カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

プリズムに煌めいてあれ――はじめてキンプリ見たよ、あるいはKING OF PRISM -Shiny Seven Stars-1話感想他

余談

噂は聞いていたのである。キンプリはヤバイらしいと。TLで垣間見するその界隈は、製作者がクレイジーか、ツイート発信者がファンキーなのか、あるいはその両方であるのか……一言で言うなら混沌であり、二言で言えば対岸の狂騒であった。

今月初め、一つの動画を妻から見せてもらった。


EZ DO RAP & ヒプノシスマイク-Street Rap Battle- Squash The Beef/Buster Bros!!!&KING OF PRISM Street Unit

実は夫婦そろってヒプノシスマイクにハマりつつあり、本来であればその経緯を説明した二記事ほどを挟んでからこの記事と展開していきたかったのだが、

何しろ、

abema.tv

4/20の0時より一話が無料開放され、

abema.tv

abema.tv

過去作二つが4/20の十二時まで無料であるのだからこのタイミングでお勧めするしかないのである。無論、正規料金を払ってもそれ以上の感銘があるのだが、資本主義社会においてタダより安い物はないのである。全ての熱量は新規会員を思い立って、個人情報を入力して支払方法を登録している間に1/10になってしまうものだからだ。ただワンクリックだけのうちにこのエンターテインメントを取り入れてほしいのである。

話が前後した。そういうことでしっかりと所謂「キンプリ」に向き合ったのはこれが初めてだった。短い付き合いだが愛着の湧きつつあるヒプノシスマイクの代表的なビートとバースをオリジナルなリリックに載せて宣戦布告する三名。

大和アレクサンダー、香賀美タイガ、十王院カケル。画数では山田三兄弟の完敗である。カヅキさんって誰だ、君の直後にチャラそうな男が出てくるが大丈夫なのか、そういった戸惑いを吹き飛ばすそれぞれの強烈なパンチラインにたたらを踏んでいると今度は山田三兄弟のアンサー。(筆者は後から知ったのだが前日のうちにこのアンサー部分が公開され話題になっていたのであった。そしてキンプリ側でも新聞で話題に。筆者はこの時、キンプリに本編随所に織り込まれる豊富な新聞ネタに目を白黒させられることをまだ知らない)

これは……EZ DO DANCEじゃないか! 幼き日のヒット曲をこんなところでこんなアレンジで聴く機会に恵まれるとは、と動揺している間に二作品間ではPEACEが成り立っていた。完。

否、始まりなのである。賽は投げられたのである。

刀剣乱舞ヒプノシスマイク。世間で女性向け作品と言われる二つに楽しませてもらっているアラサー男性が女児向け(派生)作品に足を踏み入れる舞台は整ったのである。

 

ここからはネタバレがあります。出来れば初見の方はまっさらな状態でプリズムに煌めいて頂きたいので騙されたと思って一話を鑑賞してみてください。ちゃんと二十五分で終わります。

本題

KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-は筆者の暮らす大都会では残念ながら上映がなく、足踏みをしていたのだが、BSテレ東でも放映されているということで録画してみることにした。有難うBS放送。文化の極みよ。よかったNHKにBS料金で加入していて。有難うNHK。NHKオンデマンドを受信料と込々にしてくれNHK。せめて見逃しと特選を統合してくれNHK。受信料まで併せるとabemaの3倍くらいするぞNHK。

いきなり中性的な人物が開幕を宣言し、続いて三人組がパフォーマンスを始める。突然の電車。全裸。終電。アフレコパート。星座。お酒は20歳になってから。すごい説得力だ。どこからが現実でどこからがパフォーマンスのイメージ映像なのか。全てが現実なのか。全てがイメージ映像なのか。

そうではないのだった。全てがキンプリであるのだった。

ただ、思っていたよりもずっと親切だった。プリズムショーの説明、トレンドの説明、メンバー紹介、(タイガ君が思ったよりも純朴で、カケル君が思ったよりもチャラくなかった)天然ガスの高さ、対立構造、放漫経営、大和アレクサンダーの孤立(絶対にストリート系だ)、メンバーの信頼関係……これまでの流れが何となくわかったような感じになった。気が付けば風呂に入っているので油断ならない。

新たなるステージが開幕したところで次回に続く。既に来週が待ち遠しくて仕方がなく、とりあえず応援音声にして二週目に入り、世に言うキンプリエリートの凄まじさと素晴らしさを言葉ではなく心で理解するのであった。

二週目終了後、妻と無言のアイコンタクトを交わし、KING OF PRISM by PrettyRhythmの再生が始まった。そうなると加速度的にKING OF PRISM -PRIDE the HERO-も続けて視聴するのはHBの鉛筆をベギッとへし折れるくらい当たり前のことだ。

一夜明けてまだ余韻の中にいるが、聖鼻毛領域(ボーボボ・ワールド)の中でコロコロホビー漫画とあしたのジョー北斗の拳ウテナめいてリミックスされた結果しかしそれはやはりキンプリに落ち着くのだ、という納得と感動があった。EZ DO DANCEという曲の重みに改めて感じ入ったし、新聞が出るたびに一時停止できる環境でよかったと思った。代表は経営から身を引いた方がいいとしみじみ考えたし、ドラゴンズネストが出て来た時の時系列を追ってきたエリート諸賢とは違う方向の「ここ、あそこじゃん!」という感激は今、このコンテンツに触れたからこそであるという喜びがあった。

また少し調べて、初めの劇場版は14館での上映からスタートしたということで改めてエリート諸賢への畏敬の念を禁じ得なかった。

大いなる愛が人々を救い、スタジアムを救い、地球を救った。愛が地球を救うというそんな簡単なことを我々は久しぶりに一切の欺瞞がない真実として受け取ることを許されたのである。全ての登場人物がそれぞれに光を放ち、それはプリズムに煌めいて拡散し、増幅し、昇華していった。

これほど幸福な結末を迎えておきながらしかし主人公の話は転がり始めたばかりであり、じゃあエーデルローズに今度は一千億の負債を背負ってもらいましょう、というのはなんたらと天才は紙一重と言わざるを得ない脚本の妙であるな、と過去をDigして改めて感じることも出来た。

非常に濃密な時間を過ごせたことに感謝をしたい。この時間を継続するためには今後どうすべきか、エリート諸賢に教示を請いたいところである。

審神者就任四周年―筆者と陸奥守吉行たちの1460日

なんだかいかがわしいがバレ防止のつもりである。一体、誰っちゃんなんだ……。

余談

六年前、筆者は提督であった。久々のブラウザゲーはコンシューマーゲーより気軽で、(何しろ当時は「ゲーム機の電源を入れる」ということすらとても億劫だったのだ)一日一時間程度でちまちま進めていた。

そして血気にはやり、一人の艦娘を失った。折しも終戦記念日の前日であった。その後も暫く楽しませてもらったが、建造で同型が出るたび、やるせない気持ちになった。難所である2-4を超え、3-2くらいまで進んだところで業務もますます忙しくなり、そのまま鎮守府から足は遠のいてしまった。

今回この記事を書くにあたり、久しぶりに着任してみた。ログイン画面が随分変わっているように思い、艦娘のスケールが本丸と比べて近い、と感じた。

右上に遠征が完了しました、とメッセージがあった。最後に遠征に送り出したのはいつだったろう。クリックして、長い長い遠征から彼女たちを迎え入れた。持ち帰ってくれた僅かばかりの資源は、放置してカンストした資源の前に切り捨てられてしまった。

建造でも、と思ったがもはやレシピも思い出せなかった。出撃を押すと、海域が全く把握できなくなっていて二度驚かされた。

もはやここに筆者の居場所はないのかもしれない。データの海に彼女たちを沈めることといつか来るやも知れぬ提督としての使命感が燃え上がるのを待たせ続けるのはどちらが罪深いだろう?

少し逡巡し、今回はこのままでいることにした。帰ろう、帰ればまた来られるから。三年の時を経ても、彼女たちは待ってくれていたのだから。

本題

就任まで

四年前、筆者は審神者に就任した。実家を出て職場のそばへ引っ越し、社会人になって幾らか年月が経って時間のやりくりも出来るようになり、とはいえコンシューマーゲームのモニタとテレビを統一してしまい、HDMIをレコーダーから挿しなおさなくてはならなくなったので「電源起動クエスト」はさらに難易度が上がってしまった。

そんな折、「刀剣乱舞」が新規サーバーを開放するという報が入ってきた。男の子はいくつになっても刀が好き。筆者も例外ではなく、前々から興味はあったが新規参入が難しい状況でもあった。

新規解放されるサーバーは「薩摩」であるという(「備後」も同時に解放された)。これも何かの縁と帰宅後早速申し込みをした。既に結構埋まっていてその人気ぶりに驚いたものだ。妻も周防サーバー実装時に始めているので、旧国名サーバーというのはゆかりの地が解放されたときにやってみよう、と思わせる意味ではなかなか効果的であるのかもしれない。

初期刀選択、初鍛刀、初出陣

さてログインし、初期刀を選ぶ段になった。ざっと見て、ほぼノータイムで陸奥守吉行に決めた。無知を晒せば、初期刀の中で見知った名前が陸奥守吉行しかなかったのである。性格も快活でルックスも秀逸であり、選択しない理由がなかった。

初鍛刀は、今剣だった。これは……後から来た大柄な刀剣男士にも先輩風を吹かせてえへんしそうなタイプ……いいじゃないですか……となりつつ、その日に1-3くらいまで攻略したと思う。「艦これ」より結構楽だな、という印象であった。

よう狙って……バン!

