カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

Climb to the top with you―IZ*ONE(アイズワン)祝祭前夜祭

 

今週のお題「大切な人へ」

余談

大切な人と言えば、無論妻であり、さっそく前回の「元気の秘訣」と駄々かぶりになってしまうのであった。

その筆者の元気の秘訣であるところの妻は元気がない。どうしてかというと楽しみにしていた同人イベントへの参戦を中止する決断をしたからである。

LCCの厳しさ、こういう時は料金の返金がきかず、常日頃節制を旨とする妻にとってはそこを気にしていることもあるだろう。

が、それだけは勿論ないはずだ。妻は昨年、台風によっても同人イベント参戦を諦めることを余儀なくされた。今回はいわばそのリベンジマッチということで大変意気込んでおり、お会いする文字通りの同人諸賢に恥ずかしくないようにとフィットボクシングやリングフィットアドベンチャーでのシェイプアップにも余念がないようであった。

そう、同人イベントは「対面」である。

筆者もこのように文章を書いており、PVに一喜一憂することもある。変な話、PVは「誤クリック」によっても、機械的な巡回によってもカウントされ、「実際どれくらいの人が見てくれ、どのように感じているのか」というのは、文字通り五里霧中、深い井戸に硬貨を投げ込んだ反響音のように不確かなものだ。

ありがたいことに今のところこのブログでは好意的な反応が時折銅鑼のようにジャーンジャーンと鳴り響くことがあり、それによって筆者は何事にも耐えがたい喜びを味わっていることは常々述べている通りだが、しかし対面でじかに感想を伝えてもらうことは訳が違うことは筆者も理解しているつもりだ。

これも繰り返し述べてきたことだが、筆者は田舎に暮らしている。同居しているのだから妻も同様である。臨めば、東京にも、大阪にも、広島にも、福岡にも、今よりも「都会度」の高いところに住むことができたであろう妻は筆者の籍に入ることを選んでくれ、この地で暮らしてくれている。

それは筆者とは違う「後天的な田舎暮らし」であり、実際引っ越してきた当初は当たり前に使ってきた化粧品やブランドがないことに戸惑うこともあったようだ。しかしそのことに不平不満を言うでもなく、健気に暮らしてくれている妻に筆者ができる数少ないことは、例えば確定申告のための帳簿の整理であったり、取材他のためのドライバーであったり、また遠征に快く送り出すことくらいであった。

が、コロナウィルスは収束の気配が見えず、どころか拡大の一途を増しており、その感染経路すら把握できていない状態である。一応それは大前提のことであるので述べておくが、同人イベントに罪は一切ない。だからこそ妻は元気がないのだと思うのだが、ともあれこのタイミングで飛行機に乗り、空港を経由し、混雑する公共交通機関を使い、延べ何万人の人が訪れるイベントに参加するというのはやはり「リスク」であると筆者も感じるし、妻自身は謙虚であるからおくびにも出さないが、もし「妻に会いたい」というただそれだけのために同様に上京し、結果その人が感染してしまう――ということが「ほぼほぼありえないけれども、ないとはいいきれない」状態であると考えた時、また妻が感染し、苦しむこと、地域のスプレッダーとなってしまうことを想像するとこれもまた恐ろしいものがある。

だからこそ妻は、自ら、辞退を決断した。今書きながら、筆者は思う。お前は、お前はまたそうなのか。ここでもそうなのか、と。職場で常日頃思っていることだ。「自分が嫌われ者になる」ことで改善する状況というのが必ずあると。しかし筆者はなかなか踏み出せないでいる。今回もそうであった。夫である自分がするべきは、自分から妻に今回の同人イベントを辞退するよう説得することではなかったかと。例え筆者に不満を持っても、「筆者に言われたのだから」と罪悪感を持つことなく大切な人にリスクを回避させることこそが自分の役割ではなかったかと。

よりにもよって天気は荒れており、低気圧で明日もひどく冷え込むという。少しでも妻の心を温めるために何ができるだろうか。とりあえずは「オーバークック2」を二人でプレイした。げっ歯類キャラ二名という衛生観念に真っ向から逆らったシェフ・セレクトにコロナウイルスへの怒りがにじみ出ているように思う。明日は遊戯王TFSPで「つまのかんがえたさいきょうのデッキ」が出来たらしいので対戦をするつもりである。

一連の騒動が早く収束することを願う。皆様の無事を祈る。来月は二人で関東のライブに行く予定だ。あの時は心配のし過ぎだったね、と笑えるように、どうか杞憂に終わってほしい。

本題

余談が、ながくなった。

本当は明日まで、記事は書かないつもりだった。

が、どうしてもこの祝祭の前夜に「大切な人たち」についても、筆者は書いておきたかったのである。

IZ*ONE(以下文中アイズワン)諸賢がいよいよ明日、カムバックする。

止まっていた時がとうとう動き出す。

既に読者諸賢においては何度再生したかわからないティザーを今一度張っておこう。


IZ*ONE (아이즈원) - 'FIESTA' MV Teaser

相変わらずの、いやますますの美しさに終始口がぽかんとしたままになってしまう。

100日。我々は100日待ったのである。彼女たちは、100日苦しんだのである。

100日という重さを我々はそんじょそこらの人々よりよっぽど知っているはずだ。誰あろうプロデューサー本人によって大いに泥を塗られてしまったけれど、彼女たちは間違いなく惑い、努力し、苦しみ、そして輝いていたあのPRODUCE48の日々こそが100日であったのだから。

どうして筆者はこの記事を書いているのか。メガコーポ・Googleに自分の個人情報を引き渡すようになって久しいが、そんなGoogleが「1年前の思い出を振り返りましょう」というような通知で送ってきたのが前掲した写真であった。

そう、ちょうど1年前はこの記事を上梓した日であった。

 

kimotokanata.hatenablog.com

 実はこのエチュードハウスがあるアミュプラザ鹿児島にはSHIBUYA109があるのである。何を言っているかわからねーと思うが実際そうなので一回流していただきたい。そのおかげで直筆サイン入りポスターやポップアップショップが展開されており、このブログにとってはもはや常套句、タイミングを逃してしまってそのままになっていたのであるが、撮影したりグッズ購入を行ったりしていたのである。エチュードハウスの行列に並んでいる途中もアイズワンに対する現役女子小中高大生の言及は多く、本当に「若い世代」に人気なのだなあと実感したことも思い出す。この後、バンパイア発売時にも行ったりした。

そういったことが通知によって思い出され、また復活したプライベートメールの着弾が続くという幸福な悩みも合わさって思わず打鍵へと至ったというわけだ。

諸賢、プライベートメールは取得しているだろうか。復元を忘れたりしていないだろうか?

中断以前、筆者は一推しであるチャン・ウォニョンさんを、妻も同様に宮脇咲良さんを購読していた。が、今回ご祝儀という意味もあって、軽い気持ちで全員分を受信してみることにした。

2月14日。仕事終わり(18時半)、アイズワンプライベートメールアプリを立ち上げると未読フォルダ「12」、メールの到着を示すメンバーそれぞれのアイコンが全員解禁時間である18時に合わせてずらっと並んでいるのを見た時の筆者の感動、戦慄、快哉はなかなか文章という形に落とし込むのは難しい。いうなればそれは祝祭開始の合図であった。

駄目ですねこれは。来月以降誰かを辞めることなんてできませんね。これだけのコンテンツで月4千円しないのなら今後しばらく本・ゲームを購入せず積んでいるものを崩していけば何とかなりそうですね。福利厚生費ですよこれは……。

暫くはカムバックの裏話やオフショットも期待できそうであるので、ぜひ今からでも購読をお勧めする次第である。

やはり言ってしまえば「課金アイテム」であるので内容をつぶさに伝えることはできないが、筆者のような群像劇スキー、ザッピングによる物語の構成が立体的に浮かび上がるさまに喜びを覚える人間としては、今日の宮脇咲良さんとチェ・イェナさんのメールなどまさに……という感じであったし、矢吹奈子さんのゆるい連帯を感じることができかつこまめなメールは素晴らしいし、本田仁美さんのかゆいところに手が届くいい意味で「AKB出身アイドル」っぽいところは最高で、チョ・ユリさんの素朴なのにミステリアスというか興味を引く文面の魅力は他に耐えがたい。カン・ヘウォンさんの世界を俯瞰するような美しさとユーモアは相変わらずだし、キム・チェウォンさんの彼女らしい女子力とウィズワン愛溢れる悩みを垣間見れるのは贅沢だ。キム・ミンジュさんの清さをそのまま掬い取ったようなメールもコタツのような優しい暖かさがある。イ・チェヨンさんのミッションを生で見た時の感動と、センイル関係の健気さ。チェヨンさんとミンジュさんはどこかでお祝いする機会を改めて設けてほしいものだ。アン・ユジンくんのメールの勢いは今すぐどこへでも駆け出したいエネルギーがそのまま感じ取れたし、少女時代のカバーも素晴らしかったチャン・ウォニョンさんのメールは他と比較すると文章がやはり若いという新しい発見があった。

