カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

老害ども、おらどけよ/壮大怒濤、聖譚曲(オラトリオ)――ナゴヤVSシンジュクドラパ「和衷共同」&「錆びつけば進めず、臆すれば誇りを失う。故に我々は己に否を焼べ、火を灯し続ける」及びバトル曲「Light & Shadow」完全ネタバレ感想・考察・妄想

全編ネタバレですので視聴後に読まれることを強くお勧めいたします。

 

 

 

 

kimotokanata.hatenablog.com

 気が付けばあの「宗教戦争」から一月以上が経ってしまっていた。投票締め切り日までには間に合わせたかったが無念である。どころか、シブヤVSヨコハマも着弾してしまったのでなんとか今日のうちに感想を書き残しておきたい。

ゴヤドラパ「和衷共同」

和衷協同。心を同じくして共に力を合わせ、仕事や作業に当たること。▽「和衷」は心の底からなごみ和らぐこと。また、心を同じくすること。「衷」は中心・心の意。「協同」は力を合わせて物事を行うこと。(三省堂 新明解四字熟語辞典より)

「what do you do?」をもじっているのかなと思ったら普通に存在する熟語だった。浅学を恥じる次第である。

毎回ドラパを聴いて思うのは「ヒプマイのモブって本当にクズばっかりだな……」ということである。そいつらを三者三様のやり方でねじ伏せてスカッとNAGOYAだったわけだが、元メンバーの家族は何とかなったのだろうか……とかその辺りのフォローがおろそかだったように思えてしまうが劇中曲はめちゃくちゃ最高でありシングルカットが急がれる。せめて配信だけでも……。エイプリルフールネタで前みたいに時限MVでも構わないので……。

荒法師で破戒僧、波羅夷 空却の怒りはもっともなのだがその理論で行けばなぜホストクラブを荒らしてしまったのか……が気になる。東京に行くと真正ヒプノシスマイクの洗脳が強化されてしまったりするのだろうか。

白黒つける弁護士、天国 獄の過去、神宮寺寂雷の接点がより深く明らかになった。引きずっていたものを「開眼」させた波羅夷。かつての神宮寺と同じことでありながら受け入れることが出来たのはその関係性の違いだろうか。それとも年月か……。であれば、バトルの後、友情が復活するのを願うばかりである。

そして暗がりを照らす月明り、四十物十四は二人から得た不退転の心とホワイトファルコンでもって正々堂々正面玄関から姑息な陰謀を打ち破った。彼の鳴らす音こそが克己心の擬音化に違いない。

己に克った彼らの凱旋は快進撃へとつながるのか。

シンジュクドラパ「錆びつけば進めず、臆すれば誇りを失う。故に我々は己に否を焼べ、火を灯し続ける」

長い…長い……! この長々したタイトルを打っていたら更新が遅れてしまった訳である。(ブログジョーク)筆者も思ったし、同世代の読者諸賢も「BLEACHかな?」と思われたかもしれない。

で、やっぱり制作陣はBLEACHを意識しているのでは、とオタク特有の「文脈」を幻視したので書き留めておく。

思えば今回に関わらず、特に優勝して以来、神宮寺寂雷先生が「世界」について特に言及することが増えてはいないだろうか。もちろん大事なことであるし、彼の精神性から行っても矛盾しないが、このことと、今回のタイトルを重ね合わせると一人の人物、そしてそのセリフが浮かんでくる。

藍染惣右介。BLEACHの主要登場人物にして神宮寺先生と同じくCV.速水奨。彼は劇中でこう述べる。

勝者とは常に世界がどういうものかでは無くどう在るべきかについて語らなければならない

BLEACH 48「GOD IS DEAD」より

この言葉のオマージュなのではないかと。これは予想だが、殺し屋設定がまだ生きているとしたら恐らく彼の当時の異名は「死神」だったんじゃないかと思う。既にどこかで言及されていたらすみません。ついでにこの流れでシン・エヴァも公開されたし(見てない)さらっと言っておくとイケブクロというか山田家は多分エヴァのオマージュなんじゃないかと思っているのだがどうなるんだろうか。

折角なので独断と偏見でシンジュクの三人に合いそうなBLEACHの巻頭言を添えておきます。

神宮寺寂雷には、

罪無きあなたは 太陽のよう
罪深きあなたも 太陽のよう

BLEACH 60「EVERYTHING BUT THE RAIN」より

伊弉冉一二三には、

剣を握らなければ おまえをまもれない
剣を握ったままでは おまえを抱き締められない

BLEACH 5「RIGHTARM OF THE GIANT」より

観音坂独歩には、

失くしたものを
奪い取る
血と肉と骨と
あとひとつ

BLEACH 41「HEART」より

 ちょっと血中BLEACH濃度が高まってしまって脱線甚だしいのでこの辺りにしておくが、しかしドラパが……辛くて……この辺りが「音声のみのドラマ」の真骨頂というか、言わぬが毒花というか、ヒプマイって満を持して開陳された過去が闇の早押しボタンクイズみたいになったりするので想像力がたくましい人ほどダメージを受ける仕組みになっていて、邪答院仄仄という人物の邪悪を浮き彫りにさせて最高に最悪である。絶対に悲しい過去とかない真の邪悪であってほしいと思う。あと以前から思ってたけどラップがめちゃくちゃうまくて好みである。

依然、一二三はどこかしらにひどい火傷を負っているのではないか(恐らく上半身なので「海パンにジャケット」なのではないか)という妄想を書き散らしたことがあるが、

kimotokanata.hatenablog.com

仄という字は灰を思い起こさせ、やっぱ家燃やしたりくらいしてんじゃないかなあと個人的には思う。

しかし、ホストクラブの様子とかを見ていると繰り返しになってしまうけど前回のナゴヤの振る舞いがどれほど冒涜的だったかというのもわかってしまって辛いものがある。

「TOMOSHIBI」や「Light & Shadow」でもフィーチャーされている一二三。というか、今回は互いの二番手が主軸になって展開しているように思う。思えば、四十物十四と伊弉冉一二三は同じ二面性を持つ二番手というポジションにありながら、一二三はほとんど完全体として、十四はその成長過程として我々の前に現れた。これはそのままそれぞれのチームの状態を現わしているようにも思える。

そうしてもう一つ見逃せないのは「俺は独りでも歩けるよ」と歌っていた観音坂独歩の成長であろう。いつの間にか職場にも信頼できる同僚が出来(貴重なまっとうなヒプマイモブ)、ついに宿敵の課長にも一矢報いることが出来た。こちらもバトル曲にも反映されているがその成果は……詳しくはバトルの項に譲る。前にも述べたが、筆者は29歳の時にヒプマイにハマっているのでわがことのような嬉しさがあった。ぽちん、枕をよだれで濡らそうな……。

ゴヤVSシンジュク

さてバトルである。正直なところ、前回のライブの時の記事から印象は大きく変わらないが、ドラマCDを経て生まれた考えや、レコーディングした、運営が「OK」を出した声から感じられることなどを中心にまた妄言を吐いていきたい。

といいつつ、筆者がまず感じたのは麻天狼のバトルスタイルの変化である。前回はVSシブヤであってもVSヨコハマであっても独歩がまずぶちかまし、一二三が手数で押し、寂雷が重厚な一撃を放つという黄金パターンで挑み、そして勝利した。例えれば攻撃力の高さに反比例して守備力が低い狂戦士タイプである独歩とフットワークの軽さの諸刃の刃として打たれ弱さがある武闘家タイプの一二三が最終的には寂雷の回復があるという信頼と安心でもってかち込めるのが彼らの強さであった、と思う。

今回。王者シンジュクは先手、大将である寂雷がまず気鋭のナゴヤの前に立ちはだかる。自らの運命を背負って立つ殉教者めいたそのリリックは始まりにして既にラスボス登場の貫禄に溢れている。

