カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

大河ドラマ「西郷どん」第十七回 「西郷入水」感想

余談

今週のお題ゴールデンウィーク2018」

前職では超繁忙期であったためゴールデンウイークは「仕事を振ってくるくるボスが出勤せず取引先から電話がかかってこないボーナスステージ」扱いであったため、休んだことなどなかった。なので、転職してカレンダー通りのゴールデンウィークをもらって「いつの間に僕は出ていたんだ? こんな明るいところに……」と思ったのを覚えている。といって転職してすぐの一昨年のゴールデンウィークは震災のあれやこれやで奔走していたが。

昨年のゴールデンウィークは何していたかというと、ひたすら「アー・ユー・ザ・ワン?」を見ていた。いわゆるリアリティ・ショーに分類されるもので、リゾートで男女が最高の相性の相手(番組が事前のデータをもとにあらかじめ決めている)を探す、というものなのだが、日本のドラマなら1クールでじっくり描かれそうなところを30分でやってしまうスピード感がたまらなかった。出会って30分で合体してんじゃないよ。論理的に考えればみんなで話し合い、組み合わせを吟味することで確実に正解できる(全員が運命の相手を決められた期限までに見つけられると、全員に多額の賞金が手に入る。週に一回、一組のカップルだけ正解かどうか答え合わせが出来る)のだが、人間そう簡単にはいかず、不正解の相手といつまでもずるずる一緒にいたり、そうなるのが怖くて答え合わせから逃げ回ったり、不正解だった相手の切り替えの早さに揉めたりと密度がすごい人間模様が展開され、筆者がアメリカ人ならプレッツェルを運ぶ手が止まらないに違いなかった。あらゆる意味で刺激的であるので読者諸賢もぜひ機会があったらご視聴願いたい。Huluで現在も配信されているはずである。

さて今年は、既に記事にしたが、前半は診療報酬・介護報酬同時改定と自治会の総会準備に追われつつ、ゴールデンカムイを一気読みした。後半は「刀剣乱舞宴奏会」に滑り込みで参加させていただいた。よろしければ以下をご参照ください。

kimotokanata.hatenablog.com

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博多どんたくVS全然知らなかった筆者たち

さて読者諸賢ならばご推察の通り、宴奏会の日は博多三大祭りの一つ、博多どんたくともろ被りなのであった。筆者は全然知らなかったのであった。とりあえず自分が休みの日に宴奏会とれた~よかった~(完)筆者たちの勇気が経済を回すと信じて……! 次回作にご期待ください! くらいの感じであった。宴奏会は十八時からであるが、午前中には宿泊先周辺道路は規制されてしまうのであった。

それだけではない、と妻は言う。

「物販の先行販売があるのでその意味でも早めに行きたい」

開場してからも販売があるようだが、と筆者が意見すると、妻は唇の片方だけを釣り上げて左右非対称にほほ笑んだ。

「あなたは審神者の愛をあまりにも見くびっているわ」

筆者も審神者の端くれではあるのだが、蛇の道はスネークということ、また今回の旅は妻の慰労もかねているのでなるたけ妻の希望通りにしようということで朝六時に出発することにした。睡眠中、起きれるか不安で二度ほど目が覚めた。妻はすやすやと寝ていた。

「それは右側じゃろ……」

広島弁で寝言を言っていた。どれだ。

翌日、妻はいつもの起床時間より著しく速いがばっちり目覚めた。

「楽しみであんまり眠れなかった~」

パラレルワールドから来たのか? 既視感を覚えたが気のせいであろう。

 

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ながい たびが はじまる……

途中、横転している車がありびっくりするものの、早めに出たこともありゴールデンウイーク特有の混雑もなく(鳥栖JCTくらいであった。下りはそれなりに混んでいた)スムーズに高速を降りた。車中は予習の意味も込め近侍曲集を流していた。

刀剣乱舞無双を出してほしい、という話が特に盛り上がった。コンパチが多くてもいいから出来るだけ多く出してほしい、組み合わせによって特殊ボイスを出してほしい、その刀剣男士のストーリーをクリアしたら内番衣装でプレイできるようになってほしい、サポートキャラもたくさん出してほしい。システムボイスも差し替え出来るようにしてほしい、無双乱舞の時に刀紋がバーンと出てほしい、敵は時間遡行軍だけでは単調になるので誤解して他刀剣男士と闘うなどシナリオを工夫してほしい、などかなり具体的な話になった。コーエーさん、どうでしょう。

 

街中に入るとまさに沿道がまさに出店の準備をしているところで、祭りの始まりの様子に胸が高まる。ともあれ我々は空腹であるので、駐車場に車を停め、まずは腹ごしらえをすることにした。早くついてしまったことがあだとなり、まだお店が空いていない。宿泊予定のホテルのフロントで情報を仕入れ、商店街に向かう。

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まさしくパレードに向かおうとする一団に出くわした。商店街が元気だと、なんかほっとする。

うどんを食べる。値段相応といった感じであった。やはり博多駅因幡うどんは相当レベルが高いのだな、と思い知る。

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食べ終わったころには町が少しずつ目覚め始めていた。我々は商店街内のゲームセンターへ突入した。刀剣乱舞のプライズが入荷している可能性があるからである。目論み通り、鶴丸国永のパペットがあり、五百円で入手することが出来た。が、その次の一期一振についてはビギナーズラックは通用せず、残念ながら二千円を溶かしてしまう結果になった。いや、それ以上に溶かす可能性があったのだが、妻が急にきびきびと動き出し、「宴奏会会場に向かおう」と言い出し打ち切りになったのである。

Twitterによると、既に物販先行の列形成が始まったという。物販開始は十四時からで、まだ時刻は十一時にもなっていない。本当か?こうどなじょうほうせんなのでは? とさすがに筆者は疑う。現に、公式アカウントはアナウンスをしていない。

「そうかもしれない」

妻は筆者を先導してまっすぐ前を向いたまま言った。

「けれど私は審神者のお姉さま方を信じる」

か、かっこいい……しかしゲームセンターを出ると目的地にどう向かえばいいかわからなくなってしまったようであるのでホテルで入手した地図を頼りに筆者が先導する形となった。

と、突然声をかけられた。身構える筆者。既にどこかへ姿をくらました妻。ほとんどニンジャ。怪訝に思っていると、「シリタカ!」さんという番組のインタビューをしたいということであった。県外人を探していたのだという。折角の機会であるので刀剣乱舞の宴奏会に行くこと、せっかくフィルムカメラを持ってきたのにあと一枚しか撮れないことをお話した。折角なのでその一枚で記念写真を撮っていただいた。たどたどしい喋りに親切にお付き合いいただいた。結局使い物になったのだろうか。(まさしく宴奏会真っ只中にシリタカ!は放送されたのだった)もし頭のでかい白い服の薩摩訛りの男が出ていたらそれは私です。

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ステージでも披露が始まっており、いよいよ「どんたく」が始まったのだなという感じがした。色々なところにステージがあり、町中がお祭り騒ぎで自然こちらもうきうきしてくる。

