カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

生き過ぎたりや三十二

どうせ俺らは早く死ぬ - phaの日記

生きに生きて40歳、俺らは結構長く生きた - シロクマの屑籠

『自由』が『虚無』と化した先の人生の生きがいについて(あるいは個人主義と共同体主義の狭間で) - 自意識高い系男子

自分の人生に飽きたくない - インターネットの備忘録

40代のおれは無敵で最強すぎるから直線でおまえらをぶっこ抜いてやる - 関内関外日記

どうも最近、「はてなダイアリー的なムーブメント」がはてなブログトップでよく見られるようになり、懐かしさと寂寥が絡み合って胸に転がり込んでくるような心持になる。

こういった「40代ムーブメント」みたいなこととは全く関りなく、たまさかTwitterで大学時代の先輩であるF先輩と二、三やり取りをした。鳥取の市は四つしかない、というもので筆者が残り一つ(倉吉市であった)を思い出せずにもやもやしていると助け舟を出して下すったのである。

F先輩は鳥取の産であり、大学の長期休暇明けにはいつも梨をモチーフとしたおいしい銘菓をサークルに差し入れて頂いていたのだが、その銘菓の名前も今や遠いかなただ。中国地方に住んでいたのも早十年前、お恥ずかしい限りです、とリプライを返すと、その流れでF先輩はおれも今年四十だしなあ、とおっしゃられたので再び歳月の流れを感じ、またその後に見たはてなブログで丁度そういう話題が盛り上がっていたので不思議な気持ちになった。

kimotokanata.hatenablog.com

去年でインターネットに漂い始めて二十年が経った。そう考えるとその当時の「おもろい兄ちゃん・姉ちゃん」が四十の峠に差し掛かっているのも何ら不思議ではなく、最近はwebで興味深いエントリを見ても年下が増えてきているのを見ても隔世の感がある。

筆者はそれこそ十年前くらいまでは「オッこの生き方にしてこの人生ありだな」というものでまあ木本家の血はより洗練された次男三男が次代に伝えてくれるだろうしそんな長生きもしないんだろうなと思っていたらたまさか結婚が出来て、こともあろうに子どもまで授かったという受け身でめちゃくちゃ幸福になってしまったタイプの人間である。

明日、「もしもし、これは夢ですよ」と言われたら「いやあどうにも話がうますぎると思いました」と納得してしまう予感すらある。

もちろん娘の成長は楽しみだし、妻とこれからしたいことも沢山あるが、しかし一方で「生き過ぎたりや」という気持ちもまた、時折鎌首をもたげる時がある。

まだギリギリ今なら死んでも皆に多少は惜しんでもらえるのではないか、老醜を晒す前にポックリ逝ったほうがいいのではないか、というような。

西村賢太先生の訃報が影響しているのかもしれない。

あるいは、島津斉彬と言う人が一切合切やり残してしかし名君として名を留めている、そういった展開を期待しているのかもしれない。自己評価が低いのか高いのかわからない。

しかしまあ、三十二である。誕生日が来れば今年三十三だ。学生時代神のごとく思っていた先述のF先輩の当時の年齢より上になってしまった。さっきから計算が合わないのではと首をかしげている読者諸賢に言っておくとF先輩は休学を挟んで大学八年生で卒業したという伝説の先輩であられた。そういった伏魔殿的な側面を持つ大学生活という期間が筆者は好きであった。大学生化についてはついこの間も話をしたばかりであるのに、冬の寒さは人を後ろ向きにさせるのかもしれない。

単純に考えても通常の腐れ大学生の倍の知識量を持つF先輩はそれに飽き足らず歯車的嵐の小宇宙めいた深淵なる論理でもって文で芸しようとする後輩どもの作品をばっさばさと斬り、墓碑に備える花のように助言を与えていく、というサークルの主であり、神であった。

一年生の夏休みに差し掛かろうという時、「木本の、あの作品は面白かったな」とF先輩が声をかけてくださったことがあった。筆者は凡人であって、人の反応を求めて創作している部分もあり、「神に認められた」ということがその後の創作にどれほど影響を与えたか知れない。

他方、二年の秋に書いた作品に「木本、どうした?」と言われると部誌に掲載直前に作品を取り下げてしまうこともあった。

こういった気持ちを芥川龍之介夏目漱石について「先生にあこがれる一方で、先生に好かれようと自作の筆をまげてしまわないかと恐れもした」という風に残していて、筆者と芥川を比べるなどおこがましいにもほどがあるのだが、みんなそういう存在があるのだな、と無闇に納得したことを覚えている。

