くか、がこの大河の一つの試金石となるだろう。

さて本編。いきなり一切が終わった銅像の除幕式から幕が上がる。(いや、幕は除かれたのだがそういう意味ではないのである)西郷・お前の顔を参考にしたはずなのに銅像とあまりに顔が違い過ぎるだろ・従道がなにやら話している。どこか糸は上の空のようにも思える。

そして糸の口から出る「こげな人じゃなか」という言葉。これは一般的にはそのまま顔が違う(銅像は隆盛の親類の顔からモンタージュめいて制作されたものである)ということだったとされているが、どうやらこの大河ではそれ以上の意味がありそうである。

時代は下り隆盛の子ども時代、まだ西郷小吉と呼ばれていたころの話となる。郷中どうしの小競り合いから(完全にお前どこ中だよのテンションである)からお殿様の別荘へと忍びこむ話になっていく。(今回記事の冒頭に写真がある磯庭園(仙巌園)(ちなみにこういうことをする悪ガキのことをかごんま弁で「われこっぼ」という)あえなく失敗、天狗と出会う。この時斉彬は薩摩にいないはずなので実際天狗と思われる。というのはあまりに無粋で(のち影武者を江戸に立てているとフォローが入った)あるがここでの斉彬天狗の喝によって小吉の視野が少し広がる。

夕餉の席で早速そこから広がりお城に上がって皆に奉公したい夢を小吉は語る。一切口止め料の効果がない。周りの反応から、「皆」の限界がせいぜい藩までだということが窺い知れる。(そしてそれすらも、夢物語であることも)

今回の大河で嬉しかったのは島津家パートが第一話からあったこと。斉彬の父である斉興はその父・重豪の浪費癖にほとほと困らされたのでそれを彷彿とさせる(実際祖父に薫陶を受けている)斉彬を苦々しく思っているが、久光は「都会から帰ってきた憧れのお兄ちゃん」という態度を迸らせているのがよい。お由羅の発言はちょっとメタすぎるが(のち久光は無位無官有訛で相当に苦労する)が大人の世界をしっかり描写してくれるのは嬉しい。

さて以前の記事でも紹介した妙円寺参りが始まる。天狗の言葉を受けて皆で力を合わせて一等を勝ち取る。天狗にも拝謁する。西郷どんに口止めなんてきかないということがよくわかりますね。

一方で男女の不平等が語られる。言えば言うほど自分のみっともなさが際立つのがわからないところが子どもである。その後女装イベントを挟み(この時の洗濯をされている女性のかごんま弁はあまりに素晴らしい)薩摩では道徳の教科書にも採用されている「上士の息子に剣の道を断ち切られる」イベント後再び斉彬にエンカウントし、再び視野を少しアンロックしてもらう。完全にチュートリアルのイベントフラグ管理用キャラクターの斉彬である。そしてやっぱり久光がお兄ちゃん大好き。

世界の概念を知り、何度目かの視野アンロックイベントを経て後に終焉の地となる城山で、小吉と友たちは大志を語り、駆け出していく……。

 

見終えて

自分の当地ということもあってか、感情移入出来る一話だった。ただ、余りにもパーフェクトな斉彬をはじめ、やや最近の大河では姿をひそめていた「神の視点」がちらついているのが気になった。また、子役の皆が大変頑張っていたので予告を見たところ次回からもうお役御免のように見えるのが残念。しかし続けて次回も見たいと思う大河であった。この感想記事も完走できるよう頑張りたい。

おすすめ

今回の大河の副読本としておすすめしたいのが、「みんなの西郷さん」ロケ地にもなった仙巌園に併設された尚古集成館の学芸員さんが平易な言葉で、豊富な注釈や図を交えて総ルビで書き下ろした本。最新の解釈であるので(そこのあなた、「征韓論」がどういう議論だったかご存知ですか? 西郷どんは武力制圧を主張したと思っていらっしゃいませんか?)親子で改めて読む、というのもいいですね。お値段もリーズナブル。

 

みんなの西郷さん

みんなの西郷さん

  • 作者: 小平田史穂,尚古集成館(田村省三、松尾千歳)
  • 出版社/メーカー: 渕上印刷株式会社
  • 発売日: 2017/12/08
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西郷どん前夜に薩摩人の死生観について考える

