カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

ポップコーン、MASTERキートン、崑崙山。

夜中から降り続く雨と、夜更けに見た「実写版デビルマン」の余波のせいか、ひどく体調のすぐれない日だった。エアコンをつければ寒く、切ると暑い。そしていずれにせよ頭痛がひどい。こういう時は、娘に着せるものにも迷う。

そういった日々の癒しは帰宅すれば家族、勤務の合間はTwitterである。

そんな中、常日頃お世話になっているRyoさんのツイートが目に留まった。共感しながらも、それだけに留まらない含蓄を得た気持ちになった。

重ねて、

気が付けば二十年来の愛読書であるMASTERキートンが電子版配信開始であるという。この二つに勝手ながら運命的な符号を感じたので娘をようやく寝かしつけたすきに、久しぶりにブログを書いてしまおうと思う。

MASTERキートンはいずれ劣らぬ名編が揃った一話完結漫画の教科書、もはや聖書のような作品だが、その中でも筆者が特に思い入れの深い作品の一つが「シャトーラジョンシュ1944」だ。回電子化された完全版では6巻に収録されている。(同じ巻に収録されたエピソードでは「西から来たサンタ」もクリスマスシーズンに読みたい名編である)

1944年、第二次世界大戦真っ最中、フランス・ブルゴーニュ地方。わずか半日しか摘み頃が存在しないワインとなるブドウを若きシャトーの跡継ぎヴィクトールと使用人・リベロは敵軍が侵攻中に命懸けで収穫、奇跡のワイン、最高のワインが出来上がった。

しかし奇跡は二度起こらないから奇跡という。残念ながらシャトーラジョンシュにとって1944は最高であり続け、昔ながらの製法を続けることで赤字が嵩み、経営方針の転換を余儀なくされていた。

いまや二億円の価値が付いた「シャトーラジョンシュ1944」最後の一本を抵当に融資を受け、近代的なワイン工場へ転換するのだ。

そんな天文学的価格のワインへ保険を設定するためシャトーラジョンシュを訪れたキートンは事情の説明を受け、ヴィクトールの「神の思し召し次第だったワインの出来が、科学の力で安定生産できる」という言葉に対し、「何年かに一度偶然できる大傑作というのはなくなってしまいますね」とポツリとつぶやくのだった。

そしていよいよ、融資の調印式=ワインの引き渡し式が迫るのだが……。

まさしくワインのように豊潤で余韻深い名編であり、機会があればぜひご一読いただきたい。

ちなみにアニメ化もされているが、近代化を推し進める妻・マルグリットの背景が深堀され、ラストが大幅に変わっている。こちらもまたしみじみとするエンディングとなっている。

ついでにもう一つ、「鎌倉殿の13人」で現在進行形で日本一の大天狗としての隆盛を極めつつある後白河法皇が今様を編んだ「梁塵秘抄」にはこういう歌がある。

「崑崙山には石もなし 玉してこそは鳥は打て
 玉に馴れたる鳥なれば 驚く気色ぞさらになき」

崑崙山と言えばアニメ化が待たれる封神演義を想起される読者諸賢もおられよう。名玉の産地として知られ、逆に石はない。この辺り中国の歴史書書経」の「崑崙火を失して玉石倶に焚く」と矛盾するのだがややこしくなるので今回はおいておくことにする。

要するに、石がない場所では貴重な宝玉でわざわざ鳥を取ろうとするけど鳥もそれに慣れているのでつまんねえな、といったところである。

blog.hatenablog.com

ちょうど一週間前、特撮マスターの諸賢らの中にひょっこり紛れ込ませていただいた。筆者はやはり、書いたから読んでほしいという気持ちは常にあり、こうして取り上げていただくことは望外の喜びである。実際、アクセスも伸びた。

他方で、なかなかブログを書くのにまとまった時間を取れない中、拙い記事でせっかく得たチャンスを失ってしまわないだろうか……という逡巡もあり、そうやってモダモダしている間に順調に閲覧数はいつものはてな番外地の落ち着きを取り戻してきている。

そういった中、今日の出来事は筆者の中でまさに雲間に差し込む光のような僥倖であった。

打席に入らなければ三振することはないが、ホームランを打つことも絶対にないのである。

変にかしこまって構えて画一した記事を書いたってつまらない。これからも思うままに、自分の好き勝手にブログを書いていこう。まさしく玉石混淆になるかもしれないけれど、時々は誰かに対して満塁ホームランばりの何かをもたらすことができるかもしれないし、それは狙ってやるものでは(少なくとも今の筆者の段階においては)ないのだろう。

おっと、娘の夜泣きの気配がするので今日はこの辺りで。

あのババルウ星人と僕らについて

余談

シン・ウルトラマン前夜。(デビルマン視聴当日。)筆者は、シン・ウルトラマンの物理ムビチケを購入していた。鑑賞は難しいだろうと思っていたが、このウルトラ界隈のお祭りにささやかながら参加と貢献をしたかった。

また、このムビチケには特典があり、それもまた目的の一つであった。

m-78.jp

↑サムネ画像がリンク切れになっているのがマジでそういうところだぞというしかない

ツブラヤイマジネーション。ウルトラマンシリーズ、円谷作品を含む約1,700エピソードが見放題(公式による)のサブスクである……いや、ウルトラサブスク(公式による)なのである!

kimotokanata.hatenablog.com

昨年「ウルトラマンの日」に何度もCMが入ったことも記憶に新しい。その後、ティガやダイナ(順次配信中)も解禁されるなど、ますます充実しているようである。

このツブラヤイマジネーションに加入かつムビチケを購入することによって「シン・ウルトラファイト」を先行視聴出来るのだ。

しかも五月中はスタンダードプランは無料。(別途無料プランとプレミアムプランがある)前回は月の半ばで解禁して実質半月無料だったことと比べると大盤振る舞いである。

こういった形で劇場鑑賞は出来なくともシン・ウルトラマンの外堀を楽しんでいきたい……という気持ちがあった。のち実写デビルマン視聴という功徳と妻の寛大さによって鑑賞も果たすわけであるが。

そんなこととは露知らず、デビルマン鑑賞後の筆者はその荒涼とした心をツブラヤイマジネーションに癒してもらうことを期待した。例によって、娘は人類が四足歩行を極めるとこうなっていくのだろうというスピードのハイハイで広くもないリビングを蹂躙しており、あらゆるコードを抜く・齧る・舐める恐れがあるため、ノートPCの使用はあきらめ、片手で抱きかかえながら、スマホで設定をする必要があった。

こういったものはブラウザからアクセスしてもアプリのダウンロードを勧められるのが常道、初めからアプリをインストールしておくか……とストアを起動し、「ツブラヤイマジネーション」で検索する。

だいたい「つぶらや」くらいでサジェストが出そうなところ、気配がなく不安になりつつも全文字打ち込んで検索するが、出ない。

つぶらや」で再検索すると、出た。じゃあさっきサジェストしろや!