本日、折よく「追懐の筆-百鬼園追悼文集」という本をkindleで見かけて購入した。内田百閒のkindleの本は二、三年前にすべてチェックしたはずだがと思っていたらちょうど去年の今頃の出版であった。

その名の通り内田百閒が各所に寄せた追悼文がまとめられている。

何度も書いているが筆者は「ヒャッケンマワリ」が大変に好きで、とりわけ夏目漱石の葬儀の時のエピソードが非常に心に残っている。

「追懐の筆-百鬼園追悼文集」の巻頭はまさしく「漱石先生臨終記」である。葬儀の話だけでなく、学生時分に岡山駅夏目漱石をお見送りに行く話(実際は夏目漱石は途中で病気になりいなかったのだが)や、借金を申し込みに行って全裸の夏漱石と会う話など、筆者が夏目漱石周りに興味を持つきっかけになった「先生と僕」のネタ元も同居しており、静かな感動と一次ソースにあたることの大切さを改めて感じたりもした。

 

「先生と僕」は四コマ漫画夏目漱石とその周辺の人物が活写され、幕間に漱石たちの書簡や小説の抜粋があって満足度の高い名著である。

文庫化もしているようであった。解説とかどうなっているのだろう……気になる……(電子本はページがくたびれてきたから買い替えるということが出来ないのが辛いところだ)

少し話がそれた。次の追悼文は「湖南の扇」「亀鳴くや」であり、こちらは芥川龍之介への追悼文だ。「あんまり暑いので死んでしまつた」という文章は聞いたことがある人も多いのではないだろうか。

内田百閒と言う人は夏目漱石芥川龍之介ほど人口に膾炙してはおるまいが、八十を過ぎて大往生を遂げられた。その間に多数の追悼文を遺し、まだ筆者は先に紹介したものと「空中分解」を読んだだけであるがいずれも名文である。

そっちがいいな、と思う。残されるのは寂しいが、しかし生き過ぎた人間が捧げることが出来る哀悼があるはずである。

とはいえ、妻と娘よりはさっさとあの世に行きたい所存であるが、四十歳の時娘は八歳か……ともすぐ考えるので、当分は生き恥を晒していきたい。あわよくば生き方を洗練させても見たい。まだまだ並走してもらう予定の妻に少しは見直してもらえるように。

こういう風にもだもだ考えていたものに一旦の結論が出せたりするので、やはり読書はやめられない。

たとえば去年、この「四十代になっちゃったよムーブメント」みたいなものが起こっていればこの本に辿り着くこともなく(出版されていないので)、モダモダしたままだったのかと考えるといいタイミングでみんなモダモダしてくれて大感謝であるなあと思う次第。

各自、人生をしていきましょう。

煎じ詰めれば千字になるか・大鰻編

なんともはや、こんな(23:46)時間である。久々に帰宅が21時となった。ということはまだ家に帰宅して3時間経っていないと考えると恐ろしい。

かわいそうなのは娘で、筆者が帰ってこないと風呂に入れないのである。(沐浴から一貫して娘を洗うという大役を仰せつかっている)親譲りで風呂好きの娘は水を得た魚のように、というかデカいウナギのようにぬらぬらと、しゃぼんまみれではしゃぎまわる。

そこからが難儀である。風呂が大好きということは、ふろからでたあとのテンションの落ち方が並ではない。しかも、季節は冬。加湿器をしてもどんどんと娘の肌は乾燥していき、痒いのか、肌を掻きむしる。保湿のスピードが問われるわけだが、またも保湿クリームで全身ぬらぬらの娘は陸上であっても機動性を失うことなく、どころか摩擦を己の武器にしてオムツ・下着・パジャマ――あらゆる「拘束」から見事に逃れ続けるのだった。

少しでもそれらが肌に触れると、自由の侵害だと言わんばかりに泣き叫ぶ。涙で塗ったばかりの保湿剤が流れる。それでもどうにかすべてを着せ終えると、筆者は疲労困憊、娘は「準備運動は終わったわ」と言わんばかりの表情を見せる。風呂に入った後にいい汗をかくな。

(14分/508字)

f:id:kimotokanata:20220208235741j:plain

 

