カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

エンドロールには早すぎる――IZ*ONE(アイズワン)カムバックソング「Panorama(パノラマ)」感想・妄想・考察


IZ*ONE (아이즈원) 'Panorama' MV

IZ*ONE(以下文中アイズワン)のカムバックソングについて語るとき、いつも深夜になってしまう。もちろん、記事投稿自体を夜に行うことが多いからなのだが、彼女らがカムバックするとき、それは世の美が更新されるときであり、その「新しい世界」になじむのに些か時間がかかってしまうからである。それは幸福なチューニングの時間だ。

既に昨夜の「2020MAMA」においてその出来栄えのすさまじさにウィズワン諸賢を沈黙させた「Panorama」のMVがついに公開された。

そこで筆者が見せつけられたのはまたも新たにして多様な美の顕現とウィズワンへの愛、メンバー間の信頼、そして今こうしてアイズワンというグループを応援できているという奇跡の再確認、最後に、どうしようもなく近づいている「終わり」であった。

以下、いつも通りの筆者の妄想を書きなぐっていく。

考察(妄想)

平行世界で何度も「アイズワン」を繰り返す彼女たち

初めに総論から言うと、これは「語られなかった思い出」を取り戻そうとしたアイズワンがしかし、「語られなかった思い出という思い出」を受け入れてそのループに終止符を打った物語だと思っている。言うのはタダである。

初めに全員の群舞シーンで現れるコンクリート造りのような背景の黒服のアイズワン達こそが、何度も過去に戻り、改変しようとするアイズワンだ。

彼女たちの気持ちはひとつ、「もう一度過ぎ去るあの季節の風景、話せなかった私たちの話」を話したい、ということだ。

あの季節。気温よりなお寒く、ただひたすら、推しの命が続くことを願ったあの季節。ひっそりと息をひそめたあの季節――はや一年が過ぎた「本来のFIESTAカムバック」である。シックな服装も似合いすぎるキム・ミンジュさんがディレクターズチェアに座り、カチンコが打ち鳴らされる。アイズワンの記念日を記されたカチンコが、ゼロになる。再びの「アイズワン」の開始である。

それまでの記録を眺めるのはオードリー・ヘップバーンを彷彿とさせるカン・ヘウォンさんである。そのフィルムを収めている数から、これが一度や二度ではないことが分かる。

展開されるのはどこかで見た景色、どこかで見た衣装、どこかで見た小道具、どこかで見た演出……。しかしそれは我々の知るそれではない。演者が違う、色合いが違う、衣装が違う、表情が違う……。ACTが違うのだ。我々の知っている彼女たちとは。繰り返す平行世界を示唆するかのように、黒い服以外の彼女たちの像はある時はブレ、ある時は分裂し、ある時は万華鏡のように拡散する。

ついに120%の魅力を発揮したように感じる矢吹奈子さんの表情管理と堂々としたパフォーマンスには驚かさせられるが、まずはその像が多重になっているからこそその未来が確定していないというヒントになっているように思える。後半、チェヨンさんがチェスの駒を進める前にその動きを知っているのはその出来事をかつて経験したからなのではないか?

アイズワンでなかった世界線を示唆

そして金髪が大正解のクォン・ウンビさん、肩ががっちりしているドレスも問題なく似合ってしまう宮脇咲良さん、デカリボンをセレクトしたスタイリストに五千兆円くらい支給してほしいチョ・ユリさん、完全に超新星女優アン・ユジンさんは「アイズワンでなかった場合の彼女たちの未来」を現わしているように感じられた。アイズワンではなくソロとして活動していた可能性が高いのは確かにこの四人だろう。キャリアも長くダンススキルの高いウンビさん、48Gの第一線で活躍しており劇団経験もある宮脇さん、アイドル学校で人気を勝ち取り歌唱力が絶賛されたユリさん、コンタクトレンズのCMで注目されていたユジンさん……。単独でデビューしていてもきっと多くのファンを得ていたことだろう。黒髪もバチボコ似合うチェウォンさんもまた、アイドルになっていなかったらそのように過ごしていたかもしれないゴージャスなふるまいをしていて可愛らしい。

それでもアイズワンは、この世界線を選ぶ。

過去の改変は、しかしうまくいかない。無数の平行世界が生まれ続けるが、どの世界においてもあの季節の風景は過ぎ去っていってしまう。アイズワンには一度、ひどく厳しい冬が訪れる。

ならば、編集すればいい。誰かが思いつく。フィルム状にして過去をさかのぼり、改変しようとしている彼女らの周りには膨大なフィルムがある。それをつなぎ合わせて「あの季節」のシーンは削除してしまえばいい。冒頭の歌詞、「静かに始まったドラマ(これはPRODUCE48が歴代最低視聴率だったことも示唆しているのだろう)」の「大事にしていた欠片」とは「うまくいった過去」のことではないだろうか。

そういったシーンがチェ・イェナさんの圧巻のセンターダンスシーンの後、矢吹奈子さんと後半美しすぎる一筋の涙で全国一千万人をドギマギさせた本田仁美さんのまわりに沢山のフィルムが釣り下がっているシーンであろう。

ミステリアスさにも磨きがかかりますます魅力的なイ・チェヨンさんがいうように虹の家に招待され、楽しく日々を過ごせたらどんなに良いだろう。

しかし彼女たちは気づく。「全部入れておくわ物凄く特別だから」と。彼女たちは過去を編集しないことを選んだ。あの日々さえも今や愛おしいのだと。何故か。

「あなたの目の中で輝くstarlight」を見つけたからである。

「あなた」は、ウィズワンは何をその目に宿しているのか。

アイズワン諸賢に他ならないではないか。

こうして彼女たちは、ウィズワンを通してどんな苦難の時であっても自らが輝いていたことに気付く。「初めて会った時あの瞬間」のように。

そう、あの時我々は互いに約束したのだ。

「君の星になる」「私の光になって」と。


[ENG sub] PRODUCE48 [최초공개] 프로듀스48_내꺼야(PICK ME) Performance 180615 EP.0

だから、我らが最強マンネ、チャン・ウォニョンさんはこう歌って〆るのだ。

永遠に覚えていて約束よ
Don’t Let me Down Down Down

こんなことを言われたらますます応援をせざるをえないではないか……。

しかし今回のアルバム「ONE-REELER ACT IV」のコンセプトから考えるに、本当は「ONEIRIC THEATER」ってこのタイミングでやるつもりだったのかな……と思ったりもした。本当にアイズワンは瞬間瞬間の奇跡で成り立っているのだな、と改めて思う。