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果たしてアクロス福岡には既に多数の審神者が詰めかけていた。日陰であるのが幸いだが、鳥の被害を防ぐ為か耳障りな音が時折鳴っており、頭が痛くなってくる。「刀オケ」でTwitterを検索してみると、待機列からつぶやいている審神者諸賢が多くいることが伺い知れた。十二時になってようやく、十三時から販売を開始する旨が公式よりアナウンスされた。妻は「ゴールデンカムイ」を読んで時間をつぶしていた。十三時になり、いよいよ建物内に入ってみると、そこにもさらに多くの審神者が詰めかけていた。先ほど筆者が多い……! と思った待機列はその氷山の一角に過ぎなかったのである。皆、推しに会うためということか華やかな格好をされていた。ここはどんたく参加者の楽屋か何かにもなっているようで、我々を不思議そうに見る参加者の面々がたびたび横を通り過ぎていった。

筆者はリアルガチャめいたメタルチャームを五つ、ワッペンを二つ、チケットホルダーを一つ、巾着を一つ購入した。丁度一万円であった。メタルチャームをコンプリートするために再度並ぶ猛者もいるという。筆者は誰を引いても満足であるので一回にすることにした。妻はどうするか尋ねると、

「本当に推しを引き当てたい人に引いてほしいからいい。肉を食べよう。お腹が空いた。ヒンナしたい。ヒンナヒンナ」

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ということでそのあまりの学習速度に感嘆しながら、ひとまず来た道を戻ることにした。アクロス福岡は丁度パレードのゴール地点で、様々な参加者を見ることが出来、飽きなかった。ソラリアステージの「ハチハチ」さんで昼食をとった。希少部位が惜しげもなく並べられておりまたロースターの温度調整も素晴らしくとお~ってもヒンナ!

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その後はホテルに戻り、妻も宴奏会に向けてお色直しをして一休みのち出発した。

ちなみに物販は売り切れが多く出ていた。妻の行動は正しかったのである。審神者の愛は偉大だったのである。

宴奏会堪能後はもつ鍋&酢もつを求め居酒屋へ。牛もつは完売で、鳥もつ鍋となった。おいしかったが、牛もつとはやはりジャンルが異なる味で、目的は果たせず悔いの残る結果となった。

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スッと眠りに落ち、起きると丁度朝食開始直前の七時であった。ホテルと提携している「プルミエ」さんに向かう。途中一本筋を間違えそうになる。なかなかお洒落なオープンカフェ然としている場所で、味も「ホテルのバイキング」という端的な言葉で片付けるのは余りにも惜しいおいしさであった。

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チェックアウトして妻が化粧品を見繕っている間に、岩田屋地階にてお土産を購入する。一番の目当ては「鬼瓦もなか」だったのだが、入荷は昨日であったという。妻にお願いして、本店のある太宰府に向かうことにする。

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道中、福神さまにすれ違った。本当は大黒様もいらっしゃったのだが逆光でうまく撮影できなかった。

太宰府の前に、駐車場近くの博多まんだらけに立ち寄ることにした、というかここが十二時開店なのでそれまで周辺をぶらぶらして時間をつぶしていた側面もある。場所柄か、お客さんはかなり多国籍であった。同じ建物内にSPIテストセンターがあり、なかなかメッセージ性が強いな……と感じた。妻は長らく探していた同人誌に巡り合えたようであり、筆者も「ナツメマニア再々録」を入手でき心が大変平和になった。「マーダーケースブック」ファイルに二人して心惹かれたが、収録事件が袋に入れられた状態では分からなかったため断念した。

太宰府は過去妻は三度拝んで三度えらい目にあったいるので参拝したくないという。馬鹿だな……オレと一緒に参拝してそんなジンクス吹き飛ばしてやるよ……と言いたいところであったが腹が減っており「ほいほい」とあまり腹筋を使わない言葉で了承するにとどめた。

鬼瓦もなかの「天山」さんはスタンダードな鬼瓦もなかだけでなく、「わらびもち」や「葛アイスバー」、また「鬼瓦もなかあまおうDXいちご大福」という様々な魅力的商品を開発されており、空腹により思考能力が著しく低下している我々はそれらを全ていただくことにした。早速写真を……しまった!二人とも両手がふさがっているから写真が撮れない!(著しい思考能力の低下)ということでわらびもちは犠牲になったのだ……写真撮影の為に片手を空ける犠牲にな……

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鬼側もなかあまおうDXいちご大福のへへへ、こいつこんな厳めしい顔してこんなにかわいいいちごちゃんをのせてやがるぜ……感がたまりませんね。

糖分を摂取し脳が正常に働きだした我々は渋滞に巻き込まれないよう、早めに帰宅することにした。高速に乗ると妻の脳はいよいよ冴え始め、夕食も宮原SAで摂るつもりだったが絶対に混むと思うのでその手前の北熊本SAで摂ろう、と提案してくれた。ローストビーフ丼もあるし、と。

鹿児島県民的にはこちらを食べるべきではと思ったが肉の魅力に負けた。

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惜しげもなく並べられたローストビーフにわさびを混ぜたたれが相性よく絡み合いとても美味しい。ヒンナヒンナ。

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宮原SAは予想通り、満車で入場制限がかけられていた。帰りもさほど混まず、三時間半程度で帰り着くことが出来た。

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五千字近くなってしまったので、こどもの日のことはまた項を改めたいと思う。

本題

もうずーっと言っているけど役者さんの演技は本当に素晴らしいんですよ……でも脚本がつまらないというかそう話を振ったらこうするだろう? というのを外してくるんだよなあ……。山田さんは結局何を託されたんですかね?

以前より述べているがこの大河における久光がエポックメイキングになりそうなのは嬉しい。青木さんは今後もこのままでいってほしい。

幾島は涙の暇乞い……まあ戻ってくるんですけど……篤姫は再び孤独に。家茂との関係をどう気づいてけるのか。島編、島だけじゃ難しいから篤姫パートを差し込んでほしい。

正助からしたら信じて送り出した幼馴染が変ななまめかしい坊さん連れてきて面倒なことになるというどうすりゃいいんだという状態。久光にも怒られるし。「吉之助は正助ことを尊重しているようで実は全然いうことを聞いてくれない」というのはもうパターンなのだがそれが何に結実するかを知っているだけに悲しい。

平野國臣に至っては出ないのかよ!