先鋒の戦法としては悪手である。彼のラップアビリティである回復は先攻の一番手であれば何の意味もない。でありながら百戦錬磨の彼がなぜこの戦法をとったか。一つは天国がナゴヤの先鋒に立つことを予想したからであろう。彼のラップの重さを知っていたに違いあるまい。そしてもう一つは一二三と独歩をもはや庇護すべき対象ではなく肩を並べるチームメイトと考えるようになったからであろう。

無論それは単なる気持ちの問題ではなく、続く二人の戦法からも見て取れる。攻撃力はあるが打たれ弱い二人がマイクリレーによって的を分散しつつ攻撃を加える。これであれば寂雷の回復が後であっても十分フォローが出来る形だ。相変わらず一二三は華麗な声でどぎついことをいうし、独歩はVSシブヤを踏まえた「お前が言えごめんなさい」はせせら笑っている「大人の余裕と強さ」が音源では出ていて良かった。(インタビューで葉山さんは「震え声」と言及されていたが、筆者は「こみ上げる笑い」のように感じた)

「趣味程度のイミテーション」は最初韻を踏むことありきのフレーズに見えてしまっていたがドラパを踏まえると「職業ホストとして誇りを持ってシンジュクNo1という虚飾を務めるうちの一二三をなめんなよ」と言いたかったのかと思えてきた。

しかし独歩は前回のVSヨコハマにおいても「ッシャオラアアアアア」かと思ったら「終了おおおおおお」だったし今回も「以上終了」だしで筆者としてはやはり―糸冬了―を思い起こさせ同年代感をマシマシで感じたりするのである。

きっとたっけえバイクに乗ってそうな天国に対して換気をしながらこのご時世でも電車で通勤することさえも強さとふてぶてしさを醸し出してきたのは嬉しい誤算である。

対するナゴヤは過去を克服した天国が置き忘れた決着を付けるために文字通り最初からエンジン全開でぶちかます。全編にわたってバイクをここまで韻に絡めてくるのはさすがケンザさんと感服せざるを得ない。

しかし圧巻は次の空却と十四のセッションであろう。正直なところ、十四のラップはアンサーとしては弱い。実際のラップバトルで言うところの「ネタ」「仕込み」感が漂ってしまう。あのバチバチの社会人二人を見て「社会に削られて見る影もない中年」にはちょっと見えないのである。

 また、空却に対してはそのように造形されているから仕方ないのだがやはり「若さ」が前面に出ていて一二三・独歩と同世代の筆者としては感情移入がしにくい。

しかし、それを差し置いても榊原さんが小節ごとに少しずつ「四十物十四」から「14th Moon」へとスライドさせていくその声優の妙技には鳥肌が立った。それを補い、引き出したのは空却の真言めいたセッション。

若さ。それは弱さ、そして強さ。次の夜から欠ける満月、十五夜よりも十四番目の月、14th Moonこそが最も怪しく煌めく。それは未完成という眩さ、可能性という輝きである。

ここでようやく筆者は無敗の弁護士の高度な戦略に気付く。彼が先陣を引き受けたのはこの覚醒に時間がかかる切り札の時間を稼ぐためだったのだと。不退転の誓いを宣言し「変身」が完了した相棒を見届けた破戒僧は高らかに宣言する。まさしく御開帳である。

――「そこの道を空けな ナゴヤのおでましだ!」

音楽の盛り上がりも相まって降臨という言葉が相応しいその大胆不敵さは畏敬を抱かざるを得ない。

続いてはそれぞれの一騎打ちへとフェーズは移っていく。まずは二番手同士。前述したように、本CDのメインはこの二番手二人だと筆者は思っている。二人のverseは実はほとんど同じことを言っている。乱暴に言えば、つらい過去があり、しかし素晴らしい仲間に恵まれ、そして今眼前の敵に挑むという構図である。

人類の半分がその恐怖の対象となってしまう感覚、健やかに育つ場となるはずの学び舎が陰惨で醜悪な現場となる感覚、どちらも筆者には想像を絶する体験であり、それは数値化して競うものではない。どちらもそれぞれの言葉でサバイブするものたち、サバイブしたものたちへ惜しみないエールを送っている。

しかしここでも、スタイルウォーズである。一二三はその恐怖の対象との共助を模索し、かつての自分に文字通り衣をまとうことによってサバイブした。十四は過去の自分と訣別する克己によって「違う我が身」に変身してサバイブした。そしてなお自分の敵は自分であるという。

二つのチームのそれぞれのスタイル、共助と克己を体現した生き様をぶつけ合う二人はまさに魂の絶唱である。筆者程度の人生経験ではこの勝敗はちょっとつけられない。ただ、これまでの二戦とも独歩が先陣を切っていたのに今回は一二三が先ほどのマイクリレーであっても一騎打ちであっても独歩より先に挑むことや歌詞の内容を見るに、

続いて三番手同士である。ここは特に、ドラパを聴く前と後では感想が全く変わって面白い部分だった。これもバトル戦績を見ると、独歩は天国が初めて一騎打ちで当たる目上の相手である。多分、深層心理で委縮してしまって本来のバーサーカーぶりが発揮できていない。verseの内容も仮想敵と設定した相手がありありと浮かんでしまう。

独歩が想定した仮想的とはだれか。

課長である。目上で敵対心があり、同僚との泣き笑いを妨害し、常に上から目線で平社員でない者。そしてドラパで見事積年の鬱憤を晴らし誇りを取り戻した独歩が倍返しかどうかは定かではないが反撃できた相手。課長である。力強いリリックではあるが、残念ながら天国にクリティカルヒットとはならないであろう。

他方、天国もまたドラパを見ることで自らの克己の歴史をなぞって踏ん張っていたverseであったことが推測できる。verseの始まり、見当違いはもっともである。独歩は課長向けverseをかましているのだから。しかしここまでを追ってみると、先鋒であった天国は今一番蓄積ダメージは高いはずである。クリティカルヒットではないとはいえ、相当しんどい状態であるはずだ。また、正直なところ寂雷以外はこの男の眼中になさそうである。

そこで彼はどうしたか。自らが今ここに立っている理由、芯の部分を自問自答し、飛びそうになる意識を内側から叩き起こしたのではないか。「逆切れするバカと生意気な若造」も愛情をもってくさしたチームメイトの破戒僧とヴィジュアル系ボーカリスト(最近ギターも始めました)ではないかとすら思えてくる。

深く、深く潜っていく。自分の経験に基づいた独白。私刑の無意味さ。逆恨みの愚かさ。自分自身が変わることの意味。極限状態で今一度の克己を振るうことで見事天国はチーム最年長の意地を見せたのである。

いよいよ大将対決はドラパCDでもキーワードとなったスーパーマン(運営から指定があったとはケンザさんの談)という語を用いて改めて壮大なる決意を怒涛のようにほとばしらせる寂雷。彼の言う「全てを救う」という言葉はそこらの青二才が勢いで想像力もなく吐く言葉ではなく、この世の極限を見てきたもののそれでもなお手を伸ばす遥かなしかし峻厳たる決意である。老若男女容赦なく救う。それはエゴである。それ自体も織り込み済みでたぶん彼は救うのであろう。

「彼」とはだれか。神奈備衢か。飴村乱数か。天国獄か。それとも他の誰かか。もしかしたらかつての殺し屋だった自分自身か。人を殺したことのある自分自身を彼は許しているのだろうか。光のある所に必然ある闇すらも無くそうというのなら、彼が最終的に自死を選ばないかどうかだけが心配である。そう考えると相対する相手が僧であるというのも何か意味があるように思えてしまう。

空却はその決意をおこがましいと一蹴し、その歯切れの良さが心地よい。普通の人間相手であればこれがクリティカルヒットしてナゴヤの勝利確定であろう。だが、筆者としては前述したような寂雷の覚悟を感じているのでこれだけではシンジュクは崩れまい、と思う。「最高のチーム出来上がり」というのもまた彼の強さと弱さの表裏一体をなす若さが感じられつつ、また若いころというのはそれそのものが武器であるということをなかなかわからないものだよな……としみじみもしてしまう。成長できることこそが彼らの強さであり、最高というものは常に更新されていくものだからだ。――「出来上がり」などと自分で足を止めてしまわない限りは。真の敵は自分の中にいる。まさに自分が指摘したとおりに慢心・油断(そういえば仏教用語由来の言葉である)が顔を出してしまったように思う。

