カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

スキップとローファー、自転車と安全靴。

 筆者の母校には「朝課外」「ゼロ時限目」と呼ばれる補習制度があった。1限目開始前になんと7時25分から行われるそれは生徒と親の生活リズムを根底から狂わせる恐ろしい所業であった。

鹿児島伝統 ほぼ強制の「朝課外(ゼロ校時)」 高校生は不満の一方「補習ありがたい」「自分だけの勉強不安」 保護者、教員も複雑な思い | 鹿児島のニュース | 南日本新聞 | 373news.com

鹿児島県教育委員会によると、主にPTAの依頼で実施しており、参加は強制ではなく任意。

はあ~~~???? よう言うわ

閑話休題

そんな朝早くに合わせて弁当を作ってくれた母には感謝してもし足りないが、もちろん弁当を作るのが難しい日、というのもある。昼を学食で友人と食べるのはちょっとしたイベントで、申し訳なさそうな母にはどうかそんな顔をしないでくれと思っていたものだ。

ある朝、前日より明日は弁当なしと昼食代を下賜されていた筆者は電停から降りて高校への一本道を何を食べるかぼんやり考えながら歩いていた。

駅前の反対側と違って、こちら側は人通りがそんなに多くない。早朝の町が動き出す音がそこかしこから聞こえてくるのが筆者は好きだった。

と、そこへギチギチチと生理的嫌悪感を覚える金切り音が後ろから迫ってくる。というか、止まる気配が無い。

とっさに振り向いたところを、前に出していた足が、金切り音の主――自転車にガッコンと轢かれた。そのショックで減速し、ようやく自転車が停止した。

慌てているその顔はよく見ればクラスメイトであった。足に目線を落としたので、大丈夫ですよ、と答えた。当時筆者は電車通学で知らんおっさんの傘や足に自分の足が踏まれるのに辟易していたので、安全靴を愛用していたのである。自転車のタイヤなど爪先の鉄板でさすが安全靴だなんともないぜといった次第。

クラスメイトはほっとした顔、申し訳ない顔、なんといったものかという顔に立て続けて顔が変わり、筆者は愉快な人だ、と思った。

やがて意を決したクラスメイトは、ちょうど止まったところのパン屋さんを指さし、

「ここ! おいしいよ!」と言って入っていった。

その言葉でようやく朝の幸せを具現化したようなパンの焼き上がる匂いが筆者の鼻腔をくすぐり、筆者なりに緊張していたのだということがわかった。

学食ではなくパンにしようか、一瞬逡巡するも、自意識過剰な男子高校生であった筆者は「クラスメートが朝から決して広くないお店でパンを選びあうなんて……そんなのもう真剣交際ではないか!?」という結論に至り、(どうして「選びあう」前提で話が進むのか)足早にその場を後にした。

教室に入ったところでクラスメートが1人欠席しており、つまり順番的に板書を当てられる可能性が出てきたことに戦々恐々としていると、あっという間に先生が入ってきた。とほぼ同時に彼女も焼き立ての匂いをまとって入ってきた。

「明日も、母に「お弁当は大丈夫だよ」と言おう」と筆者は決心していた。

明日はパンを食べようと。

実際美味しく、それから何度か食べた。その中のどこかのタイミングで、彼女に「そこ! おいしいよね!」と言われたような気がしないでもない。再開発が進み、いつのまにかそのパン屋さんもなくなってしまった。

同じ高校のクラスであるからタイミングが重なって一緒に登下校することがそれ以来増えた。登校の場合、彼女とタイミングがかぶるということはかなりギリギリであるしこっちは徒歩なので小走りであったりもした。残り1個のパンを取って会計しているときに彼女が入ってきて「信じられない」という顔をされたこともあった。下校時には快活でいわゆる「愛されキャラ」である彼女がふと見せる陰りのようなものを感じたりもした。

とはいえそんなに頻繁に帰ると「連れ立って登校または下校……真剣交際に発展してしまう!」と危惧したりもし、またそういう彼女であったからクラスの中心であり、朴念仁である筆者からしても思いを寄せている野郎がそこここに観測されたので少しずつ時間をずらすようになっていった。自意識過剰の最たるものである。(実際牽制されたりもしたが)