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いつの間にかインターネット界隈では「薩摩人ってクレイジー(婉曲表現)」といった言説が罷り通っているように思う。
例えば鬼島津だったり、関ケ原敵中突破であったり、生麦事件であったり、薩英戦争であったり、西南戦争であったりがそうさせるのだろうか、と思い当たる節がないでもない。世界有数の活火山のそばに住み続けているというのもあるのかもしれない。
クレイジーさを突き詰めるとどうやら様々な要素から「死をあんまり恐れてなさそう」と捉えられているのが根幹であるように思う。
そういうことで何故薩摩人は「死をあんまり恐れてなさそう」なのか薩摩人が考えてみることにする。というか、四半世紀以上薩摩で育つと死についてこういう考え方をしている、という話になるのかもしれない。

桜島の存在

以前の記事でもふれたが、薩摩人は「なんでそんなところに住んでいるのだ」と言われることが多い。大体桜島のせいである。
多くの薩摩人は「だって生まれたし」としか言いようがない。そこが生まれた場所で、愛した場所で、棺桶だからである。
桜島は活火山であり、現在の噴火警戒レベルは3(5段階中)である。火山活動の度合いとしては「生命に危険を及ぼす火山活動(噴火)が発生し、居住地域の近くにも及んだ、あるいはその恐れがある。」状態を指す。同じレベルに御嶽山がある。上写真の噴火など珍しくもない。むしろ噴火がない方が人々は心配する。人々に噴火の恐れがないわけではない。百年前、島であった桜島が噴火によって半島となったことは今も語り継がれているし、痕跡はあちこちに残されている。しかし人々の懸念は「桜島の火山灰がどの方向に向かうか」であり、その主な理由は「洗濯物が汚れるから」であり故に「桜島上空の風向き」が薩摩の天気予報では当然のように語られる。

その桜島が薩摩人の死生観にもたらした影響は極めて大きいと思われる。他の地域の人々より「いつ死んでもおかしくない度」が常に高く設定されており死への諦観にも似た覚悟が別に宇宙が一巡していなくてもいつのまにか育てられる。「自分でどうしようもないとんでもなくでかいもの」が常にそばに寄り添っている状態というのは、知らず生についての執着心を薄れさせる効果がある――のかもしれない。また、一方で「自分でどうしようもないとんでもないでかいもの」が存在することは「カリスマについていきたい」という気持ちをまた心中深く宿らせているのかもしれない。これについては次項により詳しく述べる。

薩摩人は桜島がとても好きである。「がっつぃねんづへばっかだせっせぇめわっぜびんてくらい(薩摩弁で本当にもう年中灰ばかりまき散らして大変に腹が立ちますよの意)」といいつつも「桜島が見えるかどうか」は薩摩での部屋決めに関して非常に重要である。もし他の地域で薩摩人がクレイジーな働きをしたとき、それはもしかしたら生き延びてもう一度桜島が見たいがための文字通り死にもの狂いの行動であったという可能性も考えられる。

個の「薩摩人」としてではなく「薩摩」という群体としての生き方

薩摩人が「死を恐れてなさそう」「クレイジー」な印象を与えるエピソードとしての最右翼はやはり「関ケ原敵中突破」になるだろうか。負け戦確定になってど真ん中に突撃して挙句の果てにほとんど死んで何を考えているのだと思われるかもしれない。無駄死にだと思われるかもしれない。捨てかまり(島津の少数ずつ決死隊を切り離していく戦法)なんてまさにそうではないかと。
前項で少し触れた「カリスマについていきたい」という気持ちが薩摩人は少なからずあるのではないかということがこの事案から帰納法的に推測出来る。即ち薩摩人の死生観において、自分個人の死ではなくカリスマの死、頭目の死の回避が最優先事項である。極端も極端の滅私奉公と言えるかもしれない。生と死、勝ちと負けの判断基準が違う。例え自身が屍となっても頭目が生還すれば「我々」の生であり勝利である。「薩摩」の勝利である。同じグループである何某かが遺志を継いでくれれば自分はそこに生き続ける、そういった考えがあったのではないか。故に個人の死は恐れなかったのではないかと。
そしてその考えは「妙円寺参り」という形で脈々と受け継がれ、それが今に――少なくとも幕末維新のその時までは刻まれていったのではないか。
大政奉還のその時、「薩摩」の遺志の一部となった関ケ原足軽は「色々あったけど結局勝利した」と草葉の陰で喜んだかもしれない。
言うまでもなく、その生き方は著しく反近代的であり、「西郷どん」という群体として集った元志士達に飲み込まれるようにして個人である「西郷隆盛」が死を迎えることによって否定されることになる。「晋どん、もうここらでヨカ」は群体としての「西郷どん」の敗北宣言としても見ることが出来る。あるいは「維新志士」という流行り熱めいた群体への介錯であったかもしれない。しかし後の歴史を追っていくと物理的に「西郷どん」を討ち果たした官軍がその流行り熱にかかったように思えてしまうところが悲しい。