えっ刀はいいの? と思って笑ってしまったのも今や昔である。

コンシューマーゲームへの移り気

織豊の記憶まではスムーズに進んだが、そこから停滞が始まった。スムーズに進み過ぎてレベルが足りていなかったのだろう。また、任務を達成しても回収を忘れることが多かったり、資源をケチって短刀が顕現することが多く錬結によってステータスがなかなか上げられないのも今覚えば響いていたように思う。

はじめて陸奥守吉行が中傷(いつ見てもこの表現どうなのかなあと思うのだが)まで追い込まれた。その時の「吠たえなや……」と言う言葉に背筋がざわついたのを今でも覚えている。(実際は軽傷時の台詞であるはずなので記憶は前後しているのだろうが、印象としてこの時初めてその台詞を認識したのでこのように表記させていただく)。

歴史好きであれば嫌でも近江屋事件と、龍馬暗殺事件と結びつくその台詞。陸奥守吉行が刀である自分を否定するようなことを言うことが、誉をとってもイマイチ嬉しそうでないことがつながったように思えた。

今の主である審神者を、筆者を立ててくれているが、未だに彼は守れなかったことをしまい込んだ上で戦っているのだと。

初めての撤退を行い、手入部屋に直行させ、その日はそれで終わりにした。

カッとなって転職し、しばしの自由時間が出来た。PS4を買い、大作ゲームに手を伸ばした。こうなるとブラウザゲームはいつでも出来るからこそ、足が遠のいてしまった。月単位で本丸を開けることが多くなり、こんのすけは「嫌味を言ってくるやつ」というひどい認識に至っていた。

いつでも陸奥守吉行は朗らかに迎えてくれていた。

夫婦審神者・そして再開へ、からの再中断へ

刀剣乱舞をはじめて二度目の春、妻(まだ同居人であったがこの表記に統一する)が審神者に就任した。単純に共通の話題が増えるのは嬉しかった。

妻の偉いところはこれと決めたゲームを一貫してやり続けるところで、筆者のようにゲームを積むことは決してない。常にそのゲームと真摯に向き合う。(平行して進めることはある)刀剣乱舞もその例外ではなく、元来不精な筆者はあっという間に差を詰められてしまった。

困ったことにTLの情報や妻のプレイ報告で自分も「プレイしたつもり」になってしまうのがますます問題で、新刀剣男士も妻は顕現させるが筆者は……ということが続き、妻との審神者偏差値の違いに自分でうんざりしてしまい、またまたの中断となってしまった。

刀剣乱舞の映像化との邂逅

転職後の業務が本格化し、新職場の近くに引っ越した。BS環境が整備されており、早速秋口に始まった「刀剣乱舞 花丸」を夫婦で鑑賞することが出来た。筆者は鍛刀もそんなに熱心に行っていなかったので刀剣男士たちの諸々を妻にレクチャーを受けながら、我が本丸のわびしさに思い至った。

ちょぼちょぼと日課をこなすようになり、妻のアドバイスでレシピを調整するなどし、新たな刀剣男士たちが続々と顕現した。中でも次郎太刀は顕現当初から大いに活躍し、今でも我が本丸の主砲として厳然たる地位を築いている。

妻が最早刀剣乱舞にどハマりしているのは明らかであり、田舎の悲しさ、一番くじ他コラボレーションの度に県内を北へ南への移動の日々が始まった。元来インドア派である我々が週末の度に外出するようになるとは。

妻への某かの贈り物(誕生日・ホワイトデー・クリスマスなど)も刀剣乱舞に関連したものが多くなっていった。

年が明けると諸々の研修に追われ、地方に出張も行ったりし、ようやく人間としての姿かたちを思い出したころに「活撃 刀剣乱舞」が始まった。

いや~九話……九話なんですよ……もうほんとこれだけは千夜を以て万言で語っても到底伝えられないので是非ご視聴頂きたい。

連動特典をちゃっかり獲得しつつ、いつの間にやら審神者のレベルが三ケタになっている妻に慄いたりもした。当時のスマホはあまりゲームと相性が良くなく、相変わらずPCでプレイしていたのだが鍛刀をして満足、という日々が続いた。

そして昨年、筆者はブログを始めた。夫婦で「西郷どん」一話を鑑賞し、「続・刀剣乱舞 花丸」一話を鑑賞した。観ながらの鍛刀で、へし切り長谷部と蛍丸が続けて顕現した。

これは何かの思し召しと考え、翌日、へし切り長谷部及び日本号を鑑賞してきた。初めて車で福岡まで行った。(日帰り)それほど刀剣乱舞と言うコンテンツが我々の生活に影響を及ぼしてきたのである。それは幸福な浸食であった。

太宰だったかと思うが、季節外れの夏物の衣服をもらって夏までは生きようと思った、という話があった。筆者は別に死のうとは思っていないが刀剣乱舞関連の色々がこの日にあるからそれを目標に頑張ろう、と言うような生活リズムとなっていった。

審神者、東奔西走す

春、活撃 刀剣乱舞展に行き、京都御朱印巡りを達成し、髭切を鑑賞した。

GW、宴奏会に参加した。一刻も早く本丸に帰参したい、そう思わせる本当に素晴らしい体験だったが、ただ一つ筆者には負い目があった。阿津賀志山(厚樫山)を当時の筆者はまだ突破していなかったのである。そういった意味で我が本丸の完全な追体験とはならず、悔しい思いをした。

早速刀装破壊の心配がなく、経験値の割もいいイベントによって部隊を鍛える日々が始まった。蛍丸も既に欠かせない戦力となりつつあった。和泉守兼定の打刀離れした打撃に何度助けられたことか。討ち漏らしたと思ったところに次郎太刀の一閃が決まると何とも言えない爽快感だ。鶯丸は今日も命を大事にしろと叫びながら敵を薙ぎ払っている。

鍛える過程で新しく実装された刀剣男士達も顕現させることが出来、審神者としての自信を取り戻しつつ久々に通常ステージへ挑むと、驚くほどあっさりと阿津賀志山を突破することが出来た。かつては最終ステージだったことをうかがわせるメッセージが流れるが、目指すは陸奥守吉行の極である。その為にはまだまだ鍛錬を積まねばならない。

幸い、鍛刀革命が起こり、優秀な刀剣男士が顕現しやすくなっていた。いつものメンバーに二人ほど短刀の男士達を……といったやり方で少しずつ鍛える日々が続いていた。

今剣が重傷からの真剣必殺で最後のボスを仕留めたのは既に秋風吹く九月のことであった。

可愛い刀剣男士には旅をさせよ

すぐに陸奥守吉行が相談しに来た。勿論ノータイムで送り出した。しかし陸奥守吉行はかなり精神的強度があるだろうから今更修行する必要などあるだろうか……? などと思いつつ、しかし届く手紙からその深い度量がますます深く、龍馬への思いが自分のある種アイデンティティであることを認めつつ、今の主――審神者の為に極となる姿勢であることがしみじみと伝わり、改めてその成長を感じさせてくれた。

戻ってきてくれた姿も提督感があり勝手ながら筆者のかつての業まで背負ってくれるようで大変嬉しい。暫くは鍛刀→錬結の日々が続いた。

次に送り出したのは今剣。妻曰く「極短刀ちゃんたちはすごい……今剣さまとしか呼べなくなる」と言っていたがそれ以前に手紙がビシバシ刺さってつらかった。ある意味陸奥守吉行と今剣は対照的なのだなと改めて気付かされもした。

帰ってくるといつまでも上がり続ける機動に顕現したそばから刀剣男士が錬結していきそれはそれですさまじいものがあった。

現在

新マップが実装されたものの延享の記憶で無事足踏みしている。イベント戦に慣れたら刀装が剥がれるのがなかなか辛くて……あと高速槍死んでくれないかな? 頼むから死んでくれないかな。 すごく苦しい死に方してほしい。

昨年の京のかたな展に行けなかったのは痛恨の極みであったので何卒……何卒、陸奥守吉行の再展示を……といったところである。

四周年と言うことで何かしら特別なことを、思い立って今まで夫婦合作の祭壇であったのを分離して、陸奥守吉行専用祭壇を拵えてみた。滅茶苦茶楽しかったです。今年はS・H・フィギュアーツ:仮面ライダースカル以来の立体物、ねんどろいど陸奥守吉行を是非お迎えしたいところ。

まだまだ語りたいことはあるのだが、五千字近くなってしまい、日も替わろうとしているのでこの辺りで。むっちゃん他、本丸の刀剣男士諸賢、妻、各種界隈の方々、TLの皆々様のおかげでこの四年間は楽しかった。五年目も楽しんでいきたい。

因みに現在の第一部隊はこんな感じである。色んな刀剣男士の就任祝い台詞を聞きたかったので第二部隊になっているのはご愛敬だ。

鏡は横にひび割れぬ―刀剣乱舞イベント「文久土佐藩」を迎えるにあたって

余談

相変わらず刀剣乱舞をちまちまとやっている。球集めは相性が良くなくて振わないのだが、今回の江戸城は先年初めて真剣に取り組み、どうにか南泉一文字くんを迎えられた思い出深いイベントであり、移動だったり宝箱開封である程度プレイヤーの裁量が効いてゲームらしい挙動が出来るのでお気に入りだったりする。

そして次に控えているイベントは特命調査。こちらも前回、聚楽第に潜入し、優評価を頂戴した筆者にとって思い入れのあるイベントである。筆者の初期刀が陸奥守吉行であることは既に何度か述べたが、それだけに今回の「文久土佐藩」の特命調査においてはワクワクが止まらない。もうずっと妄想している。妻に話すのもそろそろ気の毒になって来たので、ここらで一度ネットの海に放流し、デトックスしておきたい。

