カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

狼と羊のアドベントカレンダー/ひとりアドベントカレンダーと企画アドベントカレンダーをやります

余談

インターネットの片隅に漂う埃の擬人化、筆者の行動記録を最も長い間アーカイブしているツイログで「アドベント」を検索すると下記ツイートが最古であった。

そう、長らく筆者にとってアドベントと言えば龍騎においてライダーが用いるカードであり、CVは小山剛志であった。闘わなければ生き残れず、入社一年目、夏のボーナスはまだなかった筆者にとって財団Bはあまりに強敵であり、多々買うことはできず涙を呑んだのだった。

とはいえ「アドベントカレンダー」というものを知らなかったわけでもない。

だが、それは「はてなの技術者界隈の人たちがスキル向上のためやっていること」というイメージで、自分ごとにはなかなかつながらなかった。

例えば下記のような。

qiita.com

なんか…すごそう…! という感じがある。筆者は一介の中小企業の事務員であって、朝にプリントをラミネートし、昼に器具を消毒し、夕に「何もしてないのに壊れた」というPCのファンを蓋を外して清掃する日々を送っているのでこのような高尚な話は円遠く思えていたのだった。

blog.hatenablog.com

去年の公式記事を拝読して、大分自分の中でハードルが下がった思いはあったが、娘氏がますます活発化してきたこと、松屋がわが県に上陸することなどでリソースはいっぱいで、ついぞチャレンジできることはなかったのだった。

本題

年末につじつまを合わせるように風が肌を刺すようになった日も、その冷たい画面をタップしてチェックするのはTwitterであった。たまさか、このようなツイートを拝見した。

世界4千億とんで26万またとんで18人のファンを持つことでおなじみ柚樹ログさんの御威光を拝してPodcastだけでは飽き足らず、アドベントカレンダーも間借りすることになったのである。

さすがの求心力、すでに半分以上は埋まっているがまだ参加できる日は残っているのでご興味のある方は是非参加されてみてはいかがだろうか。筆者はハロプロへの造詣は深くないが、これを機にその深淵を垣間見ることが出来たらと思っている。

adventar.org

で、同時にこれは使えるのではないか、とも筆者は思ったのである。こういう「外部尻たたきシステム」みたいなものをこそ自分は求めていたのではなかったと。これによって毎月試行しながらついに果たせなかった、先月なんか一日から更新しそびれてあ~も~めっちゃ悔しいわで一日しか更新しなかったブログの、このところPVも目に見えて減っているわが愛しい荒城のメンテナンスに(書き手も含め)もってこいではないか、と。

adventar.org

ということで作ってみた。

うぞうぞと蠢く娘作のアイコン

自分のアイコンがこんな感じに敷き詰められているのを初めてみたのでちょっとウッとなる。やったことないけどポケモンを厳選しているときのBOXってこんな感じなんだろうか……。

確か更新したらその日に飾りなりがついたと思うので、クリスマスの日にこのカレンダーが華やいでいたらいいなあと思う。

そんな感じで今年のブログはあんまりパリッとしてねえなあ……。ということから躊躇もあったのだが、主催のかずひろさんをはじめいつもお世話になっている方と懇親を深める機会でもあるので今年もこちらの企画に参加させていただくことにもした。

kimotokanata.hatenablog.com

昨年はこんな感じ。裏回しの虎賀れんとさんのリードもあり、得難い時間を過ごさせて頂いた。本当にこのアーカイブが残っていないのが口惜しい。筆者がお邪魔するスペースの常連さんはみんなそうだが、とくにかずひろさんはその語り口は柔らかく、リアクションも豊かでいつまでも聴いていたくなる。

それこそPodcastでも始めてくださったらと思ったのは筆者ばかりではないだろう。

…おっと! 柚木ログさんの「話がしたいよ」更新されているではないか。

open.spotify.com

か、かずひろさんが柚木ログさんのPodcastに間借りを…!?

盆と正月が一緒に来たようとはこのことである。GWも来ている気がする。

流れるようにブログでの報告も。時代はかずログに吹いている。

なにはともあれ、そういった形で相変わらず公私ともに忙しいけれども、その中でこういった一人マラソンだったり、皆でやる企画だったりで楽しみを見つけて頑張る年末にしたいと思う。年下のお二人に全力で甘えてしまって情けなくもあるが……。

とにもかくにも、そういうことでこの記事は「孤独のカナタガタリ Advent Calendar 2022」1日目の記事でした。また明日。

間借れ!スペクタクル、あるいはPodcastに参加させて頂いた話。

余談

久々にひと月以上ブログの更新が出来なかった。年末に向けて公私ともに忙しく、充実した日々を送っているがそのため日々の記憶は恐ろしい速さで抜け落ちていき、その楔となるはずのブログを書くためのまとまった時間がなかなか取れない。

未だ1歳記念の記事を書けていない娘は早1歳3カ月となり、1歳1か月の前日に「お、歩けるやんけ」と気づいたのかどうなのか、ぽてぽてと歩むようになり、今やバタバタと駆け出し、何もないところで転び、平気な顔をしている。そのくせ抱っこをせがむ頻度も激増した。縦軸横軸ともに行動範囲が広がり、机を押して(ああ…フローリングに傷が…)足場にするというテクニックも編み出した。ベビーサークルも「ここに入れられると抱っこしてもらえない」ということに気がつき入れようとするたびに騒ぐので参ってしまう。もはや居間は娘の支配下に落ちたと言っていい。

この愛すべき暴君の平日昼間の下僕として妻は振り回されており、平日夜、まては休日にそんな妻を置いて「じゃあブログを書くので娘を見ててね」とはとてもではないが言えない。娘が寝ている間に書いてしまえばいいのだが細々したタスクをこなしたりつられて寝落ちししまってなかなかままならない。

昨日は4回目のコロナワクチンを接種し、そのため十分に睡眠をとったために今は娘が眠りながら自分は活動できる、という本当に久々の状態にある。せっかくなので急ぎ書いておくことにしようと思う。

本題

余談が、ながくなった。

参加するまで

スピッツが好きである。

kimotokanata.hatenablog.com

好きなくせにこのブログで言及したことはなくて、調べてみたら4年前に一度きり、さらっと、という感じのようであった。昔あった「インタビュー」だかなんだかというサービスで各アルバムに対して熱く語って覚えがあるのだが、そのテキストもいまやネットの藻屑である。インターネットというものは残っていてほしいものほど残らないようにできている。