しかし今回、筆者が一番胸を打たれたのはクォン・ウンビさんのメールだった。小さな体に大きな責任を宿した彼女はきっとこの100日間誰よりもつらかったろうにそんなそぶりは一切伺わせず、オンニを通り越してオンマですらあるような大きな愛でもってアイズワンを、ウィズワンを包み込んでくれ、また必ずメールに日本語を併記してくれてていた。この言葉が丁寧でありながら、言葉のチョイスが絶妙で少女のようなかわいらしさであり、ウンビさんの声で難なく再生されてしまうのがまたおかしい。今回前髪を作ったことでより少女めいて見えることがそれに拍車をかける。

彼女の誕生日配信でも思ったけれど、本当にウンビさんがアイズワンのリーダーでよかった。


日本語字幕【 Rise feat.IZ*ONE 】 Jonas Blue

祝祭が始まる。大いに笑いたい、喜びたい。

本当に楽しみである。あとは上がるしかないという信頼がある。

我らは今日のために生まれたのだ。笑うために生まれたのだから。

義なるものの上にも不義なるものの上にも静かに夜は降る

今週のお題「元気の秘訣」

体調を崩している。

もともと溌溂とした人間ではないが、しかしよくよく考えると今年になって体調万全という日がない気がする。

今日はとうとう鼻水が止まらず、熱も出てしまった。

それこそ二十年間聴き続けてきたマッキ―こと槇原敬之も捕まってしまって、心身ボロボロである。

この記事は布団で書いている。そう、surfaceGOならね。

元気でないなりに元気の秘訣を書いておこうと思うが、しかしこの状況になるとその秘訣が遠くなってしまうので困ってしまう。

筆者はもともと薩摩人であるからかどうかわからないが、あまり生に執着することはないが、オタクとなることによって「〇〇の発売日までは生きよう」「××を見るまでは死ねない」という精神を得るに至った。

「推し」を見つける。これもまた「元気の秘訣」であることであろう。

ただ、ことによると今回の筆者にとってのマッキーのように逆に体調にとどめを刺す出来事が起こる場合もあるが……。

しかし広島時代、故郷を離れ孤独な独り暮らしの日々において「ご飯ができたよ」や「いつでも帰っておいで」「ココロノコンパス」「カイト」が筆者の心を奮い立たせてくれたことは紛れもない事実であることは、ここに記しておきたいと思う。

open.spotify.com

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痛みが走るそのたびに

鉄のように堅いこころなら

どんなにいいかと誰もが

考えてしまうものだけど

この心と生きなければ

同じ痛みを誰かに感じさせまいと思える

そんな君にはなれない

 

誰かのために

何かをするのは難しいけど

そうなりたいと思う

自分に嘘はつけないのだから

槇原敬之「ココロノコンパス」より

罪には罰であって、しかるべき報いを受けてほしいが、Twitterとかでクソつまらない大喜利のネタとして消費されるのはなかなか辛いものがある。落ち着いたら自分とマッキーについてをまとめてみたいと思う。

それでもう一つの元気の秘訣は、特にひねりもなく妻なのであるが、唐突に挿入されたマッキーへのクソデカ感情によって伏線の文章をいい感じに読者諸賢が忘却していると思うのでもう一度記しておくと、体調を崩せば崩すほど元気の秘訣であるところの妻は遠ざかってしまうのである。物理的に。

というのも筆者は体調を崩すと別室(書斎)に自らを隔離するからである。冷暖房がない。今日は暖かくてよかった。

感染ももちろんだが、筆者はたいてい鼻風邪をこじらせるので、鼻が詰まる→口呼吸になる→いびきをかく→妻の安眠が阻害されるということになるのである。

妻は気にしないといってくれるが、自分のあずかり知らぬところでしかし明らかに愛妻を加害しているというのは一応尋常の精神を持っているつもりである筆者には耐えがたいことであり、毎回このような手段をとることにしている。

願わくば元気の秘訣であるところの妻には末永く元気でいてほしいと思う。

君は僕の宝物

いけないいけないあの子の末路――MAD TRIGGER CREW「MAD TRIGGER CREW-Before The 2nd D.R.B-」Drama Track「All in the same boat」感想とか考察など。

Drama Track「All in the same boat」

題名の長さに思わず黄昏る三人。

余談

相変わらず夫婦でヒプマイをたしなんでいて、妻はどこかの連動特典のために予約も完了しているのだが地方ディヴィジョンの哀しさ、届く気配がないのでまずは配信にて聴くことになった。Drama Track「All in the same boat」が流れる食卓。毎回何かしらの方法で男が喘いでいるのは義務か何かなのだろうか?

ともあれ少しの謎が解け、多くの謎をばらまいた本作の感想を今のうちに書いておきたい。イケブクロの感想は書こう書こうと思って年が明けてしまったので……。

本題

ヒプノシスマイク全般の容赦ないネタバレがあります

かつて筆者がヒプマイのコンセプトを聞いた時、初めに抱いた感想が「面白そうだけど、『男たちのプライドをかけたラップバトル』ならフィメールラッパーは望めないのかな、もったいない」であった。それが錯覚であったことはヒプマイヘッズ諸賢なら既にご承知の通りであろうが、今回のドラマトラックを聞くに及んで筆者はさらなる推察を深めずにいられなかった。

勝手なあらすじ

碧棺左馬刻。自己紹介に定評のあるヤクザ。その甲斐あってか街の顔である彼は「妹を守ろうとする兄」のために街中でヒプノシスマイクを使ってしまう。

その結果呼び寄せてしまったのは言の葉党。そして――。

行政監察局副局長、碧棺合歓。彼の実の妹であった。

明らかに狼狽する碧棺左馬刻。カリスマブレイクも甚だしく、そのショックの甚大さが窺い知れる。大体警察官を辞めずにブチャラティと出会った場合のアバッキオみたいな入間銃兎がその上昇志向を投げうってまで擁護しようとするも拒否する始末(それじゃあただ上司に怒られるイルマティック入間銃兎a.k.a45rabbitsがバカみたいじゃあないですか)。

しかし意外とパソコンも軽やかに使いこなす、今のところクレイジー要素が料理しかない荒ぶる侍かと思えば英国紳士みたいな将太の寿司で言えば(なんで将太の寿司で言うのか)大年寺三郎太のような毒島メイソン理鶯に諭されつつ、「お守り」をめぐるやり取りによって合歓が通常の状態ではないと分かった碧棺左馬刻は一転攻勢に出る。

間違いなく「きょうだい」を感じさせる碧棺リリックバトルは兄が優勢の中、合歓はかつての彼女の片鱗を見せる。いびつな感情に葛藤する合歓。あとひと押し、と思われたが、勘解由小路無花果からの入電により独断専行を咎められた合歓と言の葉党はその場を退散するのだった……。

そして入れ違いに現れた飴村乱数は、合歓をあのように変えたのは彼の「真正ヒプノシスマイク」によるものだと碧棺左馬刻に告げるのだった…つづく。

 

本当にぶつっと終わるから最初我が家ではアレクサが叱られました。ごめんねアレクサ。

感想とか考察とか

www.youtube.com

下界に忍ぶ三体の菩薩が Neo Babyloniaの街を歩く

――Awitch「洗脳」より。以下引用すべて同じ。

一聴してまず頭をよぎったのが最近妻がヘビロテしていたこの曲。

勘解由小路無花果がアルバムで披露した時「まさか……」と思い、

画伯…いや東方天乙統女が登場した時「よもや……」と思ったが、

今回の碧棺合歓の登場により筆者はほとんど確信を抱いた。

中王区で三人そろったからチームができるな、と。

次回、もしくは次々回の最終決戦はディビジョンラップバトルで勝ち上がったディヴィジョンVSこの三人になるのではなかろうか。

サテンシャツ着たペテン師は踊る

毒島メイソン理鶯が調べたところ「ヒプノシスキャンセラー」は中王区外部で製作されているという。彼も言う通りわざわざリスクを冒してまで外部で製作する理由は何だろうか?

もちろん中王区が一枚上手でダミーだったという可能性もあるが、「外部製作」が事実であったとして話を進めてみよう。

1.天谷奴零、あるいはその関係者が製作している

男性なので中王区外部での製作が基本になるよね、という。「飴村乱数」の「完成品」及び監視システムの構築にかかわっているらしき天谷奴零。ヒプノシスキャンセラーにも関わっているとしてもおかしくないだろう。その場合、暗躍ぶりからしてただ単に無効化できるだけではないトロイの木馬としての役割がありそうだが……?

2.言の葉党の身内にヒプノシスキャンセラーを使われるとまずい人物がいる

「真正ヒプノシスマイクによる洗脳もヒプノシスキャンセラーは解除できるのか」はヒプマイでの謎の一つになっているが仮にそれが真であるとすれば、ヒプノシスマイクで政権を得た言の葉党はその内部においても洗脳でもって掌握した人材が少なからずいるのではないか。今回の碧棺合歓などまさしくその証左であろう。

とすれば中王区内でうかつに操作することでそれらの人々が正気に戻ってしまうのを防ぐために外部での製作を行っているのかもしれない。

思考回路に巧みに絡みつき

根を張られたが運の尽き

それは想像力に影響して

我々の思考パターンさえも設定

今回のコトの発端は碧棺合歓が碧棺左馬刻の街中でのヒプノシスマイク使用を見咎めたからであった。

合歓の前任者はまさしくヒプノシスキャンセラーを巡る事件によって失脚しており、その就任から日が浅いとはいえそれまでに同様に使用していたことも恐らく、あったのではないかと思うのである。碧棺左馬刻だし。

なぜ今回に限って合歓が反応したのか。どこからかの報告で碧棺左馬刻が「きょうだい」を助けようとしたこと知ったからではないか。彼女の深層心理が「妹を大切にする兄」を思い起こさせ、そこに向かわせたのではないか?