アルバムの到着が楽しみである。

しかしこんな「集大成です!」みたいな曲を出されてしまうと、そりゃあめちゃくちゃに素晴らしいのだが、いよいよ幕引きを予感してしまって辛い。「~IZ」シリーズが三作出たから「ONE~」シリーズが三作出ること、信じています。なんなら三十作出してもいいけど。

[KIHNO ALBUM] アイズワン - One-reeler Act Ⅳ+Extra Photocards Set [KPOP MARKET特典: 追加特典両面フォトカードセット][韓国盤]

絶対振り向かない―カムバック前夜、MAMAの夜に最近のIZ*ONE(アイズワン)について。

Twelve 通常盤 Type A (DVD付) (予約特典なし)

今週のお題「自分にご褒美」

IZ*ONEカフェに行く

実は過日、妻とIZ*ONEカフェに行ってきていた。万が一ということもあり、その際アイズワン諸賢に迷惑をかけることがあったら耐えられない……ということで訪問してから早一月ほど、体調は良好なので解禁することにする。

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看板から既に可愛いの洪水が始まっている。もちろん検温他感染対策はしっかりなされ、しかも店員さんがとても見目麗しく、きびきびと検温してしまうため「このサービス有料じゃなくていいのか?」とずれた心配をしてしまうほどであった。

食事をしながら、日本活動のMVを鑑賞しつつ、順番が来たら特設会場でグッズを買う、という形式であった。

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推しを激写しようとしたらタイミングがずれてホラーになってしまったりした。

(時間帯一番乗りで他の方がいらっしゃる前に撮らせていただいた)

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同時期にツイステッドワンダーランドのコラボカフェも同運営で計画されており、オタク界隈では何かと話題の運営であったため失礼なところドキドキしていたのだが、少なくとも筆者の訪問した福岡のアイズワンコラボカフェにおいては、パスタがちょっと薄味だったくらいで料理はおいしく、バーガーも「コラボカフェ特有の固いバンズ」ということもなく、提供速度も気にならず、店員さんもとても丁寧に接してくださり、楽しい時間を過ごさせていただいた。

もちろんコロナ禍で人数制限のある今回と炎上した時とは混雑具合も違うであろうし、運営の過ちがなくなる訳ではないが、悪事千里を走るの言葉通り、悪い噂というのは尾ひれがついて拡散してしまうものであるから、このアイズワンコラボカフェについては筆者は大変満足させていただいた、ということは記録にしっかりと残しておきたい。

ランダムアイテムはどちらもイ・チェヨンさんであった。箱推しなので当りしかないのが嬉しいところである。

今更「Twelve」及び「Beware」感想・妄想・考察

「好きと言わせたい」で14歳センターのフレッシュなグループに倦怠期の歌を、(これ西野七瀬さんの卒業曲にしてMVが卒業後主婦になった西野さんが再びアイドルに……みたいな感じにしたらハマってたんじゃないかなあと今でも思う)「Buenos Aires」で心中すら思わせる駆け落ちの歌を、「Vampire」でエビ中の何周か遅れの歌を提供し、もはやミュートの方がいいのでは……とすら筆者に思わせていた日本曲。(カップリングはどれも出色の出来だけに余計に)

今回やっと「正解」に気付いてくれたか……。としみじみした。


IZ*ONE (아이즈원) - 'Beware' MV

潔く可愛さ全振りでいいのである。等身大の歌詞でいいのである。令和の世に「ハートのアンテナがピピピ」とか言い出した時はさすがにどうしようかと思ったが。

「Beware」に感じるのは恐らくはじめIZ*ONEの日本プロデュース陣が脱却しようとした「48グループらしさ」の肯定だ。同年代女子がわちゃわちゃすることで生まれるポジティブさが現れた楽しい作品になっている。


【MV full】12秒 / HKT48[公式]

また、冒頭、矢吹奈子さんが眠りにつくシーンは5年前(マジかよ)の「12秒」を思い起こさせ、「12秒」と「twelve」という「12」の符合からも狙っていたのではないか、と深読みしてしまうし、彼女らが列車に乗っていることはこれまたHKT48の傑作「大人列車」を彷彿とさせる。


【MV】大人列車 Short ver. / HKT48[公式]

もっと言えば列車のシーンは、AKB48 の快進撃前夜、「10年桜」のバスシーンを思い起こさせる。


【MV full】 10年桜 / AKB48 [公式]

ただ、そうすると「Beware」は楽しげな中に死のモチーフを感じさせるMVということにもなるのだが……(いないかのように振舞われるクォン・ウンビさん、異常事態を知らせるかのように明滅する車内、最後に一人ぼっちになるキム・チェウォンさん、真っ赤な衣装などこれまた「意味が分かると怖いMV」的解釈が出来るつくりになっているのが心憎い)

そういえばおよそ一年前に筆者は「次回の日本センターはチェウォンさんでは?」と予想したのだが今回当りということでいいのだろうか。

 

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 メンバーによる訳詞はまさに思いの乗ったもので、分けても「以後」の歌詞に再構築を果たした宮脇咲良さんの「FIESTA」は白眉であろう。筆者は昔、fromis9の「lovebomb」を訳詞しようと試みたことがあったが、冒頭から三小節くらいに直訳すると「幽玄なる雲がゆったりと広がって」みたいな日本語を押し込めなくてはならなくなってギブアップした思い出があり、それだけに脱帽である。

「yammy summer」は楽曲の素晴らしさももちろん、「夏にアイズワンでこの曲を聴きたいなあ…パフォーマンスを見たいなあ……」と思わせてしまうメタまでも取り込んだ名曲である。