腕の中の宇宙飛行士への手紙

さてさて、今日もこんな(23:05)時間です。

最近はお風呂とその後のお着換えタイムで暴れまくって体力を消耗し、その後ミルクを飲んでそのまま入眠……という黄金パターンも通用しなくなってきましたね。

どころか、ミルクで体力をチャージし、そのまま夜明けまで走り去りそうなエネルギーさえ最近は感じさせます。

そうして、さあ、そっちがその気なら、徹底的に付き合うぜ! 覚悟完了! と身構えると、あなたはこてんと、本当にこてんとしか言いようがない感じで、眠りに落ちます。「電池が切れたような」とはこういうことを言うのだと言葉ではなく心で理解しました。

あなたが生まれてから半年が経ちました。

色々なことがありましたね。その中で、コロナ禍という禍々しい通奏低音だけはずっと流れ続けていて、あなたのことを大切に思っている沢山の人たちのもとへ連れて行ってあげられないことをとても残念に、申し訳なく思います。

あなたの名前には、宇宙に関する漢字を使いました。

迷信とはいえ、やはり将来あなたが占いとかで調べて凹んだらいやだな、と思って、画数もいいものを選びました。恐ろしいことに、我が家の苗字は「大凶」で、生まれながらにハンデを背負っています。これを何とか打ち消すべく、ずいぶん奮闘しました。

そしてふと、戯れに自分の名前を入力してみたら、総格が大吉で。あなたのおかげで、思いがけず私は親に愛されていたことを実感することが出来ました。

そうして画数で絞り込んで、二つの漢字が残りました。

あなたが生まれる二週間前のことです。

けれどそれから、我々は悩みました。何をしていても頭の左上の辺りでずっと二つの漢字がルール無用のデスマッチを繰り広げていました。レフェリーが静止に入ったと思いきや、「やっぱりこっちにしとかないか?」とその正体は響きは好きだけど画数の問題で退けた別の名前であったりして、選択が振出しに戻ることもありました。

kimotokanata.hatenablog.com

そんな我々に「早く決めてね」と言わんばかりに、少し早めにあなたはやってきてくれました。

ところが我々は……ここからさらに一週間近く悩みました。

「顔を見たらスッと決まるものだよ」と先人は言っていました。

f:id:kimotokanata:20220207232654j:plain

決まりませんでした。名前だとか親族への連絡だとか自分の明日の予定とかそういうものを遠くに置き去るような多幸感で私の少ない脳のキャパシティは支配されてしまったからです。

きっともう自分は正義の味方にはなれない、とその時思いました。

あなたを守るためであればたとえあなた自身にさえ軽蔑されるようなことでもしてしまうだろう、と。

顔を見た時に決まったのは、名前ではなくてそういう決心でした。

もちろん、そんなことがないことに越したことはありませんが……。

あなたが生まれた2021年という年は、ある意味で私と妻、あなたのお母さんが出会った2011年にも通じるものがありました。未曽有の災害、災禍によって人々は分断され、ある種半強制的に、グローバルからローカルへ目を向けさせられた年。

だから、我々はあなたの名前に宇宙に関する漢字をあてました。そんな時代でも、気宇壮大に、心を大きく持って、人々の印象に尾を引いて残るような、どこまでも気持ちが広がっていくような、そういう願いを込めました。

もしかしたら将来、月のルナチクス君を「彼よ」と紹介してくれることもあるかもしれません。ずいぶん愉快ではないですか?

半年前の力加減を少し間違えたら大変なことになってしまいそうなあなた。

五か月前の三時間きっかりでミルクを訴えるあなた。

四か月前のお風呂が大好きになったあなた。

三か月前の顔が持ち上げることが出来るようになり、文字通り視界が広がったあなた。

二カ月前の得意げに寝返りをして見せるあなた。

一か月前の離乳食をモリモリ食べるあなた。

f:id:kimotokanata:20220207235210j:plain

今日のこの写真から三秒後に私へ痛烈なアッパーカットを放つあなた。

大きくなったね。

一瞬一瞬がとても大切な思い出です。

あなたとお母さんと縁があった時、私は「こんな幸せなことがあっていいのか」と思いました。まさか、人生にそんなことが二回もあるとは思っても見ませんでした。

どんどん成長して、あっという間に親を抜き去って世界へ、宇宙へ飛び出してしまうかもしれないけれど、今はもう少し腕の中でゆっくり寝息を立てていてください。

ハーフバースデーおめでとう。

 

