カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

帰ろう、帰ればまた近侍に会えるから あるいは5/3刀剣乱舞宴奏会(刀オケ)福岡の感想

本格的なオーケストラアレンジを加えた「刀剣乱舞-ONLINE-」の楽曲を「和楽器」と「オーケストラ」で演奏

大迫力の生演奏の音が響き渡り四季を織りなす光に包まれる空間で
あなたの本丸が今、ここに
いざ、『刀剣乱舞』宴奏会へ

刀剣乱舞 宴奏会 公式HPより

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S席見切れ席をどうにか入手出来、駆け込みで参加することになった。見切れ席というから覚悟していったのだが、全く影響なく鑑賞することが出来た。

静寂の中、尺八の音が響き、そして指揮者がダイナミックな動きを見せメドレーが始まった。各初期刀が語る。そうだ、選んだのだ彼らの中からただ一振りを。共に歩む者を。

和洋の楽器はそれぞれの個性を消さずしかし見事にハーモニーを奏でていた。個人的には三味線と二十五弦筝のロジカルを通り越してむしろリリカルですらある奏法と音色、コーラスの方々の笑顔と深みのある声が特に印象深い。ああ、声って、音って、空気の振動なんだよな、圧なんだよな、としみじみ五感で感じた。こればかりは生演奏の特権であろう。
鍛刀のBGMが流れ、短刀が顕現したときに何故か瞳が潤んでいる自分に気が付いた。やばい、なんだこれは。戸惑いながら隣の妻に目をちらりとやると、妻はじっと目尻にハンケチを押し当てていた。反対側のお隣さんが肩を震わせているのが視線の端にとまった。

あ、大丈夫なんだ。この反応でいいんだ。安心しながらも、しかし筆者は音を立てないようにしばし涙の表面張力の限界に挑まねばならなかった。

スクリーンが戦闘画面に移行し、初期刀を部隊長に先程顕現した面々が懸命に敵と戦うところで涙腺は決壊してしまった。

先に引用させていただいた通り、この会のコンセプトは「あなたの本丸が、今ここに」であった。いやいや、それは無理だろ、と筆者は初見一笑に付した。刀剣乱舞の魅力のひとつは審神者の数だけの多様な本丸があることである。初期刀を選ぶ段階で既に五通りに別れるのだ。そうであるのに「あなたの」即ち審神者それぞれが納得しうるような本丸を表現することなど出来るはずがないーーと。

そうではなかった。会場の雰囲気が僅かながら湿り気を帯びているのを筆者は感じた。心の汗のせいであろう。それが答えだ。

福岡シンフォニーホールを埋める審神者諸賢はこの会に確かにそれぞれ自身の本丸を見出だしている。

何故か。まずは初期刀メドレーにてそれぞれの顕現台詞を流したことが大きいだろう。今回の部隊長は山姥切だが、各審神者はここで各々の初期刀を強く想起したはずである。

その後、会は審神者全員に流れる通奏低音に着目した。

初めての鍛刀。装備作成、部隊の結成、出陣……まだぎこちないいびつな部隊が序盤ステージを満身創痍になりながら進軍していく姿……。

それはかつてどの本丸でも見られた光景。それが数多聞いたBGMがより厚みを増した楽曲と同時に届けられる。

刀剣乱舞は繰り返しの必要な根気のいるゲームである。会に参加するほど気合いの入った審神者諸賢はそれこそ耳にタコが出来るほど聞いた楽曲、審神者DNAに刻み込まれていると言ってもいいほどだ。だからこそ強烈にそれぞれの本丸のあの頃を思い起こさせる。あの頃の必死さに、気づけば重ねた研鑽に感無量となる。あるいは黎明期はあれほど頼った刀剣男士を待機させ続けていることへの罪悪感が心の汗をかかせたこともあるかもしれない。いずれにせよ、初期刀メドレーからの本丸→鍛刀→作成→結成→出陣という流れによって各審神者諸賢に各々の花丸を幻視せしめた構成の妙と演出の説得力には頭が下がった。

引き続き夏のアレンジが施された本丸の曲が奏でられる。アレンジでここまで違う顔を魅せてくれるのかと驚かされる。

続いてへし切長谷部が顕現し、近侍曲が始まった。一月に鑑賞して以来愛着が強まり、現在妻の主な近侍であるので家でよく近侍曲を聞く機会もあるので自然のめり込んでしまう。

へし切長谷部だけでなく、近侍曲演奏時は顕現時、戦闘開始時のイラストがスクリーンに映される。刀剣乱舞の公式イラストは多くはない。そのイラストを寄り代として各々の審神者が想像し、創造して各々の花丸を唯一無二のものにしていったことに思い至りまたしても筆者は目頭を熱くするが三味線とストリングスの和洋のせめぎあいつつも調和する見事さ、熱気にいつしか蒸発していた。

その後一度の挫折を経て、内番の曲でクラップによる会場の一体感を噛み締めたところで、恐ろしいほど短い体感時間で第一部が終了した。

第二部に至ってはもはや完全に演奏に身を委ね、圧倒された。まさしく真打登場といった彼の顕現、その存在感にはやはり嘆息が漏れた。

演奏終了後、拍手はいつまでも鳴り止まなかった。筆者もいつまでも拍手をし続けたいと思った。拍手をしすぎて二の腕が痛くなるという経験を初めて味わった。

最後に山姥切からの言葉があった。多くの審神者が一分一秒一刹那も早く己が本丸に戻りたいと思わせる言葉であった。

妻は一番くじで得た刀剣乱舞コスメでメイクアッブするつもりが家に忘れて大変落ち込んでいたが、どうせ涙ですべて流れてしまったろうからかえってよかったかもしれない、と述べた。