「twelve」であるのに収録曲は11曲、ということでサプライズで「With*One」の日本語訳が収録されているのでは!?と期待したが、残念ながらそうはならなかった。有志訳でも感涙させられたが、ぜひ今回のようなクォリティで彼女たち自身の訳詞で聞いてみたいと思う。

PRODUCE48を巡る諸々

元プロデューサーの刑が決まり、司法によって順位操作をされたとされる練習生が明かされ、参加していた元練習生が当時の打ち明け話をする、ということがあった。また、次期カムバックのロゴではPRODUCE48の象徴であったデザインが抹消されているという。

本当に、世の中というのはIZ*ONEに平穏な11月を過ごしてほしくないのだな、と皮肉の一つも言いたくなってしまう。このタイミングで物事が動くことは当然、カムバック前だから話題になるという卑しい計算が働いているであろうから、彼女たちが日々晒される「大人」の汚さに、大人の一人として本当に恥ずかしく、申し訳なくなってしまう。

我らが「オンニ」イ・カウン(ガウン)さんの「何も申し上げることはありません」というコメントに涙が出そうであった。そう言うしかないではないか。ずっと言ってきた。誰も得をしないと。本当にそうなってしまった。真相究明委員会って、今何をしているんだろうか。ちゃんとケジメをつけてくれたんだろうか。

もう本当に、一年以上言い続けている。罪には罰である。「国民プロデューサーの投票でデビューが決まる」という約束を破ったのならば当然そこには罰を受けてしかるべきである。が、それはデビューした彼女らではない。もちろんデビューできなかった他の練習生諸賢でもない。番組制作者である。

PRODUCE48のあと、「SIXTEEN」や「Nijiプロジェクト」を見てつくづく感服させられたのがパク・ジニョン(J・Y・Park)氏の「覚悟」である。デビューするメンバーの決定について自分が責任を持つ、それでどれだけの誹謗中傷を受けたのだろう。しかし彼は屈せず、自らの良いと思うメンバーを、自らの責任において決定し、任命し、デビューさせた。

結局のところ、アン・ジュニンには、他関係者にはその覚悟が足りなかった。誰を選ぶかという苦悩を、誰を落とすかという苦痛を、国民プロデューサーになすりつけ、その深い苦しみと対になっているはずの「自分たちでデビューメンバーを決める」という栄誉はまんまとかすめ取っていたのである。恐らくは「SIXTEEN」のカウンターとして、絶対的な権力者ではなく民主的に決めよう、という建前にありながら選出方法としては劣化していたというのはとんでもないことであり、繰り返すが断罪されてしかるべきことである。

それに他練習生諸賢が不満を持っても仕方がないことだと思うし、その救済を切に望む。

それでも筆者がこの騒動に思うことは、あの大ヒット作品の言葉を借りれば、

たくさんありがとうと思うよ

たくさんごめんと思うよ

忘れることなんて無い

どんな時も心は傍にいる

だからどうか許してくれ

鬼滅の刃 57話より

 

 ということに尽きる。あの日々だけは、悲喜こもごもの100日間だけは、それに臨んだ練習生諸賢の気持ちだけは嘘ではなかったと、今でも筆者は考えるからである。

だからこそ、後ろ向きに振り向かないでほしい、そう願ってやまないのである。

また、今回話題になった元練習生さんが引退したとき、筆者は記事を書きかけていて完成させていたなかったが、良い機会であるので改作してこの記事に組み込み、供養としたい。

宮沢賢治の詩に「告別」というものがある。

教師時代の賢治が楽才があると思われる生徒に送った詩で、学校を辞め、安定した生活を捨てる己自身の覚悟も問い直すような詩だ。

その性質からクリエイター諸賢にも刺さるところが多いのか、しばしば引用されているところを見る。

賢治は、生徒の楽器の才能の可能性について述べた後、こう続ける。

けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ

宮沢賢治春と修羅」より

……賢治、プデュ見てた?

PRODUCEシリーズは良くも悪くもその後の参加者の去就に注目が集まる。最終合格者はもちろん、最終まで残った者たち、デビュー組、俳優転向、または引退など……置かれた場所で咲きなさい、というのは置いたものの怠慢にすぎない。どれほど努力をしても、このアイドル戦国時代、継続して売れるというのは並大抵のことではない。

もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ

―引用元同じ。

かつて「べしゃり暮らし」で「絶対に売れる方法」をお笑い養成学校の校長が伝授する、というエピソードがあった。

絶対に売れる方法。それは、「売れるまで頑張ること、しがみつくこと」であった。もちろん、それが出来れば苦労はしない。出口が見えないトンネルを歩き続けることほど辛いことはないだろう。

けれど筆者は南の果て鹿児島から九州新幹線「さくら」に乗ってやってきて、ビジネスメロンパン、ダンスが下手、ごり押し、頭打ちといわれのない非難を受け続け、華やかなりし青春時代をかなぐり捨てて10代をアイドルにささげた宮脇咲良というアイドルを、鹿児島の、いやアジアの、いやいや世界の誇るべき金字塔を見るにつけ、この「歩き続けたアイドル」を見るにつけ、やはり賢治のこの詩が思い出されるのである。

その時彼女が思っていたのは一人の優しい娘ではなく、ファン諸賢であり、かつて彼女が過去現在未来全てのファンを肯定して見せたのは以前記したとおりである。

 

kimotokanata.hatenablog.com

 この気持ちをすべての練習生に持てというのはやはり厳しいのかもしれないが、少なくともPRODUCE48において、ファンのついていない練習生など存在しなかった。そのことを心のどこかに留めて、誇りを持って過ごしていって欲しいと思うし、そういうルーツの一つであるPRODUCE48の象徴がデザインから消えるのは、やはり個人的には寂しいものがあった。

2020MAMA

去年の仕打ちを忘れたわけではないので個人的には裏番組で長時間コンサートとかしてほしさもあったのだが、やはり晴れ舞台に立つ推しを見るのは嬉しい。花三部作の更にブラッシュアップされたパフォーマンスに続き、「Panorama」の不意打ちは喰らった。そのすさまじさたるや、TLで登場に沸き立っていたウィズワンが突如押し黙り、パフォーマンス終了後放心したかのように賞賛のツイートをぽつぽつと投下したところからも推し量れるであろう。またしても「正解」が提示され、果たしてアイズワンの「解」はいくつあるのだろうか、と思うことしきりである。