楽曲は王者の貫禄と挑戦者の躍動を響かせ、荘厳に幕を閉じる。

果たしてどちらの勝利であるか、筆者は書きながらやはりどうしてもシンジュクびいきになってしまっている自分を感じ記録者として情けない限りであったが、これもまた個人ブログの醍醐味としてご容赦願いたい。

投票の行方がどうなるか。新進気鋭のナゴヤが平均年齢の高いシンジュクをロートルとして追い立てるのか、シンジュクが粛々としかし力強い一撃で退けるのか、投票を終え、そしてようやくこの妄言の書き散らしも終わろうとする今、ようやく腰を据えて待つことが出来そうである。

イケブクロVSナゴヤで家族VS疑似家族のぶつかり合いも見たいし、オオサカVSシンジュクですげえ他人行儀な動機なき戦いも見たい。なんにせよ人事(投票)を尽くして天命(運営発表)を待つのみである。こんなことを言ったら破戒僧に叱られてしまうが、地獄に堕ちて閻魔様の沙汰を待つ間というのはこんな感じであるのかもしれない。

ヒプノシスマイク -Division Rap Battle- 2nd D.R.B『Bad Ass Temple VS 麻天狼』

老害の考えるオタク五つの誓い

とりあえずなにか食べよう

深夜になった。読者諸賢、何か食べただろうか。

 ねぇ さっきからずいぶん荒れてるみたいだね
落ち着いてるときの君ならそんなこと いわないのに
(中略)
とりあえず何か食べよう 僕は聞き逃さないよ
君の腹の鳴る音は
人は自分で思うより
いい加减にできている
腹が减る それだけで
怒りっぽくもなるんだ

――槇原敬之「とりあえずなにか食べよう」

適切な食事は万病の薬である。平日2日目を生き抜いた自分をまだ労り損ねていたら、どうぞ腹を膨らましてからご一読いただきたい。

半端な平行宇宙で

涙のラストコンサート(仮)の後、プライベートが普通に着弾し、昨日はENOZIも普通に更新された。本当に普通に。

全てが悪い夢で、または自分がいつの間にか平行宇宙にやってきていて、アイズワンの活動終了なんて本当はなかったんじゃないかとさえ思ったが、自分のツイートをさかのぼると悲しみが広がっていた。

最中、こんな記事を拝読した。

hihi17a.hatenablog.com

まさしくという気持ちで、追ってみると前記事でも言及させていただいた方だった。

ここのところ特にヒプマイと(ナゴヤVSジュクCDの感想もいい加減書きたい)アイズワンの記事ばっかりになってしまっているが、もとより本ブログは雑記雑食雑文ブログである。

ありがたいことに、色々な「オタク」の方が訪れて頂いている。

新春所感として述べたように、筆者は今年でインターネット20周年のおっさんである。

オタク人生としてはもっと長かろう。

ウィズワンだけではなく、たまさかこの辺境ブログを訪れて頂いた方々に、せめてものお土産として、平和に細々とネットの片隅でオタクを続けられてきたものとして何に注意してきたかを書き残しておきたい。

もちろん、あくまで筆者の心がけであるので読者諸賢にそぐわなかったり、筆者自身がアップデートできていなこともあるかもしれない(その場合は是非お知らせください)。

でももし、「うるさいなあ」と思うところがあったとしたら、そこだけでも深掘りして、筆者以外の意見も検索したりしながら、自分の現在を俯瞰的に見ていただければ幸いである。人は自らが目をそらしたいことに腹を立てやすいから。

1.犯罪(特にやりやすいのが著作権侵害)をしない

基本である。犯罪をしてはいけない。最近だと、こちらがわかりやすい。

筆者もこうしてブログを書いている人間だから、「何かを伝える」ことについては、それなりに腐心しているつもりである。そして、ビジュアル、画像は情報の伝達において非常に効果的であることも理解しているつもりだ。加えて、筆者はやはり浅ましいことに、「どうせなら多くの人に伝わってほしい、あわよくばほめてほしい」という気持ちを持たずにはいられない俗物でもあるから、他人様の漫画のネタバレ画像スクショがバーンとなったツイートがぼんぼこバズっていたりすると、「ぐぬぬ」という気分になる。漫画アニメの感想は、ぶっちゃけてしまうと常に「スクショをバーンと貼りてえ~~」という欲望との戦いだったりする。(もちろん適切な引用をしてブログ記事等を描かれている方もたくさんいらっしゃるし、筆者も時折引用元を明記して画像付きツイートをすることもある)

最近も「ネットミーム」と化してしまったキャラクターの作者が政治的利用やクソコラでフリー素材扱いされていることに悲しみと絶望の意を表明していたりしていた。

筆者もまた、ニコマスの民であってそういったものを愛でてきたものの、今は公式がガイドラインを提示したり、素材を提供する中で、より節度のある楽しみ方が必要になったと言えるだろう。

 

alu.jp

マンガの場合、「アル」というサイトを経由すれば、対応している漫画はクリーンな状態で引用できるのでぜひ活用いただきたい。

alu.jp

素敵なTwitterマンガのリプライ欄にガビガビに劣化した画質でスタンプめいて貼られる著作権侵害画像が乱舞しているときの哀しさと言ったらない。

2.主語を大きくしない

「オタクの総意だ!」みたいなことは特に怒りにボルテージが上がってしまうとついつい言いがちであるが、あなたはあなた以外の何物も担保することはできない。主語が大きければ大きいほど、巻き込み事故を増やしやすいので気を付けなければならない。主語がデカすぎると主題がずれてしまうこともあり、いらぬ飛び火を招いたりもする。

オタク仲間ですらその真意を推しはかることは難しい。況や推しをや。「推しはこんなことを望んでいない!」という言葉は義憤に駆られた英雄のようでいて、実は推しを業火にくべるような恐ろしい所業である。あなたはあなたの言葉と立場で、配られたカードで勝負するしかないのだ。

かといってあくまで一介の辺境弱小ブログの管理人風情の卑屈な戯言でござんすゲッヒヒヒみたいにへりくだりすぎても予防線を張り過ぎているようでちょっとイラっとするのでこの辺りのさじ加減は難しいところなのだが……。

3.出来過ぎたストーリーには気を付ける

事実は小説よりも奇なり、という言葉もあるが、現実というのは創作のように都合よく物事が呼応し、辻褄が合い、収斂するものではないということは知っておかなければならない。

オタクは文脈を好む。筆者も都度、それを「幻視」し、記事に落とし込んでいる。が、それはあくまでいわば現実を元にした「二次創作」であることを念頭に置いておかねばならない。自家中毒に陥り、それ以外の「解釈違い」を受け入れられなくなってしまったら危険である。

創作や推しに関してだけでなく、例えばアメリカ大統領選挙であったり、直近でも「魅力的なストーリー」に絡めとられ、彼方へ走り去っていくアカウントをいくつか見かけて悲しい思いをした。

ネット上においては「騒音おばさんの真実」という「物語」が広く流布されてしまったし、富山の失踪事件もまことしやかな「真相」が語られていたが、近年全く別の場所で車が(残念ながら、ご遺体と共に)発見されるということがあり、いかに「真実」を捉えることが難しいかが窺い知れる。筆者は一応医療従事者であるので、新型コロナウィルス関連のデマには日々頭を悩ませている。

なんにせよ、情報源を突き止めることが大切である。Twitterでは「ソースはこのツイート」ということがままあるから恐ろしい。簡単なコツとしては、「TVでは報道しない」「メディアが伝えない」は、大体「TVやメディアが伝える価値もないと判断した」という場合が多かったりする。

