カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

たつね行まほろしも哉つてにても―科白劇 舞台『刀剣乱舞/灯』綺伝 いくさ世の徒花 改変 いくさ世の徒花の記憶 大千秋楽ネタバレ感想・考察・妄想

科白劇 舞台『刀剣乱舞/灯』改変 いくさ世の徒花の記憶(法人特典なし) [Blu-ray]

余談

今年初め、筆者は初めて「刀ステ」を現地でその身に浴びた。それまでに予習としていくらか見てはいたが、やはりリアルタイム、ライブでのそれは「圧」が違った。誇張でもなんでもなく、この舞台と同じ時代を生きられる幸せを噛み締めたものだった。

引き続きこの舞台を追いかけていきたいと思った。

そこにこの未曽有の事態である。

「ミュージカル『刀剣乱舞』 〜静かの海のパライソ~」

が東京公演の千秋楽を早め、他公演を見送ることが決断された。

そして「舞台『刀剣乱舞』綺伝」もまた――。

しかしそれだけでは終わらないのが刀剣乱舞というコンテンツの素晴らしさである。

「科白劇 舞台『刀剣乱舞/灯』綺伝 いくさ世の徒花 改変 いくさ世の徒花の記憶」。

これはコロナ禍のこの状況に舞台という表現形式をどのようにアップデートしたかという革新の目撃者となった筆者の感想、考察、妄想ごちゃまぜの闇鍋走り書きである。

本題

ということでここからは当該作の血も涙もないネタバレがあります。

コロナ禍をも利用し更に表現の次元を高めた舞台の凄味

「別の本丸の特命調査」として語られる今回の科白劇。

相変わらずそのSEを聴くだけで心を湧き立たせる「入電」。

いつも以上に壮大なOP。

心を高揚させながら、しかし既に人が密集しない工夫がなされている。

今回は時間遡行軍もアンサンブルではなくプロジェクションマッピングにより表現されるが、キャスト諸賢の錬磨された殺陣によってそこに遡行軍がその場にしっかりと「在る」。

刀剣男士の殺陣も基本的に一人一人となっており、密に配慮しつつ、今まで画面所狭しときらびやかに展開され、目が追いつかなかった筆者にも優しいじっくりばっちりとアクションを味わうことができるようになっている。

そして目玉はまさかの「刀装」という形で参加した講談師さん。上記のように人員。動き・演出をコンパクトにしなくてはならない本舞台においてあたかも百見は一聞に如かず、的確なフレーズ・声量・テンポにて紡ぎ出されるその言葉の渦は我々をいつも通りの「刀ステ」に、いや、更なるステージへと導いてくれるのだった。

愛しさ余って憎さ百倍の細川夫婦

ストーリーとしては細川ガラシャを核として改変された世界線キリシタン大名を中心に慶長熊本を「神の国」として支配している時間遡行軍の排除が目的となっている。

一見理想郷(パライソ)のように思える「神の国」だが、「そうはならんやろ」というぐらいドレッドなうらぶれはてた細川三斎忠興の登場によって本来既に慶長熊本において亡き者たちが生きていることの影響が如実に出ていることが冒頭から示唆される。

 

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 筆者もゲームにて無事特命調査は終えているのだが歌仙兼定を極めておらず、次回復刻時までに極めたうえで記事にしようと虎視眈々とその時を狙っている。

上記予想記事においては筆者は「文久土佐藩」、「維伝」における「核」が彼であったように、「慶長熊本」においても「核」があり、それは細川忠興ではないかと予想していたが、実際には細川ガラシャであった。しかも味土野(現在の京都府京丹後市弥栄町明智領であった。)幽閉時であるというからガラシャの父・明智光秀麒麟が来ず、待ちかねて自らが羅刹となり第六天魔王織田信長を本能寺にて紅蓮の炎に消したその時のほとんど直後である。

普通は細川ガラシャを核に歴史改変をするにしても大坂屋敷人質事件あたりではないかと思うのだが、この時代に設定するあたり、やはり「刀ステ」において本能寺、織田信長というのが非常に特別に扱われているように思えてならない。

ところで明智ガラシャ細川忠興の結婚を決めたのは……。

そう、織田信長なのである。

やはりこの辺り狙っているような気がする……。

今回タイトルの歌は全文では以下のようになる。

たつね行まほろしも哉つてにても
たの有かをそことしるへく

「あなたを尋ねてくれる幻術使いがいてくれたらいいのに。人づてでもあなたの行方が知ることができるように」というこの歌は源氏物語にて桐壷帝が詠んだ歌を本歌とする、幽閉中にガラシャが詠んだとされる歌である。形式上離縁されながらも幽閉され開放するわけでもない夫、忠興に対してなお慕ってくれているガラシャがいじらしいが、この世界線において幻術使いが忠興を尋ねることはなく、ガラシャの元に時間遡行軍が訪れるのであった……。

言いがかりで庭師を弑したばかりか妻を蛇呼ばわりする鬼・細川忠興ガラシャの行いによって落ちぶれた彼は彼女を憎むが、それは愛情がオーバーフローして憎くなっているもはやバグのような状態である。だから彼は、ガラシャを斬ることができない。

ガラシャもまた忠興を憎む。(めっちゃ順当な感情である)しかしそこにはやはり愛しさがある。自らを殺してほしいほどに。しかし、歌仙兼定キリシタン大名の働きによってそれはなされない。それによって彼女はいよいよ異形へと姿を変えてしまう。

地藏行平と行動をしつつも最後には彼や歌仙兼定、古今伝授の太刀、キリシタン大名たちに誉めそやされた「花」としてではなく、「蛇」として散っていくことを選ぶのであった……。

細川君! いちゃつきに刀剣男士や世界線を巻き込むのはやめよう!

ともあれ細川ガラシャがその真意を誰にも察してもらえずにそれぞれの都合のいい「偶像」として扱われる様は、実際の史実にて亡くなったガラシャの死が「キリシタンの鑑」「子殺しの烈女」「貞淑なる夫人の理想」などそれぞれの都合で勝手にラベリングされ、消費させていたことを考え合わせると何とも言えない気持ちにさせられる。

七海ひろきさんの熱演もあって筆者の中では「魔界転生」のイメージが強かったガラシャ像がようやく更新されたのだった。完全にガラシャさまの虜となって終演を迎えた次第である。……「宝塚」は我々オタク夫婦としてはハマったらおしまいの最後の沼として恐れているが、段々と包囲が狭まっているようで恐ろしい。

キリシタン大名・その数奇なる運命

細川夫婦の流血の痴話喧嘩に花を添えるのはキリシタン大名たち。朧の騎士ならぬいわば徒花のキリシタンと化した彼らは西洋の武器を振るい、刀剣男士と相対する。

そのラインナップを見るに細川ガラシャから続くキリシタンの地獄がシームレスに導かれるように感じられたので以降、史実の彼らの歴史を紐解きながら綴っていこう。

まずはゲームの特命調査:慶長熊本に未登場の二人、大友宗麟黒田官兵衛孝高(如水)。2人ともキリシタン大名のビッグネームである。細川ガラシャキリスト教に入信したのは大友宗麟と島津の争いによって細川忠興が九州に従軍し、その隙を縫って教会に行ったためであるからいわば宗麟は「細川ガラシャ」の生みの親と言ってもいい。

大友宗麟が洗礼名ドン・フランシスコとなるのは天正七年からで、前年に耳側の戦いので大敗があり、現世利益が目的とされているがその後も有力豪族離れは加速し、島津の北上が止まらぬ中、秀吉に懇願する形で九州征伐を行うものの、本人は島津降伏の前に病に倒れた。(天正十五年没。ということで史実の彼は「慶長」を知らない。)だからだろうか、信仰のむなしさを感じているところに獅子王に朗らかに肯定され敗れる彼は嬉しそうであった。九州の大大名という重責から離れ、初めて一人のキリシタン「ドン・フランシスコ」となれたのかもしれない。

黒田官兵衛、彼のリクエストに従えば孝高はかつて出会った彼とは違う彼だとは言うが、しかしこちらとしては相変わらず頭の回転に驚かされる。「維伝」での「彼」がそうであったように、彼もまた様々な自分の記憶が混濁しているがそれを活用する貪欲さこそ天下の軍師である彼にふさわしい。「一合戦仕る!」はやはり鳥肌ものである。相対する山姥切長義に敗れる彼はかつての自分が山姥切国広に敗れたことに触れる……こういうリフレインが筆者は大好きである。史実の彼は九州の関ヶ原と呼ばれた石垣原の戦いにおいて宗麟の遺児・大友義統の軍と相対し、日本号の所持者・母里太兵衛友信が苦戦する場面もあったが勝利。しかし関ヶ原のスピード決着によって所領は変化せず、慶長九年に没。キリスト式の葬儀が行われた。

小西行長は後述する事情で大名でなくなった高山右近の旧臣を多く召し抱えた。また、天草一揆を鎮圧したのち領土とした。その地のキリシタンの勢力が強まったが、弾圧をするのではなく教会に援助を積極的に行っている。関ヶ原の戦いで敗北。キリシタンのため切腹を拒否、斬首された。

大村純忠天正十二年、沖田啜の戦いにおいて甥・有馬晴信と相対するが積極的に戦うことはなかった。その後九州征伐に際しては秀吉に臣従、本領を安堵されるが既に病に侵されており、宗麟と同じく天正十五年にその生涯に幕を下ろす。キリスト教には熱心だったが改宗しないものの扱いも厳しかったようで、領内では反発も大きかったようだ。

その甥・有馬晴信の沖田啜の戦いの陣には弥助がいたという説がある。関ヶ原にて小西行長の所領を攻略。息子が家康の側近となるなど安定した老後を送れるかと思われたが長崎奉行暗殺の陰謀が露見し、切腹させられた。資料によってはキリシタンのため小西行長同様に斬首としたともされる。彼の領地はキリシタンが多く、彼自身もキリシタンであったため、陰謀露見後、息子の代で国替えが起こってからはかの地は弾圧の対象となった。その地の名は島原という。

 高山右近細川忠興と同じく利休七哲の一人に数えられた知識人。「へうげもの」主人公古田織部の義弟でもある。キリシタン大名の多くが秀吉の圧力により棄教する中、領地・地位よりも財産を選び、大名の地位を失った。その後、有馬晴信の事件も影響もあって発令された家康の禁教令により国外追放。マニラで歓迎を受けるも間もなく病を得て慶長19年、元和偃武を目前にして客死した。葬儀は盛大に行われたという。細川忠興キリスト教のことを教えたのは史実でも彼であるらしい。

 ……段々と一つの事象に収斂していくのがわかるだろうか。

そう、「ミュージカル『刀剣乱舞』 〜静かの海のパライソ~」の舞台である天草・島原の乱へと人々がつながっていくのである。

更に言えば、島原の乱を引き起こした苛烈な政治を行った松倉勝家は細川家と同様に明智家と縁戚の関係にありながら土壇場で見方をせず日和見(洞ヶ峠)を決め込んだ筒井重慶重臣の家系であるというのも奇妙な縁であるといえる。

極めつけにはガラシャの甥であり、本能寺の変後根絶やしにされた明智家の男子で唯一と言ってもいい生き残りであった三宅藤兵衛は天草富岡城の城代としてキリスト教一揆の農民たちに討ち取られるに至ることを考えるに、やはりこの二つの熊本のリンクが偶然だとは思えないのである。