筆者が考える程度のことは皆々様が既に考えていらっしゃったので、説として目新しいものは特にないが、幕末歴史好きかつ陸奥守吉行が初期刀である人間にとって、「文久土佐藩」という五文字だけでどれだけ妄想がはかどるかという一つの記録にはなろう。

 

ということで以下、妄想が繰り広げられています。

本題

文武並用、成長久之計。

文久――わずか三年足らずのこの時代は即ち土佐勤王党の興亡の歴史である。

読者諸賢――特に少しでも多くの情報を取り入れようとウィキペディア他webの荒野を「文久」の文字列でもって駆け抜けた方々には今更ブッダトークショーであるかもしれないが、筆者としてはここに書き記すことで前後の時代の把握を行いたいのでお許し願いたい。

文久の前、万延元年はわずか一年に過ぎなかった。万でも延でもないわけだが、それは改元当初から約束されていたことであった。

何故か。翌年、即ち文久元年はしきたりにより改元することが決定しているからである。

十干十二支を組み合わせて年を表現することは昔はよくあった。例えば壬申の乱乙巳の変文久の近くで言えば戊午の密勅であったり。現代も丙午生まれの女性は……といいう迷信が細々と生きていたりする(ちなみに筆者の母は丙午生まれ)。

そして辛酉の年は改元するしきたりがあったのである。何故ならこの年はみんなの心が冷たくなりがちで革命とか起こされたら怖いからである。ポエット!

ともあれそういったことで改元の日が決まっていたのにわざわざその一年前に改元してしまったのである。現代であればエンジニア諸賢が爆発四散していたところであり、当時も「どうしてあと一年待ってくれないのか」といった空気はあったようであるが、孝明天皇のたっての希望により改元された、という。仕方がない。安政は余りにもいろいろなことが起こり過ぎた。ここらでいっちょ改元というのが雅ムーヴである。

そうして万延の年が始まり、あっという間に終わって文久となった。

因みに文久の後の元治もまた、一年で終わる。やっぱりしきたりで革命を防ぐ為である。明治維新という革命の足音はそのようなことをしても三年後に靴音を響かせて近づいてきていたわけであるが、旧来の陋習にくるまれた人々には届かなかったのかもしれない。

本題に入ってからの方が脱線が長くなってしまった。以下、文久各年の土佐藩に起こった主要な出来事と、そこから連想される「新刀剣男士」やその背景を予想してみたい。

文久一年:土佐勤王党の結成

武市半平太という、早すぎたのか遅すぎたのかわからぬ勤王家によって結成された土佐勤王党は若者の鬱屈したエネルギーの受け皿となっていく。血判した名簿に記されただけでも二百名近くとなる。

それほどの組織の首魁たりえた武市という人は、剣術の達人であり、また多くの名士と交わった人物でもあった。そんな彼が剣術修行の名目で各地を巡っていたときの話に、「この時に彼の物入れにあったのは「霊能真柱」(国学者平田篤胤の著作。この作品自体は所謂復古神道に連なる本であるが、ほかの著作である「出定笑語」は王政復古の原動力の一つとも言える話であり、勤王家の間では人気があった)と新刀「南海太郎朝尊」だけであった――という下りがある。

南海太郎朝尊は土佐の評判の刀鍛冶で、武市が求めたのもごく納得のいく話である。固有の名前ではないが、そうではない刀剣男士諸賢は既に大勢いるので大きな問題ではなかろう。と、いうことで筆者の考える刀剣男子第一候補は「南海太郎朝尊」である。朝尊は親王のご落胤の子孫という説があり、また持ち主である半平太が勤王家という点から新刀だけど麿麿した感じの見た目だと面白いかもしれない。現代的な陸奥守吉行と対にもなろう。

文久二年:龍馬脱藩・吉田東洋暗殺

明けて文久二年。土佐勤王党の勢力はいよいよ拡大し、藩論への意見もするようになっていた。武市の論とは一藩勤王。しかしそれを良しとしないのが土佐藩の重要人物・吉田東洋であった。龍馬伝での田中眠氏の怪演も印象的であった吉田は、しかし暗殺される。暗殺されたその日は藩主に本能寺の下りを抗議していたというのは歴史の皮肉である。土佐藩士の頂点と言っていい参政の職にあった吉田は、刺客と二、三合斬り結んだもののついに果て、その首は郷士の古ふんどしに包まれて運ばれた後、河原にて晒された。土佐勤王党の手によって。それを機に一層土佐勤王党の影響力は拡大していくのである。院政を敷いていた山内容堂にとってはまさに懐刀、のち土佐藩より唯一明治政府の中核に食い込む後藤象二郎にとっては叔父である吉田の暗殺はそれぞれに深い衝撃を与え、失脚してからの土佐勤王党への弾圧が容赦ないものになったことにも影響していることであろう。

それよりも少し前、龍馬は脱藩している。またも脱線してしまうが、この時にともに脱藩し、龍馬と最も苦楽を共にしたであろう沢村惣之丞という人物がつまらぬ小競り合いがもとで維新直後にあっさり割腹してしまうことに歴史の無常を感じる。

国を捨てる。

一大決心である。龍馬はそれを成し遂げたものの、それによって寺田屋事件をはじめとする数々の苦難を引き寄せることにもなってしまう。死の遠因ともなっているといってしまってよいだろう。それでもなお彼は藩という小さな国を捨て、日本という国を救うことを選んだ――というのは後世的な見方であって、実際のところはわからないが。

龍馬が捨てた国、土佐。その土佐一国に相当すると言われた刀がある。一国兼光である。現在は高知城歴史博物館に所蔵されているというチラシのワードとも符合するこの刀は山内家の重宝である。土佐を飛び出した陸奥守吉行と言ってしまえば土佐そのものである一国兼光。これまた対になっており、顕現すれば興味深いやり取りが見られそうだ。

文久三年:八月十八日の政変土佐勤王党の衰退

土佐勤王党はその名の通り尊王派である。そして明治維新とは尊王の結果によるものである。ならばなぜ、土佐勤王党は歴史の敗北者(取り消せよ…今の言葉…!)にならなくてはならなかったのか。その大きな要因が八月十八日の政変である。土佐勤王党尊王派であった。しかし悲しいかな、その後ろには攘夷がぶら下がっていた。前述した政変は複雑なものであるが、乱暴に言ってしまうと鎖国派と開国派の対立、尊王派と公武合体派の対立であった。公武合体派としては異国のやばさを感じているのではっきりとは言えないが積極的に攘夷はしたくない。そして公武合体派が勝利し、以降尊王攘夷派は風下に立たされることになる。因みにこの一連の流れで新撰組が誕生している。

土佐はジョン万次郎という当代の日本人で誰よりも外国に精通した人物を擁しながら、この争いに関してイニシアチブを握れず、以降幕末までその半歩遅れを引きずってしまうことになる。既に増長しつつあった土佐勤王党(この前にも容堂に僭越であると説教を食らった挙句切腹に追い込まれたりしている)はいよいよ立場が危うくなり、武市は投獄される。土佐勤王党の断末魔の叫びであった。

さてその八月十八日の政変の引き金の一つが朔平門外の変とも言われる姉小路公知暗殺事件である。彼の殺害犯は幕末四大人斬りの一人・田中新兵衛と言われる。武市の義兄弟でもあるこの人物は、この容疑による収監時に自害している。

今一人、この事件に関わる幕末四大人斬りがいる。読者諸賢ご承知の通り岡田以蔵である。彼は死亡前、姉小路の護衛を一時期行っている。Twitterなどを見ても今回の本命では? と思われる肥前忠広は彼の佩刀とされる(というよりより正確に言えば岡田以蔵の佩刀が今回の刀剣男士であると予想されている、だろうか)。

筆者も文久土佐藩と聞いた時まずしたことはGoogleで「岡田以蔵 刀」で検索することであった。調べてみると有名な勝海舟護衛エピソードで以蔵は勝からピストル(リボルバー)をもらっており、この時の佩刀も肥前忠広と考えれば陸奥守吉行が守り刀としての座をピストルに明け渡したのと対照的に守り刀として機能することでピストルを得たという刀が顕現するのはなかなかエモい。生涯ただ一人も切り倒さなかったという刀と天誅の名のもとに日夜血で染まっていた刀というのもあまりにも彼岸である。また、坂本家の刀であったということを踏まえると龍馬の刀として後世も(焼けはしたけれども)大事にされている刀と持ち主が身を持ち崩し、手から離れ、現在行方不明の刀ということであまりにも真逆……どうしてこんなことに……祝福される道が忠広にもあったのか……という気持ちになり、めっちゃ回想が見たくてならなくなってしまう。

俺なんかどうせ……系の刀剣男士はだいぶ渋滞しており競争率が高そうなので、ピカレスクロマンあふれる感じの造形であればいいなと思う。「戦で褒められてこその刀じゃき!(ガハハ!)」ぐらいやってほしい。

埋忠明寿も同じように「日の目を見なかった坂本家の刀」として興味深いが、少し独自のエピソードが弱いかもしれない。

果たして何が「改変」されているのか

さてつらつらと書いてきたが、そもそも文久土佐藩、何が「改変」されているのだろうか。筆者としては「龍馬脱藩」か「吉田東洋暗殺」、即ち文久二年の出来事が改変されているのだろうと考える。例えば龍馬が脱藩せず、吉田東洋の暗殺犯になるとか。逆に吉田東洋が暗殺されず、龍馬が投獄され獄死してしまうとか。