「わが胸の燃ゆる思ひに比ぶれば 煙は薄し桜島山」

の大名歌を読んでかつ本来はこの人が月照を薩摩まで連れてきたんだけどなあ……というかこの人が助けるんだけどなあ入水した西郷を(あっ西郷は助かるんです。いっけねネタバレしちゃった)。

西郷という人物を語るにおいて文字通り一度死んだこの入水事件は非常に大きな出来事なのだが、その前に既に吉之助が悟った感じなのが気になった。そのくせ来週は非常に取り乱しているっぽいし。

まあ来週から新番組「菊池源吾」が始まるらしいので楽しみにしたいと思います。

 

いつの間にかkindleで買った本が1555冊になっていた話、あるいはコレクションタグをつけた電子書籍積読本265冊の魂の比重

余談

ブログを開設して五か月ほどが経った。ちょっとしたカップルであればなんとはなしに別れたりするくらいの時間が経ったが、有り難いことに継続できている。基本的には一日100PVほどで、いつの間にか累計で10000PVを超えていた。わーい。

相変わらず天才柳沢教授について書けていなくて、これはなんとかしなくてはいかんと思うのだが、しかし自分の気持ちに従って書くというのが趣味のいいところであるのでもう少し機運が高まるのを待ちたい。

相変わらずと言えば検索流入からはほとんどへうげもの、次いで封神演義、西郷どん、といった感じで、「へうげもの 最終回」で検索いただくとついにGoogleで一番最初に出てくるようになったみたいである。やったー。

やったーといえばページに大体3~5分くらいとどまっていただいているようで、即ち記事をちゃんと読んでいただけるということもとても嬉しい。

あんまり宣伝というか、営業というか、そういったことはしたくはないのだけれど、単純に見てくださる分母が増えれば、なにかしら刺さる方が出る可能性も上がると思うので、そういうところを考えた方がいいのかな、と思いつつ、多分あんまりしない(できない)。タイトルをちょっと考えたりするかもしれない。今回のタイトルも最初はあるいは以後のみであったのを付け足したりなどした。前回の記事を読んだ妻にも、「タイトルにまんばちゃん(山姥切国広のこと)を持って来ればお姉さま方がもっと見てくれたかもよ」と指摘してもらったりもした。SEO対策!

ともあれ今後ともよろしくお願いします。

本題

我いかにしてkindleを愛用するに至るか


2012/12/13より筆者はkindleの使用を開始した。kindlefire初代の購入と同時であった。当時筆者は広島から就職に伴い実家へ出戻っており、その際にいくらかの本を友人知人に譲る、あるいは古書店に引き取ってもらうなどして処分していた。愛着のある本との別れはつらい。また読書の醍醐味としてそれぞれ独立した本の一節が自分の脳のシナプスを通じて関連し、増幅するというものがあるが、本を手放してしまうとそのリンクが途切れてしまうという悲しさがある。(書棚にあっても探し出せなかったりすることも多々あるが)しかし実家も実家で本の収納限界に限界が迫っており、具体的に言うと筆者の部屋のドアの立て付けがビックリするくらい悪くなっていた。本の重量で傾いてしまったのである。加えて、弟二人がそれぞれ一人暮らしをするようになったため、今まではそれぞれの趣味の本を買ってシェアしていたが、それが物理的に難しくなった。これらの要素と、Amazonが安価なタブレットを出すというタイミングが重なり、電子書籍をメインに移行することにした。社会人になりクレジットカードを持ち、Amazonのワンクリック決済の悪魔的便利さに魅了されていた筆者は電子決済に対して抵抗が和らいでおり、それも背中を押したかもしれない。

導入してみると電子書籍は思った以上に便利であった。便利になり続けているといっていい。

やはり一番は重量がないこと。以前は今のように連休の時は枕元に続き物の漫画をドンと積んで読みふけり、その後えっちら後片付けをしていたものだが、その必要はなくなった。現在は巻の終り頃になると「次の巻をDL/購入しますか?」という気遣いまでしてくれる。どころか、関連書籍まで案内してくれる。恐ろしい。

次にクラウドであること。つまりは目の前に無限の書庫が広がっている訳であって、前述したようなあー前にこれあの本であーいうあれがあー、となったときにそのまま探して読むことが出来る。続き物の漫画でやりがちな「あ、一巻前だ」となったときの再び本棚まで戻るむなしさも感じなくてよいし、布団の中でふと別の本が読みたくなった時もいちいち本棚まで向かわなくてよい。特に冬はとても有り難い。また、旅先など以前はまずどの本を持っていくかが最大の懸案事項であったが、それも解消された。

またセールも有り難い。掘り出し物を探す楽しさもある。特にKADOKAWAは心配になるくらいの割引率を叩きだしてくれたりする。新古書店と違い、安くとも出版社、作者さんに還元されるところもいい。

他にも、kindleの場合文章にマーカーを引いてハイライトしたり、注釈を書けたり、自分がどの本のどこにハイライトを引いたか確認できたり、また他人が引いたところを確認できたりするのも電子書籍の面白さであると思う。

無論、最近もあったようにあくまでデータでありAmazonの方針でどうにもなってしまう点、電子書籍化されていない本も多いことなどデメリットもある。

筆者にとって最大のデメリットは積読の不可視化である。

電子の海にたたずむ1555冊の本、そして積読

恥ずかしながら紙書籍の頃から積読をすることはあった。が、紙書籍は物理的に厳然とそびえたっているため、筆者のような小心者はその圧に耐えられず、地道に崩していった。それでもなかなか崩れるスピードは緩やかであったが、段ボール二箱を超えたことはなかったはずである。

前述したように電子書籍を導入して五年半ほどが過ぎ、総数は1555冊になった。こんなにもと思うしこんなものかとも思う。漫画の続き物が多いので(例えば風雲児たちへうげもの蒼天航路だけで100冊を超えるわけである。他にもジョジョ7部、るろうに剣心、達人伝などそこそこの巻数のものがちょこちょこある)体感としてはもっと少ない。紙書籍であればこれほど持つことは出来なかったと思うので、この辺り本当に電子書籍様様である。紙書籍であれば購入を諦め、貯金が出来たのではないかと思う節もあるが、その場合は多分すでにある書籍を処分して置き場所を作ってどっちにしろ買っていたと思う。

が、1555冊すべてに目を通したかというと、恥ずかしながらそうではない。やはり積読本があるのである。電子書籍積読の恐ろしさは、沈黙の積読である点である。kindle、「この本まだ読んでないんですか」のアラームを早く実装してくれ、頼む。

ところで積読とはどうして発生するのであろうか。前提として読む時間はないのが一番なのだが、なれば他の本も読めない訳で、「読む本」と「積読される本」にはやはり曖昧であれ画された一線があるわけである。

積読される本」を本日筆者が恐々としながらカウントした結果、265冊に上った。全体の17%である。これらの本がどうして積読されたのか、考えてみたい。

・セールで安易にホイホイ買って積読

該当する筆者の積読本:ほぼすべて

最も大きな理由はこれである。電子書籍の値引き率は時としてすさまじいものがあり、半額どころか70%off、100円均一、はたまた期間限定無料まであったりする。これによって多少でも琴線に触れる要素があると、「いつか読むかもしれないから買っておこう、安いし」と免罪符となってしまって積読沼へ一冊、また一冊と本が沈み込んでいくのである。時々、おっこれいいじゃんとクリックした本に木本仮名太さんは○○年○○月○○日にこの本を購入しています」とヘルプが出て真顔になる。ということで以下の理由は大体、「セールで安かったので安易に買いはしたけれども」を枕詞としていると考えてもらって差し支えない。

・買った時点で一度完結してしまって積読

該当する筆者の積読本:「日本一やさしくて使える会計の本」「すぐわかるExceデータ集計&分析」など

世に言う「参考書を買った時点で勉強した気になって満足してしまう現象」に似ており、筆者の場合は所謂ビジネス本に多い。「こういった本を買うデキる俺」感に酔っていなかったかというと嘘になるかもしれない。日本一やさしくて使える会計の本を使う前に税理士事務所は退所したし、すぐわかるようになる前にExcelのバージョンは変わってしまった。何とももったいない。