4.「誰が言っているか」ではなく「何を言っているか」を注視する

それぞれの分野においては、大家であるオタク、「ヌシ」がしばしばいるものである。そのジャンルを豊饒なものにするのにどれだけ貢献してくれたオタクでも、恐らくは人間であるから、誤ることもあるだろう。例えどれほど尊敬している相手であっても、または気の置けない友であっても、ジャンルにやってきてから弟妹のように与えてきたフォロワーであっても、その発言全てを肯定する必要も義務も、あなたにはない。

逆に、普段の思想信条が違うアカウントの発言をすべて否定する必要も義務も、同様に存在しない。相手の上げ足を取り、嘲笑って、「ヌシ」や同じ界隈に忠誠心を見せることなんてしなくてもよいのだ。

ヌシが白と言えば黒いものも白、という状態であれば少し距離を置いた方がいいかもしれない。5に続く。

5.先鋭化に気を付ける

特に女性の場合、Twitterでもジャンルによってアカウントを使い分ける傾向があるようである。無論それ自身を否定するものではないが、そうなると目に見えるツイートの守備範囲が狭くなり、知らず考えも偏りがちになってしまわないように注意が必要である。

Twitterではクソデカワードを使うと良くも悪くも注目されやすく、それによって賞賛を得ることでより発言が過激化し、界隈自体が先鋭化し、はたから見ればカルトめいてしまうことさえある。特に推しアイコンを使っている場合はその発言が推しの顔から飛び出ていて本当にいいものかどうか、深呼吸して確認することが良いだろう。

特に年若いオタク諸賢においては、その情熱が向かう先がどこなのか、「正義」の旗印のもと突き進んでいる場所をしっかり見定めてほしい。仮に「違うな」と途中で思ったのなら、どうぞ途中下車をしてほしい。「凸」で生まれるカタルシスの持続期間は短く、あなたの人生は長い。

活用する機会なんてないほうがいいけど

本当は十戒にしようと思っていたが日が替わったのでこの辺りで。老害なので夜はすぐ眠くなっちゃうのである。もし自らのTL他で自分自身ならず、敬愛するフォロワーたちがこういう兆しを見せ始めたら、「あ! 老害が言っていたこととおんなじだ!」と思って軽度のうちに対処されることを望む。もしそれで疎まれたりするようなら、関係を考え直すいい機会になるかもしれない。

推しは人生を豊かにする。これからもあなたのオタ活が豊かでありますように。

 

あ~~平行宇宙に5回転生出来たらなあ!

そしたら5回とも違う街に生まれて、

5回とも違うものをお腹いっぱいに食べて、

5回とも違う仕事をして、

そして5回とも――

――同じ人が推しになる。

BLEACH モノクロ版 27 (ジャンプコミックスDIGITAL)

↓マシマロなんてハイカラ物は使い慣れないので匿名のご意見はこちらからぜひお寄せくださいませ。

odaibako.net

僕の好きな人がよく眠れますように――IZ*ONE ONLINE CONCERT [ONE, THE STORY]完全ネタバレ感想・妄想・考察

初めての二日間連続のコンサート、[ONE, THE STORY]をIZ*ONE(以下文中アイズワン)が開催した。

恐らくは少なくとも韓国での活動の集大成となるだろうコンサート。

アルバム四集を半分ずつに分けてパフォーマンスを行うのかな、と思っていた。

初日。深紅の衣装で始まったLa Vie en Rose。彼女たちの始まりがそうであったように。その動きは研ぎ澄まされている。どころか張り詰めた、何か危うさと決意を感じさせるような――。

正直なところ、そのパフォーマンスについて筆者が付け加えるべきものは何一つない。

というか、その辺りのことについてはこちらの方のブログが完璧に「おっしゃる通りです」という感じであった。こういう感想が書きたい。

hihi17a.hatenablog.com

それぞれがそれぞれの良さを更に十二分に発揮して各々の最高を更新していったことだけは確認できたが、その詳細を語るにはこの記事ではあまりに狭く、筆者の語彙は少なすぎる。

とくにソンミ先輩のカバー曲であるフルムーンは傾国の美女という概念が形作られたようで最高だった。

アコースティックにアレンジされた楽曲はまた違う顔を我々に見せてくれ、その牧歌的な様子はまさにpanoramaで歌われたキャンプファイアを囲んで行われているようであった。OPEN YOUR EYES, UP, Airplane, SPACESHIP――どこまでもどこまでも、キャンプファイアの煙に乗せて遠く遠く飛んでいくような、澄んだ気持ちのいい歌声だった。

そこから千古不易の詩、FIESTAに続くことで妻と二人で「えっ明日やる曲ある?」と勝手に心配をし始めるが、そこで白い羽が舞い散り、アイズワンの物語に羽根が挟まることで「新章」が生まれるかのような演出が挿入される。

ああ、そうなのか。

筆者は勝手ながら、腑に落ちていた。

kimotokanata.hatenablog.com

kimotokanata.hatenablog.com

 筆者はFIESTA以降のアイズワンのコンセプトの中に「平行世界」「多元世界」的なモチーフを感じ取っていたからである。

そして今回、FIESTAの後に散ったこの羽根がFIESTAのMVでクォン・ウンビさんが扮していた白い羽毛を持つ白蛇「ケツァルコアトル」のものだとするならば――。

我々のいるこの世界はその力によって改変された世界、本来ならば「長い冬」のまま、FIESTAが陽の目を見ることがないままアイズワンが活動終了することを突破できた世界だということを示唆しているのだろう。

その先が「幻想」というのが何度も皮肉めいているが。

そしてpanoramaにおいては、彼女たちは世界線をこれ以上変えることを望まない。

しかし、衣装が「我々の知るPanorama」の色違いであることが、更に枝分かれした世界であることを感じさせるような気さえする。

それでも、こうしてこの世界線のアイズワンは[ONE, THE STORY]へと着地するのである。

ある物語、それはここに至るまでも既に奇跡の連続の軌跡であったと読み手であるウィズワンに改めて実感させるものであった。

宮脇咲良さんに訳詞してほしい曲第一位「WithOne」を経て、チェ・イェナさん作曲、秋元康氏作詞の「lesson」がサプライズで披露される。やすす、お前がコーラ注ぎ芸で注目した女の子はお前に作詞させるまでになったぞ。

 

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 秋元康という人の毀誉褒貶についてここで今更語るつもりはないが、やはりこの人のこういう嗅覚というか、センスというか、このタイミングで曲提供しておくか、という策略の嵌めっぷりは恐ろしいものがある、と改めて思う。どうしてそれほどの感性を持ちながら14歳最強マンネが率いるグループに倦怠期の歌を歌わせたり逃避行の無理心中みたいな歌を歌わせたりエビ中の二番煎じみたいな歌を歌わせたりしたのかは永遠の謎である。

「少女たちよ」の昔から言ってしまえばマッチポンプな歌詞を書く人だけれど、PRODUCE48時代に提供した神曲「好きになっちゃうだろう?」のように一般化とアテ書きのギリギリを攻めて多くの「アイドル」へ代入可能にするところは見事である。

 

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「夢」について。同じく秋元氏がPRODUCE48に提供した「夢を見ている間」では「いつかは叶ったり叶わなかったり」とされた夢が、「lesson」では「いつか手が届くもの」とされ、その関連性が感動を呼んでいた。

あくまで「候補生」であり、その後一般人へ戻った練習生たちも慮った「叶ったり叶わなかったり」に対してアイズワンになったからには夢を叶えるという秋元氏の気概が感じられるいい対照性だと思う。

この間に筆者としては、上記に記載した記事でも書いたが、宮脇咲良さん終生の盟友でありライバルである兒玉遥さんに秋元氏が送ったという「夢は手を伸ばしたその一ミリ先にある」という言葉をも内包しているのではないか、という妄想を付加しておきたい。

個人的には「夢を見ている間」の対比も見事だが、「好きになっちゃうだろう?」では「あんなに頑張っていたのに思うような結果が出せない」とされていた彼女らが「頑張ってよかった」と「lesson」では変化していたのも良い対比になっていたと思う。