九州交響楽団様による演奏は勿論のこと、審神者諸賢の鑑賞姿勢も大変素晴らしく、会場全体が一体となった素晴らしい時間を過ごすことが出来た。

再び味わいたいし、他会場の様子も拝見したい。一刻も早い円盤化を望む。近侍曲集の第二段や、宴奏会の第二段も。

しかしひとまず筆者は久方ぶりに本丸に戻り、池田屋を今度こそ突破するためひとつまたひとつ積み重ねていかなくてはなるまい。頼れる近侍と共に。

「とうとう来た」よりもお前は一生逃走劇だ、あるいはゴールデンカムイ一気読み

※今回のリンク先は自己責任でクリックをお願いいたします。ご気分を害される恐れがあります。特にお食事前後はおすすめいたしません。

余談

月曜日というやつは四天王の最初の敵みたいなところがあって、週の序盤から我々を苦しめるくせに、いざ祝日になって味方となるとあっという間に弱体化していつの間にやらもう二十一時である。近頃すっかり体力がなくなってしまって昼食後シェスタをしてしまい、目覚めると個人的にはもしかしてもう死んでしまっているのではと思っていた平尾龍磨容疑者が広島市南区で確保されたというニュースが速報で飛び込んできた。二十三日の逃亡生活だったということで、見た目も随分と削ぎ落とされていたが、それ以上に精神をすり減らしたのだろうなと思う。もう少しでGWの人ごみに紛れてさらに遠方へと逃げられてもおかしくなかったわけで、無事捕まってよかった。

彼が二十三日かけて辿り着いた広島市南区から元の刑務所まで、戻るのはわずか数時間に過ぎなかった。世の無常を感じる。そこまでして抜け出したかった「刑務所内の人間関係」とは一体どんなものなのだろう。筆者にはちょっと想像がつかない。

脱走と言えば筆者が広島にいた時分にも広島刑務所から脱走があった。殺人未遂で収監されていた人物であり、筆者は大いに怖じ気づきその日返却予定だったDVDを延滞してでもひきこもるかどうか大いに悩み、結局びくびくしながら夜道を歩き、僅かな物音にも過敏に反応し、恐らくは脱走犯以上に不審者に成り果てていた。途中、貼り紙を見たときは叫びそうになった。

その脱走犯は翌日だか翌翌日に確保されたが、その現場が当時の下宿先から自転車で五分ほどであったことは今でも筆者を思い出し戦慄させる。

もともと懲役二十年以上だったはずだから、今も塀の中にいるはずである。冬に脱走したためか、かえって刑務所のありがたみを知ったというような話も聞く。どうにか心を入れ替えていてほしいものである。

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本題

ちんちんぬきなっもしたなあ

集英社刊・野田サトル先生著ゴールデンカムイ10巻より

 

余談が、めずらしく本題の前置きとして機能しそうである。そういう訳で引用した台詞のような感じとなってきたところでゴールデンカムイの話を始めたいと思う。えっ急に幼児めいた破廉恥さを出されても困るって? さにあらず、ひいてはゴールデンカムイをごろうじろ、と言ったところであるが、さておきゴールデンカムイの話を始めたいと思う(二回目)

 

明治末期、北海道。それは古き良き時代では決してなく、未だ近代になり切らぬ中世の断末魔が響き渡る土地――あるいは人が最も近くまで自然に畏敬の念を抱き、受け入れ、共生しようとしていた場所。地獄の釜の蓋が開きそうな、はたまた地上の最後の楽園でありそうなここを舞台に日露戦争帰りの兵隊、杉元佐一を主人公として物語は幕を開ける。

話の筋は判りやすい。ある男が宝の地図を24人の囚人に刺青として分割して彫った。それを(刺青人皮と呼ばれる)――刺青を彫られた囚人の生死を問わず――集めたものがお宝、すなわちアイヌの金塊を手に出来るということで、それを巡って冒険活劇が繰り広げられる……というものである。

ワンピースで例えると生ポーネグリフを集めるみたいな感じだろうか。

ドラゴンボールで言うとドラゴンボール自体が遺志と悪意を持って動き回っているようなものか。

多重人格探偵サイコのバーコード人間を集めたら特典が付いてくるみたいな。

無理矢理ほかの作品に例えようとしたところでろくなことはない。さて上記の大筋だけ見ればちょっとスパイスの効いた単純明快な痛快活劇のように思えるが、実際はとんでもないことになっているのである。

何故か。キャラクターが濃すぎるのである。煮詰まっているのである。

特に刺青を持つ囚人たちのキャラクターは筆者の心をとらえて離さない。

余談・再び

美しい話である。

筆者はかつて妻(まだ彼女だった)の部屋にお邪魔したことを思い出す。彼女の本棚には「FBI心理分析官」が何気なく置かれており、「あ、私はこの人と結婚するんだ」と感じたものである。

 

FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記 (ハヤカワ文庫NF)

FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記 (ハヤカワ文庫NF)

 

本題再び

 そんな訳で登場する囚人たちはサイコキラーをモデルにしている人間が多く、筆者のような人間にとっては元ネタに思い当たってなるほど、と思いつつ、サイコキラーの存在感の恐ろしさに改めて慄然とする。ベクトルは全然違うが、「モデルのキャラが濃すぎて創作世界でもなんか盛った風に見える」という意味では実在棋士を多くモデルにしている3月のライオンスピンオフ・灼熱の時代のキャラクターたちに通じるものがある。いいよね……田中名人。

例えば劇中では既に死亡している「三十三人殺しの津山」は明らかに「津山三十人殺し」の都井睦雄がモデルであろうし、辺見和雄はヘンリー・リー・ルーカス、家永カノはH・H・ホームズだろう。姉畑支遁は無論シートンに違いあるまい……シートン先生への風評被害がとんでもない。刺青の入った囚人はあと九名ほどいるはずなので、アルバート・フィッシュテッド・バンディジョン・ウェイン・ゲイシー辺りをモデルとした人物が出てくるのではないか、とにらんでいる。他にもモデルに採用された人物はクヒオ大佐や絶対に食事中に見てはいけない、食事中じゃなくても出来れば知らずに済ませたいエド・ゲインなどそれぞれがとんでもないエピソードを持った人々であるから、ゴールデンカムイも必然混沌とした闇鍋テイストを醸し出す。しかしそのコクは無類である。

闇鍋、という単語が出て来たがゴールデンカムイを他の漫画から出藍せしめている要素の一つがアイヌの文化の丁寧な描写、特にその食文化についてである。生き物への感謝と食べたさが同時に湧き上がってくる。筆者個人としてはルイベがとても食べてみたい。将太の寿司で初めて見て以来ずっと食べたい。