デビルマン鑑賞後ということで若干心がデーモンになっちゃったよー、な己の心を鎮めつつ、ダウンロードし、アプリを開く。このアプリケーションの利用には「TSUBURAYA IMAGINATION」への登録が必要であるという。

そりゃそうだろう。早速登録したいのだが……。

アプリはその登録手順を丁寧に解説してくれる。

1.webブラウザから「ウルトラサブスク」と検索。

2.TSUBURAYA IMAGINATIONのwebサイトからアカウントを作成。

3.ログイン

4.IMAGINATION(イマジネーション)の宇宙でお待ちしています!

に……二度手間……!

「お待ちしています!」といいながらアプリ内でブラウザを開くでもなくリンクを張るでもなくまさかの「てめえで検索しろ」という扱い。しかも「ツブイマ」ではなく「ウルトラサブスク」。じゃあもうサービス名もそれでいいじゃん。

しかもこの後独自アカウント「TSUBURAYAアカウント」を作成するとdアカウントも要求されるという昨今他サービス(Twitterとか)認証も主流になってきた中二重に個人情報を要求させ三度手間四度手間が発生、決済手段はクレジットカードしか受け付けず、クーポンコード入力も通ってんのか通ってないのかわかりわかりにくい。

そもそも公式トップページにアプリダウンロードのリンクすらなく、我が家の主砲・FireTVには非対応。(クロームキャストには対応している)

2004年製作映画で初代のリブート的作品であるから見比べたいと思う「ご新規」が沢山いるであろう「ULTRAMAN」はなぜか未収録。(ウルトラニャンはいるのに……)

余りにも想像力(イマジネーション)が足りないTSUBURAYA IMAGINATIONに思わず本当の悪魔はお前たちだといいたくなってしまうが、何とか登録を済ませることができた。いつの間にか、腕の中で娘は眠りに落ちていた。悪鬼と化した筆者の形相を見せることがなかったのは幸いである。

紙ムビチケのため、「シン・ウルトラファイト」の鑑賞は届いて以降である。(即日見たいという気持ちより紙で手元に残しておきたいという気持ちが優先した)時刻は23時半。無料期間を無駄にしたくないし、動作確認のためにも一つくらい見ておきたかった。ハッピーバースデー、ツブイマン(TSUBURAYA IMAGINATION登録者の意味)。

iitaikotoiitai.hatenablog.com

筆者の観測範囲内においても屈指の特撮、分けてもウルトラへの真摯な愛とディープな考察、トリッキーな視点を併せ持つゾー…いやぞひ丸さん。

氏に以前、「ウルトラマンレオ39話でキングが現れるやジャックに接触してまで全力でキングのもとへ走り寄り媚びるゾフィー」を紹介していただいて以来、TSUBURAYA IMAGINATIONに加入したら絶対に見たいと心に誓っていたのである。

開始早々、そのシーンを確認しつつ、画面の豪華さに目を奪われ、ウルトラ兄弟へとレオ・アストラが加入するラストにしみじみとするのであった。

さて、もう一度該当シーンを確認して今日は床に就くか……とマイページ欄を見ると今時「視聴履歴」は無く、「視聴中の動画」のみ。レオの場合は次話の冒頭となっていたが、映画などの場合はそのまま消えてしまうのだろうか?

ノー・イマジネーション(想像力皆無)……!

ツブラヤイマジネーション……ノー・イマジネーションッ……!

シンからの新規が見込まれるこのタイミング、是非とも改修していただきたい。

とりあえずゼアスは観るつもりであるが、他にお勧めの作品(エピソード単位でもぜひ)がありましたら是非ご教示ください。

本題

余談が、ながくなった。

ウルトラマンオーブのネタバレがあります。

5/21。家事もひと段落し、晩御飯はテイクアウトを調達済。妻子は午前中の外出を癒すため、うたた寝をしていた。

筆者もそれに加わろうかと思ったが、良い機会だと思い、「ウルトラマンオーブ」の続きを鑑賞することにした。

kimotokanata.hatenablog.com

ウルトラマンジードの完走後、続けて見始めたオーブ。しかしこの間にも娘は前述したように進化を遂げており(成長と言え)、トレーニングしながら視聴は困難な日々が続いていた。また、ジードの時も「もっとじっくり向き合って見たかった」という場面が幾度かあり、一人で集中して鑑賞できる時間を設けたかったのである。

4話目から視聴を再開する。もちろん、ツブラヤイマジネーションではなくAmazonプライムビデオである。大画面で特に難しいこともせず見られるなんてすばらしい機能だなあ。

1970年代からタイムスリップしてきたかのような「イケメン」というよりは「ハンサム」という形容が似合う男、クレナイ・ガイ。SSPという愛すべき素人たちと時にはアンジャッシュ的すれ違いコントを行いながら、交流を深めていく。

出てくる怪獣の造形は筆者も知っている歴代ウルトラマンの強敵がさらにリアレンジされたような姿もちらほらあり、魔王獣という呼称にふさわしい威厳と禍々しさを備えていた。

その怪獣に対し、ガイは歴代ウルトラ戦士の力を借りて対抗していく。そして倒すたびに新たな戦士の力が宿ったカードを手にし、時には今までにない組み合わせで新フォームを繰り出していく。

だが、その陰では因縁ある男・ジャグラーが怪獣カードによって災厄を引き起こし続けていた……。

当たり前のようにカードが展開するので最初は戸惑ったが別に理由なんてねえよ!、6話からその背景が説明され、一気に没入度が上がっていった。

「歴代ウルトラマンの力を組み合わせて主人公が変身」

慇懃無礼な敵役が主人公と同じツールを使って暗躍」

など、後年のジードから先に入った人間としては「ここが良かったから翌年も活かされたんだな」という面がちらほら見えたのは興味深かった。

特に筆者が心を揺さぶられたのは、ラゴンがどんどん可愛く見えてくる「都会の半魚人」を経ての「ニセモノのブルース」であった。

ニセモノのブルース

登場するのはババルウ星人

そう、奇しくもツブラヤイマジネーションで視聴したレオ39話(と、38話)に出てきた敵役と同じなのである。

惑星侵略連合(なんてわかりやすい組織名なんだ)に所属するババルウ星人ババリューはオーブの信頼を失墜させるため、にせオーブとして地球に降り立つ。

さあ、破壊の限りを……というところに地底からテレスドンが出現。想定外の事態にあわてるババリューは偶然にもテレスドンから子どもたちを守る。

逃亡中、SSPメンバー、ジェッタに人間体で遭遇し、ババ・リュウジと名乗り、先ほどのオーブは自信が変身した姿であると半ば強引に言質を取られる。

約束をあっさり破りジェッタは前述の子どもたちにババ=命の恩人(にせ)オーブだと教えてしまう。ババにとって初めてかけられる、感謝の言葉……。いつしかババと子どもたちは信頼関係で結ばれるが、惑星侵略連合からの催促との板挟みに苦悩する。