カムバック時に改めて単独で記事を書きたいと思う。

かつてストレイド卿は言った。「人間にとっての『最高』ってヤツは『変わっていく』ってコトだろうからな」と。

アイズワン諸賢を見るたび、実感する筆者である。

蛇足

Mwaveで申し込んだBloomIZ、まだ手元に届いてません……。

 

明日(とおいみらい)であなたとまた出会う―初代からフィットボクシング2を引継いでのファーストインプレッション

引継ぐまで

ダイエットは継続中なのだが食欲の晩秋ということもあり、チートデイが通常デイを上回った影響もあってかリバウンドはしないものの、減少は足踏みが続いている。

そんな中でも日々の時間の増減こそあるものの、フィットボクシングはダイエットを本格化させてから毎日続けており、いわば筆者のダイエットの要ともいうべき存在であった。一泊二日の旅行の際は出発日の深夜零時にデイリーをこなしておくという徹底ぶりである。因みに妻は一年近く継続している。

本日フィットボクシング2が発売した。

新たに3人のインストラクターを迎え、ステージや曲、トレーニングも一新されたそれは完全にフィットボクシング無印の上位互換と言ってもよいだろう。

 筆者は9月にフィットボクシングを再開してから、もっぱら「ラウラ」というインストラクターとトレーニングを重ねていた。もちろん彼女も2に続投する。

いつもと同じトレーニング終了画面。しかし昨日のその画面は、何とも切りがたいものがあった。

明日になれば筆者は2にこの無印のデータを引き継ぎ、移行する。よほどのことがない限り無印を起動することはないだろう。

2においてもラウラとトレーニングを重ねるつもりではいるが、しかし筆者はその「ラウラ」と今目の前にいる、「明日も会えるかを気にするラウラ」は同一でありながらしかしどうしようもなく独立しているように感じられたのだった。

「これがあたしなのさよならをいうあたしなのよ」

画面の向こうのラウラがそう言っているように見えたのは深夜の蜃気楼だったろうか。

果たして無印から記録を引き継ぎ、起動した2で再び邂逅を果たしたラウラと筆者はこのようにしてまた出会った。まあぶっちゃけた話、無印でも一瞬でも他のインストラクターに変えて戻すと「久しぶり」とか言ってくるのがフィットボクシングのインストラクターたちなのだが、せっかく引き継ぐなら「また頑張りましょう」とかあっても良かったなあ、とは思った。

他方、10年ほど前に見て衝撃を受けた作品を思い出したりもした。筆者が二次創作に抵抗がないのははるか昔、「ニコマス民」であったことが影響しているのかもしれない。

 


【iDOLM@STER】「GAME」 - アイドルマスター

 

引継いで

とりあえずデイリーとフリーをこなしてみたが、前作がよく言えばストイック、悪く言えば単調であったことから考えると、基本は変わらないものの画面がにぎやかになって飽きさせない工夫が感じられた。

インストラクターが重心の移動を促すのは従来通りだが、それが画面内に可視化されるようになった。これが口腔内の舌の置き場を意識すると一気に気になり始めるのと同様に、自分ではできていたつもりのステップがてんでぎこちないことに気付いて驚かされる。そして、画面の指示通りを徹底するとなかなかきつい。効いている気がする。

そんなこんなで油断しているとパンチの精度が落ち、その判定も前作より多少厳しくなっているように感じた。具体的にはミスになることは少ないのだがジャスト判定がやや辛口になっているように思えた。

コース自体も微妙に変化しており、前作の流れを体が覚えているぜ……! と思っているとジャブを追加してきていたりして侮れない。

デイリーにおいては前作ではエクササイズ時間を変えるには目的の変更が必要であったが、今回は基本の時間を設定しておけばその+ー10分をその日の体調などから簡単に選択できるようになった。また、集合住宅に住んでいるなどの理由からステップ系を避けたい場合は前作ではウェストシェイプにすることで回避するというテクニックがあったが、今作ではその辺りを含むトレーニングを入れないようにしたり、判定を自動的にジャストにすることが出来るようになった。ステップ系は判定が厳しいこともあり敬遠されがちだが、後者であればマンネリを防ぎつつスコア低下は防げるというわけである。

ただ個人的にはブロックがしっかり判定されないことが多かったのでブロックがどちらにも対応していない点は残念であった。

衣装については今回はチケット交換方式となった。カレンダーに目に見える形でプレゼントボックスという「えさ」がある前作の仕様も結構好きだったのだが。

また、特筆すべきはDLCの実装であろう。正直声優さんが叱咤激励してトレーニングしてくれるというこのシステムは可能性しかないと思っているのでこの展開は完全に「こ……これだよユーザーの求めていたものは!」という感じがする。現在は2名のインストラクターの「鬼モード」(ボイスが厳しめになる)の無料配布にとどまっているが、ぜひ色々なパターンのボイスやなんだったら新インストラクター、曲、コースを配信してほしいと思う。

しかしこのタイミングで短髪のCV石田彰を打撃を主体としたゲームに登場させあまつさえ「鬼モード」があるだなんてなんだか「意味」を感じてしまって面白い。

他引継ぎに関しては、「マイデータ」はしっかり引き継いでくれているが、〇日継続中は少なくともメイン画面においては引き継がれているのを確認できなかった。禁煙成功に効果があるといわれるように、またそのままレコーディングダイエットという言葉があるように、画面上に見える数字が積み重なっていくことは継続のモチベーションに繋がるので、前作から続けて何日か、というのはなんとか目立つところに出してほしかったところである。万が一すっぽかしてしまった時の虚無感も大変なことになりそうではあるが。

また、今まで打ってきたパンチのデータやインストラクターごとのトレーニングの回数も引き継がれない。

随所に無印を踏まえた良好な改修がなされているが、あくまで新天地として乗り込んだほうがより馴染みやすそうである。現在無印をお持ちでない方は、こちらのみの購入で全く問題ないだろう。

個人的にはDLCとか更新で消費したいカロリーから逆算してメニューが作成されたりとか、コースが自動生成されるエンドレスモードとか、そういったところを今後期待していきたいところである。