「スキップとローファー」のアニメを見ている。原作は3月に途中までアプリで、その後既刊をまとめて買ってしまった。みつみちゃんの善性の強さにふと、自分の思い出が蘇ってきたのであった。

さっきの話だけでも自分でも振り返ると「うわっ」となる高校時代だが、実際はもっと記憶の扉に押し込めているものがあるはずで、それはそのまま思い出さずにいたい。高校生活は決して楽しくなかったわけではないが、高校時代にこの作品に触れていれば、もっと視野を広く、それを通して自分にももっと有意義な時間を過ごせたのではないかと思う。この作品に今触れられる現役高校生諸賢が羨ましい。

今回アニメ化される分では筆者が最も好きな登場人物は登場しなさそうなのだが、出来がとても良い。1話から各人の登校前の風景が描き下ろされ、これこれ、こういうのが見たかった、となるのであった。この調子であれば続きもアニメ化されるだろう。してほしい。

志摩聡介という何もかもを鼻歌交じりのスキップで軽やかにやり過ごしていたように見える人物がその実、果たして子どもの頃に何をスキップして、ショートカットして、気遣いの塊のような人間になっていったのか、その迫り方、彼を文字通り掘り下げていく描き方がとても好きだ。


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またもうオープニングが…もう…最高…原作のみつみちゃんの気持ちが上向いてその上昇気流が思わず漏れ出たようなはにかみにめちゃくちゃ弱いので、大変に食らった。最高だ。

自分の高校時代を思い返しつつ、娘にもこんな素敵なお友達が出来たらいいな……と思ったりもした。先の見えない世の中を少し明るくしてくれる、しかしある時は反転して真に迫った慟哭を与えてくれる得難い作品である。好きすぎて全然感想書けないな。この辺にします。

 

娘氏水族館に行く

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最近娘はいきものに興味を示し始めている。

満を侍して動物園…と思ったがゴールデンウィーク期間中は駐車場が予約制で天気も崩れるということで水族館にした。

混雑を避けるためニチアサタイムを諦め朝イチで並ぶ。コロナ対策で窓口は1人のみということで筆者はその間鳩とのデッドヒートに熱中する娘が転んだり湿った地面に座り込まないかハラハラする役目を担っていた。ここで走り回って満足したのか入館後は娘は抱っこせがみ魔になって参った。

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次は絶対行くぞという気持ちを込めて動物園とのセット券を購入。入館した我々をこの水族館「いおワールドかごしま」のかんばん鮫ユウユウがお出迎えしてくれた。その名の通り悠々と水槽を揺蕩う姿は雄大である。

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しゃかな❤️いっぱい❤️と娘もご満悦である。伊達にシナぷしゅで毎日さかなの歌を聴いていない。

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イルカショーは超満員で、朝イチで来て良かったと感じさせられた。イルカは人間と同じように目の錯覚をするらしい。イルカの身体能力はやばい。今度からイルカさんには敬語を使おうと思う。

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座礁クジラの特集も見た。娘の何倍あるかわからないマッコウクジラの下顎はど迫力だ。こんなでっかい生き物のこともまだまだわからないことが沢山あるのだから世の中って面白い。

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くるたびハッとさせられる「沈黙の海」だが、今回は最も身近な未来である娘ときたことによってより痛切なメッセージとして心の中に深く刻み込まれた。

娘がもっと大きくなった時にも「沈黙の海」が警鐘としてあり続けてほしい。その頃ではありふれた海の姿だなんてことにならないよう、筆者も皆引き締まる思いであった。

再び公募チャレンジ

前回チャレンジ分は毎度お馴染み箸にも棒にもかからない結果となった。

本業は上半期の終わりに向け益々忙しさが加速していき、娘はすくすく育ってイヤイヤ期に突入し、抱っこを四六時中せがみ、ベビーサークルも突破するようになった。

オール讀物歴史時代小説新人賞 作品募集

それでも今度はこちらにチャレンジしてみたいと思う。

相変わらず時間に追われて気の利いたことも何も言えないけれど、頑張ります。今度は1ヶ月かけてしっかり作品を磨きあげたい。

感想・換装・乾燥―かくて我安易に妄言を吐き散らせり

感想

当ブログは雑記ブログだが、そのうち何事かの「感想」記事が多くを占める。

kimotokanata.hatenablog.com

「感想」でブログを検索すると最古は5年前。ブログ開設から1週間、記事で言うと3つ目である。「西郷どん」の感想を1年しっかり走り切れたら今とはまた違うブログの地平を見ていたかもしれないが、ここではそちらに話は広げない。

感想とは何だろうか。

感想とは相対した物と自分との1on1だと筆者は考える。

note.com

その通りです。おわり。みんな感想を書こう!

