カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

親父の(いまんとこ)一番長い日

10月のある土曜日開かれた説明会で、壇上の先生はおっしゃった。

「11月1日朝7時より願書を受け付けます。原則として定員を過ぎましたら、受付はできません」

説明会終了後、先生にお尋ねした。提出受付が7時からであるとして、いつから並んでよろしいのか、例年はどれくらいから皆さん並ばれているか。

先生はおっしゃった。

「日が替わるあたりからでしょうか。何時に並べば確実ということは申し上げられませんが……」

令和なのに……mm

連絡帳はアプリとかなのに……mm

説明会の間、園庭で遊ばせてもらっていた娘の顔は晴れやかだ。

正直、保育園戦争と比べて幼稚園を甘く見ていたところはある。

筆者は「まんが親」及び「おかあさんの扉」愛読者、妻と相談し未就学児教室から娘を通わせ、道筋はつけているつもりでもあった。

満3歳児クラス。このタイミングで入れなければ、進級していく他のお子さんの隙間を来年以降どうにかして入らなければいけない。

募集人数こそ2ケタだが、優先順位としては卒業生、在園生のきょうだい児、その次に娘と同様に未就学児教室に通っていた子たち、最後にそれ以外の子たちとなり、最初のきょうだい児の数が暗数である以上、「出来るだけ早く並んで『未就学児教室の子たちの中では一番』というアドバンテージを獲得するしか勝利の道はない。

その後は、親子面接。特段問題なければ入園許可書を交付という形になる。

未就学児教室も娘は楽しんでおり、このまま入園と考えていたが、一度立ち止まって考えてみよう、と夫婦で話し合いを持つことにした。

この日説明会を受けた幼稚園をAとして、妻が一人で説明会に言ってくれた幼稚園Bがあった。

大雑把に言うとAはやや遠方、大規模園、課外授業が多く、Bは近場、小規模園、課外授業は少なめといった感じである。

しおりを拝読する限りではどちらの園の理念も素晴らしく、いずれに進学しても娘は人間として大きく成長してくれるように思われた。

しかし先ほどのAの入園過程が引っかかっていた。他がかなりハイテクに感じていただけに、急に「我が子のことを思えるんならこの1日くらい本気出せるよな?」と言わんばかりのアナログさが突如現れて面食らってしまったというのもある。

以前より筆者はその日は有給を取ってはいた。とはいえ11月1日は週の真ん中水曜日、前日月末業務を死ぬ気で終わらし、月初業務を自分が不在でも回るよう段取りをした後、諸事を済まして並ぶ。なかなかに困難である。

しかし、それ以外は本当に素晴らしいと説明会でつくづく思った。Aの入園式でダボダボの制服を着る娘、大きな園庭を駆け回る娘、バスでお友達とおしゃべりする娘……それらが一瞬のうちに脳裏に浮かび、一刻も早く願書を書かなければという気分になる。

他方で妻から聞いたBの園長先生のお話が脳裏の別の方のスクリーンに映し出されていた。

「子どもが楽しそうだったから、と園を決める親御さんがいらっしゃいます。それだけでは、園生活に何かあった時、『あなたが行きたいって言ったからここにしたのよ』ということになりかねません。親御さん自身が納得してお子さんを通わせたい園を選ぶことが大切なのです」

Bは朝の9時から受け付け、面接を経て1週間後に結果を送付する、という方式であった。何時から並べるかは教えてもらえなかったが、例年そんなに並ぶことはない…と妻は先生から伺ったという。

その日の話し合いは「とりあえずAに並んでみて、願書を7時に提出出来たらその足でBにも行ってみよう」という二股作戦をとりあえず立ててみたのみで終わった。

その日からは寝不足が続いた。実の娘とはいえ一人の人間の大きな選択をする時が来た。Aか、Bか。それともまだ見ぬところか。妻の仕事を増やして保育園を探すか、自宅育児を継続するか……様々を考えているうちにあっという間に10月は終わり、時刻は11月1日0時となった。

ひとまず、車を出してAに向かうといつから並んでいたのか、既にぽつぽつと人がいた。妻によると、親御さんだけでなくバイトを雇っていることもあるという。

それを見届けると筆者はそのまま駐車場でUターンして家に帰った。そして改めて、妻とBに願書を提出する旨を確認しあった。

あの話し合いの日、結論が出ず外の風にあたってリフレッシュしようと親子3人でBまで歩いてみた。近場ながら普段通らない道を通り、新鮮であった。途中狭くなっており、道を知っている妻と娘が先導してくれた。

目の前を歩いている2人を見て、ああ、Bに通わせたいな、と思った。

Bなら今日のように徒歩通園になる。行き帰り、沢山2人でお話をして、その後ずっと胸の中に大事にしまっておけるような思い出を作ってほしい、と考えた。それはもしかしたら、父である筆者が知ることのない娘が気になる男の子の話であったりするかもしれない……。

Aも魅力的だがやはり前時代的な申し込み方が承服できず、並んでしまうとその肯定になってしまうという思いもあり、実際に並んでいるところを見て数日の葛藤がとうとう落ち着いたのだった。

綺麗ごとを並べてみたが、今後何かあった時「おれはお前を入園させるために徹夜して並んだのに」という浅ましいことを思わない自信がないから、というだけかもしれないが。

ちなみにBの前も通ってみたが無人であった。

横になってみたが相変わらず寝付けず、モダモダしているうちに3時になっていた。久しぶりに着るスーツの確認をしたりしながらもどうにもソワソワしてしまい、Bまで歩いてみることにした。もし待機している人がいればその場で即その後ろに並ぶつもりでkindle、モバイルバッテリーも持って行くことにした。

3時、5時、6時、7時、無人。ある時は頭上をオリオン座がまたたき、ある時は小学生に元気よく挨拶をされた。

8時、スーツに着替えて何度目かの出撃をすると入り口前に「願書を持ってこられた方は2Fでお待ちください」の掲示があり、ついに、とのどが鳴る。あれだけ何度も来たのにこの一時間の間に誰かに機先を制されていたらどうしようと2Fへ急ぐ足は慣れぬ革靴でぎこちないが、結論から言えば急ぐ必要は全くなかった。

2Fは施錠されたままだったのである。

何かの間違い? 他の2Fがある? アッというまに定員が埋まってしまったのでもう締め切ってしまった? 様々な思いが去来しながら電話してみると、電話口の先生はもう来たんですか? と驚かれた様子で、開錠しに来てくださった。筆者は一番乗りだったわけである。

先生は開いていなかったことをお詫びしてくださりながら、順番は選考に関係ないこと、開園の7時半にやってきた人がいたが出直しをお願いしたことを柔らかい口調でお話しされた。

筆者としては「時間を守れない保護者」ということでマイナス評価が下ってしまったかもしれない……朝のお忙しい時間帯にやらかしてしまった……」

と後悔しつつ、妻にそういうことなので娘とゆっくり来るようLINEをした。

他の親御さんたちは受付開始の9時までに3組、過ぎてからも続々来園されており、筆者は自分のから回り具合に恥じ入りながら、親子3名で面接の部屋へ向かった。

娘はいつものおしゃべりマシンガンぶりはどこへやら、人見知り全開であったが先生方は娘が伝えたいことを丁寧にくみ取ってくださっていた。筆者や妻もお尋ねいただいたことはしっかりお伝えすることが出来たと思う。