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鬼火焚き(いわゆる「どんど焼き」)があった。天を仰ぐオブジェがものの数分で煌々と輝き、そして燃え尽きていく。
かと思えばはねた火の粉が上手いこと細々生き延びていたりする。
それでいいんだよなと思う。筆者が薩摩人から鹿児島人へ近代化する兆しであるかもしれない。

三谷幸喜が描かなかった「風雲児たち」

先日述べたように、NHK正月時代劇「風雲児たち 蘭学革命編」が大変素晴らしかった。

見逃した方はNHKオンデマンドで絶賛配信中です。

 

www.nhk-ondemand.jp

大変素晴らしかったことは大前提として、演出上仕方なかったとはいえ、カットされてしまったいくらかが気になり、また選り抜き版「風雲児たち 蘭学革命編」も人に薦めた手前自分でも買ってみてここで切るのか……と思ったりもしたため、そう言った徒然を綴ることにする。

 

風雲児たち 蘭学革命編」は極端に言ってしまえば杉田玄白前野良沢の、拙速と巧遅の対比の物語であった。その結果、中川淳庵が少々割を食ってしまっている。

真田丸直江兼続と対照的なコミカル寄りの演技を見せてくれた村田新悟さんに解体新書の朗読をして欲しい、とまではさすがに思わないが、原作では杉田・前野・中川の三人の解体新書、という印象があったので少し寂しい。(杉田・前野の訣別を判り易くするためか、時代劇版では前野宅へ一人中川が完成した解体新書を渡しに行くが、原作では杉田も同行し、三人でひしと抱き合うのである。また、それ以前にも読み分けが進むたびに三人で抱き合う描写がある)

時代劇版は最初と最後に杉田の還暦と前野の古稀を祝う時間軸を描く。そして二人の抱擁で物語は幕を閉じる。中川は、その場にはいない。およそ八年前に病没している。

原作での彼を大槻玄沢が見舞い、その後激昂するシーンは名場面の一つである。

大槻玄沢(杉田白と前野良からとって改名した一関藩出身の蘭学者。のち解体新書を改訂する)は当時の最先端である長崎から帰国し、病床の中川へツンベリー(スウェーデン博物学者。出島で医師をしていたこともあった)からの手紙を届ける。中川のオランダ語は外国人と往復書簡をするレベルにまで達していたのである。しかしながら、中川自身はとうとう長崎にはいくことかなわず、またさらにその先の外国にも行くことが出来ず、(この時前述のツンベリーは既に帰国している)鎖国の愚を大槻へ愚痴る。

大槻はその足で杉田を訪ねる。杉田によると、大槻は仙台藩(一関藩からすると本家にあたる)が取り立てようとしているといい、喜ぶ。「長崎でオランダ医学を修めたこと」はブランドなのである。

しかし大槻は憤る。普段温和な男の魂の叫びである。

外国を嫌って鎖国をしているくせに

外国の学問をしている人間をありがたがるんですか

そだらばかなはなしコさあるか~~~っ

なじょして鎖国なんかするべか~~っ

リイド社刊:「風雲児たち ワイド版 8巻 274ページより)

ほどなく中川は四十六歳で病没する(癌であったという)

鎖国の愚」は「風雲児たち」において重要なテーマの一つである。幕府や諸藩のどうしようもない自己矛盾に翻弄される叫びが赤裸々に出ており、印象に残る。 また、中川と桂川甫周(時代劇版では女体への異様な執着が印象に残ったが)とツンベリーとの文通は「風雲児たち」における重要な伏線となっているため、中川の扱いが控えめになってしまったのは残念であった。