例えばこれら二つを経た後の「大演練」において、かつて同じ刀派がそうであったように天草に縁があるキリシタン大名小西行長の所持していた刀、「芦葉江」が顕現したりしたんじゃないか……とか妄想してしまうのである。

 

演技に圧倒されて妄想ばっかりになってしまった。ディレイ配信も拝見して、もう少し内容を煮詰めたいと思う。

本当に「これが舞台だ!」というものを見せてもらって大満足であった。

詠むべき時を安心して待つことができそうである。

 

 

とても綺麗なものは全てあなたにあげたい―「EYES ON ME : THE MOVIE」ネタバレ感想

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余談

あの頃、筆者は絶望の淵にいた。

 

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 一周年を迎え、カムバック、映画公開を控え、ますます勢いを増すIZ*ONE(以下文中アイズワン)に突如降って湧いたあの事件。それまでが華やかだったからこそ諸々が延期、中止となっていく一つずつ灯が消えていくような不安感はなんともいいようのないものがあった。そして、映画公開も中止が決定した。

 

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CJへの怒り(今読むと連中のX1についての仕打ちが思い出されまたも腹立たしい気持ちになってしまった)と希望を込めて私的テン年代映画ベストテン番外に入れた。それはあてどのない祈りであった。

しかしその後、不死鳥のようにアイズワンは全てをレベルアップさせて舞い戻り、我々WIZONE(以下ウィズワン)を歓喜させ、映画公開決定でさらに沸かせるのであった。

引っ越しによって生じた数少ないデメリットの一つが映画館が遠のいたことであった。しかし片道小一時間など目の前に広がる花道の前には遠いうちにも入らない。夫婦して初めてムビチケを予約し、(特典はクォン・ウンビさんとチェ・イェナさんであった)妻に至っては2時間周辺を密を避けつつ散歩して時間とコンディションの調整を図ったうえで、我々は公開初日最終上映、4DX版を追加料金へ払って入場するのだった。

コロナ禍での鑑賞は初めてで、時間帯もあるのだろうがエントランスの賑わいが明らかに減少していることに胸が痛んだ。ドラえもんの「新しい映画様式」を眺め、4DXのご注意で説明キャラクターが3Ⅾ眼鏡を装着することに不安になりつつも(受付で渡されなかったので/本映画は飛び出さない)、いよいよ場内が暗くなり、アイズワンの皆さんの上映前のコメントが流れる段に至って興奮は最高潮だ。

「お蔵入り」と思われた映画をついに、スクリーンで見ることができる――。

彼女たちとの「再会」がついに訪れた。

本題

※ということでここからは映画のネタバレに全く配慮しない感想です。まっさらな状態で見たい! という方はご注意ください。

 

※ ※ ※

 

いきなりの「ネッコヤ」ピアノver.である。流れた瞬間涙腺が刺激されるように調教されてしまった筆者にとっては開幕いいジャブをもらってしまった形となった。幼い子どもたちの写真、それを背景に語られるメンバーそれぞれのデビューを目指す理由。完全に「プデュ」最終回のフォーマットでのっけからずるいだろ……と思わされる。チョ・ユリさんが一番好きなシーンに選んだのも納得である。

その12人の少女たちは夢を叶え、アイズワンとしてデビューした。そしてついに韓国で単独コンサートをやるに至る。

巨大な会場、並ぶ密なファン、進む大掛かりなセットの設営……わずか一年ほど前でありながら今は遠き夢物語のような風景に不思議な気持ちになってしまう。

いよいよ開幕。重低音と振動が座席に響く。現世の奇跡、アイズワンの降臨だ。

「重低音と振動」は筆者が実際に現地参戦した時に強烈にこれが「現場」か…!と

意識させらた出来事であったので4DXでそれを体感できたことは嬉しかった。

 

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 入場。そして画面にだだだだだだだだだだだだっと並ぶ女神たち……。

もう筆者の脳のキャパはオーバーである。一日に摂取できる美の限界を超えてしまっているのである。あっちも美、こっちも美、逃げ場がない、逃げたくない。

一人一人の一挙一動を見たいのに困ったことに筆者の目は二つしかないのであった。

実際、上記の参戦時はあちらこちらに注意が映ってしまって悔しい思いもした。この点、本映画はプロがそのプライドにかけたカメラワークで撮っているので確実な満足感が得られるだろう点が良かった。

もちろん逆に言えばそれ以外の視線は許されないので単推し勢諸賢には寂しいところもあるだろうがそればかりはしかたあるまい。とはいえ各人推しカメラ編集版を出してくれるなら有給を質に入れてでもいつでも見に行きますという所存である。

(個人的にはViolettaのツバメダンスは宮脇咲良さんを正面にしてくれ~! という気持ちであった。)

前情報を全く入れていなかったので、コンサートフィルムというのはその名の通りライブビューイングのような感じでコンサートの始まりから終わりまでをぶっ通しで流すものかと思ったらそうではなかった。冒頭のデビューに至るまでのモノローグに始まり、本番前の練習と本番の様子、幕間映像の収録と上映を行き来する形で語られる。

簡単にいってしまえばこれまた「プデュ」のいよいよ評価です→それに向けての練習はこんな感じ→さあ本番だ! という流れをなぞっていると思えば国民プロデューサー諸賢は想像がつくのではなかろうかと思う。

ひまわりのふんわりしたかわいらしさ、AirplaneのCGの妙なチープさと「ウィズワン!」という自分たちでも所属事務所でもなくファンの名前を叫んでくれるそのありがたさ。

そしてキム・ミンジュさんのピアノで紡がれる「夢を見ている間」――私が誰かを幸せにできるなんて思っても見ませんでした、と最後のあいさつで述べた彼女だが、その真摯さ、パフォーマンス、日々の立ち居振る舞いすべてが我々の幸福度を常に上げてくれているのである。

8月という「プデュ」がフィナーレを迎えた月に聞く「夢を見ている間」は沁みた。最終回のちょっとがたついてガコッと上がるせり上がりを幻視してしまうほどであった。

畳みかけるような「Really Like You」で尊さはもはやうなぎのぼり。

そこからの「ネッコヤ」やコンセプト評価曲メドレーは国民プロデューサーの亡霊を絶対に成仏させない、という気概が感じられてよかった。

ただインタビューで「この季節は『1000%』ですね」と自分が発表した曲に誇りを持っていたイ・チェヨンさんに嬉しくなっただけにその曲がなかったのはいささか残念だったが…(他の日ではやったりしたのだろうか?)投票で移動になった「I AM」でのパフォーマンスは圧巻であった。

本来の公開時期であれば「え! この新曲は絶賛発売中のNEWアルバムで聴くことができるんですか!?」という展開になるはずであったろう「So Curious」と「AYAYAYA」 周りについては特に力を入れて編集しているのが伝わってきた。

「So Curious」組のイェナさんと奈子さんの絡み(矢吹奈子さんがカウントダウン告知でおすすめしていた部分)のユーモアあふれるやり取りは素晴らしいし、実際のステージではイェナさんしかできないキュートさが炸裂していた。可愛らしいながらも新規の振り付けが多く、その展開も早いこの曲は彼女の高いダンス・パフォーマンススキルがあることで更に高い次元に昇華したことは疑いがなかった。世界最大の妖精・お手本のような可愛さの矢吹奈子さんと久々に見た金髪姿はやはり錬磨の美しさを感じさせる本田仁美さんは(もともともあるのかもしれないし髪との対比もあるのかもしれないが、全員並んだ時など本田さんの肌はひときわ白く見え、本当に美容に意識を高く持っているのだろうなあと思わされた)もともとの愛嬌をさらに磨きをかけるだけでなく前述したような難度の高いダンスもこなしており、まさにグローバルアイドルといった感じだ。キム・チェウォンさんの小悪魔的笑顔と歌声、しなやかな動きには翻弄されたくて仕方がないし、黄色の衣装がよく似合うひまわりの化身のような明るさを届けてくれるアン・ユジンさんを見ると冷房の利いた室内でも心地よい暖かさを感じる。チャン・ウォニョンさんはレコーディングから既に五億点です。「準備チェンナヨ?」のレコーディングで苦労していた日々がもはや懐かしい。ステージでの姿は勿論、練習室でのあっさりしたメイクとさっと結んだヘアースタイルが可愛らしすぎてヤバい。ちょうど最近見た「アンナチュラル」での石原さとみさんを彷彿とさせた。


[최초공개] 아이즈원(IZ*ONE) - SO CURIOUS | COMEBACK IZ*ONE BLOOM*IZ

編成が変更にはなっているがカムバック時の同曲を貼っておく。このキュートさが大画面で鑑賞できてしまうのでもうマスクの下は緩みっぱなしである。初めて窮屈なマスクに感謝をしたかもしれない。

「AYAYAYA」組のチョ・ユリさんは今までとは毛色の違ったガールクラッシュな曲に戸惑いを見せるものの、(とはいえコンセプト評価時は「Rumor」志望だったらしいので方向性自体は好きなのだろう)本番ではその力強いボーカルが動きの背骨となっているかのような文句なしの動きを見せていた(しかし、本田さんもそうだがちょっと肩が「セクシだ」過ぎてどぎまぎしてしまう。カン・ヘウォンさんも然り)。ちなみにユリさんの練習室での薄めのメイクもめちゃくちゃ好きである。努力する天才、アップデートの権化である宮脇咲良さんはその目力と負けん気そのままにAKB48ダンス最高難度の曲「NO WAY MAN」のセンターを務めたことすら通過点にして更に一段ギアを上げてきた。後、「幻想童話(Secret Story of the Swan)」にてダンサーの一翼を担う下地は既に出来上がっていたわけである。へウォンさんは自身のスン…としていれば周りがちょっと怖くなってしまうほどの美貌を最大限にガルクラに活かしていたし、いつもにこにこほんわかのミンジュさんが「hush」する様のギャップは発電できてしまいそうなほどの落差で嬉しい悲鳴が上がりそうだ。ウンビさんのキャリアを感じさせる間違いないパフォーマンスはこれを支柱として他のメンバーは安心して自らの向上に打ち込めるのだという頼もしさを感じたまさしく大黒柱であった。極めつけはこれぞメインダンサーのイ・チェヨンさんである。髪の一本一本、指先、足先の細胞の一つ一つにまで神経が行き届いた全身パフォーマーである彼女の動きを見た後では今後軽率に「鳥肌」という言葉を使うことはできないように思えた。

日本曲からの「好きと言わせたい」では宮脇さんの視線が絶妙過ぎてそれ以外がほとんど記憶にない。ウィズワンたちの「好きと言わせたい」コールも心地よく、この演者と観客の幸福な共犯関係を取り戻したく、ほとんど叫びたい胸の内をぐっと押しとどめて楽しいのに辛いという矛盾した気持ちに時勢を恨んだりもした。

幕間の吸血鬼ズワン。こういったゴシックな服装が(も)彼女たちはとても似合う。どんどんオフショットとか蔵出ししてほしい。後の「ヴァンパイア」を彷彿とさせるような悪女の極み、キム・チェウォンさんや演技の睡眠でも半目をして見せる指原さんの薫陶を感じる咲良さんの演技、眼鏡の本田仁美さんが特に必見である。本田さんが本を片手にふむふじゅえっへんと語り、みんながさすが~!と甘やかすシーンは月まで吹っ飛ぶ可愛さなので是非収録してほしかった……。