 

煎じ詰めれば千字になるか・望郷編

またまたまた、こんな時間(23:27)である。

大学時代よりお世話になり続けているT先輩ご夫妻から今年も牡蠣をいただいた。「ケンミンショー」で話題になっていたが、マジで一斗缶で届くのでビビる、のも慣れてきた。ありがたいことに十年近く送っていただいており、そのご厚情になかなか報えず心苦しい限りである。

友人の結婚式の際に一泊させていただいたことがあり、その際には二人きょうだいであったお子さんは三人となり、長女さんはランドセルを背負っているというから月日の流れは恐ろしい。ご伴侶も同じく先輩であり、在学中からお二人とも大変気配りのきく方々であったが、毎年の年賀状を見るたびに、それがご家庭にもいきわたっていることがありありとわかり、その笑みに元気をもらっている。

f:id:kimotokanata:20220206232558j:plain

殻付きの牡蠣はいつも抜群のおいしさであるが、ことに今年はそれだけでなく大物が多いようにも思え、食べ応え抜群であった。

せっかくなので同じく瀬戸内のものと合わせていただいた。

f:id:kimotokanata:20220206234027j:plain

f:id:kimotokanata:20220206232628j:plain

広島県東広島市西条は筆者が腐れ大学生生活を錆びたラッパで吹き鳴らした場所であり、日本有数の酒どころでもあることは以前も述べたかもしれない。鹿児島からの帰路、新幹線とローカル線の違いとはいえ福岡→広島間と広島→東広島間の所要時間がほとんど変わらなくてなんか騙されたような気分になったことを思い出す。

ちょうど今みたいな寒い夜、西条の冬の夜は本当にファッキンコールドとしか言いようのない寒さであるのだが、腐れ大学生どもはうっかり宴の最中に酒を切らした。決死隊がコンビニ(遠い)へ向けて出動する。

一年坊主の失態でありながら、その買い出しに付き合ってくれたのがT先輩であった。その天性の明るさで道中の気温は五度くらい上昇したように思え、我々はなんとか調達に成功したのだった。

その時の酒が山陽鶴で…となると美しいのだがなにかしらチューハイであったと思う。今回牡蠣と合わせた山陽鶴は新型コロナが地方にも忍び寄りつつあった一昨年の二月、慌てて帰省した際の土産に広島駅で買ったものだ。まさか二年以上帰ることができなくなるとは思わなかった。パッケージにひかれて買ったが、牡蠣の海の味をさっぱりさわやかに洗い流してくれるきりっとした味で、初めてなのに懐かしい。

情報網の発達で東京でも北京でもすぐそばにあるように思えてしまうが、だからこそこういったとき一層実際の距離をひしひしと感じる。帰りたい。

(27分/999字)

 

 

無双歴20年、審神者歴6年の「刀剣乱舞無双・体験版」感想

本題

結局こんな時間(22:45)になってしまったのでさっそく本題に入ろう。

気が付けば、人生の2/3無双シリーズをプレイしている。

初めは友人宅で。「真・三国無双2」だった。夏侯惇夏侯淵の違いも判らなかった筆者はしかしその面白さと革新性に驚いた。広大なフィールドを駆け回り、敵将だけではなく、多くの兵たちをまさしく無双の勢いでなぎ倒していく。今までにないゲーム体験は筆者を虜にした。