歴史に「if」はないと人は言うが、実際のところその一瞬一瞬が「if」に満ちていると筆者は思う。この三年とは思えない密度であれば、どこが改変されていても大変なことになるに違いなく、またなるほどそうきたか……と思わせてくれることであろう。

はりまや橋がめちゃくちゃ豪華になっているとかそういう方向で改変されていたらどうしよう。かんざしでも買うか。もしかしたら特別アイテム枠で出るかもしれない、かんざし。

ともあれ平成最後のイベントの主役が陸奥守吉行であること、運営に深くお礼を申し上げてこの項を閉じたい。

蛇足・その頃の薩摩

・開国した方がいいと思うな~

・過激な思想はメッだよ!(寺田屋事件

・でも無礼な外国人は斬るね……。(生麦事件

・なんか一国と戦争することになったわ(薩英戦争)

・イギリス強いわ、攘夷とか無理言うなよ(八月十八日の政変

なんだこいつ……。

ばらはあかい、すみれはあおい――IZ*ONEカムバックソング「violeta」感想

余談

IZ*ONEのオフィシャルファンクラブに入会した。アイドルのファンクラブに、しかもできた初日に加入するなんて初めてで、それほど筆者にとってIZ*ONEというグループは特別なものになりつつある。

勿論、カムバックのショーコンも観たし、「HEART*IZ」も配信でガンガンに聞かせてもらっている。

極めつけは表題曲「violeta」である。前作もそうだったが、今回も素晴らしかった。奇跡は二度も続かない。間違いなくIZ*ONEは「本物」であると改めて確信した。

 


IZ*ONE (아이즈원) - 비올레타 (Violeta) MV

既に様々な方々の素晴らしい感想・論評があるので気後れしていたが、折角であるのでMVから感じた諸々を自分の言葉で書き留めておきたい。読者諸賢御推察の通り、あくまで筆者個人の感想であることをあらかじめご承知おき頂くようお願いします。

本題

タイトルについて

タイトルである「violeta」はスペイン語で「スミレ」。スペイン語と言うと最近、サクラ大戦新作のキャラクターデザインを担当され注目された久保帯人先生の不朽の名作「BLEACH」が浮かんでしまうのは世代として仕方のないところである。いいですよね……「グリジャル・グリージョ」……。

ともあれスミレというと日本では「山路来て 何やらゆかし すみれ草」という芭蕉の句が思い出され、先頭に立つわけではない、控えめな美しさを筆者は思い浮かべる。

ちなみに前回、雄略天皇の御歌を紹介したが、そこで女性が摘んでいる「若菜」のように昔はスミレも摘まれ、食用とされてきた。「スミレ」は「摘まれる」の変化したものだという説もあるくらいである。偶然ながら記事が呼応しているようでうれしい。

花言葉は「謙虚」「誠実」であり、また紫のスミレに限れば「貞節」「愛」とファンがアイドルに求める概念が勢ぞろいと言った感じだ。韓国での花言葉は「真実の愛」であるのだとか。残念ながらスペインでの花言葉は筆者の力量では調べられなかった。

後述するが、歌詞を参照するに日韓の花ことばを融合したような「誠実なる愛」をMVでは描いているように感じた。

他方、前回から今回――薔薇からスミレへと考えた時、筆者は表題にも用いたマザーグースの一編が思い出される。

Roses are red,
Violets are blue. 
Sugar is sweet,
And so are you

ばらはあかい、すみれはあおい、さとうはあまい、あなたはいとしい――と言った感じの訳になるだろうか。現代でもバレンタインに添える言葉の鉄板であるらしい。

グローバルアイドルのカムバック曲と考えた時、当然英語圏も意識しているであろうから、この歌も踏まえているのではないかと思われる。

 

歌詞について

浅学の徒であるので自ら韓国語を聞き取り、訳すことは出来ず、(ウォニョンさんからのメールはエキサイト翻訳を用いてどうにかこうにか解釈するのだが)有志訳を拝見した。

ちょっと泣くかと思った。

正しく「ネッコヤ(PICK ME)」の発展形であったからだ。

かつて「私のための光になって」と願った少女たち、すがった少女たちは本作において、「あなたをもっと輝かせてあげる」と応援する側へ転身を果たしている。勿論、それはまず「あなた」が照らしてくれた光があることを前提としながら。

世界が語られる。広い世界のことが。しかしそれでもなお、彼女たちは「あなた」に対して応援を投げかける。「あなただけの私だから」と。

そうなのだ。

あの暑く、熱い夏から半年が経ち、数々の記録を塗り替え、グローバルアイドルとして実績を固めた今でも彼女たちはなお、言ってくれるのだ。

「私は君だけのヒロイン」であると。

応援が反射し、増幅し、拡大する。その幸せな連鎖に含まれることの喜びは無類である。

MVについて

記事によれば、今回のMVは「幸福な王子」をモチーフに作成されたものであるらしい。筆者は初め、Twitterにて「人魚姫モチーフでは?」の方を拝見した。それは大変に素晴らしい解釈で、大いに納得もしたし、今も一つの正解としてそれはあるべきだと考えるが、ひとまず筆者が「幸福な王子」モチーフと言うのを知ったうえでの解釈…というか妄想を書いておきたい。

「幸福な王子」について

「幸福な王子」は有名な童話で、筆者も覚えがあった。同世代の読者諸賢がいらっしゃれば国民的漫画かつアニメであるクレヨンしんちゃんでパロディがあったことをご記憶の方もいるだろう。

今回、こちらにて改めて再読させていただいた。

(Copyright (C) 2000 Hiroshi Yuki (結城 浩 様) 

以下、基本的に本記事での「幸福な王子」についての諸々は先程のリンク先のことを言及していると思っていただいて差し支えない。

アンデルセンあたりの童話だと思っていたのだが、作者はオスカー・ワイルドだというから「サロメ」戯曲の人ではないか。驚かされた。小さい頃「薄いから」と言う理由で読んでショックを受けた人は筆者以外にもいるはずである。(薄いから読んどくかシリーズはジキルとハイド、智恵子抄あたりが安パイであると思う。春琴抄は罠。そう言えばこういう話が「バーナード嬢曰く」にあった気がする)

筆者の曖昧な記憶では「王子の銅像に呼び止められたツバメが人々を救いたいという志に感じ入って施しを代わりに行い、越冬できず死んでいく」と言った話で、その切なさが印象に残っていた。

今回再読してみると、絵本では省略されていた諸々がなかなかインパクトがあって面白い。いきなり上流階級への皮肉から入ってくるキレッキレぶりであるし、ツバメに至っては葦に対して熱烈なアプローチをしておきながら難癖をつけて去ると言うかなり度し難い状態からスタートする(このツバメが植物に対して愛を抱くタイプの特殊なツバメなのかと思ったら途中で「今頃仲間たちは蓮の花とイチャイチャしてますよ」みたいなことを言うのでツバメ全般がそうであるらしい)

王子も王子でけっこう「やりがい搾取」みたいなことやってるな……と大人になってから読むと思う。勿論善意で動いているのだが。モデルとなった王子の魂が銅像に宿っているという設定なのも初めて知った。

記憶通り、王子の像の装飾をツバメが人々に施していく。「枯れたスミレ」がタンブラーに挿されている才能ある若者がサファイアを施されるのは象徴的なシーンである。

そしてやはりツバメは越冬できず死んでいく。王子の鉛で出来た心臓が寒さで割れる。(児童向けではツバメの死のショックで割れる)

そして人々はツバメをごみ箱に捨て、みすぼらしくなった王子像を溶かしてしまう。

しかし2人の善行は神が見ていて、天国で幸せに暮らす……というのがあらすじとなる。筆者のイメージの中ではツバメが献身の末死んで終わる、悲しい話であったのでちょっとデウスエクスマキナ的であるが救いがあってほっとした。

「天国」の「王子」ウォニョン、転生する「ツバメ」咲良

それを踏まえてMVを観ていく。金髪になったからこそ余計に清楚さにハッとさせられる宮脇さん、前髪を作ったことが余りにも大成功過ぎるキム・ミンジュさん、ゴージャスな服装に全く負けていない本田仁美さん、黙っていれば彫像のように美しいアン・ユジンさんに続き、チャン・ウォニョンさんのティーン全開、いやもっと幼く見える無邪気な笑みと暖かな風景に口元が緩む。一方、明らかにウォニョンさんのいる場所だけが不自然なほど明るい(他のトーンが暗い)ことが気にかかる。

前述した記事ではIZ*ONE全体が「ツバメとしてサファイアを届ける」役割であるとし、実際そろってのツバメダンスが存在するように「そうである部分」もあると思うのだが、筆者はそれ以外に各々役割が付加されているようにも思えた。

例えばウォニョンさんの役割は「天国に魂を移された生前の王子」であると考える。花畑は天国である。一切の不安がなく、解放された王子の表情は穏やかだ。途中、手を上に伸ばし、一層の笑顔を向けるシーンがあるが、これは同じく天国に居場所を移したツバメが飛んできたのを見つけたのではないかと思う。

他方、宮脇さんは「ツバメの総代」とでも言うべき役割を持つ。サビのゆっくりと広がっていくツバメダンスにおいて宮脇さんがセンターを務めているのが象徴的である。

箱に突っ伏する宮脇さんはそのまま博愛に殉じたツバメが王子像の下で力尽きた姿であろう。その亡骸は冷たい雪に覆われていく……と思いきや花びらが降りしきる。周りは花畑。目を覚ます宮脇さん。きっとウォニョンさんとの再会が待っているはずである。