10時前に面接が終わり、親子3人互いの健闘を称えあいながら帰路に就いた。

窮屈なスーツから解放され、ついにここから真の有給である。前に車で通って目をつけていた新たな公園を開拓し、娘は自分の滑り台コレクションにまた新たな1ページが」刻まれることの喜びを全身で表現していた。来た当初はできなかったちょっとしたボルダリングが帰るころにはできるようになっており、成長を感じた。

昼は妻が敬愛してやまないめっけもんへ。毎年秋の平日ランチ限定の丼を今年も食べることが出来て嬉しい。

その後買い物をしていたら着信があり、業務トラブルの相談であったがなんとか口頭での指示で解決することが出来た。

休みなのに……mm

勤め人として……mm

折よくガソリン割引クーポンがLINEに来たのでガソリンを入れたところで人間サイドはガス欠し、帰宅して親子3人川の字になって寝た。15時半ごろだったと思う。

輪唱のようになっている妻子の寝息を聞きながら、幼稚園に行けるかどうかはわからないけれど、この時間を得られただけでも今日有給を取ってよかった、としみじみ思った。

夫として……mm

父として……mm

快刀乱麻を断てず――黎明館開館40周年記念企画特別展「南北朝の動乱と南九州の武士たち」鑑賞

余談

7月頃だったろうか、最寄りのスーパーでポスターを見かけた。鹿児島城(鶴丸城)跡地に屹立する鹿児島県歴史・美術センター黎明館。そこで「南北朝の動乱と南九州の武士たち」という企画展が開始され、筆者の生まれ在所の由来ともなった「笹貫」も期間限定で展示されるという。

笹貫には筆者は特別思い入れがあり、台風接近の中福岡まで遠征したこともあり、刀剣乱舞で実装された際は左手に娘を抱き、右手にスマホを持ってゲーミング貝殻を集めて回ったものである。

また、8月同じく黎明館で開催された「ジブリアニメージュ展」を鑑賞した際にも次回開催の予告があり、いよいよとの思いを強くした。チラシも持ち帰った。

天候不安で地域の運動会が中止となり、ぽっかりと時間が空いた。国体のための交通規制が本格化する前に鑑賞してみることにした。

国体の警護に向かうのだろう機動隊の名前が入った厳つい車両を横目に、我々は黎明館へ向かうのだった。

展示会場は2階であるが、階段側にフォトスポットが設けてあり早速撮影する。

最近「はいチーズ」するとポーズをとることもある娘だが、この日はスン…としており、かえって笹貫のすらっとした刀身の真似のようで良かった。

階段を上り、受付でチケットを買う。図録も妻の助言により購入し、我々は混沌の具現である南北朝の動乱に足を踏み入れたのである。

本題

前夜

南北朝の動乱――あるいはそれは焼肉の肉を焼くと言っているかのような表題で、いわゆる南北朝時代と言う60年はそのまま動乱の時代であった。

火種は既に鎌倉時代末期、元寇の時代に撒かれていた。

誰もが教科書で見たことがあるであろう蒙古襲来絵詞――蒙古軍が騎馬武者に矢を射かけ、てつはうが炸裂しているあれ――の展示の周りには実際の「てつはう」があり、元寇からの防衛(異国警固番役)に任じられた書状、実際どこを守っていたか、いかに頑張ったか、その頑張りに報いる褒賞などが文書・図版、絵巻物などで紹介されている。

が、そのうち褒賞についての文章を見るとなんと元寇から四半世紀近く経っていて、これは御家人じゃなくとも幕府に不信感を持つのは仕方がないだろう。

外から敵は来るし、頑張っても幕府はろくに褒美もくれない。読者諸賢も昔学んだであろう「鎌倉幕府の滅んだ遠因」は南九州の地に領地を持っていた関東御家人にとって特に深刻であった。じゃあ自分で守らなきゃ、自分の土地を、ということで続々とお国入りを果たしていく。

面白くないのは国人衆である。地元住民である彼らは今まで実質的にその地を支配してきた。株式会社鎌倉の傘下には入るけれど月々いくらのインセンティブを払えば後は自分の裁量で経営が出来る雇われ店長のようなものであった。

ところが、元寇を機に株式会社鎌倉から出向してきたやつが地元のことはよく知らないのに偉そうなことを言う。当然面白くない。南九州各地で国人衆と関東御家人の対立は深まっていく。

中央で鎌倉幕府の凋落が始まると薩摩国守護・島津貞久のもとにも足利高氏から「合力」を求める書状が届く。後の室町幕府初代将軍、足利尊氏となる男の話に乗った島津氏は九州三人衆と謳われた大友氏、少弐氏と共に幕府の九州の拠点、鎮西探題を攻め落とし、この年鎌倉幕府は滅亡する。

が、その後行われた建武の新政後醍醐天皇による身内びいきの政治であった。先の元寇による領地の混乱からようやく解放されるかと思った武家は落胆し、尊氏の支持が高まる。これを危惧した後醍醐天皇は足利氏を討つために島津氏を出陣させるが、既に尊氏と貞久は志を共にしていた。

一度は敗れた尊氏は九州にて再起。多々良浜の戦いによって九州の勢力図を書き換え、その勢いをかって湊川の戦い楠木正成たちを撃破。後醍醐天皇と和睦するも、後醍醐天皇はその際渡した皇位継承の証である三種の神器は偽物であると主張。天皇が並び立つという歴史上類を見ない奇妙な時代――南北朝時代が幕を開けた。

「貴種」の下向と強かなる南九州の武士たち

勢力が分かれた時、地方にとって重要なのは「どちらについていくか」ということである。大河ドラマ真田丸』をご覧の諸賢はご存じの通り、大勢力の間を回遊していくことが乱世を生き残る秘訣である。

当初鹿児島においては島津氏は前述の通り尊氏と志を共にしていた(以下武家方という)ここに、後醍醐天皇の息子、懐良親王の側近が地ならしし、またなんと本人が下向することで、反島津勢力――多くは元寇時代からくすぶっている地元勢力――はその旗のもとに集まり、組織的な反抗を行うようになる。すなわち後醍醐天皇方(以下宮方という)はその勢力を増しつつ、地元勢力としては「もともと俺たちの土地なのに面白くねえなあ」という感情に大義名分が与えられたわけである。

これにより鹿児島での争いは激化するが、中央ではその間に尊氏とその身内の間にいざこざが生じ、今度は足利直冬が九州へ下向する。彼の書状は宮方に苦戦する武家方にとて都合のいいものであり、ここに九州地方でも尊氏方、直冬方、宮方の三つ巴へと勢力図が変わっていく。

多くの武家方が直冬方となる中、尊氏方のままであった(分家は直冬方につくなど保険を残している)島津氏は尊氏の意志により宮方と和睦する。中央では早々に破られる和睦であったが、島津氏はその後も「懐良親王のためだぞ」という書状でもって国人衆を動員して直冬方を攻めるなど、自身の勢力拡大に活用した資料が残っている。この辺りは文字通りの「錦の御旗」を得たと思っていた国人衆がまんまとそれを相手に利用されてしまった訳で、島津氏が一枚上手だな、という感じである。

その後も島津氏は状況に応じて勢力を回遊するが、その巧みさゆえに所領に関して関東から忠告を受けることもあった。だが、御年94歳という大長老となっていた島津貞久は反論し、既に島津氏は独立国の様相を呈し出していた風でもある。最南端にある勢力が、いつのまにやら勢力のキャスティングボードを握っていったように見え、痛快ですらある。