作者買いして積読

該当する筆者の積読本:「昼のセント酒」「キャプテン・サンダーボルト」「バカ男子」など

前述したようにkindleは読後に関連書籍を勧めてくれる。この作者さんは信頼しているので抑えておこう、と購入するが、優先順位の高い他の本を優先してしまってそのままになってしまうケースや、漫画家さんのエッセイが漫画メインかと思ったら思いのほか文章が多くて読書のギアを変えるのに失敗してしまっていったん中断してそのままになってしまったりすることがままある。

・表紙買いして積読

該当する筆者の積読本:「北海道室蘭市本町一丁目四十六番地」「缶詰博士が選ぶレジェンド缶詰」「地図入門」など

これも購入時が瞬間最大風速になってしまうケースで、この表紙を自分のクラウドに持っておきたい、という気持ちが先走り自分の読書状態を考慮していないため後回しになってしまうケースが多い。

・ジャンル買いして積読

該当する筆者の積読本:「地図で読む幕末・維新」「司馬遼太郎が描かなかった幕末」「図解日本史」など

自分の好きなジャンルであるからとりあえず抑えておこう、後から思い出せないともやもやするし、と先回りして購入した結果なかなか「その時」が来ないケース。まれに本当に訪れて当時の筆者、よくやったぞ、ということもあるにはある。

・ミーハーで積読

該当する筆者の積読本:「天地明察」「とんび」「64」など

ドラマ化などで話題の作品を抑えておこうと思って購入するも読みなれない作者さんであったりしてちょっとかじってそのままになってしまうケース。このケースで購入してみたが読むと面白くその後も購読を続けているのが「半沢直樹」シリーズである。

・ボリュームがすごくて積読

該当する筆者の積読本:「合本 世に棲む日日」「合本 三国志」「金田一耕助ファイル 全22冊合本」など

もともとが文庫本で4~22冊あり、そのボリュームのため途中で別の本を読み始め、そのままになってしまったケース。

・タイトル買いして積読

該当する筆者の積読本:「へんな死にぎわ」「焼肉のことばかり考えてる人が考えてること」「私はなぜにしてカンヅメに大失敗したか」など

そのままずばりタイトルにぐっときて購入しそのままになってしまったケース。普段の読書傾向と異なるので読む気持ちを作る前に読みやすい本を読んでしまい積読に。

大体こんな感じであろうか。一応述べておくが、一切は積読してしまった筆者の責任であり、各積読本に関しては誠に申し訳ない気持ちでいっぱいである。

積読を可視化し、片付けよう

ということで積読を消化しようと考えるに至った。いや常日頃考えてはいるのだがいよいよ実行することにしたのである。まずは散々述べた通り電子書籍積読本はぱっと把握できないものであるから、それを可視化することを考えた。

幸い、kindleにはコレクションという機能があり、これによって本を分類することが出来る。(フォルダ分けやタグ付けようなものと考えていただければよい。一つの本に複数設定が出来る。)AmazonのPCサイトより、「コンテンツと端末の管理」から積読本を選択、コレクション「つんどく」に積読本の一切を指定した。合わせてコレクション「既読」も作成し、読み終えた積読本はこちらに移すことにした。

今後は定期的に進捗状況をブログでも報告することにし、レコーディングダイエット的な効果を期待したいところである。減っている様子がなかったらお叱りください。

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追記

積読本は265冊と書いたがスマンありゃ嘘だった、文春がこのタイミングで50%還元セールなんてするもんだから……

追加された積読本:「帳簿の世界史」「昭和史の10大事件」「よちよち文藝部」「昭和芸人 七人の最期」「歴史を歩く、文学をゆく」

がんばります。

 

 

帰ろう、帰ればまた近侍に会えるから あるいは5/3刀剣乱舞宴奏会(刀オケ)福岡の感想

本格的なオーケストラアレンジを加えた「刀剣乱舞-ONLINE-」の楽曲を「和楽器」と「オーケストラ」で演奏

大迫力の生演奏の音が響き渡り四季を織りなす光に包まれる空間で
あなたの本丸が今、ここに
いざ、『刀剣乱舞』宴奏会へ

刀剣乱舞 宴奏会 公式HPより

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S席見切れ席をどうにか入手出来、駆け込みで参加することになった。見切れ席というから覚悟していったのだが、全く影響なく鑑賞することが出来た。

静寂の中、尺八の音が響き、そして指揮者がダイナミックな動きを見せメドレーが始まった。各初期刀が語る。そうだ、選んだのだ彼らの中からただ一振りを。共に歩む者を。

和洋の楽器はそれぞれの個性を消さずしかし見事にハーモニーを奏でていた。個人的には三味線と二十五弦筝のロジカルを通り越してむしろリリカルですらある奏法と音色、コーラスの方々の笑顔と深みのある声が特に印象深い。ああ、声って、音って、空気の振動なんだよな、圧なんだよな、としみじみ五感で感じた。こればかりは生演奏の特権であろう。
鍛刀のBGMが流れ、短刀が顕現したときに何故か瞳が潤んでいる自分に気が付いた。やばい、なんだこれは。戸惑いながら隣の妻に目をちらりとやると、妻はじっと目尻にハンケチを押し当てていた。反対側のお隣さんが肩を震わせているのが視線の端にとまった。

あ、大丈夫なんだ。この反応でいいんだ。安心しながらも、しかし筆者は音を立てないようにしばし涙の表面張力の限界に挑まねばならなかった。

スクリーンが戦闘画面に移行し、初期刀を部隊長に先程顕現した面々が懸命に敵と戦うところで涙腺は決壊してしまった。

先に引用させていただいた通り、この会のコンセプトは「あなたの本丸が、今ここに」であった。いやいや、それは無理だろ、と筆者は初見一笑に付した。刀剣乱舞の魅力のひとつは審神者の数だけの多様な本丸があることである。初期刀を選ぶ段階で既に五通りに別れるのだ。そうであるのに「あなたの」即ち審神者それぞれが納得しうるような本丸を表現することなど出来るはずがないーーと。

そうではなかった。会場の雰囲気が僅かながら湿り気を帯びているのを筆者は感じた。心の汗のせいであろう。それが答えだ。

福岡シンフォニーホールを埋める審神者諸賢はこの会に確かにそれぞれ自身の本丸を見出だしている。

何故か。まずは初期刀メドレーにてそれぞれの顕現台詞を流したことが大きいだろう。今回の部隊長は山姥切だが、各審神者はここで各々の初期刀を強く想起したはずである。

その後、会は審神者全員に流れる通奏低音に着目した。

初めての鍛刀。装備作成、部隊の結成、出陣……まだぎこちないいびつな部隊が序盤ステージを満身創痍になりながら進軍していく姿……。

それはかつてどの本丸でも見られた光景。それが数多聞いたBGMがより厚みを増した楽曲と同時に届けられる。

刀剣乱舞は繰り返しの必要な根気のいるゲームである。会に参加するほど気合いの入った審神者諸賢はそれこそ耳にタコが出来るほど聞いた楽曲、審神者DNAに刻み込まれていると言ってもいいほどだ。だからこそ強烈にそれぞれの本丸のあの頃を思い起こさせる。あの頃の必死さに、気づけば重ねた研鑽に感無量となる。あるいは黎明期はあれほど頼った刀剣男士を待機させ続けていることへの罪悪感が心の汗をかかせたこともあるかもしれない。いずれにせよ、初期刀メドレーからの本丸→鍛刀→作成→結成→出陣という流れによって各審神者諸賢に各々の花丸を幻視せしめた構成の妙と演出の説得力には頭が下がった。