ゴールデンカムイは血沸き肉躍る物語であるがしかし、話の底には恐ろしいほどの冷たさが流れている。それは舞台のせいではなく、主要登場人物のほとんどがお膳立てされた死に場所で死にきれなかった人物だからであろう。いわば彼らは半死人であり、「きっちり死に切る」ために金塊を求めているといってもいい。彼らが「死に切る」のか「生き返る」のか、今後も興味が尽きない。一気に十三巻読んでしまったので、次の単行本が恐ろしく待ち遠しい。

筆者のWikipediaにリンクを張る時点で疲れてしまってイマイチ精彩を欠くレビューで読者諸賢が読みたくなってきたかどうかはわからないが、幸いにして5/10まで引き続きkindleでまとめ買いセール中であるから、(クーポン取得の必要があるのでご注意されたし)是非ご一読いただきたい。胸焼けするほど濃い読書体験があなたを襲うはずである。

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大河ドラマ「西郷どん」第十六回 「斉彬の遺言」

余談

診療報酬改定があった。

診療報酬というのは要するに診療行為に対する国から医療機関への報酬であって、いわゆる「保険がきくので三割負担」というのは、この報酬の三割を患者が、七割を国が負担しますよという意味である。その改定が、二年おきに行われる。

また同様に介護報酬改定もあった。こちらは三年おきで、すなわち、その最小公倍数である六年ごとに同時改定がなされる訳である。

どちらも四月一日から施行され、医療機関はその対応に追われる。恐ろしいのは、「ま、詳しいことは今後ちょくちょく補足すっから」というのが厚生労働省のスタンスであり、その「ちょくちょく補足」が実務に一切追いついていないという点である(医療機関から国への請求状況を見て実務に即した調整をするため、というのもあるのだろうが)。親方日の丸から確固たる答えがなくとも、改定された診療報酬はいつも通り月締めで月末で区切られ、翌月十日までに請求しなくてはならない。GWだろうがなんだろうがである。結果として、この時期の医療事務担当者はやたらと疲弊する。やさしくしてあげよう。してください。(懇願)

さて今回、訪問歯科では「単一建物居住者」という概念が爆誕した。以前は「同一建物居住者」という考え方であった。……同じじゃね? と思う読者諸賢、あなたの気持ちは正しい。しかしこの二つが全く違う考え方となるのが霞が関マジックである。

前述したように国の保険診療には大きく「診療報酬(医療保険)」と「介護報酬(介護保険)」のカテゴリがある。歯科診療所においては医療保険においてすべての対応がなされるが、(無論保険外はのぞく)訪問歯科診療では歯科が患者さんの方へ訪問するという=患者さんは通院困難である必要があるという必要上、要介護状態である=介護認定を受けていることが多い。こうなると、医療保険介護保険どちらともで報酬を算定する必要がある。(国の決まりである。なのに、二重請求ではないか? と患者さんのご家族から疑念を持たれてしまうこともある)

訪問歯科診療において算定される報酬として基本となるのは、

診療報酬として

歯科訪問診療料1(1,036点)

歯科訪問診療料2(338点)

歯科訪問診療料3(175点)

(同一建物居住者の人数によりどの点数を算定するか異なる)

訪問歯科衛生指導料1 (360点)
訪問歯科衛生指導料2 (328点)
訪問歯科衛生指導料3 ( 300点)

(単一建物居住者の人数によりどの点数を算定するか異なる)

があり、

介護報酬として

歯科医師の行う居宅療養管理指導1(507単位)

歯科医師の行う居宅療養管理指導2(483単位)

歯科医師の行う居宅療養管理指導3(442単位)

及び

歯科衛生士の行う居宅療養管理指導1(355単位)

歯科衛生士の行う居宅療養管理指導2(323単位)

歯科衛生士の行う居宅療養管理指導3(295単位)

(単一建物居住者の人数によりどの点数を算定するか異なる。訪問歯科衛生指導料と同時に算定は出来ない)

が挙げられる。(ものすごーく簡略化して話をしています)

さて戻って、保険診療の世界では

「同一建物居住者」=その日に診療した患者さんがその建物内に何人いるか

「単一建物居住者」=その月に診療した患者さんがその建物内に何人いるか

という定義がなされた。今までは上記の点数はすべて「同一建物居住者」によって判断されていたのだが、今回の改定で「歯科訪問診療料」以外は「単一建物居住者」に改められた。上記各報酬の1~3はそれぞれの定義に当てはまる患者さんが「1名の時、2~9名の時、10名以上の時」で分けられている。

例えば、ある老人ホームにA~Jの10名の訪問診療の患者さんがいたとする。全員要介護状態であった場合、

4/1  ABC

4/8     DEF

4/15   GHI

4/30   J

という風に診察を行ったとすると、今まではA~Hは上記「2」が、Jは上記「1」が算定されていた。「その日に何人診たか」で判断するからだ。しかし今回から、全員が介護報酬は「3」で算定されてしまう。かつ、診療報酬は今まで通りであるというややこしさ。

この「単一建物居住者」という概念が本当にアホだと思うのは、カルテは適時適正な記載が推奨されているにもかかわらず、「月に何人診たか」という考え方をする限り、その月の最終日まで算定内容が確定しないところである。

上記のように、4/29までは「2」で算定していたものが最終日に突如「3」に降り替わるのである。10人分のカルテをすべて入力しなおしである。悪夢か。訪問歯科診療はその性格上、終末期に寄り添うことも多く、患者さんの入れ替わりも頻繁である。このようなことは往々にして起こりうる。

最終日までどちらの点数になるか確定しない、ということは患者さんに請求も出来ない、ということである。訪問歯科診療の患者さんは月締め請求を取っていることも多いが、途中に亡くなられた場合、その時点での支払いを希望されるご家族の方も多い。悲しみに暮れるご家族に、「いや、ちょっとまだ患者さんが増えるかもしれないんで金額がわからないんですよ~」と言えというのか。

ちなみに計算は筆者の説明ではこれまで以上に難解になってしまうので省くが、「2」をキープできた場合と「3」算定に切り替わった場合では、報酬額で月当たり17,460円の差額が生じる。これは馬鹿にできない数字である。

施設に入居されている患者さんはご家族が遠方にいるケースも多い。治療金額の見積もりを希望される方も少なくなく、しかしやはり見積もりも精確を欠いてしまうというのも何とももどかしい。