そんなスピッツはあっぱれ35周年、ドラマでも取り上げられ機運が高まっている…ということではてなブロガー御用達「〇〇選」記事を書こうと思ったら公式にその上位互換をお出しされ…というのが事の発端である。

ブログの仇はPodcastで討て、という訳でもないが、折よく柚木ログさんにお声がけいただいてスピッツについて話す機会を得たのだった。

exloyks.hatenablog.com

今までも何度かいわゆる音声メディアの勃興と隆盛をTLで見ては来ていたのだけれどそもそも自分の声があんまり好きじゃないしネットの海にそんなものを残すなんて恐ろしい…というオールド・オタクの魂の叫びもあって避け続けていたのだが、Twitterのスペース機能を経てそういったもののハードルが少し下がっていたのかもしれない。また、ログさんにお任せすれば大丈夫だろうという信頼が大きかったのもある。

あと、曲が振りたかったのである。曲が振りたくない人類なんていませんからね(デカい主語)

参加するために

さてPodcastに参加するなんて簡単に言ってもどうするんだ……と思われるかもしれないが、前掲したログさんの記事をお読みいただければわかるように本当に拍子抜けするくらい簡単にデータは作成できる。

問題はボリュームで、生来オタクの筆者は滑舌が悪く、声も小さい。およそPodcastには向いていない人間なのだが手を挙げたからには世界4000億とんで23万人のログさんファン及びログさん自身に少なくとも自分の中では全力でした! という音声を収録すべきであろう。元々の声の小ささに、自分の発する情報に自信がないとますます声が小さくなることを分かっていたので、原稿を作成することにした。

Podcast1回あたりは大体3~40分程度、曲を抜けば話す時間は20分程度。一般的なスピーチであれば1分間当たり300文字程度が目安ということで単純に考えれば6,000文字くらいの原稿ということになるが、間があったりもするしそんなにくどくど話しても仕方がない、4,000文字くらいに収めよう……。と思いながら作成した。

ちなみに各セクションごとに最低2回は録りなおした。その結果音量は普段のスペースより大分マシになっていると思われるが、加齢の切なさ、明らかに後半疲れが滲んでいる気配がある。また、声のトーンも普段に戻っている感がありこ、これが全世界に配信されているのか……と思わなくもないが全力は尽くした……と思う。

次はスピッツの膨大な楽曲ライブラリからどの曲を振るか、ということになる。まずは収録アルバムは全部違うものから選び、シングル曲は除こう、ということを決めた。

次に「いわゆる『スピッツのパブリックイメージ』と異なる曲」、「自分の中でターニングポイントとなった曲」「好きなフレーズがある曲」ということでそれまで間借りスペースでは3曲がスタンダードだったのだが、どうしても削りきれず4曲振らせていただくことにした。こんなに悩んだのは娘の命名以来であった。

参加して

データを送付して以降のことはログさんが手際よく進めてくださり、あっという間に公開となった。

open.spotify.com

あんな有名人やこんなアーティストに紛れて自分の声があるというのは何とも不思議な感じである。YouTubeとかと違ってすくなくともぱっと見では再生回数が分からないのでそういう点では精神衛生上いいし、実際どうなのかわからないけどマネタイズしにくそうなのもいいなあと思っている。義務教育年限より長いこといるTwitterがこの頃何度目かの終了のムーヴを醸し出しているが、もしかしたらブログ以外の一つの避難所としてこういうものを考えてもいいのかもしれない、とも思った。

間借りする人は現在も募集中ということで、興味がある方は是非ログさんにお声がけいただきたいと思う。多様な世界を知ることが出来て1リスナーとしてとても楽しいし、恒例のログさんのコメントもいつも興味深く聴かせていただいてる。

総じて参加してよかった! 楽しかった! みんなもやろう! ということになる。

ログさん、貴重な機会をいただきありがとうございました。

参考・「スピッツの話がしたいよ」原稿(台本)

これからPodcastをしてみようかな、間借りしてみようかな、という方、あるいは聴こうと思ったけどお前の声何言ってんのかわかんねーよ! という方向けに収録に際して作成した原稿を置いておく。なにかの参考になれば幸いである。これをスマホGoogleドキュメントにポチポチ打ちながら、昼休みに車で収録した。実際のPodcastと違いを比べてみるのも面白い……かもしれない。実は1か所、めちゃくちゃ堂々と歌詞を間違えている。(原稿もPodcastも)ライブ感を味わっていただきたいのであえてこのままにして、表記ゆれなども修正しない。

↓ここから原稿(台本)

柚木ログの話がしたいよ
この番組は、様々な兼オタである柚樹ログさんが、タイムラインでは無風気味な自分の「好き」について話がしたい欲を満たすためのPodcastです。
みなさまおはようございます、こんにちは、こんばんは。総じておつかれさまでございます。という訳でですね、世界4000億人の柚木ログさんファンの方々には大変申し訳ないのですが、今回は私、木本仮名太がspitzについてお話しさせて頂きます。
Tverの総再生回数記録を塗り替えたという巷で話題のドラマsilentは皆さんご存じでしょうか。
私は普段はドラマを見るっていうことはほとんどなくて、それなのに今期は珍しく「PICU」と「エルピス」を追いかけたりしていたのですが、柚木ログさんを含みますTLの方々がsilentで毎回何かしら心の柔らかいところを引っ掻かれたようなうめきを残しているのが気になっておりまして。
しかもspitzが使われているということで30年来のspitz好きとしてはちょっと見過ごせないと先々週かな? 今はもう4話が期限が切れてしまっているんですけど、ありがたいことに見逃し配信を延長していただいていたので休日まとめて見ました。月曜日の朝に配信されたスピンオフもすぐ見ました。
なるほどと。これはますますいろんな人が見るだろうし、そういった人がspitzに興味を持つかもしれない…と思ったわけです。
私、普段はカナタガタリという雑記ブログをWebの片隅で細々とやっているんですが、ここで「silentでスピッツに興味を持った人におすすめの曲〇〇選!」みたいな記事を書こうとして、最初57曲とかになってしまってさすがにもうちょっとなあと絞っているうちになんと公式が登場人物たちが聞いていたのはこんな曲! というプレイリストを公開されまして、ま~かぶってるかぶってる、公式からの最高の供給に悶えつつも悔しいわ…というのが11/3文化の日のことでした。ただいま11/9に収録しております。
TLでモダモダしてる私に柚木ログさんが優しくお声がけくださって間借りをさせて頂いたわけです。そのあとも引き続きモダモダしている間にもどんどんと更新されるそのスピードには尊敬の念を禁じえませんね。
せっかくですので何となくspitzを知っている…という方がイメージされているキラキラ、おだやか、みたいな感じとはまた違う曲からお聴きいただけたらと思います。
 