再び(にせ)オーブに変身するババリュー。

「宇宙人を倒して!」という子どもたちの声に応えて。

あるいは「早く破壊を行え!」という惑星侵略連合の催促に応えて。

どちらを選ぶのか。簡単なことである。彼は暗黒宇宙人ババルウ星人だ。

悪の宇宙人だ。だからいつものように――

「その子どもたちを踏みつぶせ!」

――悪の首魁の指示に従うだけだ――

「できません……そんなことはできません……オレは今ウルトラマンオーブなんです」

「確かに俺は悪の星の元に生まれた「暗黒星人」だと思ってました…。

 だけど、こいつらが教えてくれたんです。
 運命は変えられる……俺だってヒーローになれるって!」

ヒーローとは生まれではない、どう生きるかだ。リアルタイムの視聴者諸賢と違って、筆者は既にジードによってたっぷり教えてもらっていたはずなのに、にせアストラであることがばれるや否や速攻でケツをまくった同族のインパクトが強く、ババリューを信じられなかった己を恥じた。そして頬を涙が伝っているのに気が付いた。

もはや反逆者となった彼に差し向けられたケルビムに苦戦し、土埃にまみれ、正体をみんなの前に晒すババリュー。所詮ニセモノと自虐する彼の耳に飛び込んできたのは、子どもたちとジェッタのまっすぐな声援であった。

もう筆者、ボロ泣き。拙者、AtoZの風都のみんなの声援→メインテーマとともに風が吹く展開好き好き侍であるが故に……。

奮起して立ち上がるババリューだが、やはりケルビムには敵わない。いよいよ一巻の終わりと思われたときに、本物のオーブが颯爽登場し、ケルビムを打ち破った。

本物には敵わないとつぶやいたババリュー。姿を消した彼を追おうとするジェッタに、ガイは「ヒーローは風のように去っていくもの」と追いかけることが野暮であることを諭す。い、粋~!

少し時がたち、同じ公園。ジェッタは「馬場先輩」に思いを馳せるが、ガイは公園の清掃員=ジェッタの理想のヒーロー、「地味なことでも頑張っている人」の正体が誰なのかを気づいていた。

「ヒーローってのは、案外身近にいるのかもしれないぜ」

ド、ド粋~~!!

まさに30分で空想と浪漫。そして、友情。を筆者の情緒に叩き込んでくる素晴らしいエピソードであった。シン・ウルトラマンから他の「ウルトラマン」に触れてみたい、という人にもぜひおすすめしたい。

筆者が感涙にむせんでいる間もジャグラーの暗躍は続き、一人だけ牙狼みたいなデザインの真の姿を現し、惑星侵略連合は事実上崩壊、とうとう最強の魔王獣、マガオロチが降臨する。(それどころじゃないものが来てるのにタイトルが「大変! ママが来た」で笑ってしまう)

ガイが紆余曲折の末手にした新たな力、それはゾフィーと「黒き王」ベリアルの力を融合させた形態、サンダーブレスター。光と闇の力が合わさり最強にみえる……かどうかは定かではないが、カラーリングがめちゃくちゃ格好いい。

その放つ光線の禍々しいエフェクトに懐かしさを感じるのは先にジードを履修したものの特権であろう。

辛くもマガオロチを撃破し、1クール目は終わりを告げるのだった……。

どちらかというと縦軸を追うのに忙しかったジードに比べ、各話の独立性が高いような印象を受けた。テンポが良く、一話があっという間に過ぎていく。

ここから借り物の力で戦っているオーブが本来の力を取り戻す時が来るのか、おそらくナオミのご先祖? であろう金髪碧眼の少女とのガイの悔恨のエピソードはどのように解決するのか、放送のたびにTLが揺れる人気番組「尊哉の部屋」を生み出すほどの人気を持つジャグラーの魅力がどのように発揮されていくのか。楽しみに見ていきたいと思う。

 

「野生の思考」でシン・ウルトラマンを読み解く(ネタバレ感想)

TLの誰も彼もが見ていて、もはや痛みを知らないただ一人になってしまったのではないかと危惧する中、本日シン・ウルトラマンを鑑賞することが出来た。

既に綺羅星の如き数多の考察・批評・感想がwebの海には漂っていることかと思うが(チェックできないままに流されていったふせったーがいくつあるのか考えるとしょんぼりする)、丁度就寝しようとする妻に「感想は記憶が鮮明なうちに書くんだぜ」と助言も頂いたので、走り書きしておく。一時までには床に就きたいのであと36分だ。ウルトラマンよりは長い活動時間とはいえ、急がなくてはなるまい。

それにしても妻、今日は筆者が映画を鑑賞したことでいつもよりワンオペタイムが長かったろうにそこまで気をつかってくれるとはまことありがたい。

ということでシン・ウルトラマンシン・ゴジラも)のネタバレがあります。

冒頭、「仁義なき戦い」を彷彿とさせるような畳みかける展開で幕が開き、早速「ああ、親父と一緒に見たかったなあ」などと思う。

まさか某息子ちん君の「ぺギラ」イラストが「匂わせ」だったとはね……。

この開始何分間かをYouTubeとかで流したら見に行こうと思う人、結構増えるんじゃないかなあ。

「禍威獣は日本にしか出現しない」ということだったけど、もしかしたら「別バースの地球の東京駅前にいるゴジラ」を「すごいエネルギー」として追い求めた結果こっちの地球にたどり着いた連中だったりするのだろうか? それともこの段階からメフィラス星人の仕込み?

などと記事を書く今頃になって不意に思うが、いよいよ公開延期のあおりを受けて近所のスーパーのおもちゃコーナーでは公開前に3割引の不遇な扱いを受けていたネロンガの登場である。恐らく配偶者に「今夜のご飯はラ王がいいな」となかなか言い出せないタイプの西島秀俊であろう班長が攻めあぐねる中、光の巨人が降り立ち、ネロンガを撃破し、そして去っていく。

この段階で筆者はひとつの違和感を抱くが、続くガボラで少し安堵し、続くザラブ星人でまた違和感が強まっていく。

筆者は「ウルトラマンメビウス」の1話が印象に残っていて、劇中、地球に赴任した新米戦士のメビウスはついはりきりすぎて(ウルトラマンザプライム参照)周囲を顧みず、建物など多くの被害を出すに至ってしまった。

シン・ゴジラでのゴジラの進撃はまさに天災のそれで、筆者は今年ようやく観たのだが、いわゆる熊本地震を経験した公開年には到底見れなかったであろう程の息を呑むリアリティに圧倒された。

なので、本作では「ウルトラマンが交戦時に発生させる建物他への被害」についてもっと言及があるかと思っていたのだが、原点である神永を巻き込んでしまったことと、偽ウルトラマンが故意に襲撃したこと以外はそんなに世論が盛り上がっている感じがない。

ザラブ星人との交戦時など、あ! もう一人のウルトラマン! やっぱり破壊の限りを尽くすウルトラマンは偽物だったんだ! となっているところに後から出てきた方が最初からいた方を思いっきり高層オフィスビルに叩きつける! とかやると被害が順調に拡大してしまって「えぇ……」となるんじゃなかろうか。最終的に空中で爆発させるんだから最初からそうすればよかったんじゃ……。まあ悪いウルトラマンザラブ星人ということを白日の下に晒す必要があったのかもしれないけど……。

とはいえ、やはりおなじみのポーズで変身して、二人のウルトラマンが並び立った時は自分でも戸惑ったがポロリと涙が出た。待ちに待った変身、「きたぞ、われらの」という気持ちがあったのかもしれない。