今川了俊の憂鬱

紆余曲折を経て、九州は宮方が征西府を設置して事実上統一した形にあった。この状況に埒を開けるために送り込まれたのが武家方のエリート、今川了俊である。九州に到達するまでの道のりを紀行記とした粋人は10年の間大宰府を支配していた宮方を敗走させるなど、前評判通り武人としても一流であった。

ところが、宮方との決戦を目した陣中であろうことか了俊は島津貞久の跡を継いだ氏久が説得して連れてきた少弐冬資を討ってしまうのである。(水島の変)氏久の面目は丸つぶれであり、陣を引き払った氏久は了俊の説得も聞き入れず、とうとう宮方に寝返ってしまう。

了俊はこの状況を打開すべく、一族を鹿児島に送り込み、自身も書状を送るなどして反島津勢力の糾合を目論んだ。そう、以前と武家方・宮方が逆転した島津氏と国人衆の代理戦争が再び巻き起ころうとしていたのである。ここに地方のまず生きることが大事であり、代紋はそのお題目よりも即物利益が大事なんじゃいという仁義なき戦いぶりが浮き彫りになっている。

結局これは島津氏の(形式的な)降伏によってうやむやとなる。実に了俊と島津氏は永和の和平、永徳の和平、明徳の和平と三度和平を結んでおり、「禁煙なんて簡単だ、私は何度も禁煙している」というジョークを思い出すような展開になる。

当然面白くないのは国人衆である。「氏久の首を獲るか、それ以外か」というローランドみたいな煽りをしてくる了俊に従っては「えー、天下のために、えー、私を将軍の分身と思って、えー、ご納得いただきたいのであります」という苦しい弁明で氏久その人と再び手を結んだことの言い訳を聞かされる。

いわばコンサルの理想論に付き合わされる中小企業経営者みたいなもので、このままでは敷地に除草剤を撒く羽目になると思ったのかどうか、国人衆は一揆衆として自分たちで団結をはじめ、結果として了俊は島津氏に加えて一揆衆という厄介者を自らの手で生み出してしまった。

そんな了俊だが本来の役目である九州での南北朝内乱を関東より3年早く終息させるなど、間違いなく有能ではあった。

しかし、島津氏の暴れっぷりに加え、反対側、中国地方の有力守護大内氏、豊後守護大友氏の不興も買ってしまい、実質的に九州探題を解任されてしまう。

ひとところは「優秀すぎて足利義満に疎んじられてしまった悲劇の名将」という世評の高かった今川了俊であるが、上記の大友氏のいざこざにおいても義満は了俊を支援しているし、京に戻った後あろうことか反乱に参加しても義満は命を取らなかった。この時、了俊75歳。同時代の人にはその様を「恥辱」と酷評された。

でありながら義満への不満溢れる「難太平記」をその後著すのだからそのプライドの高さというかなんというかはホンモノである。了俊の没年はわかっていない。

本展には了俊が上洛――実際は九州からの「敗走」であると指摘されている――時に島津家から大友家へ送られた書状が紹介されている。

「ヒャッハー! 了俊の野郎京都に送り返されやがったぜ~ あの野郎おれらとマブダチっていいながら少弐っちを討ちやがってよォ~マジでスカッとしたぜ~」

稀代の知勇兼備の武将、今川了俊が敗北した理由はたった一つ、シンプルなもの。

「てめーは島津氏を怒らせた」であることが伺える史料である。

刀剣鑑賞・太刀 銘 波平行安 号 笹貫

bunka.nii.ac.jp

さて、そんな今川了俊が官位を推薦した書状が残っている島津家一門樺山家の音久の佩刀と伝わっているのがこの笹貫である。

前述したとおり、筆者はこの刀を鑑賞することを目的に島津氏久よろしく太宰府まで攻め上った――いやさ九州国立博物館までお邪魔したことがある。

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当時は刀剣男士として顕現しておらず、既に顕現済みの刀剣との人だかりの差に(なにしろ隣は大名物・天下五剣・大典太であった)おれはわかってるぜ……笹貫の素晴らしさを……という感じであったが、今回凱旋にあたり老若男女様々な人々がその美しさを今回特注されたというショーケースごしに堪能しているのを見て後方彼氏面気分であったがそもそも筆者以外の数多の人々が素晴らしいと思っていたから重要文化財なのである。

娘を抱きながら、笹貫の前に進み出る。青々とした直刃とは4年ぶりの再会である。ぐるりとまわり、そのどの角度から見ても鋭い美しさに息を呑む。

「きれいねー」

娘が、4年前、侍展で笹貫と筆者が対面した時にはこの世にいなかった2歳の娘が、ぽつりと言った。ショーケースを撫でようとしたので慌てて距離を取りながら、ああ、娘もまた笹貫に出会ったのだ、と思った。

コロナに加えインフルエンザも流行しており、今回の県内の車移動でもぐずることがある娘を他県の刀剣鑑賞に付き合わせるのはまだ抵抗がある。

黎明館で展示をしてくれたことで、娘に今まで彼女の世界になかった新しい美に触れさせることが出来た。

妻と娘当番を交代し、久々に単眼鏡を目に当てる。峰の部分の切欠けが確認できた。

音久は了俊に官位を推薦されたわずか3年後にその了俊が差し向けた軍によって居城に侵攻され、これを撃退している。その時に笹貫はもしかしたら佩刀されており、まさかして音久は抜刀し、この傷が生まれたかもしれないと思うと、この令和の世と南北朝時代が一直線につながったように思え、ここに「在る」ことの真骨頂であった。

因みに鑑賞中、偶然にも母からLINEが来ていた。南日本新聞の一面に「笹貫」が出ていたよ、という。南日本新聞は県内トップシェアの新聞であるからなによりの宣伝であるなと思った。刀匠のご子孫のインタビューもあり、力が入っていた。

s1.373news.com

↑全文は有料だがインターネットでも記事は読むことが出来る。

news.yahoo.co.jp

↑ニュース動画もある

今回、この笹貫の展示のPR方法などに関してネット上で苦言も見られたようであるが、例えば筆者が鑑賞した中では「室町将軍展」での大般若長光とのコラボはまさにテーマの中心であったと言えるが、

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かごしま国体に多くのリソースが注がれる中、本来のテーマのいわば脇道の要素を拾って里帰りにこぎつけ、フォトスポットまで設けてくださった特別展関係者の皆様には心から感謝を申し述べたく、これ以上のことを強いることは筆者にはできない。

欲を言うなら、九州国立博物館の「ぶろぐるぽ」のような機会を頂けたら今後是非参加させていただきたい……というところである。

娘と笹貫を出会わせてくれて、ありがとうございました。

刀剣鑑賞・太刀 銘 國宗

鹿児島県唯一の国宝がこの國宗である。相州鍛冶の先駆者のひとりである國宗が鍛えたこの刀は笹貫と同様樺山家の重宝であり、島津本家に献上されたが、こちらは帰ることなく島津家に伝来し続けた。その後、照国神社に奉納され、進駐軍の手に渡り、アメリカのコレクターから発見、無償で日本に帰国した際に国宝に指定され、東京国立博物館に渡り、丁度30年前に鹿児島県に里帰りを果たし、現在は黎明館が管理している。