兄に会いたいという深層心理を補完する言い訳が「兄を逮捕する」だなんて何とも切なすぎる兄妹ではないか。

で、さらに踏み込むと飴村乱数があの場にいたということは、それを合歓の耳に入れたのは彼の仕業ではないか、とも筆者は勘ぐってしまうのである。彼なりに「真正ヒプノシスマイク」で洗脳してしまった合歓を解放しようとしているのではないかと。それは言の葉党への復讐心が大きいとしても。

「真正ヒプノシスマイク」の設定がコミカライズと同様であれば、それは彼以外の「彼」が犠牲になってまで手に入れた「洗脳」でもあるのだが。同じくコミカライズで語られた神宮寺寂雷との訣別のきっかけであった「ある少女に行った許されないこと」がこの洗脳であるとするのなら、訣別前に戻りたいという気持ちもあるのだろうか。あってほしい。

三角 立場 力 競争

勝敗 商売 になっちゃってる戦争

恐らくはシブヤのドラマトラックはあの衝撃の告白の直後から、あるいは何もなかったかのように進んで最後に実は…という感じだと思われるが、そうなるとイケブクロで急にヘイトを稼ぐ損な役回りと謎の酒盛りを行ったオオサカを踏まえ、神宮寺寂雷と天国獄の因縁を鑑みるに、

イケブクロVSオオサカ

ヨコハマVSシブヤ

シンジュクVSナゴヤ

が次回のバトルシーズン初戦(設定としては決勝リーグ?)となるのだろうか。

できればたくさんバトルを見たいので総当たりにしてほしいのだが……。

また来月を楽しみに待ちたい。というかこんだけヒプノシスキャンセラーの話をしたけど今んとこ本編だと一番効果的なのは肉親のヒプノシスマイクなのだがそれでいいのだろうか。

全ては同じ船の上。いつか言の葉党に向けて各ディヴィジョンが呉越同舟するさまを見てみたいものだと思う。

odaibako.net

 

大河ドラマ「麒麟がくる」第一回「光秀、西へ」感想

麒麟がくる」のネタバレがあります

余談

沢尻エリカ氏逮捕の報を出先で知った時の筆者(イメージ)

昨年は特に大河ドラマにとって受難の年であった。薬物の恐ろしさ、反社会性はもちろん筆者も理解しているが、さりとて作品には罪はない。このあたりの切り分けがどうにかできないものかと思う。収益を対策機関に割り振るとか。

そういう意味では個人的には「西郷どん」は内容はいっぱい言いたいことはあるけど不祥事は出なかったのでまさしく無事これ名馬という感じであるな。いや本当に役者の皆様は最高だったんですよ「西郷どん」……鈴木亮平さんは一生推していこうと思います。

大河ドラマ麒麟がくる」はオリンピック・パラリンピックの影響でただでさえ放送回想が少ないうえ、このゴタゴタでさらに放送回数が減ってしまったという。内容にしわ寄せが来ないようにするというのは無理な話であるが、最小限で済めばよいと思う。

ちなみに直前に書いた記事は明智光秀の子孫といううわさもある坂本龍馬とその愛刀が話の軸となる舞台の感想記事です。

kimotokanata.hatenablog.com

本題

いわゆる「本麒麟」に備える筆者(イメージ)

第一回放送終了後、次回以降の予告に興奮する筆者(イメージ)

いやー……楽しんでいますね(自分の盛り上がりぶりにちょっと引いたオタク)

今回の大河で目を引くのはいの一番にツイートしたようにその画面の鮮やかさ。

中世、室町末期。それは決して古き良き時代などではなく、道を歩けばランダムイベントのように乱暴狼藉、人身売買、関所トラップにエンカウントする時代。

利によって堺が栄え、義が廃れて京が荒廃する時代。

荒涼とした乱世に平和の象徴・麒麟はいない。

一話にてそう断じた明智十兵衛光秀は今後麒麟を見出すのか、それとも……。

前途は多難であるが空は青く、木々瑞々しいそのコントラストが時代の熱、胎動する次代を現わしているようでわくわくさせられた。果たしてこの彩度で安土城がどのように描写されるのか今から楽しみである……してくれるよね?

人物で言えば「国盗り二代説」を採用しながら商人の利の要素が色濃く、それ以上に色気がすごすぎる本木雅弘さんの斉藤道三、商人というか完全に「ブラックスミス」だった大塚明夫さん演じる辻屋宗次郎、今から爆死の様子がありありとシミュレーションできる吉田鋼太郎さんの松永久秀などもう濃度がすごい。まずは長良川の戦いがどのように描写されるかが楽しみである。

一話にして延暦寺焼き討ちフラグをはじめ多くの伏線も打ち立てられているが、個人的には松永弾正久秀として知られる松永久秀(以前は道三と同じ西の岡出身説もあったが最近は摂津説が有力になっているようで、セリフもそれを踏まえていたのは個人的に好印象)が山城守こと道三を尊敬している描写があり、ほんの一時期、松永久秀が史実で「山城守」と名乗っていた(呼ばれていた)らしいことと何か絡めてくるのか? ということ。普通に考えればのち彼が「梟雄」としてのし上がっていくことの伏線なんだろうけれども、こういうところまで拾ってくれると嬉しいなあと思う。

長谷川さんの明智十兵衛光秀は麒麟がくるというか麒麟がキルというくらい冒頭からばっさばっさと切り伏せていて戦国……!という感じであったし、色んな目上に食って掛かったり、酒に飲まれたり、お金の管理できていなかったりと「若さ」をバリバリに感じられてよかった。松永久秀ににじり寄るところは同じNHKの「獄門島」を思い出させてもらった。

kimotokanata.hatenablog.com

明智光秀という人は織田信長だったり豊臣秀吉だったりがめちゃくちゃアグレッシブなので相対的にちょっと「静」というか、おとなしい、苦労人、みたいなイメージになりがちであるが今後も成長しつつ今までの明智像を覆すような姿を見てみたいなあと思う。

川口春奈さんの帰蝶も同じようにアクティブな女性という感じでよかった。さりげなく信長との結婚は再婚説をとることもわかり、その辺りも注目である。

「道三ロス」が早くも心配ではあるが、 しかし来週も楽しみに待ちたい。

 

ちなみに今回筆者の代理を務めてくださったかわいいネコチャンたちは鹿児島市内の猫カフェ「ねこ天使」さんにて触れ合うことができる。機会があればぜひ訪れていただきたい。

nayadori.com

 

死候時も猶御側ニ在之候思在之候―「舞台『刀剣乱舞』維伝 朧の志士たち」観劇感想とか考察とか


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※刀ステのネタバレをバンバン行います

余談

当時多くの人に読んでいただき、未だに一日あたりのPVの最高記録を記録した記事からちょうど一年が経とうとしている。

 

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鑑賞したそのままのテンションで打鍵したため内容が荒くお恥ずかしいのだが、その分気持ちをストレートに乗せることができたためか、Twitterでの告知ツイートも多くのfavやRTを頂き、いわゆる「クソリプ」もなく、審神者諸賢のやさしさに思わず拝んだものであった。

 お読みいただいた多くの先達の審神者諸賢から「刀ステはいいぞ…いい…」というお言葉を頂戴した。「舞台『刀剣乱舞』」通称「刀ステ」。「映画『刀剣乱舞』」の祖なるもの。そこで育まれたものが銀幕に炸裂することによって、筆者は得難い幸福を得ることができた。

上記感想記事で抱いた疑問点のいくつかも過去の「刀ステ」を参照すれば解決するということでさっそく筆者は衝動のままに当時DMMで購入できた過去作を購入し、しかし業務繁忙期に突入し、ようやく落ち着いてみようと思ったら衝動の愚かさ、過去作配信はレンタル限定であったので既に再購入が必要な状態となっていた。その愚かさを戒めるため、しばしの間筆者はDL購入禁止を己に課したのであった。

そうした間にも時は流れゆき、新たな元号へ移ろうとしていた時、特命調査の知らせが我が本丸にももたらされた。

その場所は、「文久土佐藩」。

 

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 その五文字から励起される感情をやはり深夜にぶつけたものが上記の記事である。そう、筆者の初期刀は陸奥守吉行であった。

 

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 陸奥守吉行は何かと情緒不安定な幕末組の中で割とどっかりと安心できるメンタルの持ち主……と思いきや銃と刀の二つ使いというそのスタイルが物語るように他人との間合いを二重に持っているような複雑さ、わかりやすい快男児の奥底に潜む人口に膾炙するほど有名な人物の愛刀でありその臨終に居合わせながらついに守ることができなかった刀という事実に由来する「刀である自分を否定したいほどの自分への怒り」が見え隠れするという入り口は広いのに奥が沼っていうか泥炭地みたいになっているところが魅力だと勝手に思っているのだが、それがわずか三十分足らずの尺で結実されている「活撃刀剣乱舞」第九話がとにかく最高なのでぜひ未見の諸賢はこの話だけでも見てみてほしい。