……せっかくなので筆者もなんか書いておこうと思う(ああ、引用した記事にある「盛り上がってるからおれもなんか言いたいよ~のムーヴ…!)

換装

蒼天航路という三国志曹操を主人公とした漫画があり、筆者がとくに人生に影響を受けた作品の1つなのだが、その25巻にこういう話がある。

赤壁の戦い――三国志に詳しくなくとも一度は聞いたことがあるかもしれない大戦(だったのかなあ? ほんとにというとこから始まったりするのだが)が恐らく読者の誰も即座に飲み込めない形で終結した前巻。正直それがついていけず挫折した読者も相当数いると思うのだが、25巻以降は作品に更に枯淡の味わいが加わり、筆者はとても好きである。余談が、ながくなってしまった。

赤壁の戦い敗戦後、曹操は故郷・礁にいた。真っ先にそこを訪ねたのは股肱の臣、夏候惇である。(二人は幼なじみのいとこであり、彼にとってもここは故郷)

乗馬する曹操のそばに、自分の背に寝転んだ夏候惇を乗せてゆるゆると馬は近づいていく。

夏候惇は空を見上げたまま、誰に言うとでもなくつぶやいていく。

夏候惇「こういう日にゃ 詩才のないのが腹立たしくなる

    ふんッ 柄でないのはわかっている

    嗤う郷里の鹿でも追い

    一杯ひっかけ野に寝そべってるのが似つかわしい」

講談社蒼天航路 25」王欣太より引用(次も同じ)

すると前方にいた曹操が、夏候惇の馬に自らの馬を並べ言う。

曹操「そのまま ことばを続けてみたらどうだ」

夏候惇「…… ……」

曹操「あともう少しで詩になる」

夏候惇「(曹操の方をちらりと見ながら)たてがみを背に 日輪の影を追う」

曹操「詩 狩り 酒

   素直に並べられた言葉のあとに

   なぜ気宇壮大な自分をつなぐのか?」

あらゆる創作の示唆に富んだ話に思えるが、こと感想に関しても当てはめることが出来るのではないだろうか。

誰に何を言われるでもなく、自らの胸のうちから漏れる言葉、心境一番搾りこそが最も尊い「感想」だと筆者は考える。

ただ、それが他者に見られると意識するとちょっとええかっこしいしてよそ行きの言葉を使ってしまう……それによって結果的に、全体がいびつになってしまったりとってつけたようになってしまう……筆者も何度やったかわからない行為である。

間違いのないよう参考文献をあたり、他者の感想を確認し歩調をそろえ、各方面に配慮しながら文章を進めていく……。それによって感想はまろやかになっていくだろう。万人に好まれ、「バズる」かもしれない。しかし貫通力は緩やかに弱まっていく。

全体的な分量が増える中で、自分の言葉の密度がどんどん薄まっていくからだ。人は人の腹に括った一本の槍に弱い。ぶっ刺さる。慣れない語彙やよそ様から借りてきた論や言葉に換装してゴテゴテになったところで感心はすれど本来「感想」に求めていたものからは遠ざかってしまうだろう。そして自分も把握しきれていない言葉は取り回しが悪く、一度こけたら自ら起き上がるのは難しい。

血肉になっていない言葉というのはまるでそこだけフォントスタイルやサイズが違うみたいに浮いていたりして、他人から見たら意外と分かるものだ。(たまーに比喩じゃなくマジでコピペでよそ様ブログの物を貼り付けて書式が違うのでバレバレという剛の者がいたりする)

志ん朝文七元結を聴いた。ものすごく上手くて感動したが、凄さはなかった。観客はめいめい、「上手いね」「名人芸だ」と笑顔で語りながら会場をあとにしてゆくが、談志の芝浜の時のように、思いつめた顔でうつむきながら帰ってゆく人は一人もいなかった。