丁度、4年前に公開されたときも筆者は鑑賞していたが、当時は残念ながら写真撮影不可であった。

今回撮影可能にしてくださったことに心から感謝したい。自分のスマホに国宝がある喜び……。

もう少しよく撮れた写真もあったのだが、怪奇三十路おじさんが映り込んでいるものが多かったためご勘弁願いたい。鎌倉刀らしい腰反り高く威風堂々とした佇まいと鈍色の乱刃、黄金の島津家家紋が刻まれたはばきがアクセントとなって見飽きない刀である。出口近くに展示されていることもあってか、チケット購入前の方がついふらふらと見に行くということが鑑賞中にあり、それだけの魅力がある刀だと感じた。

鑑賞を終えて

今川了俊という室町幕府の快刀をもってしても複雑怪奇な南九州の武士たちという乱麻を断つことはできず、かえって混乱を深めさせてしまった。その火種は半世紀以上前の元寇から燻っており、その時代を生きる中で島津氏は後に通じる独立国めいた薩摩の気風を確立していったのだ……ということを筆者は感じた。どこか痛快さを感じるのは筆者が地元育ちの人間だからだろうか。

それにしても大筋のみを捉えたつもりでもここまで入り組んでおり、6,000字超えてしまうとは思わなかった。これはあくまで浅学な筆者の理解であるので、読者諸賢としては是非(現状予約となるようであるが)黎明館が出されている本展の図録購入をお勧めしたい。このゴルディオスの結び目もかくやという状況を有識者の先生方が分かりやすく解説くださっており、笹貫や國宗も大きい図版で紹介されている。

はや、笹貫特別展示の最終日となってしまった。お時間のある方は是非鑑賞をお勧めしたい。また、明日以降、笹貫がなくとも知的好奇心も刀剣鑑賞欲も十分満たされる特別展であることは主張しておきたい。國宗の刀剣乱舞実装、笹貫と並んでの展示を祈念してこの項を閉じたい。

 

打鍵リハビリ中

ということで、今日はAndroidスマホ(RAKUTENBIG)にキーボードを繋いで打鍵している。

レトロな風貌ながらも5台のマルチペアリングができるにくいやつなのである。Surfaceや最近娘のこどもちゃれんじの付録DVD再生にしか使っていないデスクトップと繋ぐのも良いかもしれない。
カチャカチャやっていると娘が興味を示して寄ってきたが、「これはパパのだよ」というと「これ、パパのっ!」と指差し確認をするだけで特にいたずらするわけでもなく、再びブロック遊びに興じていた。知らぬ間に社会性が育っているのだな、と感じる。

最近は歌も歌う。ちょっと前まで「おさるのジョージ」のオープニングの「しゅっぱーつ」くらいだったのだがバリエーションが増え始めている。しまじろうの「ハッピージャムジャム」は踊りながら歌うし、アンパンマンの歌は基本ハミングなのだが、「そんなのはいやだ!」の「いやだ!」の部分だけすごくはっきり高らかに「いやだ!」と言うのでイヤイヤ期の本領発揮という感じである。

「車で移動しているときはパパはスマホを使って音楽を車に流している」ということを理解しているらしく、プレイリストを再生しようとすると後部座席から「パンマン……パンマン……」と地縛霊めいたうらめしげな声が響き続けるので、いつも根負けして娘が求める曲をかけてしまう。

なにかもっと別のことを書こうと思ったのだが、夕方ぐっすり眠ってチャージ万端の娘は打鍵の邪魔こそしないものの、「ね……しゅー(ソファーを滑り台に見立ててひたすら滑り続ける遊び)しよっか……?」と蠱惑的な誘いを先程から耳元で繰り返しているので、これに答えねば連休前の父親とは言えないだろう。こちらはiPhoneより画面がでかいのでその分目に入るテキスト量が多く、ベゼルがしっかりしているので横置きにしても視野に影響がないことがわかったので今日はこの辺で打鍵リハビリを終えることにする。しかしやはりこのカチカチする打鍵感は最高である。

書くことの喜びを思い出す

猛暑がいつまでも続くこともあって季節の様々はいつの間にか通り過ぎ10月になった。

 

創作の手が止まって半年ほどが過ぎてしまった。

書こうという気持ちがないわけではない。むしろ日に日に強まっていると言っても良いが、形になっていかない。

これではいけないと奮い立ち、公募サイトを見て公募を見繕い、ブクマする。そしてそこから1日2日はそのテーマについて腹案を練ったりするけれども様々なことに押し流され、気づけば締め切りがすぎ、失意のうちにブックマークを削除するーーそういったことを幾度も繰り返し、もはや趣味は創作というより創作の公募をブクマしそして腐らせることなのではないかと自分でも錯覚しそうになるほどである。

それに伴ってブログを閲覧することも書くことも減ってしまった。

何か、きっかけが欲しかった。

 

アイアス タイプライター風レトロキーボードPENNA Olive Green

で、買っちゃった。

前々からタイプライター風キーボードには憧れがあったのだが立派なお値段でそれがあれば妻や娘と様々なことができるな…と二の足を踏んでいたのだが、今回別件でフリマアプリを彷徨っていたら定価よりかなり安く出品されており、他の類似品と比べてもそう金額に変わりがなかったので意を決して購入ボタンを押した。

何かと言われるフリマアプリであるが筆者は今のところクレイジーな方には当たったことがない。配送時のトラブルか機器の相性か、大正琴用のスピーカーが使えなかった時も快く返金していただいたし評価でのトラブルなどもない。

今回も迅速にご対応いただいたが一日千秋の思いで待てど着く気配がない。実際の運行状況とサイト上での状況が全然違うのは某飛脚便で散々やられた手であるが最近は某黒猫もそういう傾向があり、流通業界の大変さを思い知るが、それにしてもそろそろ届いてもおかしくないはず……。

何十回目のステータス画面。そこには最寄の営業所止まりで10月9日まで保管となっている待ち望んでいるキーボードの姿があった。

急ぎ営業所に電話し、本日帰宅時に無事回収となった次第である。

食事をし、娘と風呂に入り、すっかり1人遊びが上手になった娘を尻目に書斎に向かう。

前のオーナーさんは数ヶ月の利用だったということでほとんど新品、Bluetooth接続がうまくいかないのでやってしまったかと思ったが裏のスイッチでWindowsiOSのキーボードの仕様が変わる仕組みであり、わかってみるとことなきを得た。

そして今、iPhoneに接続してこの記事を早速書いてみているというわけだ。社用のノートPCや私用のsurfaceのキーボードでは味わえない確かな打鍵感に創作それ以前の自分が打ち込んだものがデジタルな文章として目の前に現れるという原初の喜びを思い出させてくれたように思う。

それくらいしっかりと打ち込んでいる感触があり、また音もするので図書館などで使ったら顰蹙の嵐であろう。少なくとも今がそうであるように寝室とは2フロアは間を開けたほうがよさそうだ。

一方で筆者の出した金額では大満足ではあるが定価を考えると底面やキートップは思っていたよりはチープに感じる。そこも含めてレトロ仕様なのかもしれないが。以前Kindleでブログ更新を目論んでいた頃に気になったBluetoothゆえの接続の途切れもここまで打って一切起きていない。これはKindleiPhoneの違いによるところやBluetoothのバージョンの違いもあるのかもしれないが。