また、今回の同時改定では歯科衛生士の居宅療養管理指導に定められた「20分一対一で対面しての指導」という要件が緩和されるのではないか(医療保険の訪問歯科衛生指導料には20分未満の点数があった)という期待がなされていたが、ふたを開けてみると介護に合わせて医療の方も20分が必須となってしまった。20分口を開け続けるというのは特にご高齢の方にとっては結構な苦行である。(勿論口腔内だけでなく様々な指導も含めての20分なのだが)ろくに診もしないで点数を算定することがないように、というのはわかるのだが、熟練した歯科衛生士が10分で行うと点数が算定できず、駆け出しの歯科衛生士がもたもたと30分時間をかけると点数が高い……というのはいかがなものか、と思う。

保険診療、特に介護保険は矛盾に満ちている、と思う。介護保険はケアプランといういわば予算計画書に沿って進められるが、その予算は介護度によって決定される。原則としてその予算内でやりくりをしなくてはならない。(訪問歯科診療はその枠外であるので予算を気にしなくてよいという利点がある)介護度が高い方が無論予算は多い。

忘れられないことがある。ある患者さんは要介護3であり、訪問歯科診療をはじめ数々の介護サービスを経て、状態は改善した。介護度が下がったのである。しかしその結果、今までは組み入れられていたサービスが予算をはみ出てしまうことになった。デイサービスの週当たりの回数は減り、ヘルパーさんの介入も減った。交流が減った患者さんはみるみる状態が悪くなった。これはよくないと保険外のサービスも利用することになった。文字通り保険がきかないのでまるまる費用を患者さん、そのご家族が負担することとなる。少しでも負担を減らしたいと、訪問歯科診療のサービスも打ち切られることになった。口は体の門である。全身状態に呼応するように悪化の兆しが見えていたが、我々にはどうすることも出来なかった。胃に棚を吊ったような気分で半年ほど過ごしたある日、筆者は通勤路の電柱に患者さんのお名前の葬儀案内が出ているのを目にした。あの時の気持ちをきっと筆舌に尽くしがたい、というのだろう。

医療費・介護費が国の歳出の大きな負担になっているのはわかる。けれども、もう少しうまいやり方があるんじゃないか、と思う。日本の頭脳が考えているにしてはあまりにも机上の空論でお粗末ではないか。

次回の同時改定ではいよいよ2025年が目前に迫っている。それまで筆者が生きているか、そこまでではなくとも医療介護関係に従事しているのか、それはわからないが、少しでも良い方向に改定されればと思う。

そんなもやもやした気持ちは診療報酬改定研修会後に駆け込んだ三平ラーメンに大盛というかたちでぶつけられた。鹿児島の味噌ラーメンは貴重である。濃厚だが、しつこくない。厚いチャーシューが嬉しい。

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本題

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余談が、やたらと専門的になった。しかし今回はまーひどい。この大河、政治劇を基本怒鳴りあいだったりナレーションで進めて来たので話がこういう展開になるともう全然役者さんの熱演で押し切るしかないのだというのをまざまざと見せつけられた感じ。あと、相変わらずその回に一気にフラグを詰め込むのでたいへん唐突な感じがしてしまう。橋本左内の決意なんてたいそう立派なんだからもうちょっと前のうちに言っておいた方がよかったのでは。左内がこの大河でしたことって店で客を看病して無駄に目立って、勘違いで機密をべらべらしゃべって、慶喜尊い本を出したくらいじゃないのか。というか斉昭と一緒に春嶽(あのおなかが鳴った人だよ。左内の主君なんだ)も処罰を受けているのだが、そのあたりに全く触れないのも違和感。

月照、艶。こんなに雅な山伏がいるか。原作では吉之助とかなり踏み込んだ感じだそうで、一部層にはその辺りの期待が高まっているようである。吉之助の脂肪に言及したのは自分と彼の死亡を分ける伏線であろうが、他のあれやこれやもそれくらい自然にやってくれたらなあ。

吉之助はいよいよスタンドを発現させるという伝説の大河「コメディお江でござる」の主人公に匹敵する特技を受け入れたが、しかしこの作品の斉彬にお前は何を学んだのだといわれてもお前は何を教えてくれたんだよと言った感じである。生きようと頑張っているけど、次回入水します。デュエルスタンバイ!

 

っていうかマジで出ないのかな吉田松陰……。あ、西郷どんチップスは普通においしかったです。

「パンドラの匣」は「匣」の字面のインパクトが7割

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今週のお題「カバンの中身」

通勤カバンの中身。以下、順不同。

お菓子(護身用/休憩時間に家に帰れなかった時のための糖分補給用)

お菓子(スタッフさんからのお土産など貰い物)

充電器(車のシガーソケットで最近充電しているのでほとんど使わない)

割りばし(意外とつまようじがなんかの時に役に立ったりする)

目薬(花粉症なので。今年は特に目に来る気がする)

歯ブラシ(会社でご飯を食べた時用だが買い替えてからは未開封)

ハンカチ(カバンの中で充電器をやさしく包み込んでしまいぐしゃぐしゃに)

手帳(プレバンの三日月宗近モデルのやつ)

給与明細(2か月分)

印鑑ケース(三文判だけど銀行印。ケースの朱肉ももうかっすかすなので変えたい)

大事なものケース(パスポート、マイナンバー通知カード、通帳、実印など)

ペン(業務上3色がマスト。本当はジェットストリームが大好きなのだが近場にない)

ペン(黒のみ。貰い物。書き味がいいのでここぞというときに使う)

地元コミュニティFMのステッカー(貰い物。もったいなくてなかなか貼れずにいる)

あとはここには出さなかったが名刺が何枚か(名刺入れを入れた上着を預けているときに名刺交換をする、という失態が何回かあったため)、よくわからない錠剤(多分去年の花粉症の薬で途中で薬疹が出たから飲むのをやめてしまったやつ)

と言った塩梅で特に希望とかは残っていなかった。本日は珍しく平日お休みであったので、並べながら、ああ、明日はまた仕事だな、という落胆を再確認し、出したものを再び失望と一緒にしまい込むという作業はあったが。