山本メフィラス耕史の怪演も素晴らしかった。持ち合わせいくらあるんだろう。ザラブ星人でも符合する部分があったが、この辺りで「あ、だから『野生の思考』なのか」と勝手に納得する。

神永となったウルトラマンが書庫で読んでいた本。『野生の思考』はまさしく知の「巨人」レヴィ=ストロースが著したパラダイムシフトとなった名著であるが筆者は遥か昔に高校倫理でもってそのエッセンスに触れたに過ぎない。

ので、本日帰宅後にいつもより離れている時間が長かったからか大変甘えん坊となっていた娘氏をあやしながら、ちくま新書の『レヴィ=ストロース入門』で駆け足でその要諦を復習――というかほとんど新規に学んでみた。とはいえ浅学のななめ読みなので間違いなどあればご容赦願いたい。

非常にざっくり言えば「野生の思考」はいわゆる未開の人々を侮る西洋近代人への批判、という骨子になる。「野生の思考」―それは具体の科学。近代人がその科学の進歩と共に切り離してきた「感性」と「理性」が同居しているもの。だがそれこそが普遍的な思考であり、西洋近代の知は実はそれを排除することで(レヴィによれば『われわれの宇宙の外』――「外星」である!)成り立っている限定的なものである、というのだ。

要するに、『野生の思考』で「西洋近代人よ、未開の人々をなめんなヨ」という構図が、そのまま「外星人よ、地球人なめんなヨ」として本作には適用されているように思えるのである。

「野生の思考」は「呪術的思考」とも呼ばれ、「近代科学の思考」から前述したように排除されたものとされる。

そう。

例えばザラブ星人に拉致された神永を発見するために用いたのは「アナログな印画紙にプリントされた写真」

メフィラス星人が隠していたβボックスを探し当てるのはこれまた原始的な「匂い」と「嗅覚」を用いた。(風呂に入って無い描写は別にいらねえよな……)「野生の思考」の活用である。

この時メフィラス星人が「こんな変態的な……」というのもまた、外星人がそういった「原始的なこと」を排除してきたことの証左であろう。

「西洋的思考」は「管理され、培養された植物のような脆さ」がある。スマートなメフィラス星人にそのイメージが重なる。それを「野生の思考」が上回った。乱暴に言えば「雑草魂」である。

そしてメフィラス星人の「地球人を有用な資源としてしか見ていない」というのはまさしく植民地時代の西洋人と植民地の奴隷の構図そのものではないか……。

(もっと言えばこれは古典SFの「地球は宇宙人の動物園/牧場である」というテーマにも通じる)

シュッとした怪獣を見るとすぐにパワード怪獣と思ってしまう筆者からするとすわメフィラス星人のパワード化か、と思うようなスタイリッシュメフィラスはウルトラマン相手には有利に進めていたように見えたものの、原典と同時代の星明子ばりに見守っているゾーフィの存在に気付き、立ち去っていく。

原典ではIQ一万を駆使して少年に「地球をあげます」と言わせようとするお茶目さんだったが、そのチャーミングさが今回も遺憾なく発揮されており、「私の好きな言葉です」がネットミーム化しつつあることからもそのキャラクター造詣は成功したと言えるのではないだろうか。シン・メフィラスソフビ、確かに出たら欲しい。

てっきり「エヴァー」みたいなもんだと思っていた「ゾーフィ」だが、その実態は「ゾフィーゼットンの情報が錯綜した結果子ども雑誌に生まれたあだ花『宇宙人ゾーフィ』」を拾ったんではないかというから驚かされた。オ…オタク……!

やはりあの「ピポポポポ……」音と「ゼット~~ン」は身が粟立つような根源的な恐怖を思い起こさせる。

ウルトラマンは対決し、(ここのスケール感とデカ光輪が全く効いていないことで生まれる絶望感は予感があってもやはり打ちひしがれてしまった)敗れる。

しかし彼は、勝利へ繋がるヒントを人類に託していた。

またまた、「野生の思考」の肝、「ブリコラージュ」である。

プリクラでもブリトロでもなく「ブリコレ」という単語がもとになったこの言葉は「具体の科学の神話的思考」を例えてそういう。よくわからない。

これまた乱暴に要約すると、「限られた持ち合わせの雑多な材料と道具を間に合わせで使って、目下の状況で必要なものを作ること」であり、「たいていは以前の仕事の残り物とか、取っておいた物とか、『偶然に与えられた物』」であるという。

先ほどの前提から考えればこの作品ではこれこそが「人類の知恵」であり、「ゼットンを撃退するための方程式」であるということが出来る。

ウルトラマンから与えられたヒントを元に人類が知恵を振り絞る」という構図もまた、「野生の思考」に示唆されていたことであるのだ。

かくしてゾーフィもまた人類を認め、また人類を「好きになった」ウルトラマンをも認め、意志を尊重する。

「人間は光の巨人たちと同じ領域まで達する可能性がある」……そう、対比を続けてきたが、「西洋近代思考」と「野生の思考」は必ずしも反対の関係にはないし、『野生の思考』は「未開の地って、素晴らしいんだゾ」という話でもない。知性あるものの根っこ(野生の思考)は同じである、それを排除するのではなく思い出せ、取り入れろ、という批判と提案の書であった。

ゼットンに特攻するかのような「ぐんぐんカット」で筆者はまた泣いたりもした。

ウルトラマンの意志にして遺志。それは自らの過失によって死なせてしまった神永に命を分け与えること。まさしく「呪術的」なこの展開が、原典では「西洋近代=外星人的思考」のゾフィーによって否定され、新しい命によってどちらとも助かるのだが、本作ではそのまま受け入れられ、恐らくウルトラマンは命を落とす。それは「野生の思考」を取り入れた結果ではなかったか。

そう考えると、ウルトラマン=神永こそが人間と外星人の断片をつないだブリコラージュであるともいえる。リピアが地球で過ごした断片が「銀色の巨人・ウルトラマン」を生み出したのだ。

あるいは、若くしてアマゾンの人々と交流を持ち、構造主義という考えに至ったレヴィ=ストロースその人こそが、原典ではその後地球へ光の国の巨人を飛来させ続ける転換点ともなったウルトラマンその人に通じるようにも思えるのである。

知の巨人と光の巨人の融合の瞬間だ。

ということをぼーっと頭の片隅で考えながら、ウルトラマンと怪獣、外星人の戦いに胸躍らせることの出来る映画だった。が、逆に言えば、そんなことを考え続けられる程度には「かぶりつけ」ない、思考を寸断されるさまざまがあったことも否定できない。

それは凝り過ぎた結果か素人っぽく見えてしまうことがある(見づらく感じる)アングルだったり、アニメ的なテンションを引きずった結果実写では浮いてしまうような所作であったり、筆者のような素人にはよくわからない「間」であったりした。

設定面では、筆者は「ウルトラマンシリーズ」の魅力の一つを群れ=ウルトラの兄弟や光の星の戦士たちであると思っていたのだが、本作ではウルトラマンが自分たちの個に対して人は群れる、というように着目しており、個人的には解釈違いだったし、「エヴァ使徒と人の関係性をそのまま持ってきて矛盾をしてしまったのでは?」と邪推もしたくなってしまう。