キータッチは満足感がある分、手への負荷は高そうである。今はちょっと母音のミスタッチが多いがここはそのうち自分が慣れていくと信じたい。

私用PCを娘の悪戯防止のためにしまっている机の引き出しから机上へ出し、アダプターをコンセントに挿し、起動させ、セキュリティソフトや突然来る様々な通知にイライラさせられながら作業が終わるとまた同様の手順でしまうという流れが面倒になっていたのも最近の停滞の理由の一つだろうが、このキーボード単体ならカバーでもかけて机上に置いておけばPCそのものを放置するよりずっとイタズラや万が一それが起きた場合のリスクも少ないし、iPhoneを集中モードにして使えば打鍵に専念できる。

日中、車内で過ごす昼休みの際に推敲できるというのもポイントが高い。iPhone用のいいテキストエディタがあったら教えてください。

こうやってまた少しずつ、文章を打鍵する時間というのを自分の日々に組み込んでいきたい。

「キーボードの練習用に打鍵した作品でまさか受賞なんて……」というコメントの準備だけはすでに万端である。

 

そこは桃源郷、またはラグナロク――PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLSがはじまる

はや5年前、筆者は初めて「プデュ」なるものに触れた。

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言ってしまえばAKBグループの総選挙の「オマケ」のような感じで触れた「PRODUCE48」。しかし筆者はその毒牙にすっかりかかり、サバ番熱病に浮かされ、過去番組を視聴し、他のサバ番も数々視聴し、「48」の後継番組「X」のあまりに悲劇的な結末に心を痛めながら、「日プ」両シーズン共に視聴した。

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そうして一つの番組が終わるたび、筆者は耐え難い自己嫌悪と喪失感に襲われるのが常であった。あたかも事件を解決した金田一耕助のごとくであったが、いつだって番組の終わりは解決とは真逆のところにあった。

それなのにまた、「PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS」――いわゆる「日プ3」を視聴しようとしている。

なぜか。

閃光少女に目を焼かれたいからだ。

閃光少女

閃光少女

切り取ってよ、一瞬の光を

写真機は要らないわ

五感をもってお出で

私は今しか知らない

貴方の今に閃きたい

――東京事変「閃光少女」より

要するにサバイバル番組とはそういうことだ、と筆者は考える。

前述したはじまりのプデュ、PRODUCE101の感想記事タイトルにも引いたように。

今この時を出演者も視聴者も全力で享受する。まさにライブ感、そして自らがその展開に加担する感覚……なかなか他で代替しえないものだ。

ただ、それ故にサバイバル番組によって誕生したグループも、そのファンダムもその番組の最終回で一度燃え尽きてしまうことが往々にしてあり、(デビューできなかった候補生のいわゆる「太客」が撤退することがままあることも手伝って)セールス的にも苦戦しがちでもある。そこをどれくらい踏ん張れるか、というのも一つの指標となるだろう。

また、グループのメンバー決定までのSNSなどでの高度な情報戦もまたサバ番あるあるである。オタは推しに似るという言葉があるが、サバ番という現代に蘇ったコロッセオ、残酷劇、現代の粋を集めた蟲毒を堪能する層はまた、自分たちも蟲毒を顕現させるという不思議な習性が数多のサバ番において一つの例外もなく生まれているから不思議なものである。

そんな蟲毒の住人から、今回、日プ3に興味が出ている諸賢に簡単な入門というか、案内をしようと思う。一緒に地獄に落ちよう。

百聞は一見に如かず

まずはせっかくなんか夢ならばどれほどよかったでしょうのようなサービスで前シーズンが無料配信されているので、これを見て感覚を掴んでみるのもいいだろう。

lemino.docomo.ne.jp

レベル分け評価があり、テーマ曲の発表、その習得具合を踏まえての再評価、テーマ曲撮影、グループ評価、ポジション別評価、コンセプト評価、最終評価、合間のおふざけ…基本的には今回もこのような構成になると思うので見ておいて損はない。

本家「PRODUCE101」と「同JAPAN」の大きな違いは基本的に前者は基本的にはどこかしらの事務所に所属しており、後者は逆に応募時点で他のプロダクションに所属・契約(専属・育成問わず)していない、ということが条件となっている点。

このため本家ではその練習生の所属事務所のロゴがスクリーンに映し出され、有名どころではほかの練習生がざわつく…という盛り上がり所の1つが日プではオミットされているのは残念なところであるが、(「乃木坂LLC」や「ワタナベエンターテインメント」のロゴがバーンと出てざわついたりしてみたいもんである)それ故により視聴者と練習生の距離感が近く感じられる効果があったと思う。

「現在所属していない」というのは一方で「これから世に出る前の原石」はもちろん、「各々の理由で古巣を離れ再チャレンジする」人も対象となるため、そのキャリアや価値観の相克や錬磨が一つの味でもあった。これは今回の日プ3でも期待できそうな要素である。

各回ごとに投票できる人数が発表されるので、実際に当てはめながら、どのように推移していくか確認するのもいいだろう。おふざけ企画の後の順位発表(脱落者あり)という人を人とも思わぬ番組構成で情緒をめちゃくちゃにしよう。

「悪編」を知る

我々が目にするエンターテイメントの多くは「編集」されたものであり、編集があるところに必ず意図が存在する。

例えば。

Aがパフォーマンスをする。

Bはスタッフのインタビューに「すごかったです。僕もまだまだですね」と答える。

放送では、Aのパフォーマンスに対してBは「まだまだですね」と答えたことになっている。当然、意味は全く異なってくる。

こういうことをフツーにやってくる番組なので、ムッ……と思ったら少し深呼吸してみるといいだろう。スタッフの盛り上がりを求めての編集に対抗すべく、身につける時計などで時系列を切り張りされたら分かるように対策をしていた練習生も過去一人や二人ではなかったのだから恐ろしい。

現LE SSERAFIMのホ・ユンジンさんもまた、PRODUCE48出演時にバッシングを受けた経験を持つ。(番組内でのメンターとの会話で涙を流したことも……)彼女はその不屈の精神で今またスターダムで輝き、かつての理不尽を話すことだってできるけれど、日プの場合はほとんどが脱落者は一般人へ戻る。即ち弁明の機会が永久に与えられず、傷ついたままになってしまうことも大いに考えられる。ライブの熱狂を大切にしながらしかし煽られた気持ちが本当に正しいか客観視する気持ちもまた尊びたい。

「牽制PICK」を知る

PRODUCEシリーズでははじめ規定メンバー数、段々と狭まり、最後には一人を選んで投票するスタイルが一般的である。

つまり。初めは気になる練習生だったり自分の推しと友人知人の推しやTLで見かけてちょっと気になる子に投票して…としていたが段々と推しとその仲良し(ケミ)に、最終的には推しのみに……と文字通り身を切るような決断を迫られていく。

この仕組みによって「誰にでも愛される練習生」や「生まれるグループにはなくてはならないから誰かが投票するだろう、自分は落ちそうな推しに投票しようと後回しにされる練習生」がまさかの脱落をするところを筆者は幾度となく見てきた。