その後のビデオメッセージについてはそれ自体は素晴らしいものだったが、どうも(彼女らにとって)騙し打ちのような印象が強く、また運営に悪印象を持ってしまうこととなった。

 アイズワン諸賢への愛情と反比例して運営への不信感が強まり、奈子さんの夢に出てこられたかが定かではないが、自分自身はひどい悪夢を見た。

2日目。カン・ヘウォンさんからプライベートメールが届き、心底ほっとする。その後、アン・ユジンさん、チェ・イェナさん、イ・チェヨンからも着弾。かすかながら「日常」を感じて嬉しくなる。

そうして夕方、上がった幕の前に現れた彼女たちは昨日のことを感じさせないほど美しく、力強い。ただ、いくらか表情が昨日より柔らかいようにも思えた。昨日と大筋のセットリストをなぞりながら、まるで平行世界で別の世界でやり残したことをやり直すかのように昨日の不足を補っていく彼女たち。ピンクの民が昇天したことを確認。

そうして今度はウンビさん作詞作曲の新曲、「Only One(平行世界)」。ド直球に平行世界が肯定されてちょっと驚く。歌詞の良さに泣く。頼むからこの辺、まとめて音源化してくれ。

もう今日もあと五分、ここのところのパターンでやっぱり怒りや悲しみが先に来てしまってボロボロの文だけれど、今日この時に書き残しておくことに何かしらの意味がある、と思いたいので、ここまで書いて、筆を置く。

アイズワン諸賢が謝ることは何一つない。何一つ誤ってなどいない。

明日もプライベートメールがくることを信じて、今日は沢山悲しむことにする。

アイズワン諸賢、二日間本当にお疲れさまでした。妻や家族は別として、今最も好きな、気になる人々かもしれない。

僕の好きな人が良く眠れますように。

愛は祈りだ。僕は祈る。

 

 

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あなたはまだ宮脇咲良を知らない

九州新幹線全線開業10周年おめでとう。

筆者が大学在学中の出来事であり、帰省や就活が格段に楽になったことを覚えている。

未だにまとめ切れていないが昨年のつかの間のGotoにおいても活用させており、我が家にとって欠かせない存在である。

今一人、「九州新幹線」と聞いて思い出す人がいる。

「あなたもあなたもみんなの心に(さくら咲けー!)鹿児島から新幹線さくらに乗ってやってきました宮脇咲良です」

 そのキャッチフレーズを背負って、彼女は我々の前に現れた。(細かく言えば劇団四季の出演経験がそれ以前にある)

HKT48の1期生最終オーディションは2011年の7月10日。実際にその過程においても、九州新幹線は大いに彼女の助けとなったことだろう。

そこからIZ*ONE(以下文中アイズワン)に至るまでの奇跡については、以前述べた。

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アイズワンになってからの彼女も、出来る限り追いかけてきたつもりである。

男子三日あわざれば刮目して見よとは過去の話、宮脇咲良さんは瞬きの間にも進化しているかのような速度で我々を魅了してくれた。

分けても筆者の中では過去現在未来のオタク(尊称)を肯定した出来事や、

 

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千古不易の名曲「FIESTA」を見事に「以後の歌」としてアップデートして見せた訳詞家としての手腕、アイズワンの夏曲という「祈り」を形にした「Yummy Summer」の作詞作曲などクリエーターとしての側面、

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 オンラインコンサートでの「ダンスメン」としての円熟など目を見張るほどの進化速度は宮脇さんだけ時の進みが違うのではないかと思わされるほどであった。

3月10日、アイズワンの活動終了が発表された。

不自然な、「大人の事情」を感じさせる発表だった。

それを裏付けるかのように今に至るまで「プラメ(プライベートメール)」の着弾はない。(筆者は「長い冬」からの再会以来、全員分を申請している)

何よりも筆者がこれが唐突な「事故」だったという確信を抱いたのは、「気づき」を与えてくれたのは、やはり宮脇咲良さんのラジオ番組「今夜、咲良の木の下で(さくのき)」であった。

さくのきは、収録である。活動終了発表の日にOAとわかっていて、もし事前に決まっていた、「円満」な活動終了であれば、彼女が言及しないわけがない、という確信が筆者にはあった。

終了が決定していたとしても、少なくとも3月10日ではなかったのだ。

それを裏付けるように翌3月11日には「大人」たちの裁判の判決が下され、彼女らはまたもその盾に使われたことがはっきりしたのである。

そして今度は宮脇咲良さんが、韓国の巨大事務所に移籍する、いやしない、争奪戦だ――という話がかまびすしい。それが今回の唐突な活動終了発表の原因の一端であるとも。宮脇咲良さんが周囲の人に漏らしていたのだ、とも。

端的に言って、ふざけるなよ、と思う。

先人の言葉を借りて言えば、素人は黙っとれ――である。

宮脇咲良さんの争奪戦が事実かどうか、というのはもはやどうでもいい。

ただそれを彼女が他の人に吹聴することは絶対にないだろう。それは信じているとかそういう次元ではない。知っているのである。そう至るに足る経験を少なくとも筆者は、彼女に与えられてきた。

また、このことに言及するツイートに添付される宮脇さんの画像がことごとく転載なのもげんなりさせられる。そういえば今回の活動終了騒動で「やけくそでご法度のプラメ画像をツイートする輩がいる」と聞いたがにわかに信じがたい。愛するアイドルを守りたいという尊い気持ちがどこで混線して犯罪に接続されるのか思考がトレースできないのである。ちなみにこのブログは過去、インスタからはてなブログ公式の機能を使って引用してサムネにしていたのだが、機能が提供終了したのかサムネが機能していないことがあって悲しい。

やはり今日のうちに書き終えておきたいのでこの辺りにするが、やはり怒りで文章がまとまらずお恥ずかしい限りである。

主張しておきたいのは何よりも優先されるべきは「彼女たちがどうしたいか」であって、それをどう叶えるかがウィズワンの腕の見せどころではないか、暴徒化するのは間違っている、ということと、事務所はマジで誰一人として何を主張する権利もないからな、ということ、MnetとCJは被害者面までしてるのはもはや笑えてしまうこと、明日明後日のオンラインコンサートが盛大に、つつがなく開催されることを心底願う、ということである。

あなたはまだ宮脇咲良さんを知らない。むろん筆者も知らず、恐らく彼女本人ですら知り得ないだろう。オンラインコンサートでまた、彼女の新たなパッケージが見られるだろうから。

それこそが彼女が唯一無二のスターである証なのだ。

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永遠より続くように――IZ*ONE(アイズワン)活動終了発表に寄せて

IZ*ONE SPECIAL SURPR*IZ PHOTO BOX (仮) ([バラエティ])

〇余談

去年と比べて自分が成長していると胸を張って言えるのは花粉症の症状くらいではないかというくらい今年も花粉症がひどい。ということで今までで一番強い薬を処方してもらったら今度はその影響で眠気がひどく集中力散漫になってしまっている。とにかく運転だけは気を付けなければ……。

ということでいつもにまして書きたい記事を書くことも出来ずに、日々を過ごしていた。それは週半ば、即ち本日発売の「ナゴヤVSシンジュク」CD、そして週末の「アイズワンオンラインコンサート」を道しるべとして、心の支えとして彷徨う旅でもあった。

仕事終わり。既に配信開始されていた「ナゴヤVSシンジュク」をプレイリストに追加しながら、妻に「今から帰りますLINE」を打たんとした筆者に、TLで信頼するオタク(尊称)のにわかに信じ難いつぶやきが飛び込んできた。