しかしタイトルを書いてから一応検索してみたが、「パンドラの匣」だと太宰治の小説が一般的で、ギリシャ神話は普通に「パンドラの箱」表記が一般的なのだなと。勝手に「パンドラの匣」表記が市民権を得ているものと思い込んでいた。何故だ。匣の中の失楽のせいか。魍魎の匣のせいか。「箱」だとなんかこう、文字通りの字面的に百葉箱をイメージしてしまって(右側がスリットに見えませんか?)涼しげで大ぶりな感じがしていまいち曰くがありげでないような気がするのだが……。こうなると太宰治の小説単体を貶めてしまったようになってしまうが、一切そのような意図がないことを強調しておきたい。そもそも、本来的には「パンドラの甕」らしい。確かに匣(箱)より甕の方が飛び出した時引っかかりそうである。くびれの所辺りに。

あとパンドラって名前もなかなかではないか、と思う。破裂音のあと一度唇を引き締め、その後どすを聞かせて濁音、最後にやや巻き舌でラ。完璧だ。こわい。仮に「パンドラの匣」が「与左衛門の甕」であったら現在こんなに使われていないんじゃなかろうか。与左衛門の甕、なんでも鑑定団に出てきそうではないか。いい仕事してそうではないか。

「こいつは与左衛門の甕だ!」

なんて言おうものなら、どこからともなく中島誠之助氏他が現れて、

「17世紀初頭の七代目与左衛門の甕、間違いありません」

「どうぞお大事になすってください」

あるいは「スタジオへ」とフリップに朱書きされている可能性すらあるではないか。フリップはどこから出て来たんだと突っ込まれても、その突込みは中島誠之助氏が現れた時にしていただかねばもはや遅いのである。驚きの鑑定結果はCMの後なのである。たまにCM前に○千円のところで止まっているのがちょっと見えてしまったりするのである。出張鑑定団の後いたたまれなくなって現地から引っ越した人とかいたりするのだろうかとたまに考えてしまうのである。

そういうことが言いたかったのではなくやっぱり「パンドラの匣」ってタブー感を醸し出す最高の字面をしていますね、ということを再確認したかったのである。いかがだろうか。

月初のブログ目標の達成率があと一週間もないのに芳しくない、その指摘はパンドラの匣である。開いたら祝日という希望が残っていることを願いたい。

というわけで今週のお題の「カバンの中身」であったが、「引き出しの中身」を書いたエッセイとして秀逸なのが宮沢章夫さんの「よくわからないねじ」である。そう、読者諸賢はお気づきになられたであろう、先程の「よくわからない錠剤」が「よくわからないねじ」をリスペクトした表記であることを。残念ながらkindle化しておらず、中古本しかないようで、たまに読みたくなるたびに何故人に譲ってしまったのかと筆者は地団太を踏みそうになり階下の住人のことを慮りぐっと我慢する、という一幕がある。読者諸賢の引き出しにはないだろうか?「よくわからないねじ」が。そのほかのエッセイも面白く、読みやすい。じわじわとジャブを腹筋に食らい続けるタイプの面白さである。劇作家であるという著者が切り取る世界はとてもピンポイントで、しかし万人に共通する何かがある。機会があればぜひご一読いただきたい。

 

よくわからないねじ (新潮文庫)

よくわからないねじ (新潮文庫)

 

 

最後に戒めとして再度今月の目標を掲示して記事を閉じたい。

・「天才柳沢教授の生活」11巻についてまとめる

・お題スロットに毎週応える

・西郷どん感想を毎週書く

・診療報酬改正について思うこと

がんばります。

大河ドラマ「西郷どん」第十五回 「殿の死」

余談

ニンテンドースイッチがなんとなーく欲しいという気持ちはずっとあってニンテンドーラボの発売によりそれは加速しているのだが、とっておきの駄目押しがまだない。最近は一人でゲームをしている横で妻は刀剣乱舞という構図になっているので、そろそろ二人で出来るゲームがあればいいのだが。「オーバークック」「マリオオデッセイ」あたりは是非やってみたいのだが、「買ったら是非やってみたい」であって、「やるために本体ごと買いたい」までは行きついていないのが正直なところだ。あと、様々な環境を整えるのに4万円位と考えるとそうだ、京都行こうという気分にもなってしまう。買い物というのは迷っているうちが一番楽しいともいう。暫く一番楽しい時間を満喫しようと思う。

本日は選挙の日であるということで投票に行って外食した。最近の回転ずしはデザート他サイドメニューが充実しているのがいいところである。ついで晩御飯用のから揚げ、デザートの練りきりを購入した。


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選挙は当然ながら勝ち負けがつくわけであって、筆者は感情のリソースの割き方がヘッタクソなので別に親しいわけでもない落ちてしまった候補に勝手に感情移入して悲しくなってしまう。典型的な判官びいき的日本人なのだろうか。違うか。

本題

うーん……。

斉彬の死というのは全く想定外の死であってそのいきなりさを読者にも感じてほしい、という意図はわかるのだが、例えば2年前の超高速本能寺や関ケ原のようなあくまでも外部の出来事に対して、斉彬は吉之助の世界の中心であるわけだから、これはもう少し何とかならなかったのか、というかしつこいようだが相撲を1話使っておいて斉彬の死はこの尺というのはさすがに……。

家定の死はフラグ回収が高速過ぎたもののまだわかった。井伊直弼の執念が前大河の力を借りているものであって本大河単体ではイマイチ伝わってこないのが難ではあるが。あと泉ピン子院がちょっと無能すぎませんかね? 息子さんをもっと信じてやって欲しい。篤姫、相変わらず支持する男連中に全くケアしてもらっていなくて気の毒である。家定、斉彬の死は彼女にとってある意味開放となるのであるが、慶福の後見人になる過程をどのように描くのだろうか。どうもこの大河そっちの方を丁寧に描きそうなんだよな。

吉之助は万策(護摩行・カライモ!イブスキ!サクラジマ!・一橋様尊い本)が尽きてお役御免に。なにが万だという突込みは正助がしっかりしてくれていて安心する。何でも話してしまう少年時代と比べると家中の者にお庭方時代のことは黙っているので成長しましたね。その後策を思いつくと無役だけど殿様に直訴。アットホームな薩摩ですね。ますます成長したなあ……だからその過程を見せてくれよ!ただ走ってただけじゃん!