 

はい、spitzで8823お聴きいただきました。いかがだったでしょうか?spitzからイメージされる音とはちょっと毛色の違うものだったんじゃないかなと思います。収録されたアルバム「ハヤブサ」のタイトルナンバーでもあるこの曲は2000年リリースなのでなんと22年前の曲なんですね。言っててちょっと自分でもショックが大きいですけどね。もう21世紀生まれの方が成人されているんですね、よく考えたら。
フリーの方はたぶん、一番のサビが流れたと思うんですが、個人的には二番の「君を不幸にできるのは宇宙でただ一人だけ」というのがこの曲の肝だと思っているので、機会があれば是非fullを聴かれてみてください。ラブだの恋だのと言うのは突き詰めればエゴだと私なんかは思ってしまいまして、そういうものがのっかっている歌詞のように思えて好きなんですね。

ハヤブサ」にはラブだの恋だのはエゴ、という点でもう一つ歌詞が好きな曲がありまして、今回は全部違うアルバムからご紹介したいな~ということでフリはしないんですけど、「holiday」という曲なんです。「もしも君に会わなければもう少しまともだったのに もしも君に会わなければ幸せに過ごせたのに」からはじまります。軽快な感じで聴きやすいんですが、まあ、勝手なことを言うよなって話で。でもこういう感じ、覚えがある人もいるんじゃないでしょうか。そういえば今期のドラマと言えば、「君の花になる」で本田翼さんの演技がめちゃくちゃ言われているみたいなのですが、柚木ログさんと言えば…!のベースボールベアーの楽曲、「すべては君のせいで」のMVの本田翼さんはマジで最高以外の語彙を人類から奪う感じなので、是非ご視聴ください。ちょっと「holiday」に通じるところがある歌詞世界でもあると思います。

ベボベの話を柚木ログさんのPodcastでするという釈迦のてのひらを飛び回る孫悟空みたいなことはこの辺にしまして、この辺りで次の曲をお聴きください。2005年のアルバム、「スーベニア」から「甘ったれクリーチャー」。

 

「甘ったれクリーチャー」でした。「スーベニア」と言えばですね、最近は間借りスペースでも語られたバンプオブチキンも同名曲を出したりしていますが、お土産という意味で、アルバムジャケットには亀さんに乗った女の子の姿があります。浦島太郎イメージですかね。
私は朝井リョウ先生世代の平成元年生まれなのですが、この辺の世代は親の車の中にspitzのベストアルバムがありがち世代でもあると思ってまして、御多分に漏れず私もそこからspitzを知りました。実はこのベストアルバムは本人たちにとっては不本意であったりして、結構禍根を残すんですけどあんまりそういう話を人様のテリトリーでするのもあれなのでこの辺にしておきましょう。
「スーベニア」は自分で初めて買ったspitzのアルバムでした。ちなみにはじめて買った12CMCDはサウダージで、8CMCDだんご3兄弟でした。むせかえるような平成が立ち込めてきましたね…!
私も当時はパブリックイメージとしてのキラキラなspitzのイメージしかなかったので、「甘ったれクリーチャー」を一聴してそのギャップにやられてまた一気にはまったのを覚えてますね。優等生が見せるちょっとやんちゃな面というかね。音は滅茶苦茶攻撃的なのに歌詞は超受け身なのがまた面白くて好きです。
ちょうど高校に進学するタイミングだったので、レンタルCDショップとかでコツコツ旧譜を借りてました。今はサブスクで一発なんですけど、時代ですねえ。そういえばspitzは配信にになかなか来なくて、最初はさっき言ったベストアルバムを拝盤にした代りに出したサイクルヒットだけとか、なんだか不思議な感じの出し方をしてて音楽配信自体にあまり前向きじゃないのかな?と思っていたんですが、配信限定シングルをそのあと結構出したりもしてて、その辺は柔軟さを感じますね。
ちょうど一昨日、高校時代の通学路を通る機会があったんですが、今年の三月で思い出のレンタルCDショップは閉店してしまっておりました。5枚で1050円の日まで指折り数えて待っていたあの頃も遠くになってしまったなあという感じです。

そんなレンタルCDショップにお世話になっていた高校時代、新譜としてやってきた「さざなみCD」から一曲ご紹介させて頂きます。「漣」お聴きください。

さざなみCDはリアルタイムで初めて予約して買ったアルバムということもあって、今でも一番好きなアルバムですね。「silent」で印象深く使われている「魔法のコトバ」も収録されています。「魔法のコトバ」、私は当時から「お互いの名前」のことだと思っているんですが、どうなんでしょうか。
「漣」は今までの二曲とは違う「ザ・王道spitz」みたいな曲です。
歌詞には「夜が明けるよ」というフレーズがあるんですが、イントロから夜が明けそうな海辺の感じって音でこんなふうに表せるんだ!と驚かされます。サビもどんどん高揚している感じ
が感じられて。「漣」漢字表記なんですけど、レンとも読めますので、silentの佐倉想君を演じている目黒蓮さんにかけて劇中どっかで使われるんじゃないかなあ…と予測していたりもします。

さて、間借りPodcastもそろそろお別れの時間が近づいてまいりました。途中お聞き苦しいところもあったかと思いますがなにとぞご容赦くださいませ。懐深く間借りさせて頂いたログさん、お聴きいただいた皆様、本当にありがとうございました。
最後に紹介するのは「エンドロールには早すぎる」という曲です。めちゃくちゃ間借りへの未練がにじみ出ていますね。選曲から。
「小さな生き物」というアルバムに収録されている曲ですが、この曲の「君のくしゃみが聴きたいよ」というフレーズがspitzのあらゆる曲の中で1.2を争うくらい好きなんです。
「君の声が聞きたい」とか「笑顔が見たい」とかじゃなくて「くしゃみ」ってすごくないですか? どちらかというとね、タブーというか、あんまり聞かせる音じゃないと思うんですけど、そういうの聞いてるくらいの間柄っていうのが一瞬で想起できて凄いなあと、趣味で言葉を扱っている人間としては思います。あくびでも、お腹の鳴る音でもちょっと違う。くしゃみなんですよ!
これまた30秒プレビューの範囲外だと思うので、無料会員の方はプレミアムになったり何かしらの手段で是非聞いてみられてください。

では、曲の後はログさんにお返しいたします。
縁がありましたらまたどこかでお会いしましょう。
お相手は木本仮名太でした~ばいばいっ!