そこからの「Highlight」「La Vie en Rose」「Rumor」「Violeta」はまさに圧巻、メンバーのパフォーマンスは勿論のこと、新規アレンジでも見事に合わせて見せるファンたちの力にこれがコンサートだよな、これがライブだよな、と再びのアイズワンとウィズワンの蜜月ぶりに胸を熱くさせられた。

楽しい時間にもやがて終わりがくる。本公演が終了し、コンサートの物販グッズに着替えたメンバーが一人ずつ挨拶をはじめる。

もう、ボロ泣き。

多くのメンバーが映画の一番好きなところにあげるのも納得といったところで、メンバーたちの感情の爆発、そしてそれが許される状況を作り上げた会場の雰囲気のすばらしさに全国の映画館の湿度は五パーセントは上がったのではないかと思われる。

一推しであるからかもしれないが、チャン・ウォニョンさんの言葉に特に筆者は心を動かされた。ユーモアある喋り出しから始まりながらも、そこから感じられるのはそこに至るまでの沢山の苦労。15歳の少女に華やかな舞台を与える代わりにショービジネスの世界は何を奪ってきたか、それには我々も少なからず加担している……。胸を痛めながらも、その大きな瞳から涙をこぼしながらなお明るく笑い、みんなに感謝を告げる彼女にやはりアイズワンのセンターは彼女しかいないという思いを強く抱きもするのであった。「もう大丈夫」が今もずっと大丈夫であり続けていますように。

イ・チェヨンさんの言葉にも泣かされた。素晴らしいスキルを持ちながら、自信を持てない彼女はそのため外部の評価が芳しくなく、それによりまた自信を失ってしまうという負のスパイラルが続いていた。それがアイズワンの日々で断ち切られ、事実彼女は日々美しくなっている。「自信が人を作る」という言葉の故事成語になってしまうのではないかと思うくらいである。「SIXTEEN」で姉妹揃ってしょぼくれていた頃から比べると本当に別人かと思ってしまうくらいだ。そのダンスの軽さから「羽チェヨン」と呼ばれる彼女がウィズワンたちに「あなたたちは私にとっての『羽』」と言ってくれるのだから泣かせるではないか。彼女がアイズワンにいてくれて本当に良かった。

 

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韓国に単身来てくれたお母さんに感謝の涙を流す本田さん、いつも泣かないチェウォンさんがストレートに伝える感謝、(抱きつかれに行くユリさん)、「プデュ」時は何かあると泣いてしまっていたヘウォンさんは涙が減った代わりに沢山笑顔が増えたことを述べ……と本当にみんなの挨拶が素晴らしいので枚挙にいとまがなく、既に五千字を超えてしまったので是非鑑賞をして確かめていただきたい。

特に最後のアン・ユジンさんのコメントはいつもの陽気なビタミンである彼女からやはり等身大の少女としての言葉であり、しかしMCを単独で務めただけあって非常に素晴らしい言葉になっておりウィズワンの涙腺にとどめを刺してくるので必見である。

その後の円陣……打鍵しながら視界がにじんでいくのを筆者は抑えることができない。本当に得難い体験であった。

スタッフロールの間も決して立ち上がることはできない映像が流れていく。そして……。

風立ちぬ」で言えば「堀越二郎堀辰雄」の位置に我々ウィズワンが立つことを許されたその瞬間を、繰り返しになるが是非劇場で鑑賞していただきたい。

蛇足:雑感など

円盤、出るのだろうか。出てほしい……。(公開してもらっただけでもありがたいのにすぐ欲を出すオタク)幕間映像を是非収録してほしい。スマホの中のアイズワンさんや、吸血鬼ズワンさんは本当にかわいいのである。きゃわいいのである。

4DXについては飛び出しはしなかったものの大満足であった。ただ、基本的にパフォーマンス中は振動しっぱなしなので、お手洗いは事前にしつこいくらいに行っておいたほうがよいだろう。アイズワン諸賢の飛び散る汗、すれ違った時の香りが再現されるのか……⁉と一瞬思ったがしっかりパフォーマンスの底上げに活用されているので安心されてほしい。一番かみ合っているのは個人的には「La Vie en Rose」だったと思う。

内容に関しては上記の通り素晴らしいものであったが、きわめて個人的な部分で言えば「好きになっちゃうだろう?」は是非収録していてほしかったし、「Violeta」のツバメダンスは真正面からの画が欲しかった……というくらいであろうか。あとは歌詞の字幕があるとよりありがたかった。

しかし改めて、オンラインコンサートも非常にありがたいがリアルコンサートが恋しい。自分がもう一度あの感動を味わいたいという気持ちに嘘はつけないし、そうでないとしてもアイズワンの皆さんががウィズワン諸賢の大歓声によってさらに磨かれ、その輝きを増すさまを眺めたい。

マキさんとマミさんと妻と私――社会人でもオタクであり続けること、あるいは「マキとマミ」最終回読了後の感謝と感想

余談

とうとうカラッとした晴れ間が見え始めた。こうなると雨雲が恋しいねえなんて軽口が県下各地で生じたかは定かではないが、またもなかなかな雨が降り続いており、警報まで出た。新居は防音はしっかりしていてありがたいのだが、その分(基本カーテンは喚起する以外締めているので)いざ外出となった時にドアを開けて雨が降っていることに気付き慌てることが多い。

今日は二つ目の本棚が来た。幅1200×高さ1800×奥行200のそれは妻の蔵書(CD・DVD含む)用である。大判のものも多いので、夫婦して一緒に詰めていく。事前に判型ごとに蔵書を分けていたのでスムーズだった。矢ですら三本集まれば折るのは至難であるが、これまで押し入れの中で衣装ケースの中に封印されていた薄い本も開放してみれば棚一列を埋め尽くすほどの厚さ・重さとなり、その存在感をアピールするのであった。

そうして出来上がった本棚はどんな履歴書よりも雄弁に「その持ち主がどういった人物であるか」を語り掛けてくる。また持ち主自身にはその一冊一冊が、あるいはその背表紙だけで、トリガーとなって過去の思い出を再生し始める。本を読むのは勿論のこと、暫くは「本棚を眺める」ことが我が家の贅沢な時間の過ごし方の一つになりそうである。

本題

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pixivコミックの人気連載、「マキとマミ ~上司が衰退ジャンルのオタ仲間だった話~」(以下文中「マキとマミ」)が完結を迎えた。連載開始から約三年。筆者が作品を知ってから一年半ほどのことであった。

一年半前、どこからか筆者のTLに流れてきたのはこちらの回であった。

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それを読んだのは、弟の下宿。そう、妻が東京に「戦」に出ていた時であった。

 

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 実は中高とバスケに打ち込んでいた筆者と違い、広島の高い文化度の中でJK時代からサークルとして出展をしていた妻(合同参加したラクガキ本からプロが輩出され某所で高騰してるってマジ?)。しかしブランクとその規模の違い、そして見知らぬ地への一人参戦ということから前夜はとても不安そうであった。その不安は筆者にも伝播しており、早朝からそれを緩和するためにTwitterの海を泳いでいたのである。

そうして出会った「マキとマミ」はまさに筆者にベストマッチ。余りにも勝手ながら妻と、そしてオタクとして「即売会」にあこがれながらついぞ参加したことのなかった筆者さえも救済していただいたようで早朝からじんわり心を温めて頂いたのだった。

そうして筆者はその後、無事シンジュクの女となって帰ってきた妻と共に妻の「ホーム」広コミにて即売会初参戦を果たすのだった……。

 

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現在、マキさんが初めて同人誌を出すエピソードの後編はサイトでの掲載期間が終了しているが、「いい最終回だった……」と思わず読んだ瞬間つぶやいてしまうような素晴らしさで、ぜひとも未読の方はご一読いただきたいところである。三巻に収録されているが、それまでの積み重ねを経ることでまた「クる」ものがあるので是非一二巻も読んでいただきたいし、おや……四巻も絶賛予約中ですよ? 今から頼めば発売日に届くのでは? ということで是非全巻購入していただきたい……と筆者が鼻息荒くせずとも、大盤振る舞いの無料掲載分を読めば紳士淑女たる読者諸賢は知らずス…と購入ボタンに手が伸びていることであろう。実際、筆者は最終回直前の話をツイートしたところ、フォロワーさん(中学生のお子さんをお持ちの主婦の方である)から「こんなに面白い漫画を初めて知って一気に全部読んでしまいました。教えてくださってありがとうございます」という言葉を頂いた。

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個人的には特に上記の話など、オタクであればどこかしら刺さるのではないか、と思う。最強の布教はサブリミナル布教、痛いほどわかるのである。(ツイステをオートで回しながら)

言ってしまえば「オタクあるある」漫画である本作はしかし、美しい描線とそこから描き出される美男美女が抑制の利いた上品かつ洒脱な文章でしかししっかり趣味道という修羅の道を歩んでいる、というところがとてもとても好きだ。マミさんが主に画面に「動き」を与えてくれるけれど、それが騒々しいとかではない、紹介文にあるように(基本的には)節度あるオタトークであるところがそれを外側から覗き見る我々に更に一段上のあるときには「シリアスな笑い」をもたらしてくれるのである。

「追いブロ(マイド)」「オタクの日焼け跡」「オタしぐさ」などといったパワーワードがスッ……と出てくるのがたまらない。

「マキとマミ」において、マミさんはマキさんにおいて「救い」であると作者の町田先生は述べる。前述の通り筆者は「マキとマミ」自体に救われた人間であるが、ふと顧みると、妻にも「オタク」として救われているのだな、と思う。

昨年末、三十路記念として中学校の同窓会があったが、据え置き型ゲームをやっている層というのはもうほとんどいなかった。(もちろん、それほどの「濃さ」を持っているオタクはそういった場での「擬態」を心得ていただけかもしれないが……)

衰退ジャンルではないが妻と筆者の「オタク」として特に深い部分に根を張っているものの一つに歴史ジャンル、分けても「無双シリーズ」がある。現在もなお盛んなジャンルであるが筆者は二十年近く前(ウッ…頭が……)巡回していた数々の素晴らしい個人サイト様を思い出すにつけ、あの文字通り無双の勢いを思い出し涙する。プレイ漫画やレポートサイト、攻略情報、SS、なりチャ、クロスオーバー漫画、お絵かき掲示板……その大半はInfoseekやYahoo!ジオシティーズの消滅と共に運命を共にしてしまった。

そういった中で「夷陵の戦い馬超が紙過ぎる」「拠点兵長が固すぎてほとんどバグ」「南蛮夷平定戦で苦戦と聞くから急ぎ向かったら毒沼でどや顔で佇む諸葛亮諸葛孔明諸葛亮というと無双ファンみたいな時代がありませんでしたか?)」「合肥新城はトラウマ」などを今もなお共有できる人がパートナーとして横にいてくれることは何にも耐えがたいありがたさがある。そんな妻でさえ「無双スターズ」には匙を投げてしまったが……。ちなみに古くは「立志モード」を文字通りコントローラーのパッドが擦り切れるまでやりこんだ彼女は現在は五年程前に発売された「戦国無双4エンパイアーズ」をプレイし続け、二年前に当時獲得率2.3%であったプラチナトロフィーを獲得して以降も「難易度地獄で回りが軍備を整えてから一国ずつ切り取る」「国を滅ぼして婚姻関係を解消した武将を嫁がせる」など第六天魔王自由奔放に楽しんでいる。