―扶桑社「赤めだか」立川談春より引用

「談志の芝浜」のような刺さり方をする感想を筆者も書いてみたいものである。

いや、それは創作の方で頑張れよと言う話なのだが。

(ちなみに筆者は落語の中では志ん生の「井戸の茶碗」が一番好き)

乾燥

ウェットな感想が好きだ。自分の書いた中で今読み返しても「なかなかいいじゃないか」という感想は湿度が伴っているように思う。正確なデータ、評価が定まってからの後出し、そういったドライなものが混じっているとつい割り引いて読んでしまう自分の悪癖がある。今後AIが溢れてくるだろう文章というフィールドにおいて、湿度や温度は生身の人間が文章に乗せられる武器の一つではなかろうか。

 

二千字程度で収めるつもりが二百字超えてしまった。この辺りにしておいて、皆々様の八百万の事柄への感想を読み漁る方にまわりたい。

 

「近畿地方のある場所について」について

ありがたいことに職場に新しい仲間が増え、業務拡大に邁進しつつ出入りの業者さんが示し合わせたように転勤退職休職で担当さんが変わったりしてなかなか忙しい。

こうなるとなかなかコンテンツの消費もできず、少しずつ小出しにされているものの方がかえってありがたかったりする。

近畿地方のある場所について(背筋) - カクヨム

ちょうど1週間くらい前から「近畿地方のある場所について」を読み始めている。

小学生の放課後、冬の早い夕暮れに日中と違う顔を見せる廊下に急ぎ足になるあの時を。中学生の夏休み、「鮫島スレ」に張りついていたあの時を、高校生の通学時間、ガラケーでネットロアを漁っていたあの時を、大学生の深夜、「俺の先祖はとんでもない奴かもしれないスレ」に興奮していたあの時を思い出す。ところで今、なんか知らんけど音声入力がオンになってて抱っこしている娘の笑い声のうひひひひひひがバーって入力されてめちゃくちゃ怖かったです。抱っこしてるの本当に娘だよな?

閑話休題

様々な方向から外堀を埋めるように語られる怪異は少しずつその輪郭を表していき、その時々に深淵と目があったようなぞくりとする畏れと快感を与えてくれる。それだけにネットスラングに違和感を覚えたりしてしまうのがもったいなくもあるが、逆に言えばそういったところで茶化したくなるくらい前編が「厭」な感じで満ちている。

いわゆる「洒落怖」はいや、こいつ記憶力良すぎだろ…という気持ちが先に立って全くハマらなかったタチなのだがこれはスルスル読めてしまった。

ちなみに掲示板発祥の怖い話だとこの話が好き。「せつないですね」という言葉のチョイスの勝利だと思う。

【真相解明】神戸市北区の一軒家いらないか? の真相が明らかに。時系列順まとめ | サンブログ

ちなみに上記記事では解決済みたいになっているが同じIDでされた書込みについて疑義が呈されており、実際の真実は闇の中である。

閑話休題

最新話を読んだがその名前でその漢字って…1人デビルマンかよ!と突っ込んでしまったものの、また少し怪異の外堀を埋めた形で面白さがある。

考察めいたことをするにはあまりに時間が無さすぎるのではや15年近く前の筆者の怖い体験談を1つ。

バイトに遅刻しそうで夜9時過ぎの街を自転車で爆走していると、アパートの階段の上り口に貞子みたいな人が体育座りをしていた

書かでもの記

娘の1歳8ヶ月が近づいている。
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お絵描きというかペンを扱うことに特に興味を示すようになってきた。案の定ユやテーブルにはみ出して流すようになってきたので、いわゆる「せんせい」タイプのおもちゃ(磁気で字や絵が描けてつまみをスライドすると何度でも書いたり消したりできるやつ)を買い与えようかなあと思っているが、腹を立てると手に持っているものを投げつける…という悪癖があるため二の足を踏んでいる。