神無月、夜明け前、Open moveで「ナガイヨルla longue nuit」を聴く。

慢性的に忙しい、というか自分の業務パフォーマンスが落ちているという実感があり、切ない。疲れがミスを生みミスが疲れを生むループだ。

そうして1日分の、(あるいは数日分を前借りして)元々ない社会性を使い果たして帰宅すると娘がリビングから玄関に駆け出してきて、抱き上げて2人でリビングに戻ると妻がつくってくれた美味しい料理が待っている。1日の残り4時間ほどで、ようやく自分が人間になったような心持ちになる。

食卓を囲み、何か映像を見て感想を言い合い、食後の運動をして、娘を風呂に入れ、入浴後のケアをし、寝かしつけたらそろいのティーカップに紅茶を淹れてお茶菓子をいただきながら妻と互いの1日を労い合う……。

妻の協力で得られる大切な時間だが、ここ1週間は寝かしつけの段階で自分もつられて深夜に起きる、ということが続き、これまたそのせいで日々がリセットしきれず消化不良になってしまっている一因かもしれない。

今日もやってしまった。

明日は休み、少しくらい夜更かししても構わない数少ない夜を無為にしてしまった無念さを抱えてiPhoneを点灯させると時刻は4:14分で、iOSは16.3になっていた。とりあえず写真を開いて娘を「幽体離脱」させてみて、ベビーサークルで寝息を立てている娘のオムツを替える。

後始末をした後ハッとしてソーシャルゲームを開いてみると案の定連続ログインが途切れていてまたしょんぼりする。1日2分程度、タップしてログインボーナスを受け取るくらいのことができない。

そのままTwitterを開いてタイムラインを遡ってみるとこれまた明日が土曜日ということもあり遅くまで盛り上がっていた様子が窺えてぢぐしょ〜となるが、日が替わるあたりまで遡って特に言及されている話題に気がつく。

和田彩花さんが新曲をリリースされたのだった。眠気が自分から揮発していくのを感じた。

時刻は4:42分、せっかくなので4:44分になるまでiPhoneとにらめっこしてみて、観念してリビングにエアーマットを敷いて寝転がる。

寝室から娘と妻の寝息のデュエットが聴こえてきそうな静かな夜だ。

最近よく使っている骨伝導イヤホンの電源を入れて、「ナガイヨルla longue nuit」を聴き始めた。

前回「sachi」を拝聴したときは想定される状態と全く違う聴き方で、(だからこそなんとか受け止められたくらいの鋭い抉り方を笑顔でしてくるような作品で)それに比べると今回はかなり理想の「ナガイヨルla longue nuit」初聴き体験だったんではないか、と今振り返って自賛したくなる。おお、私的礼賛。

すぐにボーカルが入って、3分ないことも多くて、という最近のトレンドをゆったりと受け流すこの曲は10分近い大作だ。それでも内包された密度、眠れぬ長い夜をパッケージングするのであれば少なくともこれくらいの時間は必要だったのだろうな、ということを聴くうちに納得するでもなく五体に染み入って感得させられる。

個人的には「マジで眠れない夜」とそうでもない時で区間リピートを使い分けたい部分があったりもし、つまりは長編小説のふりをした短編集のようなお得で豊かな曲のようにも思えた。カバーアートも相まって暗い水中でポコポコやっていたら最終的には…というひとつの夜の高まりとその行く末を追う叙事詩のようでもある。

和田彩花さんは歌う、唄う、詠う。最近の和田さんの声は「アンジュルムのTOKYO散歩」のナレーションとして馴染んでいるのでなんだか不思議な気持ちだ。

できればゆっくりぐっすり眠りたい

だけどいつもなんか忘れられないでいる

まるで自分の心を見透かされたようで狼狽えてしまった。ここからのviolinとのせめぎあいが時に好きなパートである。

聴き終わってしばらくぽぅっとしているとシャッフル再生は小沢健二さんの「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」を流し始めた。

きっと魔法のトンネルの先

君と僕の心を愛す人がいる

汚れた川は再生の海へ届く

まるで答え合わせのようでシャッフル再生、侮れない、と唸らされる。

先ほども言及したカバーアート、自転車が打ち捨てられるような水辺はまさに「汚れた川」のようだったからだ。

ナガイヨルというトンネルを抜けた先、自分を待ってくれている人がいるという幸せが何度でも筆者を再生させてくれる。

夜が明けた。

世も明けるだろう、そのうち。

今日も妻と子とこの世界を生きていこう。

 



才無くて悔しいわ/普通、Twitter13年やってらんないでしょ!?

先だって帰省した時、妻のリクエストによって筆者の母子手帳を母から見せてもらう機会があった。

馴染み深い母の字でつらつらと綴られている幼き日の筆者の行動に確かな親の愛を感じてひそかに感動していると、

「本が大好きでだまってモクモクとページをめくっている時がある」

という一節があった。

2歳検診の時の記録である。

3歳の時点で人間の記録は一度リセットされる……というが、どうやらこのことについては引き継いだようだ。幼いころから、本や物語には親しんで育ってきた。

小学校中学年になると、夏休みの宿題用に買ったが余った作文用紙に自分で話を考えるようになった。テスト時間、余った時間をつぶすためにテスト用紙の裏に書いたこともあった。(四コママンガを描いたりもしていたがそれは禁止された)マンガを描くこともも自分で話を書くことも、筆者にとって同じレベルの娯楽であったのに前者は禁止され、後者は褒めてすらもらえることがあることに社会というものの複雑さを感じながら、自分が生み出したものが人に反応してもらえる、ということの喜びを覚えた。

とはいえ、今になって思えばこの頃は「話が面白い」とかではなく「小学生なのに創作活動をしている」ということを褒めてもらっていたに過ぎなかったのであるが。

高学年になり、我が家にはPCがきた。自分が買って読んでいる小説と同じように自分の話が活字になることに興奮し、打鍵した。ちょうどそのころ、はやみねかおる先生の諸作品にも出会い、ミステリにのめりこんでいった。夢は中学生メフィスト賞作家だった。

 

中学生になった。今まで通っていた小学校と、もう一つの小学校の校区が合わさった公立中学校。美術の時間の自己紹介、趣味は小説を読むこと、書くことです。何の気なしに言った言葉だった。筆者が通っていた小学校では筆者がそういったことをしていることは周知の事実だったから。

サッカー部の顧問でもあった美術の先生は筆者の一つ前、サッカー部員だったNの時とは明らかに温度が違う声で相槌を打った。へー、そうなん、なに書いてんの?