引き続き夏のアレンジが施された本丸の曲が奏でられる。アレンジでここまで違う顔を魅せてくれるのかと驚かされる。

続いてへし切長谷部が顕現し、近侍曲が始まった。一月に鑑賞して以来愛着が強まり、現在妻の主な近侍であるので家でよく近侍曲を聞く機会もあるので自然のめり込んでしまう。

へし切長谷部だけでなく、近侍曲演奏時は顕現時、戦闘開始時のイラストがスクリーンに映される。刀剣乱舞の公式イラストは多くはない。そのイラストを寄り代として各々の審神者が想像し、創造して各々の花丸を唯一無二のものにしていったことに思い至りまたしても筆者は目頭を熱くするが三味線とストリングスの和洋のせめぎあいつつも調和する見事さ、熱気にいつしか蒸発していた。

その後一度の挫折を経て、内番の曲でクラップによる会場の一体感を噛み締めたところで、恐ろしいほど短い体感時間で第一部が終了した。

第二部に至ってはもはや完全に演奏に身を委ね、圧倒された。まさしく真打登場といった彼の顕現、その存在感にはやはり嘆息が漏れた。

演奏終了後、拍手はいつまでも鳴り止まなかった。筆者もいつまでも拍手をし続けたいと思った。拍手をしすぎて二の腕が痛くなるという経験を初めて味わった。

最後に山姥切からの言葉があった。多くの審神者が一分一秒一刹那も早く己が本丸に戻りたいと思わせる言葉であった。

妻は一番くじで得た刀剣乱舞コスメでメイクアッブするつもりが家に忘れて大変落ち込んでいたが、どうせ涙ですべて流れてしまったろうからかえってよかったかもしれない、と述べた。

九州交響楽団様による演奏は勿論のこと、審神者諸賢の鑑賞姿勢も大変素晴らしく、会場全体が一体となった素晴らしい時間を過ごすことが出来た。

再び味わいたいし、他会場の様子も拝見したい。一刻も早い円盤化を望む。近侍曲集の第二段や、宴奏会の第二段も。

しかしひとまず筆者は久方ぶりに本丸に戻り、池田屋を今度こそ突破するためひとつまたひとつ積み重ねていかなくてはなるまい。頼れる近侍と共に。

「とうとう来た」よりもお前は一生逃走劇だ、あるいはゴールデンカムイ一気読み

※今回のリンク先は自己責任でクリックをお願いいたします。ご気分を害される恐れがあります。特にお食事前後はおすすめいたしません。

余談

月曜日というやつは四天王の最初の敵みたいなところがあって、週の序盤から我々を苦しめるくせに、いざ祝日になって味方となるとあっという間に弱体化していつの間にやらもう二十一時である。近頃すっかり体力がなくなってしまって昼食後シェスタをしてしまい、目覚めると個人的にはもしかしてもう死んでしまっているのではと思っていた平尾龍磨容疑者が広島市南区で確保されたというニュースが速報で飛び込んできた。二十三日の逃亡生活だったということで、見た目も随分と削ぎ落とされていたが、それ以上に精神をすり減らしたのだろうなと思う。もう少しでGWの人ごみに紛れてさらに遠方へと逃げられてもおかしくなかったわけで、無事捕まってよかった。

彼が二十三日かけて辿り着いた広島市南区から元の刑務所まで、戻るのはわずか数時間に過ぎなかった。世の無常を感じる。そこまでして抜け出したかった「刑務所内の人間関係」とは一体どんなものなのだろう。筆者にはちょっと想像がつかない。

脱走と言えば筆者が広島にいた時分にも広島刑務所から脱走があった。殺人未遂で収監されていた人物であり、筆者は大いに怖じ気づきその日返却予定だったDVDを延滞してでもひきこもるかどうか大いに悩み、結局びくびくしながら夜道を歩き、僅かな物音にも過敏に反応し、恐らくは脱走犯以上に不審者に成り果てていた。途中、貼り紙を見たときは叫びそうになった。

その脱走犯は翌日だか翌翌日に確保されたが、その現場が当時の下宿先から自転車で五分ほどであったことは今でも筆者を思い出し戦慄させる。

もともと懲役二十年以上だったはずだから、今も塀の中にいるはずである。冬に脱走したためか、かえって刑務所のありがたみを知ったというような話も聞く。どうにか心を入れ替えていてほしいものである。

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本題

ちんちんぬきなっもしたなあ

集英社刊・野田サトル先生著ゴールデンカムイ10巻より

 

余談が、めずらしく本題の前置きとして機能しそうである。そういう訳で引用した台詞のような感じとなってきたところでゴールデンカムイの話を始めたいと思う。えっ急に幼児めいた破廉恥さを出されても困るって? さにあらず、ひいてはゴールデンカムイをごろうじろ、と言ったところであるが、さておきゴールデンカムイの話を始めたいと思う(二回目)

 

明治末期、北海道。それは古き良き時代では決してなく、未だ近代になり切らぬ中世の断末魔が響き渡る土地――あるいは人が最も近くまで自然に畏敬の念を抱き、受け入れ、共生しようとしていた場所。地獄の釜の蓋が開きそうな、はたまた地上の最後の楽園でありそうなここを舞台に日露戦争帰りの兵隊、杉元佐一を主人公として物語は幕を開ける。

話の筋は判りやすい。ある男が宝の地図を24人の囚人に刺青として分割して彫った。それを(刺青人皮と呼ばれる)――刺青を彫られた囚人の生死を問わず――集めたものがお宝、すなわちアイヌの金塊を手に出来るということで、それを巡って冒険活劇が繰り広げられる……というものである。

ワンピースで例えると生ポーネグリフを集めるみたいな感じだろうか。

ドラゴンボールで言うとドラゴンボール自体が遺志と悪意を持って動き回っているようなものか。

多重人格探偵サイコのバーコード人間を集めたら特典が付いてくるみたいな。

無理矢理ほかの作品に例えようとしたところでろくなことはない。さて上記の大筋だけ見ればちょっとスパイスの効いた単純明快な痛快活劇のように思えるが、実際はとんでもないことになっているのである。

何故か。キャラクターが濃すぎるのである。煮詰まっているのである。

特に刺青を持つ囚人たちのキャラクターは筆者の心をとらえて離さない。

余談・再び

美しい話である。

筆者はかつて妻(まだ彼女だった)の部屋にお邪魔したことを思い出す。彼女の本棚には「FBI心理分析官」が何気なく置かれており、「あ、私はこの人と結婚するんだ」と感じたものである。

 

FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記 (ハヤカワ文庫NF)

FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記 (ハヤカワ文庫NF)

 