急に早口になってしまったがとにかくそういった特別な感情のある陸奥守吉行がメインということで特命調査の開始までを指折り数えて待ち、始まってからは四年分貯めていましたといわんばかりの土佐組エピソードの数々に急激な血刀値(血中刀剣乱舞値の略)の上昇に悶えながらも肥前忠広、南海太郎朝尊を本丸に迎えに行くことに成功した。

 

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 その後やはり深夜の勢いで……お前一回でいいからちゃんと日中に試行錯誤して推敲した記事を書けや! ともあれ上記の考察記事のような感想記事のようなものを書いてしまったのである。

そしてこれもまた多くの人に読んでいただき、Googleで「文久土佐藩」で検索するとありがたいことに個人ブログでは最初に紹介していただいているようだ。

大塚英志先生の受け売りでこれまでもたびたび引用しているが、筆者の執筆人生のサビなのでもう一度書かせていただくと、速度。大切なのは速度なのだ。速度に乗せなければ届かない言葉というのは必ずある。だから筆者は今後もこういう深夜の勢い記事を書き続けていくことになるのだろうと思う。言葉を選び推敲し地固めをしていく中で失われていく熱というのは絶対にあるから。もちろん、それを言い訳にはせず精度は上げていかなくてはならないが……。

逆に時期を見ようとして結局展示の最終日に投稿してしまった下記記事などはもっとやりようがあったのではないかと悔やんでいたりもする。

 

kimotokanata.hatenablog.com

 とはいえ「文久土佐藩」イベントによって供給してもらったあれやこれやであと四年は戦えると筆者は意気軒高であった。

 そこにこのどでかい知らせが飛び込んできた。聞けば、慈伝が聚楽第を下敷きにしていたから賢明にして怜悧なる審神者諸賢においては予測に上がっていたというが、こちとら前元号のイベントをまだ咀嚼して終わってないのにぶち込んでくるのやめてもらいます!? まだ筆者が「文久土佐藩(ゲーム版)」食べてるでしょうが!!

ながらもやはり気になってしまうのが人情であり、ゲーム内にて応募ができるということで軽率に応募してしまった。

当選した。同伴者として妻も一緒である。「夢を買っていると思おう」くらいの気持ちで応募したので物欲センサーが発動しなかったのかもしれない。

ローチケからチケットが届くに至り筆者は気持ちと頬が高揚していくのを感じた。満を持して過去作を予習することを決意した。とはいえ内容もボリュームも特盛の作品揃い。結局年末年始のまとまった休みでようやく鑑賞することができた。

なるほど「映画『刀剣乱舞』」で筆者が感じた諸々が腑に落ちた。不動行光の森蘭丸を見る瞳、黒田官兵衛の不在……そして「悲伝」に至り、「刀ステ」は筆者の頭髪に複数の白髪を顕現させたのであった。

画面越しでこれであるならば、生で観劇したのならば一体どうなってしまうのか?

辞世の句をしたためるかどうかを逡巡しつつ、日ごろ絶対に無理な四時半起床を達成して我々は福岡サンパレスホールに向かったのであった。

本題

1 大綱。国家の大本。「維綱/綱維」

2 つな。糸すじ。「維管束/繊維・地維・天維」

3 つなぎとめる。「維持」

4 すみ。「四維」

5 文のリズムを整え強める助字。これ。「維新」

――小学館大辞泉」より。

感想:ゲームイベント・セリフの舞台への落とし込みの見事さに感服

心あらば刀ステ見よや桜島 その尊さに灰左様なら

―木本仮名太辞世

 

逡巡したがしたためておいてよかった。開始五分でもう駄目だった。

刀剣男士が堀川国広しか出ていない段階でもう泣いてしまった。

史実の文久土佐藩、そのキーポイント。

一つ、吉田東洋の暗殺。

二つ、岡田以蔵武市半平太の投獄と惨死。

三つ――。

いや、まずは二点から話を進めたい。

開始から怒涛の勢いで日本を愛する若者たちによる土佐勤皇党の勃興、繁栄、転落が描かれる。しかしそれは演じる役者諸賢の脅威の熱量によってその行間が分厚く補填され、武市の無念さと矜持(史実通りの三文字の切腹!)、以蔵の寂寥、龍馬の慟哭が見事に表現されており、世にいうクソデカ感情をまともに涙腺に受けて左目はモイスチャーであった。

吉田東洋と以蔵の殺陣もすごいし、その後のもともとの刺客(那須信吾、安岡嘉助、大石団蔵)に手柄を譲るところの切なさもよい。(ちなみに筆者は「お~い!竜馬」で以蔵が拷問で吉田東洋の下手人は竜馬ではないかと聞かれたときに「竜馬だったらあんなことはせずに昼間の往来で堂々と斬ったろうよ」と答えるシーンがめちゃくちゃ好きである)

その史実が展開されたのち、入電。そう、ゲームのあの演出である!

刀剣男士たちは土佐勤皇党が恐怖政治を敷いている「放棄された世界」へ特命調査へ向かう。そこでは上記のキーポイント二つがなかったかのように進行している。

この奇妙な緊張とワクワクはなかなか言葉にしがたい。かつて自分がタップし、クリックして進めていったイベントがものすごいクォリティで眼前に再現されていくのである。

これは本当に不思議なのだが、ゲームの声優さんと声も違うのに舞台で見るとまさしく「そのもの」であるのは役者さんたちのすさまじさで、世代的には「マジで刀剣の付喪神をO.S(オーバーソウル)しているのでは?」と思ってしまうほどであった。

坂本龍馬陸奥守吉行、武市半平太の南海太郎朝尊、岡田以蔵肥前忠広の揃い踏み。

南海太郎朝尊はちゃめちゃ罠紀行。

そして異形の土佐。

 

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かつて筆者は「宴奏会」でそのキャッチコピー通り「あなたの本丸が、今ここに」という感慨を味わいつつも、当時は未踏破のステージもあったため申し訳なさがあったが、今回はイベントを予習していたためまさしくシンクロ率120パーセントの状態で舞台を楽しめる嬉しさがあった。

ゲームには登場しなかった歴史上の人物――坂本龍馬岡田以蔵武市半平太吉田東洋、(後藤象二郎、乾退助)――彼らがより物語に躍動感を与えてくれていた。

坂本龍馬はまさしく筆者のイメージする龍馬で、筆者が観劇していた三階席をいじっていたことをもあってますます感情移入してしまった。

岡田以蔵のそれこそ小動物さながらのイノセンスゆえの危うさとその敏捷性には終始目と感情が忙しかった。

武市半平太の間違いなく日本を考えるが故の動脈硬化と判断の融通の利かなさにやきもきさせられながらもその「アギ」らしさの説得力のすばらしさ。

そして吉田東洋。今回の主要歴史上の登場人物の中で最も狭義の「武士」である男。その威厳、御恩と奉公の精神を体現する姿には圧倒させられたし、それが殺陣にも堂々と現れていた。個人的に感動したのは演者が唐橋充さんであったこと。特撮作品において筆者の思春期の情動をぐちゃぐちゃにしてくれた作品、仮面ライダー555ファイズ)。そこで海藤直也/ スネークオルフェノクを演じられていたのが唐橋充さんだった。彼に焦点があてられるエピソード「夢の守り人」は今なお特撮ファンの間で語り継がれる名編だ。

「夢ってのは呪いと同じなんだよ。 呪いを解くには、夢を叶えなきゃいけない。 ……でも、途中で挫折した人間はずっと呪われたままなんだ。」

そのセリフはこの舞台においてもリフレインすることに何ともいえぬ感情を筆者は抱かざるを得ないのであった。

あっという間に一幕が終わり、思わず歴史上の登場人物セットを追いブロ(マイド)してしまう筆者であった。

ただ。

ワクワクに比例して、緊張も大きくなっていく。「破綻」が見え、筆者は握りしめた拳に汗がにじんでいるのを感じる。

そのタイミングで明かされる岡田以蔵の異形。

そう、ゲームには登場しなかった、といったがすまんありゃウソだった。

ゲームで特殊名として現れ議論を呼んだ幻影人斬り隊の隊長「脇差_郷士」。まさしくそれを思わせる姿に岡田以蔵は豹変する。

ここで原作イベントを予習済みの審神者諸賢は武市半平太吉田東洋も同様であると予想したことであろう。果たしてその通りであった。彼らもまた異形へと変貌していく。

そんな彼らを涙ながらに説得する龍馬。

しかしその説得の内容は「文久土佐を生きる龍馬」には知りようのないもの……。

筆者は胸がズクンと痛むのを感じる。

シリーズ物のミステリーの王道として、あるパターンがある。

「身内が犯人」である。探偵はそんなはずはないと徹底的に調べるが調べれば調べるほどその疑いが確固たるものになっていき……。

冒頭、語られた史実の最後で龍馬の前に出てきた時間遡行軍。

権力者側の武市を死なせないと強く決意し、行動するさま。

そして知るはずのない未来の情報という「秘密の暴露」……。

文久土佐藩の三つのキーポイント。その最後の一つ。

三つ、坂本龍馬の脱藩。

ゲームイベントでもそうであったように、この舞台においてもその部分は巧妙にぼかされていた。その真相は「犯人」自身の口から語られることになる。

実際の歴史で脱藩後、武市と以蔵の死を知った彼は脱藩さえしなければと悔い、自分が脱藩しなかった(してもすぐに戻ってきた)歴史を生み出してしまったのである。

この文久土佐藩の改変を目論んだ黒幕は坂本龍馬その人であった。

いや、それは正確でない。ゲームでは「幻影」と呼称された彼らは「刀ステ」では「朧の志士」と名乗った。なんにせよ彼らは「偽物」であり、我々の知る歴史上の人物本人ではないようである。