また、ゾーフィは「他の外星人に地球人が資源として目をつけられると色んなとこに影響が出て危険だから消すね」といいつつ「地球人みたいな宇宙人はいっぱいいるから消えてもヘーキヘーキ」みいたいなことも言って地球人のレアリティ判定がよくわからなかったりもした。

加えて勝手に納得したことであるが、「野生の思考」が下敷きになっているのならば、ウルトラマンの敵役と言えば……で恐らく一位を取るのではないかというバルタン星人が今回登場しなかったのも納得がいく。原典で地球人側がバルタン星人を無抵抗で大量に殺戮してしまうという「西洋近代的ムーブ」をとってしまっているからである。

そして筆者としては自身が感じた本作の最も大きなブリコラージュ=寄せ集めを記しておかねばなるまい。

それは、本作自身である。ブリコラージュは前述したとおり、その作者の来歴や感性と切り離すことが出来ない「断片」を繋ぎ合わせて作成するものだ。

この例えとしてレヴィ=ストロースは郵便配達夫シュヴァルが組み立てた「理想宮」を用いた。

ja.wikipedia.org

そして、この対極としてヴェルサイユ宮殿を挙げている。ヴェルサイユ宮殿には設計図があり、どこかが欠けても部品を調達して修理すればよい。

しかし、「理想宮」では同じような断片は存在しないから、シュヴァル=監督、製作者は何かが欠けた、「ボツ」になったら再び手持ちの断片…自身の思い出、過去作のオマージュ、代案……と向き合って修正していかなければならない。そしてそれは、元と全く同じではないから、本来の姿とは少しずつ「ズレ」が生じていくという。

それが「真正な社会」であれば、そうして生まれたブリコラージュは作者の「証」として残る、とレヴィ=ストロースは言う。

果たして本作における「真正な社会」とはなんだろうか。

すなわち、本作が大手を振って受け入れられる社会とは。

筆者はそれは、残念ながら「一般社会」ではないのではないか、と思う。シン・ウルトラマンを構成する断片はその一つ一つが強烈な個性を放ち、それ故に受け入れられる範囲が狭まってしまっているのではないか。

そうではない人、例えば筆者は、間違いなく「燃えた」部分はあるものの、全体としてはどこかちぐはぐな印象が残ってしまった、というのが正直なところであった。無論、コロナ禍他様々な外的要因があったとは思うが、出されたもので判断すると、そう言わざるを得ない。

だから、次が観たい。この一作で終わらせないでほしい。

外星人第7号、ウルトラセブン(仮称)。

待ってます。

見たぞ、われらの○○○マン。

余談

五月十二日。翌日は、十三日の金曜日。そして、「シン・ウルトラマン」の公開日。

筆者の主なweb生息地であるTwitterもあからさまなソワソワが感じ取れた。嵐の前の静けさ……というよりは台風の前の非日常が少しだけ顔をのぞかせていることが、肌感覚で感じられるような。

筆者もふと、最寄りの映画館の予約状況を検索してみる。無限列車初日レイト戦争(大都会鹿児島でも30分余りで完売)を思い出しながら。

 

……意外と、余裕があるのである。

「どうせもう埋まってしまっているのさ……だから無駄無駄……仕事を頑張るしかない」

そういういわば酸っぱい葡萄的な気持ちでいた筆者にとってこれは結構衝撃であった。一瞬仮病でも使おうかという社会人にあるまじき考えさえ浮かんだ。というか、「これを予見できなかった自分」への嫌悪で実際ちょっと具合が悪くなった。このままでは悶々とこのことを考えてしまいそうである。

毒を以て毒を制すしかない。

マンを以てマンを制す。

妻が見つけて気になっていたやつに挑むのだ。

果たして――も何も、サムネでバレバレなのだが。

gyao.yahoo.co.jp

見ました、実写映画版デビルマン

デビルマン

以下、デビルマン(原作・2004年映画版)のネタバレがあります。

本題

視聴感想問わず語り

筆者は一度、見たことがある、はずである。それはおよそ15年も昔、学生時代、サークルの仲間諸賢でアレな映画鑑賞会をしようという話になり、既にそのゆるぎなき地位を確立していた本作が選ばれたわけである。

ところが……思い出そうとすると筆者の記憶はもやがかかったようになり、特にシレーヌ登場以降の記憶は全く欠落しているのであった。

一方の妻のデビルマンに関連する知識は「わかるマン」だけであるという。デビルマンに関する知識かなあ? それ。

記憶の欠落は加齢のせいかと思っていたのだが、不思議なことにわずか一昨日の鑑賞すらも思い出そうとするとやはり断片的になってしまう。なので、以下は不本意であるが思い出した順に散文的に感想を述べていくことにする。ただでさえ少ない脳のキャパシティをもう少し有用に使いたいのである。

冒頭の幼い明と了のやり取りですでに「あっ……」という予感がし、小汚いロゴが登場して誠実にその予感を肯定することで約二時間の旅路の幕が開いた。

ながい たびが はじまる……。

成長した明と了の会話一発目で「ああっ……」という感じになる。本作、東映アニメーションのバックアップによって戦闘シーンのトドメをアニメチックにするなど「まったく新しい映像表現」を試みたというが正直「処理落ちしたのかな?」くらいの感想しか抱かなかったので東映アニメーションの伝手で声優さんにアテレコをしてもらったらまだ大分ましになったんじゃないかなと思う。声と出来事の温度差が大きすぎて台風が発生しそうである。(そういや終盤発生してたな、と思ったがあれは竜巻か)

部活の様子、女子はブルマだったりして2004年の作品だなあ……と感じる……と一瞬騙されそうになるが一般的な学校はとうの昔に廃止されているはずである。原作を変になぞっているのか特に学校生活はよく分からない部分から昭和臭がして、というか質感がなんか絶対に制服適齢期を過ぎている一部出演者たちも相まって安物成人向け作品のようで、間違ってそういうパロディ系のやつを見させられているのではないか? チクビデテルマンだったりしないだろうか? と余計な心配をしてしまう始末であった。

なんかデーモン素体(魂?)がプリンプリンのおたまじゃくしみたいで危機感ゼロの癖になんかフェティッシュな動きをするので青少年のなんかが危ないのでは? といらん心配をしてしまう。まったく感情が感じられない「ハッピーバースデー、デビルマン」はさすがに覚えがあった。CGのデビルマンになった時はオオッとこぶしを握り締めたが、その後すぐに間違ったビジュアル系のような形態が基本となるので予算管理って大切なんだな、と思わされる。

そして、シレーヌである。

明がその力を得たデーモン、「アモン」に一目置いていたデーモンの実力者。それ故に原作でははじめ戦闘を有利に運ぶも、次第に押され、死にかけてしまう。そこに四足歩行のデーモン、「カイム」のまさしく献身を得て、形勢は再び逆転。明は、デビルマンはその敗北を覚悟したのだが……。という、未読であればこんなもん読んでないで今すぐ読んで結末を確認してほしいほどの特筆すべきエピソードとなっている。

それほどのエピソード、果たしてどう料理されたのか、なぜ筆者は記憶がないのか……。コントめいた、スタッフの\ドッ/\ワハハ/という声が聞こえてきそうなシレーヌが登場し、板野サーカスに観客を根こそぎ持っていかれたであろう、途中でQTEを要求されそうな寂しい空中戦が繰り広げられ、中途半端ビジュアル系形態になるデビルマン。このまま敗北してしまうのか……? そこに了が駆けつけ……。

駆けつけ……?