個人的には「風雲児たち」のこの時の斉彬発案の島津の示威行動案が余りにもかっこよくて後年久光が真似し(そして生麦事件が起き)、また西郷隆盛の「政府に尋問の筋これあり」につながったという解釈にしびれたのでこの展開は残念。ただ、ここの「お前はわしになれ」という斉彬のセリフは、多分そういうこと(西南戦争はこの時出来なかったことの吉之助なりの再現)なんだろうな、という気はする。

そう、久光。久光の描写がないのはあんまりである。地元トップオタなのに。この後短い間に一番翻弄されるのは久光であるように思うので、しっかりカバーしてほしかった。

落ち込んでばかりもいられないので次回以降の楽しみを挙げると、吉之助にある種最も愛された女性と言われる「虎」が登場した。豚姫というあんまりな異名を持つ彼女と吉之助の文字通りの大物恋愛は歌舞伎の演目になるほどであったという。近藤春菜さんがどのように演じるのか、興味が尽きない。

予告で橋本左内が早速捕縛されているが、安政の大獄の描写も気になるところだ。もしかして、二十一回猛士こと長州藩の誇る困ったちゃん吉田松陰さんは出ないんですかね……?

橋本左内刑死まで、あと1年。井伊直弼害死まであと2年。

前略、新大陸より。あるいはMHWストーリークリア&マム・タロト撃退までの感想

モンスターハンター:ワールド(以下、MHW)の全般的なネタバレがあります。

※以下の画像はすべてPS4のシェア機能を用いたスクリーンショットであり、著作権カプコン様に帰属します。

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オトモ、とてもかわいい。

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たまたま撮れたリオレウス亜種の口ドアップ。この作り込みはすごい。

懐かしき旧大陸での日々

以前記事で述べたように、プレイヤーとしての筆者とモンハンの出会いは丁度今から十年前、MHP2Gに出会ったことに始まる。ただ、存在は無印のころから知っていた。「肉、喰ってるか?」広告がジャンプの裏表紙を飾っていたことは今も鮮明に思い出せる。一方でPS2時代のオンライン環境というのはまだまだハードルが高く、(実際はオフラインでもプレイできたのだが)そのことから購入を諦めた。 代わりに真・三國無双3 Empiresを購入し、許猪モーションの董白ちゃんをエディットした覚えがある。まさか十四年後、董白が三國無双に正式に登場し、また、同じようにモンハンと無双が近いタイミングで発売されることになろうとは思ってもみなかったが。十四年前と違うのは、今の筆者はそのどちらともを――しかもダウンロード版プレミアムエディションで――購入する程度には大人になれたし、ゲーム周りのオンライン環境は当時と比べ日本は随分整ったのだ、ということである。(MHP2G当時、Wi-Fi環境は憧れであった。)いや、大人になっているのか? これ。ともあれ現在の筆者の行動原理は少年時代の渇望に端を発しているものが多いのは確かである。

MHP2Gのプレイ体験の端々もいまだ焼き付いているものが多くある。初めてのクエスト、「こんがり肉を焼こう」という趣旨のものに、おお、あの「上手に焼けました~♪」だ! と胸が高まった気持ちも、その調達手段で草食モンスターを容赦なく殺し、断末魔の動きを見せたかのモンスターがピタリ……と生命の灯を消したのち、ナイフを突き立て剥ぎ取る様子に「なんてリアルなんだ……恐ろしいゲームに手を出してしまった……」と戦慄した気持ちも、クック先生の洗礼を受けた時も、ガノトトスの亜空間タックルに苦戦したときも、ティガがどうしても倒せず、そのためだけにガンスへ宗旨替えしたことも、それでもって初めて倒した時の深夜二時のあの興奮も、何もかもが懐かしい。MHP2Gのおかげで広がった友人知人関係も多くあった。

MHP3は予約して発売日からプレイした。ジンオウガの狩猟に成功したと思ったらメモリースティックが破損していてセーブできなかった時のあの驚き。イベントクエストをどれを残すかという苦渋の選択。次長課長井上さんのオトモの頼もしさ。相変わらずPSPを持ち寄ってやいのやいのいいながら狩猟した日々。いつだって求めている人間以外に玉は微笑むのであった。

MH43DS本体と同時に購入した。3次元的な戦いによる可能性の広がり。ロードムービーのような新鮮なストーリー。「天を廻りて戻り来よ」という文の美しさ。拡張スライドパッドによる狩猟環境の改善も素晴らしい。(ちなみに筆者はモンハン持ちができない)この頃はオンラインでの狩猟が主となっていたし、それに抵抗もなくなっていた。

ということで筆者のモンハンプレイ遍歴はP2G→P3→4である。いずれも一応、村最終を出すところくらいまでは進められた。(4以外はクリア出来ていない)基本的にはがぶがぶ回復薬を飲む薬漬けプレイスタイルである。フレーム回避? 知らない子ですね……。

十四年待った新大陸との「再会」

そこからしばらく時が流れ、MHWPS4で……という話が出た時は、過去幾度となく出た願望が強い飛ばし記事だろう、と思っていた。発売が決まった時も、もはやついていけなくなっているのでは、という危惧があったが、ひとまずお祭りに参加するような気持ちでβテストに参加した。

これだ、と思った。かつて無印の宣伝を見た時にイメージした「モンスターハンター」がそこにあった。広大なマップに生態系が確立されていて、あくまでもハンターはそこへ訪れた一生物にしか過ぎない、いわゆる「ゲーム的ご都合」――モンスターはプレイヤーばかり攻撃していて、武器は一つしか持ち込めない、ペイントボールがないとモンスターがどこにいるかわからない――を排しつつ、アイテムボックスをフィールドでも使用できたりファストトラベルを設定したりと狩猟環境を快適にもするそのバランスには唸らされた。そして、適当にボタンを押しているだけで、結構格好良く、いい画質でキャラクターが縦横無尽に駆け回ってくれるのである。筆者がかつて夢想した「ぼくのかんがえるモンスターハンター」がより洗練された形でそこにあった。だから新大陸はある種、筆者にとって再会であった。さながら生き別れの友人のような。旧友への餞別を込めて早速予約した。β版ではとうとう一人ではネルギガンテは狩れなかった。

発売日、の昼休み時間。必死にチュートリアルを勧める筆者の姿があった。少しでも早くゲームに触れたいという気持ちがそうさせたが、セーブまでがなかなか遠い。ゲームが一日一時間までの子どもならたどり着けない可能性すらある。また最初に出てくる男が追手内洋一みたいな顔をしているのがはらはらを加速させる。(ジャンプ展行きたいなあ)