このことについての考察は別項に譲るが、「朧」であっても彼らの苦悩は本物のそれと同じ、いやある部分ではそれ以上であるといってもよいかもしれない。

なぜって「黒幕」である「朧の龍馬」がしっかりと脱藩しない限り日本は前には進まないのである。

維。その意味の第一。大綱。国家の大本。そう、維伝が坂本龍馬の「日本を考える」ことからスタートしたのは偶然ではないのだろう。佐幕か尊王か。開国か攘夷か。それは揺籃たる淀んだ文久土佐藩の中では永遠に出ない答えだ。国家、日本を考えるもの、志士が私情に囚われたことで生まれた世界では「維」を「伝」えることは決してできない。なんと残酷な構図であろうか。

「朧の歴史上の登場人物」たちは「朧の龍馬」が励起したためか、「国家の大本」について特にこだわっているところもまた地獄めいている。

その登場人物たちにアプローチするのがそれぞれの佩刀というのがまた…王道ではあるが…王道はやはり人の心を動かすのに効果的だから王道なのだなと再確認した。

人を斬りたくない、人を斬らなければ生きていけない岡田以蔵。彼にとって「刀の延長線上に人がいる」時、その人は全て斬って捨てねばならない者達であった。修羅さながらに人を斬り、弑したとき、岡田以蔵は既に刀そのものに成り果てていた。そんな元の主を軽蔑した様子であった肥前忠広はしかし文字通り鎬を削る壮絶な剣戟の中で「わかって」しまう。それは岡田以蔵も同様に。

「斬りたいわけじゃねえんだ……斬りたいわけじゃねえんだよ……。誰も信じてくれねぇだろうが……」

 人斬りの刀と嘯いていた肥前忠広。そうではない。そうではないのだ。なかったのだ。彼はわかったのだ。

自分はそんじょそこらの人斬りの刀ではない。

人斬り以蔵の刀なのだと。

この、哀しい男の佩刀なのだと。だから奥底に眠ったこの感情はこの男と自分は一緒なのだと、理解した。叫ばずにはいられなかった。ゲームでは放置していると絞り出すかのように言うこのセリフが福岡サンパレスホールに魂の絶叫としてこだました時、筆者の瞼から水分が堰を切ったようにあふれた。

誰も信じてくれないと思っていた。でもわかるのだ。自分の気持ちを岡田以蔵がわかってくれていることを。わかってしまったのだ。同じ気持ちを岡田以蔵が持っていることを。

そして岡田以蔵も同様に肥前忠広にシンパシーを感じ、「斬らなければ倒される、ならば倒されればもう斬らなくてよい」という悲しい結論に至ってしまう……。

絶対そこで死んだかと思ったら死んでいなかったのはちょっと拍子抜けしたが(布団に安静にさせられているさまはちょっとシュール)、その後、史実での勝海舟護衛を想起させるかのような刀剣男士たちの護衛につくあたりは岡田以蔵が一番「均しの世」に近いのではないかと思わせてくれたし、この世界線での「肥前忠広が佩刀となる瞬間」を肥前忠広が見届けるシーンはジーンと(韻を踏むな)させられた。

 

維。その意味の第二。 つな。糸すじ。何もかも靄にかかったかのようにはっきりしないこの文久土佐藩という迷宮にアリアドネの糸をよこしたのが南海太郎朝尊である。(まあ一人では帰れないんですけど)新たに顕現した彼によって事態は収束に向かっていく。いわば出来立てほやほやな彼は「刀であること」「人でないこと」に自覚的で、「朧の武市半平太」もいつものように飄々と研究対象として対するかに思われたが……。

やっぱり、彼もわかってしまう。刀剣研究家の刀工の逸話からなる要素が多いと自己分析していた彼でさえも、武市半平太と剣を合わせ、鍔を迫り合えば、彼が実直でしかし頑固、土佐の若者という糸を縒り集めて土佐勤皇党という綱とし、それでもって日本を変えようとしていた熱い志士であったことが。そして自分自身が間違いなくその男の愛刀であり、そこからあふれ出る気持ちの揺らぎに自分が翻弄されていることも。南海太郎朝尊というキャラクターの見方をその数分で大きく変えられてしまう印象深いシーンであった。

維。その意味の第三。つなぎとめる。坂本龍馬という稀代の風雲児は文字通りの維新回天の立役者、時代を、日本を先に動かした人物であった。それが、友情に、私情に、妄執に囚われ「文久土佐藩」という歪な世界を生み出してしまう。時は前にしか進まない。それをつなぎとめようとしたときグロテスクな歪みが生まれてしまうのは避けられないことであった。

それに自身も耐え切れなかったのか、解き明かされるまで自分自身も黒幕という自覚がなかったようでもある。真相が明かされ動揺しながらもそれまでも気の合っていた陸奥守吉行が史実さながらの理解の速さで「我が家の重宝の刀剣男士となった姿」だと察したとき彼は喜び、そしてシームレスに首を取らせようとする。その潔さ。

「死候時も猶御側ニ在之候思在之候」―以前の記事でも引用した龍馬が寺田屋事件を経て兄・権平に陸奥守吉行をねだった時のこの一文。「死に瀕した時もこの刀がそばにあれば安心していられそうなのです」その刀に自分の死を委ねる。しんどい。しんどすぎるではないか。劇中も端々に「陸奥守吉行」への憧れを語る龍馬のその行動は重過ぎる。

その龍馬にしかし、陸奥守吉行は真っ向勝負を挑む。その心意気を称賛する龍馬。元の主譲りだという陸奥守吉行。

龍馬! お前だぞ!お前がなるんだ!主に!

その筆者の心の声は届くことなくシンクロが美しいスピーディーな攻防が展開され、そして……陸奥守吉行は、刀を否定し続けてきた彼は銃に手傷を負わされながらも「刀」としての本分を果たすのであった。

そして彼が自らは刀である、と宣言して舞台の幕は下りる。

会場は当然のスタンディングオベーションであり、筆者はBlu-rayの予約の準備に取り掛かるのであった……。

ゲームの展開を丁寧に落とし込みつつ、筆者がゲームイベント時や活撃鑑賞時に感じていた「肥前忠広が龍馬に愛用されていた可能性」「陸奥守吉行が佩刀となったタイミング」「南海太郎朝尊の人間味のなさ」などが狙い撃ちされたかのようにフォローされ、「刀剣乱舞五周年」の演出のように「解釈一致大感謝」が墨痕鮮やかに一字ずつ脳内で揮毫されていくのを感じるのだった。

福岡の場合は終演後のグッズ販売はなかったのだが、あったら宿泊費までつぎ込んで野宿になってしまっていたであろうから運営諸賢の英断に感謝である。

考察:朧月夜はいつ昇る?

感想に引き続いて考察を述べていきたい。例によって考察というよりは妄想というのが相応しいのかもしれないが……。

パンフレットを購入した筆者は宿泊先で閲覧し、動揺した。

序伝から維伝に至るまでの物語の間には未だ語られざる四つの物語があるというのだ。

そして刀剣男士の危機を救った「山姥国広然とした時間遡行軍(打刀)」……。

かつて吉田東洋が折ったという刀剣男士たち。

更には「朧の志士」と「放棄された世界」。

その世界の奥深さは凄いを通り越してもはや怖い。

「刀ステ」の物語で重要な要素と言えばループ(円環)である。今回鳥の二振りたちから三日月宗近の円環の世界もまた放棄されたらしいと言及があった。

逆説的に言えば、「放棄された世界」というのは単に歴史が変わってしまっただけではなく、「円環が繰り返されてしまう世界」なのではないかと筆者は思うのである。今回の「文久土佐藩」の世界も文字通り文久年間をループし続けているのではないだろうかと。その中で最も歴史と違う展開になる吉田東洋は繰り返すことでますます意識が「朧」になってしまったのではないかと。(あの世界の人々が坂本龍馬が励起した人たちであるのなら、吉田東洋は武市や以蔵と比べて龍馬の思いが少ないので意識がはっきりしないというのもあるのかもしれない)

それを生み出すには坂本龍馬という超有名偉人の「物語の強さ」が必要だったのではなかろうかと。

先ほどのパンフレットによれば、「序伝」と「虚伝」、「慈伝」と「維伝」の間に未だ語られぬ物語が存在する。筆者は、この二つの「語られざる物語」こそが新たなる円環の起点と終点であり、その結の目は「山姥切国広」なのではないかと考えている。

敗北へと向かう物語、序伝で山姥切国広が折れてしまっていたとしたら? 折れてしまうことで時間遡行軍になってしまったとしたら? 「維伝」の前に山姥切国広極にまつわる物語があるとしたら?