夜が明け……。

なんか、なんとかなってた。

その後、シレーヌ登場せず。カイム、端から登場せず。

なんてことだ……筆者は記憶をなくしていたんじゃない……カイムの活躍は最初から存在しなかったんだ!!! 恐るべきトリックである。そういえばデビルマン金田一少年講談社だし、シレーヌはセイレーンのフランス読みというから聖恋島とも繋がるし、意図せずして記事がシナジーを発揮するのはブログを拡大ごみの一つでもあるが、この展開はいささか困惑した。

kimotokanata.hatenablog.com

ジンメンのエピソードはシレーヌの異次元の改変の後だといささかマシに思える。いがみ合っていた相手と仲を深められたと思ったら……というのは鬱展開の王道であるし、明へ了への注意喚起をするイベントの処理、原作の女の子は惨禍を免れるなど、コスパがいい。合わせて、「デーモンがデーモンを襲うなんて」というようなジンメンの断末魔で「あ、マジで脚本の人、原作愛全然ないんだな」と諦められるトリガーにもなっているので一石四鳥くらいある。ただ、その石を投げるべき相手は鳥のほかにいると思う。

デーモン被害(銃で撃った後デーモンに変化するのどうして?)は広がり、人々の疑心が鬼を生み、それはデーモンよりも醜悪な形で人間自身を蝕み始める。それを適宜伝えるニュースキャスターはボブ・サップということで濃密なゼロ年代前半を摂取させてくれるが、インテリと聞いてはいたが淀みない話し方(ただニュース原稿自体はかなりトンデモである)で聞き取りやすく、今作の出演者の中で数少ない安心してみられる演者であった。最後に変身した姿は原作の大魔王ゼノンぽいけど特に言及無し。

他にも鳥肌実小林幸子小錦など今や懐かしい顔が出てきて豪華なのだが、誰一人作品のクオリティアップに資していないのが悲しい。明らかに予算の使い方が間違っている。

地獄の釜の蓋が開いた状態にありながら、牧村父のもとに届くお重のお弁当。逆に嫌がらせなんじゃないか。明がデーモンであることを受け入れ、その恩義に報いるために弾圧の手が迫った時、明は自らの体を差し出す。なぜか半裸磔の状態でドナドナされて……。

だが魔の手は止まず、ついに牧村家は狂人たちの凶刃に斃れる。生きていた明が駆けつけ、目にしたのは愛する美樹の変わり果てた姿。

明は人間たちに絶望し、魂の慟哭を……しているはずなのだが、叫び声のテンション的には「うわ~犬のフン踏んじゃったよ最悪~」くらいの感情しか伝わってこなかった。それでも荒廃した世界で滅茶苦茶奇麗に残っていた教会で約束の式を……上げるわけでもなく祭壇に愛する人の亡骸をディスプレイするだけの明。こいつが一番美樹を冒涜しているのではないか。

「やはりデーモンのボスサタンは元は天使だから教会には手が出せなかったのかなあ」などとぼんやり考えているとサタンその人がエントリーしてきて教会はあっという間に廃墟! 原作通りの明への了の独白で脱線しまくり整備不良甚だしいジェットコースター的展開の邦画のカイ作は幕を閉じたのだった……。

と、思いきやまだ映画は続く。

この音飛びレコードのような展開を続ける映画にしっかり尺を取って描かれるのは広義の「デビルマン」となったミーコと、人間であり続けるススムちゃんの逃避行である。唐突に羽が生えたり、劣化キルビルみたいなアクションをしながら、二人は生き残っていた。そう、彼らが明の、美樹の遺志を継ぐのだ。この荒廃した世界のデビルマンと人間という新しいアダムとイブとして……(ミーコの腕、治ってない?)こいつらが主人公じゃねーか!

ススムちゃん演技上手だなあ、と思ったら染谷将太君で納得した。栴檀は双葉より芳しとはよく言ったものである。夫婦で「この子はこんなに演技上手なのにキャリアに計り知れない傷がついて失意のうちに引退してしまったのでは……」と心配していたのでよかった。

見終えて

令和にデビルマンを改めて見るという経験ができてよかった。無料視聴だと気持ちも穏やかになり、また妻と茶々を入れながら肩の力を抜いて見ることができたので「ちゃんと表示時間通り終わってえらいなあ」くらいまで感想を軟化させることができてメンタルにやさしい。時折訪れる衝動はフィットボクシングと併用することでそのままエクササイズに昇華することもできた。

妻「まあこういうBのLの作品あるよね、と思いながら見ていたらおねショタENDだったので作者の人は表紙にちゃんと注意書きをしておいた方がいいなと思いました。ハキュー封神演義? よりは話が通っていて面白かったです。多分同じジャンル」

続・見終えて

翌日、五月十三日。妻から業務中にこんな連絡が来ていた。平日夜であれば初日の様子を見るに、土日に買い出しに行くスーパーマーケットの方がよっぽど密である。十分に感染対策を整えた上、お言葉に甘えることにした。妻の寛大さに感謝である。

シン・ウルトラマンのことだよな……?

筆者の地元だけ新デビルマンやってたりしないよな……?

その場合、痛みを知るただ一人となることであろう。

無事、シン・ウルトラマンを鑑賞できたら、次回、シン・ウルトラマン感想でお会いしましょう。

おとうさんは擬似オタク

仮面ライダー龍騎」のネタバレがあります。

たまさか過日、「仮面ライダー龍騎」についてオタク諸賢と話す機会を得た。

折角なのでそれによって呼び起こされたあの時の衝動を忘れる前に書き記しておく。

龍騎」こそは筆者をこのようにならしめた原因の一つと言って過言ではない。

はじめ、書店で龍騎のビジュアルを見た時、正直言って筆者はカッコ悪い……と思った。なんだその網は、と。ナイトがあまりにも格好良かったせいもあろう。

中学生になり部活も始まり生活サイクルも変わっていた中で、ニチアサからは自然に離れていった。このまま卒業するのだろうという予感があったその時、たまたま見た回でライダーがカニに喰われた。

なにやら、未体験のことが起きているぞ、と予感しながらもあっという間に期末テスト、そして夏休みに突入しようとしていた。

筆者はバスケ部だった。体育館の夏休みの使用時間の割り当ての時、冗談のつもりで「朝一は仮面ライダー見れねえからなあ」と言ったら思いのほか部員たちの共感を呼び、そのせいか使用時間が朝一の日は例年と比べ極端に減った。