Fit Boxing 2 -リズム&エクササイズ- -Switch

きみはもう一度クラウドになったかい?――20年かけてFF7をクリアした話・前編

ファイナルファンタジーVII

それは末弟が生まれた年のことであった。我々一家は一軒家に引っ越し、筆者は「子ども部屋」を得るに至った。

それを祝ってかは知らないがプレイステーションが我が家にやってきた。

それは誠に革命的な出来事で、弟(初号機)と共にドラえもんボンバーマンクラッシュバンディクーで遊ぶ日々が続いた。

ある日、帰宅すると学習机に一つのソフトが置かれていた。

今までのソフトとは違う厚み。白地にロゴのみというシンプルかつインパクト抜群のデザイン。後年、遅ればせながら「ブギーポップは笑わない」に触れた筆者はこの時と似た衝撃を味わったのを覚えている。

半ドンだった親父が風呂から上がり、子ども部屋にビール片手にやってきた。

お帰り、と言いながら父は、おお、FFの新しいやつだぞ、と言った。

なんとディスクが三枚もあるそのゲームの名は、「ファイナルファンタジー7」というものだった。

そうか、ファイナルファンタジーって新作が出るのか、というのがその時の筆者の素直な気持ちだった。

ファイナルファンタジードラクエというのは筆者にとって親父がクリアした後のデータでプレイし、イベントが終わった後の街をめぐって住民の話からどんなことが起こったのかを推測するゲームであり、「スーパーマリオRPG」や「ポケットモンスター」といった自分が体験するゲームとはジャンルが違うと考えていた節があった。

自分が最初からファイナルファンタジーをプレイする。

その新鮮さに高揚している自分に気付いたが、まずは親父のプレイをいつものように後ろから見ることにした。「先の展開を見ると面白くないぞ」と親父は言うが、マシン語を使って機械とタメ口で話しながらゲームをしていたギークの走りのような親父のプレイは手馴れていて、筆者にとっては絵本の読み聞かせでページを繰ってもらうような心地よさがあった。

首尾よく進み、セーブしようとする親父。が……。

なんということでしょう、筆者と弟によってメモリーカードクラッシュバンディクーのセーブデータで埋め尽くされていたのだった。

およそ一時間を無駄にした父から目玉を食らい、結局その日はプレイせずじまいであった。

さて自分でプレイし始めた。名前が四文字縛りではないので本名をフルネームで入れてしまう小学二年生であった。何かあるたび「木本仮名太!」とフルネームで呼ばれ続ける受難のツンツン頭。そんなところ一つとってもやはり小学二年生にはなかなか難しい。しかし筆者には秘策があった。

週刊少年ジャンプである。

ウィキペディアを見るとFF7は一月末の発売だというから果たしていつ頃のジャンプだったか定かではないが、とにかく我が家のバックナンバーではFF7攻略記事が展開されていた。これがなければ筆者は列車墓場辺りで投げ出していたように思う。本誌から攻略記事だけ切り抜いてテープでベッタベタにまとめた(こち亀百周年の特集記事が「切り取って保存しよう!」というものであり、それ以来筆者はジャンプで気に入ったものはしばしば切り抜いて保存していた。ドラクエモンスターズの配合表などはそれを所持しているということによってしばらくの間クラスカーストの上位に降臨できたものである)あの筆者だけの攻略本は果たしてどこに行ってしまったのだろう。

ともあれそれで神羅ビルまでは楽に突破することができたが、ここから「この先はキミの手で確かめてくれ!」状態となり、(実際はチョコボモーグリの入手法やユフィ、ヴィンセントの仲間に誘う方法なども掲載されていたと思う)参ってしまった。あんなに広く広大に感じたミッドガルから脱出してみると恐ろしいほどのフィールドが広がっており、まさしく途方に暮れてしまった。

またカームの回想が長い。疾風怒濤の展開から急に凪のような展開となり、もちろん最後に故郷が大変なことになってはしまうのだが一回目の「ダレ」がここできた。その後のコンドルフォートもガキの筆者には難しい代物だった。それでも筆者は頑張った。なぜなら格好いい飛空艇を「ジュノン」で見つけたから。操作方法は説明書に書いてあったから知っている。早く動かしたい!

――DISC2以降でないと乗れないことを知る余地もない筆者はバグを疑い、飛空艇を入手しないままストーリーが進むことに不安を感じながら大海原を渡った。多分この辺りで三年生になっていたはずである。

難関はゴールドソーサーであった。敵はDISCである。やんちゃ盛りのガキどもが丁重に扱うはずもなく、その傷のせいかゴールドソーサーに突入するムービーが何度やっても途中で止まってしまうのだ。親父は諦め、以降ドラクエは11に至るまでプレイし続けているものの、FFはこれが最後のプレイ作品となってしまった。

息子を哀れんだのか、ゲームに否定的なお袋であったけれども生協の共同購入カタログに載っていたDISCの傷を修復するツールを授けてくれ、その日とうとう我が家はゴールドソーサーへ突入したのだった。

そうして辿り着いた故郷。神羅屋敷はトラウマ。ダイヤルの回し方がわからず、ヴィンセントを放置することとなる。かつて回想で巡ったニブル山を超えることに感慨深くなりながらも、しかし出られず筆者は困惑した。何度もぐるぐる回っても出口がない。参った。ちょうど他のゲームもプレイしていることもあり、そこで一度中断してしまった。

ファイナルファンタジーVII 解体真書 ザ・コンプリート

Y君という親友がいて、どれくらい親友かというとレッド13(環境依存文字に配慮した表記)は彼の名前、ケット・シーは彼の愛犬の名前にするくらいの仲だった。筆者よりずっと賢く、のち旧帝大に進み現在研究職に就いているはずである。