そもそも「虚」とはなんであるのか。既にそれ自体が、我々が今まで見てきたもの自体が本来の物語、いうなれば「実伝」のifストーリーだったのではないか?

維。その意味の第四。すみ。その名の通り、パンフレットによれば今のところ維伝は一番隅である。その後更に後方にストーリーが展開するかはわからないが(してほしい)今ここで提示するということは、維伝はひとつのルートの終わりを示唆しているのではないか。翻って、本来の物語―それが山姥切国広なのか三日月宗近なのかそれ以外の誰かが主軸となるのかはわからないが――はまた違う円環を持っているのではないかと筆者は考えるのである。

冒頭で暗殺される吉田東洋。彼はその日、主君に歴史の講義をした帰りだった。なんの講義か。本能寺の変である。これが果たして偶然だろうか? 筆者は「虚伝に連なる物語は維伝で一つの収束を見る」ことの示唆に思えてならないのである。

朧。月と龍。龍は当然坂本龍馬であろう。そして終盤、二振りの鳥が見上げる三日月。もしかしたら我々の知らない形で今回も「彼」は我々に寄り添ってくれているのかもしれない。筆者は今回の審神者の采配は結構非情であるのでもしかして審神者が代替わりしていたりとか、あるいは審神者その人が三日月宗近だったりしないよね、とちょっと思ったりしている。

いずれにせよ朧月夜が昇るときは近いのかもしれない。

蛇足:「銃男士」?偽坂本龍馬はいつ「顕現」したのか

重箱の隅なのだが、少し気になったこと記しておく。「志士」坂本龍馬を倒した後、その場には壊れた銃が残された。このことから偽坂本龍馬坂本龍馬の銃が顕現したのではないかという推測があり、なるほど唸らされた。

(筆者は「壊れた銃」は史実龍馬の物語が潰えたことの象徴と考えている)

史実の坂本龍馬が銃を手にしたのは薩長同盟が結ばれる少し前、高杉晋作から譲ってもらっており、寺田屋事件にて活躍した。(つまりメタな話をしてしまうと言動の矛盾を突くまでもなく、坂本龍馬が銃を持っていればそれは文久年間の坂本龍馬ではありえないのである) 一方で武市が切腹させられたのはそれより半年以上前。同じころ亀山社中が結成されているのが全く歴史ってやつは…という感じであるが、そうなると親友の死を知るのが半年以上ラグがあったのか、という話になる。昔のことだからそういうこともあるかもしれないが、「亀山社中マジ最高!」みたいな手紙をその間姉・乙女に送っており、であれば史実ではその前には知っていたのではないか、と筆者は思う。

あの「朧の志士・坂本龍馬」が銃から顕現したのであれば、武市と以蔵の死を知った直後からわだかまっていた気持ちが銃を手にし、その有用性が寺田屋事件で示されたことによって龍馬の中で「銃があれば友人たちは死ななかったかもしれない」という気持ちから励起されてあの世界が生まれたと考えると、そして史実では(口実、言いがかりに近いものではあるが)寺田屋事件で銃殺したことが龍馬暗殺の遠因になったことを合わせると、信頼と安心のしんどさを味わってしまわざるを得ないのである。

「一歩引いて……バン!」

その言葉が背負うものは、思った以上に重いのである。

そしてこの気持ちを励起させることを手助けした時間遡行軍がかつての山姥切国広であるとすれば――彼のいう物語の収集は果たして何を意味するのだろうか。やはり序伝を除けば現状時間軸の最初と最後の飾るのが歴史上でもとみに著名で深い物語を持つ織田信長坂本龍馬をめぐる物語であることに筆者は何らかの糸、いや意図を感じずにはいられないのである。

維。その意味の第五。文の意味を整え強める助字。残念ながらその文字を借りても一万字を超えてしまい、がったがたの文章となってしまったことをご容赦願いたい。

舞台刀剣乱舞、その意気、維れ新なり。ますますの発展を願う。

先達はおっしゃっていた。「刀ステはいいぞ…いいぞ…」と。

今ならわかる。「刀ステは(しんど)いいぞ…(しんど)いいぞ…」ということであったのだと。

しばし考察の海に潜りたいと思う。↓なにかございましたらお気軽に。

odaibako.net

 

今日現在を最高値で通過していこう―お題「二十歳」からの思考ドミノ

今週のお題「二十歳」

二十歳、戦争、二人の作家。

 このツイートをした時筆者は二十六歳だった。そしてある資料によると『アデン・アラビア』を著したときのニザンも二十六歳であったという。が、筆者がこの言葉を知ったのは大塚英志先生の著作であって、そこにはすでに三十歳を超えていたと書いていたように思う。他の資料によれば原著は1936年とあるからそれであればその時点で1905年生まれのニザンは三十歳を超えているので確かに計算は合う。作品が上梓されたのと単行本としてまとめられたことにズレがあってそのためにこのようなことが起こっているのかもしれないが、ともあれいずれにせよ筆者は既に『アデン・アラビア』を著したニザンの年齢を超えたか、あるいは超えつつあるということであるらしい。

ポール・ニザンという人を筆者はこの『アデン・アラビア』でしか知らず、それに触れたのは前述の大塚先生の引用によって知った十五歳の時であったから恐ろしいことに倍の年月が経っており、詳細は曖昧模糊としているが、ただその性急さは感じたように思う。そして怒っていた。『アデン・アラビア』は独白の小説で、恐らくニザンが今の世に生まれていたら難解な文章の中に時折洗いざらしの白いシャツのような上記のような文章を織り込んでくるちょっと毒吐き気味のブロガーとして名を馳せていたかもしれない。

ただ、彼の生まれた時代は2020年ではなく1905年だった。そして1940年、三十五歳で戦死する。映画にもなった「ダンケルクの戦い」に配属されようとしていた時だったということで、どうあっても戦争という暗い大きな影の中で死に絡めとられようとしていたような空気を感じてしまう。

ただ、彼の命を奪ったのも戦争ではあるが彼をパリから脱出させ、アデン・アラビアへ向かわせしめたものまた戦争の空気を感じての焦燥だったと考えると何とも複雑な気持ちにさせられる。

今一人このことについて考えた時、筆者が思い浮かべる作家さんがいる。茨木のり子さんである。

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
              ね

 

茨木のり子さん著「わたしが一番きれいだったとき」より引用

 

 この詩を知った時、筆者は中学二年生で、教科書に載っていた。教科書の最後の著者一覧には詩からイメージされる凛とした美しさの女性の顔が映っており納得した覚えがある。当時は存命でいらしたが、2006年に鬼籍に入られた。これは当時ニュースで見たことを覚えている。独居の中での自然死であったが既に遺書をしたためていらっしゃったという。高校の教科書でも「自分の感受性くらい」が掲載されていたはずだ。

茨木のり子さんは1926年生まれ。調べてちょっと驚いたが筆者の祖母と同じ年の生まれであった。「戦争に負けた」時は十九歳となるはずで、もう一年ずれていれば「二十歳がいちばん美しい年齢と誰にも言わせ」ないニザンと「一番きれいだった」茨木のり子さんと対立してしまうところであったが矛盾を乗り越えているあたりに筆者は静かな感動を覚え、そしてそこに始まる二人の作家の対称性についてしみじみ感じ入ることとなった。

本人はどう考えていたかは知らず、戦争という大きなターニングポイントにおいて生き急いだように見えてしまうニザンと、出来るだけ長く生きることを決め、実際に八十歳まで生きられた茨木のり子さん。それぞれの生き方は美しく、相反するように見えて二十歳の向こう側に対して肯定的である点が共通しているように思えるから不思議だ。

ちなみに茨木のり子さんが詩の最後で触れているのはニザンと同じフランス出身の画家・ジョルジュ・ルオーだが、現在『アデン・アラビア』に触れるにあたってアクセスしやすい書物である池澤夏樹編集世界文学全集ではルオー作の『名誉の戦場』が合わせて収録されている。こちらの『ルオー』氏はジャン・ルオーという人でこれまたフランスの人であるが、こんな番外の偶然を楽しめるからこそ読書というのは楽しいのだよな、と思ったりもした。

アデン、アラビア/名誉の戦場 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-10)

アイドルと二十歳

今年の成人式対象は1999年4月2日~2000年4月1日生まれの諸賢ということで各地で開かれる成人式ではまさしく日本の未来がwowwow wowwowすることと思うが、よく考えると来年の成人式は20世紀生まれと21世紀生まれが同時に存在するってことか…ちょっとワクワクするな……そういういじりその世代散々されてきたんだろうな……どうでもいいが筆者は2000年代だけど新世紀じゃない2000年生まれの諸賢に平成生まれだけど1990年代じゃない年の生まれとして勝手にシンパシーを覚えてしまう。

さて今回このお題に臨むにあたって筆者は自分のツイートを「二十歳」で検索してみた。

 

 

 

 オ…オギャーッこいつアイドルの去就しか気にしてねえ!