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MH4に引き続き、筆者はメイン武器にハンマーを選択した。メイン武器というか、闘技大会以外ハンマーでしか狩猟していない。武器は全部で十四種くらいだったと思うのでMHWを1/14しか味わえていないと考えると損しているような気もするが、一つの武器縛りでやると金欠になりにくいのが利点である。

他の武器を使ってみようかな、とも思うのだが、今回からダメージ値が表示されるようになり、ハンマーはダメージ値が極めて大きいことから、一度それを味わってしまうとなかなか変える気になれない。

俺はロートルの狩人だからよ……最近の武器の扱いはよくわからねえんだ……溜めて、殴る。それだけさ、俺のできることはな……みたいな歴戦の武骨なハンターでロールプレイしているのである。

今回、ハンマーは「回転攻撃」「叩きつけ」「力溜め」という新モーションを手に入れた。回転攻撃でモンスターに突進、連続ダメージを与えて乗り攻撃に移行→転倒させたところを叩きつけでボコボコにする→めまいになったところに力溜めでフルパワーのスイングを頭にお見舞いする、というコンボが決まると脳内麻薬の分泌が止まらない。そうしてますますハンマーへの依存が強まるのである。

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初めてのボス・ドスジャグラスには力溜めをお見舞いし、

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クック先生ポジションのプケプケには真正面から頭に一撃を叩き込み、

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リオレイアには華麗なホームランを決め、

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どうもアイドル枠を狙っている節のあるパオウルムーには翼へえぐり込むように、

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ボルボロスへは固い頭を少しは柔らかくできるように脳天へ、f:id:kimotokanata:20180129225933j:plain

優雅に空を飛ぶレイギエナには地面に近い尻尾へスタンプをお届け、

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俺より強いやつには波動拳でなくムロフシアタックで対抗し、

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幻獣へはその突進を逆手に取ったクロスカウンターを決めさせてもらった。

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しかしまさかのラスボスへはスリンガーでフィニッシュ。ハンターの背中にどことなく哀愁が漂っているのは気のせいではなかろう。

実際の所、今回のハンマーは溜めている間のスタミナ減少速度が緩やかになったこともあり、かなり戦いやすくなっていると思われる。MHWからはじめて討伐に時間がかかってしまう狩人諸賢には是非お勧めしたい武器である。機動性と火力が高いところでバランスが取れていると思う。脚をチクチク→転んだら叩きつけ最後まで出し切り、くらいでも結構何とかなる。

「新大陸」という環境と新作、新プラットフォームの親和性の高さ

MHWは「新大陸」が舞台となっている。まだまだ謎の多い未知の環境である。これが今までのモンハンとは一味違ったゲーム体験を生み出しているのが設定の妙である。

未知の環境であるから探索中にいきなり狩猟対象が決定したりするし、

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生き抜くために防具が剣士とガンナーで統一されたりもする。また、今回最も斬新なのはあるモンスターを全く予備知識なしで狩猟することになること。今までのモンハンにもいわゆるトラウマクエストという形で「いきなり敵いそうもないモンスターが現れ、立ちはだかる」ということは序盤に往々にしてあった。(パッケージモンスターの顔見世という側面が強かった。今回のパッケージモンスターにも似たような展開は用意されている)が、まさかその状態で討伐しなくてはいけないとは。「これはイベント戦みたいな感じで仕切りなおすだろ……」と思う慣れたプレイヤーたちほど驚く仕掛けになっていた。新大陸は驚きと発見の連続なのである。

また、新大陸であるから当然新たにモンスターが発見されることもあるわけで、継続的なアップデートともこの設定は非常に相性がいい。ぜひティガレックスやナルガクルガも新大陸で発見されてほしいものである。

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不満点としてはイマイチ集会場が機能していないこと。今回はシングルとマルチに大きな違いがないのも原因だろうか。また、メインユーザーがP世代が多く、「身内での狩り」に慣れ親しんでいるというのも大きいかもしれない。

製作者サイドも集会場については意識されているのか、アステラ開花の宴では集会場で特別メニューが食べられ、集会場自体もきれいにデコレーションされたし、マム・タロトは集会場単位での共同作業というクエスト形式として新鮮なものになり、久々に救援信号で参加する以外に他人のクエストに参加したり、またこちらのクエストを手伝ってもらったりして「ああ、このゲームオンラインなんだな」と実感することが出来た。

今後もゆるーいコミュニケーションを取れるような仕組みがアップデートで加わればいいなあと思う。サークルも誘われてから時間が経つと参加できないのをもうちょっと待ってもらうとか出来ればよいのだが。

まあ、集会場の受付嬢が圧倒的に可愛いので今日も集会場へ行くんですけどね……。

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しかし開花の宴途中にEDを迎えたのでちょっとファニーな感じになりましたね。

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ストーリークリア時。オトモがこわい。

今回もオトモが大活躍してくれるし、狩猟中の武器の変更、アイテム補充も可能になり、救難信号も搭載、各種操作方法やモーション自体も見直されたことで、初めてプレイされる方にもだいぶやりやすいモンハンに仕上がっているのではないかと思う。筆者も決してゲームが上手い方ではないが、苦戦したのは最後の古龍たちと、そいつらを倒すために狩猟する必要があったイビルジョー……が唾液をなかなか落とさないという物欲センサーであった。また最後に一気に三つとか出たりするのはご愛敬である。しかし、成人男性が夜な夜なゲームを起動し唾液を追い求める、と書くとそれなりに鬼気迫る雰囲気があるな。でも本当に、モンハン気になっているけどやったことないな、という方には是非お勧めしたい。よかったら一狩り行きましょう。

今後もアップデートを重ね、新大陸の新たな顔を見られることを楽しみに待ちたいと思う。ひとまずは、マム・タロトの鑑定武器でなかなかよさげな狩猟笛を得たのでそれを担いでマンネリ解消と洒落込むつもりである。

 