そういった葛藤をさらにかき乱す戦術……というのも憚られるのが「牽制PICK」である。

PRODUCEシリーズの場合、前述したように最終盤までは視聴者は複数の投票権を持つ。

あなたが5票持っていたとしよう。

Bが推しである。デビューして欲しい。

Aは人気練習生でBのライバルだ。C~Fはなかなか成績が振るわず、気の毒だが次で脱落の公算が高い。

Aに投票せず、B~Fに投票する。

何が起こるか。ヤマオー、自信喪失ではない。

ライバルAを阻むばかりか、本命のB以外をいわば死票にすることで、他の練習生の上昇も防ぐこの手法を「牽制PICK」という。その推移に一喜一憂する練習生自身やファンダム(そう、どの練習生にも必ずファンはいるのだ)を弄ぶ下劣な手法であるが、推し以外目に入らない人々が幾人もその魔道に堕ちていった。

日々の投票だけでなく、グループ内で個別の順位を競う場合にも用いられる場合があり、このパターンは現場に行ってわざわざそういうことをしているのである種ホンモノである。

推しに恥ずかしくないオタクでいよう

関連して、いわば擬似牽制PICKというべき事象が起こりうる。サバ番において重要なのは浮動票の獲得である。いわゆる48系のように精鋭が資金投入によってガンガン投票するというものではない分、それはより切実である。(といって、過去シリーズでは投票してくれたら高級家電や食品などをプレゼントします! というような実質票をカネで買う動きも見られたのだが…)しかしてその練習生のファンダムが凶悪であったり醜悪であった時、いかに練習生が素晴らしくとも投票には結び付きにくいものだ。あいつ(オタク)の悔しがる顔が見てえ、と自分の推しが票を得るチャンスを逃し、他練習生が票を獲得する。いわばマイナス2票の働きを自分がしてしまわないように心がけたいものである。

どうすればいいんだよ、と思ったら何も言わず黙々と投票やRT(RP)をしたり再生回数を稼ぐのがいいだろう。半年ROMってろの昔に戻ればいいだけだ。

まさか今回いないとは思うが順位発表で脱落してしまった練習生のファンダムに自分の推しをプレゼンしにいく行為だけは絶対にやめた方がいい。喪中にクラッカー鳴らして転がり込んでくるやつを受け入れる人間なんてどこにもいない。

一つ筆者の考えを述べれば、基本的にサバ番好きというのは反骨精神がある人が多いと思う。既存のグループでは飽き足らない、という層には押し付けすぎるのは逆効果だし、「推され」に対して反発することも多いだろう。

終わりに

さあ、プデュが始まる。日プ3が始まる。運営が素晴らしい練習生を揃えた。怒涛のように供給が訪れるだろう。 素晴らしいパフォーマンスが、努力が、友情が、熱意が見られるだろう。あらゆる判断材料が与えられるだろう。だが投票するのはあなたの意思だ。誰が強制したのでもない。そこは桃源郷か。またはラグナロクか。その両方か。誰も知らない。見届けるのはあなたの眼なのだ。

まだ筆者は「推し」(今回便宜上沢山使ったがなかなかなじまない言葉である)を決めていない。

ただ、かつて筆者はサバイバル番組において華やかなりし青春時代をかなぐり捨てて10代をアイドルにささげた花の名をもつ練習生を応援し、彼女が鹿児島の、いやアジアの、いやいや今や世界の誇るべき金字塔と成長したことを思い、同じような経歴・お名前・境遇にある人がいることを知ってしまって、興味が尽きず困っている。

 

LEAP HIGH! 〜明日へ、めいっぱい〜

LEAP HIGH! 〜明日へ、めいっぱい〜

  • PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

我が愛しきhuman life

その日も天気は良くなかった。じっとりとした空気が体にまとわりついていて、動くのをおっくうにさせた。

とはいえ、やらないわけにはいかない。
2021年8月12日のことである。
そのおよそ1週間前、娘がこの世に誕生した。

kimotokanata.hatenablog.com

歓喜の余韻に未だ浸っていたいところだが、明日は妻子は退院するのである。
「母子ともに健康」とはいえそれは相対的な話であって、誕生翌日に1時間程度しか会えていない妻子は(コロナ禍はこういった形で我々の家庭を蝕んでいた)ちょっとでも目を離せば即、命が危機となるか弱い生まれたての柔らかい生き物と、それを守るためにあらゆることを犠牲にし、その回復がなされたようには全く見えない生き物であった。妻は帝王切開であった。出産は交通事故をよく引き合いに出されるが、交通事故で満身創痍の患者を1週間かそこそこで放り出す医療機関など無いのではないか。
筆者自身もまた、いわゆる「お盆進行」や妻子に何かあった場合すぐに駆け付けるようにするために諸々の業務を先行させていたこともあり、二人に比べるべくもないが、薄皮のように疲労がまとわりついていた。何をするにも二人羽織をしているようなぎこちなさがあった。一般業務のほかに、育休を取るための諸々の段取り、引継ぎ、保険会社への申請、限度額適用認定証の申請、出生届、保険証、子ども手当、各種新生児用品、チャイルドシート……。自然、自分のことは最後尾になる。
が、「我が家の状態」は明日からは「自分のこと」ではなく「家族のこと」に戻る。ベッド、シャワー、流し、ゴミ箱、トイレくらいしか使ってこなかったこの家を「新生児を育てる家」にトランスフォームさせねばならない。
購入してきた新生児用品の適所への配置。ベビーベッドの移動・掃除。シーツ類の洗濯、床掃除、水回り……またしてもタスクが積み上がっていき、それが頭の中に渦巻く中で筆者は目を回し茫然半ば朦朧としてこのまま目をつぶればさぞ気持ちよく眠れるだろう、という確信めいた予感があった。

そこに、「なまたけ」が始まった。竹内朱莉さんの芸能生活10周年を記念して朝まで生放送を行うという祝ってるのか呪っているのか初見では判断しがたいこの狂気の企画は竹内さんの機智と稚気と様々な友情・愛情により暴走機関車のごとく驀進し、終点近くでは少し徐行しながら、終わってみれば謎の感動を筆者に与えた。むかしむかし受験勉強の時に聴いていた深夜ラジオのような身近さは黙々と単純作業を繰り返す筆者に「ひとりじゃない」という気持ちを与えてくれた。それは間違いなく竹内朱莉さんだからこそ出来たことであった。真のトップアイドルという人たちはこのような心のゼロ距離と到底届きそうにない摩天楼の頂点のような威圧をしばしば使い分ける。

その竹内さんが卒業されるという。アンジュルムというグループに対して知識少ない筆者が見るとき、今のアンジュルムはまさに「盤石」のように思えた。それは竹内朱莉という要石があってのことだと。とりわけ筆者は橋迫さんと竹内さんの関係性が好きで、それはまだまだ発展するように感じていたので「もう!?」という気持ちがあった。

ただ、その後の諸々を見るにつけこれは「満を持して」なのだな、思う気持ちが強まった。むしろ、待ってくれてすらいたのかもしれない、と。

今までありがとう、お元気で……。と遠くから控えめに拍手を送るに留めるつもりの筆者だったが、とはいえソワソワしていたところにきっかけがあって今回の企画のハードルを下げる役目を担わせて頂くことになった。「な、なんだこいつ?」と思った皆様、そういうことです。ご容赦ください。拙者ゆずふぁむだもんで……。

exloyks.hatenablog.com

ありがとう、竹内さん。あなたの人柄が、パフォーマンスがあの時筆者を癒し、奮い立たせてくれたおかげで今、どうにか人の親ぶっています。これからのご多幸をお祈り申し上げます――。


それでいいのだろうか?

竹内さんが、アンジュルムが、この企画が与えてくれた「BIGLOVE」に筆者は応えられているだろうか?