本当は筆者のレジェンド推し「夏侯惇」についても語りたいところであったがあまりに脱線が過ぎるのでこの辺りにしておこう。

「マキとマミ」が教えてくれるのは「好きなものはずっと好きでいいんだよ」「好きなものがあるということは胸を張っていいことなんだよ」「それをわかちあえることはとても素晴らしいことなんだよ(抱え込むことが悪いことではないよ)」というポジティブなメッセージだ。

まだまだ社会人でありながら「オタク」を周囲に公言して生きていくことは(残念ながら、一部の「あまりにオタクであることを誇示する人たち」の振る舞いも影響して)難しい世の中であり、「マキとマミ」は「優しい世界」に過ぎる……と思う人もいるかもしれないが、一話以前のマキさんのような人々が読むことで少しでも救われてほしいと思うし、彼女ら、彼らにとっての「マミさん」に出会えることを願ってやまない。それは現実世界であったり、SNS上であったりするかもしれないが。

しかしこういった日常物の終わりはいつも、これからも続く彼女たちの日々に一人だけ取り残されたような気持ちでさみしくなる。完結後のアンジェリーク新作(奇しくも無双と同じコーエーテクモ製である。コエテク様……無双の新展開も待ってます……)宣伝漫画もキレッキレであったので、出来ればこのような形でこれからも時々また出会いたいな……と思う次第である。町田粥先生、連載お疲れさまでした。8月からの新連載も楽しみです。

マキとマミ~上司が衰退ジャンルのオタ仲間だった話~ (4) (コミックエッセイ)

大和田取締役は再び「大和田常務」になるのか――「半沢直樹」初回ネタバレ感想

余談

色々と書きかけの記事があるのだが書ききる勢い、いわば日々の「余力」がない。そもそも相変わらずずっと体調が悪い――というか、うん、そうですね、受け入れます。これは…単純に「老い」ですね……。

あとは無事引っ越したものの今までのせんべい布団からベッドに寝具が変わって慣れていないのと、なんだかんだ組み立て家具を組み立てたり荷解きしたりで週末休めていないこともあるだろう。

そして購読しているブログもほとんど読めていないのがつらい。インプットしたい……。

そうこうしているうちにまだいくらか若かりし頃にインプットしておいたことが役立ちそうなことがあったので、いつもながらの深夜(十時半を深夜という感覚がもう老いなのか…?)の勢いで書いておきたいと思う。

私のモットーは「紙屑さえも書物にする速度が無ければ届かない言葉がある」ですから!

本題

と、いうことで「半沢直樹」初回をリアルタイム視聴したのだった。

前作はリアルタイム視聴を始めたのは第二部から。滝藤賢一演じる近藤直弼が鬼気迫りすぎていて目が離せなくなったことを覚えている。当時は筆者は会計事務所に勤務しており、中小企業の悲哀やしたたかさに大いに共感し、途中で原作を一気読み、今回のドラマの前半部分原作「ロスジェネの逆襲」も電子書籍で発売されるやいなや一気に読んだ。

そこから七年の月日が経った。くしくも同じく2013年流行語大賞を争った「お・も・て・な・し」が用意されるはずだった東京五輪は延期となった中、「半沢直樹」が再び戻ってきた。

開始一分で土下座を掘り返される大和田(元)常務。

今のところ明らかになっている原作との相違点、逆に未だ明らかになっていないキャスティング。

これらから今後の展開を予測してみたいと思う。

ということで以下、「半沢直樹」初回のネタバレ及び原作の該当部分、及び「銀翼のイカロス」登場人物のごく軽度のネタバレが含まれます。

大和田はラスボスとなるのでは?

香川照之の凄味のある演技で話題となり、前作である意味陰の主役と言ってもよかった大和田常務(当時)。前作最終話にて土下座をさせられ、常務の座は降ろされたものの取締役としては留め置かれた。これは原作通り。

しかし、その後の展開が大きく異なり、既に七年前の時点で議論を呼んでいた。原作ではそれは「出向待ち」状態となっていることを意味し、事実原作ではその後フェードアウトする。

が、ドラマでは中野渡頭取の判断により銀行に留め置かれるのである。原作では半沢直樹のセントラル証券への出向は役員の大和田も出向したのだからといういわば「喧嘩両成敗」的な側面もあったが、ドラマではあまりに半沢が一方的に割を食っていたのでドラマだけ見ていた方々は大いに戸惑ったのではないかと思う。

原作ロスジェネで頭取が半沢を評する言葉で筆者はとても好きなものがある。それは今の展開でもそのまま使える言葉でもあると思うので、ぜひ使ってほしい。ドラマ派の諸賢もきっとその一連の言葉で大いに留飲を下げるはずである。

話題が少しそれてしまったが、繰り返すが今回ドラマ化される部分の原作に大和田(元)常務は存在しない。あんなに堂々と出てるのに!

なのになぜ今回再びキャスティングされたのか? もちろん前作で残したインパクトがあまりに大きかったこともあるだろう。放送終了後に視聴者の心の中の「半沢直樹」の構成要素は「倍返し」「大和田常務の土下座」「金融庁の嫌な奴」がほとんどを占めていたのではなかろうか。

しかしただそれだけではなく、この「原作では退場した大和田」の扱いをうまくすれば原作の登場人物を圧縮した上で大和田常務が返り咲けそうだ……とスタッフ諸賢が考えたのではないか……と筆者は妄想するのである。

サラリーマンドラマは大体服装がスーツの上、年齢層も似たり寄ったりなので人物が覚えにくい。当たり前だがキャスティングの労もあるし、尺も限られている。できれば人物は圧縮したいというのが本音ではないだろうか。

事実、半沢の実家を危機に追い込んだ(原作では父は健在、ドラマでは自殺というのも原作と大きく異なるところである)銀行の担当者も原作では別の人物が担当していたのを大和田が担当していた、という改変が既に前作時点で行われているのである。

そう、これが布石。原作のラスボスは大和田に収斂していくのだ――。

銀翼のイカロス」において「紀本平八」という人物が登場する。彼は東京中央銀行において半沢直樹と対立する勢力の首魁である。

その役職は何か。

常務なのである。

この人物を吸収し、大和田常務として返り咲いて再び半沢直樹と対決するのではないかと筆者は考える。(ちなみに前述したように「ロスジェネの逆襲」において「大和田」という単語は一度たりとも出てこないが、「銀翼のイカロス」 においては紀本の前任者という説明のために同じ文脈の中で三回だけ登場する。こういうのをすぐ調べることができるのがkindleのいいところである)

即ち「ロスジェネの逆襲」編では「敵の敵は味方」理論で味方するものの、その手柄によって常務に復帰したのちは「紀本常務」の役割を吸収して半沢直樹の前に再び壁として立ちはだかるのではないだろうか?

そう考えると既にいくらかの伏線が仕込まれているように思えるのである。

大和田に与えられた役割「行内融和」

東京中央銀行は合併公。頭取(及び半沢)と大和田はそれぞれ別の銀行出身であり、行内の派閥意識は苛烈である。それが物語の中で様々なドラマを生んでいる。だからこそドラマにおいて頭取はその融和を願って敵対派閥の中心人物である大和田を留め置いたのだろう。

そして原作の紀本常務の役割を考えた時、大和田常務は頭取に「恩返し」を出来る要素がある。「行内融和」は新シリーズの一つのテーマではないかと筆者は睨んでいるのである。

降って湧いた同期「苅田」の役割

新シリーズ、小料理屋の場面において(小料理屋もドラマオリジナルの要素。ついでにいうと剣道も)半沢、渡真利の間にしれっといる広島弁のような言葉をしゃべる男。苅田光一。半沢、渡真利、近藤の同期で法務部所属。原作では一作目から登場。司法試験受験コース(支店勤務免除)というエリートコースに乗りながら受験失敗、関西支店へ転勤、出世レースから脱落し、それでは関西に骨を埋めようとマイホームを買ったらそれを狙いすましたかのように本部へ連れ戻され、妻子はマイホームのある関西へ残って単身赴任という銀行の不条理を背負った男である。

既に述べたようにドラマ化において登場人物の圧縮は課題の一つである。その結果、前作ドラマにおいて苅田は登場しなかった。(原作でもそんなに出番があるわけではない)それがなぜ新シリーズにおいて出てきたのか。

まずは単純に原作で役割があるからである。法務部である彼は「ロスジェネの逆襲」において株取引に関する解説を半沢達(と、読者)に行うポジションとなっている。

しかし他にも――上記のように「銀行のやり方」に不満を持っている彼に大和田が近づき、甘言を弄して前シリーズの近藤に相当する「裏切り者」の役割を与えられるのではないか……と筆者は思う。半沢がスーパー超人になっていく(原作では花の出番もなくなり、ますますそうである)今後の展開を考えるに「普通のサラリーマン」が共感できるポジションとして前回の近藤を超えるのは難しいかもしれないがその役割を果たしてほしい。

児嶋一哉さんはどこにキャスティングされるのか

今作で三木に東京03の角田さんがキャスティングされたとき、筆者は思考の虚を突かれながらしかし絶賛せざるを得なかった。端的に言えば「わかる~!」である。人力舎の芸人さんのドラマへの相性は異常である。フツーのおっさんの層が厚すぎる。飯塚さんは昼ドラで苦悩する夫の役とかやってほしい。

その最右翼は児嶋一哉さんであろう。実は妻はDVDやネタ本、果ては渡部建さんの書いた小説「エスケープ!」を所持するほどのアンジャッシュファンであり、それ故に最近の落ち込みようは見ていられないのだが、今作に彼がキャスティングされるということでいくらか気持ちを和らげたようである。

児嶋一哉さん。大河ドラマに二度出演。特撮にも出演。なぜかふなっしーとダブル主演など兼業俳優とは思えない錚々たる出演歴を持つ。池井戸潤先生原作のドラマでは「花咲舞が黙ってない」でゲスト出演したこともある。

そんな彼は現在、「出演する」ことは明かされたが、どんな役で出演するかはわかっていない。発表時に香川照之さんは「僕の了解取らないとダメ」と笑いを取ったという。また、児嶋さんは「ちょこっと撮ってます。あんまりまだ言えないけど」とも明かした。

……実はこれがヒントなのでは、と筆者は思うのである。

・香川さんの了解が必要→香川さん=大和田の部下?

・「ちょこっと撮っている」→後半「銀翼のイカロス」での出演?

・まだ言えない→この段階で役名が明かされると困る?