ともあれいわゆる「普通の幸せ」と「アイドルとしての成功」を天秤にかけた時訪れる大きく2つの決断のタイミングはやはり現状においては「十八歳」と「二十歳」になるのではないだろうかと思う。上記ツイートを見ても半分が二十歳を機に卒業または引退の発表をしたことによるリアクションである。

ことに48Gにおいては二十歳になり成人式を迎えるメンバーは神田明神でお披露目されるのが近年の恒例であり、推しの振り袖姿を見るのをモチベーションとしている諸賢もおられることだろう。

去年の模様はこちら。

www.oricon.co.jp

ここでも二十歳を機に卒業を控えているメンバーが複数いることがわかる。現在はここからさらに欠けてしまった・しようとしているメンバーがいるのがさみしい。

これより4日前。48Gファンは、いやアイドルファンは衝撃を受けた。山口真帆さんの涙の訴えがNHKニュースとなり、後追いでその事実を認めるような報道がなされたからである。

 

kimotokanata.hatenablog.com

 ちょうど一年前の記事がこちらになる。

筆者の期待は残念ながら裏切られ、NGTにはまだ春はやってきていない。その最初の失望が成人式センターを務めた方が騒動に触れず、総選挙への執着ともいえるようなコメントを残したことだった。同じくNGTの成人式参加メンバーにはその後謹慎、研究生降格となったメンバーもいた。

www.tokyo-sports.co.jp

その後裁判も開廷したが内容はお粗末極まりなく、まだまだNGTの冬は長そうだとただただ悲しくなってしまう。本当に楽曲はグループ随一だと思うのだが……。

 この忌まわしい一周年を払拭するかのように照準を合わせてドラマ出演を実現させた研音はさすが名門事務所、と感心させられることしきりである。

そう事務所。アイドルがいかに輝けるかはYouTubeほかの普及によって風向きはだいぶ変わってはきたけれども、やはりまだまだ事務所に左右されることが大きい。

それが最悪の形で作用したグループがいた。

X1である。

親の因果が子に報いとはまさにこのこと、本人たちに過失のないことでとうとう解散に追い込まれてしまった。

筆者はPRODUCE X 101も全話視聴し、何度か記事化を試みたが結局のところ果たせずじまいであった。

理由はいくつかある。箇条書きにしてしまうと

・ますます露骨なPDpickをはじめとした番組作りの「雑さ」が気になってしまうこと

・活動期間5年と長期のためか全体的に年齢層が若く、必然的に練習生期間も浅く、初期状態ではパフォーマンスに難のあるように感じてしまう候補者が多かった

・やはり字幕ありといえど全編完全に韓国語だと内容がなかなか入ってこない

・何度視聴しても一推しがイ・ドンウク国民代表プロデューサーになってしまう

そして一番の理由は、

・X1がカムバックしたときに合わせて上梓したい

であった。そしてそれは、果たされることがなくなってしまった。

おかしいではないか。まずやるべきは事務所役員の更迭ではないか。

もう本当にずっと怒っていて、悲しくて、昨日は慣れない酒を飲み、檸檬堂のおいしさに気付いたりもしつつ、しかし心は晴れなかった。

候補生たちの若さを反映して、X1も若いグループだ。ああ、だった、とせねばならないことが辛くて仕方がない。未成年のメンバーがほとんどである。

ちなみに筆者は候補生たちの年若さを逆手に取ったデビュー評価局「少年美」がとても好きである。


[ENG sub] PRODUCE X 101 [단독/최종회] 소년미(少年美) 최종 데뷔 평가 무대 190719 EP.12

彼らの成人を、二十歳をしかも韓国と日本ではカウント方法が違うから(韓国では数え年)場合によっては2回もファンが祝福する機会は少なくともX1としては永遠に失われてしまった。

大輪の花火を咲かせるはずだったグループは線香花火のようにはかなく、閃光のように散っていったのである。

筆者も再結成を諦めたわけではないが事務所たちに事の大きさを思い知ってもらうためあえて強い言葉を使ったことをご容赦願いたい。

二十歳から連想されることを思いのままに書き散らしていったら4000字を超えてしまった。二十歳のころ考えていた三十歳はもうちょっと論理的な文章を書ける人間だったのだが。

総括するとしたら、ただ一言、「人生は生きられるときに生きろ」である。

 

新春鑑賞はじめ―特別展「三國志」感想

余談

昨夏、念願かなって九州国立博物館を訪問することが出来た。

九州国立博物館様の試み「ぶろぐるぽ」によって当ブログ記事を九州国立博物館様のHPでご紹介いただいただけでも大変有り難かったのだが、抽選が当たり次回特別展の招待券もいただいた。

東京開催時点で既にフォロワーさんが鑑賞されており、我々夫婦もそれぞれ三國志を愛好していることからもともと鑑賞予定であったのでまさしく渡りに船、さっそく鑑賞と思ったものの年末の業務に忙殺され、気付けば年が明けていた。

元日、夜。筆者は思い悩んでいた。どうにか鑑賞したいがしかしここから5日まではどのタイミングであっても混雑するであろうと。妻と話し合い、明日起きられたら行ってみようということになった。天の配剤に任せたのである。

当日朝。6時に起床できた。蒼天既に死す。特別展当に行くべしという天の啓示である。我々は粛々と準備をし、車のフロントガラスが凍っていることに慄き、なんだかんだで8時ごろ出発した。この時点でカーナビは11時過ぎの到着を示していた。

道中、高速道は思ったほど混雑していなかった。霧、逆光など自然が我々に襲い掛かるものの基本的に流れはスムーズである。鳥栖JCT付近で事故車を発見し、そのベッコリぶりにやはり自動車税は高くとも普通車に乗ったままでいよう……と思ったりもした。ゴーンはうちのキューブの自動車税を払ってほしい。

筑紫野ICで降り、コンビニで軽く腹に入れ、お手洗いを済ます。道中スムーズに運転できたため、11時より少し前に着きそうだ、とカーナビは告げていた。およそ2キロ。展示への期待が夫婦間で高まっていた。

が、そこからが地獄であった。九州国立博物館太宰府天満宮のほど近く。そしてその周りは一本道。

見事に初詣渋滞に巻き込まれてしまったのである。次々と徒歩の人々が我々を追い越していく。所々で膀胱が限界に達したであろう人が車から一時離脱していく荒涼とした風景。カーナビからは駅伝の実況が流れており、そのストイックさを取り入れることでどうにか乗り切ろうと懸命であった。マジンガーZは渋滞のストレスから生まれたというがなるほどな、と感じた。

ようやく九州国立博物館の一部分が見えた時の我々の喜びときたら、「翼よ、あれが巴里の灯だ」という気持ちもかくやであった。

九州国立博物館よ!我々は帰ってきた!

とはいえなんと時刻は13時を回ってしまっていたのでまずは腹ごしらえである。またもバーガー類は売り切れであった。いつか食べてみたい。

妻は桃ソースの杏仁豆腐をチョイス。

妻「桃園の誓いだからね…ウフフ…」

筆者は前回食べて絶品であったミックスベリーパフェを選んだ。ぎっしり中身が詰まっておりコーンフレークも含有されていないのでミルクボーイも動くことはなく安心である。

いつ見ても高い天井に向けて伸びるエスカレーターに乗り、三国志展へと我々は臨むのだった……。

本題

「リアル三國志」の世界へ

ありがたいことに今回も「ぶろぐるぽ」に参加させていただくことになり、九州国立博物館さんから画像を提供していただいた。そして今回の特別展がありがたいのはすべての展示物が撮影OK(映像はNG)ということで、なんと夫婦合わせて500枚近くバシャバシャ撮ってしまった。その大盤振る舞いぶりに感謝しつつ、画像を交えて感想を述べたいと思う。

まず入り口には記述を再現した張飛の蛇矛。こんなん持った大男と目が合ったらそれだけで藁のように死にそうである。

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入場した我々を迎えるのはデカアァァい説明不要な関羽像。その大きさは三国志演義の記述とほぼ一致しているというからなるほど大丈夫(だいじょうふ)である。人の世は曹操を残し、劉備は物語となり、孫権は長命を得るなか、関羽は神になる。その神格化が進むのは三国志演義が巷間に流布してからということで、その直前に作られたと思われるこの像はひげなどもまだ控えめで実像に近い像であるらしい。

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そういったいまや伝説となっている三国志の人物のルーツをたどることから始まる本展示、特に筆者が目に留まったのは劉備が後裔を自称した中山靖王・劉勝の墳墓に彼と共に埋葬されたという玉装剣である。前2世紀というから2千年以上前のものが目の前にあるという事実にまず静かな感動を覚えてしまう。

そのフォルムは思わず「あっ! 無双で一般兵が持っているのとおんなじだ!」と思ってしまうが鞘尻についていた玉は今なお美しく、隣の輝き続ける壺と合わせて持ち主の栄華を今に伝えてくれる。

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三國志の時代は即ち戦乱の時代。そしてそのターニングポイントが「赤壁の戦い」であるが、百万の矢を空間を贅沢に用いて行った再現は必見である。矢ぶすまの「圧」を感じられる貴重な経験であった。