筆者は前日も書いていた、その日も帰ったら続きを書くつもりだった話の名前を素直に答えた。

「『人食い館の惨劇』です」

「コワ~~(笑)」

先生のその声に筆者が通っていなかった方の小学校出身の同級生たちがどっと湧いた。通っていた小学校出身の同級生たちが少し遅れて合わせたように笑っているのが目の端に入ってやるせなかった。

やってしまった、という感覚がかかとのあたりから頬にぐっと上がってきて、紅潮する一方で、頭から血の気はさっと引いてずいぶん忙しかったように思う。

結局部活が忙しかったこともあり、ライフワークのようになっていた打鍵は掲示板で同好の士とミステリやワンピースの展開をチャットやBBSで語り合うくらいになり、Wordを使うのは母親のPTA活動の手伝いくらいになっていった。

部活はバスケットボール部で、「通っていなかった方の小学校」にのみあったミニバス少年団出身者たちがレギュラーを席巻し、筆者は補欠の補欠の地位にありながらもいっちょ前に膝の皿を故障し、ますますレギュラーとの実力が遠ざかっていった。

努力は報われるというけれど、追い詰められた時に秘められた力が創作では覚醒するものだけれど、筆者が得たのは「下手なのになに、マジになってんの」という憐憫と嘲笑であった。それでも部活を辞めなかったのは多分に顧問の先生が生活指導の先生であって、怒号を受けそうで嫌だなあ、という消極的な理由だった。

隣町までの通院を口実とした半帰宅部状態は半年続き、その間に移動中のバスや待合室でも邪魔にならない文庫本、とりわけライトノベルに急速に親しんだ。とはいえアニメイラストの表紙など学校で見られたら=死の時代、TSUTAYAのブックカバーがはがされることはなかったし、学校鞄にはいつもカムフラージュ用の宮沢章夫先生の「よくわからないねじ」も一緒に入っていた。

ラノベにはある種の魔力がある。一般文芸よりも距離が近い。自分も書き手側にまわれるのではないか、あとがきで好き勝手出来るのではないか……。その意欲を煽るように、文庫の最後のページやチラシには新人賞募集がぐいぐいと展開されていた。

メフィスト賞、というか多くの新人文学賞がそのまま出版できるようなボリュームの作品を募集しているのに対し、ラノベは短編で応募しやすそうだ――という気持ちもあった。2chラノベ新人賞応募スレを覗いては受賞に胸膨らませ、受賞挨拶や掲載誌での大御所とのじゃれあいなどを妄想するのに忙しく、気がつけば締切ぎりぎりで原稿用紙に鉛筆書きのまま原稿を応募した。そもそも無事に編集部に辿り着いたのかすら不明である。自分が応募した回の受賞作品が店頭に並んで落選を知った。

 

高校生になった。何の因果かまたバスケ部にいた。そしてまた落ちこぼれた。電車通学となり、その間読書することもあった。気づけば色々な創作の主人公と同い年になっていた。自分はまだ何者にもなれていなかった。昼休みは体育館でシュート練習をするか、図書室で読書をするかの両極端な日々が続いた。「ダ・ヴィンチ」の最新号を読むのが楽しみだった。

ある時、「ダ・ヴィンチ文学賞」の募集を誌面で知った。原稿用紙100枚以内。

これだ、と思った。

短編ではそれだけでは書籍を出すのは難しく、他の文学賞で応募されているような300枚以上の長さなど書いている途中で訳が分からなくなるだろう。

100枚以内なら。なんとかなりそうな気がする。あわよくば行間とか開けて薄い感じでそれだけで本を出してもらえそうな気もする。

ダ・ヴィンチ」の表紙は今を時めく人がおすすめの書籍を持った写真だ。果たして自分の本は誰が持ってくれるのだろうか――いつも通りの悪癖で「獲った後」の妄想はどんどん膨らんでいく。

そのあとのことは、マジで記憶がない。応募したんだろうか? とにかくダ・ヴィンチ文学賞受賞の栄冠が筆者に輝くことは無かった。

他方で学校生活ではひょんなことから学校新聞創立記念号の一面記事を書くことになり、ありがたいことに内外で好評があった。初めて自分が書いたことの「内容」について自分と利害関係が全くない人に褒められる経験はあの日美術室で味わった意味とは真逆でありながら、しかし同様に筆者の頬を朱に染めた。

好きこそものの上手なれという訳ではないが、文系教科は学年でも割とできる方だった。級長も務めておりW大の推薦の話が来た。W大出身の数多の文豪が目に浮かび、毎度おなじみ「行ったつもり」で自分がそこに仲間入りする妄想が浮かびもした。

筆者が頂いた話は推薦であって特待生ではなく、進学には普通に私立値段の学費と東京で暮らす資金が必要であって曾祖母2人、祖母1人を介護し後に弟2人の進学を控えている我が家にその負担を強いるのはためらわれた。

結局辞退することになり、センター試験勉強の傍ら代りに進学することになった友人の進学前課題であった読書感想文のゴーストライターを手伝ったりもした。大学受験の前期試験には落ち、小論文のみの後期試験でどうにか滑り込んだ。初年度学費はW大の6分の1であった。

高校生と大学生の狭間、中学から高校への間と違って入学前課題もなかったので、暇に飽かせてwebで応募が完結できたケータイ小説か何かの賞にも応募したがやはり箸にも棒にも掛からなかった。

 

大学生になった。高校時代の厳格な時間割でどうにか人の形を保っていた筆者は己以外誰も律する者のいない空間でぐにゃぐにゃになっていた。あんなに好きだった本も狭い6畳半のスペースを圧迫するばかりであり、春眠暁を覚えずの極みであった。

あわれ床のシミとなり果てるために本州にやってきたわけではない。一念発起して……というほどでもなかったが入学式でもらったチラシを頼りに文芸サークルの門を叩いた。はじめて実生活で「創作をする人がマジョリティ」であるコミュニティと出会い、その心地よさは「ここで居場所を得たい」という思いに直結した。

新歓後の部誌7月号に1作目を提出した。先輩から感想がもらえた。嬉しかった。新入部員だけでアンソロジーを出すことになり、2作目を提出した。サークル内だけでなく、交流している他大学の文芸サークルからも感想がもらえた。とても嬉しかった。