「IZ*ONE解散マジか…」

矢も楯もたまらず尋ねる筆者にソースを提示してくれたオタク氏。

そして筆者も複数先で調べ、どうやら間違いがないようだ、という結論に至った。

news.kstyle.com

終わる。IZ*ONE(以下文中アイズワン)が。

どうやって帰宅したのか、正直記憶にない。

〇本題

少し前から、WIZONE(以下文中ウィズワン)の間では、延長か、終了か、ということが議論されていた。

もちろん、筆者のTLには愛すべきWIZONEが多数いるということを割引いて考える必要があっても、延長の声が多かったように思う。

事実、Universeへの参画、メンバーの音楽番組MCの就任、ペプシCM、ブランドイメージ抜擢など「続き」を示唆するトピックは贔屓目なしに多かった。

筆者ならずとも、オンラインコンサート2日目の最後のMCで延長発表、というストーリーを浮かべていたウィズワン諸賢は多かったのではないだろうか。

他方で、宮脇咲良さんがまるで「まとめ」のようなプライベートメールを送る頻度が増えているように思えたのが、気になってもいたが……。

先述した山積している「書きたい記事」の中に、アイズワンの今後について思うところの記事もあった。

筆者は、「期間を再び設定しての活動延長」派であった。アイズワンが行くところ、どこであっても花たちは目覚め、花弁は舞い、最高潮が訪れる。それは煌々と照る太陽のように永遠性を感じさせ、「もうこのままずっと活動すればいいじゃん」という考えをごく自然に鑑賞者たちに生じさせる。

けれど彼女らはベテルギウスである。太陽の何倍も燦然と輝く代わりに、その「終わり」はずっと近くににじり寄っている。「だからこそ」の刹那性を孕んだ美しさ、儚さというのも間違いなく魅力の一つとしてあったはずだ。

悲しいけどこの世に永遠なんてないから

悔しいけど時は前にしか流れないから

かつて風味堂が「LAST SONG」でそう歌ったように、始まったことには必ず終わりがある。その終わりが見えているからこそ本人たちも、ファンもその情熱がうねりとなって立ち上るのだ。その「ゴール」を「やっぱり動かそう」としてしまうのは、人気が出たから引き延ばされる少年漫画のような愚ではないか、と。

ただし、あの冬が訪れ、そしてそれを超えたかと思った時に世界全体が未曽有の事態に叩き落された。それは当然考慮すべきだ、とも考える。

具体的には、4月以降も少なくとも2回分のカムバック期間の確保と、有人での解散コンサートの解散を筆者は願っていた。

 

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およそ半年前、筆者はこんな記事を書いた。

そうして最後、みんなのメッセージは毎度感動させられているので何とかこらえられたが、暗転してVRで満員のアリーナが再現されたときはさすがにジーンとさせられた。

どんな所にも行くことのできる、作り出すことが出来るVR。それを用いて上空や宇宙にまで飛び出したアイズワンが帰り着いた場所、歌いたかった場所が「そこ」であるという事実。前回のコンサートでは難なく実現できたことの困難さ。幾重もの感情が筆者の中で渦巻いた。

もう一度、肉眼で彼女たちを捉えたいものだと思う。

お前は俺かってまあ筆者なのだが、「ほんとそれ」でしかないのである。

万雷の拍手を浴び、地鳴りのような声援を受け、一体になり盛り上がる。

同じ空間で喜怒哀楽を共にし、ひとつの物語を作る。

それがアイズワンとウィズワンではなかったか。

【Mnet 公式コメント全文】

こんにちは。Mnetです。

MnetとSWINGエンターテインメント、OFF THE RECORDはIZ*ONEのプロジェクト終了を控え、12人のメンバーの最善の活動のために、各所属会社の意見を継続的に聴取し、協議をしてきました。

2018年、アルバム「COLOR*IZ」でデビューし、韓国はもちろん、世界を舞台に大きく愛され、アジアを代表するガールズグループに成長したIZ*ONEの活動は、予定通り4月に終了することになりました。

IZ*ONEを愛するファンの皆さんと一緒に過ごすオンライン単独コンサート「ONE, THE STORY」が3月13日、14日の両日行われる予定です。

MnetとSWINGエンターテインメント、OFF THE RECORDは、これまで素敵な姿を見せてくれたIZ*ONE12人のメンバー全員に感謝の気持ちを伝え、一緒に作ってきた素晴らしい物語が続けられるよう、今後もアーティストとしての成長を支持していきます。

これからも彼女たちが見せる新しい姿に、期待と応援をお願いします。

ここから読み取れるのはまず「所属会社の意向によって活動終了することになったこと」である。彼女たちの願いが延長なのか活動終了なのかは全く明らかにされていない。

そもそもアイズワンに長い冬が訪れたのはその「所属会社」のせいなのだが、その辺りの総括はしっかりしてくれたのだろうか。今回の活動終了だって「所属会社」のいくつかが不祥事を出しているからアイズワンメンバーを引き戻して収拾を図りたいのではないか、とうがった見方をしてしまう。

加えて「予定通り」というけれど、活動当初の「二年半」と実際にアイズワンとウィズワンが過ごした二年半は大きな隔たりがあったことが既に述べた通りで、それを補う腐心はこの文面からは感じられない。ただ機械的に楽な方法――契約その他の変更なしに――を選んだようにしか思えない。

「素晴らしい物語が続けられるよう」と言い繕ってはいるものの、その第一幕である「PRODUCE48」にて醜態を晒し、今また第二幕で黒子がせかせかと動き回っての幕引きを図っているような動きをする連中がする「支持」とはなんだろうか。

ウィズワンたちの願いを、「魔法」を踏みにじって語られる物語をそれでも、「彼女たちに応援を」と締め括るのはエンタメ業界の悪癖、演者を盾にする手法で文字通り反吐が出る。

彼女たちは今頃何を思っているだろう。今日の発表だと知らされていたのだろうか。

プライベートメールをどのようにすべきか、頭を悩ませたりしていないだろうか。本当ならば「オンラインコンサート楽しみにしていてね♪」で済むところを、無駄に心を砕き、頭を痛めているかもしれない。

いよいよ練習も佳境、雑念が怪我を引き寄せてしまったりしないだろうか。

MCもただわちゃわちゃとはいかないだろう。

「大人」か。

また「大人」なのか。「大人」の都合で始めされられ、中断させられ、終わらせられるのか。こんなに素晴らしいグループが。そうして彼らは顔を持って出てこない。生贄にさせられたアンPD以外。槍玉としていつもアイズワンがその先頭に立たせられる。

本当はもっと建設的なことが書きたかったのだけれど、Mnetの発表を読み返すたび腹が立ってしまっていろいろな要因で視界がにじむ。今日はこの辺りにしておこうかと思う。

アイズワンは永遠ではなくなった。ならばウィズワンが出来るのは限られた期間が永遠より続くように日々を噛み締め、密度を濃く過ごすほかない。

うつくしいところだけを我々に見せて去っていこうとする彼女ら、我々の星に対してそれがせめてものエールであり、餞であり、手向けであろう。

 

IZ*ONE SPECIAL SURPR*IZ PHOTO BOX (仮) ([バラエティ])

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I AM YOUR FATHER/改革すら煩雑――オオサカVSイケブクロドラパ「Aikata(s)Back Again」&「Life is what you make it」及びバトル曲「Joy for Struggle」完全ネタバレ感想・考察・妄想

いつものやつです。ネタバレです。よろしくお願いいたします。

余談

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 あの興奮から気が付けば一月が経とうとしている。

バトル曲「Joy for Struggle」及び新曲は素晴らしいものだったが、やはり音源として堪能し、またドラマトラックも確認した上でいわば「本戦」とでもいうべきCD投票にしっかり臨みたいという思いがあった。

そして本日。安定のkonozama。毎度のごとく、サブスクで一足先に拝聴した感想を書き綴っていきたい。

花粉で目がかすみ花はつまり思考がいつも以上にまとまらないが、とりあえず一聴して寝るまでのこの今の衝動を出力しておきたいのでご容赦願いたい。

オオサカドラパ「Aikata(s)Back Again」

いや~~……。めっちゃいいタイトル。オタクは弱いんですよ! こういうリフレインに!