以上から、筆者は児嶋さんは原作での紀本常務の部下・曽根崎として出演するのではないか、と考えているのである。既に書いたように紀本常務は銀翼のイカロスで銀行でのいわば「ラスボス」的存在。そのキャスティングは誰もが気になっているところ。でありながら先に部下から発表されてしまっては前半の「仕掛け」の一つである「原作の紀本常務の役割を大和田が担うようになる」ということがよりもろ分かりになってしまうから伏せているのではないだろうか。(余談だが今回のキャスティングの個人的ベストオブベスト「わかる~」は柄本明さんの箕部役)

あるいは同じくまだ発表されていない総理大臣役かもしれない。大島さんは大変な時だが頑張ってほしい。夫婦で応援している。

さっくり書いてしまうつもりがいつの間にか四千字ほどになってしまった。

やはり半沢直樹は面白い。予想が当たるにしろ、外れるにしろ、引き続き楽しみに視聴したい。

ドラマ「半沢直樹」原作 ロスジェネの逆襲・銀翼のイカロス 合本

スワンソングには早すぎる――IZ*ONEカムバックソング「Secret Story of the Swan(幻想童話)」感想・妄想・考察

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余談

引っ越しもいよいよ佳境となり、明日は今の住居で最後の燃えるごみの日とあってあらゆる不要物を処分場の業火にくべるべく八面六臂の動きを見せなければならないのだが、我々夫婦はと言えば事ここに及んでNijiProjectに夢中である。

やっぱりオーディション系はそれぞれのキャラクターがわかってくると楽しくなってきて、そしてそれだけに別れの辛さがひとしおである。シーズン1を完走した直後、Huluが情け容赦なくシーズン2を流し始めたが、わずかな間にもともと素晴らしい原石たちがひときわ輝きだすのには驚かされる。最終回の配信までに追いつくのは難しそうだが、しばし翻弄されたいと思う。

本題

さて6月も半ばを過ぎて、どころか最終コーナーに突入してしまったがPRODUCE48が2周年を迎えたり、コ・ユジンさんが芸能界を引退されたり、そしてIZ*ONE(以下文中アイズワン)がカムバックを果たしたりと筆者の狭い韓国芸能アンテナからしても盛りだくさんの月であった。

それぞれ語りたいことはたくさんあるのだけれど、早リリースから1週間が過ぎてしまったアイズワンカムバックソング「Secret Story of the Swan(幻想童話)」についていつものように好き勝手話散らかしたいと思うのでご容赦願いたい。3Mを避け、3Sを摂取するのが新しい生活様式のポイントである。

 「あなた」をいつも中心に据え続けてくれるアイズワン

6月15日。今回のアイズワンのカムバック日。

プロデュース先が変わってからの初のカムバックの「ちら見せ」のたび、POP路線か、ガールクラッシュか、と思わせていつもの「エレガント」ももちろん楽勝ですけど? と言わんばかりに見せつけてくれる様子は不安を払拭してくれたようで痛快だった。

そして2年前のこの日は、PRODUCE48の放送開始日でもあった。

このたびのカムバックがどうにも急ぎ足にも見える点が目立ったのは、もちろんコロナ禍の諸々もあったのだろうけれども、ここに照準を合わせるためにバタバタした、というのもあったのではないだろうかと思う。

ではここでMVを見てみよう。

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て…尊(てぇて)ぇ~~~~………。

10年に一度の名曲「La Vie en Rose」。

100年に一度の神曲「Violeta」。

カムバックに至るまでの経緯も含めもはや千古不易の詩となった「FIESTA」。

これらの後に続く曲を提供してくれと言われたら筆者であればその日のうちに高飛びするが、しかし「Secret Story of the Swan(幻想童話)」もまたそのように上がりまくったハードルの中にあってなお筆者を強く感動させてくれる作品であった。

それは良質かつタイトル曲としては新鮮なテイストの楽曲だからというだけでなく、今もなおアイズワンは「あなた」―国民プロデューサー、そしてWIZONE(ウィズワン)をその物語の中心、コアに据えてくれていることがわかるからである。


[ENG sub] PRODUCE48 [최초공개] 프로듀스48_내꺼야(PICK ME) Performance 180615 EP.0

彼女たちが「96名の練習生」として我々の前に現れた時の楽曲、「ネッコヤ」は次の1節から始まる。

I promise I promise I promise……

彼女たちは我々の元へ、約束をしにやってきた。どんな?

ネッコヤの歌詞はこう続く。

2人の果てないストーリー

見せるよ 君のために

翻って最新作では彼女たちはなんと歌っているだろうか。

来てみて あなたも童話の中
Oh 2人だけの
秘密をつくるの

ネッコヤセンター・宮脇咲良さんはそのように歌う。

この時、大きな柱時計の振り子のようなものを避けながら宮脇さんはこちらに向かってくるが、この振り子は彼女たちへの誹謗中傷の比喩ではないかと思う。ある記事によれば、彼女たちに寄せられた誹謗中傷は13GBに及ぶという。どのような保存形式での容量かはわからないが、筆者の手元にある青空文庫に収録されている夏目漱石の作品を全て納めた電子書籍のデータは8MB程度であるからその向けられた悪意がいかに膨大であるかがわかるだろう。

また、大サビではメインボーカルのチョ・ユリさんが

ここに広がる Paradise
2人だけの新しい世界へ
この瞬間 永遠に続くの

と高らかに歌い上げ、「ネッコヤ」で交わされた約束が最新作においても確かに生き続けていることがわかる。

また、個人的には「ネッコヤ」の中でも特に泣きたくなるほど切実なフレーズ

幸せならこの手を握って
離さないで cuz you`re my star
私は君のためのヒロイン
I want you pick me up

 についても、

あなたの手で始まるのよ Fairy tale

とさらにワンフレーズに圧縮させながら呼応させることに成功している。自らの手で「推し」をクリックし切々と投票していたことを思い出させるキラーフレーズだ。

けれど今、この「2人のストーリー」は決して手放しに歓迎されていないことも最新曲では示唆されている。

セクシーキュートの代名詞、チェ・イェナさんが伝家の宝刀小首傾げを炸裂させながら言葉を繰り出す。

誰に何と言われても
君と同じ夢見たい

これは喰らった。既に楽曲が完成、カムバック直前という段階であった時に塩漬けに追い込まれた「FIESTA」は奇跡のカムバックを果たした時にその歌詞の内容がまるで預言のようにシンクロしたことがまた筆者を感動させた。

他方、今回の楽曲は騒動後に収録されたものであろう。つまりオーディション番組という存在そのものの根幹を揺るがしたあの不正騒動を経てなお、彼女たちはこの歌詞を我々に届けてくれた。

前述したように彼女たちが受けたバッシング、誹謗中傷は言語に絶する。これは筆者もこのブログで何度も記してきたことであるが、不正は絶対に許されないことである。しかし現在のアイズワンメンバーを含む当時の練習生諸賢がデビューに向けて取り組む姿勢は嘘偽りない切磋琢磨であり、そこに唾棄すべき「大人の事情」が入り込む余地がなかったことはリアルタイムで見ていた人間として確信があった。だからこそ目先の利益のためにすべての努力を汚い欲望で塗りつぶした「大人」達には本当に失望したし、全ての参加者が心配で仕方がなかった。この件に関してアイズワンは完全に被害者なのである。

あの時の推しに対して「ただ生きてさえくれればいい」と祈り続けた毎日のことを思い出すたびに本当に苦しくなる。

それをすべて飲み込んで、咀嚼して、消化して、彼女たちはそれでもまだ、「同じ夢を見たい」と言ってくれるのである。これが感動でなくて何だろうか。

 いや、あるいはできていないのかもしれない。というかそんな誹謗中傷に対応などせず美味しいものを毎日食べていてほしいが、ともかく彼女たちは「プデュ」を黒歴史にはせず、自分たちのルーツとして今も揺ぎ無くある、それを「夢」と表現してくれている、というのを感じられたような気がして大変うれしく思った。

今なおPRODUCEシリーズすべてが配信停止されているという事実の前ではその夢は幻想の童話かもしれないけれど、101回困難が現れても101回克服して、アイズワンは、ウィズワンは永遠に向かうのである。

輝くあなたの
光に続いて
主人公のように童話の中 Fly away
夢見てきた全てが
手に届くその日まで
あなたのために
優雅に

ガールズグループのアルバム歴代売り上げを12フィニッシュしても、女神の美しさトキシンのパフォーマンス力を併せ持ってもなお、彼女たちは「あなたのために」と言い続けてくれるのだ。こんな推し甲斐のあるグループが他にあるだろうか。

「Swan」は歌詞にある通りの優雅さと、水面下でのすさまじい努力を感じさせる素晴らしい表題だと思うが、他方「スワンソング」は亡くなる直前の最高の歌という意味があり、お願いだからその意味は込めていないでくれ、と切実に思う。

蛇足

でもやはり、虹プロを見た後だと「今年は本家PRODUCE101はガールズシーズンだったのかな…みたかったな…」という亡霊が筆者の中に現れるのを否定はできない。

「CUBE! 『ギャップの女王』の事務所だわ」

「プデュにも出てコンセプト評価まで進んだあの人が再挑戦⁉」

「私たちは幼いチームなんですが『La Vie en Rose』はエレガントな曲なので……」(主題歌ピアノver.)

とか、どうしても幻視してしまうのである。

 

 

いっど薩摩におじゃったもんせ――仙巌園プライベートツアー「華族のアフタヌーンティー」体験記

余談

元来、筆者は出不精な人間である。仕事柄、ついぞリモートワークを体験することはなかったが、もし命じられたら喜んで実施する自信がある。どんとこいステイホームである。

しかし一方で、外出が嫌いかと言えばそんなことはない。それは特に妻と連れ添ってから顕著で、2人で何か新たなことに触れ、見識を深めるということがとても楽しい。

一昨年(えっそんな前?)こんな記事を書いた。

 

kimotokanata.hatenablog.com

現在Googleフォトとの連携不具合のせいで写真が全滅してしまっており非常に悲しい。どうにかしてほしい。今回の写真は一回LINEでアルバム作成を妻と共同で行った後、PC版LINEでダウンロード、その後はてなへアップロードという何度手間かわからないことをしておりなかなかのストレスである。

ともあれそれをきっかけに妻は仙巌園とLINEで友達となっており、そこで様々な情報を仕入れていた。恐らく今や筆者より仙巌園に詳しいのではないだろうか。

ある日、妻はその仙厳園が「プライベートツアー」を開催するということを知った。料金は一人当たり2000円。そのうち特に妻が心惹かれたのが「華族アフタヌーンティー」コース。なるほど魅力的だと思った筆者は直ちに賛成し、妻は無事プラチナチケットを獲得して見せたのだった。

それから指折り数えたツアー日がとうとう本日訪れたのである。

 本題

国道10号線を進み、右へウィンカーを出す。後続の車が戸惑っている様子が目に見えるようだ。

なにしろ、仙厳園には「休園」の哀しい2文字が張り出されているのだから。

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これは下車してから撮影したもの

筆者も若干不安になりながら敷地内に入ると、職員さんが「プライベートツアー」参加者であることを確認のうえ、駐車場へ通してくれた。駐車場のゲートは開いたままである。今回のツアー料金には駐車場代(通常300円)も含まれているのだ。

下車すると、むわっと湿った熱気が体にまとわりつく。さすがにマスクがしんどい季節になってきたと思いながら、仙厳園入口へと向かう。特設されたテントで再度参加者確認を行う。

恐縮するほど多くの職員さんに丁寧に応対いただき、「コンセプトが華族とはいえこれはすごい」と農民と漁民のハーフである生粋の平民は恐れおののくばかりである。

入場券(通常時は庭園・御殿・尚古集成館を含む。1500円)はツアー料金に含まれている。合わせて、うちわ、マスク、消毒液もいただく。くどいようだがこれもツアー料金に…って確実にもう2000円をオーバーしているのである。