他の人々はどうか。例えば前作に引き続き短い出演時間ながらバチボコ可愛い姿で今回も視聴者のハートをつかみ、視聴者はどないなっとんねんと製作者の胸倉をつかみたくなる矢吹奈子さんであるが、彼女のいる場所は極端に暗い。これは「幸福な王子」の施される側―例えば子どもたちや支配人―を暗示しているように思える。矢吹さんの目尻に「応援される側」であるスミレのような意匠のメイクがあることが一層そのように感じさせる。花が開くのは文字通り「才能の開花」を示しているのかもしれない。

同じくそばで花が咲くラップパート(ルビーのようなという歌詞は今回にも呼応している)からボーカルパートになったものの今一つ譜割りが少なく感じて筆者としては不満なチェ・イェナさんについてはその開花の「監視者」なのではないかと考える。神の使い、言ってしまえば天使である。施しにより開花する花によってその善行を測り、もって王子とツバメの2人を評価しているのでは。

PRODUCE48時代に比べてどんどん目が輝いて全体の魅力も相乗効果で高まっているイ・チェヨンさんは最後のシンプルな服装、台座の上にいる様から「王子像」なのではないか。もはや遥か過去の指標でしかないが、12位と1位の立ち位置が対照的、と言うのは意図としては判り易いと思う。

相変わらずのメインボーカルぶりを発揮、愛嬌にも磨きがかかるチョ・ユリさんの役割はなかなか謎めいている。液体を飲むことが「雪を降らせる」効果があるのか「転生させる」効果があるのか、いずれにせよ何か高位な存在なのではないだろうか。

まさかの復活、地獄から蘇ったラッパー、カン・ヘウォンさんは相変わらずの美貌で殴る力強さを見せつけてくれるが、「王子像の内面・葛藤」を表しているように思える。歌詞の分担もちょうどそういった感じである。

じつはグループバトルでもラップを担当、あの頃と明らかにものが違うミンジュさんは対になる「ツバメの内面」を担当しているように思う。初めに咲良さんの後にカットインしてきたのもそう考えるとうなずける。

かわいいかわいいウンビちゃんことクォン・ウンビちゃんのセレブな格好のハマり具合と言ったらないが、パステル調の衣装でちょっと浮いているような感じがギャップの可愛さにつながるのはさすがである。終盤にどっしりとダンスを見せつけてくれるなど、前作を踏襲した役回りをばっちりこなしてくれる。台座に腰かけ、手にした花に火をつける。「幸福な王子」がみすぼらしくなったことで運ばれる「溶鉱炉」の象徴のように思えた。

前作からキム・チェウォンさんの「悪女っぽい表情」は天下を取れる要素があると考えているのだが、今回は益々素晴らしいものがあった。是非この路線で今後ともお願いしたい。彼女の持っている四角柱は何とも意味深で、最初のシーンでは突き立て影が映る―日時計トケイソウの暗示と考えれば自らの幸せを謳歌しつつ、人の不幸には鈍感な「侍女」であるのかもしれず、あるいは雪の結晶を表していると考えれば残酷なまでに厳格な自然の化身であるのかもしれない。

立てばイタズラ座ればMC、黙っていれば超美人のユジンさんの飛沫を上げながらのシルエットダンスにはしびれた。めちゃくちゃにかっこよく、また、シルエットでも「ユジン君(我が家での愛称)だ!」となるその動きには釘づけだった。シルエット=不確定であり、水辺であることからツバメが持ってくるつもりが幻となった「大海のように青いサファイア」なのかもしれず、同じく白を基調とした衣装であるチェヨンさんが「王子像」であると仮定をしているのだからこれは先程の「ツバメに対しての王子の内心不安な部分」ではなく「激しく燃える人々を救いたいという心」の表れであるのかもしれない。

朝ドラ主演女優さんのような清楚さと益々レベルアップするダンスを我々に見せつけてくれる本田さんはもしかして「サファイア」そのものなのだろうか? あるいは王子の目であるサファイアを前にしてそれを取れと言われた「ツバメの逡巡」であるのかもしれない。

次作への期待

以上、妄言であった。こういったことを書き散らすのは楽しい。楽しみ過ぎて五千字を超えてしまったのでこの辺りにしたい。考察も出来るし、ただ見て美の暴力に打ちのめされるだけでもいいのがIZ*ONEの良いところである。

西洋においてはバラ・スミレ・ユリがセットとされているらしい。であるならば、気が早いが次回のカムバックはもしかしたらユリをモチーフとしたものになるかもしれない。ちなみに花言葉は「威厳」であるらしい。

もし採用されたらユリさんがどんなリアクションをするのか気になる(ちなみに韓国語で花のユリは「ペカプ」といったように発音するらしい)

ともあれ各種コンテンツの日本語字幕などまだまだ今回カムバックの諸々の提供が山積みである。ゆっくりとHEART*IZを堪能しながら待ちたい。

IZONE-HEART IZ Violeta Ver.(輸入盤)

 

 

 

 

 

万葉集は「君の名は」からはじまる――新元号「令和」制定に寄せて

余談

元号、令和だってよとボスが伝えに来てくれた、そんな愉快な職場である。

幸いにも元号がいつ変わろうとさほど影響のない業界におり、なんとなくのお祭り気分で過ごすことが出来たが、それも生前退位のおかげなのだな、と思う。

筆者は平成元年生まれであるので昭和の終わりを知らないが、ここまで朗らかでなかったというのは伝え聞く。残り少ない平成の日々も、今日の1日の様にのほほんと過ごしたい。

本題

令和は万葉集から取られたという。といってその文章のルーツは中国に帰すらしく、そういったことが30分もせず情報として流れてくるあたり現代の情報社会のすごさを思い知らされるが、そうなってみると万葉集が気になってくるのが人情である。ぽつぽつと見たことはあるが、しっかり「読んだ」ことはなかった。

早速kindleで検索してみると、kindleアンリミテッド対応の書籍があるではないか。

万葉集(現代語訳付)

 

万葉集(現代語訳付)

万葉集(現代語訳付)

 

 早速昼休みにダウンロードしてみるが1696ページと言うから恐れ入る。そもそも万葉集が全20巻の大著であるから当然であるのだが。それを手のひらに持ち歩けてしまう時代の素晴らしさよ。

ひとまず「令」で検索して(これも電子書籍の素晴らしい利点である)おお、本当に報道で言っていた「令和」の元ネタがあるな、と確認してから最初から読み始める。

万葉集の「葉」は「言の葉」と言うことだとばかり思っていたがそうでもない、ということが分かり早速賢くなる。頭空っぽの方が伸びしろがあるのである。

始まりは「君の名は」

万葉集は4,500余りの歌から成る。そのトップを飾るのが、雄略天皇の御歌である。早速鑑賞してみよう。

篭毛與  美篭母乳  布久思毛與  美夫君志持  此岳尓  菜採須兒  家吉閑名  告紗根  
虚見津  山跡乃國者  押奈戸手  吾許曽居  師吉名倍手  吾己曽座  我許背齒  告目  家呼毛名雄母

う~んなるほど味わい深い……嘘である。筆者の知能では全く分からないのである。読者諸賢よ、母乳というワードに目が釘付けになり解釈がストップしているところ申し訳ないが、それは当て字であってこの歌と母乳は関係ないぞ。

今回参照するテキストの素晴らしいのは書き下してあり、また訳も付してあるところである。

因みに書き下すとこの様になる。

籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岳に 菜採ます児 

家聞かな 告らさね

そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて 

われこそ座せ われにこそは 告らめ 家をも名をも

う~んなるほど味わい深い……嘘である。おしなべてくらいしか分からないのである。

佐佐木先生の現代語訳を参照しつつ筆者がなるべく短く訳すると、「良い籠、良い掘る串を持ち、この丘で菜を積む少女よあなたの家は。君の名は。大和の国の総体は私が納めています。全てが我が家です。私は告げましょう、家も、名も」と言ったところであろうか。

要するに雄略天皇は出会った女性に「君の名は」と呼び掛けていらっしゃるのである。

というか、そのまんま現代的に訳すと「へい、そこの小物遣いが魅力的な君、どこ住み? 何て名前? ちな、この辺おれのシマだから(笑)」ぐらいの感じである。さすがに砕け過ぎか。でも大体こんな感じであるような気がする。

「君の名は」は完全に観るタイミングを失ってしまって未見なのだが、なにやら口かみ酒が話題になったのは覚えている。雄略天皇もこのあと口かみ酒くらい作ってもらったかもしれない。

天皇と口かみ酒と言えば万葉集と並び称される日本の古文書、「古事記」にて応神天皇が「須須許里がかみし酒に我酔いにけり」と歌っているし、万葉集にも「君がため醸みし待酒安の野にひとりや飲まん友無しにして」という歌があるという。

その歌がいつ出てくるか待ちながら読み進めるのもよいかもしれない。

ともあれ、この様なトップのおおらかな愛から始まる歌集と言うのは何とも素晴らしいではないか。

一気に親しみがわき、続きを読んでいく。

大体みんな同じ事で悩んでいる

万葉集には「相聞」というカテゴリがあり、大まかにいえば「相手がいることを前提にして読む歌」であり、その性質から恋歌が多い。LINEよりはメールである。「Re:Re:」なのである。あじかんのあの曲がなんで「Re:」でもなく「Re:Re:Re:」でもなく「Re:Re:」なのかわかる世代も少なくなっていくのだろうかと思うとちょっと切ない。


ASIAN KUNG-FU GENERATION 『Re:Re:』(Short Ver.)