真・三国無双3」では来る日も来る日も五丈原で木牛をぶち壊し。

真・三国無双3エンパイアーズ」では同盟を破棄しては相手を攻め滅ぼし。

戦国無双」では酔いながら来る日も無限城を下り続け。

戦国無双猛将伝」で羽柴秀吉の魅力と錬武館のスリルに取りつかれ。

戦国無双2」ではハマり過ぎるあまりに部活を退部しかけ。

無双OROCHI」では神速をガン積みした武将の挙動に不安になり。

戦国無双2エンパイアーズ」では出すタイミング今じゃないだろと思い。

真・三国無双アドバンス」では意外な面白さに反省し。

戦国無双2猛将伝」では柴田勝家の生きざまと修羅属性の劣化に涙し。

無双OROCHI魔王再臨」では卑弥呼に背後から瞬殺され。

真・三国無双5」では推しがポッキーを背負ってきて慟哭し。

真・三国無双5エンパイアーズ」では処断がないことに狼狽し。

真・三国無双6」では劉禅の解釈違いに憤慨し。

ガンダム無双2」では冬が来ると訳もなく悲しくなり。

真・三国無双6猛将伝」ではホウ徳はもう少し怒ったほうがいいと心配し。

ガンダム無双3」ではもうアイツ1人でいいんじゃないかなとなり。

北斗無双」ではあたり構わず黒王号を落下させ。

無双OROCHI2アルティメット」ではある種の到達点を確認し。

真・三国無双6エンパイアーズ」では位人臣を極め。

戦国無双3Z」では戦場を駆け回っておにぎりを配り。

真・三国無双NEXT」ではそこまで無理してVITAに殉じなくてもと憂い。

「海賊無双」ではだから無双にアスレチック要素を入れるなと愚痴り。

真・三国無双7」ではifに燃え上がり。

真・三国無双7猛将伝」では陳宮の解釈一致に歓喜し。

真・三国無双7エンパイアーズ」はロード時間でお茶を飲み。

戦国無双クロニクルセカンド」では最高のシナリオに万雷の拍手を送り。

戦国無双4」ではそのままクロセカをHD移植しろと嘆き。

戦国無双4エンパイアーズ」では日々謀略を仕掛け。

戦国無双真田丸」ではまさかの武田四天王総モブにビビり。

戦国無双クロニクル3」では奇跡は二度続かないと落胆し。

「無双スターズ」ではわかっていたことながらため息をつき。

真・三国無双8」ではオープンワールド病を嘆いた。

戦国無双5」では突然の仮面ライダーに絶句した。

そんな20年であった。

無双シリーズというものは、もはや愛憎とかそういうものを超え、筆者の血肉となっている、と言ってもよい。以前、「推し」の記事を書こうとしたとき一瞬頭をよぎったが、「もはやそういう次元ではない」と除外した対象である。

翻って、刀剣乱舞である。

こちらも6年前に始めて以来、親しんでいるコンテンツだ。ゲームだけでなく、実際に刀剣鑑賞に遠征したり、舞台を見に行ったり、映画を見に行ったりと、多方面で楽しませてもらっている。

kimotokanata.hatenablog.com

気が付けば四年ほども前、宴奏会に向かう車中で妻と盛り上がったのが「刀剣乱舞無双」だった。妻もまた、無双フリークである。コンパチをどこまで許容するか、プレイアブルでなくてもシステムボイスなどで推しに出てきてほしい、刀剣男士の紋が無双攻撃の時には出てきてほしい、万事屋で取り扱われる商品は……などなど話は尽きなかった。

その、刀剣乱舞無双がいよいよ発売される。しかも、体験版を配信してくれるという。

都に潜む鬼を退治て配信開始と共にプレイする審神者諸賢が多い中、どうにか筆者も本日プレイ出来たので、率直なプレイフィールを述べておきたい。

本題の本題

本体験版は「序章」がプレイできる。プレイ可能は15人(振)というから本作で新登場の「面影」を除き現在発表されているプレイアブルキャラクター全員という太っ腹ぶりだ。

まずは第一部隊の三日月宗近蜻蛉切千子村正から選択することになる。筆者はシリーズの顔ということもあり三日月宗近を選択した。

果たして無双初体験の審神者諸賢はどう思われるか、ということも考え、難易度は「易しい」操作は「簡単操作」にした。

開幕、時間遡行軍がステージの奥へ逃げる。その様はちょっとシュールで可愛げがあるので是非見てほしい。筆者は刀ステの一幕を思い出した。

戦国無双」初期のよく言えば歌舞伎の見得のようなメリハリのきいた、悪く言えばロボットのようなビシガシとした動きからすればまさに隔世の感のあるモーションは流麗で、まるで舞を見ているかのようだ。

それを目で追っているうちに、気付けばステージをクリアしている。約1分。モーションは通常攻撃だけに制限されており、操作の種類についてはあまり意味を感じなかった。

続く第二部隊では強攻撃が解禁される。ここで「強攻撃を三回使え」という課題が出るが、「簡単操作」かつ「易しい」だと敵が強攻撃を出すタイミングまでにやられてしまい、逆に難儀をすることがあったので注意されたし。因みにここであえて課題を無視し続ければ敵は無限湧きするようであるので、「稼ぎ」が出来る(後述する)。