自分はここにいていいのだと思った。居場所を得られたと思った。

原稿用紙10枚~30枚程度の掌編を何か月かに1回部誌に出し、感想をもらい、内容について語り合う日々。およそ今後もないであろう文芸的充実期間であり、筆力としてもピークだったことだろう。

日々は楽しかった。

そして、満足してしまった。

それはある種創作者としての死でもあった。

 

2009年になった。

学祭に向けて作成する部誌の特別号に作品を提出し、また外から感想をもらい、後輩に対して偉そうな創作論を語る日常を過ごしていた。

創作ペースは明らかに落ちていた。創作は完成するまで基本的に1人で道なき道をとぼとぼと歩き続けていくようなものだが、他人の作品に対して批評を述べるのは合評会という名目でワイワイやることもできるし既にあるものに言葉を載せるだけでよい。お手軽で、しかも恐ろしいことに「なんかやった感」が下手をすれば創作よりもある。その「お手軽さ」にズルズルと浸かりつつあった。

web上ではTwitterを始めた。


www.youtube.com

結果的にこれは筆者の創作スタンスとしてめちゃくちゃ悪手であった。ちょっと練れば創作に活かせそうなネタを考え無しにつぶやいて「ふぁぼ」やリプライをもらう方にアウトプットが傾いてしまって、長編どころか短編を書くのもままならなくなってしまった。

そんな中1つのネットニュースを目にした。

朝井リョウ先生が「桐島、部活やめるってよ」で小説すばる新人賞を受賞されたのだ。

グッと喉の奥から声が漏れた記憶がある。

ネットニュースにはこう記されていた。「平成生まれとして初の受賞」。

筆者は常日頃昭和の残り香を漂わせているが平成元年生まれであり、つまりは朝井リョウ先生と同い年であった。実生活でも、インターネットでも、生年月日を言えば「平成生まれ! 若いな~」と言われた時分であった。まだ、大丈夫だと思っていた。

甘かった。5分前に知ったばかりの朝井リョウ先生だが、既に筆者はほとばしる「本物」感に打ちのめされていた。きっとこの人は階段を駆け上がっていくのだろうと思った。我々は世間から「朝井リョウ世代」として認知されていくのだろう、という予感があった。

もう、「平成生まれ」はアドバンテージになりえないのだと。(実際この後、同新人賞は2000年生まれの青羽悠先生が16歳で受賞されている)

無限にあるとおもえた可能性が少しずつ狭まっているのを感じながら、年が明けた。

 

翌年、個人誌を作成した。短編をつなぎ合わせることで全体としては1つの長編小説らしくなる、このやり方なら何とか筆者も一貫性のある筆者の作品だけが入った本を世に出すことができた。頒布開始は学祭。しかも、今年は立地がいい。3年次ともなると店番はほぼ免除なのだが出来るだけ在席して自分の本を手に取る人をこの目で見たかった。

だがそれは叶わなかった。前日、曾祖母が急逝し急遽帰省、学祭は欠席することとなったからである。幸いにも好評ではあったようである。

九州新幹線開通前、乗り換え町の博多の書店では「桐島、部活やめるってよ」が平積みされ、やはり評判を呼んでいるのだと勝手ながら嬉しくなった。

 

大学を卒業し、就職した。就活中にもう1人の曾祖母も旅立ち、震災もあり、東京での就職を諦め地元で就職した。なんとかかんとか社会人をやっていきながら、この経験もいつかの肥やし…と勤務していると朝井リョウ先生は平成生まれ初の直木賞作家になっていた。当然専業作家になられるものと思っていたら、きっちり就職し、かつ執筆を続けておられ、創作の基礎体力が違い過ぎると打ちのめされた。筆者は少し前に募集していた「星新一文学賞」に応募し、「第一回星新一文学賞落選者」という称号を手にしていた。

 

後に妻となる人とお付き合いをはじめ、ご両親に紹介してもらうことになった。和やかに話は進み、ご両親とも読書家、最近読んだ本の話になる。御母堂曰く、

「最近はあの人の作品を楽しみにしてます。まだ若い……そうそう、朝井リョウさん!」

同い年なんですよははは、という筆者の顔のこわばりがご両親に会って話していることの緊張であると解釈してもらえたかどうか。

 

2015年、体調を崩し、退職することになった。転職まで間があるのでいっちょ長編にでも挑戦するか! 自分が勝負できそうなもの……「オタク文学」的なものを研いでいけばモノになるのではないか!? などと考えている間に朝井リョウ先生は華麗に「武道館」を上梓されていた。切替えて5年に1度の大賞がこのタイミングで……このために自分は今退職したに違いない! と思って応募した南日本文学大賞にもきれいさっぱりと落選した。

 

マンションを購入し、住環境が改善された。素晴らしいアイデアがこんこんと湧き出て、最高の30代スタートとなるような予感がした。しただけだった。「坊っちゃん文学賞」からは丁寧なアンケートはがきをいただいた。時を同じくして新居に初めて届いたお歳暮を開けると、朝井リョウ先生の短編「銀色の号砲」が封入されているというニクい演出があった。

 

今回この記事を書くにあたり、時系列に間違いがあってはよくないと朝井リョウ先生のWikipediaをチェックしたらW大出身であることを知った。たかみなさんとラジオをされていたことも知った。はやみねかおる先生の作品に帯文を寄せられていたことも知った。

 

 

完敗なのである。これで作品まで読んでしまうともう立ち直れなさそうな気がして結局13年間1度も読んだことが無い。当たり前だが、嫌いとかでは決してなく、逆に深い敬愛の念を(一方的に)抱いている。いや読んだら絶対面白いのである。朝井リョウ先生の作品なんか絶対読んだ方がいいに決まってまんねん。おもろいに決まってまんがな。(急にかまいたちの漫才みたいになる)

今回つらつら書いてみたことでいくらか自分の中で整理がついたので、まずは最近発売したというエッセイからでも手をつけてみようか……と思うところである。

 

sokkyo-shosetsu.com

↑ちなみにここから筆者の超掌編をいくつかお読みいただけます。


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なんでこんなことを書こうと思ったのか。

筆者が一方的に朝井リョウ先生を認知した2009年、アイドル界でも強烈な新星が誕生していた。

スマイレージ――のちのアンジュルムである。


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世界一だか日本一だかスカートの短いアイドルという触れ込みは正直なところハロプロアイドルの斜陽と迷走の最たるものであるように思えたし、大人たちにそんなふうに扱われるデビューした諸賢に同情の気持ちすら抱いた。