そのそばに澄まして鎮座してある「弩」は特に古参の無双プレイヤーであれば様々な思いが去来すること必至である。

この辺りも見覚えのあるフォルムで、プレイヤー諸賢は親近感を覚えることであろう。

三國志の登場人物」が実在したことをかみしめる展示

親近感と言えば、三國志の時代はおよそ1800年前。当然、同じ人気のある時代と言っても日本の戦国時代や幕末時代のように多く資料が残っているわけではない。

その中でも貴重な三国志の登場人物たちの息吹が感じられる展示も見ることが出来た。

こちらは乱世の奸雄・曹操が建安20年(西暦215年)に陽平関にて五斗米道教祖・張魯を破った後、漢中に軍を駐屯させていた曹操が河の流れの滔々とした様子に感じ入り、岩肌に揮毫したと言われているものの拓本であるという。

同年には後年の作品においても著名な「合肥の戦い」が呉との間で繰り広げられていたこともあり、同行した司馬懿らはそのまま劉備のいる蜀を攻めることを進言したが曹操はそれを却下した。あるいはここで侵攻していれば、後年(建安24年/西暦219年)の定軍山の戦いは起こらず、夏侯淵もその命を散らすことはなかったかもしれない。

改めて揮毫(の拓本)を見てみると「滾(揮毫にはさんずいなし)」のまさしく瀑布が跳ね上がるような自由闊達な感じと比べて「雪」の深々としたかっちりとした感じの対比が面白く、しかし不思議に調和をなしていて見事である。

本来は「滾雪」が正しいのだが、それを部下に指摘された曹操は「この河が『サンズイ』ってことサ……」と傍らの河を指さしたという。口調がそうであったかは定かではない。ちなみに当時曹操自身が立碑の禁を定めており、いたずらな誇示行為を禁じているのだが、「揮毫だからセーフ」ということでこの「滾雪」はスルーされている。忖度案件では?と思わなくもないが、このあたりの立ち回りがいかにも「曹操」を感じさせて微笑んでしまう。多分楊脩がやってたらぶっ殺されてたと思う。指摘したKY部下が楊脩だったように思えてならない。

 今一つ三國志の登場人物の息吹を感じさせてくれる展示がある。魏晋時代に流行した縦長の書体で刻まれた字は「曹休」。曹休、字は文烈。曹操から「我が家の千里の駒」と褒め称えられ、甥でありながら我が子同然に遇されたという彼の印章である。

真・三国無双8ではついにプレイアブル化した。筆者は発売日当日に購入したが3人クリアしたところでアップデートに期待して放置してしまっていて、実は出会えていない。モブ武将時代から「石亭の戦い」での彼と周鮑の死に至るいちゃいちゃはフィーチャーされており、シリーズの愛好者には思い出深い武将であることであろう。アラサーの多くは彼から髻(もとどり)を学んだといっても過言ではない。

そんな彼の墓が2009年に発見され、出てきたのがこの印章である。三国志に登場する人物のうち確実である唯一の印章であるとか。曹操曹丕曹叡と魏三代に仕えた彼が生前どれだけの書類にこの印象を捺印したのか、思いをはせてみるのもよいかもしれない。

三国、それぞれの色

 いよいよ三国それぞれの文化に触れていくわけだが、受験知識として我が身に眠っていた「親魏倭王」や「三角縁神獣鏡」といったワードが励起され、懐かしい気持ちになる。一口に鏡といってもその種類は多種多様であり、そこに古代の無限のつながりとロマンを感じる。

僕ら(日本)が巫女の託宣とか聴いてるずっとずっと前にはもう漢王朝貨幣経済をしていたっていうわけだが、魏もその貨幣「五銖銭」を続けて用いた。魏の領土は広く、混乱を防ぐためであったのだと考えられる。

劉備は蜀を得た折、財政難に苦しみ、1枚で五銖銭100枚分に相当する貨幣「直百五銖」を発行した。

孫権「うちも財政難や……そや!」

ということで呉において孫権は「大泉当千銭」という貨幣を発行した。文字通り1枚で五銖銭1000枚分に値するというスーパー貨幣である!凄まじい悪評で間もなく発行は打ち切られたという。コントか。加減しろ馬鹿!という感想しか出てこない。たまたま展示品がそうであるだけかもしれないが、「大泉当千銭」が一番粗悪に見えるというのがまた皮肉が効いている。

五銖銭は三国時代の後も長らく中国経済において使用されたという。信用が一番だねということを学ばせてくれるエピソードである。とはいえ、当時は布などの物々交換がまだまだ重きをなしていたらしいことも付記しておく。

特に個性の出る各国の墓

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今回の展示の目玉の1つは再現された曹操高陵であろう。その中に立ち入り、発掘された諸品々を眺めるというのは何とも不思議な気分であった。ややオーパーツめいた新時代の陶器が埋葬されていたというのが進取の気風をもつ曹操らしいではないか……としみじみ思わされる。

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墓の中には「曹操様が愛用していた虎だってぶちのめしちまう大矛だぜ!」という石牌があり、曹操の墓だと断定する根拠の一つになったらしい。統治者のイメージが強いが曹操という人はつくづくもののふであったということなのであろう。

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曹操の墓は厳命した通り薄葬であったというが、一部に壁画があったことが確認されている。その内容は残された部分から想像するしかないが、「曹操の墓」「壁画」というと筆者としてはやはり曹丕于禁への嫌がらせが思い出され、その場面は本当にあったのだろうかと気になってしまう。

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厳粛な魏の墓と比較すると、蜀の墓は入り口からしてなんだかフレンドリーな感じがしてそれぞれの色が濃く出ているなあと感じる。

特筆すべきは「俑」の違いであろう。秦の始皇帝兵馬俑で著名なように、有力者の墓に一緒に埋葬される人形のことを「俑」という。

例えば曹操の墓に副葬されていたのがこちらになる。曹操ほどの有力者に副葬されていたものとしては、型からはみ出した粘土がそのままであるなど粗雑さが目立ち、薄葬のコンセプトの下、手間もあまりかけないようにしていたのだろうかと思わされる。あるいは何度も盗掘の被害にあっているため出来のいいものは奪われてしまったのかもしれないが……。

呉の場合はこちら。細かく役割が分かれており、帽子など細かいところにも違いがみられる。製作過程が違うのか風合いも異なり、南国の気風が感じられる。

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そして蜀の俑がこちらである。おかしいだろ。なんだこの躍動感は。当時のいわゆるコメディアンを模しているといわれ、その屈託のなさに思わずこちらも笑みがこぼれてしまう。ちなみに曹操の息子・曹植はその物まねがうまかったとか。ほかの国々が自分を守る兵士だとか、祈りをささげる人々たちを「俑」として副葬する中、コメディアンを選ぶ蜀、連載初期の人手不足なのに音楽家を優先的に仲間に入れようとするワンピースのルフィを感じさせる。その陽気さと裏付ける土地の豊かさこそが、蜀が圧倒的に国力に勝る魏相手に長らく持ちこたえたことの秘密の1つであるのかもしれない。

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呉は棺を置くための台が虎を模しており、やはりゲーム脳の筆者としては「こいつ回転して火を噴きそうだな」と思ってしまうがフォルムがなかなかチャーミングでありながら、神聖さを讃えており見事な造形である。江東の虎の面目躍如というところだろうか。

呉の文化でインパクトがあったのはこちら。ダービーにポーカーで負けた人の成れの果てではなく、瓦である。墓から邪を払う目的があったのかと推測されているが、そのユニークさは他の追随を許さない。

三国時代の終焉と飛躍、拡散。

「晋平呉天下泰平」―「晋が呉を平らげ天下は泰平となった」と刻まれたこの煉瓦は同時代の豪族の墓に用いられたもので、世界一短い三國志とも言われている。戦乱の果て最後に残ったのは魏でも呉でも蜀でもなく、晋であったというフィクションであればNoを突きつけられそうなオチであった。

しかし英傑たちの物語はそれにとどまらず、庶民の間で脚色を受けつつ流行となっていく。そして日本でも横山光輝先生の「三國志」や「人形劇三國志」、そして筆者も入り口となった「真・三国無双」シリーズなど、様々に拡散、飛躍して現在に至っているのである。

 

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もうすっかり音声ガイドがあったら申し込むようになっているが、今回は夫婦とも無双とのコラボ音声ガイドをお願いした。初っ端から曹操関羽…すちだ…であり、夏侯惇は他の武将たちがリスナーを労う最後の場面においても1人だけ「俺はもっと孟徳の話をしたいのだが?」という感じで関羽はことあるごとに義の刃をもとうとし、曹丕は皮肉がちであった。すなわち平常運転であった。ご当地ネタにもボーナストラックで踏み込んでくれ、サービスが行き届いていた。やはり声が聞き取りやすく、またゲームの名場面を思い浮かべることもできてよい選択であったと思う。

あえて言うなら武将のうち3人が220年前後に死に、曹丕も割と早逝するので後半部を補える武将を呉や晋からチョイスしてもよかったのではないか、と思うが……。

ともあれ古代中国から今に至るまで、三国志の世界をリアルに感じることが出来る素晴らしい展示であった。

図録もトートバッグとセットで妻が購入してくれたが、大ボリュームでコラムもついており読みやすい。通販もできるのでお勧めである。

その他グッズも充実しておりいくらお金があっても足りない。別々に買い物をした我々夫婦であったが司馬懿クリアファイルをはじめ何点かかぶっており、その感性の近さを確認できたという点でも意義深い展示であった。