強攻撃は任意に選択することが出来、これは無双シリーズのフラッグシップ、「真・三国無双」シリーズの最新作である8と同じような仕様だ。

続けて第三部隊である。

kimotokanata.hatenablog.com

へし切長谷部は我々夫婦が偏愛している刀の一つであるので、その解釈一致ぶりが嬉しくなった。モーション一つ一つに「これだよこれ~」と声を上げたくなる。

第四部隊ではこれまた妻が愛する鶴丸国永を選択した。

しかし「必殺技」とは……なんかもうちょっと言い方がなかったものか、と思う。そのまんま「刀剣乱舞」とかで始動時のセリフが「刀剣乱舞、はじめよう」とかでもよかったのにな……というのはオタクの戯言である。

ピンチになって繰り出すと「真・必殺技」となり発動時は画面いっぱいに刀剣男士の紋がバーンと出る……と思ったけどそんなことはなかったぜ。

もうちょっと何とかならなかったのかと言えば「タッグ」という言葉も違和感があった。なんか刀剣乱舞の世界観に個人的にはしっくりこないというか……「双刀連携」「双刀必殺」とかは凄くいいのにどうして同じ箱に「バディ連撃」を入れてしまったのだろう。動き自体はこれまた優雅で、そのあとの山姥切コンビのセリフも相まって最高であった。

普通にプレイすると30分ほどで序章は終わる。さて引継げるということで今度は別のキャラで……とセーブデータを選ぼうとすると「クリア済ですよ」と出る罠。

そう、今回はこのチュートリアルともいえる序章を最初から最後まで一筆書きに走り抜けた、その一回分しか引き継ぐことが出来ないのである!

戦国無双5」も同様に体験版から引き継ぎが出来、プレイアブルは少ない代わりにそういった制限はなかったので少し衝撃だった。そのため、体験版から強化して製品版に連れてこれるのは各部隊一振ずつということに注意が必要である。

とはいえ普通にこなすと1レベルも上がらない。ので特に影響はない。わざとやられてコンティニューするか、途中の課題を無視して敵を倒し続けるか、いずれか(または併用)恣意的な操作をすればある程度は上げられるようだが、無理をせずとも製品版で小一時間もあれば達成できそうなので(より効率のいいステージが解禁されるだろうし)筆者としてはそこまでする必要を感じない。因みに経験値は「難しい」でも変わらなかった。

しかしこの仕様、「反復作業をものともしない審神者諸賢」に対するコーエーテクモの対策だとうがった見方をしてしまうのだが、タイムオーバーまで粘ってマラソンするということで突破する猛者が既に数多表れており、業を感じる(誉め言葉)。

全員プレイしたが、少ない武器種でよくもここまでモーションにバリエーションを、と感動を禁じ得なかった。ただ、全ての刀剣男士で快適かつ美しいモーションが見られるため、槍や薙刀などのリーチの長いキャラがあまりその恩恵を感じられるようなモーションと感じなかったのは気になるところではある。(蜻蛉切は強攻撃が解禁されていないのもあり余計に)

また、個人的には「回避」ではなく「防御(ガード)」の方がよかったかなと……「戦国無双2」で本多忠勝くるりくるりん回避していてちょっとかわいいけど威厳ブレイクしていたので。あんまり本体を危険に晒してはいけないという配慮なのかもしれないがそれにしては鍔迫り合い実装されているしな……。

ちなみに無双の鍔迫り合いは毎回やたら厳しいのであまり慣れていない審神者諸賢に置かれましては連射パッドを検討してもいいかもしれない。

 

ともあれずっと妄想していたものが顕現している、その興奮と喜びは何物にも耐えがたい。ストーリーもバリバリ不穏で先が気になる。

発売を楽しみに待ちたい。

 

 

 

煎じ詰めれば千字になるか・感想編

またまた、こんな時間(23:29)である。土日こそはそれぞれ通常営業の記事を書きたい…いや書く! とここで宣言しておこう。

筆者も気になっていたある映画が封切られるや否や、賛否両論を巻き起こしているらしい。(だいぶオブラートに包んだ表現)見る間に、「どれだけ〇〇か大喜利」の様相を呈し始めているのが観測され、またか、と暗い気持ちになる。