夏休みが終わり、実力テストも終えたころ、「ゴールデンタイムに仮面ライダー」というとち狂った企画が起こった。ひねくれた中学生だった筆者は「大人には騙されねえゼ」とばかりに投票はしなかったのだが……やはり翌日、部活で話題になった覚えがある。

そして秋の深まりとともに、筆者は彼と出会った。

漂う知的な雰囲気と大人の魅力。

確実に屈指の天才でありながら、それ故に大天才神崎士郎への言いようもないコンプレックスを抱えているサリエリ的一面。

「擬似」という立ち位置でありながらそのフォルムは劇中のどのライダーよりも正統派な昆虫をモチーフとした「仮面ライダー」なデザイン。

後の平成ライダーでも目を引く要素となる「加速」という強み。

他のライダーと違うカードデザイン・読込音。

プロトタイプという設定。

自らを律しながらもしかし情を捨てきることができない脆さ。

ファイナルベントの名前が「デッドエンド」というセンス。

悲劇的な最期。

バトルスピリッツ オルタナティブ・ゼロ コモン 仮面ライダー 相棒との道 BS-CB15 バトスピ ブースターパック 仮面・戦騎 スピリット 紫

仮面ライダーオルタナティブ・ゼロと香川英行に筆者が心奪われるのに時間はかからなかった。

今こうして思い返してみると、自分が父親になってますます、魅力的なキャラクター造形だと思う。父として、夫としての自らの代替物(オルタナティブ)はいない。覚悟ゆえに曇った眼鏡が見えなくしてしまった運命の皮肉が彼の胸を刺し貫いてしまったのだ……。

が、弟のクリスマスプレゼントという名目で買ったPSの仮面ライダー龍騎のゲームにはゼブラやゼールといったモンスターがバリエーション違いで登場するという謎のこだわりを見せつつもオルタナティブ及びオルタナティブ・ゼロは未登場という仕打ちを受け、筆者は悲しみに包まれたのだった……。

という話をしていると、話しているオタク諸賢やまた聞いてくださっているオタク諸賢から貴重な証言を頂き、さらに見識を深めていくこともできた。

一方で、特に一発勝負なリアルタイムトークをする場面ではもろに、筆者自身はというと「おれってやっぱ、オタクじゃねえなあ」と思うことが増えてもいる。

情熱、思想、理念、頭脳、気品、優雅さ、勤勉……そして何よりパッと出たワードに反応できる速さが足りない。(老いも如実に感じられる一幕である)よくもまあこれで今まで「〇〇が好きです」「△△オタクです」などと言えたものだ……とこの年にして汗顔の至りである。

恐らく人によっては既にネットを断ち、この記事を読むことも当分先になるのでは……というくらいの「シン・ウルトラマン」への盛り上がりを見るにつけ、ますますそう感じた1週間でもあった。彼らは3年待ったのだ。素晴らしい作品であってくれ、とささやかに願ってもいる。

とはいえもちろん、種々のコンテンツを日々楽しませてもらっている。可処分時間のなさにため息をつく毎日である。

近年長らく覇権コンテンツであった「妻」に加え、大型コンテンツ「娘」も追加され、自称トップオタとしてはその供給に日々必死に食らいついていて、他の「オタク」になりきれない、ということもあるだろう。

この「オタク」だけは擬似でなくまっとうなオタクであり続けたい、と思う。

さあ、今日はお風呂上りどれを着てもらおうか。なんでも似合うから困っちゃうぜ。

道枝金田一に挑め! 一足早く「聖恋島殺人事件」を推理する(段階的にネタバレあり)

余談

kimotokanata.hatenablog.com

恐ろしいもので、5月の幕開けに書いた記事から早1週間が経とうとしている。コミックdaysでの「金田一少年の事件簿R」無料期間の終了も迫ってきていた。

いよいよ、明日放送の道枝駿佑さんが金田一一を演じる5代目金田一少年の事件簿で初映像化となる「聖恋島殺人事件」にたどり着いた。初めての「原作を未読状態で体験する金田一少年の事件簿ドラマ」ということも考えたのだが、やはり筆者としても目の前の事件を前に素通りなんかは出来ない……ジッチャンの名に賭けて!(父方は電車の運転士、母方は大工)

ということで再びの、金田一少年への挑戦である。

本題

ここからは原作版聖恋島殺人事件のネタバレがあります

 

 

釣り大会のために「聖恋島」を訪れた金田一・美雪・剣持警部。金田一少年の事件簿おなじみの下衆そうなテレビ関係者・医療関係者が集まる中、何も起こらないはずもなく……早速夜明けの釣り大会集合時間に不在だと思われていた、誰もが登場時点で今回の被害者だと予想できたであろう影尾 風彦(無駄に名前が格好いい)が密室で背中に銛を突き刺された状態で発見される。そして密室から人魂のような光が別の密室へ移動したかと思うと、影尾の死体もまたそちらへ移動していたのである!

その際点呼をとると、影尾自体の全員がその場にいた。影尾殺しは島に巣食う「セイレーン」の仕業なのだろうか? 島の食料もセイレーンが食い荒らしたかのような惨状であり、製薬会社営業・伊豆丸 険とその系列医療機器メーカー営業の鰐瀬 たかしが釣りに出る。しかし釣果はゼロ。

腕に自信のある潮 小次郎と剣持警部、(と金田一一)が交代で釣りに出かけるが、一と剣持警部の目の前で海の底に引きずり込まれるかのように潮は消え、のちに溺死体となって発見された……。

参加者たちが恐怖に震え上がる中、寒野 美火を名乗る手紙で全員が呼び出される。しかしその瞬間、目の前で彼女は水中銃によって外から頭を射抜かれ、死亡した。そう、またしても全員がアリバイがある状態で……。

不可能と思われる犯罪、しかし金田一少年は録画された容疑者の発言、島に響く「セイレーンの声」、ボートに残された糸、美雪の手品からヒントを得て、宣言する。

「謎は全て解けた……!」

筆者32歳の推理

ここからはさらに事件の核心に迫っていきますので未読の方はご注意ください

犯人

今回はミステリー「漫画」らしさを生かした事件だと感じた。そして、「金田一少年の事件簿ファン」であれば端々にそれまでの事件の使いまわしオマージュを感じられる事件だと思う。

前置きはさておき、筆者の考える犯人は伊豆丸 険である。まずは一が「犯人がわかったかも」といった録画のシーンに着目すると伊豆丸の顔に線が入っているのが確認できる。潮不明後ということを考えると、これは水中眼鏡の跡が浮き出てしまっているものだと検討がつく。

そこを糸口として事件の全体の流れを考えてみると、トリックにかかわる部分は別項に譲るが、例えば食料調達のため釣りを言い出したのは伊豆丸であった。

伊豆丸がかつて島の住人であり、セイレーンの声が潮目の変化であると知っていたのなら、釣れない時間帯にあえて釣りに出てポイントをつぶし、罠の仕掛けてあるCポイントへ潮を誘導したと考えられる。