当時ハロプロを愛する少女であった妻は「恋にBooing ブー!」や断髪式に憤りを隠せず、48系列に傾斜する一因となったという。

筆者もアイドルマスターに始まり、群像劇の場として現実のアイドルも興味深く追ってはいたものの、スマイレージに関しては「アンジュルムに改名しました」というネットニュースに「ふうん」と思うくらいの温度であった。

exloyks.hatenablog.com

なんと気がつけば1年以上も前、バースデーライブからも半年以上の時が過ぎてしまった柚樹ログさんの記事とTLでの狂乱ぶりをきっかけとして、実に10年以上ぶり、筆者が知っている時代のメンバーはもはやだれ1人としていない、スマイレージ改めアンジュルムに再び触れる機会に恵まれた。

48を経由してみると、楽曲のアクセスしにくさにやきもきさせられながらも、「ダラケ!」終了以降惰性で加入していたスカパー!に意味が生まれることもあり嬉しかった。Tokyo散歩どうなってしまうんだ……。

楽曲の良さはもとより、バラエティーでの「長所短所クイズ」にて短所を「背が高いこと」と言われた佐々木莉佳子さんが即座に「短所じゃないし! 長所だし!」と言い切ったところがなんともよく、また上國料萌衣さんが鹿児島出生、熊本出身と程よく縁が近いこともあって今の「アンジュルム」への好感度は高まっていった。

そこに、今回「悔しいわ」がリリースされた。


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筆者は和田さんの「sachi」をそうしたように、今回もカーステレオで初めて聴いた。出社の気分を盛り上げる勇ましいサウンドに乗って「強い」ワードが耳に飛び込んでくる。ちゃんと聴けば、それは全体的な流れを語るためのフックであることが理解できる。が、初回はその言葉の響きの強さにピクッと固まってしまって、そのうちに曲が流れていってしまい、もったいないことをした。

楽曲提供者によると一度引っ込んだ曲が今のアンジュルムだからこそということで再度陽の目を見たようであるが、


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「今」?「べきべき」の後に出すべき曲として選ばれたのがこれなのか?

という思いは正直なところあった。

つんく♂秋元康、ハン・ソンス。

前田憂佳平手友梨奈、プリスティン。

かつて大人たちに消費されていった少女たちのことを思い義憤を覚えたりもするが、そこに最高のタイミングでエクスキューズとしてメンバーからのブログ記事が投稿され、本人たちがそう思っているのなら、良いことだ、と納得した。

彼女たちがそんなことを言っていないのに彼女たちの代弁者のように振舞い、憤るのは消費する大人たちと何ら変わらないのである(そもそも、筆者自身はアイドルサバイバル番組という少女少年残酷ショーを好んで見ている時点で天国や地獄に行けるわけがないのであるが)

また、楽曲だけでなくMVを見るとまた印象が変わってくる。メンバーがMV視聴をお勧めするのもよくわかる。悔しさは嘘ではないが、ウェットではない、やる気の導火線に着火するような「悔しいわ」は聴く人間もまた奮い立たせてくれる。

この辺りの回収まで含めて「今のアンジュルム(と、ファンダム)なら大丈夫だろう」ということでリリースされたのであれば、慧眼であったということなのだろう。

「べきべき」は良かった。アンジュルムというアイドルのEDなのではないかとすら思った。だけれども、それがアンジュルムというアイドルの「正解」ではないことは楽曲自身が語っている通りである。

アンジュルムは天使ではなく人間である。完成された天使と違って人間は変わり続ける、その千変万化の変化こそが人間としての美しさであり、強さであり、面白さであるということを改めて考えさせられもした。

そういう訳で筆者は同い年の朝井リョウ先生に完敗しながらもしかし「悔しいわ」と思っている。まだ思えている。この気持ちを因縁深い2009年に同じくルーツを持つアンジュルムに掘り起こしてもらったことは奇妙な愉快さがある。

とは言え焦ったってしょうがない
地道にコツコツやろうじゃない
遅咲きの成功者だっているさ
って自分に言ってみる
でも何?このやりきれない感じ
悔しいって感情抱くことが出来るってことは
まだまだ大丈夫だし頑張れるってことさ

Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/angerme/kuyashii-wa/

夏目漱石が作家として世に出たのは38歳。

木本仮名太33歳、もう少し頑張ってみましょう。

地道にコツコツやってきたTwitterとともに……。

 

ちょっとまって

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へぇ、先生もTwitterを嗜んでおられるのか……。

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あ〜もうめっちゃ悔しいわ!!!

 

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「2割で生きられそう」って、それってねえ、褒めているの?/後期高齢者の窓口負担割合変更

10月になった。結局のところ9月はそもそも自宅でパソコンをろくに触ることが出来ず、書きたいことは沢山あっても形にできない…とだけ書くといつもの感じである。

さて10月、本業の方でももろもろ動きがあった。

まずは後期高齢者の窓口負担割合の変更が開始された。

www.mhlw.go.jp

という訳で昨年から決定はしていたのだが、いよいよ施行された訳である。

一律負担割合が引き上がるという訳ではなく、一定所得のある方が対象となる。

このことについて医療現場の片隅にいるものとしての愚痴と危惧をサラッと書いておく。

2ヶ月しか有効期間がない保険証

例年、後期高齢者の保険証は7月末に有効期限となり、翌年分の保険証に切り替わる。

保険証には負担割合が記載されている。ところが、今回は10月から上記のように人によって負担割合が変わるので、一律有効期限が9月末までに設定されている。

たった2ヶ月しかない保険証を作成し、配布するということは単純に通常の6倍くらい無駄ということである。

施工時期をずらすなどしてもうちょっとなんとかならなかったのだろうか……と思う。

ややこしい猶予措

2割負担、ということで今まで1割負担だった人の負担は2倍になる…かというとそうではない。

負担割合が変わったことによる負担増加額は月当たり上限3,000円まで。それ以降の同月の支払額は1割負担で計算する。

つまり、今まで1割負担で5,000円支払っていた人は10,000円支払うことになる……ということではなく、+3,000円で打ち止めになるので8,000円の支払いで済む、ということになる。

ただ、同一医療機関であれば医療機関の方で把握できるので会計時点で追加支払いはないのだが、医療機関Aで5,000円、医療機関Bで5,000円支払っていた場合は一旦支払って後日払い戻し……という形になる。

配慮措置のイメージ(厚生労働省HPより引用)