そんな彼が泊まりに来た折、なぜだかFF7の話になり、久々にプレイすることになった。ここで詰まっている、といい、彼にコントローラーを委ねた。

暫くして、突如戦闘が始まり我々は驚いた。

Y君は壁に沿ってボタンを連打しており、そして出口に待ち伏せているボスに話しかけることでイベントが進んだのである。

ランドセルほどのサイズの小さな画面でプレイしていた筆者はそのボスに気付かず無駄にうろちょろしていたわけである。

いざ戦闘が始まるとひと夏をひたすら戦い続けていたパーティーは鬱憤を晴らすかのように活躍し、特に苦戦もせずついにロケットポートエリアに至るのだった。

その後も規定レベル以上に鍛えていたこともあり、また友人が泊まりに来てくれたことによる勢いもあってその日のうちに「クックック……黒マテリア」までたどり着いた覚えがある。初めてそこまで長い間ゲームをした。

しかしその後、Y君が帰るとその反動か大熱を出してしまい、ゲーム禁止令が言い渡され、回復してからも「ボンバーマンファンタジーレース」や「みんなのGOLF」などにも傾倒していき、再び停滞期が訪れるのだった。

筆者は五年生になり、休日に電車で習い事に通うついでに今は亡き金海堂という書店を訪れるのが楽しみの一つであった。

そこで「解体新書」に出会った。

実は少し前に再開しようと思っていた筆者は、時間を空けたために話の筋がわからなくなって断念していた。そこにキャラクターの心情がつづられる「解体新書」はうってつけであった。

ヴィンセント、ユフィも仲間にし、エアリスが生き返らないことを知って落ち込んだりもしたが、少しずつ物語を進めていった。

友人が話していて絶対嘘ワザだと思っていたチョコボックルが実在して驚いた。

時が流れ、PS2を手に入れてからもそれは同様であった。

中学生になり、ついに海チョコボを、そしてナイツオブラウンドを手にした。プレイ時間はとうにカンストしていた。いよいよラスボス、既に「タシロ!」として有名になっていたあの曲を背に挑んだ筆者はしかし、普通に敗北した。

高校受験の波がいよいよ高潮となって筆者を飲み込み、再び停滞の時が訪れた……。

PS one Books ファイナルファンタジーVIIインターナショナル

 そうしてずいぶんと時が流れた。その間にコンピレーションとして様々な形でFF7の世界は描かれることとなった。弟が初めて手に入れたガラケーにはダージュオブケルベロスのアプリ版が入っていたし、筆者はバイト先でアドベントチルドレンを売りさばいていた。

 震災不況の中どうにか内定を得た筆者はついにゲームを解放し、再びクラウドに触れるのだった。十五年近い歳月が流れていた。

 社会人一年目はあっという間に過ぎ去り、その年末年始休みにFFシリーズのアーカイブズが半額になるという大盤振る舞いが起きた。思わず筆者は購入してしまった。

FF7アーカイブズはインターナショナルである。大変お世話になった解体新書(K君のお兄さんに貸してから返ってきてないぞ)は改訂版で、自分のバージョンにはない追加要素に大いに胸躍らされたものだった。

特にDISC4はとても魅力的で、そのためだけに購入を検討したほどだった。

実際購入してみると、PSP、すなわち携帯機でFF7ができる感動とDISC4の期待にたがわぬデジタル辞典ぶりは大いに満喫したものの、さすがにロード他が十五年前をシビアに感じさせ、ミッドガルを脱出することもなく積んでしまうのだった。

そのままFF7という作品は筆者の思い出の中でじっとし続ける予定であった。

つづく。(DISCを交換してください)

 

 

 

君は音もたてずに師走になった

霜月において、初日、二日目と順調に更新できていた筆者は「おや…? これは今月はフル更新いっちゃうか……?」と思っていたのもつかの間、にわかに本業が忙しくなり、また町内会であったり他にもなんやかんやとあって竜頭蛇尾どころか蛇頭ミミズ尾くらいの情けない状態となってしまった。

とはいえその間にも書きたいことは沢山あった。

今月は結婚してからの懸案であった北海道旅行を泣く泣く断念して時間もできたので本業はますます忙しくなるものの隙を見て更新していきたい。

では次回予告として黒光りする我が人生の好敵手を載せて今回はこの辺りで。

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野生の息吹、理性の蠢き。あるいは「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド(BOTW)」が筆者に与えた役割(ロール)について。

本題

自分へのクリスマスプレゼントとしてゼルダの伝説ブレスオブザワイルドを本体と同時に購入したのは一昨年のことだった。発売当時から絶賛されていたし、スイッチの購入理由の一つでもあったそのソフトを筆者が一応の終わりを迎えるまでには約半年の月日を要した。

初めて起動したことを思い出す。冬の底冷えのする朝、まだ眠る妻を起こさないように気を付けながら、筆者はスイッチの本体にブレスオブザワイルドのカートリッジを差し入れた。昨日は遅くまでスマブラで激闘を繰り広げていたので熟睡しているとは思うが。

スイッチをドックに入れ、いつもは妻が使っているプロコントローラーを掴む。ファミリンク機能で自動的にテレビが立ち上がる。昨日までスマブラしかなかったメニュー画面に新しい選択肢が生まれている。ブレスオブザワイルド。迷わず決定ボタンを押す。

そうして、筆者は目覚めた。彼は目覚めた。百年の時から。それは寒々とした風景で、コントローラーのボタンを押す度に、皮膚が張り付いて剥がれるような気持ちがした。
息詰まる祠から這い出すと、緑が広がっている。英雄が敗北したとはいえ、fallout世界のように荒廃したりはしていないようだ。リンゴを取れる。木の枝を拾える。崖も...登れる。オープンワールドでどこまで出来るのか、その自由度の一つは壁をどう突破できるかが一つの尺度だと思うのだが、そういった意味ではなかなか期待できそうだぞ、と少しにんまりする。