筆者としては是非、全人類、ことにオオサカヘッズには「べしゃり暮らし」を読んでほしいと思っているのだが、

 

 相方。この不思議な存在。相方以外に形容しようのない存在。それこそ親子よりも兄弟よりも夫婦よりもある時は己と近いかもしれない存在。

現実でも「じゃない方芸人」という言葉がある。得てして、コンビが同じように売れるというのは難しい。月と太陽。一度ついた差は雪だるま式に開いていく。あるいは、「じゃない方芸人」のポジションにつくことである種安定すると考える芸人もいることだろう。

でも、そうではなかったはずだ。「俺が一番面白いんや」「俺のことをみんなに認めさせたる」そういう気持ちで入ってきたはずだ。躑躅森盧笙はかつて、その気持ちをプレッシャーに押しつぶされた。思えば、彼の人生は期待に押しつぶされてきた歴史だった。

そこに、白膠木簓が再び現れた。「俺に任しとき」頼もしい言葉だ。そこに不純な気持ちは一切ない。かれは、相方が戻ってきたこと、バック・アゲインしてきたことの喜びに満ちている。

でもそれは躑躅森自身も気づいていなかったが、かれのプライドを痛く傷つけていた。

なぜならば彼らは「相方」だからである。要介護者と介助人ではないのだ。「おれがいちばんおもろい」それはまず隣にいる人間、相方をどうねじ伏せていくか、ということが本来の漫才の真骨頂ではなかったか。

そこはヒプノシスマイクの世界。ラップで二人はぶつかり合い、本音が炸裂して、白膠木の一方的な「Aikata Back Again」ではなく二人ともが同格の相方と改めて認識する――「Aikata(s)Back Again」がそこに成り立ったのだった。

白膠木にとってはこの顛末をPRODUCEしてくれた天谷奴と躑躅森、複数の相方を得た、ということで「Aikata(s)」であったということもできよう。

洗脳は特にそのままであるようだが、しかしチームはさらに打ち解け、「笑オオサカ」や「Joy for Struggle」での絆の描写もさもありなんと納得が出来た。

筆者は「笑オオサカ」の「最後は絶対笑てや」というフレーズがとても好きである。他のディビジョン曲が悲壮な覚悟であったり殺意満点であったり殺伐としていたりする中、どついたれ本舗は観客の方を向いている。そのフットワークでもって天下を取ってくれそうなのがこのディビジョンの魅力である。

イケブクロドラパ「Life is what you make it」

このセカンドバトルにおいて、やはり主人公は山田二郎なのだな、ということが強く伝わるドラマトラックだった。本来であれば、前回のバトルシーズンでイケブクロが優勝し、山田二郎は「兄にチャンピオンにしてもらった」ことに思い悩みながら連覇を目指す中でまずは自分の中の「王」である兄を超えたい……みたいな流れになる予定だったのかな……とつい考えてしまう。

それぐらいポケモン金銀のレッドみたいな前作主人公感を醸し出す山田一郎だがもちろんまだま現役でいてもらわないと困る我らがBBである。

しかし今回、筆者はいやしくも彼と同じ三人兄弟の長男として看過できない事態があった。二次創作でよくネタにされていた天谷奴零の育児放棄疑惑だが、少なくとも彼には三兄弟を養育する意思があったらしいのである。それを一郎は敢然たる意志で拒絶した――のは格好いいのだがしかし結局それが二人を日本の闇の渦中に叩き込んでいるのだから、やはりこれは手放しに絶賛することはできない。

もちろんその決断を下したのはさらに年若きときだったろうが、言ってしまえば自分の意地に弟たちを巻き込んでしまったことは否定できないだろう。

虚像ではなく、そうした等身大の兄と向き合った二郎はもはやライムクローンではないオリジナルである。インターネット上の人物を信頼してはいけませんという教材になりそうな三郎は零を拒絶し、自分自身で真実を見つけると豪語したがその一端を一郎にさらっと言われてしまった時の彼の心境が気になる。二郎に比べるとやはり三郎はまだちょっと、不穏なものが感じられて心配である……。

ともあれラップパートはさすがにどちらも珠玉の出来、ブレない芯の強さが感じられた。

オオサカVSイケブクロ リリックをロジックに考える

そしてバトル曲、「Joy for Struggle」である。ライブの熱気と殺気溢れる競演も良かったが、職人芸で仕込まれた音源も聴きごたえがあった。

ではこのバトル、どちらの勝ちなのだろうか。

もちろん、その勝敗は投票に委ねられているのだが、筆者なりにリリックをロジックでもって分析して、「曲の上での勝敗」を考えてみたので投票の参考になれば幸いである。

バトル曲ではお互いの陣営が相手の陣営を交互に攻撃しあう形式をとっている。

例えば先にどついたれ本舗からBuster Bros!!!の攻撃を分析してみよう。

1回のパート(verseという)で攻撃対象が1人の場合を1として、対象が2人なら1人当たり0.5、3人なら0.3がその対象に対してダメージとして蓄積するものと考えた。

まずは零が「3兄弟調子はどない?」から始まる攻撃を繰り出すので三兄弟にダメージが均一に入る。

その次は躑躅森先生が学生二人を説教するので(足らん知能は本当はタランティーノで踏みたかったんじゃないかなあ)二郎三郎に半分ずつダメージ。

お次は白膠木がボケナスカスに対して苦笑交じりのオオサカの民にとって最大限のDIS「おもろない」を繰り出しやはり全員にダメージを分散させる。

三人揃ってのパートでは「ほんわかぱっぱ」や零のうっさんくせえ関西弁などイラつきゲージを効果的に挙げながらやはり三人同時の攻撃に成功している。

漫才パートにおいては再び二郎三郎に半分ずつダメージ。

最後に零が一郎に自らの覚悟の後に我が子の覚悟を問い直して終了。

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DHがBBB!!!に与えたダメージ(推定)

こうしてみると図ったかのように綺麗に全員に均等にダメージが入っている。陽気ではっちゃけているように見えながらこの冷徹な計算が働いていたのかと考えると恐ろしい。

 

他方のBuster Bros!!!はどうだろうか。まずは零を三郎が詐欺師と斬って捨てる。

続けて二郎が躑躅森先生を「鼻毛以下」とこれまたバッサリ。

満を持して登場した一郎は「ささらんやつはおらん」と自負する白膠木を「刺さらない」と断言し、最後のフレーズで「お前ら」と全体攻撃。これは例外としてポイントを白膠木が多く引き受け、躑躅森先生、零にも少し分配した。大将を引き付けておいて周りにも煙幕を巻くようなビッグブラザーの面目躍如の働きである。

三人揃っての攻撃では相手に均等にダメージを与え、漫才に対しては兄弟二人で辛辣な批判。

最後に実の父へのアンサーを返してバトルは終了。

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BBB!!!がDHに与えたダメージ(推定)

相手のそれぞれに与えたダメージの推定は上記の通り。こう見ると恐らくダメージが「2」蓄積すると気絶の可能性がありそうに思える。となると零は最後の攻撃が通っていればダウンすることになる。

「通っていれば」というのは、ドラパ感想でも述べたように零は恐らく養育の意思があり、またバトル曲の零パートも素直に読めば息子たちへのアドバイスでしかなく、これに対して一郎の最後のパートは「イケブクロのBB」であることのレぺゼンではなく兄弟愛に逃げ、またそれは自分のよく言えば覚悟、悪く言えばエゴでありながら「自分勝手」と零を非難するのは少し違うように思える。少なくとも立ちはだかるものに対して粉砕の意思を持つ零には通じないのではないか。

そう考えると、最後一郎の攻撃は無効とまではいかなくとも半減する。となれば零の合計ダメージは1.9となり、持ちこたえている可能性が高まる。

バトルのルールを考えると、全員あと一息のところを持ちこたえているBuster Bros!!!は本来有利なはずの後攻であるから、この次の延長でどついたれ本舗が全体攻撃を繰り出した時敗北する可能性が高い。

以上のことから、筆者はオオサカVSイケブクロはオオサカの勝利ではないかと考える。無論、このダメージ計算式自体が筆者の妄想に過ぎないし、零への最後の攻撃が反撃するにあたっては「だいじょうぶはねかえした」みたいなもう全部お前のルールじゃないか、という心持も我ながらしないでもないが、一定の理屈は取っているのではなかろうか。