また、あくまで「負担増加額の上限」であるので、同月であっても別の診療を受けた場合は1割負担分の料金は支払う必要がある。

が、それも今まで通り月負担の上限額(18,000円)を超えた場合は支払う必要はない。

更に、あくまで「月当たりの上限」であるので、例えば10/1に5,000円、10/31に5,000円支払った場合、上記の通り実質負担額は8,000円となるが、10/1に5,000円、11/1に5,000円支払った場合は月が替わっているので、他に診療を受けていない場合、負担額はそのまま10,000円となり、1日診療がずれただけで自己負担額が2,000円も増えてしまうことになる。

医療機関側としては収入が入ってくるのが患者さんからか、国からかという違いなのだが患者さんとしては損をしてしまったという気持ちは否めないであろうし、医療機関としては収入サイクルとしては短くなる(国から入金があるのは診察月から2カ月後)が、未収金が発生するリスクが出てくる。

また、保険証を見なければ負担割合が分からないのだが、訪問診療などでお伺いする先で、ご本人に認知症などがありご家族が保険証を管理している施設に入所している患者さんの場合は、今回短いスパンでの保険証の切り替えであるのでタイミングによってはお手元に保険証がない可能性もある……。

め、めんどくせ~~~~。

このタイミングでマイナ保険証に関する保険点数も変化があったのだが、ここまで書いて大分うんざりしたので日を改めたい。

読者諸賢においては直接影響を受ける方は少ないと思われるが、払い戻しが発生する関係上、還付金詐欺のような詐欺が発生することが予想されるので、身内の方に対象となる方がいる場合、注意喚起をされると大変よろしいかと思います。マイナ保険証の公金口座登録と一緒にできたんじゃないのか? こういうのって……。

 

THE MOON&STRATEGY

我等は月が見えずとも

歩みは止めず

真夏のピークが去り、朝晩の風の音が初秋を告げ、今年も月見バーガーの季節がやってきた。

今年はTwitterと連動してマクドナルド公式が企画をやっていたので参加してみたりもした。

思いのほか浸食度が高すぎて驚かされる。これが世界資本の力である。

スパムの煩わしさすらエンターテインメントに消化されたような趣さえある。しかしTwitter連携でほいほいと権限を明け渡すことの恐ろしさも同時に教えてくれる素晴らしい企画である。

浸食度が…高過ぎる…このままでは月見を食べる前に精神が乗っ取られてしまう…!

これがマクドナルド…「見えまくっている帝国」の陰謀だというのか…!

だが筆者もマクドナルドと四半世紀向き合ってきたという意地がある。ただでは敗れる気はない。



乗っ取られるより前に筆者自身が月見と融合することで奴らを打ち破るしかない……!

無月(ビッグマック

――無駄だ それも視えているぞ 木本

――残念だったな

――戦況を見て瞬時に転じたことは上出来だ

――だが 無月(ビッグマック)も我が力には及ばぬ

――初撃で我が力にポテトを獲られたのが貴様だ木本

――全て 視えている 終わりだ 木本

……そうか

ビッグマック

視えているか

「すき焼き」というところに「上を向いて歩こう」というメッセージが感じられ、またますます和風バーガーとしての地歩が固まったようで小気味がいい。

――道は 閉ざされたぞ 木本

――恐怖なき世界への 道が

――月見バーガーとレギュラーメニューは混じりあい ひとつになるべきだったのだ

――だが それも最早叶わぬ

――無念だ お前のお陰で 命あるすべてのものはこれから先も月見品切れの恐怖に怯え続けるのだ

――永遠に

月見バーガーがレギュラーメニューになった世界には、

確かに品切れの恐怖はないだろう。

だが月見バーガー品切れの恐怖の無い世界では人は。

それを退けて希望を探すことをしないだろう。

人はただ生きるだけでも歩み続けるが、

それは恐怖を退けて歩み続けることとはまるで違う。

だから。

月を見る・心が上を向く。

人はその歩みに特別な名前をつけるのだ。

月見」と。

――だれ?

和風チキンカツサンドとチキンフィレサンド!

月見よ! あんたは!?

――ぼくはマフィン

KANATAGATARI 287

――ぼくも月見だよ

THE MOON&STRATEGY

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煎じ詰めれば千字になるか・打鍵編

あっという間に九月も三分の一が過ぎようとしている。

今日こそブログを更新しようと思っていても自宅でPCを一度も開かないまま一日が終わり続けていく。

かといってスマホのスワイプは自分の思考をスワイプの方向に絶え間なくぐらぐらと揺らされているようでなかなか思考に没入することができない。

少し発想を変えてみようと思って、以前Kindle fire HDでブログを更新しようとした時購入したBluetoothキーボードをスマートフォンに繋げてみた。

キーボードといえば、定期的にタイプライタータイプの無線キーボードが欲しくなっては検索し、値段を調べてため息をつくことがある。

思い返せば二十年も昔、自分が打鍵した文字が画面に整然とした字としてつらつら並べられていくことへの感動こそ今こうして文章を書き始めることのスタートではなかったか、と思う。

何を書くか、ではない、純粋な打鍵の楽しさ。それがいつの間にか「おまけ」であったはずの打鍵によって生まれる文章にこだわり、この九月の間においてさえ多くのことを取りこぼしてしまった。

なのでもっと軽率に今後は書いていきたい、という「誓い」もこのブログの中で何度目かの登場になる、というかこの「煎じ詰めれば」こそはそのための仕組みだったはずである。

間違いないことは今後も間違いなく自分は老い続けていき、ますます記憶力が弱まっていくということだ。

改めて無駄なプライドを捨てて、ただ未来の自分に投げ文をするようなつもりで大雑把な打鍵を続けていきたい。

そうするうちに誰かに何かが届くこともあるだろう。

それはきっと、猫が偶然にタイプライターでリア王を執筆する可能性よりは高いと思いたいものである。

と、ここまでバッファローのキーボードとスマホを使って打鍵してみた。surfaceとキーボードの幅は大差ないが厚みがあるので打鍵感はいい。ただ、予測変換がスマホのせいかアプリのせいか知らないがかなり残念なことになっている。

設定の問題かもしれないが入力をキーボードしか受け付けないのでTwitterから通知が来てもスワイプしてさっと返信や呟いたりが出来ない。逆に言えばPCの様に打鍵中他タブでついみるということもないし集中はこちらの方ができるのかもしれない。

とか打っている間に九百五十字である。とりあえずはこのあたりで。

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