情報はなるべく入れないようにしていた。思えば筆者の人生は、「面白そうだけどどうせ今後接することもないだろうからネタバレをガッツリ踏んで時間を節約しよう」という愚かな思想に支配され、未来の筆者に殺意を抱かれ続ける繰り返しであったわけだが、ブレスオブザワイルドの情報にTwitterでちらりと触れたとき、「あ、これはまっさらな状態で接したいやつだ」という直感が働いた。発売当時はswitchを買うかどうかなど全く考えていなかったというのに。
そういうわけだから、筆者の頼りは画面上に出る説明のみである。事実、ちらっと出たけど読みのがした弓が壊れたときの再装備の方法はいまだに分からないのでいちいちポーチを開いて装備している。
見るからに怪しげな老人に出会う。筆者の考察脳はフル回転である。
「これは切り離された善のガノンドロフではないか?」
「いや、ガノンドロフ第一の手先であって最後の最後で正体を現す最初のボスかもしれない」
ともあれ先を進むにはこの老人に従う他無いらしい。何度もさらに広がる世界に足を踏み出そうとするが、ままならない。さすがにそこまでの自由度は難しかったか...と完璧な優等生の弱点を見つけたようで少し邪悪な気持ちになりながらも、祠を攻略していく。てっきり冒険の節目節目で手にはいると思っていたアイテムがどんどん埋まっていき景気がいいな、と思う。

物語が進むたび、筆者が動かす「彼」は「リンク」になっていく。それは今までのプレイ体験にはない、不思議な感覚だった。

例えばドラゴンクエストシリーズでは一般的に主人公は「あなた」として(選択肢は基本的に二択であるものの)自分の分身としての側面が強いし、ファイナルファンタジーシリーズでは逆に、主人公は物言うキャラクターであり、もちろんこちらもプレイヤーが干渉する部分はあるけれど基本的には主人公という確立した存在の追体験をする、というデザインを押し出しているように思う。

本作はそのどちらとも違う、そして過去のゼルダシリーズとも違う体験をプレイヤーに与える。

はじめ、筆者と、プレイヤーと「彼」は平等である。筆者は文字通りその世界にやってきたばかりであるし、逆に「彼」は様々なことを長い年月で忘れ去ってしまっている。

初めに出会った老人を皮切りに、多くの人が「彼」に言う。

「彼女」は「彼」をずっと待っているのだと。

なるほど、と老人の話を聞いたときに筆者は思った。王道も王道、大王道だ。囚われの姫を騎士が救い出す、その役割(ロール)を筆者に背負わせてくれるというのだな、と。

しかし女装したり、雷に打たれたり、鶏肉をちまちま集めたり、がんばりゲージをドーピングして高いところに昇ったりしているうちに筆者は、「彼」と少しずつ乖離していく。

同じまっさらな状態であっても筆者は知らず、「彼」は忘れている、という決定的な違いがある。即ち「彼」の自己の獲得によって筆者の主人公としての役割(ロール)は喪失していくのである。

道中、ふとしたところで「彼」はハッとする。そして思い出す。過去の記憶を。そうして「彼」は少しずつ「リンク」となっていき、筆者は己の真の役割(ロール)を知るに至るのである。

「彼」を「彼女」に会わせにいくこと。あのゼルダの伝説の象徴にして今や災厄の中心である場所まで連れていくこと。それこそが自らの役割(ロール)なのだと。

しかし一方で、世界はあまりにも魅力的であった。目指すべきところは文字通りの中心にあるのに、冒険を始めると、なんか変なところを追いかけて行ってコログのミを見つけ、クエストに出会い、ほこらに挑戦し、気が付くと目指すところの真反対に突き進んでその日はこの辺にしておくか……ということを幾日も繰り返した。人々にはすべて固有の名前がついていて、血が通った言葉をかけてくれた。

そうして出会う人々の中にはかつての「彼」を知るもの、伝え聞いている者もおり、ますます筆者と「彼」は乖離していく。その中で、同じ英傑たちとの邂逅は特にいずれも味わい深いものになった。ライバル、相棒、姉御、大切な存在……それぞれの立場で掘り下げられる「リンク」の姿はその目線を注ぐ彼ら自身も魅力的な存在であることもまた証明してくれた。

特にライバルである「彼」の下に辿り着いた時の、既に肉体は滅んでいる彼の憎まれ口には思わず目が潤んでしまった。軽口をたたきながら、しかし「リンク」が自らのところまでたどり着くことを全く疑っていないその口ぶりはなんと取り繕おうと親友のそれではないか……。

筆者はそれでも物語を先に進めることに抵抗があり、彼らそれぞれのもとをぐるぐる回りつつ、なかなか踏ん切りがつかないでいた。先に進めることを決意したのはちょうど半年が経ったことに気付いたからだ。

そうだ、「彼女」は待っているのだ。いや、そればかりではなく、「彼ら」も待っているのだ。ぐるぐる回っていた甲斐があって、装備を贅沢に使って禍々しい「奴ら」を倒すのはそこまで苦労しなかった。「彼」の十八番の超ジャンプを活用して、裏口から本丸へ突入する。オープンワールドの真骨頂である。緊迫したムービーからのごっつあんモードがはじまり、もはやスタッフロールの一部と言っても過言ではない戦いが始まり――負けた。据え膳をかっこもうとして盛大にむせた格好である。

筆者はとぼとぼと滑空し、それからリアル時間で3日ほど彷徨い、英傑たる証の剣をこちらも一度無事倒れながらも手にした。

今度は正面から突入した。気負いのなさが勝利を呼び込むというジンクスめいたものが筆者をそうさせ、それが功を奏したのか戦いはいよいよ最終局面へと至った。「彼女」の声がする。二人の再会はすぐそこまで来ていた。コントローラーが汗で滑る。目の前でもがく野生の息吹。一方でどこかで筆者の理性は冷めて蠢いていた。己の役割(ロール)を悟っていた。

エンディングが始まり、筆者は微笑んでいる自分に気付いた。

ああそうだ――こういう時かける言葉を筆者は知っている。

「幸せにおなり」だ。

あるいは機知を利かせてBon Voyage(良い旅を)であったかもしれないが。

すっかり満足した筆者が再び起動すると、画面左下には控えめに達成率13.5%が表示されるのだった。恐るべし、ブレスオブザワイルド。

 

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド - Switch

 

 

久方の光のどけき秋の日に誰いうともなく運営報告

11月である。先月書いた記事はなんと2記事。なんたること……と思って過去を見てみれば、昨年の10月は1記事であった。期せずして生産性を2倍にしていたわけであるが、10月というのは筆者にとってそういうシーズンであるのかもしれない。

ともあれ、そんな放置気味であった先月にもありがたいことに多々アクセスを頂き、おかげさまで累計30万hit(今はPVというのかもしれないが筆者としてはこのように表現したい)を達成することが出来た。

Twitterのログを見ると、去年の9月辺りに10万hitだったらしいのでペースが上がっており大変ありがたいことである。収益化はしていないが、やはりそれだけの目に触れているというのは嬉しく、同時に身が引き締まる。

せっかく月初めでもあるので、2年前の5月からろくにしていなかったブログ記事の鉄板、「運営報告」というものを久々にやってみたい。

 

当ブログの「看板記事」はなにか?