ともあれおよそ1200年前であっても人は大体同じようなことで悩んでいたり思い至っていたりして、そこに普遍性を感じる。西野カナ女史はかの時代にいてもさぞもてはやされたことであろう。

みこも刈る信濃の真弓引かずして弦箸くるわざを知ると言はなくに

は「弓を引きもしないで弦を張れますとはだれも言いません。だからあなただって私の心を引いてもいないのにわかるなんて言わないで」といったところで、わかる……なんかイケメンにちょっかい出されても自分をしっかり持つタイプのヒロインが平成の御代でも言ってそう……と思うし、

 

あしひきの山のしづくに妹待つと我立ちぬれぬ山のしづくに 

 という「貴女を待っていたら山の雫に濡れちゃった。山の雫に。大事なことなので2回言いました」みたいな歌に

吾を待つと君がぬれけむあしひきの山のしづくにならましものを

即ち「貴方を濡らした山の雫になりたかったことでございます」とか返されているともうなんかこう……壁とかを……殴りたくなるのである。

また、男があなたの髪は今どのようになっていますかね、という問いかけに対する

人はみな今は長しとたけと言へど君が見し髪乱れたりとも

他人から長いとか束ねろとか言われても、乱れてしまっても、貴方が見てくれた髪はそのままにしていますよ、という返歌はめちゃくちゃにかっこいい。

 

まだまだ紹介したい歌は沢山あるのだが、折角なので4/1のうちに記事を更新したいのでこの辺りで。機会があれば加筆したい。

ともあれ、是非この機会に万葉集に触れてみてほしい。 推し歌を見つけてほしい。

 

車窓から見える景色は既に思い出、あるいは下道熊本・熊本城・南阿蘇行

余談

ということで2/24前後のあれこれについて、こちらはB面、筆者の記録である。

妻が土日の不在でも大丈夫なようにスケジュールを組むと、必然本来の土日は買い出しや夫婦そろっての行事(大正琴の稽古など)が多いので、筆者の時間もぽっかり空いた。

2月の初めには今年の3月で熊本を発つ(そう、明日が入社式である)弟が在熊中に遊びに来ないか、と誘ってくれ、しかし先だって記事にしたように連休は妻の実家への帰省を優先したため果たせていなかったことに思い至った。

そうだ、熊本行こう、下道で行こう、と前日に決めた。

弟には、「明日行こうかなと思っているんでよろしく」

とだけLINEしておいた。兄と言うのは理不尽なものである。

本題

熊本に辿り着くまで

朝起きると弟から「はいよー」とだけLINEが来ていた。楽。

妻を空港に送り届け、眠気覚ましにコーヒーでも飲もうと売店に寄ると、「歴史人」が丁度新撰組特集だったので購入する。妻も筆者も新選組は好きである。来年あたりは和泉守兼定を拝見してみたいものだと思う。(例年土方歳三の命日を軸に一般観覧が出来る)

時刻は8時前。初めての下道熊本行きが幕を開けた。

道中は色々と興味深い光景があった。河童懲罰士が見たら狂喜乱舞するであろうデカい河童の像が学校のそばにあったり(正式には「ガラッパどん」である。そういえば鹿児島は川内にも地域に根差した河童伝説があるのであるが、なにかでそのイラストが「河童のカーたん」になっていて京極夏彦氏が嘆いたことがあった。「妖怪馬鹿」は堅苦しくなく面白いので是非読んでいただきたい。京極夏彦氏の漫画力の高さにビビることであろう)

 

その他にも日本棚田100選の棚田であったり、田舎にはつきものやたらデカいナフコに2度遭遇し、もしかしてループしているのではと思ったり、隕石が墜落したかのようなログハウスであったり、谷底の廃墟と化したウフフホテルなど、車窓からの景色は筆者の道中を大いに楽しませてくれた。しかし検索によって見つけれらたカッパスタチューはともかく、他の愉快スポットは当然筆者は運転中であり、田舎道のつらさ1車線であるため脇に車を停めて撮影するわけにもいかず、読者諸賢に共有できないのがもどかしく、いつも助手席にいてくれ、そういった体験を第一に共有し、また写真として記録に残してくれている妻がいない寂しさに早くも心がくじけそうになっていたりもした。

まあこの頃妻は銀座において鯉登少尉の女となっている訳であるが。

そうこうしているうちに熊本との県境に差し掛かった。丁度車も途絶えていたので、車を停車し撮影することが出来た。

 ついでに弟にいや~3時間かかるってナビでは言ってたけど思ったより早く着くかもよ、とLINEもしておいた。実際、車は少なく、前を走る車に妙な連帯感が芽生えたりもするくらいであった。

が、熊本に入るとにわかに混みだしてきた。運転も少しマンネリ気味になっており、気分を変えるために下道オンリーで帰るつもりであったが高速道路の無料区間は利用してみよう、西回りは初めてだし、ということにした。この記事を書いている時点では鹿児島方面からも開通区間が増えたが、南九州道西回り区間は現在も工事中の区間があり、ぶつ切りの状態となっている。そのうちの一部分を利用させてもらうという訳だ。

具体的には津奈木ICから乗った。愛車のナビは2008年製であるので存在しない道をひた走っているのが面白い。この途中でついに愛車・スタンリック君の走行距離が10万キロを超えたのだが、高速を走っている途中であるのでやはり停車して撮影という訳にもいかず残念。日奈久ICで降りた。視界に広がる海。日奈久と言えば宮原ICで食べる日奈久ちくわを利用したちくわパンが絶品であるのだが、そうだよな、ちくわが名産なら当然海に面している土地だよな、と当たり前のことを今更理解したりした。ついでに言えばずっと「ひなく」だと思っていたのだが「ひなぐ」だった。

再び下道に降りると初めて聞く名前の顕彰碑であったり、建物の遺構だったりの案内があるのだが、やはりメモするいとまがない。

が、ここで筆者は閃いた。「OK、Google!」である。これによって検索機能を起動させ、調べさせればその履歴は残るのではないか……という試みは見事に成功したのだが、Google検索の履歴は設定が悪いのか、chromeには一定数しか残っていないようで、今調べても発見できなかった。宮本武蔵の高弟と、農学者の方の顕彰碑であったはずであるのだが。

相変わらず道は混んでいた。もはや「OK、Google!」マスターと化した筆者はそれでもって弟にハンズフリーで電話をかけ、(通話はBluetoothでもともとハンズフリーで出来る)遅れる旨を連絡した。

ようやく熊本市街地に入ったときは12時半を回っていた。前回歌仙兼定を鑑賞したときに妻と通った道をなぞっていることに気が付き、一層寂しさが募る。

その頃妻は薄緑丸をはじめとした刀剣を愛でていた。

再会、弟よ

弟と合流する。第1の目的は生存確認でありこの時点ですでに達成していたのだが、次は兄として弟に腹いっぱい食わせるという使命もあったので、弟にラーメン屋さんを教えてもらい、2人で向かう。

弟「まあしかし、道が混んでいるね~何かあるのかな」

筆者「熊本入った時からずっとこんな感じだったよ。何かあるのかな?」

弟「検索してみよう……あっ!」

筆者「お、なにかあったかね」

弟「いちご狩りがやっているね」

筆者「大変魅力的だが多分それではないんじゃねえかなあ」

※後になって分かったことだが、熊本大学入試直前であった。それが多少なりとも影響していたのではないかと思われる。

しかして筆者の前に「ヤツ」は現れた。マシマシできるタイプのラーメン……! しかし食券にてマシ具合を選択できるので初心者でもご安心だ。筆者はラーメンの盛り自体は最大サイズ(太一盛り)の「マシ」はなしでお願いした。成程尋常ではない食べごたえで、確かにおいしいのだが「あーおいしかった」として済ませるためには筆者の胃袋では朝を抜くか、サイズをもう1段階縮めるべきであったと後悔する結果になってしまった。最終的に食事と言うか戦いになっていた。チャーシューが旨い。

銀杏城へ

腹ァ一杯状態になってしまったのでどこかしら歩こう、と言う話になり、熊本城へ向かうことにした。何度か書いているが、筆者は熊本城と言う城にほれ込んでおり、何度も訪れている。前回の歌仙兼定鑑賞時には暑さもあり断念したが、散策には丁度良い天候である。

やはりクレーンが2つの天守閣の間にある、という情景で相変わらず動揺してしまう。この写真だけだとお、言うほど大したことなさそうだな、と思われるかもしれないが、

すぐ横に目をやるとこういった絶句する風景が広がる。

崩落した石たちは分類され、再び石垣としてリユニオンする時を待っていた。

報道で見られた方も多いであろう、ギリギリで支えられている戌亥櫓。地震の凄まじさを物語る一方、石垣の技術の素晴らしさを伝え、自然の脅威に立ち向かう勇気を与えてもくれるようだ。

案内板は清正公にちなんで片鎌槍になっていた。熊本城入り口の「閉鎖中」が悲しい。

道なりに行くと熊本城の入り口近くまでは向かうことが出来、加藤神社近くの石垣は1か所だけ覆いがしておらず、触れられる部分がある。

弟「これが現在、普通の人が触れることが出来る唯一の熊本城の石垣なんだって」

筆者「さすが熊本県民、よう知っとるなあ」

弟「なんかこの間、通りすがりのおじさんに教えてもらった」

筆者「お前さんのそのコミュニケーション能力と言うか形容しがたい何かは何なんだろうな本当に」

加藤神社からは熊本城天守閣を至近で見ることが出来るスポットがある。境内には加藤清正大河ドラマのための署名活動が展開されており、筆者も賛同した。関連俳優があんなことになってしまったが、是非実現してほしいと思う。