電脳世界、特にTwitterというのは、「盛っていく」風土にある、と思う。初めは「牛丼並盛」であった注文はU字テーブルの向こう側に行きつく頃には「牛丼特盛ネギだく生卵付き豚汁セット+生ビール」になっていることなど日常茶飯事で、事と次第によってはなぜか満漢全席に変容していたりする。それを注文もせずにはたから見ていた人々が、「あの小籠包、絶対まずいぜ」と普通に牛丼を食べた人からはどう考えても起こり得ない感想を生み出し、いつしか電脳世界では「牛丼屋の小籠包はまずい」ということが疑いようもない事実として固定化される。そういった光景を何度も見てきた。

ていうかそういう「映画好きとして憤りを隠せない」みたいな人のホームとか覗いてみると「××の〇〇まじで△△で最高」みたいなコメントと共に映画のスクショ貼り付けたツイートが往々にして存在するのマジで何なんだ……という気持ちになる。「画像は拾い物」じゃねえんだわ。それ捨ててないんだわ。

ともあれ断定することは甘美である。かっこいい。同調する人々も多くあるだろう。しかしやはり自分は、そう言った快刀乱麻を断つのではなく、ゴルディオスの結び目を正攻法で解きほぐしていくような感想を書いていきたい、と改めて思わされる出来事でもあった。

近頃自分でもびっくりするくらいそういう「これは好きなだけ叩いていいですよ!」の号令がきつくなっていて、人間としては少しまともになっているような気がしている。

すべてのSNSをやっている人々にはそのツイートを「私が呟きました」の写真付きで大々的に自分の行動圏内に張り出されても大丈夫かどうかをツイートの基準にしてほしいとすら思う時がある。

ところで「とある脅威が去った後に残されたものの処分方法」として筆者が知る中で最も冴えたやり方は「とっても! ラッキーマン」で紹介されていたので機会があればぜひご一読いただきたい。

(28分/957字)

 

 

煎じ詰めれば千字になるか・節分編

やっぱり今日もこんな時間(23:44)である。

節分だ。娘にとっての初節分。同世代は鬼コスプレしてみたりしていてせっかくだから娘もなんかすればよかったか…と一抹の後悔が無いわけではないが、今日も元気なので良しとする。

豆は、枝豆の裏ごしは苦手。豆腐はまだまだかなり潰さないとだめで、豆乳スープは大好き。本日初挑戦の納豆も大ヒットだったという娘である。

年始から始めた離乳食(補完食)も妻の不断の努力と娘の食事への前向きな姿勢より順調で、一つずつ食材をクリアし、今では組み合わせて献立を生み出すことはゲームのスキルツリーを開放していく過程のようでわくわくする。

来年は恵方巻きを一緒に食べられるだろうか。豆を一粒かじったりするさまを見てみたい。

鬼は今年は鬼舞辻無惨にターゲットになってもらい、袋入りの豆を投げつける簡易なもので終わった。来年はおそらく筆者が鬼を務めることになるであろう。

f:id:kimotokanata:20220203235601j:image

恵方巻きは大手コンビニ3社のものを食べ比べてみた。

f:id:kimotokanata:20220203235652j:image


f:id:kimotokanata:20220203235751j:image

上からファミマ、ローソン、セブンでファミマは一番しっかり巻いてあって具が落ちにくく恵方巻きに最適化されていた。ローソンは家庭の味を極めた感じで逆にセブンは惣菜代表という印象。海苔はセブンが一番良かった。味もよかったのだが、唯一具のかんぴょうがとめどなくぽろぽろ落ちたのはセブンであった。また、海苔の鮮度を保つために自分で巻く工程が必要なのは賛否分かれるように思えた。

恵方巻というとインターネットでは「マスコミの陰謀」「作られた風習」みたいに言われがちであるが、少なくとも筆者は幼少のころから親しんできた行事であるのでしばしば見かける「どんなふうにたたいても誰からも文句を言われないもの」として恵方巻が扱われているところを見るとそういった幼き思い出が否定されたようで悲しくもある。

「もの自体は捏造でもやってることは立派だからいいじゃん」となると悪名高き「江戸しぐさ」みたいになってしまうからこれも難しいところではあるのだが……。

今回のコンビニ三社恵方巻食べ比べ、よく言われる恵方巻大量廃棄問題を少しでも救えたらと思っていたのだが、回った三店ではそんなに残っておらず、オペレーションの改善がなされたものと思われてそういった意味では少し救われた気持ちになったりもした。

一度くらい、「北」とか「南」とかすごくはっきりとした方位に恵方がくる年を迎えてみたい。長生きしよう。

(15分549文字+10分445文字の計994字)