 

  • 前野良沢と藩主、また宣伝ポスターのあれこれ

 終盤、前野は藩主・奥平昌鹿と対面する。時代劇版では藩主は前野が藩の予算で長崎で買った本こそが巷で評判の解体新書であり、その翻訳に尽力したことを見抜き、そのことを告げる。前野は藩主さえ分かっていてくれればと報われる思いとなる。美しい主従。名場面である。

それでも、原作を読んでいるともったいない! と思ってしまうのである。

なぜか。みなもと太郎先生はここで杉田玄白も救っているからである。

原作では藩主が前野が解体新書に大いに貢献したことを推薦文によって知る。小日向さんが演じたあの大通詞が書いた推薦文である。

そこにはこう書かれているという。

杉田玄白氏のいうには

「私ははるかにかたじけなくも

前野先生の教えを受け従いて解し従いて訳し……」

 (リイド社刊:「風雲児たち ワイド版 6巻 18ページより)

前野が作中で感激しているように、推薦文まで目を通す人は少ない。

翻って考えれば目をつけられにくい場所で、しっかり杉田は解体新書は前野の功績であると宣言している。杉田は己が解体新書の手柄を独り占めしようとして前野の名を削除したわけではなく、またそのフォローを出来うる限りしようとしていたのだ、ということを読者はここで知ることが出来る。勿論、劇中を追っていれば杉田が目先の手柄に目がくらんでいないことはわかるが、改めて客観的に証明されるということで読者に杉田という人間に対しての安堵を改めて与え、そう描写されることで杉田自身も救われているのである。

ラストシーンの抱擁に繋げるためとは思うが、残念な改変であった。

しかもこのシーン、選り抜き版「蘭学革命編」には掲載されていない。(最後に収録された話の次の話となっている)源内のモノローグという特殊な語り口のせいかもしれないが、杉田が名声だけでなくやっかみもすべて引き受けているなどが描写されてもいるので、せめて蘭化と名乗るところまでは収録してほしかった。

もう一つ残念なのは、このポスター。原作、あるいは時代劇版を見た方なら戸惑うに違いない。勿論、信念ではあるが、前野自身が解体新書に名前を載せなかったのはある種のエゴ、名誉――無論そんな簡単な言葉で形容できるものではないが――が複雑に折り重なった葛藤の末であることが痛いほど伝わったはずだからである。もう少しどうにかならなかったものだろうか。

 

  • 司馬江漢の不在

二千五百字近くなったので筆を急がせる。絶妙な存在感のある司馬江漢の存在が抹消されてしまったのは残念。彼の言葉「ふすまも障子も不可欠なものだが、作った人の名前は誰も知らない」は時代劇では平賀源内に引き継がれている。

この人も全くの手探りから日本で銅版画を実現させた人なのだが、その過程(人に頼りまくって砂かけまくり)などから癖が強さが窺い知れる。いきなり七歳年を逆サバしたり、飽き足らず自分が死にましたというハガキを出して隠居したり、余りにも癖が強い。興味がある方は調べて見られるのもよろしいかと。

 

  • 寛政の三奇人

一応述べておくとここでの奇人は「優れた人」の意である。林子平高木渉、いや、高木渉さんの林子平がハマりすぎている。高嶋さんの高山彦九郎もいい。

この二人はそれぞれ、海防の重要さ、尊王という幕末に大きなテーマとして現れてくる要素の象徴的存在として「風雲児たち」に君臨している。その為今回もサービス的に出てきてくれたものと思うが、そうなるともっと見たくなってしまうのが人情である。

おわりに

つまりは一刻も早く続編が見たい、まずは「さらば源内編」あたりでよろしくお願い申し上げますNHK様、といった次第である。

真田丸キャスト三谷幸喜先生脚本の関ケ原90分スペシャルもずっと待ってます。

 

初初詣(誤タイプではない)

初詣に行ったことがない。なかった。

まだ同じ町内に神社があったりしたら違ったのかもしれないが、わざわざ人が多いところを目掛けて行かなくてもいいじゃないか……というのが基本スタンスである。

もう少し日をずらして行った方が神様の方もお願いを真摯に聞いてくださるのではないかと思ったりもしていた。

 