その他にも黒いあいつに塩を送ることもできるし、

仏さまを拝むことも出来る。

再び道を戻って未申櫓は割と原形をとどめている頼もしい櫓である。 

 丁度その向かい辺りから降りていくと、城彩宛という観光施設があり、城下町を切り取ったような風情ある造りとなっている。

 甘夏ミルクサワーをいただいた。優しい味に柑橘類のアクセントがきいて飲み良い。

 エモーショナルな自販機群もあった。わずかでも、この城とそれを支えている人たちの一助になるようなことをこれからもしていきたい、と強く思った。

まずは妻をちゃんとここに連れてきたい、とも。

クマモト・ナイト・ウォーカー

本来は生存を確認し、飯を食べ、ちょっとぶらついて弟をバイト先に送り出して終わり、といったつもりだったのだが、アラサーとしてはちょっと疲れが来ており、急遽弟の家に泊めてもらうことにした。手早く自分のパジャマを供出し、Wi-Fiのパスワードを提供し、未開封の歯ブラシまで提供してくれる弟。挙句の果てには昨日買ったけど食べなかったダブルチーズバーガーまでくれるということで「たらしめが……」と一抹の嫉妬と深い感謝を抱いた。それ以上に大いなる眠気があり、弟がバイト先に出た後、1時間ほど眠った。

 すごく懐かしい「「男子大学生」を感じさせる弟の部屋。知らない天井を見上げた筆者は暫くぼけっとして「歴史人」を読んでいた。斉藤一の所属部隊が違うのでは……?とか思いながら。

と、妻は無事に明日の戦友と食事をとれていることが判明した。LINEにておしゃれな食事風景が送られてくる。筆者も対抗することにした。

既読はつくが返信がこない。もしかして量が少ないことを心配しているのでは? オートロックの会場および施錠の仕方を動画付きで送ってくれた弟に感謝しながらも筆者は身支度を整え、夜の熊本へ飛び出した。アスファルトタイヤを切り付けたかどうかは定かではない。

目指すはもちろん、マックである。筆者は吉田類氏ではない。旅先の食事は安全がすべてに優先する。マック――ああマスプロダクツの権化よ、筆者の慣れぬ地にて不安な魂をその油分でもって救ってくれ。

泊まることにしたため、明日は南阿蘇に向かうことになっていた。となればガソリン補給も必要である。昼間通った場所を思い出し、弟の下宿、ガソリンスタンド、マックが一本の線で繋がったとき「勝利」は約束された――

――のだが、そこは慣れぬ道の悲しさ、またカーナビの非情さで細い道をぜいぜい言いながら通ってみると地元の人々がこちらに多大の信頼を掛けた運転でやってきたり通行したりし、青息吐息で1時間近くかかって弟の下宿に戻ってきた。階段を上ると通知音がした。

妻の憐憫の返信であった。

早速妻を安心させようと戦利品を送信した。

「そうそう、熱冷まシートありがとうね」

その応答に筆者は妻が安心したことを感じたのだった。めでたしめでたし。

阿蘇村へ

その後、春コミを妻が無事に迎えられるか我が事のように気になり、眠れず、妻に心配のLINEをして通知音が響いて迷惑になるようにと窘められつつ、筆者は自らの鼻腔の異常に気が付いていた。

ヤツだ。

まだ2月と言うに……しかし間違いない。筆者はこの感覚を覚えている。

愛しく憎い宿敵――花粉を。

油断していた。陽気にぶらぶらしていたら花粉をしっかり取り込んでしまっていたのである。筆者の粘膜はもはや無残に落城し、箱ティッシュは一夜にして空となった。

朝のテレビで清正公が杉の木を植えたエピソードを紹介しており、危うく舌打ちしてしまう所であった。

阿蘇村までの道のりは弟が運転を引き受けてくれたが、まずはセブンイレブン鼻セレブを買うことから始まった。

筆者の知らない橋を通って、南阿蘇村に辿り着いた。

あの日まで、弟は、弟たちは南阿蘇村で暮らしていた。

下宿の家主さんであった方の所で弟は車を停め、軽快な足取りで建て替えた家主さんのお家のドアをノックする。家主さんと言葉を交わし、そのままトイレを借りる弟。一体誰の血が流れているのだ、そのコミュニケーション能力。

弟の下宿は見事なまでに更地になっていた。あの鉄塔、あんなに大きかったかな、と弟がつぶやいた。足元には普通の石ではないようなものもちらほら見られた。もしかしたら弟の下宿の一部もあるのかもしれない。

弟「いつもここでぎりぎり駆け込んでくるやつがいたよ」

弟「この橋をこの時間にわたれたら一限セーフ! って感じがあった。この下の川で水遊びをしたなあ」

主なく佇む原付。近寄ってみると、自賠責期限もとうに切れていた。弟はここへ筆者のお下がりの原付を持っていっていたが、(ちなみに親父が下道を走ってここまで搬入した。)あの日に下宿の下敷きになり、廃車となった。

弟「まだ残っているね……新歓の時の紙飾り……もうずっとあのまんまなんだろうな」

弟「で、新歓の後は大体みんなここで吐くわけですよ」

筆者「ですか」

弟「僕も無事吐きました」

筆者「無事かなあ、それ」

この脇を「この神社は怪現象があるって噂で……」と弟が話していると、ちょっと距離のあるところからおじいさんが声をかけてくれ、よかったら参拝してくれ、ということだったのでお言葉に甘えて参拝させていただいた。

丁度社殿が修復されており、昼間と言うこともあり恐ろし気な感じはなかったが、やはり神聖な、周囲と雰囲気の違う不思議な感じがあった。

参拝して戻ってみると、先程のおじいさんは柔和な笑顔で有難う、と言ってくれた。どかからきたの、という問いに弟が「○○下宿です」と答えると、一層目を細め、そう、また来てくれたんか、と続けてくれた。

来週もまた来ます、と弟は答えた。皆が就職する前に、先程の家主さんの家でパーティーをするらしいのだ。

おじいさんは筆者たちが角を曲がるまでずっと、手を振ってくださっていた。

弟「ここも、ここも、ここも……もう半分くらい下宿はないかも。ちなみにこの小学校が、僕が最初避難したところだよ」

1時間もかからずにかつての弟の生活圏を一周できてしまった。

弟「あ、このたんぼ、なぜかPSの本体が発掘されたんだよね。大騒ぎだったよ。娯楽がないから(笑) それで大騒ぎできていたころが懐かしいよ」

家主さん宅に戻るとコーヒーとイチゴの準備がされており、恐縮ながら頂いた。弟が昨日、検索でいちご狩りのことを話題にしたのを思い出していた。弟は自分のこと、そして同期の去就をそれぞれ語り、家主さんは本当の親の様に優しいまなざしでその報告を聞いていた。

弟はあの日以降も何度も同期達と南阿蘇村を訪れている。今後も訪れることだろう。ifの話は出来ない。だけれども、弟は確実に前に進み、人間が分厚くなった。それでいいじゃないか、それだけでいいじゃないか、と思う。

ところでいいじゃないかといいいなかは語呂が似ているな、とも思う。

旅の垢と花粉をこそぎ落とすべく、南阿蘇村の温泉に寄った。ポイントカードももらった。是非また来たいと思う、ゆったりできる湯だった。

風呂上りはいつものコーヒー牛乳ではなくこちら。熊本の柑橘飲料に外れなしといった印象。爽やかな味で心なし鼻の通りもよくなったように思う。

ここでお土産に買った「マグマのしずく」はマジで万能調味料なので皆さん是非お試しいただきたい。

sizen.shop-pro.jp

お昼は「梅の家」さんで肉うどん。ダシがしみていておいしい。初めて弟を南阿蘇村に送り出すときにも梅の家さんで肉うどんを食べ、筆者の中で筆者と南阿蘇との某かが完結を迎え、第2章が始まった予感がした。

このままではいつまでもいてしまいそうなので弟の下宿につき次第、早々に帰った。早々過ぎて上着を忘れて来た。あわよくば荷造りの手伝いもするはずだったのに荷を増やしてどうする。

就職おめでとう、弟。激動の4年間お疲れさまでした。社会はまた大変さのベクトルが変わってきますが、きっと乗り越えられます。あなたを誇りに思います。

そして自宅へ戻った筆者は、間もなく自分が妻と連絡が取れずうろたえることをまだ知らないのであった。

知らない街はきっと彼女の見飽きた夢、あるいはHARU COMIC CITY 24 東京(春コミ)に妻が参戦した話など

余談

さすがに2月の話を4月にするのもどうかと思うのでいい加減記事にしておきたい。これから記述する話と明日更新予定の記事は妻と筆者それぞれがなんとひと月以上が経過してしまった2/24の前後にどのように振る舞ったかと言う物語である。

その日、我々はそれぞれ別々の場所で非日常に接することとなった。インドア派の2人にとって稀有なことであったので書き留めておく。同時間帯のことが重複して語られることがあるかもしれないが、それぞれの章が奇数章や偶数章のみで展開される訳ではない。

 

まずは妻の話、大都会へのゆきて帰りし物語である。

 

本題

出発まで

妻が刀剣乱舞を敬愛する審神者であることは、既に述べた。愛があふれると文章化してしまう性質を持っている妻はそれをしばしばコミュニティにシェアする日々を送っていたが、刀剣乱舞においてはその思いが一層極まり、ついに広大なるインターネットに放り込むボトルメールから物質化して黒猫に託すスタイルに昇華したようであった。刀剣乱舞はいわゆる二次創作活動においてガイドラインがしっかり制定されており、それを参照しつつ安心して同人活動が行えるのも有り難いことであった。週末の我々のルーティンの一つに「集荷センターに行く」が追加されて久しい。