本題再び

 そんな訳で登場する囚人たちはサイコキラーをモデルにしている人間が多く、筆者のような人間にとっては元ネタに思い当たってなるほど、と思いつつ、サイコキラーの存在感の恐ろしさに改めて慄然とする。ベクトルは全然違うが、「モデルのキャラが濃すぎて創作世界でもなんか盛った風に見える」という意味では実在棋士を多くモデルにしている3月のライオンスピンオフ・灼熱の時代のキャラクターたちに通じるものがある。いいよね……田中名人。

例えば劇中では既に死亡している「三十三人殺しの津山」は明らかに「津山三十人殺し」の都井睦雄がモデルであろうし、辺見和雄はヘンリー・リー・ルーカス、家永カノはH・H・ホームズだろう。姉畑支遁は無論シートンに違いあるまい……シートン先生への風評被害がとんでもない。刺青の入った囚人はあと九名ほどいるはずなので、アルバート・フィッシュテッド・バンディジョン・ウェイン・ゲイシー辺りをモデルとした人物が出てくるのではないか、とにらんでいる。他にもモデルに採用された人物はクヒオ大佐や絶対に食事中に見てはいけない、食事中じゃなくても出来れば知らずに済ませたいエド・ゲインなどそれぞれがとんでもないエピソードを持った人々であるから、ゴールデンカムイも必然混沌とした闇鍋テイストを醸し出す。しかしそのコクは無類である。

闇鍋、という単語が出て来たがゴールデンカムイを他の漫画から出藍せしめている要素の一つがアイヌの文化の丁寧な描写、特にその食文化についてである。生き物への感謝と食べたさが同時に湧き上がってくる。筆者個人としてはルイベがとても食べてみたい。将太の寿司で初めて見て以来ずっと食べたい。

ゴールデンカムイは血沸き肉躍る物語であるがしかし、話の底には恐ろしいほどの冷たさが流れている。それは舞台のせいではなく、主要登場人物のほとんどがお膳立てされた死に場所で死にきれなかった人物だからであろう。いわば彼らは半死人であり、「きっちり死に切る」ために金塊を求めているといってもいい。彼らが「死に切る」のか「生き返る」のか、今後も興味が尽きない。一気に十三巻読んでしまったので、次の単行本が恐ろしく待ち遠しい。

筆者のWikipediaにリンクを張る時点で疲れてしまってイマイチ精彩を欠くレビューで読者諸賢が読みたくなってきたかどうかはわからないが、幸いにして5/10まで引き続きkindleでまとめ買いセール中であるから、(クーポン取得の必要があるのでご注意されたし)是非ご一読いただきたい。胸焼けするほど濃い読書体験があなたを襲うはずである。

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大河ドラマ「西郷どん」第十六回 「斉彬の遺言」

余談

診療報酬改定があった。

診療報酬というのは要するに診療行為に対する国から医療機関への報酬であって、いわゆる「保険がきくので三割負担」というのは、この報酬の三割を患者が、七割を国が負担しますよという意味である。その改定が、二年おきに行われる。

また同様に介護報酬改定もあった。こちらは三年おきで、すなわち、その最小公倍数である六年ごとに同時改定がなされる訳である。

どちらも四月一日から施行され、医療機関はその対応に追われる。恐ろしいのは、「ま、詳しいことは今後ちょくちょく補足すっから」というのが厚生労働省のスタンスであり、その「ちょくちょく補足」が実務に一切追いついていないという点である(医療機関から国への請求状況を見て実務に即した調整をするため、というのもあるのだろうが)。親方日の丸から確固たる答えがなくとも、改定された診療報酬はいつも通り月締めで月末で区切られ、翌月十日までに請求しなくてはならない。GWだろうがなんだろうがである。結果として、この時期の医療事務担当者はやたらと疲弊する。やさしくしてあげよう。してください。(懇願)

さて今回、訪問歯科では「単一建物居住者」という概念が爆誕した。以前は「同一建物居住者」という考え方であった。……同じじゃね? と思う読者諸賢、あなたの気持ちは正しい。しかしこの二つが全く違う考え方となるのが霞が関マジックである。

前述したように国の保険診療には大きく「診療報酬(医療保険)」と「介護報酬(介護保険)」のカテゴリがある。歯科診療所においては医療保険においてすべての対応がなされるが、(無論保険外はのぞく)訪問歯科診療では歯科が患者さんの方へ訪問するという=患者さんは通院困難である必要があるという必要上、要介護状態である=介護認定を受けていることが多い。こうなると、医療保険介護保険どちらともで報酬を算定する必要がある。(国の決まりである。なのに、二重請求ではないか? と患者さんのご家族から疑念を持たれてしまうこともある)

訪問歯科診療において算定される報酬として基本となるのは、

診療報酬として

歯科訪問診療料1(1,036点)

歯科訪問診療料2(338点)

歯科訪問診療料3(175点)

(同一建物居住者の人数によりどの点数を算定するか異なる)

訪問歯科衛生指導料1 (360点)
訪問歯科衛生指導料2 (328点)
訪問歯科衛生指導料3 ( 300点)

(単一建物居住者の人数によりどの点数を算定するか異なる)

があり、

介護報酬として

歯科医師の行う居宅療養管理指導1(507単位)

歯科医師の行う居宅療養管理指導2(483単位)

歯科医師の行う居宅療養管理指導3(442単位)

及び

歯科衛生士の行う居宅療養管理指導1(355単位)

歯科衛生士の行う居宅療養管理指導2(323単位)

歯科衛生士の行う居宅療養管理指導3(295単位)

(単一建物居住者の人数によりどの点数を算定するか異なる。訪問歯科衛生指導料と同時に算定は出来ない)

が挙げられる。(ものすごーく簡略化して話をしています)

さて戻って、保険診療の世界では

「同一建物居住者」=その日に診療した患者さんがその建物内に何人いるか

「単一建物居住者」=その月に診療した患者さんがその建物内に何人いるか

という定義がなされた。今までは上記の点数はすべて「同一建物居住者」によって判断されていたのだが、今回の改定で「歯科訪問診療料」以外は「単一建物居住者」に改められた。上記各報酬の1~3はそれぞれの定義に当てはまる患者さんが「1名の時、2~9名の時、10名以上の時」で分けられている。

例えば、ある老人ホームにA~Jの10名の訪問診療の患者さんがいたとする。全員要介護状態であった場合、

4/1  ABC

4/8     DEF

4/15   GHI

4/30   J

という風に診察を行ったとすると、今まではA~Hは上記「2」が、Jは上記「1」が算定されていた。「その日に何人診たか」で判断するからだ。しかし今回から、全員が介護報酬は「3」で算定されてしまう。かつ、診療報酬は今まで通りであるというややこしさ。

この「単一建物居住者」という概念が本当にアホだと思うのは、カルテは適時適正な記載が推奨されているにもかかわらず、「月に何人診たか」という考え方をする限り、その月の最終日まで算定内容が確定しないところである。

上記のように、4/29までは「2」で算定していたものが最終日に突如「3」に降り替わるのである。10人分のカルテをすべて入力しなおしである。悪夢か。訪問歯科診療はその性格上、終末期に寄り添うことも多く、患者さんの入れ替わりも頻繁である。このようなことは往々にして起こりうる。