そんな折、Twitterで一つのツイートが流れてきた。

これはチャンスかもしれない、と思った。

島津義弘公は誕生日が同じということで勝手に親近感を抱いている。

・割かし近所であり、看板など見て気になっていたが今まで訪れる機会がなかった。

・情報を収集するに二日に訪れる分にはそこまで混雑しそうにない。

・ということは昨年断念した御朱印集めを再開するチャンスでもあるかもしれない。

・せごどんのロケ地に興味がある。

・今まで初詣に行ったことがないというと同僚に同情された(全踏み)ので詣でることでマイナスからゼロになりたい。

・今日から初めたブログのネタになる。

 など精矛神社へ初詣に行くことで随分と良いことがありそうなのである。

早速翌日詣でることにした。

 

翌二日は晴天の絵に描いたような初詣日和、初もうdayであった。

おせちもいいけどカレーもね。

ということでまずはすき家で牛あいがけカレーメガ盛(とろーりチーズとおんたまトッピング)で腹を満たす。
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途中左折のタイミングを二回ほど間違えながらも精矛神社の幟が立ち並ぶエリアへ入った。視界の先に鳥居が見える。が、車を停められそうなところが見当たらない。道の左右に車がそこここ停められているが、完全にそのそばの民家の方々のものである。いよいよ鳥居が迫り、もしかして駐車場は別の場所なのかと青くなったとき、真横に臨時駐車場の看板が見え安堵する。因みに駅から徒歩県内なので遠方からの方もご安心である。

中途半端な時間のためか駐車場には車はなし。新しくトイレを建設中であり市が「せごどん需要」に対して期待しまた対応している姿勢が感じられて良い。

 

鳥居を二つ抜けると本殿であった。

繰り返しになるが精矛神社は島津義弘公をお祀りしている神社である。

筆者のイメージでは豊臣秀吉(豊国大明神)、徳川家康(東照大権現)、そして筆者に初詣=盛大でごみごみしていて交通が麻痺するのイメージを与えた鹿児島市内中心地に祀られる維新の立役者島津斉彬(照国大明神)の印象が強かったが、調べてみると名だたる武将はだいたい神となっていて面白い。(明治頃藩祖を祀るブームがあったらしい)

生涯50余りの合戦を戦い抜いた祭神の荒々しさとは対照的に境内は静謐であった。百年前に建てられた社殿も周りの風景と実に溶け込んでいる。

参拝者を暖めるために焚いてくださった火のパチパチという音と雅楽の音色が心地よい。お賽銭を入れ、鐘を……上手く鳴らすことが出来なかった。一年の何事かを暗示しているように思われたが、じっくり祈ることが出来た。

そのまま社務所で可愛らしい巫女さんに御朱印をいただく。お正月以外は行事の時ではないともらえないとのこと。300円。先方が紙まで用意してくださっていた。


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一通り境内を見て回ったところで「やはりおみくじも引きたい」ということになり、再度社殿へ向かう。すぐ横なのでせっかくなのでもう一度お祈りもする。今度は鐘を上手く鳴らすことが出来た。何事も思い切りであると学ぶ。

裏に英訳がされているおみくじで、そちらから見ると「Very good」。ひっくり返すと「中吉」であった。それならば大吉は「Very Very good」なのだろうか。一瞬湧いた疑問は同行人が「大吉」を引いたのですぐに氷解した。「Excellent」であった。なるほど。


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 撮影風景の写真は二つの鳥居の間、開けた見やすい場所に掲示されていた。ロケは恐らく妙円寺参りのものだったのだろうか? 少年たちの屈託のない笑いが印象的だ。

随分と長い記事になってしまった。関ケ原、また維新におけるインターネットミームと化しつつある「クレイジーな薩摩人」について、薩摩人の死生観についても書いてしまいたかったが、また項を分けることとする。

帰りは随分と駐車場に車が増えていた。すれ違う人々に、どちらからともなく「おめでとうございます」の声掛けがある。丁度いいな、と思う。二日の昼前にふらりと来て、願い事を聞いてもらい、居合わせた人々と互いにおめでとうのお裾分けをする。新年初めのささやかなエールを送りあう。この初詣、丁度いいな。

来年の初詣も二日に、ここに詣でよう。

精矛神社|鹿児島県姶良市|オフィシャルサイト