桜の季節が過ぎたら、春蜜柑をお土産に。

今週のお題「わたしの春うた」

理想は一日おきくらいに記事を更新することなのだけれど、なかなかうまくいかず団子になりがちである。はてなブログジャスラック包括契約してくれたらいいのにな、というのはよく思う。一回、「木綿のハンカチーフ」の歌詞について突っ込み倒したくて、ジャスラックのホームページを調べてみたのだが、よくわからなかった。永続的に払わなければならないのか、一回払えばいいのか、もうちょっとこう、ユーザーフレンドリーになってほしいと思う。払いたくても払えないというのは、難儀である。

ともあれ、今週のお題については書きやすいので前回ぎりぎりでお題を消化してしめしめ今度は楽そうだぞと思っていたら結局こんな時間になってしまったので記事を勧めたいと思う。五年くらい前に、最近CDを買わなくなったなあ、と思ったが、最近は曲単位、アルバム単位で購入することも少なくなってしまった。スマホの電池もちもデータ容量も速度も大きくなり、出始めの頃はYouTubeで、落ち着いた頃には定額配信で聴けるようになっているので買う必要なし、ということがほとんどになってしまった。最後に購入したのは多分、真田丸のOPテーマである。

今回、三曲を選ぶことにした。いずれも学生時代にCDを購入し、長じてから配信で再度購入した曲たちだ。

フジファブリック/桜の季節(2004年)

一曲目はフジファブリックの「桜の季節」。


フジファブリック (Fujifabric) - 桜の季節(Sakura No Kisetsu)

筆者は大学時代、文芸サークルに所属していたのだが、先輩が著した作品の一つにこちらを発想の起点の一つにとらえた作品があり、作品が好きだったこともありそのままこの曲に、そしてフジファブリックに傾倒していった。その時はまさか志村さんがその年のうちに急逝されるとは思ってもみなかった。というか、もうフジファブリックって志村さんがボーカルでなくなってからの方が長いんだな……というかダイちゃんさんこと金澤ダイスケさん、ご結婚おめでとうございます。鹿児島にライブに来てくださったときは沢山ファンサービスしてくださってありがとうございました。あんなに紳士なのにあんなに狂気にキーボードを弾いてかっこいいんだこれが。

閑話休題。前奏の始まりであるのに何かがすでに終わりつつあることを予測させるリフ、間奏が桜吹雪舞い散る中、思い人を乗せた車が遠のこうとしているさまを思わせるところ、志村さんの春の喧騒をかき分けるかのようなシャウトがたまらない。抒情……抒情なんだ……。

筆者は鹿児島生まれ鹿児島育ち、四月の頃には大体葉桜という人間であったので、大学生活を機に広島で暮らし始め、「卒業・入学シーズンにちゃんと桜が花をつけている」という状況を初めて体感したこととこの曲を聞きながら市をまたいで通学して、車窓に桜の木々とそれを縫って歩く転機を迎えた人々を眺めたことがオーバーラップする。フジファブリックをはじめ歌がやたらうまい先輩(以前の記事で書いた一番学生時代お世話になった先輩)のことも。先輩、僕らもう、志村さんより年上になっちゃいましたね。

ちなみにこの頃のフジファブリックはやたらと極上の音楽と歌詞にのせて変なMVで女学生にミョーなことをさせているが、それが極まった「銀河」もよろしければ是非お聴きいただきたい。どこに売っているんだそのTシャツ。


フジファブリック (Fujifabric) - 銀河(Ginga)

 

つじあやの/君にありがとう(2001年)


つじあやの / 君にありがとう 【VIDEO MUSIC AYA~NO 2009】

二曲目はつじあやのさんの「君にありがとう」(曲自体は2:25から)

収録されている「春蜜柑」にはまさしくドストライクな「春風」という曲があり、これもまた跳ねるような感じで春らしく素晴らしいのだが、今回はこちらで。

惜しまれながら先日終了したポンキッキーズだが、筆者がポンキッキーズの歌で色濃く記憶しているのがこの曲である。ウクレレって陽気なイメージだけどこんな切ない歌にしっかり合うんだな、と当時小学生だった筆者は思ったものである。MVはポップだが、ポンキッキーズで使われていたアニメーションはクマのぬいぐるみか何かのもっとセンチメンタルなものだったように記憶している。

少し前、何かとても大切なことがあったのに、思い出せなくてもやもやする、ということがあり、寝る前に首をほぐしていたら何らかのスイッチが入ったのか、むかしお慕い申し上げていた人の誕生日だ、ということにようやく気付いたのだった。それくらいになって、ようやく恋というものは思い出のスクラップブックにそっと綴じ込めることが出来るのではないか、と思う。それくらいになればきっと、ありがとうも屈託なく言えるのではなかろうか。

 

スピッツ/正夢(2004年)


スピッツ / 正夢

いかん、日が変わってしまう。最後はスピッツの「正夢」である。この曲のリリース自体は十一月で、収録アルバムの「スーベニア」は一月の発売なのだが、筆者にとって「スーベニア」のイメージが晩冬~初春であり、「正夢」は小春日和の中外へ駆け出すイメージがある。同アルバムにはそのものずばり「春の歌」もあるのだが、今回はこちらで。(どことなく既視感のある文章)

高校進学を前に立ち寄った今はないCDショップで、「スーベニア」と「シフクノオト」買った当時の自分を褒めてやりたい。肩をバシバシ叩いてやりたい。当時の筆者は「スターゲイザー」を聴いて「スピッツってまだ活動してたんだ」くらいのテンションであった気がするが、スーベニアにはどっぷりハマってしまい、その後の高校生活はスピッツの昔のアルバムを探し求める日々になるくらいの影響であった。また、高校時代と言えば大名盤である「さざなみCD」が上梓され……ちょっとスピッツに関して語り始めてしまうと千夜一夜あっても足りないのでこの辺りにしておくが、イントロの正しく夢の中に分け入るようなキラキラとしたイントロ、よく考えたらサザエさんのOPと似たようなこと言っているのにすごくリリカルな歌詞、大切に思う人だからこそ話題の切り出し方がわからないもどかしさ、それら全てを「まともじゃない」と理解しているある種の達観ぶり、それでも現状を打破しようとする二番、「そういうことにして」とハズす茶目っ気、更に存在感を増すストリングスに乗せて昇華していく終盤……絶品である。春眠暁を覚えず、まどろむ夢はこのようなものでありたいものだ。

 

ということで拙いながらもどうにか時間内にご紹介することができた。よろしければ是非お聴きください。