最終日までどちらの点数になるか確定しない、ということは患者さんに請求も出来ない、ということである。訪問歯科診療の患者さんは月締め請求を取っていることも多いが、途中に亡くなられた場合、その時点での支払いを希望されるご家族の方も多い。悲しみに暮れるご家族に、「いや、ちょっとまだ患者さんが増えるかもしれないんで金額がわからないんですよ~」と言えというのか。

ちなみに計算は筆者の説明ではこれまで以上に難解になってしまうので省くが、「2」をキープできた場合と「3」算定に切り替わった場合では、報酬額で月当たり17,460円の差額が生じる。これは馬鹿にできない数字である。

施設に入居されている患者さんはご家族が遠方にいるケースも多い。治療金額の見積もりを希望される方も少なくなく、しかしやはり見積もりも精確を欠いてしまうというのも何とももどかしい。

また、今回の同時改定では歯科衛生士の居宅療養管理指導に定められた「20分一対一で対面しての指導」という要件が緩和されるのではないか(医療保険の訪問歯科衛生指導料には20分未満の点数があった)という期待がなされていたが、ふたを開けてみると介護に合わせて医療の方も20分が必須となってしまった。20分口を開け続けるというのは特にご高齢の方にとっては結構な苦行である。(勿論口腔内だけでなく様々な指導も含めての20分なのだが)ろくに診もしないで点数を算定することがないように、というのはわかるのだが、熟練した歯科衛生士が10分で行うと点数が算定できず、駆け出しの歯科衛生士がもたもたと30分時間をかけると点数が高い……というのはいかがなものか、と思う。

保険診療、特に介護保険は矛盾に満ちている、と思う。介護保険はケアプランといういわば予算計画書に沿って進められるが、その予算は介護度によって決定される。原則としてその予算内でやりくりをしなくてはならない。(訪問歯科診療はその枠外であるので予算を気にしなくてよいという利点がある)介護度が高い方が無論予算は多い。

忘れられないことがある。ある患者さんは要介護3であり、訪問歯科診療をはじめ数々の介護サービスを経て、状態は改善した。介護度が下がったのである。しかしその結果、今までは組み入れられていたサービスが予算をはみ出てしまうことになった。デイサービスの週当たりの回数は減り、ヘルパーさんの介入も減った。交流が減った患者さんはみるみる状態が悪くなった。これはよくないと保険外のサービスも利用することになった。文字通り保険がきかないのでまるまる費用を患者さん、そのご家族が負担することとなる。少しでも負担を減らしたいと、訪問歯科診療のサービスも打ち切られることになった。口は体の門である。全身状態に呼応するように悪化の兆しが見えていたが、我々にはどうすることも出来なかった。胃に棚を吊ったような気分で半年ほど過ごしたある日、筆者は通勤路の電柱に患者さんのお名前の葬儀案内が出ているのを目にした。あの時の気持ちをきっと筆舌に尽くしがたい、というのだろう。

医療費・介護費が国の歳出の大きな負担になっているのはわかる。けれども、もう少しうまいやり方があるんじゃないか、と思う。日本の頭脳が考えているにしてはあまりにも机上の空論でお粗末ではないか。

次回の同時改定ではいよいよ2025年が目前に迫っている。それまで筆者が生きているか、そこまでではなくとも医療介護関係に従事しているのか、それはわからないが、少しでも良い方向に改定されればと思う。

そんなもやもやした気持ちは診療報酬改定研修会後に駆け込んだ三平ラーメンに大盛というかたちでぶつけられた。鹿児島の味噌ラーメンは貴重である。濃厚だが、しつこくない。厚いチャーシューが嬉しい。

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本題

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余談が、やたらと専門的になった。しかし今回はまーひどい。この大河、政治劇を基本怒鳴りあいだったりナレーションで進めて来たので話がこういう展開になるともう全然役者さんの熱演で押し切るしかないのだというのをまざまざと見せつけられた感じ。あと、相変わらずその回に一気にフラグを詰め込むのでたいへん唐突な感じがしてしまう。橋本左内の決意なんてたいそう立派なんだからもうちょっと前のうちに言っておいた方がよかったのでは。左内がこの大河でしたことって店で客を看病して無駄に目立って、勘違いで機密をべらべらしゃべって、慶喜尊い本を出したくらいじゃないのか。というか斉昭と一緒に春嶽(あのおなかが鳴った人だよ。左内の主君なんだ)も処罰を受けているのだが、そのあたりに全く触れないのも違和感。

月照、艶。こんなに雅な山伏がいるか。原作では吉之助とかなり踏み込んだ感じだそうで、一部層にはその辺りの期待が高まっているようである。吉之助の脂肪に言及したのは自分と彼の死亡を分ける伏線であろうが、他のあれやこれやもそれくらい自然にやってくれたらなあ。

吉之助はいよいよスタンドを発現させるという伝説の大河「コメディお江でござる」の主人公に匹敵する特技を受け入れたが、しかしこの作品の斉彬にお前は何を学んだのだといわれてもお前は何を教えてくれたんだよと言った感じである。生きようと頑張っているけど、次回入水します。デュエルスタンバイ!

 

っていうかマジで出ないのかな吉田松陰……。あ、西郷どんチップスは普通においしかったです。

「パンドラの匣」は「匣」の字面のインパクトが7割

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今週のお題「カバンの中身」

通勤カバンの中身。以下、順不同。

お菓子(護身用/休憩時間に家に帰れなかった時のための糖分補給用)

お菓子(スタッフさんからのお土産など貰い物)

充電器(車のシガーソケットで最近充電しているのでほとんど使わない)

割りばし(意外とつまようじがなんかの時に役に立ったりする)

目薬(花粉症なので。今年は特に目に来る気がする)

歯ブラシ(会社でご飯を食べた時用だが買い替えてからは未開封)

ハンカチ(カバンの中で充電器をやさしく包み込んでしまいぐしゃぐしゃに)

手帳(プレバンの三日月宗近モデルのやつ)

給与明細(2か月分)

印鑑ケース(三文判だけど銀行印。ケースの朱肉ももうかっすかすなので変えたい)

大事なものケース(パスポート、マイナンバー通知カード、通帳、実印など)

ペン(業務上3色がマスト。本当はジェットストリームが大好きなのだが近場にない)

ペン(黒のみ。貰い物。書き味がいいのでここぞというときに使う)

地元コミュニティFMのステッカー(貰い物。もったいなくてなかなか貼れずにいる)

あとはここには出さなかったが名刺が何枚か(名刺入れを入れた上着を預けているときに名刺交換をする、という失態が何回かあったため)、よくわからない錠剤(多分去年の花粉症の薬で途中で薬疹が出たから飲むのをやめてしまったやつ)

と言った塩梅で特に希望とかは残っていなかった。本日は珍しく平日お休みであったので、並べながら、ああ、明日はまた仕事だな、という落胆を再確認し、出したものを再び失望と一緒にしまい込むという作業はあったが。