妻が、週末の映画の時間が遅いから行くことを躊躇していたことを不意に思い出し、2,3LINEをした。

2023年5月27日。

www.houzanhall.com

そういうことになった。
(ここから鹿児島講演のネタバレがあります)

実は手元には三井寿PETスタンドも持参しており、「寿、ここが宝山ホールだよ」とでもツイートしようと思ったが、怒られるのが筆者だけでは済まなかったら大変なことになりそうなのでやめておいた。
会場一時間前に着いたが汗がにじむのは気温の高さばかりではないのは自明であった。やはり、青を基調とした服装の初見が多いように感じられた。まずは物販である。筆者は経験に学ぶ生き物であり、フォロワー氏を他山の石としてM-1GP2021王者錦鯉めいて「チケットを忘れないのなんて簡単です」と脳内でうそぶいていた。
人は動かすからなくすのである。発券と同時に車のダッシュボードに入れる! 家に持ち帰らない! 家…そこには引き出しがあり、棚があり、数多収納があり、また床があり、冷蔵庫や机がある。その迷宮に迷い込み天寿を全うできなかったあらゆるチケットに今、改めて哀悼の意を表したい。
車のダッシュボード! 筆者の場合、普段、ほぼ開けることの無い場所。一度しまえば使用の時までほぼ開けることはないだろう。その不動さが我がチケットを堅固に守ってくれるという訳だ……。

……で、今日ダッシュボード触ったっけ?

……。

…………。

妻が映画を観る映画館に駐車した車のダッシュボードに……チケットを入れたまま忘れてしまった……。
えっもしかして「寸前まで来てチケット忘れて観られなくてああもうめっちゃ悔しいわ」ってオチ……!?と周囲の熱気に反してどんどんスーッと頭と肝が冷えていくが、スタッフさんのご尽力により何とかなった。早めに会場に来ていて良かった……。

が、物販の出遅れは避けがたく、「ペンライトとかタオルを現地調達して、ランダムのやつをいくつか買っちゃおっと」という甘い目論見はSOLDOUTの文字の前に打ち砕かれることになってしまった。アララァ……。

ランダムアイテムはグッズの華だと思っているので23のグッズを2種買い、推し色…?誰かひとりなんて決められないよ…! と思っていたので(そもそもBIGLOVEシャツは売り切れ多数だったのもあり)ロッキンTシャツを買った。ご当地生写真はうっかり皆買ってしまいそうだったが心を鬼にして、今日残念ながらお会いすることのできない川名凜さんと、鹿児島のシンボル桜島をかわいくイラストにしてくださった伊勢鈴蘭さんを購入した。
ようやく人心地着いた頃には開演15分前。慌てて自席へと向かう。

「わあ! かわいい~」

隣席の方の声に思わずはにかんでしまう。もちろん、筆者にかけられた言葉ではない。
今回、筆者はもうすぐ2歳の娘と参戦したのであった。「膝上3歳未満まで無料」の規約に感謝である。ホール前の広場を縦横無尽に走り回り、入場してからも階段を最高のアトラクションとして満喫するその様に筆者は冷や冷やであったが、皆様寛大なお心でご対応くださった。(本当にすみませんでした……)既に妻と「おやこシネマ」の経験があり、その際は流川楓が映るたび黄色い声をあげる以外はお利口にしていたということでいきなりぶち込むよりは大丈夫だろう、と考えていた。近頃イヤイヤ期がますます極まり、自分の好きなもの以外がテレビに流れると即泣きわめく娘が予習のためにダメもとでスマイレージアンジュルムのMVを流したら存外ノリノリだったことも追い風となっていた。
着席。スクリーンには円盤のコマーシャルが流れている。流れる曲にニコニコしながら体を揺らす娘。……イケるぞ!
筆者がひそかにこぶしを握り締めたのも束の間、ハロオタ(敬称)諸賢の雄たけびが轟くと、とたんに娘は皆殺しの荒野(キリングフィールド)に放り込まれた憐れな生贄のようにしおしおになり、筆者は慌てて抱きかかえ、下の売店なっちゃんを買い与えた。売店の方、ストローをくださってありがとうございました。
すっかり上機嫌になった娘を連れて上がるとすでに最初の曲が始まっていた。
眼前に、アンジュルム諸賢がいる。ついスクリーンを追ってしまう自分の目が恨めしい。実際に躍動している諸賢がいるというのに、なぜ虚像を追いかけてしまうのか。

それは、実体のアンジュルムを目で捉えて納得した。言葉ではなく心で理解できたといってもいい。防衛本能だったのだ。この、生の、むき出しのアンジュルムのパフォーマンスをはなから受け止められるほど、自分の「ハロオタ練度」が高くないことを知らず感じ取っていたのだ。久々に感じる音の圧、歌声の響き、関節のしなりさえ聞こえそうなダンス、それらをコールとペンライトの奔流が包み込んでいく――「現場」の凄まじさ、それはコロナ禍以前の老練さとはまた違う、声出し解禁からまだ日が浅い故のどこか懐かしい青臭さも感じられる経験だった。「

私になって燃え尽きたい」を体現するがごとくスマイレージ期から今に至るすべてを解放していくかのような竹内朱莉さん、動きをセーブしてもなおそのオーラがまさに獣王のそれである佐々木莉佳子さん(鹿児島講演を21歳最後の講演だと言ってくれて福岡のアニバーサリー講演をおすそ分けしてもらったみたいで嬉しかった!)や同じく制限されながらもその歌声の無限の広がりがかえって印象付けられた上國料萌衣さん(りかみこMC…最高だった…)「二―ブラ!」と声が出そうなほど勢いよく竹内さんと肩を組む様につい文脈を感じ取ってしまう川村文乃さん、「れいらさま~っ!!」で声を出すことの楽しさを思い出させてくれた伊勢鈴蘭さん、ハンドルを持っての最後のセリフや竹内さんとのじゃれあいが極上ながら真剣なパフォーマンスの時はぞっとするほどの気迫を放つ橋迫鈴さん、舞台上の可憐さと楽屋での白くまへの向き合い方のギャップが最高の為永幸音さん、出てくるたび「そ、そんなこともできるの!?」と声を上げてしまう松本わかなさん、物おじしないパフォーマンスと後輩を迎える姿勢はキャリアの浅さを感じさせない平山遊季さん……何度でも「今度はこの人だけを!」と定点で観たくなる贅沢な時間はあっという間に過ぎ去っていた。

娘はというと曲が終わる度に周りに合わせて拍手し、曲によってはゆらゆら揺れたりもしていた。が、MCになると直接会いたくなってしまうのか、身をそらして舞台へ向かおうとするので困った。後半はカメラを発見して映り込もうと度々脱走しようとしていた。売り出し中の若手か?