これも2年前に少し触れたが、当ブログには「Googleアナリティクス」という巨大帝国Googleによってアクセスを分析してくれるシステムが存在する。もっとちゃんと勉強すればいいのだろうがろくに使いこなせていない。四コマ漫画とかにしてほしい。こちらの対象期間を出来る限り長くして、それぞれの記事の閲覧数から当ブログの看板記事を探ってみた。我がブログの五虎大将軍、結果は以下である。

 

5位

kimotokanata.hatenablog.com

 今も気が付けば注目記事に上がっていたりする。筆者に反響が返ってきた数としては同じ金田一映像作品でも「悪魔の手毬唄」が圧倒的に多かったのだが、検索でコツコツと閲覧数を稼いでくれているようである。というか、筆者はこの記事が急にブログ内で注目記事に上がったので金田一関連で調べてみたら「悪魔の手毬唄」の放送を知ったという経緯がある。当ブログにおいての金田一ニュースの観測気球ということもできるだろう。タイトルから内容に至るまで、比較を軸にしてなかなかいい感じにかけていて良いのではないか、と今見ても気に入っている記事の一つである。

 

4位 

kimotokanata.hatenablog.com

 ヒプマイ関係の記事はいくつか書いたが、このシブヤ記事が頭一つ抜けて多い。のわりにTwitterとかでエゴサーチしてみても全く引っかからないので鍵アカウントでお叱りを受けているのでは……とドキドキしていたりもする。「ピンク色の愛」という曲名をもじっていること、発売日に更新したことがSEOにいいように作用したのかなと思う。記事としてはすぐに記事という形にしたいという焦りが見られて加筆したい気持ちもある。この頃は3月にはコロナなんとかなるだろ、みたいな空気だったなあ……。

 

3位

kimotokanata.hatenablog.com

1か月そこそこの記事であるのにやはり半沢直樹は強かった。同じくGoogle提供のサーチコンソールによれば、当ブログでアクセス数が最も多いワードは「アルルカンと道化師 ネタバレ」であり、次点が「半沢直樹 アルルカンと道化師 ネタバレ」であるというからすさまじい。ちなみにその後は「鬼滅の刃 205」であった。こちらも経験から発売直後に記事を書くぞ、という焦りからちょこちょこせわしないものの、全体をさっとなぞりつつ補足を入れる形でそれなりの記事にはなっているのではなかろうか。ちなみに筆者はこの記事も言及を一切見たことがないのでどこかで見かけたらこっそり教えてください。

 

2位

kimotokanata.hatenablog.com

これまた半沢直樹である。初回感想記事であるのだが、毎週毎週コンスタントにアクセス頂いていた感じ。予想記事としてはほぼほぼ惨敗なのだが、この記事へのアクセス数の推移が半沢直樹という「現象」のすさまじさを現わしているようで考えさせられた。

 

1位

kimotokanata.hatenablog.com

 1位はこの記事。この記事をきっかけに当ブログを知っていただいた方も多いのではないか。当時の当ブログの1年分のアクセスをほぼ1日で稼ぎ、はてなブログTOPになり、界隈の多くの「神」からも言及頂いた、当ブログにおいて「以前」「以後」の節目となったまさしく記念碑的な記事である。

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グラフにするとこんな感じである。どれだけ異常事態であったかがわかるだろう。因みにその後の大きな波としては「キンプリみたよ」「悪魔の手毬唄」「アイズワン新曲MV考察」「維伝観劇」「鬼滅最終回」「半沢直樹ロスジェネ最終回」が筆者の記憶としては残っている。 

またしても手前味噌ではあるが、深夜のテンションと興奮がいい感じに昇華した「こいつめちゃくちゃ面白かったんだろうなあ」というのが今読んでも伝わってくる記事だた、と思う。TLに人が多いニチアサタイムに再度投稿できたのもよかった。

色々がたまたま重なった神の気まぐれとは思うけれども、やはり人様に読んでもらえる、ばかりか褒められるというのは代えがたい快感であり、今もあの光景よもう一度と思う気持ちがあることは否定できない。また、ブロガーの端くれとして1年以上の間最高記録を更新していないというのも歯がゆさがある。この記事を超えることは目標としてずっとあり続けているし、早めに達成したいと思う。

ちなみに次点はツイステッドワンダーランドの記事であった。半沢直樹の強さ、ジャンルが分散していることの利点を同時に観測できる結果となった。

 

増える検索流入、減る交流。

ただいまリアルタイムのはてなブログの機能によるアクセス解析によると、アクセス元はGoogle検索が75%、Yahoo!検索が15%、Twitterが4%、はてなブログtopからが1%であった。100にならない……。ともあれこの中にはてなブログがあると、自分が知らないうちにtopでちらっと紹介され、そして消えていったことがわかりちょっともやもやする。初めのうちはほとんどTwitter経由であったのだが、やはり上記の映画「刀剣乱舞」の記事を境に徐々に検索流入が増え、半沢直樹でいよいよ顕著になったように思われる。見ていただく機会が増えるのは大変ありがたいことなのだが、既に書いたように最近アクセスに比して言及、交流が少ないことは検索流入の増加と比例しているので(確かに筆者も検索して読んだ記事を言及するのはそこまで多くない)検索から訪れた諸賢が思わず言及せずにはいられないような魅力的な記事を書けるように精進していきたいと思う。いつも感想をくださる皆さん本当にありがとうございます。

今後について

毎度のことになるが書きたいことは沢山あるのである。なんと1年以上寝かしている記事もあるので、夜が長くなる季節、今月は下書きの解消を目標に頑張っていきたい。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。