まさかの園内に入る前に元が取れてしまったプライベートツアー。その仙厳園の「本気度」に我々も全力で答えねばならないと気を引き締めて、我々夫婦はなんと我々2人のためにアテンドしてくれる長身かつマスクをしていてもわかるよかニ才(よかにせ=薩摩の言葉でハンサム)・Hさんに先導され入園するのであった。

世界遺産オリエンテーションセンター:近代日本の夜明けは薩摩から

まず入り口にほど近い真新しい建物、世界遺産オリエンテーションセンターを訪問する。昨年末出来たばかりだというこの建物は、その名の通り2015年に世界文化遺産に認定された当地が認定に至るまでの歴史を写真資料やジオラマも踏まえて解説してくれる施設である。

その前に仙巌園感染症対策についての取組みも説明していただいた。入り口での対応から既に心配はしていなかったが、実際に具体的に説明していただくことでさらに安心感は高まった。この後心置きなく楽しめたのもこの説明のおかげと言って過言ではないだろう。

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ちなみにジオラマは窓からのぞく本物と向きを合わせて作成されているという徹底ぶり

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DASH村でもおなじみ反射炉

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実際には鉄製砲台は実用に適さないことも多かったらしい

反射炉そのものは、韮山、萩(そもそも萩反射炉は未完成)もまたそうであったように必ずしも目覚ましい成果を残したということではなかったが、しかしその取り組みこそは人々に「近代化へ向かおうとする意志」を大きく揺り動かしたに違いなく、その夜明け前の活動が文化的に大いに評価されたのであろう。

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世界遺産認定証。さすがにレプリカであるが実物大。思ったより大きかった。

このセンターでの案内は新入職員さんであるというKさんがしてくださったが、コロナ禍で休園を余儀なくされ、実務がなかなか難しかったであろうことを全く感じさせないわかりやすい解説であった。

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ブラタモリでは特別な許可を得て入れたという穴。

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水も滴らぬいい石垣

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石垣は1日にしてならず

センターを出て反射炉跡の実地検分に向かう。試行錯誤の果て、隙間なくかっちりとした石垣を組み、かつ熱を逃がすところは逃がすところでしっかりと作ってやることで、炉の中を1500度もの高温に保ち、鉄を溶かすことができたのである。

丁度雨が降りやんでいたころで、その雨をしっかり石垣の中にとどめる=水を逃す隙間がないほどの技術力には舌を巻くばかりである。仙厳園の中では累代の石垣(上に行くほど新しい)を見ることができる場所もあるが、明らかにその技術が洗練されていっており、こういったところからも高い文化度を窺い知ることができる。

カートで快適移動:平常開園後も実装してほしい

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Hさんは運転もめちゃくちゃにお上手であった

反射炉跡を見学し終えた我々を迎えたのはカートであった。50000平方メートルというデカすぎてぴんと来ない敷地面積を持つ仙厳園を効率よく回ることが可能となるのである。運転はHさんがしてくださる。ますますお大尽旅行である。

心地よく風を切りながら走行するカート。BGMはHさんの解説である。贅沢が過ぎる。先ほどの石垣や、御成門、鶴灯篭、猫神社、筆塚、六地蔵など自力で歩いては特にこの季節は一苦労の点在する名所をスムーズに回っていただいた。

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正門withカートは非常に貴重な画

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「おじさまと猫」との可愛いコラボ絵馬があった。

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そのうちキーボード塚も建立されるかもしれない。

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敵も味方も等しく供養するというのが島津繁栄の秘密かもしれない。

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仙厳園紙袋にも採用されたユニークな灯篭。

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殿以外は通ることも許されなかった特別な門である。


天気は曇り空ではあったが、桜島を築山、錦江湾を池に借景するという気宇壮大な庭園の美しさは揺らぐことがなかった。

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電線がなく、海岸線もより近かった昔はより絶景であったことだろう。

その後薩摩焼、薩摩切子についても解説していただくのだが、これは後述する。その2つに酔いしれた後我々を待っていたのは島津家の「武」の部分の体験であった。

四半的体験:手軽でハマる弓術体験

四半的は宮崎は的までの距離が四間半(約8.2m)、矢の長さが四尺半(約1.36m)、的の大きさが四寸半(約13.6cm)と「四半」が多いことからそう呼ばれる弓術であり、宮崎県の飫肥地方で特に親しまれている。

というのもこのルーツは島津忠親(島津義弘の義父)が伊東義祐(伊東家の最盛期を築いた日向の戦国大名伊東マンショの祖父)と飫肥城を巡る争いにおいて、島津の援軍に対して伊東側の農民が半弓でもって立ち向かい、伊東軍の勝利に貢献。その功績により農民たちが弓で遊ぶことを許したことである、と言われているからである。

つまり島津側としては苦い思い出に直結する遊技でもあるのだが、島津家の家老・上井覚兼(耳川の戦いに参戦、日向一国を実質任された。のち島津家久(いわゆるパパ久の方)と共に豊臣秀長軍と交戦、降伏して伊集院へ配置換え)の日記にも登場することから、島津が日向を支配するようになってからも特に弾圧などはなく、のびのび遊ばれていたようである。島津家に仕えるものたちも行ったかもしれない。

この辺り名より実をとる上井の日向の差配ぶりが伺えるようでおもしろい。

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風が…風が強かったから…

さて陣羽織を拝借して早速の挑戦。弓は引きやすく工夫されており、妻も特に苦労した様子は見られなかった。ギリギリギリ……というよりはぐーっとスムーズに引っ張ることができる感じである。我々は使うことがなかったが、正座が辛い方用に床几も準備されていた。

雨がちらつき始め、風も強くなる。脳裏に様々な狙撃手キャラクターを思い浮かべながら狙い打とうとするが……。

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異世界転生しても射手に立候補するのはやめようと思った。

結果はご覧のありさまである。的の中心部分にあたることができれば商品もいただけたらしいが、残念ながら夫婦ともにそれは叶わなかった。

しかしそのテンポの良さからなかなかの中毒性があり、仮にプラス1000円でもう1回できるとあれば筆者はホイホイやってしまった可能性が高い。

腹は減っては戦はできぬ。その対偶(ちがう)として戦(というほどではないが)をしたので腹が減ったを体感として思い知った我々は、一路昼食へ参じるのであった。

桜華亭:五感が喜ぶ至高の料理

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白地に「丸に十の字」のシンプルな暖簾が美しい

昼食会場は桜華亭であった。その膳の美しさに夫婦で絶句する。

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完全に天下人の料理である。

盛り付けそのものもさることながら、効果的に配置された薩摩切子はまさしく用の美、箸に手を付ける前から既に満腹ゲージの上昇を感じる始末である。もちろんいざ実食となると期待通りどころか完全に上回った。新鮮な造里はわずかに醤油をつけるだけでも口の中に海の幸の香りと味がふんだんに広がり、特に鯛は今まで食べた中で一番おいしかったかもしれない。むっちり感が素晴らしかった。イカのサクサク感も対照的で最高だ。煮物もまた鯛のかわぎしのうまさ、茄子のじんわりとしみこむうまみがたまらない。ローストビーフもまた筆者のような人間にはうれしい存在だ。初めはご飯がお代わり出来たらな……と不遜なことを考えていた筆者であるが、しっかりと満腹にさせてくれる凝縮された膳であった。この膳単品で2000円どころか5000円でもおかしくない。

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「勝者」の景色である。

また、秋篠宮殿下も食事をされたという貴賓室からの景色はまさしく「薩摩を獲った」という気持ちに浸らせてくれる絶景であった。平時はこの景色を1人当たり5500円で食事付きで堪能できるというのは大盤振る舞いではなかろうか。

薩摩切子・近代薩摩焼島津斉彬公がブランディングした2つの美

さて膳の中で薩摩切子が出てきたが、実はこれより前に仙厳園ブランドショップに案内していただいていた。

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真ん中くらいの段階でもうすごい

藩、ひいては国の近代化を急務と考えた島津斉彬。とはいえ近代化のためには大きな課題があった。

資金である。

既に国内は調所広郷が実質商人たちから踏み倒した後であり火の車、必要な資金の単位からしても海外との交易が必要であった。(そんなこと幕末にやって大丈夫なのか? なんて常識的なことをスイカ売り決死隊なんてことをする薩摩相手に言ってはいけない)そのためのカードとして斉彬が着目したのが薩摩切子と薩摩焼である。

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これは復元品だが同様のものが江戸時代にもあったというから職人さんはスゴイ。

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ぜひ実際に訪れてこの光の美に酔いしれてほしい。

斉彬が中国・ヨーロッパ・日本の特長を取り入れた幕末の奇跡のカットガラスである薩摩切子は斉彬の急逝と共に時代のあだ花となりかけたが、35年前に島津家と職人たちの熱意により復活。2色のガラスを用いるなどさらに洗練を重ね、現在に続いている。

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妖しくも美しい艶めいた煌めきがなんともいえない。

 他方、近代薩摩焼は斉彬が島津義弘の時代から連綿と続いていた薩摩焼をより外国向けへと昇華させたもので、実際にパリ万博に出展、高い評価を得た。のちニコライ二世にも薩摩焼を贈り、玄関に大事に飾られていたというから斉彬の目の付け所は正しかったというべきだろう。こちらも現在に至るまで鹿児島一級の品として愛好されている。

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上下にはめ込まれているのは薩摩焼

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お値段270万円。お手軽にスタッフにお尋ねくださいということだがちょっと深呼吸が必要である。

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ニコライ二世に贈られたものの復元。割れやすい薩摩焼でこの大きさのものを作成するのは大変なことであるという。

そんな薩摩の美のうち、薩摩切子のかけらを利用したアクセサリー作りが体験できるという。アクセサリー作りのために向かったのは御殿。文字通り、島津の殿様が過ごしていた場所である。

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島津行燈に導かれ目的の場所を目指す。

事前の感じではティアドロップ型とサークル型どちらかを選ぶのかと思っていたが、なんとどちらも作成可能であるという。またしても太っ腹ぶりに島津家への忠誠心が更に高まるのを感じる。

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紙おしぼりさえ荘厳な趣がある

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色とりどりのかけらはそれだけで幸福感を与えてくれる。

かけらはひとつして同じものはなく、それだけに難しく、また面白い。もとのかけらが美しいのでどう転んでも大惨事ということはなく、また2つ作成できるということもあり気楽に安心してつくることができた。

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かけらの取捨選択中に見つけた隠れミッ〇ー

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ズレすらも愛おしくなるのがハンドメイドの良いところである。

筆者は赤で島津十文字を作り、その隙間をそれぞれの色で埋める、という考えで進めていったが完成したものは多少齟齬が見られるようだ。しかしそれが気にもならないほど楽しい時間を過ごさせてもらった。隙間をうまく埋めるかけらを探すということで、知育にもいいかもしれない。

平民、アフタヌーンティーに臨む:優雅でスイートなひととき

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ブラタモリタモリさんが見た角度から庭園を望む

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西郷どん」で実際に着用された衣装。小道具も随所にあった。

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「かたまり」で認識しがちな紫陽花が個を強調されているのがおもしろい。

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菖蒲の花が季節を感じさせる。アメンボも元気。

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前述の写真にあった八角形は凹み、こちらは盛り上がっている。これは風水的な意味があるらしい。

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この手水鉢も薩摩焼。台風が接近した時は真っ先にこれをガチガチに守るらしい。

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これは殿様の部屋から見ると亀に見える「亀石」。「鶴灯篭」と対になっている。