汎用的なものとアンパンマンとコラボしているやつで3倍くらい値段が違う。恐るべしキャラクタービジネス。

まつろわぬものたちの末路を探して――映画「刀剣乱舞―黎明―」ネタバレ感想

四年前、こんな記事を書いた。
kimotokanata.hatenablog.com
審神者としても相変わらず近侍に尻を叩かれながら、ちまちま本丸を運営している。
kimotokanata.hatenablog.com
そして再び、刀剣乱舞が映画化されるという。この四年間の間に筆者も成長した。ムビチケを買い、視聴は日曜日になりそうだが前回のようにパンフレット売り切れの悲劇に合わないよう公開初日にパンフレットだけ劇場に買いにも行った。かつて鹿児島で上映先が限定されていた刀剣乱舞映画は、今回上映劇場が拡大していた。それはそのまま前回の映画の素晴らしさと、今回の映画の期待値の高さを証明しているといってもいいだろう。
そして本日、鑑賞した。以下はその記録である。
※映画刀剣乱舞のネタバレがあります

安穏とする元凶

冒頭のワクワク感と言ったらない。「関ケ原」の秀吉の三献茶の逸話辺りをやっているときと同等のワクワク感である。

安倍晴明の見立てによれば大江山酒呑童子という鬼が巣食い、人々は恐れおののいているという。時の摂政・藤原道長はそれを討たせるために源氏の棟梁・源頼光とその四天王を向かわせる――が、それは「茶番」。
大江山に鬼などいない。いたのは朝廷にまつろわぬ民たち――道長たち権力者たちにとって邪魔なものたちに鬼というレッテルを張って排除する極めて政治的な行いに過ぎなかった。その駒として使っている源氏たちにいずれ権力の座を追われるのが歴史の皮肉であるが、頼光以下四天王は正義の行軍と言うにはあまりにむごい殺戮を行っていく。大将・酒呑童子以下腹心は頼光四天王筆頭である渡辺綱の策略によって毒入りの酒を盛られ、既に半死半生の状態にある。
伝説によれば酒好きである酒呑童子の隙をつくための見事な作戦であったというが――。
ここに歴史のまやかしが、早くもある。
歴史は勝者によってつくられる。因果が逆なのだ。
時の権力者に逆らったから、人々は鬼にされ、酒呑童子は酒好きの乱暴者ということにされた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
勝者がそう記録することによって。
渡辺綱がこの道中にわざわざ人の腕を斬り飛ばしているところなど、示唆的である(綱には鬼の腕を斬り落とした逸話がある)
「正しい歴史」は「真実」とは限らない。
酒呑童子が無念の思いを抱えて真実と共に散ろうとしたとき、時間遡行軍を追いかけてきた刀剣男士・山姥切国広が居合わせる。
酒呑童子の怨念は鬼を生み、山姥切国広はそれに巻き込まれ――。
実に魅力的な導入と言えるだろう。
そしてこの物語のラスボスは、酒呑童子となる。
安倍晴明とか藤原道長とか源頼光はもう出てこない。お疲れ様でした。
筆者はてっきり、この「正しい歴史」に抹殺された弱き者たちにどのようにまなざしを注ぐか、歴史の守護者としての刀剣男士や審神者(仮の主)の苦悩や葛藤がメインになるのかな、と思っていたので意外であった。今回の事態を引き起こしたいわば元凶どもは特にお咎めもなにもなく元の時代にて過ごしているのだと思うとなんだかすっきりしない。
それとは別に酒呑童子にもっと悪逆成分をつけるというか、現代の依代となった伊吹(これは酒呑童子伝説が大きく分けて大江山の他に伊吹山に伝説が流布していることが、元ネタのネーミングだと思われる)を絶望させるために弟の事故とかは酒呑童子が仕込んだんだよ、くらいはしてもよかったんじゃないか、とも思う。

仮の主たちの不遇さ

2012年。この時代の刀剣男士たちは自分たちとこの時代を繋ぎとめるための仮の主を必要とする。三日月宗近は高校生・琴音にその名を呼ばれることで弱っていた力を若干ながら取り戻し、時間遡行軍を退けることが出来、以後彼女と行動を共にすることとなる――。
クライマックス。人々の想いを酒呑童子が吸い上げることによって、想いの積み重ねで力を得る刀剣男士はその体を保つことが危うくなる。未来の本丸との繋がりも薄れていく。このまま時間遡行軍に蹂躙されてしまうのか――。
いや仮の主が名前を読んでパワーアップ(力を取り戻す)展開じゃないのかよ!!!!
ずっとへし切長谷部を「へっしー」と呼んでいたがここぞという時に「へし切長谷部!」と呼びかけ、
名前を兄に覚えられないことが悩みの膝丸を「膝丸様!」と鼓舞し、
山姥切国広を過剰にニセモノ呼びすることが自分への自信を持ちきれないことを感じさせる山姥切長義に「山姥切殿!」と叫ぶ、
そういう仮の主を、それによって力を取り戻す刀剣男士を、生まれる信頼関係を筆者は期待していたのである。
ギャルを仮の主として認めた証拠として「主に仇なすものは斬る!」をへし切長谷部に言って欲しかったんだよ……。