あと、単純にBuster Bros!!!のDISが芸人さんを馬鹿にし過ぎている感じがしてあまり好きではなかった。「板の上」に立っている漫才師をなめてはいけない。

イケブクロ、オオサカ、どちらもバトル前夜とは違う顔を見せてくれた。それはまさしく改革ともいえる出来事であったが、それが一足飛びに栄光に繋がるかというとまだまだ煩雑な過程が必要そうだ。しかしその過程すらも彼らの糧になるという革新が得られる良いドラマトラックであったと思う。

 

ヒプノシスマイク -Division Rap Battle- 2nd D.R.B『どついたれ本舗 VS Buster Bros!!!』

 

 

 

再生と破壊、泰平とかはない――ヒプノシスマイク-Division Rap Battle- 6th LIVE ≪2nd D.R.B≫ 3rd Battle-Fling Posse vs MAD TRIGGER CREW-感想

【Amazon.co.jp限定】ヒプノシスマイク –Division Rap Battle- 2nd D.R.B『Fling Posse VS MAD TRIGGER CREW』(全巻購入特典:「3作収納紙スリーブ(Battle logo ver.)」引換シリアルコード+「オリジナル・チケットホルダー(Fling Posse ver.)」付き)

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いよいよ2nd D.R.B初戦も最終戦。初めての既存ディビジョン同士の対決である。

即ち、かつて「一度負けた者たち」同士の戦い。

それも、どちらも麻天狼に。更に、Fling Posse (フリングポッセ/以下FP)はMAD TRIGGER CREW(マッドトリガークルー/以下MTC)に票数で勝りながらもルールの関係で決勝に勝ち上がれなかったという因縁を持つ。

「負けたことがあるということがいつか大きな財産になる」

その古の言葉通り、彼らは一皮も二皮も剥けて帰ってきた。

もとより前回の勝敗の差も刹那ほど、僅かに引き金が狂っただけでどう転ぶかわからなかったものだ。

結果、決勝と見まがうほどの熱戦が繰り広げられることになった。こうして筆者は三度幸福な苦悩を味わう羽目になったのである。

シブヤ・ディビジョン


シブヤ・ディビジョン“Fling Posse”「Black Journey」Trailer

開幕「Stella」という全体バフをかけてくる本気度。(一部ではシブヤ推しのヘッズの視界に尋常ならぬデバフをかけるハマの策略ではという声もあったが)どのディビジョンよりもこのバトルにかける思いは切実だ。もちろん優勝したねー、えらいねー、飴あげるねなんてうまい話になる訳はないのだが、それでも歪な軌跡を刻み輝くことこそが今の彼らの生きる意味なのだから。

個人曲においてもカメラワークまで味方につけたエモーショナルな動き、とうとう失敗を完全に排除したスリーショット撮影などまさにトリッキーなシブヤの面目躍如といった見事なライブコントロールだ。

そして満を持して放たれた新曲。「Black Journey」もまた変幻自在な捉えどころがなく、しかし変化するたびに加速度的に聞くものの感情の揺さぶりを大きくさせる恐ろしい曲である。白井さんの表情管理の素晴らしさもさらに上があったのかと驚かされる。「シブヤ」に「ぼくりり」なんてマーケティングが完璧すぎる。命を掴む旅は最後でも、命を掴んだ後の旅路が果てしなく広がっていることを信じている。先へ。

ヨコハマ・ディビジョン


ヨコハマ・ディビジョン“MAD TRIGGER CREW”「HUNTING CHARM」Trailer

完全に「ご本人登場」だった三人。バトルの熱気の高まりに連れて少しずつ服を脱いでいく碧棺左馬刻様が最終的に全裸になったらどうしようかと思ったが思いとどまってくれて良かった。ハマにはめられた我々が出来ることはもう何もない。圧倒的な「ファミリー」の圧力にずぶりずぶりと沈められていくだけである。

そして脳天目掛け撃ち抜かれる新曲「HUNTING CHARM」。それは余りにもヨコハマ、あまりにもICE BAHN(アイスバーン/以下IB)であった。なんと今年活動二十周年、ハマのリビングレジェンドであるIBがのっけから放つのは「零、四、五」。もちろんハマの市外局番である。ラッパーが地元をレぺゼンする時市外局番はしばしば用いられる。IBがMTCに「ハマ」を背負わせた。これは大げさではなくHIPHOP史に残る「事件」である。かつて「フリースタイルダンジョン」においてハマの気鋭のラッパーDragon Oneに対して「まあ何を言うかはお前に任せるよ だがあの時代なら一週間以内に刺されるぞ」とこともなげにベッタリ踏んでハマの治安の悪さを筆者に刻み付けて切り捨てたあのIBが。FORKが。

それから後ももちろん凄い。怒涛だ。煮えたぎっている。ライム至上主義の名に恥じずIBの魂そのままに怒涛の押韻が成される歌詞は青い炎だ。この歌詞に負けることなく飼い慣らして自らの武器として扱うMTCの照準は既に優勝にしか向いていない。

シブヤVSヨコハマ

いや~……バトル曲三曲全部違って全部良いなんて金子みすゞもびっくりである。

オオサカVSイケブクロは王道VSエンタメの戦いであった。

ゴヤVSシンジュクはスタイルウォーズを超えた宗教戦争ですらあった。

果たしてシブヤVSヨコハマは――互いにとっての「壁の超え方」であった。

「Reason to FIGHT」。とはいえそれまでのバトルにも戦う理由はある。が、この二ディビジョンは特に重い。文字通り命がかかっている。

ヨコハマは1+1+1は3ではないという。十倍だぞ十倍

増幅される力。その力でもって彼らは拳を上げる。握りしめるうちにも更に脈打ち力強くなる様子が分かるようだ。そして振り下ろすのだろう。打ち砕くのだろう。壁を。その先へ向かおうとするのだろう。

他方シブヤは、自分たちは3で割れないという。大きな1。分かちがたき1。引っ張ってもちぎれない。伸びる。その柔軟さ。柔らかさ。とても柔らかいということはある種、何よりも固いということ。そのバネでもって彼らは飛び跳ねる。壁を超える。その先へ向かう。

「再生のverse」を経たFPはそうして凹んでは戻り、飛び跳ねる柔軟性で、引き金を引き続けるMTCは破壊によって壁に相対する。それはリーダー対決でも同じだ。

碧棺左馬刻は飴村乱数を絶対に許せないという。ぶん殴るという。一方で飴村乱数はそれをひらひらとかわす。実際のところ、神の視点を持つ視聴者はそれが誤解であることが分かっているが、あくまで彼は「みんなの知る飴村乱数」を演じ続ける。弁解をしない。恐らくそこには後悔もない。この悲しい訣別がこの後解消されることを祈るが、さておきその対決においては筆者は闘牛と闘牛士のごとく、飴村乱数が一枚上手であると感じた。

特に以前二試合と比べてバトルらしいバトルであったから、他二人も実際のMCバトル的な粗が気になる。理鶯の食事云々はステージの下のことをごちゃごちゃいうつまらないMCのようでいつもの彼らしくないし、入間巡査部長の「ナイトメア」と「泣いとけや」は踏みしだかれ過ぎて新鮮さの感じない押韻だ。

また、MTCの「死ぬときは前のめり」や「覚悟が違う」もこれまた神の視点から見てしまうと今まさに覚悟完了して前のめりにバトルをしているのがFPであるのでその後のFPのアンサーに素直にうなずいてしまった。

という訳で今回は特に悩みもせずシブヤ……としたいところなのだが今回、あまりにもお膳立てが良すぎて素直にそうできない「逆張りオタク」な自分がいることも確かである。こんな据え膳みたいな感じでいいのか!? シブヤ!? という思いがある。もちろん、彼らが望んでそうなったことでないことは分かっているのだが。運営はオオサカVSイケブクロを今回のテクニックを使って再編集して再配信してくれ。

そういうことでやっぱり悩んでいる筆者である。ていうかそろそろナゴヤVSシンジュクを決めなくては……。