最終盤。我が家のカーステレオでもおなじみの曲が、流れ出す。

あの「なまたけ」で制作が約束された曲。ホールがひときわ揺れたように感じた。

いや、ホールではない、何か、目の前のものが――。

娘が筆者の膝上に乗り、「マシンガントーク」の時の岡野昭仁のごとく手をゆさゆさと振り、こちらを向いた。

今まで何度も見せてくれた笑顔の中でも、屈指のものであった。

慌てて娘を膝におろしながら、舞台上で肩を組むアンジュルム諸賢の姿がにじんでいき、自分が泣いていることがわかった。

あの時、娘を迎えるために徹夜で準備していた時、そのおともにしていた番組がきっかけで出来た曲が、今、目の前でパフォーマンスされ、少し成長した娘が、それにノリノリで満面の笑みを見せている。きっと振り返すというか、自分から遊園地で他人に手を振るタイプに違いない。父に似ず社交的で良かった。

その光景は筆者という人間の人生を――human lifeを肯定してくれているかのように見えた。なおも激しく手を動かす娘のその動きこそが、まさに筆者にとっての煌々舞踊だった――と言ってしまうと怒られるだろうか。

本当に最後の曲、みんなの名前を呼びながら、川名凜さんへの声援がダントツであったことに、ハロオタたちのやさしさを感じた。アンジュルムの皆が我が故郷を呼んでくれることに高揚を感じた。

終演後、娘の大暴れと監督のふがいなさを謝る筆者に周囲の皆さんはかえって温かい声をかけていただき恐縮であった。もう少し娘に理性が宿ったら、ぜひまた参加してみたい。その時は娘に一生懸命ペンライトを振ってもらおうと思う。

夏はアンコール講演?ということでどうするんだろう、と思いながら、いや、大丈夫だ、という気持ちもある。

去った後、「あの時がピークだった」と言われる指導者は二流である。そういう意味で今後、竹内さんが撒いた色々なものがとりどりに咲いていくのを見ていくのがとても楽しみだ。その時に改めて竹内さんが一流のリーダーであったことを筆者は思い出すことだろう。

 

 

スキップとローファー、自転車と安全靴。

 筆者の母校には「朝課外」「ゼロ時限目」と呼ばれる補習制度があった。1限目開始前になんと7時25分から行われるそれは生徒と親の生活リズムを根底から狂わせる恐ろしい所業であった。

鹿児島伝統 ほぼ強制の「朝課外(ゼロ校時)」 高校生は不満の一方「補習ありがたい」「自分だけの勉強不安」 保護者、教員も複雑な思い | 鹿児島のニュース | 南日本新聞 | 373news.com

鹿児島県教育委員会によると、主にPTAの依頼で実施しており、参加は強制ではなく任意。

はあ~~~???? よう言うわ

閑話休題

そんな朝早くに合わせて弁当を作ってくれた母には感謝してもし足りないが、もちろん弁当を作るのが難しい日、というのもある。昼を学食で友人と食べるのはちょっとしたイベントで、申し訳なさそうな母にはどうかそんな顔をしないでくれと思っていたものだ。

ある朝、前日より明日は弁当なしと昼食代を下賜されていた筆者は電停から降りて高校への一本道を何を食べるかぼんやり考えながら歩いていた。

駅前の反対側と違って、こちら側は人通りがそんなに多くない。早朝の町が動き出す音がそこかしこから聞こえてくるのが筆者は好きだった。

と、そこへギチギチチと生理的嫌悪感を覚える金切り音が後ろから迫ってくる。というか、止まる気配が無い。

とっさに振り向いたところを、前に出していた足が、金切り音の主――自転車にガッコンと轢かれた。そのショックで減速し、ようやく自転車が停止した。

慌てているその顔はよく見ればクラスメイトであった。足に目線を落としたので、大丈夫ですよ、と答えた。当時筆者は電車通学で知らんおっさんの傘や足に自分の足が踏まれるのに辟易していたので、安全靴を愛用していたのである。自転車のタイヤなど爪先の鉄板でさすが安全靴だなんともないぜといった次第。

クラスメイトはほっとした顔、申し訳ない顔、なんといったものかという顔に立て続けて顔が変わり、筆者は愉快な人だ、と思った。

やがて意を決したクラスメイトは、ちょうど止まったところのパン屋さんを指さし、

「ここ! おいしいよ!」と言って入っていった。

その言葉でようやく朝の幸せを具現化したようなパンの焼き上がる匂いが筆者の鼻腔をくすぐり、筆者なりに緊張していたのだということがわかった。

学食ではなくパンにしようか、一瞬逡巡するも、自意識過剰な男子高校生であった筆者は「クラスメートが朝から決して広くないお店でパンを選びあうなんて……そんなのもう真剣交際ではないか!?」という結論に至り、(どうして「選びあう」前提で話が進むのか)足早にその場を後にした。

教室に入ったところでクラスメートが1人欠席しており、つまり順番的に板書を当てられる可能性が出てきたことに戦々恐々としていると、あっという間に先生が入ってきた。とほぼ同時に彼女も焼き立ての匂いをまとって入ってきた。

「明日も、母に「お弁当は大丈夫だよ」と言おう」と筆者は決心していた。

明日はパンを食べようと。

実際美味しく、それから何度か食べた。その中のどこかのタイミングで、彼女に「そこ! おいしいよね!」と言われたような気がしないでもない。再開発が進み、いつのまにかそのパン屋さんもなくなってしまった。

同じ高校のクラスであるからタイミングが重なって一緒に登下校することがそれ以来増えた。登校の場合、彼女とタイミングがかぶるということはかなりギリギリであるしこっちは徒歩なので小走りであったりもした。残り1個のパンを取って会計しているときに彼女が入ってきて「信じられない」という顔をされたこともあった。下校時には快活でいわゆる「愛されキャラ」である彼女がふと見せる陰りのようなものを感じたりもした。

とはいえそんなに頻繁に帰ると「連れ立って登校または下校……真剣交際に発展してしまう!」と危惧したりもし、またそういう彼女であったからクラスの中心であり、朴念仁である筆者からしても思いを寄せている野郎がそこここに観測されたので少しずつ時間をずらすようになっていった。自意識過剰の最たるものである。(実際牽制されたりもしたが)

「スキップとローファー」のアニメを見ている。原作は3月に途中までアプリで、その後既刊をまとめて買ってしまった。みつみちゃんの善性の強さにふと、自分の思い出が蘇ってきたのであった。

さっきの話だけでも自分でも振り返ると「うわっ」となる高校時代だが、実際はもっと記憶の扉に押し込めているものがあるはずで、それはそのまま思い出さずにいたい。高校生活は決して楽しくなかったわけではないが、高校時代にこの作品に触れていれば、もっと視野を広く、それを通して自分にももっと有意義な時間を過ごせたのではないかと思う。この作品に今触れられる現役高校生諸賢が羨ましい。

今回アニメ化される分では筆者が最も好きな登場人物は登場しなさそうなのだが、出来がとても良い。1話から各人の登校前の風景が描き下ろされ、これこれ、こういうのが見たかった、となるのであった。この調子であれば続きもアニメ化されるだろう。してほしい。

志摩聡介という何もかもを鼻歌交じりのスキップで軽やかにやり過ごしていたように見える人物がその実、果たして子どもの頃に何をスキップして、ショートカットして、気遣いの塊のような人間になっていったのか、その迫り方、彼を文字通り掘り下げていく描き方がとても好きだ。


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またもうオープニングが…もう…最高…原作のみつみちゃんの気持ちが上向いてその上昇気流が思わず漏れ出たようなはにかみにめちゃくちゃ弱いので、大変に食らった。最高だ。

自分の高校時代を思い返しつつ、娘にもこんな素敵なお友達が出来たらいいな……と思ったりもした。先の見えない世の中を少し明るくしてくれる、しかしある時は反転して真に迫った慟哭を与えてくれる得難い作品である。好きすぎて全然感想書けないな。この辺にします。