京都行の際も単独行動の時間で他審神者さんと実世界での交流を持ち、大変刺激を受けたようでその後益々創作に励んでいたが、昨年末、妻から相談を受けた。

「春コミに出たいのだが、どうだろうか」

といったものであった。筆者は所謂即売会には参加経験がないことは以前も述べたし、不勉強にも「春コミ」をその時点で存じていなかった。調べてみると、なかなか巨大規模であるらしかった。旧知の方も同じイベントに参加するため、一人で参加するよりは安心して参加できると思う、とのことであった。

妻の同人活動は細々としたものであり、頒布価格も一般的なものであるため印刷代と送料を引くとお金はほとんど残らない。東京に遠征したら確実に赤字になるであろう。しかし直接自分の作品を好きな人と会えるチャンスが目の前にぶら下がっていたら、それを無碍にできる創作者はそうおるまい。筆者であってもそうであろう。元々の発行部数自体が少ないということもあるだろうが、妻の同人誌が同人ショップにおいて本来価格より大幅に高騰して取引がなされているのも見せてもらった。需要はあるようである。

創作の大半はひとり家でPCに向かう地味な作業である。その作業の中で実際に対面した読者諸賢を想うことは励みになるに違いない……と考え、送り出すことにした。即売会のレポートでは時折会場の熱気に浮かされたタイプの人とエンカウントすることがあるようで、そこに一抹の不安があったが妻の読者諸賢が紳士淑女であることを信頼することとした。

となれば、東京に行き、そして帰る準備をせねばならない。幸い早めに相談をしてくれたので、飛行機も安くチケットが取れた。問題は宿で、筆者も東京は何度か行ったことがあるが地理関係が全く分からず、いちいちグーグルマップとにらめっこしながら空港、会場、路線との兼ね合いで逡巡を重ねた。

結局のところ、女性専用であること、滞在時間に割と融通が利くこと、リーズナブルな価格であることから都内のカプセルホテルを予約した。

春コミに合わせて新刊を出すことにし、「会場搬入」というテクニックを使っていた。これは所謂ウスイホンであっても3本の矢メソッドでもってダンボールで届くとなかなかな重量となり妻の腰を寒からしめ移動において各所へ迷惑をかけてしまう所を、会場に直接お届けいただくことでそれらの苦悩を取り除いてくれるシステムである。差し入れ用のお菓子や設営用のグッズも一緒に入れておけばますますご安心だ。これと撤退時に会場から搬出することの2段構えでなるべく荷物を減らす心づもりであった。

なにしろ初出展。お品書き、名札、お釣りなど全てが手探りであり、細々したものを買いに100円ショップには大変お世話になった。設営においてはあの布屋さんに足を向けては寝られないと妻は言う。

筆者としては気がかりなのは会計で、お金を扱うのは慣れていても緊張するもの。基本的に(筆者も人のことを言えないが)文系科目にスキルを全振りしている妻にとって、横にお知り合いの方がいるとはいえ初対面の人相手では緊張してしまい、電卓の打ち間違いなどが発生しないとも限らない。また、別件ではあるが東京は複雑である。地図を参照することが多くなるであろう。

ということで筆者のタブレットを渡すことにし、Padposを導入することにした。Android限定であり、現在は開発が停止してしまっているのが残念だが、基本無料であり、妻の同人活動においてはこの無料の範囲内で全く問題がない。画像(妻の場合はそれぞれの同人誌の表紙画像にした)を選択することで自動的に金額が入力され、複数冊購入、全種購入への対応も簡単であり、ジャーナル機能や金種機能も備えているのが有り難い点である。タブレットがあれば大画面で地図を参照できるのもよい。

また、都会と言えば初心者殺しの交通機関。GooglepayがSuicaにも対応したということで、こちらも導入した。交通系ICカードの統一で鹿児島や広島にも使えるのでもっと早く導入すればよかったと思う。

妻も無事新刊を入稿し、準備は整った。

1日目・鯉登少尉の女再び

出発当日。いつもの如く、休日の我々は平日の3倍のスピードで目覚めた。LCCの朝は早いので丁度いい。空港への道のりも特段の問題はなく、搭乗手続きもスムーズであり、予定通り妻は機上の人となった。機体が安定すると、得意げに機内Wi-FiでLINEを送ってきたりした。

無事東京に到着した妻が最初に送ってきたのはピーポくんの写真であった。(妻はアンジャッシュファンである)

今回の妻の東京行きには春コミ(特に妻の参加するイベントは「閃華」というようであった)の他にもいくつか目的があり、そのうちの一つは「ゴールデンカムイとコラボした香水に接する」ことであった。銀座にてそのコラボ香水を実際に目にし、手にできるショップがあるというのである。史上稀に見る目的で銀ブラデビューを果たす妻の無事を祈っていると、「実は既にかいで来た」というLINEとともに画像が送られてきた。即ち今まで茫然自失するくらいには堪能してきたらしい。

銀座の一等地に突如出現した極北の地。この演出力には驚かされる。パッケージも格好良く、デキる男といった感じがする。「既にかいで来た」とは妻の弁であるが、実は既に予約も済ませていた。これが鯉登少尉の女の真骨頂……。

意識を取り戻した妻は身軽になるため宿泊先へ。「宇宙船の様でテンションが上がった」とは妻の弁。コンパクトにまとまっていながらコンセントも2穴あるのがうれしいとも。

 

荷物を置くと再び目的のひとつである國學院博物館にて行われていた特別展「神に捧げた刀―神と刀の二千年―」へ。直前まで勘違いしていたが國學院博物館は國學院大學と独立して渋谷にあり、都会の真ん中でこういった展示があるあたり、やはり文化力とでもいうべきものの違いを見せつけれらるようで田舎オタクとしては羨望である。

審神者である妻のお目当てはやはり「薄緑丸」と「ソハヤノツルギウツスナリ(写し)」であったろうか。シャーマンキング世代の筆者としては「フツノミタマ(写し)」も気になるところ。

「薄緑丸」は箱根神社所蔵の刀であり、別名を「膝丸」としても知られるかの源義経が奉納したとされる刀である。となれば「刀剣乱舞」の膝丸!と筆者などはすぐに思ってしまうのだが自体はもう少し複雑であって、「膝丸」伝説を継ぐ刀は複数本存在し、刀剣乱舞においては公式コラボも果たした「大覚寺の膝丸」がその比重としては強いようである。しかし、派生作品で箱根神社の「薄緑丸」に言及したという話も聞き、(筆者は未確認)刀剣乱舞という作品の性質を考えるに、古より様々な人々の思いが仮託された刀はそれぞれに揺るぎ無き刀であり、総括するに「源氏ばんざい」であるのであろう。キリストだって沢山墓があり、仏舎利を集めたら何人分になるかわからないという話も聞く。大切なのは鑑賞することによってまた1つ、その刀に思いが乗っていくというその事実である。

妻曰く、お兄ちゃん(前回の京都行でこちらも諸説ある「髭切」を北野天満宮にて鑑賞している)よりスマートで凛とした感があり、他方お兄ちゃんに感じた「妖刀」感はあまりなかった、とのことであった。ちなみに妻は源氏兄弟本を上梓している。

その後無事明日共闘する審神者さんと合流し、良い雰囲気の食事をして決戦前夜は更けていったようであった。

決戦当日

戦が始まる……。

妻は8時には戦場入りし、なんやかんやでぎりぎりまで設営をしていたようである。「Get Wild」がかかり、スタートなのに既に何事かが終わった雰囲気も漂う中、順調な出足で、完売こそしなかったものの想定外の売上、沢山の交流及び純粋なファンとしての頒布物の購入などを実現しつつ、初出展でありながら会計まわりもバッチリだったということで本当に良かったと思う。アフターにも参加できたようだ。その移動時、連絡が取れなくなり肝を冷やしモバイルバッテリーを次回はもう一つ余計に持って行ってもらうと良いかもしれない。

楽園へ

その翌日、妻は埼玉にいた。実家にてシルバニア愛を呼び覚ましていた妻にうかつに埼玉の「森のキッチン」の存在を教えてしまったがため、決戦翌日であるというのに妻はまたも早く起床、県をまたいで聖地巡礼へと向かったのである。

開店とともに森のキッチンへ滑り込む妻。愛…愛である。

シルバニアファミリーにはピザを欲張って取ったことを戒められるエピソードがある、ということを教えてくれながら妻が送ってきたピザ。味も良かったらしい。

ジオラマも豊富に展示されていたようである。よく聞く「赤い屋根のおうち」なども年代ごとにマイナーチェンジしているのであるが、それを淡々と言い当てる妻がちょっとこわい。「これがUKモデルだから……」とかさらっと言ってくる。

お待ちかねのショータイム、ショコラウサギちゃんの神ファンサである。この後ツーショットも撮ってもらっていた。店内は平日でありながら満席であったという。実は妻は幼少のみぎり、シルバニア愛が高じるあまりコンテストに応募し、入賞した経験があるのだが遠方であるためウサギちゃんから直接賞状が手渡される授賞式に参加できなかったという経験を持つ。今回ついに、妻は過去を取り戻すことが出来たのである。

ショータイムが終わってからのちの妻が暫く何も言わず、ただただ写真を送り続けたも仕方のないことだと言えよう。

その後、都会の文化資本サブカルショップめぐりと言う形で満喫し、再び無事機上の人となり、帰宅する妻であった。

初めての即売会出展参加が良いもので終わってとてもよかったと思う。シルバニアファミリー展が開催されることもあり、早速GWは大阪に参戦するらしいので、良いことの連鎖が続けばよいなと思う。筆者の分も満喫してほしい。あと石切丸も鑑賞してきてほしい。