御殿を巡り、往時の薩摩と島津家に思いをはせていると、いよいよメインイベント「華族アフタヌーンティー」会場「謁見の間」に辿り着く。

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これは前回訪問時の謁見の間。「西郷どん」撮影時の様子が再現されている。立入不可であった。

職員さんによるアフタヌーンティーやイギリスと仙厳園との関係の講話をしていただいたのち、イギリスのご出身で鹿児島在住歴15年、スマートな英国紳士然としたルックスでありながら示現流の師範代という「2次元の方からいらっしゃいましたか?」という仙厳園海外営業部のAさんのイギリス式アフタヌーンティーのマナーレクチャーの後、アフタヌーンティーが穏やかに始まった。

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五代友厚のレシピをもとに作られたという「武士の紅茶」渋い色に反して飲みやすい。

鹿児島県民は意外とお茶を飲まず、(全国2位の生産量なのに……)コーヒーの需要が高い土地柄であるらしい。筆者も日本茶はともかく紅茶を家で淹れるということは殆どないが、それだけにこの紅茶の美味しさには驚かされた。またまた太っ腹なことにお土産に1缶(1包ではない!)つけてくださったのでゆっくり味わいたいと思う。

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実は人生初スコーンであった。

サンドイッチはハムときゅうりというシンプルなもの。なのに恐ろしいほどおいしく、例えば1斤あったら普通に平らげていた可能性が高い。スコーンも単品でも絶品であるのにクロテッドクリームを添えるとまさにハーモニー、金成陽三郎に対するさとうふみやと言ったところであった。

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イギリスを象徴する花・バラが池坊流で活けられていた。

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追加料金を払うから全部食べさせて欲しかった。

ケーキは妻はガトーショコラ、筆者はオペラを選択した。濃厚なのにしつこくないという不思議なおいしさで、2杯目の「姫ふうき」と味をお互いに引き立てあう形となった。

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普段はなかなか見ることのできない杉絵。

満腹感と満足感を得て我々は御殿を後にするのだった……。

終わりに:次の来園者のために、次の次の来園者のために。

その後は今回のツアーについてのアンケートを受け、ざっくばらんにHさんと意見を交わす時間を設けて頂いた。

全体的に素晴らしく、完全に仙巌園サイドからすれば大赤字であろうこのツアー。せめてここで少しでも有用な意見を出そうと夫婦ともどもエキサイトしてしまったきらいがあるが、Hさんはうまく意見を整理してくださり多少なりともブレインストーミングの様相を呈すことができたのではないかと思われる。

・「華族アフタヌーンティー」というコンセプトの中では「四半的」は不適当ではなかったか(四半的そのものはとても楽しかった)

サブカル的なコラボ(薩摩切子のかけらで推しのイメージカラーのアクセサリーを作ろう! とか)のグッズは受けるのではないか

その他こまごましたことなど話させていただき、最後にお土産を頂き丁度良い雨の切れ間を縫って仙巌園を後にするのだった。

本当に贅沢なツアーで、この御恩を返すために年内にあと3回は奉公という名の来園をしたいものである。というか季節ごとに訪れる口実が出来て大変ありがたいというのが本音である。

大企業でありながら、貪欲なほどに意見を吸い上げようという姿勢は断じて胡坐をかいた殿様商売ではなく真摯で誠実な筆者のような雑兵の心を打つものであった。今回筆者が参加したこと、またこの記事が誰かの来園につながれば筆者にとってこれほど嬉しいことはない。

まっちぃと待っせぇめ、いっど薩摩におじゃったもんせ。

(もう少し待ってから、一度薩摩にどうぞお越しくださいませ。)

アラサー男ツイステにはまる―ツイステッド・ワンダーランド4章「熱砂の策謀家」妄想・感想・考察

※ツイステッド・ワンダーランド全般(原作作品含む)のネタバレがあります

余談

気が付けば前回更新から十日近くが過ぎており、おうち時間の盛り上がりの中でありがたいことに過去記事を読んでくださる方が増えたのか、安定してアクセスが高い傾向にある。

本当は毎日更新したいくらい書きたいことがたくさんあるのだが、未だコロナ対策に追われ(どんなものであっても「やったか!?」となったときが一番危ないというのが世の常であるから居間こそ最も神経を注がねばなるまい)帰宅即メシ、フロ、ネルというあまりよろしくない日々を送っている。妻とあつ森がなければ即死だった。

そしてもう一つ。

実は前回の記事更新の後、筆者は「ディズニーデラックス」に加入した。

dd.deluxe.disney.co.jp

その直後にディズニープラスが日本上陸ということでこの間の悪さ、まさしく筆者といったところだがともあれそこから先ほどのメシフロネルの間に夫婦でディズニー作品をずいぶんと見た。

何故か。

またまたどちらかというと女性向けのジャンルにはまってしまったのである。

時間は有限、気を付けていたのにまたしても沼が。こうなると最近の沼はホーミング性能が付いたと思わざるを得ない。

刀剣乱舞、ヒプマイ、そして今度はツイステッドワンダーランド――「ツイステ」に筆者ははまってしまったのだった。

というか妻が我田引水ならぬ我沼引筆者したと言って相違ない。

刀剣乱舞においては筆者が先に浅瀬でばちゃばちゃやっていたところを後から来た妻がより深いところで楽しんでいるから追いかけてみたらまんまと沈み。

ヒプノシスマイクでは東京に信じて送り出した妻がドはまりして帰ってきたので正気に戻そうと追いかけたら見事ミイラ取りがミイラになり。

そして今回は、筆者が漫然と日々を送っていたところに妻が「オラッ 沼だぞっ」と浴びせかけてきたような形である。

「ツイステはいいぞ…いい…」

そう妻が少し前から呟き始めていたのは筆者も感じていた。ただその時筆者は「ツイステ」は例えば「刀ステ」や「ヒプステ」のように「作品名+ステ(舞台)」の略称だと思っており、おうち時間ということもあって「ツイッターで舞台を楽しむとかなんかそういうことなのだろうか? ともあれ楽しそうなのでよいことである」と太平楽に構えていた。

その少し前、まだ三密を全く気にもしていなかった外出、アニメイトにて店頭POPを見て夫婦して「ディズニーのヴィランをイケメンに……? 『戦が始まる』じゃん……好きな人たちは大変だな……」などと思ったりもしていた。

我々夫婦と言えばごく平均的にはディズニーを摂取してはいたものの、入れ込んでいる、という形ではなく、その派生に対してもそこまで食指が動かなかったのである。

げに恐ろしきはサブリミナル布教で、妻はそのSNSにおいてフォロワー諸賢が一人また一人とその沼に沈んでいくのを観測していた。今までそういった「属性」がなかった人がそのキャラクターにはまっている……妻もまたオタクの荒波を二十年近くにわたって泳ぎ続けてきた女……本能的にわかってしまったのだろう。

「そういった場合は反動ですごくそのキャラクターにハマってしまう」

「そしてそれほどキャラクターに気持ちを動かさせるコンテンツというのは『本物』だ」

と。

そしていつの間にか、「推しの条件の一つは視力がいいこと」だったはずの妻はアズール君を庇護する存在となっていたのであった。とはいえ今のところの最推しはフロイドであるらしい。妻は言う。

「古の人は言った……。『信彦を信じろ。信彦の信は信じるの信』だと。それは真である。例えばあの覇きゅ(筆者の脳が自らの保護のために記憶をシャットダウンしたのでこれ以上のことはわからない)であってもジョジョ5部であっても刀剣乱舞であってもそうだった」

古の人は多分平成生まれっぽかったが、しかしその言葉は信じるに値すると考えた筆者はSTAYHOMEの流れに沿ってツイステッド・ワンダーランドへ足を踏み入れることとなったのだった。家にいろや。

その前に妻のプレイしている様子を横目で見ているので、「なんかハリーポタ夫(著作権の関係で筆者が提示できるぎりぎりの表現)みたいな世界観だなあ」と思ってはいたが、いざ自分で始めて見ると寮を選んだり箒を扱うスポーツがあったりして筆者の中の杉下右京さんが「おやおや」と興味を示し始めたが、深く気にしてはいけないのだろう。「式典服」のシックな感じに早くも筆者は「ほう……いただきましょう」といった姿勢になってもいた。

選んだのは、ジャミル君であった。モチーフがわかりやすく、野心がありそうなところがいい。声もいい意味で冷めていてよい。その後のガチャのSSRはエース君であった。その後、戯れにピックアップを引くとアズール君のSSRを引き当て、妻の怨念を背中に受けながら、ちょうどオクタヴィネル寮の強化キャンペーンであったので(スカラビア寮でもやってほしい)ひたすら授業を受けさせ続け、アズール君をグルーヴィー化にまでこぎつけた。

人並みにソシャゲはやってきたが、ツイステはとにかくよく動き、喋る。しかも所作がそれぞれ違って細かい。まだストーリーを参照せぬうちから、なんとなく各人のキャラクターが想像できてしまう。

プロローグの肉厚ぶりにもたれてしまった筆者は、並行して慶長の熊本でおっかなびっくり暗いところを歩いたりしながら、漫然と授業を受け続けていた。オート機能、とても楽。しかし妻の「3章を読んだほうがいい、早く」という助言に従い、意を決して本編を読み進めることにした。妻は先が気になりすぎて石を砕きまくったということだが、事前にしつこいくらい授業を受けていたおかげもあってランク上げを途中で要求されることもなく読み進めることができた。

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著作権の関係で我々が用意できる限界のツイステでの岡本信彦氏(十年位前の宮島水族館にて筆者撮影)

なるほど妻が文字通りタコツボめいてハマるのも納得できるというものであった。そして筆者もまた、その世界に魅了され、そうなってくるとしっかり表玄関から入りなおそうということでずいぶんと迂回してしまったが最初に戻り、ディズニーデラックスに加入しようということになったわけである。時刻は深夜3時であった。

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ディズニーデラックスのユニーク魔法「始まりの黒鼠(ミッキーマウスマーチ)」によってホーム画面がかわゆく変貌し、戸惑うセックス・ピストルズ

ツイステ全般にかかる考察・妄想

そうしてモチーフになっているであろう作品をあるいは改めて見直し、あるいは初めて見た。さすがにディズニー、上質な作品の数々は筆者と妻を家にいながらにして幸福な時間を過ごさせてくれるのだった。

今回モチーフ作品を見直してみて、その展開と章のメイン、すなわち寮のストーリーの実装の順番に符号を見出したので記しておく。

簡単にいってしまえば、モチーフのヴィランが悪逆(理不尽)であるほどストーリーの実装が早い、というものである。

ハーツラビュル寮のモチーフ「ハートの女王」は何かと首を刎ねたがる(実際刎ねているのだろう)暴君。

サバナクロー寮のモチーフ「スカー」は実の兄を殺し、甥を追い立てた。

オクタヴィネル寮の「アースラ」は詐欺めいた契約で姪と弟を掌握し、過失とはいえ部下を殺めた。

スカラビア寮の「ジャファー」は王女の想い人を殺そうとし、謀反を企てた。

ポムフィオーレ寮の「ウィックド・クィーン」は白雪姫を永遠の眠りにつけようとし、小人たちを岩で潰そうとした。

イグニハイド寮の「ハデス」はパワハラめいた環境の改革を目指した。

ディアソムニア寮の「マレフィセント」はお祝いの席に呼んでもらえなかった。(さすがに「マレフィセント」での改変はやりすぎだと思います。好きだけど。)