また、影尾を起こすように言われていた伊豆丸なら早朝の行動をコントロールできるだろう。

寒野殺害についても、甲斐甲斐しく世話をしていると見せかけて飲み物に睡眠薬を仕込めるのは伊豆丸であろう。

鬼島 高彦もかなり怪しい。録画でまだ二人目の被害者なのに「三人目」と口走っていたり、手紙のシーンの意味深な笑い、また、影尾がいないのに気づかないはずはないのにリアクションがないのも気にかかるし、「四時ちょうど」というのも潮目が変わるタイミングに合わせているのだとしたらそれを知っている=島の住人=犯人? という風にも考えられる。また、不正が疑われるこの大会も主催者側であれば任意の人物を通過させることもできるだろうし、部屋割りなども思いのままである。

正直メタ的な意味で「あからさますぎて怪しい」というのと、「伊豆丸の水中眼鏡跡が決定的でそこから根拠を逆算した」ということがなければこの人を犯人にしていたと思う。ただ、この人だと後述する理由で影尾殺しが恐らく無理。あと……メタな理由で申し訳ないんだけどこの人ドラマ版にいないので……多分違うんじゃないかな……。

また、鰐瀬も島出身ぽいのと後述する寒野の殺害トリックから考えるに怪しかったのだが、これも「あからさまに怪しげな写真を見つめる奴はシロ」という金田一世界のメタな理由と釣り部分を根拠に排除した。(ここは「伊豆丸さんが言わなけりゃ自分から言い出すつもりだったんだろう?」とか解決編で一が言いそうなところでもあるが……)

影尾殺しのアリバイトリック

これまた漫画ならではという感じで、最初の「死体」と後から発見した死体は銛の刺さっている角度が微妙に違うように思える。即ちこの二つの死体は別物か、あるいはわざわざ刺し直したか――筆者は前者だと考える。

人魂めいた光は誘導するためライトを動かした(医療用ライトと後述する糸を用いたトリック?)もので、それに誘導され参加者たちが改めて死体を発見する部屋には移動などしていなかったのだ。

つまり、伊豆丸は初めに全員でコテージを移動する際に最後尾に陣取り、時間をずらして教えた影尾を殺すと逆走して島民時代の鍵を用いて部屋に入って「死体」を演じ、「人魂」で全員をコテージへ誘導すると、反対側の扉から出て合流し、発見したときに自分もいたとアリバイを作ったのである(コテージへ向かう影をよく見ると、ひとり明らかに遅れている影がある。これまた漫画の妙である)

ええ~また「死体の振りトリック」かあ……という気がしないでもない。

寒野殺しのアリバイトリック

初めが見つけた糸は手術用の溶ける糸だろう。これを用いてボートと水中銃に結び付け、潮目が変わればボートが動くのに合わせて水中銃の引き金が引かれる、そこに人間は介在しないのである。(ただし、手すりに跡がついてしまう)なのでこのトリック自体は誰でもできると思われるが、寒野の部屋があの場所である必要があるので即興で思いついたか、ゴマすりの一環として部屋割りに介入したか……であろうか。

金田一少年の推理(答え合わせ)と雑感

大体合ってました。鬼島に関しては結構アンフェアなんじゃないかと思うのだが……。金田一少年の世界の医療関係者にまともな人がいなさすぎて困る。娘を持つ身としては身が粟立つ思いであった。正直、今回一番新規性を感じたトリックは潮殺害のもので解答編前に既に明かされていたのだが、これを解けと言われたらちょっと無理……というかバカミス感が強まったのではないかと思う。影尾の「死体の振りトリック」はR内でさえ複数既に使用されているので本当はその上をいってほしかったなあと思う。鍵のところとか「隠し持っていた鍵で」とかするっと片付けるのはいいのか。というか結局釣り大会は実力だったってことなのか?

原作の謎解きのヒントは視覚に頼るものが大きいのだが、暗闇の移動シーンや水中眼鏡跡を実写に落とし込むとどういう風になるのか、というのは楽しみである。

過去のドラマのように犯人が変更されている可能性もあるので視聴したらまた推理も交えた感想を書きたい。

金田一少年の事件簿R(12) (週刊少年マガジンコミックス)

煎じ詰めれば千字になるか・献血編

f:id:kimotokanata:20220404233529j:image

またもやこんな時間(23:25)である。そういえば書き漏らしていた献血のことについて書いておく。

先月、日曜日。いつものように親子3人髪を切りに行ったわれわれであったが、実は筆者の胸には期するものがあった。

献血である。我々の利用する美容室のそばには献血ルームがある。どうせ妻が髪を切ってもらっている間美容室で娘をあやしているくらいなら、その間で献血をしたい、と思った。

妻も僅かばかりではあるが子と夫から離れたフリーな時間を過ごせるはずである。

恥ずかしながら、持病で薬を服用していた時期が長かったこともあり三十路で初めての献血となる。

電停が近いこともあり、学生時代から何度も横を通ってきた献血センターに初めて入る。

初回なので200mlで…と思っていたが、本日の目標分は既に達成されているという。同じ県民の相互扶助の精神を誇りに思いながら、いきなり400mlか…と少し逡巡したものの、やはりお願いをする。

センターは綺麗なところで、娘はたちまち職員さんにちやほやされ、大層気をよくしているようであった。

諸々の同意書の記載中は職員さんが用意してくださった椅子で筆者の横に座り、書類にわかったふうに首をゆらゆらと動かしていた。

問診の間は職員さんに抱っこをされたり、ドクターに頭を撫でたりしてもらっていた。ご利益がありそうである。

すべて異常なく、採血の前に水分補給を言い渡される。うっかりココアを選択してしまい、娘が触らないようにという焦り、チンタラ飲んでは妻のカットが終わるのではという危惧、職員さんにお前さっさとしろやと思われているのではないかという疑念、そもそも単純に暑いという様々な要素が入り混じった汗をかきながら待合室の横で小さくなって飲んだ。

娘は隣の隣に座っている献血後の男性にいないいないばあをしてもらって上機嫌であった。

飲み終わり、いよいよ採血である。個別の席に案内され、毛布をかけられる。目の前にはモニターがあってテレビが見られる。老舗お弁当屋さんの特集であった。

秘伝のタレの秘密を聞き入っているうちに気づけば針は刺さっていた。「献血の針は太い」と昔から父に(彼はAB型Rh -なので特に意識して定期的に献血している)脅かされていたが、インフルエンザワクチンの注射の方が痛かったように思う。

娘は看護師さんが抱っこしてくださっており。久々に一人ぼーっとテレビを見る。見ながら、妻のことを考えていた。なんか筆者に言えない愚痴とかを美容師さんにいい感じに話せていたらいいなと思った。

今回、献血をしたのは妻はお世話にはならなかったけれど、出産には輸血はつきものであり。そう言った形でささやかながら出産という大事業について男親から恩返しというか、サポートというかができたらいいな、という思いからであった。

次の老舗仕出し屋さんの親子の涙のエピソードを知る前に献血は終わり、献血カードを受け取った。娘はたくさんの人にチヤホヤされ気持ち肌艶が良くなっているようであった。

次回は6月、次は予約して献血をすることになるだろう。

それにしても腹が減った…と思いながら、娘を戸愚呂兄のように抱えながら髪を切ってますますいい感じになっている妻に会うために400ml分軽くなった足取りで美容室に向かうのだった。(30分/1360字)