しかしタイトルを書いてから一応検索してみたが、「パンドラの匣」だと太宰治の小説が一般的で、ギリシャ神話は普通に「パンドラの箱」表記が一般的なのだなと。勝手に「パンドラの匣」表記が市民権を得ているものと思い込んでいた。何故だ。匣の中の失楽のせいか。魍魎の匣のせいか。「箱」だとなんかこう、文字通りの字面的に百葉箱をイメージしてしまって(右側がスリットに見えませんか?)涼しげで大ぶりな感じがしていまいち曰くがありげでないような気がするのだが……。こうなると太宰治の小説単体を貶めてしまったようになってしまうが、一切そのような意図がないことを強調しておきたい。そもそも、本来的には「パンドラの甕」らしい。確かに匣(箱)より甕の方が飛び出した時引っかかりそうである。くびれの所辺りに。

あとパンドラって名前もなかなかではないか、と思う。破裂音のあと一度唇を引き締め、その後どすを聞かせて濁音、最後にやや巻き舌でラ。完璧だ。こわい。仮に「パンドラの匣」が「与左衛門の甕」であったら現在こんなに使われていないんじゃなかろうか。与左衛門の甕、なんでも鑑定団に出てきそうではないか。いい仕事してそうではないか。

「こいつは与左衛門の甕だ!」

なんて言おうものなら、どこからともなく中島誠之助氏他が現れて、

「17世紀初頭の七代目与左衛門の甕、間違いありません」

「どうぞお大事になすってください」

あるいは「スタジオへ」とフリップに朱書きされている可能性すらあるではないか。フリップはどこから出て来たんだと突っ込まれても、その突込みは中島誠之助氏が現れた時にしていただかねばもはや遅いのである。驚きの鑑定結果はCMの後なのである。たまにCM前に○千円のところで止まっているのがちょっと見えてしまったりするのである。出張鑑定団の後いたたまれなくなって現地から引っ越した人とかいたりするのだろうかとたまに考えてしまうのである。

そういうことが言いたかったのではなくやっぱり「パンドラの匣」ってタブー感を醸し出す最高の字面をしていますね、ということを再確認したかったのである。いかがだろうか。

月初のブログ目標の達成率があと一週間もないのに芳しくない、その指摘はパンドラの匣である。開いたら祝日という希望が残っていることを願いたい。

というわけで今週のお題の「カバンの中身」であったが、「引き出しの中身」を書いたエッセイとして秀逸なのが宮沢章夫さんの「よくわからないねじ」である。そう、読者諸賢はお気づきになられたであろう、先程の「よくわからない錠剤」が「よくわからないねじ」をリスペクトした表記であることを。残念ながらkindle化しておらず、中古本しかないようで、たまに読みたくなるたびに何故人に譲ってしまったのかと筆者は地団太を踏みそうになり階下の住人のことを慮りぐっと我慢する、という一幕がある。読者諸賢の引き出しにはないだろうか?「よくわからないねじ」が。そのほかのエッセイも面白く、読みやすい。じわじわとジャブを腹筋に食らい続けるタイプの面白さである。劇作家であるという著者が切り取る世界はとてもピンポイントで、しかし万人に共通する何かがある。機会があればぜひご一読いただきたい。

 

よくわからないねじ (新潮文庫)

よくわからないねじ (新潮文庫)

 

 

最後に戒めとして再度今月の目標を掲示して記事を閉じたい。

・「天才柳沢教授の生活」11巻についてまとめる

・お題スロットに毎週応える

・西郷どん感想を毎週書く

・診療報酬改正について思うこと

がんばります。

大河ドラマ「西郷どん」第十五回 「殿の死」

余談

ニンテンドースイッチがなんとなーく欲しいという気持ちはずっとあってニンテンドーラボの発売によりそれは加速しているのだが、とっておきの駄目押しがまだない。最近は一人でゲームをしている横で妻は刀剣乱舞という構図になっているので、そろそろ二人で出来るゲームがあればいいのだが。「オーバークック」「マリオオデッセイ」あたりは是非やってみたいのだが、「買ったら是非やってみたい」であって、「やるために本体ごと買いたい」までは行きついていないのが正直なところだ。あと、様々な環境を整えるのに4万円位と考えるとそうだ、京都行こうという気分にもなってしまう。買い物というのは迷っているうちが一番楽しいともいう。暫く一番楽しい時間を満喫しようと思う。

本日は選挙の日であるということで投票に行って外食した。最近の回転ずしはデザート他サイドメニューが充実しているのがいいところである。ついで晩御飯用のから揚げ、デザートの練りきりを購入した。


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選挙は当然ながら勝ち負けがつくわけであって、筆者は感情のリソースの割き方がヘッタクソなので別に親しいわけでもない落ちてしまった候補に勝手に感情移入して悲しくなってしまう。典型的な判官びいき的日本人なのだろうか。違うか。

本題

うーん……。

斉彬の死というのは全く想定外の死であってそのいきなりさを読者にも感じてほしい、という意図はわかるのだが、例えば2年前の超高速本能寺や関ケ原のようなあくまでも外部の出来事に対して、斉彬は吉之助の世界の中心であるわけだから、これはもう少し何とかならなかったのか、というかしつこいようだが相撲を1話使っておいて斉彬の死はこの尺というのはさすがに……。

家定の死はフラグ回収が高速過ぎたもののまだわかった。井伊直弼の執念が前大河の力を借りているものであって本大河単体ではイマイチ伝わってこないのが難ではあるが。あと泉ピン子院がちょっと無能すぎませんかね? 息子さんをもっと信じてやって欲しい。篤姫、相変わらず支持する男連中に全くケアしてもらっていなくて気の毒である。家定、斉彬の死は彼女にとってある意味開放となるのであるが、慶福の後見人になる過程をどのように描くのだろうか。どうもこの大河そっちの方を丁寧に描きそうなんだよな。

吉之助は万策(護摩行・カライモ!イブスキ!サクラジマ!・一橋様尊い本)が尽きてお役御免に。なにが万だという突込みは正助がしっかりしてくれていて安心する。何でも話してしまう少年時代と比べると家中の者にお庭方時代のことは黙っているので成長しましたね。その後策を思いつくと無役だけど殿様に直訴。アットホームな薩摩ですね。ますます成長したなあ……だからその過程を見せてくれよ!ただ走ってただけじゃん!

個人的には「風雲児たち」のこの時の斉彬発案の島津の示威行動案が余りにもかっこよくて後年久光が真似し(そして生麦事件が起き)、また西郷隆盛の「政府に尋問の筋これあり」につながったという解釈にしびれたのでこの展開は残念。ただ、ここの「お前はわしになれ」という斉彬のセリフは、多分そういうこと(西南戦争はこの時出来なかったことの吉之助なりの再現)なんだろうな、という気はする。

そう、久光。久光の描写がないのはあんまりである。地元トップオタなのに。この後短い間に一番翻弄されるのは久光であるように思うので、しっかりカバーしてほしかった。

落ち込んでばかりもいられないので次回以降の楽しみを挙げると、吉之助にある種最も愛された女性と言われる「虎」が登場した。豚姫というあんまりな異名を持つ彼女と吉之助の文字通りの大物恋愛は歌舞伎の演目になるほどであったという。近藤春菜さんがどのように演じるのか、興味が尽きない。

予告で橋本左内が早速捕縛されているが、安政の大獄の描写も気になるところだ。もしかして、二十一回猛士こと長州藩の誇る困ったちゃん吉田松陰さんは出ないんですかね……?

橋本左内刑死まで、あと1年。井伊直弼害死まであと2年。