どうだろうか。下に行くほど「いやヴィランがかえって気の毒だな」という風に思えないだろうか。特に後半3名は、主人公がいなければそもそもヴィランになっていなかった可能性さえあるのである。

ツイステのキャッチフレーズは「本当のハッピーエンドを見せてやる」である。なるほど「不思議の国のアリス」でだれにも制御不能だったハートの女王=リドル君は寛容さを持つようになった。「ライオンキング」で狡猾なるカインであったスカー=レオナ様は家族や仲間との共存共栄を得た。「リトルマーメイド」で無慈悲な契約にこだわったアースラ=アズール君は契約よりも大切な関係を再確認した。

いわば「直しどころ」が、どこをフォローするべきかがはっきりしていれば、ハッピーエンドに導くのはたやすい。しかし後ろの寮になるにつれ、事が起こった状態で挽回することはいわゆる「主人公ポジ」からでは困難なように思えてしまう。その難易度も含めて寮のストーリーが配置されているのでは、と筆者は考えてしまうのである。



本題

余談が、ながくなった。

いや、今回本当にだらだら書きすぎて、本来前編配信前に更新しておくつもりだったのが気付けばこんなタイミングなのである。あんな展開もこんな展開も予想していたのに、自分の遅筆が憎いばかりである。

気を取り直して後編の予想をしていきたい。

と、ここまでを先週書いていて、今までアップデートと言えば刀剣乱舞くらいだった筆者は火曜日アップデートだと勝手に思っていたので本日、ばっちり後編が更新されてもう完全に出遅れも出遅れ、お前はいつもそうだ、誰もお前を愛さないといった感じであるが、せっかくなので感想なり妄想なり考察なりを事前の筆者の予想の検証も行いつつ、垂れ流していこうと思う。

筆者の事前の予想(妄想)

今までのパターンで行くと章ボス=イコール章タイトルに当てはまる人物であった。そしてそれはまた、寮長でもあった。つまり、「熱砂の策謀家」はあからさまにジャミルっぽいが実はカリムで、ジャミルが自分を陥れようとするところまでを計算に入れ、ジャミルの野心を打ち砕こうとしていたのである!

とはいえカリムはジャミルが憎い訳ではなく、むしろ対等な友人関係を結びたいと願っていた。ホリデーの居残り合宿を思いついたのはカリム自身で、それは実家に帰ると否応なしに自分とジャミル、それぞれの両親の主従関係を嫌でも見せられてしまうからだったのだ……。 

しかし思いのほか自分を憎んでいたジャミルの本性を目の当たりにしたことや、魚類の余計な茶々によって思惑は中途半端に頓挫。焦ったカリムは自分でも無意識のうちに、「オアシス・メイカー」の真の能力を発動してしまう。そう、「オアシス・メイカー」の真の能力は「元素を操る」能力。空気中の水分から雨を生み出すのはその力の一端に過ぎなかったのだ。カリムが触れたものが次々に黄金に変わる。それはまるで「ミダスの手」のように……。寮も、寮生も、スカラビアの時空のすべてが黄金に染まろうとする中、カリムはオーバーブロットする。その姿は古の「盗賊王」の姿……カリムの家は元は盗掘から財を成した一族であったのである。

辛くも監督生たちによって暴走を鎮められたカリム。その目に映るのはジャミル。そして暴走が鎮まったことで元に戻った、黄金に変えてしまった寮生たち。まぶしすぎる太陽が自ら生み出していた暗い昏い陰を知った彼らは新生スカラビアとして一致団結を誓うのだった……。

目を開けた彼らが驚いたのはカリムが無事だったからだけではない。その目の色はオアシスのような水色に変わっていたのである。実はカリムの赤目はジャミルが長年かけていた催眠によるもの。その呪縛からもカリムはようやく解き放たれたのである。SSRカリムのグルーヴィーが目を閉じている絵なのはこの伏線だったというのだから驚きである。

大団円……と思いきや、火の精霊をすっかり忘れていた練習生。息も絶え絶えな火の精霊に大いに慌てるが、今回の恩を返したいとやってきたカリムの「オアシスメイカー」により、空気中の酸素を多く取り込んだ火の精霊は普段以上に強力になり、帰ってきた学園長によってスカラビア寮長・カリムはまさに熱砂の国の誇るべき魔法士であると賞賛を受けるのだった……。

熱砂の策謀家・完。

実際に「熱砂の策謀家」を通し読みしての感想(と検証)

まあ全ッ然違ったので下手な予想を上げて恥をかかなくて良かったなとは思う。(結局こうして記事にしているから意味はないのだが)

さて熱砂の策謀家、全41話というボリュームを全く感じさせず、分割配信のたびに怒涛の勢いで読み進め、後編も配信されるや否や読み進め、ボスは最終的にフレンドの方のレオナ様をお借りすることで何とか突破したのだった。ダブル風属性…すちだ……いつも草属性と間違えてごめん…初代ポケモン世代だから……。

通し読みしての率直な感想は、今回も間違いなく面白かったのであるが、過去3章と比べると、特に後半に行くにつれて怒涛の展開に押し流されつつもしかし、ところどころ雑というか駆け足のところが見受けられたように思え、残念だった。スカラビア寮が特に「推し」であるからそのように思ったのかもしれない。「アラジン」もとても好きなディズニー作品だ。(イアーゴモチーフの寮生が実装されてほしい。前の寮長だったりして)

前述したが、「ツイステッド・ワンダーランド」のキャッチコピーは「本当のハッピーエンドを見せてやる」であり、過去3章はそういった気概を感じられるものであった。そこを踏まえると、本章はちょっと物足りなさを感じてしまった。

今までの流れから考えると、「アラジン」で傲慢で独善的な奸臣であるジャファー=ジャミル君はその主に尊敬すべき点を見出し、ともに国を盛り立てる展開となると思っていたのだが、そうはならなかった。もちろん、君臣の関係を超え、本当の肚の底をぶちまけられるようになったジャミル君が以前より前進したのは間違いない、とは思うのだが……。

そう、ジャミル君は、と今筆者は言った。この展開で一番救われていないは誰あろう、カリム君ではないかと筆者は思うのである。

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

 

平成31年東京大学学部入学式 祝辞より引用

平成31年度東京大学学部入学式 祝辞 | 東京大学

4章を最後まで読み通してこの言葉が脳裏をよぎった。この祝辞を述べられた上野千鶴子先生自身について言及することは脱線となるので避けるが、しかしこれほど端的にカリム君とジャミル君の立場をまざまざと見せつけるものもないのではなかろうか。

結局のところ本編で、カリム君は「幸福な環境に生まれ育ったものはその環境を自覚することが難しい」という点では消化不良のまま終わっているように思う。なんなら、実際にジャミル寮長がちやほやされ、それを見せつけられて初めは喜んでいたが最終的に嫉妬からオーバーブロットする……からのこれも今回のストーリーではあまり語られていない「勝ち組」であるからこその苦悩がぶちまけられる……という過程を経て、2人は平行線で決して交わることはないが、しかしいつも隣にあるということをお互い理解する……というエンディングを筆者としては期待していたのである。

そこまでいかなくとも、例えばカリムの家の振舞い、自らとの境遇の違いをますます感じさせる一件となったと思われる学園長の「寄付金」の話が、実は本来入学資格のないジャミルを従者としてではなく息子・カリムの一人の友人として学園にねじ込むためのものだったのだ――的な秘密があったらまだ救われたのではないかと思うのだが。ていうか今の段階だと学園長がただのクズだけど大丈夫なんだろうか。

そうそう、「章ボスは毎回寮長だから今回もボスはカリム! 『熱砂の策謀家』というタイトルがミスリード」と予想していて見事に外れたのだが、しかし原作に沿って現寮長を追い出し、新寮長の座に居座ることで「章ボスは毎回寮長」のパターンを変化球で守ってくる脚本には唸らされた。初めの対決が後編の割と初めの方だったので、本章はジャミル&カリムのボス連戦なのかと思ったが特にそんなことはなかったのである。ジャミル君のオーバーブロット時の姿はジャファーの大蛇&魔神に変貌した時がモチーフなのだろうが、その手には原作で敗北の原因となった「従」の証である腕輪がはまっているのが切ない。思えばカリム&ジャミルはスルタン(国王)とジャファーだけでなく、アラジンとジーニーという対比もあることに気付かされる。(もっと言えば、カリムのモチーフには「ダイヤの原石ではない男」カジームや「盗賊王」カシムも含まれているのではないかと筆者は思うのだが)

オアシス・メイカーが普通にそのままの能力だった……がまさに適材適所という活用方法でよかったと思う。しかし「ジャミルはすごい魔法士」というのが強調されているが、あれだけのことを出来るユニーク魔法、カリム君も相当な使い手だとやはり思うのだが。

ジャミル君のユニーク魔法は反則と言ってもいい能力だが、しかしジェイド君の制約の多さに比べてずいぶんフランクに使えるのだな、とも思う。劇中で語られていないだけでしばらくお腹が緩くなったりする副作用でもあるのかもしれない。パターンとして、次章ではスカラビア勢が監督生をサポートする(カリム君の毒に強い設定が毒リンゴを前に活きるはずである)展開となると考えると、何らかの危機に陥った一行、グリムがジャミル君にユニーク魔法を使えと促すが、そこで何らかの条件があるのでこの場では使えない、とその制約の理由が明かされるのかもしれない。鬼が滅んでも連載が再開しない漫画、ハンターハンターを愛読した人間としてはやはりこれだけの能力にはそれなりの制約があってほしいものだと思う。ユニーク魔法ってハンターハンターの念能力っぽいよね。「枯れない恵み(オアシス・メイカー)」「俺の両手は機関銃(ダブルマシンガン)」「蛇のいざない(スネーク・ウィスパー)」……思いのほか違和感がなかった。

ジャミルの失態について、指定暴力団オクタヴィネルは「全国放送」と言っていたが、その後の寮生やエース、デュース両君のリアクションからしてそれはブラフだったのではないかと思う。または全員がハチャメチャに性格が悪いかである。大体あのインテリヤクザが拡散してはいおしまいですであんな面白いおもちゃ…いや顧客を手放すはずがないのではなかろうか。記録自体は何らかの手段でばっちりしていると思います。巻貝とか使って。ほとんどワンピースである。(空島編)

そしてカリム君の目は真っ赤なままであった。よくよく考えるとハッピービーンズデーは時系列的にこれより後で、その時のカリム君の目はバリバリに赤かったのだから当たり前と言えば当たり前である。今思うと今回を経たからか、ジャミル君のカリム君の扱いが若干ラフだった気がしないでもないハッピービーンズデーである。

火の精霊のやっつけぶりは脚本の人もしかして忘れてた? というくらい雑で逆に心配になってしまったが、スカラビアから戻ってからの火の精霊は実際には確認されていないので、本当は大変なことになっているか、または学園長が監督生を学園へ留めるための口実だったりするのかもしれない、と不穏な伏線の可能性を懲りずに主張しておく。

以上、八千字を超えてなおいくらでも語ってしまいそうなのでいったんこの辺にしておく。ここまでオタク特有の早口にさせてくれる作品は久しぶりであるので今後も楽しみに更新を待ちたい。