垂涎の刀剣男士大集合

前回の映画での数少ない不満、それは登場刀剣男士のほとんどは出血大サービスの顔見世にとどまったことであった。
今回は終盤、多くの刀剣男士が出演し、あらゆる場所で殺陣を繰り広げるはちゃめちゃに贅沢なつくりになっている。
陸奥!出るんならちゃんと先に教えてくれ!!!!
嬉しいサプライズであったが確かに「春映画」味が高まったのは仕方がないかもしれない。
いきなり特撮界隈のスラングを繰り出してしまったが、こういうキャラクターが沢山出てくるお祭り映画を春にやるという奇祭があるんです。今まで知らなかった方は今後も知らなくて何も影響なく生きていける知識です。
ちなみに
・過去の時代のことがテン年代の出来事に影響を及ぼす
・味方が敵の幹部っぽいポジションに収まっている
・へっしーLet's Go TOKYO♡
これらから春映画の中でも「オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー」のオマージュであることは間違いないだろう(ぐるぐる目)

実際なんで2012年だったのだろう。スカイツリーが完成することで何か呪術的に酒呑童子に有利に働くことがあったりしたんだろうか。筆者は「刀剣乱舞」というゲームは2205年の時の政府が自分たちの時代になるまでに刀剣男士の力を強める――想いを積み重ねる――ためにゲームの形としてこの時代に送り込まれたツールであり、(実際刀剣乱舞のリリース以来、行方不明の刀剣が発見されたり保存のための資金が首尾よく集まるなど刀剣に関して好ましい影響が出ている)その試作が始まったのが2012年である(リリースは2015年)みたいなオチになるかと思っていたが、全然違った。

追加刀剣男士出現せず

予告により酒呑童子の登場が明らかになった時から、筆者だけでなく多くの人々が思ったことであろう。
「満を持して『童子切安綱』の登場ではないか!?」と。
天下五剣。
三日月宗近。数珠丸恒次。大典太。鬼丸国綱。その四振りは既に、刀剣乱舞ゲームにて実装された。
が、童子切安綱はリリースから八年を迎えようとする現在も実装されていない。
文字通り酒呑童子を斬ったという逸話から、童子切安綱。しかも今回フィーチャーされてる東京国立博物館所蔵。
映画という特別なイベント。舞台は整い過ぎているといってもいい。
が、伊吹と融合した酒呑童子を斬ったのは山姥切国広。空中に浮かんだ怨念体の酒呑童子を切り裂いたのは三日月宗近だった。(このじじい…また知らん技使っとる……)
ここで出なかったらいつ出るのだろう、他人事ながら心配になってしまう。実装されたらされたでサービス終了が近いのではないかとビクビクしてしまいそうではあるが。

刀剣乱舞という題材の柔軟さを改めて知る

正直なところ前回映画と同じものを想定して観ると戸惑ってしまう映画になっていると思う。しかしよく考えれば刀剣乱舞という題材はアニメだけでも「花丸」と「活撃」という全く毛色の違う作品を生み出している万華鏡のような題材であり、今回は「こう」だったのか、という納得もある。
ただやはり筆者としては、かつて大和民族に滅ぼされ、あるいは同化していった隼人の末裔としていつの時代もいる「正しい歴史」からとりこぼされていくもの、まつろわぬ、まつろわれぬ者たちの末の光明を示してほしかったといいう願いがあり、それがかなえられなかったのは残念であった。次回、琉球刀にスポットが当たればそういった角度の話も生まれるだろうか。幕末の話も見てみたい。こうやって次々与太が尽きぬあたり、刀剣乱舞が魅力的なコンテンツであることはやはり間違いがない。